北方海域海戦、その後 一
●深海棲艦の出現について
最初は誰もが、ただの海難事故と考えていた。
貨物船や輸送船の事故は世界各地で起こっている。
だから実際は、いつからと断定するのは難しい。
原因が究明できない船舶事故が増えてきたのと、沿岸での行方不明事件が増え始めたのは、ほぼ同時らしかった。
もっとも、その両方の事件事故を関連付けて考える者はいなかったようである。
事故は何らかの過失や不注意として、事件は誘拐や拉致等として調査や捜査が行われた。
日本でも同じだった。
『深海棲艦』という言葉が現れたのは、暫く後のことである。
幾つかの離島で発生した失踪事件や爆発事故が原因だった。
最初はテロリストの犯行と推測されていた事件で、失踪事件の起きる直前の謎の目撃情報や不可解な破壊の痕跡等から、事件は様々な憶測を呼んだ。
この辺りで既に情報の統制は行われていたのかも知れない。
深海棲艦という存在の公表前に、各国は謎の海難事故の解明と防止の為に協力し合う組織の設立を発表していたのだ。
ある程度の対策が行われているとの発表の後ゆえなのか、深海棲艦と呼ばれる存在の発表は、思った以上に世間には落ち着いて受け入れられた。
もちろん混乱や不安は見られたものの、大きな暴動などは発生しなかったようである。
とはいえ被害の方は、まるで世間の認識と比例するかのように増大していった。
海洋に囲まれた日本も例外ではない。
むしろ海に囲まれた国であるからこそ、より大きな被害を受けたと言っても過言ではないだろう。
航行する艦船はもちろん離島も襲われ、本州への避難も政府の指揮の下で行われ始めた。
散発的だった事件の増加と共に、集団で活動する深海棲艦の姿も多数確認されるようになる。
民間船を護衛する為に派遣された護衛艦が襲撃され沈没するなどという事件までも発生するにあたり、政府は深海棲艦の大集団、艦隊とでも呼ぶべき組織を撃破し、日本近海の安全を確保すべく海上部隊を出撃させた。
それに対するかのように、深海棲艦たちも更に複数の艦隊を集結させる。
人間並みの知性を持つからなのか、それとも動物などが戦いを警戒し群れるのと同じなのか?
警戒や慎重を期すべきという意見もあったが、増加する被害や世論がそれを許さなかった。
旧時代的な艦隊決戦は日本の北方海域で行われたのである。
決戦の結末はしかし、日本側の撤退という形で幕を閉じた。
撤退はすぐに敗走という状態に変化し、戦いで被害を受けなかった多数の艦艇も損傷を受け、あるいは沈没した。
この戦いで、日本は初めて『艦娘』と呼ばれる存在を部隊として戦線に投入している。
深海棲艦の出現以降、世界各地で艦娘と呼ばれる存在の出現と深海棲艦との戦いは報告されていたが、それらはあくまで非公式な、私的なものに限られてきた。
もっとも……これまで公的な発表がなかったとはいえ国家による研究や調査が進められていたが故に、今回の投入が試みられたともいえる。
いわば艦娘という存在が公的に認められた最初の戦いと言えるかもしれない。
とはいえ、主力としての参戦では無かった。
初めて編成された故に運営の難しい艦娘部隊は、予備戦力として本隊の後方に配置されたのである。
ノウハウが分からないというのは勿論あるだろうが、それ以外にも正体の不明な艦娘たちへの不信感が全く無かったとは言い切れない。
現在でも、深海棲艦と艦娘は極めて近しい存在だという噂がまことしやかに流れているのだ。
政府はそれらについては肯定も否定もせず、詳細に関しては調査中、検証中……という態度を続けている。
とにかく、北方海域での決戦は日本の敗北に終わった。
大きな損害を被らなかった部隊も殆んどは態勢を立て直せないまま、本州北部の拠点を目指して敗走する事となったのである。
一部の例外を除いて。
●北方海域海戦、その後 一
かつては地図に明記できる大きさであったにもかかわらず、今は細長い島のようになってしまった陸地の海岸線、海上に無数の岩の突き出た海域で、1隻の古めかしい駆逐艦が岩陰に隠れるように待機していた。
錨を降ろし停泊している訳ではない。
いつでも移動できるように機関は稼働している状態である。
その駆逐艦の艦橋の更に上で、一人の少女が周囲を警戒するように目を凝らしていた。
水兵というよりは学生のような制服を纏い、煙突と機関を繋げたような機構を背負い、革製のベルトが止め具として付けられた砲台型の火器を、肩に襷(たすき)掛けに下げている。
吹きすさぶ風を気にしない様子で周囲を警戒していた彼女の顔が、しばらくして一方に向けられ……半分閉じかけのようだった瞳が更に細められた。
次の瞬間、少女の姿が掻き消されるように消滅する。
数秒と経たずにその姿は、艦橋の内側に現れた。
「見つけたのか、弥生?」
その場、艦橋で待機していた男の問いに、弥生と呼びかけられた少女は頷きを返した。
「はい……見つけ、ました」
内気というのもありそうだが、どこか喋るという行為に慣れていない雰囲気の少女の様子を気にした風も無く、男は更なる言葉を待つ。
少女はそのまま一方を指差し、目を閉じて……少し考え込んだ後、短い言葉を発した。
「……遠く……でも、あまり離れては、いません……時間で、30分……から、1時間……くらい」
曖昧なその表現を男は頭の中で分析する。
追加装備で電探を搭載していない彼女の索敵範囲は、平均的な人間の目視よりもやや優れている……という程度である。
「数は確認できたか?」
「……単艦、では……ないです。正確には、不明。少なくとも3隻、は……確認しました」
「艦種は?」
「確認、できませんでした……ただ、3隻とも、同じ……と、思われます」
「御苦労」
それだけ言って、男は再び考え込んだ。
眉がしかめられ口元が歪んだ為、凶相と呼ぶのが相応しい表情になる。
体格は男性にしては小柄だが、顔つきは厳つい。
眼は大きいが黒い部分が少なく見える、いわゆる三白眼と呼ぶのが相応しい見た目だった。
歳は三十代から四十代くらいだろうか?
少なくとも女子供が好んで近付きたがる外見ではない。
もっとも、無言で中年を見上げる少女にはその外見を気にする様子は欠片も無かった。
むしろ主の命を待つ忠犬のような雰囲気を漂わせ、少女は男の言葉を待つ。
考え込んでいる男の方も、少女の事を信じているという点では同じだった。
弥生が発見したというのであれば、それは事実なのだ。
索敵能力が決して高くはない駆逐艦とはいえ、彼女は艦娘なのである。
とはいえ彼女の偵察結果を他の者たちに説明するには、付き合いの長い彼がそれを補填してやる必要があった。
彼の上官が求めているのは、ハッキリとした敵の情報なのだ。
古めかしい手持ちの磁針で方角を確認し、弥生の言葉を基に距離を推測する。
艦種の方も確認できていないが、こちらの推測はそれなりに容易だった。
彼女が確認したのが敵の前衛ならば、そして全て同じとなれば、駆逐艦ということでほぼ間違いはないだろう。
そこまで考えたところで、男は弥生の視線に気づいた。
人間であれば小学生のような外見をした少女は、あまり表情の出ない顔のままで彼の顔をじっと見上げている。
特に何を言うでもなく、男はそっと右手を伸ばした。
手をそのまま少女の頭の上に置き、髪を乱さないように動かしてみせる。
その行為に、少女はほんの少しだけ瞳を細めた。
小動物を眺めるような視線でそれを僅かに見守った後、こみ上げてきた気恥ずかしさのような何かに男は慌てて手を戻し、それを誤魔化すかのように言葉を発する。
「上陸後に船体収納、本隊に合流する」
「……了解、です」
少女が表情を引き締めるのを確認せず、男はそのまま早足で艦橋から外に出た。
冷たい風に表情をしかめはしたものの足は留めず、彼は梯子を使って艦から海上に降ろしたランチ、内火艇へと乗り移る。
動き出した内火艇の上に再び少女の姿が出現した。
元々岸にギリギリまで寄せていた為、内火艇はすぐに接岸する。
男が岩場へと移動したのを確認するように……内火艇と海上に浮かんでいた駆逐艦が姿を消した。
少女の方はまるで地面に立つように海上に立った状態で、そのまま歩いて岩場へと移動する。
それを確認したからなのか、物陰から数人の男たちが姿を現した。
こちらは男より随分と若い。
「中尉殿」
「敵を確認した。これより本隊に合流する」
男は短く行動を宣言してから、これからの行動を静かに説明した。
了解を発した若者たちの視線の幾つかが、畏敬とでも呼ぶべき感情を滲ませたまま、弥生へと向けられる。
無理も無かった。
若者たちの中には今海戦の出撃で初めて艦娘を、彼女たちの艤装や船体を見た者もいるはずだ。
艦娘部隊にも通常の艦船は存在するし、艦娘達と殆んど関わらない部署もある。
艦内に同行せず陸地で待機したのも、よく分からない存在を恐れるが故だろう。
その事に付いて、男は如何にかしようとは思わなかった。
そんな余裕も無かった。
彼の所属する部隊もまた敗残兵であり、彼ら彼女らは敵に怯えながら故国へと向かう途上にあるのだ。