その日、大淀は秋津洲から相談があると言って、鳳翔の居酒屋の奥座敷に呼び出されていた。
「貸切り」の木札がかけられた奥座敷の前、一声かけて障子を開ける。
「すいません、提督が仕事をしてくれなくて遅れました」
「忙しいのに、来てくれて嬉しいかも!」
机の上には、まだ料理はない。
伊良湖がお通しに、うどの酢味噌和えを持って注文を取りに来た。
大淀は生ビールに、ブロッコリーのチーズ焼きと合鴨のつくねを注文した。
秋津洲は梅酒のソーダ割りに、メバルの塩焼きと、いきなりご飯を注文する。
そういえば秋津洲が好んでお酒を飲んでいるのを見たことがない。
(これまた、面倒くさい相談な気がしますね)
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10分と待たずに大淀の予感は的中し、秋津洲はベロベロに酔っ払っていた。
「秋津洲、もうしゅぐ着任して2年なのに……ぜんぜん提督のお役に立ててないし、もう見捨てられてるのかも」
現在、秋津洲の練度は50。
今年2月の新入り組にも抜かれ、練度の低さはダントツのワースト1だ。
最近、装備は二式大艇3個で固定。
実戦への参加も、もう半年ほどない。
そもそも秋津洲には二式大艇の移動整備工場としての能力ぐらいしかなく、戦闘能力は非常に低く、他の水上機母艦のように甲標的や大発動艇を積むこともできない。
しかも燃費が悪く、速度は低速、装甲は紙同然で駆逐艦にもワンパン大破させられることも……。
ああ、茹でたブロッコリーにチーズをかけて焼いただけなのに、どうしてこんなに美味しいのだろう。
「このままじゃ秋津洲、ケッコンできるまでに何年かかるか分からないかも」
「世の中には、秋津洲さんを優先して超高練度に育てたり、全艦ケッコン達成している、変た……愛に溢れた提督もいるみたいですが……現在のうちのペースだと秋津洲さんのケッコンには、あと15年はかかりますね」
合鴨つくねは、軟骨も混ぜてすり身にしているので、コリコリした食感が楽しめる。
「そんなの嫌かもぉ」
「別にケッコンしなくてもいいじゃないですか、どうせカッコカリなんですから」
ケッコンカッコカリの制度とは無関係に、提督と事実婚のような関係にある艦娘も多い。
間宮や明石が代表だし、今でこそ練度が上がってケッコンしたものの、戦場に出ることがなかった頃の大淀もそうだった。
特に間宮が提督と伊良湖と3人で寮の離れに泊まっている姿など、まるで子連れ再婚したかのようで、正妻感が半端でない……。
ポーラとアクィラも、まだ練度99に達していないが、何度も提督の部屋に泊まり込んでいるし。
「それは分かってるけど……秋津洲、提督が大好きだから、ちゃんとケッコンしたいかも」
「すいませーん、カンパチのお刺身と冷や酒お願いしまーす」
「大淀さん、聞いてるかも?」
「はいはい、聞いてますよ。あ、しらすポン酢もお願いしまーす」
「大淀さんっ、見捨てないで欲しいかもー」
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アクアグリーンの透き通った海に浮かぶ、小さな島々。
白い砂浜に、美しい珊瑚礁。
ここはパラオ諸島、パラオ共和国。
太平洋戦争開戦前から日本の委任統治領に属し、戦後はアメリカの信託統治を経て独立を果たしたが、いまだ住民には日系人が多く、経済的にも日本との結びつきが強い。
深海棲艦の出現により一時は海上連絡が途絶したが、2013年夏の南方海域強襲偵察を機に人類が航路を奪還し、艦娘が寄港できる泊地が置かれるようになった。
リゾートホテルを買い取って整備されたパラオ泊地の宿舎は、部屋やお風呂も広くて清潔、そして何より食事が美味しくて、艦娘の「泊まりたい泊地ナンバー1」の栄冠に輝いている。
だが、今回泊まるのは、その宿舎ではない。
泊地が、通信塔と電探設備を設置するために借り上げた無人島の一つ。
大淀プロデュースで始まる、香取の外洋体験学習、長距離航海を体験した後の無人島での一泊キャンプの下見のためだ。
遠征メニューにある遠洋練習航海の独自アレンジだが、同等の勤務評定をもらえるように本部と交渉した。
初回の参加者は、旗艦の香取、大淀、明石、秋津洲と速吸に、護衛兼取材役の青葉だ。
秋津洲と速吸には今後、ツアーの補助と荷物持ちの役目が期待されている。
「懐かしいなあ……」
自分の最期の地であるパラオの風景に、明石が目を細める。
「恐縮ですっ、今の心境を一言!」
すぐさま明石にインタビューしようとする青葉のスネを大淀が蹴る。
「イタッ!」
ドーム型の大型テントを設営してから、食事の準備に取り掛かる。
二式大艇を全て降ろした秋津洲と、補給艦である速吸は、かなりの調理器具と食材を運んでくることができた。
泊地から調達した食材、マングローブガニを綺麗に洗って蒸し焼きにする。
ガザミの一種で、濃厚で独特な甘みがある、とても美味しい蟹だ。
「殻を割るのは大変でしたけど、食べ応えがあって美味しいですね」
「特にハサミに詰まった身は絶品ですよ」
速吸の言葉に、青葉が同意しながら写真を撮る。
「小さいのは、ダシをとるのに使うといいって間宮さんが言ってましたね」
「明日の朝カレーのダシ、これでとってみましょうか」
香取がメモ帳に記してきた間宮からのアドバイスを披露し、大淀が提案する。
こちらも泊地から調達した、パラオ名物である世界最大の二枚貝、シャコ貝の刺身。
淡白ながら、ちょうど良い厚さに切れば、絶妙な歯ごたえを感じさせてくれる。
「薄く切り過ぎると、味気ないかも?」
様々な厚みに切ってみた刺身のうち、かなり薄いものを食した秋津洲が微妙な顔を見せる。
「これは、バター醤油で炒めても美味しいかも?」
「現地の人は、野菜やココナッツミルクと一緒にスープにもするみたいですけど……」
秋津洲と明石が、アレンジに頭をひねる。
そして現地の主食であるタロイモと、日本から持ってきた黒豚のひき肉で作ったコロッケ。
ほんのりと甘みがあるが、それに負けないコクがあって、とても美味しい。
「味は文句なしですが、これは黒豚の貢献が大きすぎる気が……」
「他の調理方法も要研究ですね」
香取と大淀が、気付いた点などをメモに記していく。
「茹でて潰してから、パスタ用の明太子ソースかけてみます?」
「青葉さん、それは地雷かも……」
空にはまだ青さが残るが、黄金色の太陽が水平線へと落ち始めている。
それを写して美しく輝く海面。
大好きな鎮守府だが、そこでは決して見られない風景。
「秋津洲、がんばるかも!」
普段、なかなか遠方までは来れない駆逐艦の子達のために、様々な外洋の体験をさせてあげる。
支援艦としての使命感に、メラメラと火がついてくる。
タピオカを潰して砂糖と練り、バナナの皮に包んで蒸した、ビルンというおやつを焚き火の周りでつまみながら、乙女心に鈍感な提督の悪口で女子トークが盛り上がる。
だんだんと暗さを増していく空には、パラオ国旗の元となった満月こそ見えなかったが、数多の星が煌めき始めている。
パラオの夜は、ゆっくりと過ぎていった。