ある鎮守府のエンゲル係数   作:ねこまんま提督

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間宮の羊羹

この鎮守府の艦娘寮の庭の奥には、木々の間に溶け込むようにして、鄙びた(ひなびた)田舎屋のような風情の藁葺き(わらぶき)屋根の茶室が建っている。

 

玄関を入ると三畳の次の間、八畳の書院造りの和室と水屋があり、三畳半の茶室につながる。

 

通常の水屋は茶室の隅に設けて、茶事の用意をしたり茶器を洗ったりする所だが、ここの水屋は広めで台所としても使えるし、水屋の奥には内風呂があり、トイレも備えられている。

 

艦娘寮を増改築する際に、昭和中期に火事で焼失したままという茶室を、昔の資料や白黒写真をもとに、建築妖精さんたちに再建してもらったものだ。

 

 

再建してみて分かったことだが……。

 

ここは、茶室に名を借りた「離れ」であり、男女の逢い引き(あいびき)に使われていたのではないかと推測できた。

 

家族サービスとか観光旅行なんて言葉もなく、交通網も貧弱だった戦前に、何ら名所もない辺境の高級温泉旅館に、わざわざ高額を払ってまで泊まりにくる客とは……。

 

この旅館全体に言えることだが、要するに政治家や豪商、高級軍人や官僚、著名な文化人が、愛人や芸者を連れて人目を避けて泊まりにきていたのが、初期の常連客らしい。

 

その中でも、この茶室付きの離れはVIP用の高級室だったらしい。

鄙びて(ひなびて)いるのは外観だけで、建物の中身は質素どころか豪華絢爛(ごうかけんらん)

 

ワビとかサビとかの境地には程遠く、吉原の遊郭を思い起こさせる豪奢(ごうしゃ)艶やか(あでやか)な凝った造りになっている。

 

一見、日当たりのいい明るい居間風の書院だが、雨戸を閉め切って行灯(あんどん)に火をともしてみれば、陽光の下では焦げた茶色に見える巧妙な色使いの窓枠が朱色に浮かび上がり、透かし彫りの妙技による鯉の陰影が金箔を張った天井を泳ぐ、一気に妖しい空間となる。

 

玄関を上がった次の間、そこから書院(とは名ばかりの淫らな寝室)に続く(ふすま)には、もう一枚木戸を閉めることができる。

 

つまり、宿の従業員に対する「今はアレだから入ってくるな」の合図である。

 

 

提督は意外とこの離れを好んでいて、艦隊指揮につかれた時、たまにこの離れでくつろぎながら読書や思索にふける。

読書といっても読むのは厨房機械器具のカタログ、考えているのはこの後何を食べるかというくだらないことだ。

 

この日も、提督は飛龍に膝枕をしてもらいながら、業務用製餡機器のカタログを読んでいた。

全システムを導入すると、豆煮から皮むき、製餡、絞り、脱水まで自動で行える製造ラインが構築できる優れものだ。

 

「あ、提督、ちょっと動かないで!」

「ん、何?」

「いいから動いちゃメッ! 蒼龍、耳かき取って」

 

沖釣り専門誌『つり丸』を読んでいた蒼龍が、江戸火鉢についている引き出しから耳かきとティッシュを取り出して飛龍に手渡す。

 

「ほら、ここ。気持ちいいでしょ?」

飛龍が耳かきを提督の耳に突っ込んでくる。

提督の耳の奥で、ペリペリッと耳垢がはがされる、こそばゆい感触がする。

 

「明日の演習相手、小田原鎮守府でしょ? 相模湾、アジとキンメダイが熱いらしいよ」

蒼龍が話しかけてくる。

 

「んー……じゃあ、明日は蒼龍旗艦で、多摩、夕張、曙、夕雲、あきつ丸で演習行って」

「ドラム缶は何個持ってく?」

演習には無関係なはずの、ドラム缶装備が当然のように装備にあがるのが、この鎮守府。

 

「夕張と夕雲に2個ずつ。多摩には熟練見張員、曙には九三式と三式ソナー、あきつ丸に零式ソナーを持たせて、夕張とあきつ丸はキンメ狙いで、他の子はアジを狙って」

「オッケー」

 

演習そっちのけで、ドラム缶いっぱいに釣る気まんまんである。

 

 

離れには、他に最上と日向の姿もある。

 

「トマトの合体栽培かぁ……やってみたいなあ」

寝っ転がって最上が読んでいるのは、JAグループ家の光協会発行の『隔月刊やさい畑』。

 

火鉢で煎餅を焼きながら、日向が読んでいるのは農山漁村文化協会発行の『季刊地域』。

特集は「農家の土木・基礎講座 みんなで挑む「むら強靭化」」だ。

 

この鎮守府は、一体どこに向かっているのか……。

 

 

「提督、反対の耳も見せて」

「こう?」

提督が寝返りをうって、飛龍のお腹の方に顔を向ける。

 

「あったあった、こっちにも」

提督の頭を抱きかかえるようにして、耳を覗き込む飛龍。

 

「提督!? 何をしているんですかっ!」

そんな体勢で飛龍に耳かきをしてもらっていたので、気付くのが遅れた。

 

障子を開け放っている縁側に立っていたのは、間宮だ。

 

「ひどい、提督……私というものがありながら……」

間宮は非常にやきもち焼きだ。

 

ただし、飛龍の膝枕や耳かきなどは気にしない。

慌てて提督が製餡機器のカタログを隠すが、手遅れだ。

 

「私の餡に飽きたんですか?」

やきもちの相手は厨房機器だ。

 

「そんな機械なんかより、私の方がずっと提督に美味しい餡を作ってあげられるのに……」

特に、間宮自身が有している機能と競合する機械に対しての嫉妬心はハンパない。

 

「いや、ただ見てただけ! 見てただけだから!」

「ウソです……本当はもうその子を買う気で……うぅっ」

「買わないから大丈夫。間宮と伊良湖さえいてくれれば十分だから」

 

「……本当ですか?」

「本当です。いくら機械が進化しても、まだまだ間宮には追いつけてないなあ、って見てただけだから」

 

当然である。

間宮の艤装の中には、大きな和菓子工場に匹敵する製餡所があって、そこで熟練の職人妖精さんたちが匠の技術を駆使して餡を作っているのだ。

 

「この大型機械よりすごいことを、こんなコンパクトな艤装でできちゃうんだから、間宮はやっぱりすごいなあ」

 

「まあ♪」

照れたのか、間宮の艤装の通気筒からシュポッと煙があがる。

 

「ちょうど、お茶うけにと思って持ってきたんですが……」

間宮がお盆にのせて持ってきたのは、たくさんのどら焼き。

 

「うん、みんなでありがたくいただくよ」

「あの……提督?」

「うん?」

 

「はしたない給糧艦だと思わないでくださいね?」

間宮が頬を赤らめモジモジする。

 

「今の提督のお言葉で……できちゃいました」

「ぶっ!」

間宮の言葉に、蒼龍がお茶を吹き出す。

 

「セキニン……とってくださいね、提督」

間宮の艤装の一部が開き、クレーンが中から何かを吊り上げる。

 

大きな籠いっぱいに盛られた、お約束の間宮羊羹だった。

 

「まあ、そうなるな」

 

 

「提督どうすんの? この大量の羊羹」

「とりあえず一本は、ミヤ爺におみやげにしよう」

「焼け石に水だがな」

「まあ、まずは一本食べようか」

 

提督は一度、『海軍五等主厨厨業教科書』のレシピに従って、羊羹を作ってみたことがある。

くやしいぐらい、間宮の羊羹には味も食感も及ばなかった。

 

というか、『海軍五等主厨厨業教科書』のレシピは、レシピになってないし。

 

「まず小豆を汁粉の製法のごとく柔らかく煮て漉し絞りて……」

 

はい、ストップ!

この一行目の途中までだけで、大量の情報が欠落している。

 

小豆への加水は、水かぬるま湯か熱湯か? 加水時間は?

豆を炊く温度と時間は? 渋切り(湯切り)のタイミングと回数は?

漉すときの目の粗さは? 皮はどの程度残す? 絞り後の水分量は?

 

もちろん、そんなこと教科書に書けるわけがない。

 

小豆のできは、品種によっても、地域によっても、年によっても違う。

さらに作業日の温度や湿度でも、時間やタイミングの前提条件が変わってくる。

 

つまり、最後に物を言うのは職人の腕、経験とカンだ。

 

また、別の『海軍主計兵調理術教科書』には、羊羹の参考記事の欄にこんな一文がある。

「羊羹は色々の材料を応用して種々の名前があり製法も大同小異である」

 

 

間宮の羊羹……。

つるんと舌触りがなめらかで、とろけるような濃密な甘味が後をひく、まさに逸品。

 

どら焼きは、しっとりとしたきめ細かいスポンジの生地に、さらりとした甘さのつぶ餡が入っていて、小豆の風味が口いっぱいにフワッと広がる。

 

提督にベタ惚れっぽい間宮だが、この羊羹やどら焼きの作り方を尋ねても「ふふふ」と笑うだけで、決して教えてくれない。

 

「やっぱり、間宮には勝てないか」

提督のぼやきを聞き、飛龍と蒼龍が笑う。

 

「提督、当たり前じゃないの」

「間宮さんのお菓子には、海軍75年の歴史が詰まってるんだから」

 

 

この後、この鎮守府では当分の間、全艦娘がキラキラしていたという。




【誤字報告のお礼】
活動報告にも書きましたが、今日になってはじめて、誤字報告があったのに気付きました(というか、この機能の意味をはじめて理解しました)。

誤字報告をくださっていたレミレイ様、SERIO様、お礼や対応が遅れ、申し訳ございませんでした。

またお気付きの点がありましたら、よろしくお願いいたします。

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