「良かった、今日は会えないと思っていました」
物理準備室の奥で不思議な容姿の女性を見つけた俺は、そう呟いた。
登校すると、下駄箱に物理準備室で待っている旨の手紙が入っていたのだ。
「それにしても、どうして物理準備室なんです?」
俺は一つ礼をして、女性が指し示した椅子に腰掛けた。
「……登校中は監視されていたからな」
女性は、俺の前のテーブルにコーヒーを置きながら答えた。
「まさか、琴里のやつが見てたとでも言うんですか」
俺は冗談めかして言いながら、女性の前に置かれたコーヒーカップを見る。
今日は、まだ若干であるがコーヒーの色をしていた。
「……その通りだ」
案外冗談が通じる人なのかもしれない。
「……昨日の話の続きだが」
「ちょっと待ってください」
話を進めようとする女性に、俺は先日と同じように、左手を向けた。
「その前に自己紹介しません?俺は、五河士道と言います。見ての通り、ここ来禅高校に通う平凡な高校生です」
俺の言葉に、女性は1つ頷く。
「……私は、村雨令音。フラクナシスで解析官をしている」
――ふら、くなしす?
「…何ですか、その、ふらくなしすって」
鸚鵡返しに聞き返すと、目の前の女性―村雨令音さんは、口を開いた。
何でもフラクナシスとは、天宮市の空中1万5千メートルを飛行している空中戦艦、らしい。
空にそんな物あったら大騒ぎになると思ったが、不可視迷彩というものに守られている、との事だった。
とんでも設定もここまで行くと凄いな。
――俺は違う意味で感心し、説明を続けようとする令音さんの話を遮った。
「…それはともかく、あの女の子を救う方法が有る、んですよね?」
俺の言葉に、コーヒーをこくっと飲む令音さん。
「……ああ、君が精霊と話をして、彼女に恋をさせるんだ」
――本当にとんでも話だ。
信憑性なんて欠片も無い。
学校に不法侵入した、健康を害していそうな女性が語る、小学生の妄想のような話。
「…ふう」
しかし…
こめかみに右手を当てる。
とても弱いけれど、この感覚は…琴里やあの少女、鳶一と同じ…
何か、何か、心の奥底が共鳴しているような…令音さんを見ていると、そんな不思議な感覚がした。
「……恋をさせるとかは無理ですが、彼女と話すだけなら良いですよ」
俺の返事に、令音さんの表情が心なしか明るくなった…気がしないでもなかった。
「……それで構わない」
「それで、俺は具体的に何をすれば良いんです?」
テーブルの上に置いてあるガラスのカップから、いそいそと角砂糖を手元のコーヒーカップに入れている令音さんに声をかける。
……入れてる、っていうか乗せてる、だなあれは…
「……精霊が出現するタイミングと場所は私が把握できるので、その時になったら君を呼ぶ」
コーヒーカップに入っている液体を混ぜているティースプーンをじっと見つめる。
物理準備室というステージも合間り、人が飲むのに適する物とはとても思えなかった。
「……む、君も欲しかったか?存分に使い給え」
そう言って、俺に差し出すガラスのカップを見て、俺は慌てて首を振る。
「…話は分かりました。じゃあ、俺は村雨さんの連絡を待ってれば良いんですね」
「……令音、で構わないよ」
――は?
「……私も君を名前で呼ばせてもらおう。連携と協力は信頼から生まれるからね」
そう言って、ずずっと白い液体を満足そうに啜る令音さん。
「ええと、君は……しんたろう、だったかな」
「し、しか合ってねえよ!」
信頼なんて無かった。
「……さてシン、君には精霊が来るまでやって欲しいものがある」
「いや、短くしても違うから!」
耐え切れずに突っ込みながらも、しかし、しんたろう、という名前が何故か琴線に触れた。
当の令音さんは、俺の突っ込みを完全にスルーすると、足元に置いた鞄からタブレットを取り出すと電源を点けた。
するとそこには…
数人のアニメ調の女の子の絵と…『恋してマイ・リトル・シドー』の文字が浮かんでいた
――!?
「……これは、ラタトスク総監修により作られた、現実に起こりうるシチュエーションをリアルに再現したシミュレーションソフトだ。」
そう言って、どう見てもギャルゲーにしか見えない物を淡々と解説し始める令音さん。
「……ま、待った待った!」
俺は本日2度めとなる待ったの声を掛ける。
「……どうした、シン」
「何で俺がギャルゲーをやらなきゃいけないんですか!」
思わず声のトーンを上げてしまう。
「……琴里に聞いたが、シン、君は女の子と交際をしたことがないそうじゃないか」
――琴里のやつ…!
「……そ、それが何か」
叫びだしそうになる心を抑えて、必死に平常心を保とうとする。
「……身持ちが堅いのは大変結構な事だが、男色は感心しないぞ」
「ホモじゃねえよ!」
平常心も無かった。
「……君の趣味にとやかく言う気は無いが、女性に興味が無いようでは精霊は口説けないのでな」
「あんた人の話聞いてないだろ!」
たまらず叫ぶ俺の手を、令音さんはタブレットに載せた。
「……百聞は一見に如かずだ。早速やってみてくれ」
「完全にスルーかよ!せめてホモ設定だけは取り消しておいてくれよ!」
「……早くしたまえ、シン」
――くっそ、眼の色といい、髪の色といい、この取り留めの無い態度といい、まるで鳶一みたいだな
俺は諦めてタブレットに表示されているスタートボタンを押した。
「おはよう、お兄ちゃん!今日も良い天気だね!」
すると、いきなり黄色い声がスピーカーから発せられ…
画面に、パンツ丸見えで主人公を踏んでいる少女のCGが表示された。
「ねぇーーーーーーーーよ!」
有り得ない展開に思わず叫ぶ。
今時、こんなベタ展開で始まるギャルゲーなんて滅亡してる。もちろん、リアルで起こるわけもない。
「……どうしたねシン。何か問題でも?」
「いやこれ、実際に有り得そうなシチュエーションを再現って言ってませんでしたっけ!?」
「……そうだが、何かおかしいかね」
「おまえ頭おかしいだろ!」
はあはあ
先ほどから突っ込みする事が多すぎて、少し呼吸が荒くなる。
「……シン、パンツが見れて嬉しいのはわかるが、少し興奮し過ぎだぞ」
「ちげえーーーーーーーよ!」
――ダメだ、この人に突っ込んでも意味が無い…!
俺はそう結論付けると、文章をななめ読みしながらボタンを押していった。
①「おはよう。愛してるよリリコ」愛を込めて妹を抱きしめる。
②「起きたよ。ていうか思わずおっきしちゃったよ」妹をベッドに引きずり込む。
③「かかったな、アホが!」踏んでいる妹の足を取り、アキレス腱固めをかける。
突然、画面に選択肢と、制限時間を表してるのか、タイマーのような物が現れた。
――どれも有りえねえだろ…!
必死に突っ込みたくなる心を抑えこんで、俺は①番を選択した。
「おはよう。愛してるよリリコ」
俺は妹のリリコを、愛を込めて抱きしめた。
すると、リリコは途端顔を侮蔑の色に染め、俺を突き飛ばしてきた。
「え……ちょっと、何、やめてくんない?キモいんだけど」
好感度らしきメーターが一気にマイナスまで下降する。
「リアルだ、これーーーーー!」
もう堪え切れずに画面に絶叫する。
「……そう言ってるだろう、シン」
何回も言ってるのに理解しないやつだな、みたいな口調で言われた気がして、心がひどく傷んだ。
「…令音さん、これ、もう一回最初からやっても良いですか」
令音さんが頷くのを見て、俺はメニューを表示させ、ゲームを一度リセットさせた。
そして、先ほどの選択肢が表示された所で一旦セーブをする。
――多分、これだろ。
実は、時間制限を告げるタイマーが気になっていたのだ。
俺は選択肢の画面で、制限時間が無くなるまで待っていた。
「んー……あと一〇分……」
「だめー!ちゃんと起きるのー!」
と、至極普通の会話が流れていった。
「よし…!」
サクラ大戦やってて良かった。
「……ほう、やるじゃないか、シン」
令音さんの声に、若干の驚きが混じっているように感じられ、誇らしい気分になった。
結局そのままゲームを続け、突っ込みとリセットを幾度か繰り返した所で…
一限目終了のチャイムの音が鳴った。
「…やばい、2日連続でサボっちまった」
昨日は寝坊だったから、今日はどうしよう…風邪気味だったって事にでもするか。
「……シン、学校をサボるのは良くないぞ」
「あんたのせいだよ!!」
令音さんは、叫ぶ俺に一枚のCDと紐のないイヤホンを差し出した。
「……今のソフトウェアが入っている。家で修練しておいてくれ。……こっちの機械は空間震警報が出たら、耳につけてくれ」
はあ…と気のない返事をしてから、俺はその2つを受け取った。
「……シン、もう行くんだ。幾らこのシュミレーションが楽しかったからと言って、二限目もサボるのは看過出来ない」
「ねえーーーーーーよ!!」
俺は最後にもう一度叫んでから、物理準備室を飛び出した。