飽きることなく雨を落とし続ける、のっぺりとした灰色の空とは対照的に、 軒先の庭には雨露に濡れた色とりどりの紫陽花が咲き誇る。
湾を見下ろす山の高台に艦娘たちが作った、木々と草花に囲まれた野趣溢れる大樽の露天風呂。
提督は広々とした湯の中に、ゆっくりと手足を伸ばした。
雨に濡れた空気の中、まだ新しい大樽や屋根、すのこの木材の匂いがプンと香る。
目を遠くにやれば、山々の緑と母港が雨に煙っている。
いつもは賑やかな海鳥たちの声も聞こえない。
「はい、提督。どうぞ」
湯に浮かべた盆から、ガラスの
「昼間っから露天風呂でお酒。いいのかなぁ、こんな贅沢」
「いいじゃないですか、提督」
比叡も手酌で
夕張が作ってくれた湯に浮かぶ盆は、二重構造になっていて浮力があり、徳利が倒れないようにはめ込める穴もついている。
徳利自体も二重構造で、酒を薄めずに氷を入れて冷やせるようになっていた。
「やっと、あの任務を達成したんだもん、これぐらいのご褒美がなきゃ」
長良も気持ちよさそうに、健康的な引き締まった手足を伸ばしている。
「毎月1回挑戦し続けて、1年以上かかりましたねぇ……」
霧島が肩まで湯に浸けながら、しみじみと言った。
キラキラと輝く透明の湯の中で、霧島と比叡の形の良いバストが揺れているが、自然の中の開放感、いやらしさは全く感じない。
「露天風呂に突撃よっ」
「走ってはダメなのです」
ガヤガヤと騒がしくなったと思ったら、後ろに建つ休憩所の内湯で身体を洗い終えた第六駆逐隊の艦娘たちが、庭の玉石をジャリジャリと踏みしめながら、露天風呂にやって来た。
「司令官、後で髪を洗ってあげるわね」
雷が風呂内に飛び込んでくる。
樽風呂は大人8人まで入れるように作ってあるらしく、さすがに手足をのびのびと…という訳にはいかないが、小さな駆逐艦娘たちが4人入ってきたぐらいでは、まだまだ余裕があった。
「みんな、お疲れ様だったね」
提督は、第六駆逐隊の艦娘たち、暁、響(ヴェールヌイ)、雷、電の頭を撫でてあげる。
「私も……いいのかい?」
響が少し申し分けそうにしているが、構わずワシワシと頭を撫でた。
軍令部は時に、意味不明な任務を発令してくる。
特定の編成で特定の海域を攻略することで、深海棲艦に対して何やら呪術的な効果を発揮する……だのと説明しているが、中には嫌がらせとしか思えない任務も混じってくる。
『海上突入部隊、進発せよ!』
過去、軍令部が出してきた任務の中で、史上最低の凶悪任務だった。
「比叡」「霧島」「長良」「暁」「雷」「電」の艦隊で、南方海域進出作戦を実施、敵を撃滅せよ!
昨年5月、この任務を最初に受領したときは「ふーん」としか思わなかった。
ここの鎮守府では、ほぼ全員を横並びで育成している。
当時でも、第六駆逐隊の錬度は80を超えていた(響だけはケッコン目前だった)。
数回挑戦すれば楽勝だろう……考えが甘かった。
道中には、潜水カ級flagshipの雷撃、戦艦ル級flagshipの弾着観測射撃、軽母ヌ級elite最大3隻の開幕航空爆撃と、事故要因が溢れている。
この海域に装甲の薄い駆逐艦娘を3人も入れるなんて、正気の沙汰じゃない。
大破させてくれと言っているようなものだ。
しかし、この任務の本当の恐ろしさはそこではなかった。
敵の主力に到達できても、駆逐艦娘が3人も入っていては、空母ヲ級flagshipや戦艦タ級flagshipと対決するには、圧倒的に火力が足りないのだ。
敵主力編成には潜水カ級flagshipが混ざることもあり、任務の達成条件である「敵の全滅」のためには、対潜装備も欠かせないので、さらに火力は下がる。
夜戦に持ち込もうにも、タ級の攻撃を食らった駆逐艦娘は簡単に大破して、夜までの継戦能力を失ってしまう。
支援艦隊を出して火力を補っても、敵主力と出会えるかは羅針盤次第。
そう、真の敵は羅針盤。
大破撤退やルート逸れで、大和と武蔵の支援が空振りになった時のあの虚しさ……。
大破撤退6回、ルート逸れ5回、敵主力の全滅に失敗3回。
大量の資源を消費しつつ、ようやく15回目にして敵を全滅させたと思ったら……。
疲れて注意力が散漫になった提督、うかつにも響を編成に入れていました。
そこでプッツリと緊張の糸が切れた提督は、この任務は月に一回だけ、宝くじ気分で出撃する方針に変更した。
以来、13ヶ月。
やっと解放された。
「はぁ~っ」
なみなみと溢れて流れ出す、温泉から引いた湯。
適温の湯にくるまれて、安らぎを感じるひと時。
他愛もないおしゃべり、触れ合う柔らかい肌に、喉を潤おす冷や酒の甘露。
疲れが吹き飛んでいく。
たっぷりと露天風呂を堪能した後、内湯で駆逐艦娘たちに背中と頭を洗ってもらい、お返しに一人ずつ頭を洗ってあげた。
それを見ていた比叡、霧島、長良が自分たちもと言い出したので、仕方なく洗ってあげたが、さすがに大人艦娘の髪を洗ってあげるのは変な気持になる。
今日の三人はみんな髪も短めなので、綺麗な背中のラインも丸見えだし……。
良い匂いのする、ふかふかのバスタオルで身体をふき、パリッと糊のきいた新しい浴衣へと着替える。
休憩所の広間には、清々しい
武蔵が張ってくれた、無垢の檜材の竿天井に天井板。
明るくも落ち着いた亜麻色の
食卓に並ぶ、鳳翔さんが用意してくれた膳に並ぶのは、様々な小鉢と天麩羅、牛のタタキ、寿司に茶碗蒸し。
そして氷の張った桶に入れられた、キンキンに冷えているだろうビールの大瓶と、ジュース、麦茶。
「いいのかなぁ、昼間からこんな贅沢」
「いいじゃないですか。今日はもう出撃の予定もないんですし」
また同じようなことを言いながら、霧島にビールを注いでもらう。
「霧島、見事な弾着観測射撃だったよ。あらためまして、乾杯」
戦艦タ級を2隻とも撃沈してくれた、殊勲者の霧島をねぎらい、みんなで乾杯する。
「しじみ汁もありますよ」
比叡が部屋の端に置かれていたコンロ上の鍋から、素朴な木彫りの椀に汁物を注いでくれる。
香り豊かなしじみ汁を飲むと、優しい滋味が身体の中に広がっていくように感じられた。
「このお刺身、何かしら?」
「それはマダイの皮霜造りだよ、暁」
マダイは皮の下に強い旨味があるので、皮に熱湯をかけて生臭さと硬さをとり、皮付きのまま食べると美味しい。
「この胡麻豆腐は甘くて美味しいのです」
長崎では胡麻豆腐を甘く味付けする習慣があり、名物となっている。
第六駆逐隊向けに、鳳翔さんがそのレシピで作ってくれたのだろう。
酢の物の小鉢も、タコとキュウリ、長芋をコロコロのさいの目に切り、枝豆を加えて酢で合えた、子供に喜ばれる見た目ものだ。
「キスの天麩羅って美味しいよねぇ」
「気合い、入れて、サイマキを食べます!」
「ナスの天麩羅、甘み、食感、ともに完璧です」
楽しい食事。
やっぱり家族サービス用の露天風呂を作って良かったなあ、と提督はしみじみ思う。
寿司も絶品。
さっと湯ぶりされた、クセのない青柳(バカ貝)。
ワサビが透き通って見える新鮮なスルメイカ。
コリコリした身に上品な脂がのったシマアジ。
絶妙な締め加減に、生姜の香りが効いたイワシ。
「こっちはイサキだね」
「きっと、まだ川内さんたちが釣った分が残っているのです」
イサキの刺身は、ほんのりと磯の香りがしてさわやかな旨味がある。
そして、それ以上の磯の香りと濃厚な旨味をもたらす、ウニの軍艦巻。
フワッフワで舌でとろけるような、柔らかく煮られた穴子。
強い甘みとプルンとした食感のボタンエビ。
あえてマグロやカツオの刺身が無いのは、代わりに牛のタタキがあるからだろう。
タレでビールにも合うが、わさび醤油をつけて、その濃密で繊細なとろける脂を日本酒で洗い流すのもいい。
最後は、甘い玉子焼きの寿司を頬張り、茶碗蒸しに。
「ごちそうさまです」
満ち足りた気分で、畳にゴロンと横になる。
「いいのかなぁ、このまま昼寝しちゃうような贅沢」
目を瞑り、極楽至極につぶやくが……。
「ダメですよ、提督!」
霧島の鋭い声が飛ぶ。
「そうよ、提督にはゲームで遊んでもらうんだから!」
「この人数なら、ニムトがいいわね」
「ワードバスケットもやりたいのです」
「お邪魔者もやろう」
「提督、夜は金剛型の部屋に泊まりに来てくださいね」
「金剛お姉様も、榛名も楽しみに待ってますよ」
左右から、霧島と比叡が胸を押し付けてきた。
今度は……いやらしく感じられる。
「明日のお泊まりは、長良型の部屋だから! ジュウコンしまくった責任、ちゃんととってよね」
提督の家族サービスは、まだまだ終わりそうにない……。