ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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不知火と鶏がら飯

鎮守府の裏手の山を北の陸側に回り込むと、隣の山との間に細長い竹林がある。

法律的には隣山にある神社の所有ということになっているが、古くから集落の共有財産として守り育まれてきた竹林だ。

 

その竹林のさらに奥には小さな洞窟があり、岩清水が湧き出している。

 

周囲の山々に積もった雪融け水が、長い年月をかけて地下に浸透しながら自然にろ過され、澄み切った地下水として溜まったもので、口当たりが非常にまろやかだ。

 

現在の艦娘寮になっている旅館を建てた際に、旅館のオーナーである網元が寄進したという立派な鳥居に守られながら、洞窟の奥から引かれた水道管を通じて各家庭や鎮守府に、清らかな水の恵みをもたらしてくれている。

 

この辺りの家庭では戦後になってダム水から水道が引かれた後も、料理や飲用にはこちらの水を使い続けており、一家庭に二水道が常識となっているほどだ。

 

鎮守府でもこの水を利用させてもらい、代わりに地元対策予算を使って老朽化していた水道管と配水網の工事を行い、水源の維持管理も引き受けている。

 

提督も週に一回、動物や虫などの侵入対策に張られたフェンスやフィルターの点検を行っている。

 

「よし、異常なし」

チェック用紙に記入し、鳥居に向けて二礼二拍一礼、水神様に感謝を捧げる。

 

そして振り返る提督の視線の先には……。

 

「ふふっ」

「……不知火に落ち度でも?」

 

ついてこなくていいと言ったのに、ローファーの靴を履いたままついてきて、盛大にすっ転んだ不知火が、泥だらけで憮然(ぶぜん)とした表情を浮かべていた。

 

自慢の白い手袋も、手をついたときに泥まみれになり、それで顔をこすったものだから、白いほっぺたにも茶色い線が描かれてしまっている。

 

「何ですか? その……不知火の顔に何か?」

殺し屋のようなすごい眼光を向けてくる不知火。

 

「さあ、戻ってお風呂に入ろうか」

「司令……言いたいことがあれば言ってください。司令?」

 

 

鎮守府庁舎に戻り、不知火を風呂場に押し込んだ後、提督はキッチンで朝から仕込んでおいた鶏ガラスープの味を見た。

 

一晩水にさらしアク抜きした丸ごと三羽分の鶏がらを、昆布を浸しておいた水で、長ネギ、しょうが、ニンニクとともに、トロ火で3時間じっくりと煮込んだものだ。

 

途中、浮かんでくるアクを丁寧に取り続けてやるのが、手間はかかるが澄んだ味にするポイント。

 

水源の検査に行く直前まで煮込まれ、粗熱がとれた今……旨味が炸裂するスープとなっていた。

 

「よしよし」

満足し、スープをザルで漉して(こして)、鶏がらと分ける。

 

このスープに、別に夜通し煮込んで作っておいたゲンコツスープと、煮干しとサバ節のダシ汁、醤油ダレを混ぜてブレンドすれば、味に奥行きのあるラーメンスープの完成だ。

 

 

「提督。手伝っていただいて、ありがとうございます」

キッチンに顔を出したのは神通だ。

 

先日、提督は神通から、食堂で第二水雷戦隊が出す「華の煮干しラーメン」の相談を受けた。

 

神通たちの試作品では動物性ダシが負けて魚臭さばかり目立ってしまうので、神通が目指す煮干しの芳醇さに負けない、旨味が非常に強い鶏がらスープを作ってあげたのだ。

 

「しかし、手間がかかるものを、あえて選んだね」

「川内姉さんの“濃厚とんこつラーメン”や、那珂ちゃんの“嵐巻き起こすナカチャンポン”に、麺勝負で引けをとりたくなかったので……」

 

「ああ、那珂の牡蠣チゲとチャンジャの入った韓国風チャンポンは美味しかったね」

 

「私には、那珂ちゃんのような、()()()()()()()()()()()()はありませんから……せめて味だけは妥協なく同じ水準で戦いたいんです」

 

(あれ、遠まわしに妹のこと芸人扱いしてる……?)

 

それはともかく、立ち居振る舞いは大人しいのに、神通は何事にも強い闘志を秘めている。

前に提督が「ボーナンザ決闘(BOHNANZA DAS DUELL)」というドイツのカードゲームで神通と遊んであげたら、勝つまで放してくれなかったし。

 

「うん、精一杯美味しいラーメンを作ってきてね」

メニュー当番は料理勝負ではないが、全力で切磋琢磨するのもいいことだ。

 

「はい。神通、参ります!」

スープの入った寸胴鍋を抱えて、神通は帰っていった。

 

 

「不知火は、二水戦のラーメンの手伝い……は?」

不知火が風呂場から出てきた気配を感じ、振り返って声をかけようとして提督が止まる。

 

そこには、てっきりエンジ色の体操ジャージにでも着替えていると思った不知火が……。

雪風の服を着て立っていた。

 

「ッ……し、不知火に落ちゅ度でも?」

言いつつ、不知火の顔面は真っ赤に染まっている。

セリフ噛んでるし。

 

「秘書艦がジャージ姿では示しがつきませんから、物干し場から妹の制服を借りました」

 

ただでさえ丈の短い雪風のワンピース、雪風より背の高い不知火が着ると……。

完全に下半身を隠すという機能を放棄していた。

 

その……島風よりも色々とひどい……。

 

「な、何か問題でもありますか?」

必死にスカートを引っ張り、何とかして下着を隠そうとしている不知火だが、全くもって丈が足りていない。

 

「問題しか見つからないというか……借りる相手を間違ってるよ。黒潮とか親潮とか、せっかく姉妹多いんだから、他にいくらでもいるだろうに」

 

「分かっています。しかし、雪風の制服しか物干し場になかったんです」

見るな、という強い殺気のこもった視線を向けてくる不知火。

 

「いつものスパッツは?」

「雪風の制服と拒絶反応が出て、履けませんでした。名誉のため付け加えておくと、雪風より先に夕雲型の服を着れないか試しましたが、ブラウスの袖さえ通せませんでした」

 

艦娘が艤装の装着時に着る制服は、単なる服でなく霊力が宿った艤装の一部である。

陽炎型と夕雲型は、準同型艦なので試してみたが、艤装の霊力に拒絶されたということだ。

 

「時々、雪風は私たちの妹なのか疑問に思っていましたが……本当に陽炎型だったんですね」

(この姉も何気にひどいこと言ってるなぁ……)

 

「雪風のスカートが伸びちゃうから、もう諦めて引っ張るのをやめなさい。後でサイズの合うものを誰かから借りてくるから」

不服そうにしながらも、不知火が下着を隠そうという無駄な努力をやめる。

 

とりあえず、提督は先に昼飯を作ることにした。

鶏がらから、こびりついてる肉を落としていく。

 

「不知火も手伝って。いっしょに小骨を剥がさないように注意してね」

わずかな肉とはいえ、大量の鶏がらからこそぎ落としたそれは、かなりの量になる。

 

干し昆布と干し貝柱でダシをとり、少し残しておいた鶏がらスープに混ぜ、軽く沸騰させてから醤油を一たらし。

 

熱々のご飯の上に、集めた鶏がら肉と卵黄をのせて、小ネギを散らしてスープを注ぎかける。

 

「さあ、食べよう」

「はい! ッ……ぬぅ」

 

不知火も目の前の鶏がら飯に目を輝かせているが、座る場所に迷っている。

提督の向かいと横、どちらの席が下着を見られる被害が少ないか考えているのだろう。

 

やや間があって、諦めたように提督の隣のイスに不知火が座る。

 

鶏がら飯は、パンチのある鶏がらスープの脂の旨味に、昆布と貝柱のダシが深い奥行きを与え、ほんのり漂う醤油の香りが食欲を誘う、絶品の味となっていた。

 

柔らかい鶏がら肉が熱々のご飯とともに口の中でとろけ、それをスープでさらっとかきこむと、何ともいえない余韻が口の中を通り過ぎる。

 

卵黄を割れば、これまたトロッとした黄身がご飯と鶏がら肉に絡まり、卵かけご飯と親子丼を融合させたような不思議な味わいを生み出す。

 

まかない飯、最高。

 

 

「……一つだけ……そのパンツも、雪風の?」

意識して視界に入れないようにしつつも、やはり目に入ってしまう白い布について尋ねる提督。

確か、不知火はいつも緑色の下着を着けていたはずだ。

 

「…………はい」

「うん……」

後は無言で、鶏がら飯をサラサラとかきこんでいく2人。

 

 

食べ終わった食器を片付け、さて不知火のために制服を借りに行くか、と考えていたら。

 

「不知火姉さん、それ雪風の制服ですっ!」

「犯人見つけたーっ!」

キッチンに、裸にタオルを巻いた雪風と、時津風が飛び込んできた。

 

「ちょっと借り…」

「返してくださいっ!!」

「さぁ、脱がすよ!」

不知火に飛びかかって押し倒し、服を脱がそうとする雪風と時津風。

 

「雪風、後で返すからやめなさい!」

胸まではだけたワンピースを、必死に守り通そうとする不知火と……。

 

「今返してください!」

タオルがほどけるのも気にせず、今度は下着を脱がしにかかる雪風。

 

「ドロボーはねー、いけないんだよ。ねっ、しれー?」

「やめろ、やめろっ! 司令、助けてください!」

「司令官、不知火姉さんが人の服をとるのが悪いんです!」

 

提督はそっと姉妹たちの争いに背を向けた。

 

「っ! 司令、不知火を見捨てるおつもりですか!?」

「ほら司令官、ちゃんとパンツに雪風の名前が書いてあります!」

「カンネンしろ、不知火ねえ」

 

(何も聞こえない、何も見えない)

背後では、謎の光がかかっていなければ、マンガやアニメでは絶対に描写不可能な光景が展開されているだろう。

 

振り返れるわけがない。

 

助けを求める不知火の声を非情に無視して、提督はキッチンを出て行くのだった。


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