ようやく帰ってきた。
離れていたときが短かったと感じるほどに長いこと、僕はここから離れていた。だからこそ、戻ってこれたことへの感動も大きい。久しぶりに降りた駅。
周りの建物は対して変わっていないのにここまで新鮮な気分になっているのはおそらく僕が行っていたところが異質だったからだろう。まるで化物の巣のようだった。お化け屋敷に毎日通っているようなものだったんだから、こういう素朴な町が新鮮に思えてしまうのは不思議なことじゃないはずだ。
柔らかな月の光が、鋭い街灯と混ざり合って、独特の色を作る。どこかお城のように見えるから嫌いじゃなかった駅舎を独特な光が包み込んでいて、優しい気持ちになれる。そういえば、小学校の頃、夜の駅舎を撮影して提出物に使ったななんてちょっと前なら思い出した瞬間に別のことも思い出して死にたくなるようなことが脳裏によぎった。
でも、今は死にたくなっていない。もうそんなのは過去のことで、今の僕にとっては些細なことだと分かっているからだ。昔のトラウマでいちいち死にたくなるくらいなら、今を大切に生きるべきだと、この二年間で気付いたのだ。
きっと、トラウマによって強くなれる人種はいる。自分を戒めることで僕の心の師や、尊敬する彼は僕の何倍も上手くやっていた。身を守るだけではなく、誰かを助けて、周りの人を変えていた。でも、それは僕には出来ないのだ。僕はきっと、自分を戒めることで強くなれるタイプじゃない。過去と決別して、自意識過剰なくらい自意識に乗っ取られた方がいい。それくらいじゃないとラノベ作家は勤まらない。
左手で荷物の入ったトランクを引きずりながら、右手でくるくると振り回すのは少しくたびれた水色の巾着だ。これが僕にとっては何より大切なお守りで、長い苦行を一緒に乗り越えた相棒のようなものだった。この二年間、僕はこの巾着を使わなかった日がないくらい、毎日愛用していた。
「うぉっと」
改札を通り抜け数歩歩いたところで僕は一瞬、転びそうになった。電車酔いだ。乗り物には弱いと分かっていたのに、つい電車の中でスマホを弄ってしまったのがいけない。くるくると頭の中が渦巻いていることに気付き、ちょっと休もうと思い、僕は柱に寄りかかった。石の無機質な感覚が背中から伝わってきて。やがて心臓を包み込む。その無機質な感覚にも、思い出があることに僕は喜びを感じた。思い出があるおかげで、今こうして彼女のことを考えていられる。
もう暗い。さっき、彼女はもう寝るとメールで言ってたからきっともう、ベッドの中にいるのだろう。悪夢で魘されていないことを願っておこうと思い、僕はぼんやりと流れ星を探した。
今日流れ星が出るかなんて知らない。でも、ちょっとだけでいいから彼女の力になりたかった。
「なんて、今更僕が言えた立場じゃないのかなぁ」
意識していなかったけれど、自然と口からそんな言葉が漏れた。すると、その言葉は僕の耳を、脳を犯していった。気持ちが悪いこの感覚。これはきっと、罪悪感だ。知っている。前にも何度か抱いた事がある。
けれど、僕はその罪悪感をこの二年間忘れていた。時に、甘い言葉を囁いてくれたことに満足して、愉悦さえ感じ、自分のやっていることが間違いではないのだと手前勝手に思っていた。そのことが酷く愚かしく思えた。
でも、もう絶対に苦しませない。そのための二年間だったのだ。
声には出ないけれど、僕の胸にはその言葉がずっと溢れ続けた。罪悪感は忘れていたが苦しませたくないという思いだけはずっと忘れずに抱いていた。守ることが出来るかなんて分からない。けれど少なくとも、苦しませないだけの力を得る。そのために彼女を苦しませたのは愚かだったとは思うけど、でも、それ以外にとれる選択肢が僕にはなかった。
そのことに後悔はない。間違ってるかもしれないが、悔いてはない。二年間の修行で手に入れたものは誇れるものだと思うからだ。
巾着袋から振動が伝ってきたおかげで、電話がかかってきたことに気付いた。すぐに巾着袋からスマホを取り出し、通話状態にしてスイッチを入れた。
「もしもし?」
「ああ、もしもし? 千葉君?」
あまりにも疲れ果てた、屍のような声が聞こえた。電話をかけてきたのが誰なのか確認してなかったが、その声ですぐに分かった。こんな屍みたいな声を出すのは世の中に一人しかいない。いや、僕が知らないだけだが、
「あ、はい。千葉です」
「もう、家着いちゃった?」
なんとも不愉快な声。正直、恩を感じていても電話を切りたくなるレベルで、疲労がにじみ出ている。矢川(やがわ)さんは、一体、今日で徹夜何日目なんだろうか。この二年間、ほとんど連絡が取れなかったので詳しくは知らないが、どうせ相変わらず締め切りを守らないラノベ作家と死闘を繰り広げてたんだろう。
「いや、今駅で休んでるところです。今から帰る予定でしたが」
「そっか。それはよかったぁ」
その声を聞いてものすごい嫌な予感がした。悪寒と言ってもいい。正直、長旅で疲れたから家帰って休んで明日に備えたかったんだが多分、それが無理だということを、その声で悟った。
なら、さっさと動いて少しでも早く休めるようにしたほうがいいだろう。
「とりあえず、そっち行きます」
「ああ、そうだね。よろしく」
拒否権なんてことないって分かっているし、この人には恩があるのでそもそも断るつもりはない。自分に鞭をうち、僕は再び改札を通った。駅に戻って荷物を置いたら絶対に行きたくなくなるので、頑張って重いトランクを持ち、出版社の方に向かう電車に乗った。
「ああ、よかった。座れる」
疲弊しきった声だなぁと自分でも自覚する。こんな声、彼女に聞かれたら心配されるだろうなぁと思いながらイスに座る。僅かに軋んだのが座席なのか体なのか分からない。考えるのも嫌なくらいに疲れてしまい、僕は目を瞑った瞬間に眠ってしまった。
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ちらちらと踊っていた桜も、もうおとなしくなっていた。裸になった木を窓から見るとどこか寂しさを感じる。木に向かって吹き付ける風は生ぬるく、弱いから木を揺らすこともなく、ただ窓に当たっては跳ね返り、どこかに向かって吹き続ける。春も僅かに過ぎたこの頃、こんななんとも言いがたい景色ばかり見ている気がする。
絵を描くわけでもないし、写真を撮るわけでもないし、外を走るわけではないのでそこまで景色は目に映っていないが、それでも気付くと窓を見ているから変わらない景色に辟易する程度には、景色を知っているわけだ。
否、僅かに変わっているはずなのに変わらないと思えてしまうということはほとんど景色なんて知らないのだろう。変化に気付けないということは、それはもう、知らないのと同じだ。まあ、だからといって景色を知るためにわざわざ外に出て観察する、なんてことはしないけれど。
生憎と、うちは給食なので八幡先生のように外で食べることもできない。ほんと、早く弁当制度をどこの中学校も取り入れるべきだ、といつも言っているが、まあそうなったとしても中学校じゃ、外に出て食べるなんてことできないんだろう。仕方が無いことだ。
「遅れちゃうのか」
掃除をしながら、僕はぼんやりと呟いた。曖昧模糊とした自らの言葉は、空中を漂い、夕日に照らされて姿を現す埃に混じっていく。言葉を発した五秒後には、もうその言葉がどこにあるのかも分からなくなっていた。
掃除自体は嫌いじゃない。頑張って掃除をすると、誰かが必ず褒めてくれるし、褒めてもらえなくても何となく、達成感を得られた。ここは自分が綺麗にした。そう思うと、自分の行動によって景色が変わったように思えて、とても愉快だった。今だってそうだ。掃除自体は楽しい。班で協力して、なんて言われてるから一人で出来ないけれど、まだまだ入学したてだからふざけるような人もいないので不快に感じることもない。無害なら、無益であってもいい。それを実感する。
チャイムの鈍く、けれども高い音を聞いて焦った。思えば、教室の周りには先輩から隣のクラスの人まで、かなりの人数が集まっている。どうして集まっているのかを知っているから、余計に僕の心は焦る。
委員会。今日は、その一番最初の会議の日だ。
クラスから衛生だの、広報だのと六つの委員会にそれぞれ二人が属す。総勢、十二人だから、大体クラスの半分くらいが参加することになる。僕も、委員会の会議にいかなくてはならない。
けれどまだ、掃除が終わってない。ここで掃除を抜けて委員会に参加しにいくのは許可されていないのでさっさと終わらせるほかないのだが、焦れば焦るほど埃を上手く集めることができない。集合場所だって、どうやっていけばいいのか分からないのにもうタイムリミットが来ていることに辟易しながら、なんとか掃除を進めた。
掃除が終わり、委員会のファイルを持って急いで集合場所に向かった。同じ方向に行く人についていって、なんとか到着した時には、既に自分のクラス以外の委員が集まっていた。
死ぬほど気まずい。初っ端から遅刻とかありえない。もういっそ今からでも委員を辞めてしまいたいというのが感想だったけれど、そんなこと出来ない。諦めて、僕はおとなしく委員会に参加することにした。
委員長の選出。役員の選出。活動内容の説明。どれも僕にとってはありきたりなものだった。ずっと前から見てきた。小学校で何度こんな風に委員長や役員を選出し、仕事の説明を受けてきたのか分からない。というか、思い出そうとすると嫌なことまで思い出してしまうので思い出そうとしてないんだけど。
ただ、一つ違和感は感じた。どうして僕はこんなところにいるんだろう、という心の奥底からの問いへの答えは見つけることが出来ない。何故、と親や周りに問われたときには小学校の頃から熱心になっていたから、と言えるけれどそれが上っ面なものだと知っているから、心の奥底からの問いへの答えにはできない。
昔、僕はリーダーになろうとした。人の手を借りて、何かをする才能があるものだと勘違いして、人に指図をしていた。責任感が強い自分なら上手くやれるんだと、手前勝手に思っていた。
過去を強く嫌悪している。僕は過去の自分が大嫌いだ。あの頃の自分が間違っていることは僕の心の師の教えからしても分かりきっていることなのだ。だから変わるために努力し、こんな風に何かの役割を得て、仕事をするなんてこと決してしないと決めていた。
それなのに、僕は――。
「へぇ」
仕事内容を聞いて、無意識に感嘆の声を漏らしてしまった。もう、完全にわくわくしてしまっている。結局、過去の自分から変われていない。好きなことに関しては、誰よりも負けず嫌いで、好きなことのためなら周りを見ようともしない。ドクン、ドクンと心臓の音が跳ね上がり、躍り、舞う。鮮やかで艶やかで華やかなワルツを踊る。それが、僕ではない何かが呼び出されるトリガーだと思う。
別人格とか、そういうことじゃないけれど、スイッチが切り替わったように僕は僕ではなくなる。異常なほどに活動的に、精力的になる。行動力が満ち溢れ、普段のようなおとなしい僕は跡形もなく消える。暴走モードか、はたまた本気モードか。正直、結果がどう転ぶかでしか良し悪しを判断できないような状態になってしまうのだ。
ああ、まずいな。そう思いながらも勝手に頭は動いていた。突然、景色が輝く。景色が変わり、まるで僕を誘うように光が波を打っている。
そんなことを考えている間に、委員会は終わりを告げた。常時やらなければならない仕事を脳内で確認しながら、筆記用具を片付け、帰りの準備をする。いつもの癖で、一番最後に出ていこうとする。だから、後ろの席に座っていた一年生の僕じゃないほうのクラスの委員会二人が横を通り過ぎた。
委員会に遅刻をした申し訳なさから、入るときにはよく確認できていなかったが今、ようやく確認できた。こっちのクラスは男子二人だが、どうやらあっちのクラスは女子二人になっているらしい。この委員会は、男女問わず二人だったので不思議なことはない。むしろこの委員会は男子よりも女子の方がやりそうな、地味な委員会なので男子二人であるうちのクラスの方が不思議なものだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。相手が女子であろうとも、ラブコメなんて展開されない。ラブコメは書くだけでいいのだ。やるなんて僕には向いてないし、出来っこない。そう思い、僕は今日書く分のラノベの構想を練る。ラノベ作家志望の僕は、こんな僅かな時間でもラノベのことを考えて、家で書ける時は書き続けるようにしなきゃいけない。だから、委員の人と仲良くやるとか、そんなのは考えないようにしよう。そう、心の中で決めた。
俺ガイルは、キャラが登場するわけではありません。
俺ガイルにあこがれた少年の物語です