皇国の艦娘   作:suhi

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最後の出撃 一

●最後の出撃 一

「敵に充分な打撃を与える事を考えるのであれば、距離を詰めての砲雷撃しかない」

 新城は、そう断言した。

 彼が話をしているのは、弥生の展開した船体の艦橋である。

 現状、船体を展開しているのは弥生のみで、全員が艦橋へと集っている状態だった。

 

 新城自身は艦橋に固定された机に自由な方の手を付き椅子に腰を降ろしていたが、それでも時折来る強めの揺れに体勢を崩しそうになる。

 それを支えるように彼の傍には弥生が立っていた。

 彼女自身、其方を自分の役割と任じている感がある。

 反対側の傍には金剛が立ち、向かい合うように他の者達がいる状態は、出港前の場面と似ているとも言えた。

 尤も、場所の方は随分と異動している。

 艦は出撃後、進路を北へと取っていた。

 

 目標は、敵水上打撃部隊。

 目的は、その敵艦隊の足止めである。

 その為に、任務達成の為に。

 如何なる作戦を取るのかという事を、新城は集った者達に説明していた。

 足止めという任務そのものに変わりは無い。

 変わったというよりは定まったと表現すべきなのだろう。

 新城が出した結論は……作戦自体で時間稼ぎを行うのではなく、敵艦隊に打撃を与え侵攻を直接妨害するか侵攻を躊躇、或いは断念させる、という物だった。

 

 その際の最も考慮すべき問題が、此方の戦力が全て駆逐艦であるという点である。 

 同程度の艦種であれば離れた状態での砲撃でも損害を与える事は十分に可能だろうが、重巡洋艦や戦艦が相手となると……運良く装甲の薄い箇所にでも直撃しなければ、駆逐艦で大きな損害を与える事は不可能と表現して間違い無かった。

 十分な損害を与えるには、砲撃に加え雷撃を……駆逐艦にとって最大の攻撃手段である魚雷を命中させる必要があるのだ。

 とはいえ、艦艇より速いとはいえ砲弾や銃弾とは比べ物にならないくらいに速度の遅い魚雷を命中さようとなると、可能な限り目標に接近しなければならなくなる。

 制空権は無く、航空機による援護も望めない状況下で……戦艦重巡を含む水上打撃部隊相手に、距離を詰める。

 

「それを可能にするには、夜戦しかない」

 それが新城の考えた手段だった。

 言われてみれば余りに単純で、ありきたりの戦法である。

 奇抜さも意外性も無い、作戦。

 だが、だからこそ実現可能な戦法と言えた。

 どれだけ優れた作戦であろうとも、実行できなければ何の意味も無い。

 その点で考えれば、挙げられた戦法は駆逐艦達にとって馴染み深いものだった。

 寧ろ最も慣れ親しんだ戦い方だと表現しても、間違いではないだろう。

 無論、だからといって……作戦そのものが容易、という事には繋がらなかった。

 

 懐へと飛び込んでの一撃離脱。

 ありきたりな言葉で表現するのであれば、新城の考えた作戦はその一言で十分だった。

 一撃で離脱する事に拘るのは、それ以上の攻撃に意味が無いからである。

 この戦いで戦果の拡大を目指す事に意味は無いのだ。

 勿論、リスクが無いか極端に低いというというのであれば戦果を拡大する事に、新城としても異議など無い。

 だが、今回の場合……戦果の拡大は味方の損害の拡大に直結していた。

 此方の駆逐艦が場合によっては戦艦や重巡を大破撃沈させる可能性があるという事は、逆も然りという事である。

 敵の駆逐艦の砲雷撃で、此方も一瞬で轟沈させられる可能性があるという事だ。

 そのようなリスクを冒す必要は、何処にも無かった。

 艦娘部隊の目的は、あくまで深海棲艦部隊の侵攻を遅れさせる事なのである。

 敵水上打撃部隊の進軍を少しだけ遅らせる事さえできれば、それで十分なのだ。

 任務は完了し、その敵艦隊と戦う必要は全く無くなるのである。

 そんな相手と危険を冒してわざわざ戦い続ける理由など、一つも無かった。

 

 そもそも、必要が無ければ夜戦そのものを仕掛ける理由が無いのである。

 夜襲を仕掛ける理由は、それ以外で敵艦隊に、特に敵の戦艦に……一定以上の被害を与える手段が思い付かないから、なのだ。

 その事を艦娘達は、新城以上に理解していた。

 

 三日月も無論、その一人である。

 作戦そのものについて説明された時、三日月が最初に感じたのは……唯、純粋な驚きだった。

 言われれば成程、その通りだと納得できる。

 自分達、駆逐艦の艦娘にとって最も慣れ親しんだ戦法だ。

 ただ、夜戦を行う為に、その為の時間を調整する為に……此方から敵に近付くという発想は、三日月には無かったのである。

 翌午前中に泊地近海で会敵する事になる敵に夜戦を仕掛ける為に、此方から近付く。

 言われてみれば理解できるし納得もできるが……三日月自身は、夜戦と時間の調整という二つを結び付ける事ができなかった。

 確かに急ぎ出撃したが、それはあくまで港に籠もっていては一方的に討ち果たされるだけである以上、海上で迎え撃つしかない、という考えからだった。

 敵の接近が明日の午前中なのに、なぜ慌ただしく出撃するのだろうか?

 そう疑問を感じはしたものの……兎角、急ぐ必要があるのだろう、ぐらいにしか考えなかったのである。

 

 今、説明を受けた事で……今迄疑問だった幾つもの行動が、状況が、組み合わさってゆく。

 本当に、まるでパズルのピースがそれぞれ組み合わさり正確に当て嵌められていくような……そんな感覚。

(「……流石、司令官!」)

 司令官の思考に、作戦に……改めて、というべきか。

 敬意が、尊敬の念が、自然と湧き上がってくる。

 もっともその後に……自分も、もっと考えるべきだったという気持ちも……湧き上がってきた。

 確かに、自分達は作戦を実行する事こそが役割であるし、作戦を考案するという部分を自分達が行ってしまうというのは単純に越権行為という事になってしまうだろう。

 ただ、現状や与えられた命令から以降の状況の変化や今後与えられるであろう命令や任務について推測、考察する事は、別に禁止されている訳では無いのである。

 

 司令官に命じられるままに、と。

 思考停止し、そこで考えるのを止めてしまっていたのでは……駄目なのだ。

 今のままの状態が続くというのであれば、それで良いのかも知れない。

 だが司令官は……いずれは艦娘達自身が任務や作戦について考え、指揮を執る事を望んでいる……その為に艦娘達が戦況や作戦について考察するように、向けている……そんな話を聞いた事がある。

 だから皆も色々と考えていた筈なのだ。

 そう思い、三日月は少しだけ視線を動かすようにして……皆の様子を窺った。

 驚いたような顔をしている者は、当然いる。

 けれど、驚いていない顔の者も居た。

 不敵な……と表現すべきだろうか? 表情は引き締まってはいるものの、どこか笑みを浮かべているような……そんな顔の者すらいるのだ。

 全てか如何かは分からないが……少なくとも司令官の口にした事の内、一部くらいは考え推測していたという事なのだろう。

 そう考えると、改めて……皆の凄さと自身の未熟さを、三日月は痛感した。

 

 

 実際の処……皆が皆、新城の考えを理解していた、という訳では無い。

 推測していた者もいるが、逆に全く考えずに全てを預けていたという者も当然いる。

 例えば金剛は不敵な表情を浮かべてはいたが、それは新城の作戦が恐れ知らずというか、結果を出す為とは言え自ら窮地に飛び込んでいくという姿勢だったが故に……思わず表情が強張り、それでも賛意を示す為に微笑もうとした結果の顔、なのである。

 新城の笑みも、そんな金剛の顔を見て……笑っているとは余裕だな、と。

 感心したが故の表情だったのだ。

 新城自身、余裕などと言うものは殆ど無い。

 もっともそれは、他の者達、艦娘達とて、同じだった。

 休止によって幾何かの体力は回復してはいたが、それでも……

 程度の差こそあれ、誰もが限界に近付いているのである。

 

 そういった状況においての自己嫌悪や悲観は、状態をより悪化させる可能性が高かった。

 もっとも、それで気持ちを切り替えられる者は、元々そのような状態に向かないようにと自身の心を扱えている事だろう。

 気持ちというものも一度向きや力が働いてしまえば、それを変える事は難しくなるのである。

 物理的なものだけではなく、つまりは心にも重さや勢い、運動エネルギー的な何かがあるという事なのかも知れない。

 どうであれ、三日月の気持ちと思考は、悪い方へと向かいかけていた。

 自身の事だけでなく分隊の事についての思考を懸命に行ない、不安を抱えながらではあるものの何とか失敗せずに出来てきたのでは……と思っていた処で、更にその上を求められているような……そんな気持ちになってしまったが故である。

 自分はまだまだ未熟なのだ、と……言われたような気持ちになってしまったのだ。

 

 大規模な、戦略的な思考……というものを、三日月は殆どした事が無い。

 戦闘に関しても、指揮を執るという責任が思った以上に重く感じられ、不安が大きい……というのが正直な気持ちだった。

 もっともそれは、決して悪い事ばかりとは言えなかった。

 命を預かるという事に対して全くという程に気負いが無いという事が、有能である証という訳ではないのだ。

 寧ろ重みを感じる者にこそ上に立って欲しいと考える者は少なくない。

 三日月がもし自身の考えを露わにしていれば、同意する者は決して少なくは無かっただろう。

 だが……少なくともこの場において彼女は、その感情と考えを抑えるという選択肢を選んだ。

 どうであれ、今は司令官からの説明を聞き漏らす事なく憶える事こそが最優先事項だと考えたからである。

 無論それは間違いでは無い。

 

 夜戦による一撃離脱。

 三日月は改めて、司令官が告げた言葉の意味を頭の中で反芻した。

 自分達にとって最も実現が容易で、かつ成功率の高い戦法。

 その戦法を選択した上で……戦果の拡大では無く、此方の被害を少なくするように作戦を考えてくれている。その事も……あくまで個人的な想いにはなるが、三日月としては嬉しかった。

 

 

「……しかし、まあ……何と言いマスか……」

 誰かに話し掛けるというよりは、考えが思わず口に出てしまったという様子で金剛が呟く。

 その顔は三日月から見ると、やはり肉食獣の笑みか何かのように感じられた。

 実際の処、金剛の心境は先程から殆ど変化していない。

 寧ろ顔の強張りが、いっそう強くなったくらいである。

 つまりは緊張している訳なのだが、三日月からすると……戦意を掻き立てられているのだろうという印象だった。

 もっとも、覚悟を決めているという点では決して間違いでは無いだろう。

 とんでもない度胸デスねと感心しながらも、しかし実際の処はそれしかないなと納得する。

 それが金剛の心境だったのである。

 そして、覚悟を決めているという点では三日月も同じだった。

 だからこそ三日月は新城の説明を決して聞き逃さないようにと注意し、彼が話を終えた後、何か注意すべき点は無いかと考え込んだのである。

 

「できれば日が暮れる前に敵水上打撃部隊を再度確認しておきたい」

 新城がそう言って、集っている皆の顔を見回した。

 仕掛けるのが夜になるとはいえ、敵を探すのは日が出ている内の方が良いに決まっている。

 その事は三日月にも容易に理解できた。

 水上偵察機が発見しているとはいえ、その後の敵艦隊の動きに関してはあくまで進路を推測しているだけで、実際に敵が如何動いているのかまでは分からないのだ。

 理想は明るい内に敵水上打撃部隊を再度確認し、陽が落ち次第襲撃という流れだろう。

 明るい内に発見できなかった場合……最悪、夜の間に発見できず夜明け以降に発見となってしまう可能性もある。

 いや、明るい内に発見できなければ……翌朝まで発見できない可能性は寧ろ高いと言えるだろう。

 運良く発見できたとても……至近距離で気付けた、という状況であれば……そのままなし崩し的に戦闘に入ってしまうという可能性も高くなる。

 その場合、リスクを調整できないという可能性は高い。

 夜間の遭遇戦という形であれば、速度を落として警戒しながら航行しているという状態では……そこから一撃離脱というのは難しくなるだろう。

 速度を落としていれば、急加速したとしても……船体の速度が上がるのには時間が掛かる。

 かといって速度を上げた状態で敵を探した場合……視界が極端に悪化している場合、敵艦と衝突する可能性があるし、動きが激しければ先に敵艦に発見され先手を取られる、という可能性も……上がってしまうかも知れない。

 つまりは陽が暮れる前に発見できるか如何かが、勝敗にも大きく影響する……という事だ。

 正しく、実際の戦闘の前から既に戦いが始まっていると表現するのに相応しい状況と言えた。

 準備……戦闘開始前の態勢作りが大事、という事だ。

 

「それでは……金剛さんの水偵だけでなく、私達も偵察に出た方が良いでしょうか?」

 挙手して発言を求め、了承を得た後、気を付けの姿勢を取ってから。

 三日月は自身の考えを述べた。

「いや、敵の発見は最優先だが……今回は金剛の水偵がある以上、其方に完全に任せる形にする」

 少しだけ考え込むような仕草をした後で、新城はそう口にした。

「艦を併用しての索敵となれば見落としは減らせるだろうが、こと索敵範囲に限れば航空機の、水上偵察機の能力は圧倒的だ。皆の疲労と引き換えにしての効果は然程大きいとは思えない。天候の悪化や日没等で水偵を使用できなくなった場合はその限りではないが……現時点では、君達には体力の温存を優先して貰う」

 新城の言葉を受け、皆が其々の形で肯定を返す。

 

「了解です。すみません、気が逸ってしまって」

 実際にそう思えてしまい返事の後で短く謝罪の言葉を続けると、新城は軽く首を傾げるような仕草をした。

「君は特に間違った事を言ってはいない。あくまでも選択肢の一つとして可能性のある作戦を挙げただけだ。まあ……僕が気にし過ぎなのかも知れないが……」

 そう言われ、三日月は以前に言われた言葉を思い出した。

 謙遜は構わないが、卑下は美徳では無いよ、と。

 司令官に言われたのだ。

 あの時とは状況は違うものの……やってしまった、という気恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてくる。

 振り返ると……自分は謝罪の言葉をつい口にしてしまっているという時が、多いように思う。

「……まあ、責める訳ではないが……君の事を大切に思う者がいる以上、卑下するように見える事にならないようにと考えただけだ」

「は、はい。すみません……」

 慌てて返事をすると、新城は……ほら、まだた、とでも言うかのような、苦笑するような表情を浮かべてみせた。

「繰り返されるようなら、僕は君に謝罪する事を無闇に行わないようにと……例えば、前もって許可をしていない限り謝罪を禁じる……という命令を下さなければならなくなる」

「……え……っ!? そ、それは困ります!」

 一瞬、言われた事が理解できず……理解した瞬間に驚いて、慌てて発言すると。

「だろう? だから君も、出来るだけ自分で頑張ってみてくれ」

 いかにも冗談ですと言わんばかりの表情をして、彼女の司令官は自身の願いを口にした。

 金剛が吹き出すような笑い声を発する。

 そして、それに続くようにして皆がそれぞれの形で。

 苦笑したり、口元を押さえたり、肩を震わせたり、全く隠す気が無いと言わんばかりに無邪気な笑顔を浮かべてみせたり……そんな風にして、自身の感想を、今の気持ちを、表現した。

 言われた三日月本人も、新城の余りにわざとらしい仕草に口元を押さえ表情を綻ばせた程である。

 そんな彼女の様子を確認して、という事なのか。

 戯(おど)けたような態度を取っていた新城が、皆の姿を見回すように首を動かしてから、先ほど口にした言葉を繰り返した。

「今回、偵察に関しては金剛の水偵に一任する。それから……説明を続ける前に一息入れよう」

 そう言うと彼は、もう一度皆を見回すように首を動かし……最後は三日月の方を見て、軽く頷いてみせた。

 気持ちを切り替えろ、という事なのだろう。

 三日月はそう判断した。

 即座に気持ちを……等という事は当然出来ないが、それでも努力は怠るべきではない。

 そう考え、三日月は素直に頷いた。

 

「……それじゃ」

「いえ、弥生は航行と警戒に専念して下サイ? 私が準備しマス」

 弥生を留めるように金剛が挙手して笑顔を向ける。

「あ、じゃあ手伝います」

 三日月が同じように挙手して発言すると、金剛は三日月に礼を言ってから、ではお願いしますと微笑んでみせた。

 

 

 

 

 全員に其々好みの茶を用意するという訳にはいかない。

 それでも、珈琲、紅茶、緑茶の中から選ぶ事が出来るというのは、戦場である事を考えれば贅沢と言えた。

 もっとも現状において一番の贅沢は、温かさを味わえる……という事に尽きるのかも知れない。

 皆が一息を入れ、僅かとは言え安らぎの時も味わった後で。

 司令官からの説明が再開された。

 指標や今後の方針、全体の流れと称した方が正解なのかも知れない。

 警戒に関しては……大きなリスクは無い範囲、という事で交代で弥生の船体上での警戒も行う事になった。

 大きな効果は見込めないが、万一の空襲等を含め見落としを避ける為、という形である。

 それ以外での偵察、索敵は金剛の水偵に一任するという点は変わらない。

 敵艦隊、水上打撃部隊を発見できた場合は一定の距離を取った状態で追跡。

 陽が暮れ次第、距離を詰め砲雷撃戦を開始……つまりは夜戦を仕掛ける、という流れである。

「離脱の事を考えるのであれば、可能な限り速度は上げておいた方が良いだろう。が、最優先は陣形の維持だ。今回は、旗艦を先頭にしての単縦陣で戦闘を行う」

 そう前置きしてから、新城は説明を続けていった。

 

 敵艦からの攻撃が開始された場合、牽制も兼ねて此方も砲撃を行う事。

 但し雷撃に関しては旗艦からの合図を待つ事。

 敵艦からの攻撃がない場合、攻撃開始は先頭の旗艦に合わせる事。

 その場合の攻撃は砲雷同時攻撃とし、目標への損害を確認でき次第、可能な限りの全速力で離脱する事。

 旗艦からの合図が確認できない、若しくは合図のあった時点で優先目標への攻撃が困難と判断できる場合、攻撃の判断は各艦毎に行う事。

 味方と逸(はぐ)れた場合、攻撃後であれば可能な限り急ぎ戦場を離脱し、横須賀を目指す事。

 旗艦が轟沈、もしくは損傷により指揮が不可能と判断された場合、長月、磯波の順で指揮権を委譲する事。

 三日月は分隊となった場合の旗艦を継続。

 旗艦率いる隊と逸れた場合、自身の判断で戦場を離脱する事。

 その後の行動目標は同様とする。

 

 一つ一つを確認する度、三日月は頷き、返事をした。

 新城の方も一つ一つの事柄を、勘違いが無いように、簡潔に、端的に。

 確認を取るように、集った全員を見回すようにしながら、作戦について説明していく。

「攻撃の際の第一目標は、戦艦ル級。それ以外の艦を狙う必要は無い」

 目標についても、絶対に勘違いが無いように……そういう意味なのだろう。

 新城が標的とする敵艦を明言した。

「無論、それぞれ状況を確認し狙い難いと判断した場合は、他艦を目標として構わない。その場合、次点での攻撃目標は重巡リ級とする。それと、ル級に関してだが……中破若しくは大破させられれば目的達成とする。撃沈はさせないのが理想だ」

 何故なのかという言葉を新城は口にはしなかった。

「……無論、攻撃が一隻に集中し過ぎてしまうよりは敵への損害が分散した方が良いというだけなので、無理に中大破で留めてやる必要はないぞ?」

 冗談めかした口調でそう言ってから、彼は全員の顔を見渡す。

 実際その通りだった。

 戦艦と重巡を撃沈する事さえ出来れば、そして此方が軽微な損害しか受けていなければ……敵の残存艦が進軍してきたとしても、駆逐艦のみであるならば此方の戦力で十分に足止めが可能だろう。

 とはいえ、それもあくまで希望的観測というものに近い。

 敵に一定以上の損害を与える事を目的とする以上、此方も無傷というのは難しいだろう。

 

 それでも、一息を入れたお陰で少しは緊張が解れていたという事なのか……ほんの少しだけではあるものの、三日月は顔の強張りを解くことが出来た。

 とはいえ気性というものがある。

 真面目な顔をして、返事をしながら頷く事も忘れない。

 そんな彼女の様子を見た新城も、軽く頷いてみせるとそのまま説明を続けた。

「戦闘の継続に関してだが、距離を詰めての砲雷撃でル級に十分な損傷を与えられなかった場合のみ、追撃を行う事とする。十分な損傷を与えられたと判断できた場合、以降は基本禁止とする。攻撃によって仲間の離脱を援護できる場合のみ、一応例外としておくが」

 そう言ってから彼は、それと……と、言葉を追加した。

「ル級を狙い難いと判断し、他の艦を攻撃する場合だが……その場合でも魚雷の方は、可能な限りル級を狙う場合に備えて温存して貰いたい。但し、ル級への損傷が一定以上と判断できた状態で他艦に攻撃の必要があると判断できた場合は許可、とする」

 それで言葉を締め、幾度目になるか……彼は全員を見回した。

 挙手も質問も無く、説明は続く。

 

 旗艦であり単縦陣の先頭を務めるのは、弥生。

 長月、磯波がそれに続く。

 4番に続くのは、何らかの理由で隊が分かれた際に分隊の旗艦を務める三日月。

 その後に、文月、金剛の順で続く一列の陣形で……艦隊は、敵水上打撃部隊に挑む事になる。

 基本的には単縦陣で戦闘を行う予定ではあるが、何らかの理由で二手に分かれる必要が出た場合、前三隻と後三隻で隊を分ける。

 隊を分けた状態での三日月の隊の委譲は、文月、金剛の順とする。

 攻撃は敵艦隊斜め後ろから仕掛け、そのまま離脱するというのを基本方針とする。

 敵艦隊の真後ろから攻撃を開始する場合、先頭以外の艦の射線確保が難しくなる可能性を出来るだけ排除する為だ。

 敵艦隊が此方に気付く等して向かってきた場合も可能な限り全艦が射線を確保できるように動き、それらの攻撃によって十分な損害を与えられなかった場合のみ、戦闘を継続する形となる。

 説明そのものは一度だったが、三日月は頭の中で司令官の言葉を幾度も繰り返した。

 そうしなければ……不安だったのだ。

 司令官の言葉を、確りと覚えているか?

 言葉の意味を勘違いしている部分は無いか?

 そんな自問を繰り返しながら、三日月は作戦内容を頭の中に叩き込んだ。

 司令官の説明が終わり、金剛が水偵での索敵を続け、交代で警戒と小休止を開始した後も、三日月は艦橋で作戦内容を頭の中で反芻し、自身の行動について考え続けた。

 彼女の警戒の順番は後であり、休止も船室か艦橋でと決められていた為、彼女の行動は全く問題の無いものである。

 

 そんな彼女の声を掛けたのは、弥生だった。

「……三日月? 良い?」

 呼び掛けられて、一瞬、自分が呼ばれたのだと気付かずに流しかけて。

「は、はいっ!」

 その事に気付き、三日月は慌てて返事をした。

「すみまセン、三日月?」

 弥生に続くようにして、金剛に声を掛けてくる。

 水偵達が全て出撃中で、連絡や帰還を待っているという状態なのだろう。

 そんな事を考えながら、三日月は姿勢を正した。

「スミマセンが、提督が船室に向かうのを手伝って頂けませんカ?」

「僕としては移動する方が苦労するのだが」

 三日月が何か言う前に彼女達の司令官がそう言って、自身の意思を表明する。

 それに対して金剛が、いえいえと言いながら首を振った。

「それでも、船室の方が休めマスよ? 部下を安心させるのも上官の任だと思って下サイ」

 新城の言葉に金剛がそう返すと、彼は難しい表情は浮かべたものの頷いてみせた。

 それに頷きで返した金剛が、笑顔で三日月の方へと振り向く。

「という訳で、お願いシマスね?」

「え……? は、はい。構いませんが……」

 疑問を感じながらも頷くと、金剛は笑顔で言葉を続けた。

「ワタシは水偵の方に集中しなければ為りませんのデ」

「……でも、連れて行くのなら……」

「……私も、警戒に集中する……から……」

 三日月の言葉を遮るようにして、弥生が発言する。

 

 そう言われた事で、三日月は何となくではあるが……自分にその役割が当てられた意味を想像してみた。

 つまる所、司令官と話し合う事を望まれている、という事ではないだろうか?

 もしかしたら……黙っていたせいで、萎縮していると思われたのかも知れない。

 実際そういう処が無い……という訳でも無いので……全くの間違い、とは言い切れないだろう。

 それで距離を開けさせるのではなく、確りと向かい合うべきと場を用意されたというのは……信じてもらったと考えるべきなのだろうか?

「……ですが司令官は……其れで宜しいのですか?」

 そう尋ねると、新城は少し間を空けてから、構わないと返答した。

 もっともその表情には……曖昧ではあるものの、苦みを感じさせる何かが滲んでいる。

 

 一瞬躊躇いはしたものの、恐らくは自分と同じだろうと考える事で、三日月は緊張を少しばかり軽減する事に成功した。

 つまりはその苦みは、それらを企んだ二名に向けられているのでは、という事である。

「それでは、僭越ながら……お手伝いさせて頂きます」

 そう断りを入れて司令官の傍へと移動し身体を支える。

 堅苦しい言葉を使おうとして変な喋り方になっていないだろうか?

 そんな事を束の間、考えはしたものの。

 三日月は直ぐに、司令官を支える事に意識を集中させた。

 波は然程酷くはないが、それでも外洋を航行する艦は上下以外にも揺れている。

 余計な事を考えている場合では無いのだ。

 正直、司令官の身体の事だけ考えれば心配ではあるが……もう既に決まった事である。

 新城の動きに合わせるようにして、司令官の胴を支えるようにして。

 三日月は歩を進めた。

 司令官が使っていた松葉杖の代わりとなって肩と身体を支え、松葉杖の方は三日月自身が片手で、司令官の邪魔にならないように所持して進む。

 最初は如何やって話をしよう等とも少し考えていた……というか悩んでいた三日月だったが、すぐにそれらの思考も頭の片隅へと追い遣った。

 司令官を安全確実に船室へと考えれば、余計な事を考えている余裕が無かったのである。

 全ては司令官を送り届けてからで良い。

 そう思い定めて。

 大きめの揺れがある度に司令官に呼び掛けながら支え、階段の一段一段を降りる際は身体を持ち上げるようにして、ゆっくりと……衝撃が少なくなるように、司令官が体勢を崩さないようにと考えて……声を掛け力を入れるタイミングを合わせて、動きの補助を行う。

 それらに対して新城は短く返事をするのみだったので、三日月は只、自身の目的に没頭した。

 階段を降りた後も段差などが無いかと気を配りながら、そして司令官を支えながら……三日月は、急がず、それでも可能な限りの早さで、司令官を休ませる為の船室へと歩を進めていく。

 実際、時間にすれば数分ほどで二人は目的地へと到着した。

 

 司令官が寝台では無く椅子の方を希望したので、其方に寄り支えたまま姿勢を低くし……腰を降ろしたのを確認して、松葉杖を受け取り、傍らに立て掛ける。

「ありがとう、助かった」

「いえ、お役に立てたなら何よりです」

 そこで会話は、一応の一区切りとなった。

 声は無くなり、音は外から響く機関や金属の軋み、少し荒く感じられる波音だけとなり……何か言わなければと三日月が口を開き掛けた処で。

 

「君自身の遣り方は間違ってはいないと、僕としては思う」

 先に、新城が言葉を発した。

 驚いた顔をした三日月に向かって、彼は淡々と言葉を続ける。

「まあ先程は、ああ言いはしたが……最も問題を起こさないだろう手段という点で考えれば、謝罪するという選択肢は悪いものではないと思う。無論、過ぎれば一々面倒に感じられてしまうだろうが……そこまで過ぎている訳では無い、というのが僕個人としての印象だ」

 そう言われて、少し安心して。

「……はい、ありがとうございます」

 三日月は素直に礼を言った。

「気にし過ぎて萎縮する程であれば、無理に気にするべきではないというのが、個人としての僕の意見だ……いや、違うな。司令官としての、というべきか」

「……司令官としての、ですか?」

 三日月が尋ねると新城は、そうだと頷いてみせた。

「極端な言い方をすれば、其方を気にしている余裕など無い、という事になる」

「……任務に集中すべき、という事ですね?」

「そうだ」

 今度はその後に言葉は続かなかった。

 そこで解りましたと言えば、この話は終わりになるのだろう。

 三日月はそう考えた。

 つまりは選択肢を自分に与えてくれた、という事ではないだろうか?

 そうも考えた。

 そこで……少しだけ時間を掛けて。

 更に、考えて。

 

「宜しければ、司令官の……その、個人としての意見を聞かせて頂いて、宜しいでしょうか?」

 三日月は、そう踏み込んだ。

 不安は当然のようにあった。

 恐怖というには大袈裟かも知れないが、怯えるような気持ちもあるのは……事実だった。

 それでも、そうすべきだと考えたのだ。

 司令官の視線が、三日月へと向けられる。

 どこか感情を感じさせない眼が、何かを見透かしているように感じられて怖かったが、三日月は視線を逸らさずに真っ直ぐに、その眼に自分の目を向けた。

 

 やはり、少し間を置いて。

「あくまで僕の考えだが……」

 以前にも口にした事があると思うが、と。

 そう前置きして。

 

「容易に謝罪するという行為は、自身の卑下に繋がる。僕はそう考える」

 新城はそう切り出した。

「それは、君を私を尊重し大切に思う者達の心を踏みにじる行為に他ならない」

 そう言った後で、彼は表情を崩した。

「勿論、だからといって、無闇矢鱈と自己を主張し問題と諍いを起こすべき……等とは、僕も考えていない。こう言うと辻褄が合わないように思えるかも知れないが、要は出来る範囲での最善を模索すべきだ、という事だ」

「……最善を、模索する」

 確りとは理解できず、殆ど鸚鵡(オウム)返しのような調子で言葉を発した三日月に対して。

 新城は静かに頷いてみせた。

「問題が発生しない事を最優先とするにしても、見下され侮られれば逆の意味で問題が発生する事になるかもしれない。だが侮られないようにと振る舞えば……結果として相手を煽る事になる可能性もある」

「……はい、解ります」

 言われれば真にその通りだと思え、三日月は素直に頷き、肯定の言葉を返した。

「ならば問題の発生しない事を優先しつつ、その範囲で自己主張をする事で、自分を肯定してくれる者達の想いも尊重するというのは……容易では無いだろうが、不可能でも絵空事でもない。言ってしまえば、一石二鳥や二石三鳥、四鳥を狙う行為だ。狙ってみても悪くは無い。そう思わないか?」

「はい。そう言われると、実際にその通りだと思います」

 三日月の心境は、本当にその通りだった。

 難しい事だと考えていたのに、言われてみると……頑張れば何とか出来るのではないか?

 そんな風に思えてきたのだ。

 もっとも、実際にそのような場面に出会(でくわ)せば、如何すれば良いか分からずに混乱してしまうのでは無いだろうか、という思いも湧いている。

 戦闘などでは、いざという場面では落ち着けている気はするものの……だからといって場面場面で何かが閃く、などという性質では無いのだ。

 その事は自身、自覚し理解しているつもりである。

 だからこそ、それらの場面に、状態に陥った時の為に……予め想定し、対策を練るべきだという思いがあるのだ。

 

「……まあ、自分を大切に想ってくれている者を尊重する……と言っても、どのように尊重すべきか? というもの個人だけでなく、状況によっても異なってくるとは思うが」

 少し話の方向性が変わったような気がしたものの、こちらも頷ける言葉だったので三日月は頷き、はいと答えた。

 司令官がそのまま、相手を尊重するという行為についての案を挙げてゆく。

 相手に迷惑を掛けないように、そして相手の周囲により良い結果が齎(もたら)されるよう努めるべきなのか?

 それとも、相手の想いを何より大切にすべきか?

「どちらを大切にすべきかは相手によって異なるだろう。無論、常に選択肢があるとは限らない。一方を選べないという場合もあるし、或いはそれらとは全く違う何かを大切にしなければ為らない事もある」

 そこまで言ってから一旦言葉を区切ると、新城は続きを口にした。

「……どうであれ、それらを諦めたくない、というのであれば……結果を出す為に、過程を考えるしかない」

 そしてそれらは……瞬時に、即座に、出来るという類のものではない。

 余程の天才でもない限り。

 彼はそう続けた。

 つまりは常日頃から、考察し、模索し、積み重ねていくしかない、という事だ。

 出来なければ、出来るようになるまで続ける。

 上手く行かなければ、失敗してしまうのであれば。

 上手く行く手段を考えるしか無い。

 繰り返す事が可能なのであれば。

 上手く出来るまで、成功するまで、続けるしかない。

 

 新城は三日月の眼を見据えて、そう説明した。

 もっともそれは……どちらかと言えば呟きに近く、まるで自分に言い聞かせてでもいるかのように三日月には感じられた。

 もっとも、例えそうであったとしても……その事は、三日月にとって重要な事では無かった。

 彼の、司令官の言葉は……少なくとも、今の三日月にとって、大事な言葉だったのだ。

 見上げて愕然とするのではなく、一歩ずつ進んでゆく。

 そう考える為に、思い定める為に、必要な言葉だったのだ。

 言ってしまえば、その言葉は三日月にとっての道標だった。

 極めて現実的な言葉でありながら、先を見据え、歩んでゆく為に必要なものだった。

 単純で簡単で意外性の無い、ごく当たり前の意味の言葉なのかも知れない。

 それでも、だからこそ。

 形にして、自覚しなければならない。

 意識しておかなければ為らない言葉だった。

 

 そして……この後に続いた言葉も、三日月にとって必要な、大事なものだった。

「勿論、だからと言って全てにそう有るのは不可能だ。時間、思考の速度、深度、複雑さ……何もかもが足りなくなる。だからこそ、自分の中で優先すべきものを決めなければならない」

 新城は、三日月の司令官は、そう続けたのだ。

 それらの意味する処も、三日月には十分理解できた。

 考えようと思えば、何でも考える事は出来る。

 けれど、それをすれば確かに……

 何もかも、かは解らないけれど……少なくとも時間は、足りなくなるのだ。

 何かを考え悩んでいる内に時は過ぎる。

 容赦なく経過し、過ぎ去ってしまう。

 そうやって……

 考えている事象そのものの結果が出てしまう、終わってしまうのだ。

 そんな事は今までにも、幾度もあった。

 だからこそ、続いた言葉にも素直に同意した。

「自分の全てが有限である以上、それを見極め、内訳を決定しなければならない」

 言葉そのものは複雑であるのかも知れないが、簡素でもあった。

 少なくとも時間に限って言えば、時間内で出来る事、やるべき事を自分で判断し決めろ……という事だ。

 或いは先にやらなければ為らない事を、順番を決めろ、という事だろう。

 とはいえそれらをじっくり考える時間があるかは分からないのである。

 悩み逡巡する事は贅沢で、考える時間すら惜しまなければ為らない……そんな時すらあるかも知れない。

 

 実際、続けて言われたのは、そういう事だった。

 優先順を決めて順に振り分けていける時もあれば、最優先は何かすら定めきれない時もある。

 それでも、より良い結果を得るために可能な限り意識を向け、思考を傾ける。

「……そうやっていれば、考えようとしなくても考えられるようになる」

 新城はそう言った。

「個々の差はあるにしても、全く出来ないという事は無い。大半の物事は程度の差はあれ、慣れる事ができる」

 彼はそう断言して、一旦言葉を切った。

 その時、彼が浮かべた表情が何を意味したものであったのか……三日月には分からなかった。

 笑っているようではあったが、何処か投げやりにも感じられた。

 それでも……何かが溢れてしまいそうな程、顔には何かが満ちている……そんな風にも感じられたのだ。

 それが何を意味するのか……欠片すら推測できないうちに、言葉が発される。

「……自身が天才であると、心の底から信じられるので無い限り……そうするしか、ない。それが僕の考えだ」

 それが、先程までの説明を締め括る言葉だった。

 

 

 天才でない限り、出来るまで繰り返すしかない。

 それが出来ないなら、出来る範囲でするしかない。

 つまりはそういう事なのだろう。

 

 それは、少し前に言われた言葉とよく似ていた。

 特に珍しくもない、聞いた事のある普通の言葉だ。

 けれど、それこそが自分に必要なものなのだと三日月には解り始めていた。

 

 特別な事だったら、多分きっと……自分には出来ない。

 出来る出来ない以前に分からないかも知れない。

 理解すら出来ないかも知れないのだ。

 特別でない普通の事だから、理解できる。

 行う事もできるのだ。

 ならば後は……出来るまで続けられるか、如何か?

 それだけである。

 細かく言葉にするのであれば、出来るまで続ける、という行為が……出来るか如何か、だ。

 それらを判断し、出来ないなら出来る範囲でする。

 言葉だけならば容易いが、実際にするとなれば……決して容易な事では無かった。

 もし容易な事なのであれば、もっと多くの者達が……成功という結論と意識へと辿り着けている筈なのだ。

 それでも……困難ではあっても、決して不可能ではない行為、目標の筈だ。

 三日月がそう考えていた処で、新城が再び言葉を発した。

 

「もっとも努力の結果としてそれが出来るようになれば……今迄の自分を失う事になる。新たに何かを得られる……という訳では無い」

「……すみません、それは……つまり……?」

「何かを得れば『それを持っていなかった今迄の自分』を失う、という事だ」

 その言い回しを、三日月は何らかの形で耳にした事があるような気がした。

 何処と結論は出せないが、未知の言葉でない事は間違い無い。

 意味する処も、何となくではあるが理解できた。

 それでも……あくまで理論のみ、という感覚しかない。

「……すみません、理屈では……何となく分かるのですが……」

 これまでとは違い、腑に落ちるような……実感が伴ってこない事で不安になって、三日月は司令官へと問い掛けた。

「知る事で逆に、迷う事もある筈だ」

 それに対して……少なくとも表面上は不快さなど欠片も見せずに、新城は丁寧にそう口にした。

「知るからこそ選択肢が生まれる、というのであれば……知らないという事は、ただ一つの道を進むという事である」

 無論その道が必ずしも成功に続くとは限らない。

 だが、余程に困難な目標でもない限り、成功の道筋が一つきり等という事は有り得ないだろう。

 新城はそう言葉を続けた。

「例えば二つの道があり、どちらも成功に続くのであれば……分かれ道で逡巡する事は、只の時間の浪費という事になる」

「道が一つしかなければ、そもそも迷わないという事でしょうか?」

「そうだ」

「道が一つなのに……その道を進みながら迷う、という場合は如何なのでしょうか?」

 その場合は、諦めるという道があるという事だと新城は口にした。

 その時だけ彼の顔には、これまでと違う何かが浮かんだように感じられて、三日月はそれ以上は何も口にしなかった。

 新城の方も直ぐに口元を歪め、それを隠す為か、考え事をする時の癖なのか、手を顎の上辺りに落ち着かせ……少し間を置いて先程の話を再開する。

「何かを知るという事は、成功への道筋を増やすのでは無く、失敗の可能性を減らす事の方が多い……僕としては、そう考えている……もしかしたら、悲観主義者の考えなのかも知れないが」

 そこで少し間を空けてから……それでも僕としてはそう考えるのだ、と。

 新城は説明した。

 

 選択肢が増えれば、比較する事が可能になる。

 二つあるというのは、単純に倍になったというだけではないのだ。

 今まで有った一つの全てを、もう一つと比べる事が可能になる、という事である。

 勿論その比較という行為が瞬間で終わらない以上、経過した時間は見方によっては、迷いや逡巡、浪費と呼ばれる事になる。

「そう言えば……先程の、道が一つで進みながら迷う、という件だが……」

 思い出したように新城が口にした。

「進むうちに別の道が見えてくる場合もある。寧ろ、新たな情報が入れば選択肢が増えるという状況の方が自然だ。選択肢が最初の一つきり、等という方が……却って有り得ないかも知れない」

「それは……はい」

 自身に合った考え方という事なのか?

 たった今、新城が口にした言葉は……三日月の内に抵抗なく入ってきて、自身の心に確りと当て嵌まり噛み合わさった。

 戦闘等でも、よくある事だ。

 事前の情報を基に戦闘を開始し、敵との距離が詰まり視認できる状態になり、実際に敵の動きを見て、此方の動きに対しての反応を確認すれば……意識しなくとも情報は追加される。

 こう動いた方が良いのではと選択肢が増える場合もあるし、事前の計画通りで問題ないと判断できる場合もある。

 そうやって行動を変更しなかった場合でも、情報を得る前と後では、意識が全く違う場合も多々有るのだ。

 このままで問題ないと思える、というのは……考える以上に気持ちが楽になるのだ。

 その逆も想像できた事で、三日月は先刻自分が司令官に言われた話の内容に納得できた。

 ただ懸命に砲雷撃の訓練を行っていた自分と、分隊旗艦としての動きを考えて味方や敵の動きについて頭を悩ませた結果、今迄自分が積み重ねてきた訓練の結果さえ……不安になり自信が持てなくなってしまった自分を思い出したのである。

 

 唯、自分の置かれた立場を理解して全力を尽くすだけだった頃には、見えず……つまりは悩まず不安にも為らなかった自分。

 割り切れていた自分が……立場が変わり、意識して……考えた結果……見る範囲が、意識する範囲が広がった結果、悩み……割り切れずに心配し続ける……そんな風になってしまったのだ。

 実際に戦闘に入れば不思議と気持ちは定まるのだが……そうなるまでは決心しても悩み続け、迷ってしまうような……そんな自分になってしまったのである。

 恐らくは旗艦を外れたとしても、以前のように考える事は出来ないだろう。

 そう考えれば、以前の自分を失ったという考え方は……今度は、しっくりと……三日月の中で噛み合った。

 その点に関しては……正直、不安はある。

 誰かの指揮下に入った時、分隊の旗艦としてでなく、一隻の艦として、確りと役目を果たせるだろうか?

 余計な事を考えて行動が遅れたりしないだろうか? ……そんな事を考えてしまうのだ。

 そう言う意味では……

 つい先程の、知るという事が一概に良い事だと言えない……という話も、腑に落ちると言うか……

 ほんの少し前は違和感があったのに、今は……不思議なほどに納得できた。

 

 知るという事が選択肢を増やす事に繋がるのあれば……無限という単語が比喩で無いくらいに、それらは増え続ける可能性があるのだ。

 無論、増えた分だけ単純に選択に掛かる時間が増える、という事は無いだろう。

 それでも、絶対に……選択肢が増えた事で掛かる時間が減る……という事は……

 絶対に、無い筈だ。 

 それらに費やしてしまう時間や思考は、以前表現したように……時間の浪費や迷い、逡巡と呼ばれても仕方ない、と思えてくる。

 本来ならそれらの呼称は多くの場合、辿り着いた結果によって決定される筈だ。

 だが、結果が良しと出たとしても……経過が長過ぎたり無駄が多ければ、無意味や無駄と呼ばれてしまうのだろう。

 

「……それでも、考えるべきだというのが僕の考えだ」

 次の瞬間、新城の口から発された言葉を受けて……三日月は、比喩でも何でもなく、瞬間だけとは言え息が止まるような気持ちを味わった。

 自分の考えていた事が、全て察されたのだろうか?

 或いは無意識に口に出してしまっていたのか?

 そんな考えが次々と沸き上がってくるのと同時に、羞恥の想いで顔が熱くなる。

 もっとも、その感情は本当に一瞬だけしか続かなかった。

 目を向けた新城の姿が、先程までと全く違わないように見えた故である。

 直前までの感情が嘘と思える程に、まるで戦いの直前の……あの時々のように。

 胸というか腹の内の何かが腰を据えたような、頭が冴え渡りでもするかのような……そんな感覚を味わって……

 三日月は、先程までの会話を振り返った。

 進むうちに別の道が見えてくる場合もある。

 寧ろ、新たな情報が入れば選択肢が増えるという状況の方が自然だ。

 選択肢が最初の一つきり、等という方が……却って有り得ないかも知れない。

 先程、司令官はそう言ったのだ。

 それでも、迷う事になったとしても……考えるべきだろう。

 迷い無く進むより、迷い模索する事を良しとする。

 そういう意味……なのでは、ないだろうか?

 

「……まあ、僕にはそれしか出来ない、というのもあるが」

 天才でないが故に。

 そんな含みも感じさせる何処か自虐めいて見える笑みを浮かべながら、新城が言葉を続けた。

 だからこそ……考える事を、選択する事を、訓練し続けるべきだ。

 優先すべきものに意識を向け、思考を傾け、より良いと考えられる結果の為に、過程を考察する。

 最優先で無いものでも必要であれば、思考の一部なりを割いて考えるべきだ。

「僕は、そう考える」

 そう言って、一度言葉を区切ってから。

 そして……と。

 新城は言葉を続けた。

 

「……そうでないものに関しては、別段、如何しても良いだろうと思う」

「……え?」

 これまでとは違い、本当の意味で真っ直ぐな形で。

 三日月は、感情の発露を行った。

「優先すべきでは無いと思える物事に関しては……君の遣り方で別段問題無いだろう、という事だ」

 至極当然とでも言うような表情で彼女の司令官が口にする。

「そ、それは……」

「驚く事ではない。つい先程も言った事だ」

そう口にした時の新城の顔は、それまでとは少し違っていた。

「……君の遣り方は、決して間違ってはいない。自分のせいで周りに迷惑が掛かるのが嫌だというのであれば、譲るというのは戦術、作戦の一つだ。その譲る物、何かが……少なくとも君自身にとって、大きな損を齎さないというのであれば、尚の事だ」

 そこで一息吐(つ)いてから、新城は、ただ……と、続けた。

「全てをそうするのは、個人的には楽をし過ぎではないかと、僕個人としては考えただけだ」

「……それで……あくまで司令官の考えだから、と念を入れられたんですね?」

「そうだ。もっとも……大きく間違った意見だとは思っていない」

 三日月の言葉を肯定しつつも、新城はそう続けた。

「世の厄介事の総てを避けられるならば避けた方が良い、が……全てを避けられるとは僕には思えない。だからこそ、避けられない場合を想定しての訓練、つまりは経験をしておく……まあ一言で片付ければ、悲観主義という表現になるのだろうが」

 そう言ってから……頭の中で纏めようとしているのか、少し考え込むような仕草をした後で。

 新城は三日月へと視線を向け直した。

 

「必ずしも全てに当て嵌まる訳では無いが……リスクを避ける事に慣れてしまえば、次第にそれが普通になってくる。そうなれば、危険に対して過敏に反応する事になるかも知れない」

「それは……はい、確かにそう思います」

 三日月が頷くのを確認すると、自身も同じように首肯してから、彼は続けた。

「慣れない事をしなければ為らないというのは、それだけで一寸したプレッシャーになる。少なくとも僕はそうだ。君は?」

「……はい。正直に言えば、私もそうです」

 全くと言って良いくらいに同じように頷くと、新城も同じように頷いてみせた。

「まあ、少なくとも……等という言い方はしたが、どちらかと言えばそういう者の方が多数派だろうと思う。然程、気にする必要は無い」

 自分は余程に落ち込んだ顔をしていたのだろうか?

 そんな事を考えて少し落ち込みつつも、考えてみればそう見えて気を遣われたからこそ、自分はこうして司令官と話しているのだ……と、妙な納得をして。

 三日月はそのまま司令官の言葉に耳を傾けた。

「兎角、そうならない為に。必要以上に緊張しないために、慣れておくというのは大事なことだ」

 それに、と。

「平静でいられなければ普段では有り得ないような判断ミスをするかも知れないし、そういった面に関しての感覚が鈍っていれば……困難や問題を推測する段階での情報収集や判断で誤りを犯すかも知れない」

 新城はそう付け加えた。

「選択に時間が掛けられない場合であれば、間違える可能性は更に高まるだろう。そのような失敗を、失態を、犯さない為に……無用の諍いや問題を呼び込むというのは避けるにしても、そうでないものに関しては……時には踏み込んでみるべきだ、というのが僕の考えだ」

 

 そう言って話を締め括るかのように口を閉じかけて……彼は直ぐに、付け加えた。

「ああ、勿論の事だが不用心に為れとか危機に飛び込めと言っている訳では無い。今迄は選んでこなかったが、決して間違いでは無いと考える選択肢を、選ぶという行為は……絶対とは言い切れないが悪くない経験にはなるだろう、という意味だ」

 無論そういった選択肢を選ぶ場合も、可能な限り推測をし準備を行ってから踏み込むべきだろう。

 思い付きで無茶をしろと言っている訳では、決して無い。

 そう言って、今度こそという感じで。

 彼は言葉を終え、口を閉じた。

 確りとした言葉での返事は出来なかったものの、三日月は話された言葉を、意味する処を、噛み砕いて理解しながら、頷いた。

 つまりはそういった事を考えて、判断し、決断して行動する事も鍛錬だという事だ。

 戦闘とは違う訓練を、鍛錬を、日常の中で行っていく……そういう事なのだろう。

 問題を起こさないように、避けるように、対処し続ければ……それが上手く行かなかった時……本来以上の不安を感じ、冷静な対処が出来ないかも知れない。

 動揺して判断を誤るかも知れない。

 そういった事を避けるには、時には実際に対処を行ってみた方が良い。

 但し、そういった事を行う場合は、十分に想定や推測を行い、可能ならば準備を整えて事に当たるべきだ。

 決して思い付きで行っては為らない。

 ……そのような感じだろうか? 

 一々確認して怒らせてしまったり不快な気持ちにさせてしまわないだろうかと不安に思いはしたものの……間違って自身の推測や判断が間違っていた方が、余程に失礼だし迷惑を掛けてしまうだろうという結論を出して。

 三日月は勇気を振り絞るようにして、自身の考えを……自分の司令官に、新城へと、告白した。

 不安を通り越して、恐怖のようなものすら感じるような……そんな気持ちになりながら……

 自分に向けられる新城の瞳に、思わず視線を逸らしてしまいそうになりながらも……

 その方が失礼だし、何より司令官に対して後ろめたい気持ちを抱いているように見られてしまうかも知れない……そう、自身に言い聞かせて。

 途中で言葉を途切れさせたり、表現に迷って似たような言葉を繰り返してしまったり……そんな事をして、申し訳なさと恥ずかしさに塗れながらも……三日月は何とか目的であった、自身の考えを司令官に説明するという作業を完了させた。

 最後の方は慣れてきたのか、最初や途中ほどの不安や恐怖は感じなかった。

 司令官が待ってくれたり、頷いてくれたりしてくれたお蔭だろう……三日月がそう考えたのは、船室を後にしてから自身の言動について振り返った時であって、この時の彼女は唯、自身が何とか言いたい事を自分なりに表現し終えた事への安堵だけで一杯になっていたのである。

 新城が頷き、概ね間違っていないと肯定してくれた事もあって、この瞬間に限っての三日月は、それ以上の何も望んではいなかった。

 一方、三日月の言葉に肯定を返した後で新城は、彼女へと助言するように言葉を繋げた。

「先程も言ったが、君の遣り方は間違ってはいない。僕が言った事を将来への布石とするならば、君の遣り方は、いざという時の為に余力を残す事を重視しているというだけの事だ。それは重要な事だ。未来に備えていても現在を見据えなければ、それらは現実を踏まえない理想主義、夢物語というだけで終わる」

 

 余計な行動や思考の結果、本当に必要な時に力が尽くせない……等という事になれば、残るのは後悔だけだろう。

「そうならない為に、力を蓄える時も必要なのだ。楽をする、というのは……或いは意識して心を休ませる事になるのかも知れない」

 そう言った上で新城は、とはいえ……と、続けた。

「全てと言っていいくらいに、多くの物事には……万全の状態では当たれない。それでも投げ出す訳には行かない……そんな事は幾らでもある。熟考できる時もあれば、瞬間、僅かな間でありとあらゆる全てを判断し、全力以上のものを振り絞らなければ為らない時もある。最悪の中で、それでも最善を希求する、というのは……つまりはそういう事なのだ」

 結局は、出来る範囲で間に合わせなのかも知れない。

 人生というものは、乗り越えるという事は……つまる処は、そうなのかも知れない。

「だが、それらが果たして悪い事であるかと問われれば……絶対に違うとまでは断言できない。僕としては、そう思う」

 曖昧な表現であったが、その言葉が締め括りとなった。

 三日月がそう思った時だった。

 

「あと、これは……より個人的な見解になるが……」

 新城は最後に、そう付け加えた。

 口にしてから……迷うかのように少しばかり目を泳がせ、やや俯き、口元を何か呟くように動かした後……彼は、真っ直ぐに三日月へと向き直った。

「……自分の責任逃れの為に誰かのせいにするのと、誰かの責任にさせたくない為に自分のせいにする、というのは……全く違うと言う者は多いかも知れない。が……」

 そこで言葉を切り、暫く口籠もった後……彼は絞り出すように口にした。

「……結局のところ、同じだ……と、考える者がいない訳では無い。そういう事だ」

 

 

「それは……」

 三日月は口を開きはしたものの……それ以上は、言葉を続けられなかった。

 自分は、あまり空気が読めない、察しが悪いと考えている彼女ではあったが……そんな自分であっても即座に理解できるくらい……その言葉は、分かり易かった。

 固有名詞は挙げられていない。

 それでも……そう思う人物が、結局のところ同じだと考える者の一人が……司令官なのだろう、という事は容易に想像できた。

 自分だと言わないのは司令官なりの心遣いなのかも知れない。

 それでも、三日月としては……寧ろハッキリと言って欲しかった。

 それならば向かい合う事ができる。

 面と向かって言われるのであれば、謝る事ができるのだ。

 そう考えてから、自分はそれがいけないのだ……と、思い……嫌になった。

 

 ああ、これがいけないのだ。

 これを堪えなければならないのだ。

 これを抱えていかなければならないのだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 辛くないと言えば、嘘になる。

 それでも……司令官の顔を見て、自分の考えは間違っていないと実感する。

 言った側も辛いのだ。

 寧ろ……司令官の方が苦しいのでは?

 嫌な気持ちになっているのでは?

 そう思う。

 それほど親しくは無いし、詳しくも無いけれど……三日月なりに、司令官の事は知っている。

 無自覚に無神経に、誰かを傷付けるような人では無いのだ。

 知っていて、それでも……口にしたのだ。

 口にしてくれたのだ。

 ならば自分は……それに応えなければならない。

 

「……有り難うございました、司令官」

 そう言って、礼をして。

 このまま、椅子に座ったままで良いと言う司令官に返事をして、回れ右をする。

 扉の方に向き直ったところで。

「僕の考えが、絶対的に正しい。という訳では無い」

 背後から声が掛かった。

 

「君は間違っていない。そして、君だけでは無いのだ……僕に言えるのは、それだけだ」

 

 その言葉に、上手く反応できなくて……

 思わず意味不明な単語を発し、振り返ろうとした処で、制止の声が掛かる。

「その侭で良い」

 その一言に、制止だけではない様々な何かを感じている内に。

 司令官の言葉が発される。

「生きてきたなら過去が有り、生きてゆくなら未来がある。そして結局のところ……」

 そこで再び呼吸するような音が背後から聞こえてきたが、今度は直ぐに言葉が続いた。

「自分に対して何かが出来るのは……自分だけ、という事でしかない」

 

 それで言葉は終わりらしかった。

 さあ、行け……と。

 背後から言葉が掛けられる。

 背を向けたままでは、礼も出来ない。

 だから……

「有り難うございました……失礼、します」

 背筋を伸ばして、そう言って。

 三日月は船室を後にした。

 部屋を出てから回れ右をし、扉を閉める。

 その時だけ三日月は、こっそりと……司令官の姿を、盗み見た。

 新城は、椅子に腰掛けた侭の格好で、背筋を伸ばし……三日月の方を見ている。

 こっそりと見ようとしたのが恥ずかしくなって……

 上下として、ではない礼をしたくて。

 三日月は、深々と頭を下げた。

 素早く、但し音が立たないようにと気を付けて、金属製の扉を閉める。

 

 後悔や恐怖、申し訳なさ、自己嫌悪……様々な感情が自分の中で混ざり合い、暴れ回っているような……そんな気持ちだった。

 それでも……話すべきでは無かった、とは思わなかった。

 話して良かったという思いは絶対で、知らなければ楽だったろう……という気持ちは、無い訳ではなかったけれど……それでも知るべきだった、という気持ちの方が大きかった。

 

 

 今、沈む事になっても後悔は無いだろう。

 一瞬だけ、そんな事すら考えたものの……即座に、それは狡いと思い直す。

 もう次の瞬間には、三日月の気持ちは変わっていた。

 悔いが無い、なんて嘘だ。

 恐怖に似た感情や不安もあるけれど、それでも……もっと、と思う自分がいる。

 もっともっと……一緒に戦いたい。

 いっしょに、居たい。

 

 司令官の下で。

 司令官の許で。

 その道を、この海を。

 共に行きたい。

 

 その後を、ずっと追って……往きたい。

 生きたい。

 

 そんな気持ちを、胸に抱いて。

 三日月は艦橋へと足を向けた。

 

 

 

 


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