皇国の艦娘   作:suhi

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岐路 四

●岐路 四

「……それじゃ、気を付けて」

「ん。そっちこそ、気ぃ付けてな?」

 弥生の言葉に龍驤が返すと、長月が短く、ああと答えた。

「……じゃ、またな? ……横須賀で」

 大袈裟に言うのもらしくないと思い、龍驤は短い言葉に想いを込める。

 それは確かに、弥生と長月に伝わったようだった。

「あの子の分まで、なんて考えるなら……こんな所で終わるんじゃ無いわよ?」

「ああ、勿論だ」

 大井の言葉に長月がそう答え、不敵な笑みを浮かべてみせる。

「大井、さん……」

 向き直って、見上げながら暫し無言だった弥生が、頭を下げる。

「……ありがとう、ございました……」

「礼を言われるような事なんて、してないわよ? 私は」

「……でも、言いたいから、言わせて……下さい」

「……ええ。まあ、別に……拒む気は無いわ」

 少し口籠った後で大井がそう言うと、弥生はもう一度頭を下げた。

「……それじゃ」

 もう一度二人は礼をしてから、艦橋から出て行こうとして……

 その途中で弥生が、初雪の方を向いた。

「……大丈夫、任せて」

 弥生が何か言う前に、初雪が珍しく親指を立てて口にする。

「うん……もっち、の事……お願い」

 そう言うと、長月に続くようにして。

 二人は艦橋から出て行った。

 

 

「……はは、なんや急に寂しくなった気がするわ」

 冗談めかした調子で龍驤が口にする。

 もっとも、力が籠もっていないせいか、言葉は乾いた笑い声としてしか響かなかった。

「……別に無理して盛り上げようとしなくて良いですよ?」

「いやまあ、せやけど……きっついなぁ、お前……」

 大井が呆れたような口調で視線だけを向けると、龍驤は大袈裟に肩を竦めてみせる。

「いやだって、暗くて良いでしょ? 変に明るくしようとすると、かえって疲れそうだし……この子なんか賑やかだったり周りが騒いでたりしたら、それだけで疲れそうな感じだし」

「……否定はしない」

 大井がそう言うと、初雪は前方を向いたまま口だけで答えた。

 なんやかんで分かってるんやな~と龍驤は感心したような、納得するような気持ちになる。

 

 艦橋の中から見る外は更に灰色が濃くなって、波も高くなり始めていた。

「もう少ししたら、如月にも戻ってもらった方がエエんちゃうかな?」

「本人は航行の練習も兼ねたいって言ってましたし……まあその内、帰ってくるとは思います」

 それが必要なければ弥生達と戻ってきても良かったと思いますし、と。

 大井が説明する。

「そっか……まあ、ウチが出来る事は、今んトコ無さそうかな?」

「というか、龍驤さん同じ大破ではあっても私より重傷でしょう? 休んでて下さいよ?」

 そう言われた龍驤は、片手で拝むような手つきをしながら頼み込んだ。

「や~スマン。じっと寝てると……耐えられなくなりそうでな? 邪魔せんから、ここに居させてくれや~?」

「……まあ、良いですけど」

「っていうか、大井の方だって大破やろ? 大丈夫なんか?」

「私は……まあ、全身満遍なく痛いですけど、動き難いってだけですから」

 そう言ってから大井も、軽く息を吐いた。

「……まあ、私も……いたたまれなくなるって点では、同じですかね」

「……休めるのに、休まないなんて……信じられない……」

 呆れたような、うんざりしたような調子で。

 視線だけを二人に向けた初雪が呟く。

 

「さて、それじゃ……休みたくても休めない初雪さんに、優しい、優しい大井さんが、お茶でも淹れてあげましょうかね~?」

 初雪の視線を受け止めた大井が、わざとらしい丁寧語を口にしながら笑顔で答えた。

「……何か裏が?」

「いや……流石にね? 母港まで全任せは……同情するわって、私としても思うのよ」

「もう、想像するだけで嫌だ。帰りたい……」

「はいはい。帰るために頑張りましょうね~」

 心底嫌そうにする初雪にそう言うと、大井が船内へと姿を消す。

 艦橋内を……暫し、沈黙が支配した。

 静かか如何か、という意味で考えれば……外から届く音に加え、船体が上げる様々な音が響いている以上、寧ろ五月蠅いくらいだった。だが、残った二人が言葉を発さなかったという意味では……つまりは静寂ではなく沈黙という意味では、事実と言える。

 龍驤は特に話題を振らなかったし、初雪は会話が無い事に気まずさを感じるような性格では無いのだ。

 然程の時間を掛けずに、金属製の御盆、というか窪みの付いたトレイにカップやら金属製の容器やら色々を載せた大井が姿を現した。

「珈琲しかなかったから、全部珈琲にしましたよ~? ……文句ないわよね?」

「ウチは構へんで~ っていうか、器用やな?」

「まあ、多少波は荒いですけど、嵐って程じゃないですし」

 揺れを上手く身体で調整してトレイの上から物が滑り落ちないようにしている姿に感心しながら、龍驤はカップを受け取った。

 この妙に柔らかいくせに元の形にちゃんと戻る……強化プラスチックだかラバーだか何だか言う素材も、そういえば昔は見かけなかった素材である。

 もっとも、昔は見掛けず今の姿になってから見知った物等というのは……キチンと数えだしたら……それこそ、限(きり)が無いだろう。

 何というか、科学の進歩というのものは凄いものだと実感する。

「……珈琲以外……載せ忘れた、とか……」

「仕方ないでしょ? ミルクと砂糖入れてあげるから我慢なさい」

「……ミルクは粉?」

「そりゃ保存の利かない液体のなんて、今回の為に外から買い入れたとかじゃなきゃ、無いに決まってるでしょ? 全く……」

 言いながらも面倒見良く、大井は初雪に頼まれるまま、容器の一つに砂糖やミルクを多めに入れかき混ぜた。

 

「はい、出来上がり」

「……ありがと……」

「さあ、これから馬車馬の如く頑張るのよ?」

「……もうやだ……」

 なんやかんやで良いコンビなんやなと思いながら、龍驤は珈琲を啜りつつ二人の掛け合いを見守った。

 龍驤としては、大井の方も心配なのである。

 今は特に、だ。

 いつもは我儘好き勝手。思い通りに振る舞っている、ように見えて周囲を見ている……という感じなのだが、今はそういった処が……全く、と言っても過言ではないという程に感じられないのである。

 冗談めかしていたり厳しいというかキツめな事を言いつつも、面倒見の良い振る舞い……そんな感じだろうか?

 悪くないどころか寧ろ頼もしいのだが、無理してそう振る舞っているのだとしたら……逆に心配だ、というのが龍驤の正直な気持ちだった。

 本来なら帰って来れないであろう損傷を受けた瀕死の卯月を、何とか連れて帰還してきた彼女の姿は……まだ脳裏に確りと残っている。

 寧ろ、よく連れて帰ってきたと龍驤などは思うのだが、彼女からすると……卯月の結末は自分の至らなさ故、という事になるらしい。

 堪えてはいたが、それでも随分と悔しげな表情を浮かべていたように思う。

 いっそ泣き出して吐き出してしまえば、少しは楽だろうにと思いはしたのだが……彼女は懸命に堪えながら、意地を張るような皮肉めいた呟きを零しただけだった。

 それ以上はせず、ただ……睦月型の者達の別れを見守ったのだ。

 自分が姉妹艦達のように悲しむのは許されない、とでも考えていたのだろうか?

 無論というか間違い無くそうだろう。

 

 どうであれ大切に思っているのであれば、構わないのではないか?

 そう思い実際に口にした自分に、彼女は何と答えただろうか?

 

 

「……私、駆逐艦て嫌いなんですよ」

 大井は最初に、そう言った。

 だが、そう前置きした後に彼女が続けた言葉は……龍驤からすれば、如何考えても……嫌いな者に向ける非難の言葉では無かった。

 

「どんなに危険な戦場であっても、何も考えてないみたいに真っ直ぐに飛び込んで……」

「貸しを返すどころか、逆に借りと思えるような献身を示して」

「そして……」

 そこで一旦言葉を区切ったのは、零れそうになる何かを堪える為、なのだろう。

「……そのまま無邪気に、もう……借りが返せない場所へと、行ってしまう……」

 そう締め括られた話の、言葉の中に……少なくとも龍驤は、否定や嫌悪を見出せなかった。

 それは極端なまでに拗くれ歪められ、焼け付きそうな程に抑圧され……それでも噴き出した……感謝と賞賛の言葉だった。

 少なくとも龍驤には、そう思えた。

「……まあ、今回は……違いますけどね。私が無理をさせたんですから」

 そう口にした時の大井の表情こそ、自身の嫌いな者に侮蔑の言葉でも投げかけるような不快さに満ちてた。

「私は分かってて、先頭を任せたんです。冷静に判断して、有効だから。だから、彼女が沈む事も止む無しという任務を与えたんです」

 卯月らの方を見て呟くように語っていた彼女は、そこまで言ってから、龍驤の方に向き直った。

「それなのに泣くなんて……狡いじゃないですか?」

 

 そう口にした時の大井の顔に、龍驤は……何も言う事が出来なかった。

 激情で感情を堪えようとするその姿勢は……丁寧さで何かを包み隠そうとしている様は、どこか自分達の司令官に似ているような……そんな事も考えたりした気がする。

 もっとも、そんな事を考えたのは……彼女を正面から見据える事が出来なかったからかも知れない。 

 自分は結局、あの場で彼女に……それ以上言葉を掛ける事は出来なかったのだ。

 

 

 もう一寸(ちょっと)でも冷静でいられたら、或いは逆に感情の側に振り切れる事が出来ていたら……引っぱたいてでも泣かせてやれる事が出来たのだろうか?

 そんな事を考えたりもするが、後の祭りに過ぎない。

 あの時の自分も、一杯一杯で余裕が全く無かったというのが実際の処だったのだろう。

 振り返ると、そんな風に思える。

 

 船体を失ったというのも勿論大きいが、鳳翔が帰って来れなかったというのが特に大きかったのだろう……と、龍驤としては考えている。

 いや、あの時は……司令部要員の皆が一人を残して全滅、というのも遭ったのだ。

 幾つもの出来事が重なったのだ。

 無論、戦いなのだからそういう事もある。

 いや寧ろ戦いである以上……幾つもの不幸が、別れが、重なる事など度々あるものだ。

 実際、この北方での戦いで何隻もの味方が帰って来れなかったのである。

 一度の戦いで呆気なく複数の仲間達が失われていく、等というのは……振り返れば、慣れてしまう程に当たり前の事ではなかっただろうか?

 ならば……相方のようにして戦ってきた僚艦の轟沈が、自分に殊の外、大きな衝撃を与えていたという事なのだろうか?

 

 こうやって振り返り後悔し、仲間達の事を心配する等というのは、少しは余裕が出てきた……そういう事なのだろうか?

 そんな事を考えていると、初雪を一通り弄り終えたのか、大井がカップを手に龍驤の方へと向き直った。

「どうしました?」

「いや、温かさを味わっとっただけや。極楽ごくらく、ってな」

 そう言って龍驤は器を持つ両手を擦るようにしてみせた。

 全くの嘘という訳では無かった。

 艦橋の中も、外とは比べ物にならないとはいえ……温かい、とは言えない。

 そういう状況では、温かい飲み物というのは格別なのだ。

「すぐ冷めてまうんが残念やね~」

「それはまあ、仕方ないって事で。如月さんの分は戻ってきたら淹れるのが良さそうですね。望月さんの分も、その時に淹れて持って行ってもらうって事で」

「……で、そのまま一緒に休ませるって流れでエエか?」

 龍驤がそう続けると、大井は賛成するように頷いてみせた。

「少しは落ち着いたみたいだけど、まだ色々気負ってるみたいだし、望月さんの様子を見てもらうとか理由付けないと頑張っちゃいそうなんで……面倒くさいですけど」

「そう言うなや? 何もせんと落ち込むって気持ちは分かるしな」

「まあ、その辺は……確かに、何も出来ないほど落ち込まれてるっていうのに比べればマシですけどね?」

 そう言って軽く息を吐くと、大井は初雪の方へと視線を向けた。

「……因みに、初雪さんは望月の事……任せて、ぐらいに言ってたけど、何かしにいくの?」

「私の仕事は母港まで運ぶだけだし。って言うか、それだけでも大仕事……の、筈」

「まあ、運ぶだけでも大仕事なのは同意するけど」

「……何で、こんな事に……」

「志願したんでしょ? 自分で」

「……そうだった……」

「……キミら、ホントに噛み合うな?」

 さっきも似たような遣り取りを見たような、等と思いつつ……龍驤は半ば呆れたような、ある意味では感心した調子で口にした。

 それから……二人も感じているであろう、察しているであろう思いを口にする。

「……まあ望月の方は、如月に任せて良いんちゃう?」

「艦橋に上がってきた時、表情違いましたしね?」

 龍驤の言葉に、大井が肯定の言葉を返した。

「酷い言い方やけど……望月が変わらんままで、あの顔ができる子やないからな~?」

「少しは吹っ切れた……そんな感じですか?」

 頷いた後、大井がそう尋ねてくる。

 同じように同意の頷きを返してから、龍驤は、ふと……自身の事を振り返りながら口にした。

「まあ、完全になんて不可能やろうしな……それ言ったらそも、ウチらの存在そのものが過去を引き摺っとるみたいなもんや」

 そう言うと、大井が大袈裟に溜息を付いてみせた。

「……何?」

「龍驤さんも部屋に運んであげるから、休んで下さい」

「ええ~?」

「疲れた上に凹んだままの人が、此処で鬱っぽい言葉を垂れ流すとか……どんな拷問ですか?」

「ウチ、そんな鬱っぽい事は言うとらんやろ?」

「表情が何処見てるか分からないくらいに虚ろで、言い方が滅茶苦茶寂しそうでした……ねえ? 初雪さん?」

 大袈裟に肩を竦めるような仕草をした大井が、初雪の方へと顔を向けながら話を振る。

 それを受けて……少し間を開けてから、初雪が答えた。

「……否定はしない」

「……すまんかった。気を付けるんで、もう少し此処に居させてや」

「いっそあれですか? 此処で不幸自慢でもしますか? 皆で一緒に落ち込みまくりますか?」 

「やめて……」

 本当に嫌そうな初雪の言葉に、珍しいほどの自己主張を感じつつ……素直に謝罪してから。

 

「……まあ真面目な話、考える事は色々あるんやから、その辺を考えればエエっちゅう事やな?」

 考えた末に龍驤は、そう話題を切り出した。 

「当面は……航路とかですか?」

 なんだかんだで優しい大井が、少し考え込んだ後で意見を出す。

 初雪は特に何も言わなかった。

 そもそも基本的に、ハッキリと自分自身に何かを振られない限りはわざわざ反応はしないというか……基本、面倒くさがりの子なのだから、寧ろこの反応こそが普通なのである。 

 つまるところ先程の反応は……余程に龍驤の様子に……勘弁して欲しい、という気持ちを抱いたのだろう。

 後で改めて、丁寧に謝るべきだろうか?

 いや、止めてと発言したのは大井提案の不幸自慢大会の方なのだから、自分の謝罪はもう充分だろう。

 そんな事を考えつつ、龍驤は艦橋内に固定された机の上に地図、というか海図を拡げた。

 元々用意されていた海図の必要そうな部分を複写した後、皆で相談した事項を書き加えたり、変化したと思われる箇所を修正したり等、手直しを加えた即席の物である。

 水深に関しては、自分達が利用した一部の港湾施設を除いては殆ど書き込まれてはいない。

 それでも、自分達にとっては大事な物だ。

 

「基本は太平洋側を、ある程度まで陸地に近付いた状態で南下の予定、やけど……」

「先ずは、本土に近付くまで……ですよね?」

 龍驤の言葉に大井が質問を返してくる。

 初雪の方は言葉は出さないものの、話を聞く姿勢にはなっていた。

 その辺り、やたらサボっているように見えて確りしているのは流石というべきか。

 

「後方の味方本隊に近付かないようにっていうんが曲者やからな。それで一旦、陸地から離れる事になるし。まあ、昔よりは航路の確認とか楽になったから」

 そう言いつつ、龍驤は一旦口を閉じ考え込んだ。

 

「……因みに、今の速度は?」

「14ノットぐらいで、大体真南に航行中……」

 問い掛けに淀みなく、ではあるが……気怠そうに、初雪が答える。

 確か彼女は艦だった頃の公使の記録で、13ノット強で5千海里弱を航行したという話を聞いた事がある。

 今のところは可能な限り、燃費を優先した速度で航行してくれている。

 そう考えて間違いは無いだろう。

 方角の方も、恐らくだが問題無い筈だ。

「暫くしたら北海道……本土寄り、南西に進路変更って感じでエエんかな?」

「……多分」

 

 

 そんな遣り取りをしている最中の事だった。

 機関や波の音に混ざるようにして、龍驤の耳に別の音が聞こえてくる。

「ん? 如月かいな?」

「ん、帰還……」

 何気なく呟いた龍驤の言葉に、初雪が短くそう返して。

 間もなく、艦橋の扉の向こうから声が響いた。

 金属製の扉が割と静かに開き、如月が姿を現す。

「如月、帰還しました。現時点で、特に異常は確認していません」

「お疲れさん、波は……結構?」

「荒くなってきたような気はします。ただ、今のところは……空が暗くなるような様子はありませんでした」

「なる程、了解……怪我は大丈夫か?」

「少し動き辛くはありますけど、戦闘にならなければ……多分、問題ないと思います」

「そっか……なら何よりやね」

 少し安心しながら、そう言って。

 

 龍驤が話を終えると、大井も如月にお疲れさまと声を掛けた。

「お茶を入れてくるから、望月さんに持って行ってくれないかしら?」

「え? あ、はい。でも……」

「良ければ、そのまま少し話相手になってあげて貰いたいの。龍驤さんの許可は出てるから、そのまま休止に入って」

「あ……はい、了解です」

 

「ついでに、龍驤さんと初雪さん、おかわりは?」

「お願い……」

「ウチも頼むわ」

「はいはい、分かりました」

 頷いて二人からカップを受け取ると、大井は身を翻した。

「あ、それじゃ私も……」

「貴女は待ってなさいな?」

 手伝おうと声を掛けた如月に短くそれだけ言って、彼女は階下へと姿を消す。

 

「……すみません、色々と気を遣わせてしまって」

 申し訳なさそうに如月が、残った龍驤と初雪に頭を下げた。

「いやいやいや、謝るトコちゃうで? 寧ろ頑張っとる方やろ。如月」

「……うん。そう、思う……私も……」

 慌てて龍驤が否定し、初雪も相槌を打ちながら頷いてみせる。

「そう……でしょうか? 寧ろ、あまり役に立ててないように思えて……」

 意外そうな表情を浮かべた如月が、その顔を少し不安げに変化させながらそう答えた。

 

「ん~まあ、やっぱ慣れんうちはやっぱ不安になるんかな?」

 少し考え込んでから龍驤は思った事を口にした。

「結局は積み重ねやと思うし。戦闘に限らず地道に堅実に役割を果たしてけば、自然と自信も付いてくるやろ。ま、焦らずにって感じかな?」

 何か当たり障りのない意見を言っている様に思えはしたものの、それが龍驤の本音だった。

 

 もっとも、正直に言えば……如月は周りに気を遣い過ぎているのではないか? ……という思いも龍驤にはある。

 とはいえ本人の立場を考えれば、当然なのかも知れない。

 単純に知り合ってからの期間で数えれば、彼女は皆と出会ってから……未だ一週間と経っていないのである。

 無論、艦娘という立場で考えれば艦であった頃の記憶というのがあるから、知己の艦とは面識があるようなものだし、そうでなかったとしても艦娘全般に対しては親近感のようなものは抱き易いだろうから全くの初対面という訳では無い。が、それでも出会って数日では……他人行儀も止むを得ない。

 深海棲艦達との戦闘後に突然出現した、という点に関しては、実のところ艦娘部隊の者達は殆ど気にしていないのだが……外から見ると、かなりの不安要素と言えるだろう。

 如月自身がそれで皆に迷惑を掛けてしまうかも知れないと不安になっているという点も、大きいと言えた。

 逆にそれらをの要素を含めて考えれば……如月は寧ろ、よく皆と仲良くなっていると言えるだろう。

 だからこそ……多少もどかしくはあるが、焦るべきでは無いのだ。

 そう思い定めて揺るがない……とまでは行けないが、龍驤としては今すぐ自分に出来るような、特別な事は無いと割り切っている。

 

 出来る限り力になって、少しずつ親しくなっていく……信頼を積み重ねていく。

 自分には器用な真似などできないし、それが一番だとも思っている。

 それらの第一段階として、こうして言葉を交わしている……と、言えるかも知れない。

 

 

「……ん? 何かしたん?」

 如月の表情が少し変わったのを見て、少し躊躇いはしたものの……思い切って。

 ただ、あまりに深刻そうにはなり過ぎないようにと意識して。

 龍驤に問い掛けた。

「あ、その……前に、同じような事を言われたんです。鳳翔さんに……」

 如月は少し驚いたような顔をしたものの、すぐに答えを返してきた。

「……そっか……鳳翔はんが……」

 

「はい……自信を持つ、自分で自身を認める為には……何かを為す事だって。一つで足りなければ、次のもう一つ。そうやって重ねていく事だって……悩んでるだけじゃ、何も変わらないって」

 懐かしそうに、寂しそうに語る如月の姿に、龍驤も少しだけ……ほんの数日前までの事を、振り返った。

 もっとも、ほんの少し思い出しただけでも何かが溢れて零れそうになったので、いかにも言葉に感心したという態度を取って誤魔化し、それ以上は思い出さないようにと、思い出から顔を背けた……というのが正直な処である。。

 心にそっぽを向かせた、とでも……表現すべきだろうか?

「成程な~ ……やっぱ説明が上手いわ。ウチと比べて分かり易いし。厳しい事も、ちゃんと言うてるしな」

 重苦しくならないように、少し軽い感じで口にしてはみたものの、正直、上手くいったのか如何か……龍驤には分からなかった。

 つい先刻も冗談めかして言ったつもりだったのに、大井と初雪から総ツッコミらしきものを貰ったのだから、上手く出来てはいなかったのだろう。

 だから最低限、深刻になり過ぎないように意識して。

 

「如月? 思い詰めたらアカンで?」

 そう声を掛けられ、不思議そうに小首を傾げた彼女に向け、苦笑いのような表情を浮かべ。

「ウチもな、考えたりするねん……自分じゃなく……鳳翔さん、生き延びてたら、なぁ……って?」

 龍驤がそう口にした途端、如月は先程とは比べ物にならないくらいの、驚愕の表情を浮かべた。

「なんや、不思議な事やないやろ?」

 そう口にした処、で……何故か笑いがこみ上げてきた。

 楽しいとかそういうのではなく、失笑というか……自分自身を滑稽に感じてでもいるような、そんな笑い。

 ヘンな笑い、というのは……もしかしたら、こういうのを言うのかも知れない。

「艦載機の運用とか、空母としては……負けんようにって気合い、入れてたけど……な。色々、敵わんな~って思えるトコも、まあ……あったしな~」

 そう言って、軽めに、でも音はそれなりにするように如月の背を叩く。

「けど、どんなに考えても意味ないから……生き残ったモンが、頑張るしかない。それに、自分では無く、なんて考えてたら失礼やろ? ジブンら信じて託してくれた人らに」

「……はい……」

 少し間を置いて頷きながら返事をした如月に内心安堵しながら、龍驤は笑顔を作ってみせた。

 

「なら、頑張ってこうや? 良かったら……一緒に、さ?」

「……龍驤さん……」

 ゆっくりと理解の色が浮かび始めた如月の瞳に、同じように涙が……滲んでゆく。

 それを懸命に堪えようと目許を擦る如月を、龍驤は引き寄せて抱き締めた。

「……まあ、今は望月も休んどる訳やし、偶にはお姉ちゃんを休むんもエエんちゃうかな?」

「……ぅ、ぅぇ……龍、驤……さ……」

 顔を埋めたまま如月が何か言おうとしたものの……後半は……殆ど、言葉にならなかった。

 

「……大井、さん……遅いから、ちょっと見てくる……」

 それだけ言って、初雪が姿を消す。

 それで……堪えていた如月の声が、大きくなった。

 そっと如月の頭を撫でながら、龍驤は目を閉じた。

 思い出に浸(ひた)る為ではなく、そうしなければ自分も涙を零してしまいそうだ……そんな風に考えた為である。

 

 一緒に頑張っていこうという言葉に偽りはない。

 それでも今、この瞬間は、自分は如月を受け止める存在でなければならないのだ。

 

 それに……自分だって、こうなったのだ。

 その時は金剛が支えてくれた。

 諦めた自分の為に、弥生は全力以上の力を振り絞ってくれたのだ。

 自分の番が回ってきてくれたのは、寧ろ有り難いのかも知れない。

 それでも……少し、つらいなと思ったりもする。

 

 金剛もそうだったのだろうか?

 いや多分、そうなのだろう。

 だからこそ……寧ろ、こんな想いを積み重ねてきたからこそ、あんな顔ができるのだ。

 かつての記憶、だけでなく……艦娘になってからも、たくさんの事があった。

 つまりはそういう事なのだろう。

 自分は、果たして……

 

 ほんの少し、これまでとこれからを考えれば、一瞬でしかないその時間は……龍驤の体感としては少しばかり長かったが、実際には数分だけだった。

 落ち着いたのか声が枯れ始めたのかは分からなかったが、如月の声が小さくなっていって……震えるような身体の動きも治まっていく。

 そして間もなく。

 我に返った……という事なのか、気恥ずかしさが上回ったのか?

 如月は弾かれたように、離れながら顔を上げた。

「ご、ごめんなさいっ! すみません、ありがとう……ございました、龍驤さん」

「いやいや、別にウチは何もしとらんけど? まあでも、落ち着けたなら何よりや」

「はい。でも……みんな辛いのを堪えているのに、私だけ……」

「いやいやいや、そんな気にするコトや無いって」

 深刻になり過ぎてしまったかと考えて、龍驤は冗談めかして口にした。

「……いや、まあ、ほら……ウチも如月の可愛いトコ、間近で見学させてもろたワケやしね?」

 そう言われ、如月は……不思議そうに小首を傾げてみせた。

 もっともそれも、僅かな間だけだった。

 

「……なっ」

 暫しの思考の後に言葉の意味を理解したらしき少女が、言葉を詰まらせながら頬を上気させる。

「なっ、なっなな、なな何を、そんなっ」

「……はい、お二人で盛り上がっているところ真に恐縮ですが、珈琲が冷めちゃうと勿体ないので失礼しますわね~?」

 

 如月が激しく動揺しながら何か言おうとしていた時、だった。

 わざとらしい言い回しと仕草をしながら、トレイを手にした大井が艦橋へと姿を現す。

 初雪の方も……出て行った時とは正反対とでも言うべきか、歩いて艦橋に入ってきた。

 手には大井と同じように、カップや紙箱を載せた金属製のお盆を、確りと掴んだ状態である。

 そのまま、普段と変わらぬ表情で。

「……これ、望月と二人で」

 初雪が動転している如月に声を掛け、手に持った盆を差し出した。

「あ……あ、はい。ありがとう。初雪ちゃん」

「カップ足りなくて、一つ金属製だから……冷めやすいから、早めに」

 まだ落ち着けてはいない様子ではあるものの、初雪の態度に引っ張られでもしたかのように、如月は礼を言いながら金属製のお盆を受け取る。

 

「はい、龍驤さんはこっちをどうぞ? ……それにしても、罪な女ですこと」

「お、ありがと……って、なんやねん。それ?」

 わざとらしく肩を竦めながら、大井が珈琲の入ったカップを龍驤へと手渡した。

「全く……罪な女、だぜ……」

「初雪までなんやねん? っていうかそれ、キミのキャラちゃうやろ? 大井に何か吹き込まれんか?」

 龍驤がそう問い掛けると、初雪は少し間を置いてから返答した。

「……龍驤さんに、エセ関西弁以外のキャラ付けを……例えばモテとか……如何か、と……言われ……」

「それで先刻の台詞は迷走し過ぎやろ? あと似非(エセ)言うな。まあ横浜生まれの横須賀育ちやからネイティヴやないけど……」

「……まあでも……如月、龍驤さんに……恥ずかしい処、見られちゃいましたし?」

「如月も今の流れに乗るんかいっ!? ってツッコミがウチしか居らんやんけ?」

 

 何やら忙しなく全員に指摘をしながらも、龍驤は空気が一気に変えられたような、大きく深呼吸でも出来たような……そんな気分を味わった。

 恥ずかしがったり呆れていたりウンザリしていたり……色々とありはするものの、艦橋内には、つまりは四人の間には……これまでとは少しばかり違う空気が流れ始めたのは確かである。

「……ありがとうございます、気を遣って頂いて」

 くすりと笑ってから、三人の顔を順に見た如月が丁寧に礼を言った。

「それじゃ、これ……冷めないうちに望月ちゃんの所に持って行きますね? その後、休止に入らせて頂きます」

「了解。天候が回復したらまた周辺警戒に出て貰う可能性もあるから、確り休んでな?」

「はい。それじゃ失礼します」

 そう言ってトレイを手にした如月が階下へと姿を消す。

 それを暫し……見送ってから。

 

「あれで……少しでも楽になったかな?」

「少しは気分も良くなったんじゃないですか? 私達の三文芝居も中々だったと思いますし」

 そう言った大井に初雪が、珈琲を啜りつつ視線だけを向けた。

「……自分達で、言っちゃ……」

「世話無いわな? ……っていうか全員に変なキャラ付かんかったか? 今のアレ?」

 

「まあ、良いんじゃないですか? 龍驤さんも少し楽になったみたいですし」

「……敵わんな、ホンマ」

 苦笑しつつ、龍驤は大井が珈琲と一緒にトレイに載せてきた物に目を向けた。

「クッキーですよ。補給部隊の人達が持ってきてくれたと聞いています」

「……こっそり、と」

 大井の言葉を補足するかのように初雪が呟く。

「そうなん? 全然気付かんかったわ~」

「……駆逐艦同士の繋がりを、舐めてはいけない」

 初雪の言葉に成程と感心しつつ軽く掌を拭うと、龍驤はトレイの上に包装を剥がれた状態で載っているクッキーに手を伸ばした。

「飲み物は不安ですけど、こっちは平気ですよね?」

 初雪に幾つか渡し自身も一枚を取った大井が、トレイを艦橋の隅に固定されているテーブルの上へと置く。

「これ以上、酷くなると不安やけどな? ……まあ、大丈夫やと思うけど」

 

 言いつつ、龍驤はクッキーを頬張った。

 ざっくりとした少し固めの口当たりの後、ふわりと膨らむように香ばしさが薫る。

 それに続くようにして、甘い感覚が口の中に拡がっていった。

 粉っぽさも少しはあったが然程ではないし、何より今は手元に珈琲があるのだ。

 まだ湯気を立てている焦げ茶色の液体に口を近付け……少し熱さに警戒しつつ……カップに口を付け、含む。

 温かい飲物に、甘い嗜好品。

 それらを美味しいと感じる……自分。

 

(「……浅ましいなぁ……」)

 そんな風に考える自分がいる。

 同時に、これが生きているという事なのだと実感する。

 

 

 生きていくというのは綺麗事ではないのだ。

 即物的で俗物的なものが、単純な感情や欲が、力になる事など珍しくも無い。

 寧ろそういったものの方が瞬間的な力を発揮する事も多いのだ。

 

 それでも……生き残ってしまったのだという想いを、重さを、少しでも軽くする為には……見上げるような、彼方で輝く何かが必要なのだろう……そうも思う。

 少なくとも、自分にとっては、だ。

 

 今、足の痛みが酷ければそういった後ろめたさから逃れられたのだろうか?

 束の間、そんな事を考えて……龍驤は随分と情けない気持ちを味わった。

 逃げてはならないと想っていながら……痛みで逃れられるかも知れない、等と考えたのだ。

 全く、浅ましくて救いようが無い。

 とはいえそれで……自分は駄目だ、等と言うのは無しだ。

 それこそ、自分を信じ託してくれた者達への冒涜である。

 浅ましく、情けない……そんな処も含めて自分自身なのだ、と割り切るしかない。

 そう自分に言い聞かせ、龍驤は思考を元に……先程まで考えていた事へと戻らせた。

 

 今の処、自分達にとって最も大事なのは、ハッキリと分かる形として見える目標は……艦娘部隊の再建だ。

 その上で第一に来るのは、やはり物量……数が力である事は間違いない。が、だからといって質が蔑ろにされていい訳ではない。

 建造によって艦娘の数を確保する事は上官の、自分達を率いる人間達の仕事だが、その艦娘の能力を向上させる事に関しては、自分達も大きく関わる事になる筈だ。

 

 船体を失った事で、戦力としての自分の価値は大きく低下したように思う。

 だが、蓄積した経験が失われたという訳ではないのだ。

 

 感情的になりそうな自身を務めて冷静に観察し、突き放すように意識しながら、龍驤は艦娘部隊について思考した。

 

 駆逐艦に関しては、足止め部隊の者達も……恐らく、全滅という事は無いと思うが、万一そうなったとしても……最低でも初雪と望月という練度の高い二人が残っている。

 その辺りの事も考えての人選なのだろう。

 軽巡洋艦に関しては難しい処はあるが、大井が残っているのは大きい。

 彼女が船体持ちである事も手伝って、雷撃に関しての訓練は行い易い筈だ。

 重巡洋艦に関しては先に撤退した古鷹がいるし、空母関係は龍驤自身がいれば何とかなる。

 戦艦に関しては、金剛が生き残れるか次第だろう。

 金剛に関しては……恐らくは大丈夫だろうと考えている自分がいる。

 

 もっとも、鳳翔に関しても……かつての記憶や知識があるせいか、居なくなる事を想像した事など無かったのだから……実際のところは、分からない。

 とにかく、横須賀まで辿り着く事は戦いではあるが……辿り着いてからこそが、本当の戦いの始まり、という見方も出来るだろう。

 

 

「……どうしました?」

「いや、横須賀まで戻ったら……寧ろ忙しさで死にそうになるんやないかな~ ……とか、ふと思ってな」

 大井の問い掛けに対して、龍驤は素直に考えていた事を口にした。

「まあ、龍驤さんは特にそうでしょうね」

「いやいや、大井かてムッチャ忙しくなるやろ? 駆逐軽重巡、全部の雷撃系の指導担当させられるんちゃうん?」

「龍驤さんは赤城さんと加賀さんの猛特訓担当なんじゃ? そっちの方は訓練する側も地獄でしょ? 他にも航空母艦、何隻が増えたって聞きますし」

「……まあ、全員大変てトコかな? 初雪も大変やで? 駆逐艦は数が多いやろうしな~」

 

 龍驤がそう言うと、初雪は心底嫌そうにしつつも、仕方ないと口にした。

「まあ……嫌だけど、その辺りは……やらないといけないから。仕方ない」

 割り切るようにそう言うのを聞いて、龍驤は口には出さなかったものの内心という形で感心した。

 面倒臭そうにしてはいても、やはりと言うべきなのかやるべき事を解っているのだ。

 

 同時に、不安にもなった。

 如月は吐き出す事で少しは楽になったように見えたし、望月の方も直接見てはいないものの如月のお陰である程度は緩和されたのではと思える。

 

 だが、果たして目の前の少女は如何だろうか?

 堪える、耐える、我慢するというのは、あくまで溜め込むだけで……溜め込まれた物が解消される訳では無いのだ。

 

 自制心というのは……締める時は締め、必要の無い時は解放する、という心である。

 その辺り、初雪は本当に確りしている、と。

 改めて感心させられる。

 とはいえ、同じように……溜め込まないようにしていた望月も、実際のところ堪え切れなくなっていた、というのも事実なのだ。

 絶えず張り詰めれば、締め続ければ……張り詰めたものは切れ、そうでなくとも緩み弛んでしまう。

 溜め込んだ物も、限界を超えれば……溢れ……最悪、爆発するかも知れない。

 

 とはいえ、如何言えば……溜め込ませず吐き出させる事ができるだろうか?

 如月の場合は、自分と似た気持ちを抱いているのではというのが推測できた。

 彼女の表情や態度を見て、何となくではあるが……自分と似たような気持ちを抱いているのではないだろうかと感じる事ができたのだ。

 

 だが、初雪に関しては……全く解らない。

 それでも、何もしないという訳にはいかない。

 土足で踏み込む事になるかも知れない。

 それでも……

 

「けど、二人ほどじゃないにしてもある程度は練度の高い子もいるし、大丈夫でしょ?」

 力を抜いた感じで軽々しくそう口にしたのは、大井だった。

「……まあ勿論、吹雪さんや白雪さんが居てくれた方が良かったでしょうけど」

 変わらぬ調子でそう続けた彼女が口にした言葉が、暫し理解できず……理解した次の瞬間に驚愕して。

 何か言おうとした龍驤に向かって、大井は視線だけ向け、軽く首を振った。

 

 敵わないな、と……心の底から思う。

 それが龍驤の素直な気持ちだった。

 どうしてわざわざ、自分から嫌われるような、困難な道を選ぼうとするのか?

 もう少しくらい横着をしたって、楽な道を選んだって、誰も文句は言わないだろうに……

 

 そう思う。

 

 もっとも、本人にそう言っても否定するだけだろう。

 自分の望むままにしているだけだと言い切るだけだろう。

 歯痒さを感じながら……龍驤は、初雪と大井の間を往復するように視線を動かした。

 

 初雪は何も言わず、大井も言葉を続けない。

 僅かでしかない筈の沈黙に、耐え切れなかったのか……それとも、純粋に意見を聞きたかったのか?

「……二人はやっぱ、厳しいか?」

 自身の気持ちすら解らないまま、龍驤は口を開いた。

 

 二人が沈んだ事を目撃したという者はいない。

 だから、絶対に戻っては来ない……とは言い切れない。

 だが多くの場合、それは……確認されていない、というだけの事なのだ。

 艦娘の場合は特にそう為り易い。

 通常の艦船の場合、海底の調査や漂流によって残骸が見つかる事もあるが……艦娘の場合、消滅してしまう為に何も残らないのだ。

 そうでなくても……通常の艦船でも、確認できないという事は決して少なくないのだ。

 数十年経った今でも……航海に出たままで乗員も今だ乗船中、という船も人も在るのだ。

 沈んだ、死んだと突き付けられるのと……絶望は突き付けられず、だが……空白は与えられながら寂寥感と共に薄れていくのと……果たして、どちらが良いのだろうか?

 それらに明確な答えは……恐らく無いのだろう。

 

 初雪の場合は、如何なのだろうか?

 期待をしているのか?

 それとも……自身の中で既に折り合いを付けているのか?

 

 解らない故に踏み出せない自分が、やはりというか如何しても、臆病に感じられてしまい……自己嫌悪という感情が湧き上がってくる。

 もっとも大井にそんな事を言えば、自分が考え無しに好き勝手しているだけだと言われてしまうだろう。

 今もそうだった。

「私の時とは状況が違いますしね。それに……あの二人なら、可能なら出来るだけ早く味方に合流しようとするでしょうし」

 少しだけ考え込んだ大井が顔を上げると、端的な言葉で明確に自身の結論を述べる。

 

「……すまんな、初雪? 聞きたくない事、聞かせて」

「いや、最初に言ったのは私でしょ? 龍驤さんは別に悪くは無いでしょう」

 初雪に謝った龍驤に向かって、大井がそう反論した。

「……大丈夫、心配しないで……」

 それだけ言って、一度息をしてから、初雪は二人に向かって微かに頭を下げた。

「……二人とも、ありがと……気を遣って、くれて」

「いや、ホントに無理しちゃあかんで?」

 

「……平気、じゃないけど……まあまあ、大丈夫」

 そう言って、初雪は視線を外に、艦の進む方角へと向けた。

 

 悲しくない訳じゃない。

 寂しくない、なんて事は無い。

 それでも……

「もうあの頃みたいに、誰かに……初雪型、なんて呼ばれる事はない……それで、充分、だし……」

 

 その言葉に、どれだけの想いが籠められているのだろうか?

 途切れ途切れではあっても、不思議なほど確と耳に入ってきたその言葉を聞いて……龍驤は思わず俯いた。

 何かが込み上げてきそうになって、目許を押さえる。

 それでも、多分きっと自分には……彼女が言葉に籠めた想いの、多くが……本当の意味では、解らないのだろう。

 

 そんな事を考えながら、大井を見て……

「じゃ、ウチは……ちょっち部屋で休んでくるわ」

 龍驤はそう決断を下した。

 情けないと思うが、限界だった。

 皆が堪えているのに、自分だけが耐えられなくなってしまいそうなのだ。

 せめて、そんな姿は……見せない様にしなければならない。

 いや結局、自分が見られたくないというだけだろう。

 

「ごちそうさん。ありがとな?」

 そう言って空になった容器を、テーブルに置かれていたトレイの上に置く。

 もう一度、礼の言葉を口にしてから、彼女は引っ掛けておいた松葉杖を手に取った。

 義足だけでも殆ど問題無く動けるが、船体が大きく傾いたりした場合は如何なるか解らない以上、確実な手を、安全策を取っておくべきだろう。

 

「休止終わったら、また顔出すわ。そん時に大井と交代な?」

 それだけ言って、自分でも意外に思えるほどに器用かつ確りした動きでタラップを下っていく。

 

 

 上から声が降ってきたのは、身の丈の倍ほども降りた時だった。

「手伝いますよ、龍驤さん?」

 そう言って大井が軽い音を立てて早足に段を降りてくる。

「いや、ウチは大丈夫やから……」

「いえいえ、初雪さんも心配してましたし、途中までお供させて下さい」

「……それは、ちょっち……申し訳なかったな……」

 少しばかり恥ずかしくなって頭を掻きつつ、龍驤は素直に謝罪の言葉を述べた。

「……すまん」

「ま、如月さんの時の初雪さんもそんな感じだったみたいですし、気にする事はないでしょう。初雪さん的には、気を遣わせて申し訳ないって感じだったみたいですから」

「いやいや、遣って当然やろ? ……ウチとしては溜め込み過ぎて潰れないかって心配になった訳やし」

 

 そう言ってから……

「……まあ、結局ウチには何もできへんかったけどな?」

 溜息と共に、そんな言葉が零れた。

「そんな事は無いでしょう?」

「まあ、とにかく、この話は終いにしよ? また自虐入ってまうかも知れんしな?」

「もう入ってますけどね」

「敵わんわ、ホンマ」

 

 思わずズッコケる仕草をしながら冗談めかしてそう言いはしたものの……実際、救われたような気持ちになった。

 際限なく落ち込んで行ってしまいそうな……そんな気分が、少し変わったような、変えて貰ったという気持ちになれたのだ。

 冗談めかして敵わん、などと口にはしたものの……本当に敵わないな、という気持ちもある。

 それが龍驤の偽らざる本心だった。

 

 強張りかけた頬を動かすように苦笑いを浮かべてから。

 龍驤は少しだけ表情を引き締めた。

「……頼むばっかになってすまんけど……初雪の事、頼むな?」

「大丈夫ですよ、そんな気にしないで下さい……私も実際、別に何するって訳でもないですけどね?」

 そう言った大井の表情にも何かが滲んでいた。

 少なくとも龍驤には、そう感じられたのだ。

 

「言っても意味ないかもしれんけど……大井は滅茶苦茶頑張ってると思う。もうちょい自信持ってエエと思うんやけどな? あと、自分から悪者にならんでエエのにとも思う……まあ、その辺はウチが臆病なせいもあるとも思うけど……」

「いや、だから私としては寧ろ龍驤さんこそ、自分に自信持つべきだと思いますけど? 自信無さ過ぎでしょ?」

 そう言ってから一旦息を吐くと、でも……と大井は表情を変えた。

 真剣な表情に随分と……皮肉るような、嘲るような含みが加わる。

「……ま、言ってて思ったんですけど……自分は色々やってる! 頑張ってる! ……とか言う者ほど、実際は大した事してないくせに自信満々だったりしますから、こうやって互いに謙遜し合ってる私達って、二人ともそれなりには出来てる……って、事なんですかね?」

「……お前、なぁ……」

 

 そんな彼女の言葉に呆れつつも……龍驤は大井の言葉を受け入れる事にした。

 皮肉めいてはいるものの、彼女の言葉には照れ隠し的なものも感じられる。

「まあ、大井が自分もそれなりに頑張ってるって思ってくれるんなら、それでもエエかな~ ……と思ったから、それでエエわ」

 大井自身が少しでも無力感を減らしてくれればという気持ちはあるし、謙遜……というよりは寧ろ卑下の応酬みたいなのを止めてくれた事は……素直にありがたい。

「実際キミ、色々やりとげてるんやで? ウチも何もしてへんて訳やないけど……結局は諦め掛けて……救ってもらった、ってだけやし……」

 そうやって、息を吐こうとした時。

 

「違いますよ、龍驤さん?」

 先程までと声質が変わった大井の言葉に、龍驤は文字通り息を呑んだ。 

「助けられた、救われたっていうのは……助けて、救うっていうのは……助けた側も、救われるんです」

 そう言って、息を吐いてから、大井は続けた。

「私は、助けられなかったんですよ」

 そう断言する大井に向かって、龍驤は、違うと言いたかった。

 いや、幾度もそう言ってきたのだ。

 それでも、結局は……大井自身が認めなかったのだ。

 いや……そう思いたくても、思えない……そういう事なのだろう。

 結局、自分も……そうだったのだ。

 

 だが……実際の処、如何すれば良いのだろうか?

 自分を認めるには、如何すれば良いのか?

 全く同じ問いを繰り返している。

 つい先程も、如月と言葉を交わしたばかりではなかったか?

 自分が、そう思えるまで……積み重ね続けるしかない。

 そうであるならば、どれだけ積み重ねれば……自分は、大井は、辿り着けるのだろうか?

 

「助けられなかった。だから……せめて今度は、次は……何とかしたい」

 それで、少しだけ……

「自分に価値を見出せる……って言い方は良くないですよね? だから、上乗せできる。自身の価値を高められる、って言い直しておきます」

 想いを言葉にしていないのに、語り合っているような気分になって……龍驤は唯、大井に向かって頷いてみせた。

「……救った者は、救われるんです。多分……金剛さんや弥生さんも、そう思っている筈です」

「……そっか……それなら、確かにウチも……少しは救われるな?」

 そう言っただけで、何故かまた、息が零れた。

 先程までとは違う、安堵の吐息。

 

「まあ……難しいですよね?」

 そう口にした大井の表情は、実際に複雑そうだった。

 困っているようで、それでも見た目だけならば笑ってもいるようで……

「さっきキミが言ってた通りかもな……」

 そう言って、何とか言葉を探して……龍驤は口にした。

「……願っとるよ。大井が自身を高められるように、ってな」

 そんな言葉を交わしはしたものの、結局はタラップを降りるまで付き添って貰ってから。

 龍驤は礼を言って、大井と分かれた。

 艦橋へと戻る彼女の姿を暫し見送ってから、身を翻す。

 

 駆逐艦の船体はそれなりに揺れはするが、然程不便は感じなかった。

 そういうものの慣れは早い。

 

 だが……

「……こっちは未だ未だやね」

 何かが滲みかける目許を、少し抑えて。

 それだけで……沢山のものが込み上げてきた。

 

 つらくて、苦しくて、悲しくて。

 寂しくて……

 嬉しいことや楽しいことも沢山あるが、如何しようもないと思えるような事もあって……

 耐えきれず、泣いてしまいそうで……押し潰されてしまいそうで。

 でも、美しくて、愛しいと思えるものも、溢れている……

 これが生きているという事なのか?

 

「……しんどいなぁ」

 そんな言葉が意識せず、口から零れる。

 それでも、なのだ。

 それでも、生きて行きたいと思えるのは……そう思えるだけのものが存在するからなのだ。

 

 艦娘である自分が、人生などという言葉を使って良いのかは分からない。

 それでも……これが、これこそが、人生というものなのだろう。

 勿論、艦であった頃の歴史は……艦歴は、決して無意味になど為ってはいない。

 どちらもあってこその艦娘なのだろう。

 だからこそ、今を生きていくのだ。

 生きられる限り、生きるのだ。

 そうでなければならない。

 それこそが、残った者の為すべき事なのだ。

 

 自分という存在を紡いでくれた全てに、報いる道なのだ。

 自分が大切に思う者達に、思い出す者達に、胸を張る為に必要なことなのだ。

 

 そう……分かっている筈なのに。

 言葉を交わし、そう決めた筈なのに。

 

 迷い、悩み、足を止めてしまう。

 落ち込んで愚痴を零してしまう。

 どうしてなのだと嘆いてしまう。

 

 それが、心というものなのか?

 それが人生というものなのか?

 生きていくという事なのか?

 

 分かる筈が無かった。

 艦であった頃の自分の事でさえ、今、こうして振り返ってみて……

 それでも、全くは、分からないのだ。

 ならばこそ……知る為に、分かる為に。

 

 歩みを止める訳には、いかないのだ。

 

 

 

 

 護衛も兼ねた前方の警戒という任務は、特に何事もなく終了した。

 如月に役割を引き継ぎ、言葉を交わし、初雪の方にも乗艦して。

 艦橋に集っていた、望月以外の皆とも挨拶して。

 弥生と長月は初雪の船体を降りると、進路を北に取った。

 

 泊地へと戻る道中にも、特に問題は無かった。

 あえて言うならば少し波が高かったかも知れないが、この海域でこの季節ならば、特に珍しい事ではない。

 寧ろ、比較的にしても穏やかな方と言えたかも知れない。

 

 そんな事を考えつつ、周囲には充分に気を配りながら……長月は弥生と共に泊地へと帰還した。

 別に安全な内地という訳では無いが、目的地がハッキリと確認できると安堵にも似た気持ちが湧き上がってくる。

 それらは別に可笑しな気持ちでは無いだろう。

 船体を出している時よりも艤装のみで航行している今の方が、その気持ちは強いような気がする。

 そんな事を考えつつも周囲を警戒していると、艤装のみで航行する三人の姿が見えた。

 

 周辺の警戒に当たっていたらしき三日月達が、掲げる様に手を振り、近付いてくる。

 念の為に、もう一度周囲を見回した後、長月も弥生と共に手を振り返した。

「お疲れさまです、二人とも」

 近付いてきた三日月が略礼をした後、弥生と長月に挨拶してくる。

「お疲れ、さま」

「お疲れ。それで、何かあったのか?」

 任務が警戒のみであるなら、手を振るくらいはしても近付いては来ないだろう。

 そう考えて長月は質問した。

 

「はい、司令官からの伝達事項です。特に異常等が無ければ司令官への報告は不要で、帰還後直ちに休止に入るようにとの事です。休止完了後に出撃するとの事で、私物の整理等あれば休止中に済ませるように、と。集合場所は司令部にしている建物の方になります」

「了解した。帰還後直ちに休止に入る」

「それでは、また後程。三日月、文月、磯波の三名は、引き続き警戒に当たります」

「また後でね~?」

「護衛、お疲れさまでした」

 三日月に続くようにして手を振る文月、丁寧に挨拶する磯波らにも挨拶を返すと、長月は弥生と共に港へと入っていった。

 

 

 誰も居ないと思っていたものの、岸壁には金剛が居て二人に向かって手を振ってみせる。

「……随分と豪華な出迎えだな」

 なんとなしに呟きながら、長月も弥生と一緒に手を振り返した。

「お疲れさまデス、二人とも」

 陸へと揚がった二人に向かって笑顔を向けながら金剛が近付いてくる。

「……休止中だと思っていたが」

 何かあったのかと長月が尋ねると、金剛はイイエと首を振った。

「二人の出迎えだけですヨ。あ、提督の方は皆で休むようにと進言して休ミを取られてマスので……弥生には申し訳ないですガ、報告は我慢して下さいと伝えようというのもありましたが」

「成程」

 頷いた長月が弥生の方を見ると、確かに弥生は返事をしながら残念そうな表情を浮かべていた。

 少し見ただけで長月が確りと解る程なのだから、弥生にしては顔に出ている方と言えるだろう。

 必要ないとは言われたが禁止とされた訳では無い。

 弥生としては報告に行きたかったという事なのだろう。

「……了解、です……」

「まあまあ。出撃時には会えマスよ? 直ぐデス……というのが良い事なのかは分かりまセンが」

 弥生を慰めるように手を伸ばし優しげに頭を撫でると、金剛は長月の方にも顔を向けた。

「あと、良ければ二人も一緒に御茶を如何デスか? ……と思いまして」

「良いな……では、折角だから参加させて貰おう。一応私物の整理があるので、終わり次第……何処に行けば良いだろうか?」

「司令部で問題アリマセン」

「……司令官が休んでいるんだろう? 良いのか?」

「隣の私室で休んでマスので、騒がなければ大丈夫デス。まあ……提督が、ちゃんと休んでるのか確認というのもありますノデ」

「……成程。働き者も考えもの、という訳か」

 

 少し冗談めかして説明した金剛の言葉に、長月は真面目に言葉を返した。

「あと、勿論と言うか護衛も兼ねてマス。幾ら人員不足とはいえ、提督の護衛が一人もいないというのも問題デスしね?」

 そう言ってから弥生も心配でしょうと言うと、弥生も素直に頷いてみせた。

「では、先に行って準備してマスね?」

「ああ、直ぐに行く」

「弥生も、直ぐ……に」

 そう言葉を交わし、二人は金剛と分かれる。

 

 私物の整理には、全くと言って良い程に時間は掛からなかった。

 元々の荷物が少ない事に加え、殆どは船体に積み込んだ儘だったのである。

 実際この泊地で過ごした時間は……元々の根拠地にしていた泊地と比べれば……いや、比べるまでも無く短かったのだ。

 途切れ途切れの休止や待機休息等を合計しても、二日か三日程度にしかならないだろう。

 文字通り荷物を解く暇も無かったのである。

 到着し、司令部要員の者達が方針を決め、偵察を行っている最中に敵機動部隊を発見して急ぎ出撃し……帰還後の偵察で水上打撃部隊の接近を確認し、撤退部隊を出発させた後、今度は自分達も出撃しようというのだ。

 

「全く……忙しない事だ」

 そう呟きはしたものの、長月は特に不満は感じなかった。

 戦力で圧倒的に勝っている敵に対処する為の方針の一つとして、可能な限り主導権が此方にあるように動くというのは重要な事だ。

 もっとも、それだけでは当然と言うべきか戦いに勝つ事は……難しい。

「……いや、今は考える時では無いな」

 不安が無い訳ではないが、それで頭を悩ませては休止を与えられた意味が無い。

 そう考え、長月は疑問と不安を頭の片隅へと追いやった。

 僅かな荷を手に港へ向かい、弥生と共に船体を展開し、荷物を船内へと置いて船体を収納する。

 それで作業は終わりだった。

 そのまま二人で一緒に司令部へと向かう。

 

 

 金剛は湯を沸かしながら二人を待っていて、直ぐに紅茶を淹れてくれた。

 室内は十分に暖められており、艤装を収納しても殆ど寒さは感じない。

 紅茶はパック入りの茶葉を金属製の容器に入れて作ったものだったが、長月としては充分だった。

 もっとも、長月自身が紅茶の良し悪しというものについて分からないので、実際のところ……というのは不明である。

 とはいえここで重要なのは、あくまで主観なのだ。

 

 美味しいと感じるし、何より温かい。

 それで充分だった。

 クッキーや缶詰のケーキもある以上、十分以上だ。

 戦地でこれ以上は望めないだろうとすら思える。

 温かい紅茶を飲むと、思わず溜息が零れた。

「美味しいデスか?」

「ああ……有り難い、と思う」

「それは何よりデス」

 長月の言葉に金剛も笑顔を浮かべる。

「……でも、ちょっと……他の皆に、申し訳ない……気も」

「ノンノンノン、大丈夫デスよ? 弥生」

 小さく呟いた弥生に向かって、何故かリズミカルに首を振ってから。

 金剛は問題無いデスと、笑顔で答えた。

「皆一緒に……は無理でしたが、交代で御茶は御馳走しました」

 三人にも喜んで貰えて何よりですと、金剛は嬉しそうに、ウンウンウンと頷いてみせる。

 首を振った時とリズムが同じなのは、彼女の中で何かが流行っているのだろうか?

 そんな事で考え込んだ長月と……対照的に、と評すべきか。

 弥生は表情を少し和らげた。

 懸念が払拭された、という事なのだろう。

 頷いて礼を言い、その後……暫し紅茶を眺めた後で。

「……長月は、大丈夫……?」

 顔を上げた少女はそう言って、瞳をそのまま長月の方へと向けた。

「心配は要らない」

 長月は短く、そう答えた。

 少し前に卯月の事で、同じように聞かれたのである。

 彼女が居なくなる際に、その場に立ち会えなかった事で心配されたのだ。

 大井に背負われて戻ってきた卯月と港入口で会った時に別れは済ませたと説明はしたのだが……それでも心配、という事なのだろう。

 どこかで……いや、もしかしたら今も、暗い表情でもしていたのかも知れない。

 それでも、心の中で一区切りは付けているのだ。

 

「……大丈夫だ」

 一応そう口にしてから、一呼吸置いて、長月は言葉を続けた。

「一言、別れの言葉を交わす事が出来た」

 そう口にした時、少しだけ艦長の事を思い出して。

 言葉に詰まりそうになって……急いで続きを口にする。

「その一言に、出来る限りの想いは籠めたつもりだ……それだけでも十分に幸せなのだろうと思う……そうだろう?」

 そう言うと弥生は少し俯いて……間を置いてから、頷いてみせた。

「まあ……長くなると、逆に辛くなりそうだと……話を切れなくなりそうだと思った、というのもある。だから……一言だと自分で決めて、そうした。そういう事だ」

 

「……ん、御免」

「いや、私も言葉が足らなかった……というか、あまり口にすると抑え切れなくなりそうだった……そういう事だと思う。今は……少し落ち着いたのだろう」

「……なら、良かった……」

 そう言って頷く弥生と同じタイミングで。

 視界の隅の金剛も軽く首肯するのを長月は見て取った。

 

 何もかも見ていて、何も言わず信じてくれていた。

 そういう事なのだろうと考えると、有り難いという気持ちが湧く。

 ただ、それは今わざわざ口にすべき事では無いのだろう。

 もし言う機会があるとすれば……今回の全てを終えてからだ。

 

 

 そこからは特に……何かについて語ったりせずに、三人は取り留めない会話に終始した。

 その場の全員が、意識してか無意識にかは兎角として、何かについて悩んだり深刻に考え込む、という事態を避けた結果なのかも知れない。

 任務とは直接的には関係の無い、他愛ない話をしながら……三人は時を過ごした。

 

 長月が振った話題は……金剛は最初、新城の事を隊長と呼んでいたが、いつ頃から提督と呼び始めたのか……というものだった。

 さして日常というものについて話題を持たない長月なりに考えた話題である。

 

 金剛は考え込みながら、多分大尉に任命されて指揮権を引き継いだ頃デシタかね? 等と呟きつつ首を傾げていた。

 長月の方は、あまり憶えていない。

 そもそも呼び方というものにあまり拘りのようなものは無いのだ。

 それでも、思い返してみると……自分は提督とは呼ばず司令官と呼んでいる辺り、無自覚ではあるが何か意識する事があるのだろうか……等と考えてみたりもする。

 とにかく、話題らしい話題というものを出すのが苦手という自覚もあって、長月は専ら聞く方や挙げられた問いに答える方に回っていた。

 その辺り、話をするのが苦手そうな様子に見えて弥生は……交流というものを苦手にしていない、という印象を受ける。

 意外に感じたりもしたが、考えてみると妙に腑に落ちた……という感じもあった。

 そんな風に、過ごし始めてみれば思った以上に、今の立場を考えずに時を過ごして……

 

 

「もうそろそろ……デスね」

 時間を確認した金剛が、よく通りそうな声で奥へと呼び掛けた。

 少し間を置いて言葉が返ってくる。

「弥生? 良ければ御手伝いに行ってみては?」

 返事を確認した金剛がカップを置いた弥生に、そう提案した。

「はい……それじゃ」

 頷いて立ち上がった弥生は、そのまま奥の部屋への扉をノックして呼び掛けると、静かに扉を開け中へと姿を消す。

 

「それじゃ……私は三日月達を呼びに行って来る」

「はい。では、お願いしマス」

 頷いて長月も立ち上がった。

 

 外へ出て即座に艤装を展開する。

 港から見える範囲での警戒を行っていた為、三日月達を探すのに苦労は無かった。

 ある程度近付き、呼び掛け、そのまま帰還して司令部前へと移動する。

 建物の前には既に司令官が、松葉杖を手に立っていた。

 その両脇を固めるように、弥生と金剛が姿勢を正し立っている。

「警戒部隊への報告と集合、完了した」

 司令官の、新城の前で姿勢を正し敬礼すると、長月は短く報告した。

 

 それから……

 短く言葉を、付け加えた。

 

「地獄へ付き合う準備は出来ている」

 その言葉に、新城は少しだけ目を見開くような仕草をした。

 驚いたのか如何かは分からないが、何かを刺激したのは間違いないだろう。

 長月はそう考えた。

 この司令官の場合……どのように考えるだろうか?

 もしかしたら、自分は其程に考え無しに見えるのかと憤慨したのだろうか?

 実際の処として、長月は然程悲観的にはなっていなかった。

 この司令官であるならば、何らかの案を考え、最低限それらを勝算へと……今回の場合は作戦の成功へと結び付けているだろうと思えるからだ。

 

 とはいえそうでなかったとしても、自身の言動を変える気など無かった。

 命を預けられる。

 そう思っている以上……本当に、命を預けられる。

 そういうものだ。

 恐怖や不安を毛頭感じない、等という訳ではないが……預けられるという想いに、揺らぎは欠片も無かった。

 見た目は子供であっても、心までは子供では無いつもりだ。

 いや、子供とか大人とかではない。

 例え最後が近付こうとも、最後まで付いていこうという想いが、駆逐艦長月であろうという意思が、あるだけなのだ。

 もっとも、それを無言で内に秘めるのではなく表明してしまう辺りは……まだまだ若い、等と言われてしまう原因となるかも知れない。

 ともあれ、そんな決意と共に長月が見詰めた司令官は……随分と緊張していないというか、どこか気が抜けた、自然体な様子だった。

 

 その姿を見て長月は……かつて似たような言葉を、司令官へと向けた事を思いだした。

 つまりはあの時から既に自分は……艦長共々、預ける覚悟があった……そういう事なのかも知れない。

 いや、そもそもあの時の戦いは……あの戦いこそが、既に。

 地獄とでも呼ぶべき情景だったと言えるのでは……ないだろうか?

 そんな事を考えはしたものの、やはり自身の言葉を撤回しようという気持ちは起こらなかった。

 つまりは生きようが死のうが……そういう事なのだ。

 ならば寧ろ、自身の気持ちに相応しいと言えるのではないだろうか?

 どうであれ今は、待つだけだった。

 

 

「……この期に及んでも、諦めについてだけは何も浮かばない」

 そう言った後……少し迷うかのように間を置いてから、新城が続けた。

「……つまりは自分も莫迦(バカ)の一人という事だな」

 そう口にした、長月の目の前の人物は、何故か……非道く楽しそうにも見えた。

 誰に言うでもなく独り言を呟くような仕草はどこか独善的なようにも思えたが、長月は不快には感じなかった。

 寧ろ、そんな呟きを零してしまうくらいには自分達の前で油断してくれているという事に、少しばかり感慨深さのようなものまで感じたほどである。

 つまりは彼女もまた、染まり始めて来ているという事なのだ。

 

「目的は、あくまで時間稼ぎ。敵艦隊に追撃を行わせないという、それだけだ」

 気軽な言い方で、それでも先程とは違ってその場の皆に向けた言葉を発した後、一息を入れてから……彼は言葉を続けた。

「ならば敵艦隊を、追撃を行えない状態にすれば良い」

 誰も、何も言わない。

 息遣いすら厭うような沈黙。

 余計な事は口にせず、考えもせず、唯……続く言葉を待つ耳に、声が届く。

 

 

「つまり我々は、死にに行くのではない」

 そう言って、新城は目前の者達を見回した。

「逆襲しに、往くのだ」

 その言葉で十分だった。

 

 湧き上がってくる何かを、今は抑え込んで。

 淡々とした調子で続いた出撃の号令に、返事をして。

 廻れ右をすると、長月は皆と共に岸壁へと足を向けた。

 後は唯、全力を尽くすだけだ。

 

 

 

 皆の後ろ姿を……少しだけ眼で、追ってから。

 新城は視線は動かさず……傍らの駆逐艦に呼び掛けた。

「征くぞ、弥生? 僕らの或るべき場所へ」

 

 少しだけ間を開けた後で。

 短い一言に、総てを籠めて。

「はい、司令官」

 少女は主に、言葉を返した。

 

 

 

 

 


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