提督は大食堂の厨房で、畑から摘んできたケールを洗っていた
ケールは地中海原産のキャベツの仲間で、結球(葉が玉状に巻きあがること)をしない葉野菜だ。
ビタミンやミネラルが豊富だが、非常に苦味が濃く、あの「青汁」の原料ともなっている。
暑さ寒さに強くて育てやすく、収穫も株本体を残して1~2枚の葉を摘み取るだけなので、長い期間収穫が続けられる便利な野菜だ。
イタリア艦やドイツ艦は塩茹でしてサラダに入れたり、肉と野菜の煮込み料理に加えたりしているが、やはり提督や日本艦の舌には苦味が濃すぎる。
間宮がケールを調理する際は、カレー粉を使ったスパイシーな料理(もちろんカレーライスも)に刻んで入れてバランスをとっていた。
提督が大量に作っているのは、みんなのおやつに出すケールジュース。
もちろん、ケールだけでは苦いので、様々なものを加えて業務用ブレンダーにかけ、飲みやすく美味しいジュースにする。
遠征艦隊が、途中で立ち寄った沖縄で買ってきた、今年初物の島バナナ。
青森県の誇る特殊貯蔵技術CA冷蔵により、一年中出回っているリンゴ。
契約農場から毎朝送られてくる、新鮮で濃厚な牛乳。
鎮守府の自家養蜂で採れた、自慢のハチミツ。
うん、間違いなく美味しくて健康にいいだろう。
続けて、提督は那珂ちゃん用の一杯を作り始める。
同じく畑から摘んできた、大麦の若葉と小松菜……などブレンドしない、自家製ケール100%の本格派青汁だ(要するに苦味を緩和する副材料は一切なし)。
うん、間違いなく不味くて健康にいいだろう。
「アイドルはぁ、青汁が飲めなきゃいけないんだよ?」というリクエストで作ったものだ。
確かに駆け出しアイドルがバラエティの罰ゲームで飲まされているのを見たことがあるが……昭和テイストだよなあ。
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今日は出撃や演習は中止して、全員で一斉に衣替え。
これを期にコタツも撤去するし、寝具や小物類の入れ替えも行う。
200人が暮らす艦娘寮だが、元は温泉旅館。
各部屋の収納スペースは小さい上に、姉妹艦などでの2人~最大12人の相部屋制だ。
限られた空間に何をどう収納するか、各部屋は朝から大変な騒ぎになっている。
昼は握り飯の戦闘糧食、夜はケールを加えた野菜たっぷりのカレーライス。
間宮や伊良湖もクリーニングに追われ、今日は凝った料理など作っていられない。
こういう日に、提督に居場所はない。
自室でお泊まりに来た磯波、浦波、綾波、敷波と寝ていたら、早朝から鳳翔と叢雲がやってきて冬布団を剥ぎ取られ、コタツを没収された(この大家族鎮守府にプライバシーとかプライベート空間などという概念は存在しない)。
猫の手も借りたい忙しさだが、猫より役に立たない提督。
せめてこうやって食堂でおやつを出すぐらいしか……。
「ゴファッ!」
「うわっ、那珂ちゃんさん!?」
「毒霧だ、カッケー!」
何か騒ぎが聞こえるが、そこはスルーしておく。
「夏用の野良着よ。これからジャージじゃ暑くなるけど、畑では怪我するから肌は出しちゃダメよ」
「これが、新しい
「ふむ、この植物の柄は美しいな」
「それは朝顔だよ」
食堂内では、新入りのロシアの戦艦娘ガングートに、同室の第六駆逐隊が季節の服のことをレクチャーしていた。
ロシアの艦娘はガングート一人だけなので、ロシア語が分かる響と同室ならと思って、第六駆逐隊と一緒にしたのだが、上手くやっているようだ。
今も、暁や響たちとおそろいで「第六駆逐隊」と書かれたTシャツを着ているが、もちろん発注は駆逐艦基準でしているので、身体にフィットしすぎてピッチピチになっている(そういえば昔、ピチTとか流行ったなぁ……)。
「ヘーイ、提督ゥ! 今年の水着、どっちの柄が良いデスカ―!?」
「司令官、この浴衣もう新しいのに替えるから、切って手拭いに使う?」
「提督さん、前に無くなったって言ってた書類、出てきたかも!」
この鎮守府に、提督が一人きりになれるプライベート空間など、トイレの中以外に存在しない。
しかも、戦艦組の露天風呂造りも最終工程に入っている。
露天風呂が本格完成したら、艦娘たちに一緒に入ろうとせがまれて、さらに提督のプライベートは無くなるだろう。
が、そこは家族の幸せとトレードオフだと諦めている。
それに、こうして半日放っておかれた後に、たくさんの声をかけられると……。
もう、一人きりの生活には戻れないし、戻りたくないと感じる。
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おやつタイムが終わり、提督は一人で厨房に立つ。
間宮と伊良湖がほとんどの仕込みを終えたケールカレーは、悔しいほどに味が絶妙だった。
ケールの苦みに、甘みを引き出された玉ねぎ、全てを引き受けるジャガイモの滋味、やや刺激的なスパイスの調合ながらも、それを優しく調和させる隠し味のヨーグルト。
ここに手を加える必要も、そんな資格も何もない。
せめて、添えるサラダぐらい、暇人の手で作ろう。
黙々と野菜を洗っては刻んでいきながら……提督はとても幸せだった。