――息を呑む。
それは、あまりにも非現実な光景だった。
消し取られたかのように破壊された町並み。
隕石でも落ちてきたとしか思えない、巨大なクレーター。
傍らに佇む、幾つもの人影。
全てが夢か幻としか思えない。
けれども士道は、そんな異常な世界を、朧気にしか見ていなかった。
――そんなものよりも遥かに異常なものが、士道の目の前にあったからだ。
それは、少女だった。
奇妙な闇のドレスを纏った少女が一人、立っていた。
「ぁ――――」
嘆息に、微かな声が混じって消える。
他のどんな要素も不純物に成り下がってしまうくらいに、その少女の存在は圧倒的だった。
金属のような、布のような、不思議な素材で構成されたドレスも確かに目を引いた。
そこから広がった闇のスカートも、気を失うほどに綺麗だった。
しかし彼女自身の姿容は、それすらも脇役に霞ませる。
時計の短針と長針のように、異なる長さに纏められた一対の闇色の髪。
物憂げに伏せられるは、何とも形容しがたい異なる色を宿す一対の双眸。
女神にさえ嫉妬を覚えさせるであろう貌を悲しみに歪め、静かに唇を結んでいるその様は。
視線を、
注意を、
心をも、
――一瞬にして、奪い去った。
それくらい、
あまりにも、
尋常でなく、
暴力的なまでに、美しい。
「――君、は……」
呆然と。
士道は、声を発していた。
瀆神としてのどと目を潰されることすら、思考のうちに入れて。
少女が、ゆっくりと視線を下ろしてくる。
「……愚かな、方」
心地のいい調べの如き声音が、空気を震わせた。
しかし。
「――本当に、愚かな、方」
どこか悲しげに、少女は言った。
「――――っ」
そのとき。
二人の目が交わり――五河士道の物語は、始まった。
目覚めは爽快とは言い難かった。
窓の外はまだ暗く、更に、この季節にも関わらず寝汗をかいていた。
――そして。
「――何だったんだ、今のは……」
思わず独り言ち、左手でこめかみを押さえる。
カチャ
「おにーちゃん、朝だよー…」
ドアが静かに開けられ、長い赤髪を後ろで2つ纏めた少女が顔を覗かせた。
愛くるしい少女の顔を見た瞬間…
「……っ!」
頭を杭で打ち付けられたような、鋭い痛みに襲われた。
「あれ、起きてる!」
電気を点け、両手を腰にあてる。
「もう、今日は私が起こすんだから、おにーちゃんはちゃんと寝ててよ!」
こめかみに強く手を押し付ける。
そうだ、この、少女は…
「…無茶言うなよ、琴里」
妹の、琴里だ。
「せっかく、新しい起こし方を…」
琴里は、言いかけた言葉を途中で止めると、ドタドタドタと駆け寄り、俺に顔を近づける。
「な、なんだよ…」
「――おにーちゃん、泣いてる」
―――え。
右の人差し指を目の下に当てる。
「――なんだこれ」
涙のしずくは、たちまちに指を濡らし、腕の甲まで流れ落ちていく。
せきを切ったように流れ続ける涙に軽くパニックになっていると、
――ふぁさ
柔らかい感触が顔を覆った。
「こわいのこわいのとんでけ!」
耳のすぐ後ろに妹の声が響く。
「――ぷっ」
堪えきれずに吹き出す俺。
「あー、なんで笑うんだー!」
「あはは、今時こわいのとんでけ、は無いだろ」
そう言って大笑いする俺に
「もう、おにーちゃんのバカー!」
琴里も、笑いながらポカポカと拳を振るってきた。
――4月10日
時計の日付をもう一度見る。
着替えると言って琴里を下ろした後、日付を確認した。
違和感。
何か、大事なことを忘れている気がした。
「あー…」
頭をかきながら、階段を降りてリビングに入った。
「おにーちゃん!おなかすいたー!」
欠食児童のようにテーブルをばんばん叩く妹。
「悪い悪い。すぐ朝飯準備するから。」
そう言って、テーブルに置いてある新聞の日付を確認する。
…何を気にしてるんだ、俺は。
軽く頭を振ってから、冷蔵庫から卵を取り出した。
『――今日未明、天宮市近郊の――』
「ん?」
いつもはBGMくらいの役割しか果たさないニュースの内容に、眉を跳ね上げる。
「結構近いな。何かあったのか?」
目を細め、画面に視線を送る。
画面には、滅茶苦茶に破壊された街の様子が映し出されていた。
建造物や道路が崩落し、瓦礫の山と化している。
まるで隕石の衝突か空襲でもあったのかと疑いたくなるような惨状だった。
そして、その中心には、闇のドレスを纏った少女が…
「っ―――」
右手でこめかみを抑える。
そんな少女は画面の何処にも居ない。
「空間震か。最近ここらへん、妙に多いな」
「…んー、そーだねー。ちょっと予定より早いかなー」
そう言って、琴里はテーブルから離れ、ソファに上体を預ける。
「早い?何がだ?」
「んー、あんでもなーい」
首を傾げる。
あれだけ騒いでたのにもかかわらず、テーブルから離れる琴里に違和感があった。
それに、今のくぐもった声。
無言でテーブルを迂回し、ソファにもたれかかった琴里の側に歩いて行く。
琴里もそれに気づいたのか、俺が近づくにつれ、徐々に顔を背けていく。
「琴里、ちょっとこっち向け」
琴里は無言のまま、限界まで首を反対側に曲げている。
「てい」
「ぐぎゅっ」
琴里の頭に手を置き、ぐりっと方向を転換させる。
―やっぱり…
「こら、飯の前にお菓子食べるなって言ってるだろ」
「んー!んー!」
口に加えたチュッパチャプスを引っ張るも、琴里は唇をきゅっとすぼめて抵抗してきた。
変な筋肉に力が掛かっているのか、せっかくの可愛らしい顔が人様に見せられない状態になっている。
「……ったく、ちゃんと飯も食うんだぞ?」
1つ息を吐くと、琴里の頭をぐりぐりやって、台所に戻る。
「おー!愛してるぞおにーちゃん!」
適当に手を振って、朝ごはんをテーブルに並べていく。
「琴里、もう出来たぞ」
はーい!と元気な声を出してテーブルにつく琴里。
「…そういえば、今日は中学校も始業式だよな?」
「そうだよー」
「じゃあ昼時には帰ってくるってことか……昼飯にリクエストはあるか?」
琴里は、んー、と思案するように頭を揺らしてから、しゃきッ、と姿勢を正した。
「デラックスキッズプレート!」
俺は姿勢をまっすぐにし、上半身を45度前に傾ける。
「当店ではご用意できかねます」
「ええー」
フォークに突き刺したソーセージを揺らしながら、不満そうな声をあげる琴里。
「…ったく、仕方ないな、せっかくだから昼は外で食うか」
「おー!本当かー!」
まあ、始業式の日くらい贅沢しても良いだろう。
「おう。んじゃ、学校終わったらファミレスで待ち合わせな」
そう言うと、琴里は興奮した様子で手をブンブンと振った。
「絶対だぞ!絶対約束だぞ!地震が起きても火事が起きても空間震が起きてもファミレスがテロリストに占拠されても絶対だぞ!」
テーブルに食べかけのソーセージがポーンと飛んでくる。
「いや、占拠されてちゃ飯食えねえだろ」
振り回されたフォークから飛んだソーセージを自分の口に運びながら答える。
「あー!それ、私んだぞ!」
「食べ物を粗末に扱う子にはあげません」
うー!と唸る琴里の口に、自分の皿から取ったソーセージを放り込む。
「うにーやん!」
「そんな興奮しなくても、ファミレスにはちゃんと行くから。後、食べてから喋りなさい」
黙って、もぐもぐとソーセージを咀嚼する妹。
「…絶対だぞー!」
「はいはい、わかったわかった」
俺は軽く伸びをして、窓を見た。
外はすっかり明るくなっていて、空は晴れ渡っていた。