56話 フシンカン
『放課後、クロス・フィールド部に来てくれない?』
朝、そう真由美に言われた達也は、放課後になって件の部室を訪れていた。
「独りか?」
「ええ、呼ばれたのは俺だけですから」
室内には真ん中にテーブルが設置されており、左側に二席、反対側に一席と明らかに今回の会談用に設置されていた。そしてその上座に真由美と克人が座っている。
「そうか、まぁ掛けろ」
「はい、失礼します」
克人に座るよう促され、達也は軽く一礼してから克人たちと反対側に腰かけた。
◇ ◇ ◇
「わかりました、協力に応じます」
「ありがとう」
いくらかの問答があった後、克人と真由美が『十師族主導の吸血鬼探し』に達也の協力を要請し、達也はそれを受諾した。
「了解、じゃあ今の段階で分かっていることを全部、説明するわね」
「お願いします」
達也が真由美から聞いた情報の中には既に自身が知っているものもあったが、それでも目新しいものはあった。
被害の規模のこと
第三勢力のこと
そしてその勢力が捜索の妨害側にいること
それは達也が協力に応じたことを後悔させるものではなかった。
「それじゃあ今晩から私たちに同行してくれないかしら」
「了解です、それでは」
「いや」
愛想の良い笑みを浮かべる真由美に、達也が頷き、部屋から出て行こうとした時その背中を克人が止めた。
「司波、お前は俺たちに縛られずに自由に行動してくれて構わない」
「分かりました」
真由美が克人に訝しげな視線を向けるが、克人は「あとで説明する」というような目を向けた。
「それと、四葉の動きには注意しろ」
「………!」
次こそ部屋から出て行こうとした達也は、克人の言葉に興味を悟られないよう振り返った。そこには厳しい顔つきの克人と、どこか複雑そうな真由美がいた。
「今回の捜索は『十師族主導』と言っても、実質は『七草、十文字主導』だ」
「えぇ、存じています」
数字付きでも無い達也が何故十師族の動きについて把握しているのか、克人たちは指摘しなかった。それに、そもそもマル秘指定されていない師族関係の資料を閲覧するのは、さして難しいことでは無い。
「四葉は
途中まで話していた真由美が若干言い淀む、その時点で達也の中で『仮説』だったものが『確定』に変わっていく。
「四葉が………というより四葉董夜が、不審な行動を見せている」
「…………と、いいますと?」
克人の言葉に、真由美が苦しそうな表情を見せる。誰だって好意を寄せている人が敵側に回る可能性が出て来たら、良い気持ちはしないだろう。
それに『不審な行動』について、達也も心当たりがあった。実際に確認はしていないが、昨日、達也の風紀活動にリーナが同行した際、それを監視するような行動。しかも、わざわざそれを達也に知らせる様な通報。
それは長年董夜と行動を共にしている達也でも『不可解』と言うほかなかった。
「司波、お前の同級生が吸血鬼に襲われて入院した際、俺と七草が事情を聞きに行った直後、奴も一人で病室に訪れている」
『四葉』でも『董夜』でもなく、ましてや『四葉董夜』でもない、克人の『奴』と言う呼び方が、董夜に対する不信感を表していた。
「(やはり、そうだったか)」
普段、自身に危害が及ぶ、もしくは興味をそそられる、または今後に関係する場合でない限り、行動をあまり起こしてこなかった董夜が、『アンジー=シリウス』もしくは『USNA』という問題に対し、十文字や七草と同調することなく動いている。
「だが、今のところ四葉自体に動きは見られない。奴の暴走という可能性もある」
「分かりました、注意します」
そう返答をして、今度こそ部屋を出ながら達也は克人の予想を否定していた。まだ董夜の目的は分からないが、彼がリーナを注意を向けていることは明らかだった。
「(このまま何事もなければ)」
いくら董夜が不審な行動をしていても、今のところUSNAと四葉に衝突は起こっていない。しかし、リーナが董夜の言う『レッドライン』を超えた場合、董夜がどう出るか。
「(……………何故、俺はこんなにも)」
達也と昼食を食べるのを待っているでろう深雪のために、階段を駆け上がっていた達也が急に足を止めた。
「(何故、こんなにもリーナに)」
最初は深雪に危害が行かないか、とリーナの動きを注視していた。それなのに今となってた味方である筈の董夜に不信感を抱いている。
リーナが董夜の『レッドライン』を超えた時、やはり董夜は実力行使に移る可能性がある。そうなればいくら米国の精鋭といえど、この前の授業の様に歯が立たないまま負けるのがオチだ。しかも、今度は授業ではない分、無事ではいられないだろう。
『日本にいる間は董夜に気をつけろ』
先日達也がリーナにした忠告。それは明らかに董夜の動きを妨害し、リーナを助けようとする意図があった。
「(何故だ………俺には深雪しか)」
達也には、兄妹愛しか感情が存在しないと言うのに。何故、こんなにもリーナのことを考えているのか。
何故、この先にある生徒会室で、深雪達と一緒に自身を待ってあるであろう董夜に会うのに、こんなに足が進まないのか。
達也にとって『リーナ』よりも『吸血鬼』よりも、自身の心境の方が謎だった。
◇ ◇ ◇
「やあ、リーナ。調子はどうだ?」
「ハイ、タツヤ。上々よ」
生徒会室の入り口でリーナとすれ違った達也は、軽い挨拶を済ませて中に入った。やはり、リーナに会うと、達也の心に謎のざわめきが起きる。
「お待ちしておりました、お兄様」
達也を見て、嬉しそうに立ち上がる深雪とほのかの姿を見て、達也が怪訝そうな顔をする。そこに、董夜の姿が無かったからだ。
「董夜はいないのかい?」
「私も朝のHRで聞いたのですが、どうやら欠席されているようです。お聞き及びじゃありませんでしたか」
「欠席?」
達也と深雪は何も毎日、董夜と登校している訳では無い。今日も一緒では無かったが、達也はそのことに何も思っていなかった。それが、まさか欠席とは。
『不審な動き』
先程克人と真由美から出てきたワードと謎の欠席が、達也の中で混ざり合っていった。
◇ ◇ ◇
達也が董夜の欠席を知ったのと、ほぼ同時刻。董夜の姿は第一高校から離れた位置にあった。
「お身体の具合はいかがですか?」
「ええ、最近は安定しているわ」
日本国内の某所。
第一高校近くの董夜の家とも、四葉本邸とも離れた、とある海岸沿い。夏になれば泳ぐこともできるプライベートビーチを有している、白く大きなペンション。
その一室で、見た目の若い女性がベッドから上体を起こして、目の前で椅子に座る青年と会話をしていた。
「それにしても、久し振りね。董夜さん」
「はい、お久しぶりです、伯母上」
『極東の魔女』の姉にして、世界で唯一、禁忌と呼ばれた系統外魔法『精神構造干渉魔法』の使い手。現在は療養中である司波家の当主、司波深夜である。
「最近は随分とご活躍のようね、世界最強の魔法師様?」
「はは、肩書きだけのハリボテですよ」
「ふふ、あなたが言うと嫌味にしか聞こえないのだけれど」
沖縄で命の危機に晒されて以降、深夜は深雪や達也、董夜に対する態度が柔らかくなっていた。それは時々こうやって深夜の元を訪れる董夜達も感じていることだ。
「それにしても大きくなったわね、小学生にして『極東の魔女』を泣かせた子が」
「あの、話進めたいんで、物思いにふけるのやめてもらっていいですか?」
懐かしそうに目を細める深夜に、董夜が苦笑を浮かべる。しかし、そんな董夜を置いて、深夜の思考は数年前に戻っていった。
◇ ◇ ◇
今から7年前
四葉家本邸
「久し振りね、姉さん」
「えぇ、しばらくぶりね真夜」
董夜が司波家の沖縄旅行に同行するまだ前のこと。身体を壊して入退院を繰り返していた深夜は、久々に四葉本邸を訪れていた。
「今日は身体に良いものを食事に出すようにいってあるから、ゆっくりして行って」
「ええ、そうさせてもらうわ」
董夜が生まれて以来、真夜は明らかに性格が柔らかくなっていた。そんな妹を見て、深夜は自身にも変化が訪れているのにまだ気づいていない。
「ん、おはようございます」
「あら」
真夜が食事のため深夜を部屋に案内しようとすると、襖がゆっくりと開かれて、まだ眠そうに目を擦る董夜少年が入ってきた。まだ時刻は午前8時半である。小学3年生の男の子には眠い時間だろう。
「おはよう、董夜」
「ん、んんー」
眠たそうに目を擦っている董夜に、真夜が優しい笑みを浮かべ、董夜を抱き上げようと片膝をつき、両手を広げた。その様子を見ていた深夜の顔にも、いつもより温かな笑みが浮かぶ。
「んん」
虚ろな目をしている董夜が目の前の真夜と、その後ろにいる深夜を交互に見る。そして、とてとてと真夜へと歩いて行った。
「ふふふ」
董夜が飛び込んでくる、もしくは倒れ込んでくると思っていた真夜だが、次の瞬間、近くまで来た董夜の口から驚きの言葉が発せられた。
「お久しぶりです伯母上」
真夜の顔を見ながら、優しく、まだ幼さの残る笑みを浮かべた董夜の言葉に、真夜の顔から表情が消える。しかし、そんな真夜を置いて、董夜は深夜の方へと歩いていく。
「母上、おはようございます」
「え、ええ、おはよう」
あまりに予想外の事態に、深夜は否定ができず、つい董夜の頭を撫でた。それに董夜は気持ちよさそうに目を閉じた。
「ね、姉さん?」
「ま、真夜?だ、大丈夫?」
片膝をついたまま固まっていた真夜が、首を軋ませながら深夜の方へと振り返る。その目には涙が大量に溜まっており、既に頬から流れ落ちている。
「董夜に、間違え、られ、た」
「ま、真夜!?」
そうしてそのまま、真夜は涙を流したまま床に崩れ落ちた。
「大丈夫ですか?伯母上」
「ぐふっ」
◇ ◇ ◇
「本当に懐かしいわね」
「ソ、ソウデスネ」
あまり思い出したくない記憶なのか、懐かしそうな深夜とは逆に、董夜は目を背ける。
「ふふ、さて、一体何の用かしら?」
「はぁ、雰囲気が急変するところも母上に似てますね」
ひとしきり笑った後、深夜の顔から色が消え『
「いいから、本題を言いなさい」
深夜の雰囲気がいくら変わろうと、部屋の中にどれだけ重圧が立ち込めようと、一階にいると穂波がいくらお茶を淹れる器で迷おうと、お茶を待つ雛子が楽しそうに鼻唄を歌おうと、董夜の雰囲気は変わることはない。
そうして董夜の口から紡がれた言葉に、深夜の眉間に深いシワが寄った。
「『人造魔法師実験』それの失敗の可能性について」
物語が、元から大きく外れていく。
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