この鎮守府では、自前の漁船を保有していた。
廃業した老漁師がタダで譲ってくれた、何年も野ざらしにされていた木製50フィート(15メートル強)船。
地元造船所で40年以上前に製造されたようだが、その造船所はすでに無くなっていて正確な型式や年式は不明だ。
そのレストアの面白さにとりつかれたのが、明石と一部の軽巡洋艦娘たちである。
錆を落とし、塗装をはがしてボロボロの船体を修復し、バウに入った亀裂を埋め、キールを補強し、新たにプロペラを作り直し、マスキングしてスプレーガンで再塗装。
エンジンは不稼働だったため、廃棄する艤装まで流用して修理した。
こうして、ボロいというより廃棄物に近かった船は、外見だけはピカピカになって蘇った。
名前は「ぷかぷか丸」。
嵐の外洋などに出るのは危険だが、沿岸での釣りでは大活躍していた。
釣り手12人と、操船者1人の13人が定員だ。
一応、書類上の建前では「作業艇」ということになっていて、提督の演習見学や標的ブイの設置などにも使われる。
真冬は魚の活動が鈍って釣果が落ちるので、陸に上げての整備作業はこの時期に行われる。
「パネルの取り外し終わったニャ」
操船席のパネルを外し、船上から下ろす多摩。
「受け取った。もう手ぇ離していいぜ」
そのパネルを妹の木曾が地面から受け取る。
「今度はハンドルを油圧式に改造するんだって?」
「本当、ただの道楽だよね~」
作業を大井と北上が呆れ顔で見ている。
そんな大井と北上を、球磨型姉妹の次女である多摩がジロッと睨み付け……。
「球磨がさっき、提督のとこから戻るまでにイケスの掃除が終わってなかったら昼飯抜きだクマ、って言ってたニャ」
長女の名前を出されたとたん、船のイケス掃除を命じられていた大井と北上は慌てて走り出した。
「当番の第二一駆逐隊、モップ持って急いで集合!」
「二一駆って……初春型だっけ? 駆逐艦、多すぎてウザい」
「フジツボ、覚悟っ!」
船底についたフジツボをこそぎ落としているのは川内だ。
「多摩ちゃ~ん、油圧ステアリングキット持ってきたわよ」
工廠から出来たばかりの改造キットを持ってくる夕張。
「夕張、遅いニャ」
「しょうがないじゃない、パーツが重いんだから」
「いいぞ、アリだな!」
「いいじゃーん!」
新品パーツに目を輝かせる木曾と川内。
「でしょでしょ、明石さんと図面から起こしたワンオフものよ」
よその鎮守府では、工廠はフル稼働で大忙し、明石も毎夜遅くまで泊地修理に追われているという噂を聞く。
しかし、ここの鎮守府では、建造や開発の数は本部の求めるノルマの1/4以下、修理にしても艤装が少しでも傷ついた艦娘は即入渠、小破以上は迷わずバケツ(高速修復材)という方針なので、明石も普段は暇を持て余している。
「お、やってるやってる」
遠征から戻った長良が様子を見に来た。
長良が行っていたのは「警備任務」。
県内の漁港をいくつか回って、深海棲艦の目撃情報を聞き込んだが本日は「目撃0」。
「よーし、手伝うよ。昼には五十鈴も戻るから、陽のあるうちに一気にやっちゃおう」
五十鈴は「対潜哨戒任務」のため、隣県の沖まで出ている。
あとは鬼怒が、大湊に物資を届けに行く補給艦の「海上護衛任務」についている。
それが本日の公式な遠征任務の全てだ。
当然、軽巡洋艦たちも暇を持て余しており、自分達で非公式な任務を作っては、様々な活動をしている。
神通と矢矧は、駆逐艦娘の自主練の指導。
球磨は市場に食材の買い出し。
名取と由良は洗濯。
阿武隈と酒匂は寮の掃除の監督(不適任)。
そして、天龍と龍田は早朝から軽トラックを出していた。
この地方で唯一の政令指定都市である隣県の街まで、バレンタイン用の材料やラッピングを大量に仕入れに行くためだ。
センスに不安がある2人なため、買い物要員として陸奥と鈴谷が軽自動車で同行している。
ちなみに、隣県のその街まで車で片道3時間半もかかるが、県内で一番大きい街(それでも東京の大半の区より人口が少ない)に行くのにも3時間はかかるため、この鎮守府で「街に行く」と言えば隣県のその都市に行くことを指していた。
夕方からは鎮守府をあげてチョコ作りの予定だ。
那珂、阿賀野、能代がお菓子作りに必要な道具の準備を始めている。
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「それじゃあ、行ってくるね。向こうは始発で出るから、明日の昼には戻るよ」
そう大淀に告げると、昼前に提督は軍令部へ出頭するために東京へと発った。
片道で約6時間、もちろん今日中には戻れない。
名目は大規模作戦の発令書受領のためだが、わざわざ提督自ら取りに行くほどの書類ではない。
代理の艦娘を派遣したり、東京から連絡将校を呼び寄せてもいいのだが……。
この狭い鎮守府の中で“提督に内緒でバレンタインのチョコを用意する”と思っている艦娘を意識して避けるよりは、東京に出張する方がよほど気が楽だ。
そして明日はバレンタイン……。
思い出しただけで胸焼けしそうな昨年のバレンタインの記憶が脳をよぎったが、提督は忘れるように頭をふる。
(明日のために、身体と胃を休めよう。今夜は雑炊、朝は駅のかけそばにしよう)
200人近い艦娘たちからのチョコを完食する決意を固めつつ、提督は列車の座席に身をゆだねて眠りにつくのだった。