32話 ウミ
「……そうだ、海に行こう」
「……………………え?」
「もしかして?」
今は夜の9時半、深雪と雫とほのかはテレビ電話をしている。
たわいない話をして、話題が日中の暑さになった際に雫がポツンと漏らした番組のタイトルのような言葉に深雪ははてなマークを浮かべ、ほのかは雫が何を言わんとしているかを理解したような顔をする。
「うちで保有している別荘にみんなを招待しようかと思って」
「雫の家はプライベートビーチを持っているの!」
「あぁなるほど」
なぜ雫の家のことをほのかが自慢気に言うのだろうと疑問に思った深雪だが、まぁ幼馴染で親友とはそう言う者だろうと少しだけ2人の関係が羨ましく思っていた。
「それで?いつにする?」
「まだ決めてない、達也さん達の予定も聞いてからでないと」
「お兄様達?」
きっと女の子の集まりだからお兄様や董夜さんは誘えないだろう、と少しだけ憂鬱になっていた深雪の顔が若干歓喜に染まる、しかしそれは長年付き添っている達也や董夜が感じ取れるかどうかの変化で当然まだ付き合って半年経っていない雫とほのかは気づいていない。
「うん、お父さんが『新しい友達に会わせろ』って五月蝿いんだ」
「今年も小父さま来るんだ………………」
今のほのかの発言の真意は『小父さまは毎回お小遣いをくれるから心苦しい』と言う意味であって『えぇ〜?あの人くんのぉ〜?苦手なんだよねぇ〜』では決してない、そしてそのことを理解している雫は気分を害した様子もなく、むしろ少しだけ笑って答えた。
「大丈夫だよほのか、仕事が忙しくて最初の1時間くらいしか居られないらしいから」
その言葉にほのかは少しだけホッとしたような顔になるが、深雪はそんなことを聞いて居ない。先ほど雫が言った『お父さんが新しい友達に会わせろって五月蝿いんだ』とはもしかしたら董夜との親睦が目当てかもしれないのだ、しかしそんな深雪の考えは次の雫の言葉で杞憂に終わることになる。
「それでその後に『新しい友達ってなると董夜さんも来るかも』っていったらお父さんビックリしてた」
「それは誰だってビックリするよー」
どうやら雫の新しい知り合いに董夜がいることを知らずに雫のお父さんは私たちを誘ったようだ、と董夜が出汁に使われて居ないことに安堵する深雪はようやく日時決めの話に意識を戻した。
「それで?誰を誘うの?」
「うーん、いつものメンバーを誘いたいんだけど私たちエリカ達の連絡先を知らないんだ」
「分かったわ。そっちは私が聞いておくから」
とりあえず話がまとまりそうだと安心した雫とほのかはふと、深雪の顔が優れないことに気づいた。さっきまではあんなに楽しそうだったのが急変したのに二人は首をかしげる。
「深雪………………その、どうかしたの?」
「…………………………と、董夜さんは色々と忙しいから。予定が合うかと心配になって」
「そっか〜。色々な立場があるもんね」
そう、董夜は四葉家の次期当主候補や戦略級魔法師など、様々な肩書きの様なものがある。それに伴い、関連した仕事も付いて回る為、何かと忙しいのだ。
「董夜さん……来てくれるといいね」
「大丈夫、董夜さんならきてくれるよ!」
「えぇ……そうね」
「と、言うわけで海に行くことになりました」
『そう、それは良かったじゃない。楽しんできなさい』
深雪がほのかと雫から旅行に誘われた2日後。深雪から話を聞いた董夜は2つ返事で「行く」と返事をした。もともと董夜は四葉家の次期当主候補という肩書きが付きまとい、深雪や達也、他の名家の人以外とあまり遊んだことがない。その遊びも遊びと呼べるものではなく、パーティーなどで話をする程度だ。
そのため董夜は『友達と旅行』というものに憧れていたのだ。
そして今は自室にて電話で真夜にそのことを報告している。
「本当に………行ってもいいんですね?」
『えぇ、もちろんよ……………………なにかしら?嫌な予感がするのだけれど』
何故か真夜にしつこく確認をとった董夜は息を吐いて椅子に寄りかかった。
「ははは、ありがとうございます……………………………というわけで葉山さん、よろしくお願いしますね」
そして何故か董夜は電話相手の真夜にではなく、真夜の後ろに控えているであろう執事に話しかける。そのことに真夜は首をかしげるがこの時点で真夜の嫌な予感は予感から現実へと変わりつつある。
『了解致しました…………………それにしても流石はご当主様』
『えっ?』
『董夜様のためとは言え7月8月間のご自身の仕事量を倍になさるとは、全くもって感服いたします』
『……………………これはどういうことかしら?董夜』
葉山の言葉を聞いた真夜は凄まじい威圧を待って電話の画面に映る董夜を睨みつける。
電話を挟んでいるとはいえ普通の人間なら失神するレベルの威圧を向けられても董夜はどこかスッキリしたような顔をした。
「当然でしょう、友人と旅行に行くということはその間仕事は当然できません。したがって夏休み期間に限り、母さんの仕事の半分を受け持つという約束も無かったことになります」
それとも友人の前で四葉の機密情報を扱えと仰るのですか?
と微笑を浮かべる董夜に真夜の笑みがひきつる。
『あ、あら。四葉の次期当主候補ともあろう者が約束を放棄してもいいのかしら』
「あっはっは、それに許可を出したのは母さんですよ?それに僕は確認しましたよ?『行ってもいいんですね?』と」
『そ、そ、そ、そんな………………私のや、休みが』
真夜の顔にもう先ほどの威圧は見られず、今はスケジュール表を見ながら涙目でプルプルしている。
『お、お願い董夜!すこしだk「あぁっと!そろそろ準備をしなければ。それでは母さん、オヤスミナサイ」ま、まっt』
数日後ーーーーーーー
「董夜〜、そろそろ起きないと遅刻しちゃうよー」
夏休みとはいえ俺の起床時間が変わることはない、それは何故か?そう雛子が毎回毎回起こしにくる。もう長いこと聞き慣れた雛子の声で俺は目覚まし時計がなくても自然と目が覚めるようになっていた。
「んん…………………ふぅ。おはよう雛子」
「おはよう、朝ごはんはサンドイッチ作ったから、車の中で食べてね」
「あぁ、ありがと」
そう今日は雫の別荘にお泊りに行く日だ。深雪に『一緒に待ち合わせ場所まで行きませんか?』と誘われたが断った。流石にそこまで一緒にいると関係性を疑われてしまう。
というかそんなことより俺が泉美とテーマパークに行ったのが深雪にバレていた。
『仕事で本邸に行く』と嘘をついたのだが、明らかに俺と泉美がいるところのみを切り取った写真と母さんの証言で簡単にバレてしまった。
まさか母さんの仕事の逆襲がここでくるとは思わなかった。
「それじゃあ私はもう行くから、後よろしくね」
「ん、いってらっしゃい」
そして今日から2日間、雛子は日頃の疲れを取るために温泉に行く。まぁ日頃のささやかな感謝ということでこの前俺がプレゼントしたのだ。
一応今回の雫の別荘にも誘ったのだが『うーーーん、私は1人で温泉に入る方が好きだからいい』と断られた。
それなりに長い付き合いだからわかるが、あれは遠慮などでは無く本音だった。もともと俺が雛子を組織から救うまでは1人で暗殺などの仕事をしていたのだから昔の感性がなかなか抜けないのだろう。
「はぁ…静かだな」
雛子がいない家。この家に越してきてから俺が家に帰るといつも雛子が迎えてくれた。
そういえばこの家で1人になるのは今が初めてだ。そのせいかどうしても家の静けさが気になってしまう。
あと十分ほどで四葉の車が俺を雫たちとの待ち合わせ場所まで運ぶために家の前まで迎えにくる。それまでに支度をしなければ。
「よし、準備準備」
後から考えれば、俺はこの時…………………寂しかったのかもしれない。