比企谷八幡の継承者   作:黒虱十航

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プロローグ2

「えっと、これはどこに置きますか?」

「ああ、それはとりあえずここでいいよ」

「了解です」

 教室に渦巻く不思議な空気の中で、僕は持ってきた物品のおき場所の確認に集中していた。僕に与えられた二つの仕事に関わる大切なものだから、これだけは雑にやりたくなかった。

 給食。それが僕の、今一番熱心になれることだった。ここ数週間は、学校が無かったので出来ないが明日からは新しいクラスで給食をやることになる。そう思うと、僕のスイッチは完全にオンになった。

 給食当番用の白衣を確認しよう。各班に敷くテーブルクロスの確認もしないと。そんな風にいろんなことを考えていた。一年前とは、もう何もかもが違う。責任も信頼も、桁外れになってしまった。

 けれど。それは僕にとって新しい景色を見せてくれる魔法だった。責任も信頼もそれまで今ほど得たことはなかった。だから、責任が増えるほどにやれることが、見える景色が変わるなんて知らなかった。だから、というのはおかしいかもしれないけれど僕のラノベを書く能力も日に日に増していると思う。未だ、大賞の一次選考さえ通ったことはないけれど、好きなものが増えて、色んな景色が見えたことで自分の中で納得の行く作品はたくさん書けたと思う。

 設置が終わり、僕は自分の席に座った。一番後ろの席。新しくなったクラスの全体をよく見渡せる。

 去年の間に、仕事上の関係を築いた人。ある程度、話しかけてくれていた人。去年別のクラスだったけれど小学校からまあ、それなりによくしてくれた人。色んな人がいる。そしてそれぞれが割と仲良さげにしている。その景色もきっと、今の立場から見るのと去年の立場のまま見るのとでは違う。窓に風が当たり、春の匂いが鼻腔をくすぐっているような気がした。

 未だ寒い春。けれど、どこか温かい。そのことがなんだか居心地が悪くて、けれど同時に居心地がよくて、ふわぁっと欠伸が漏れた。目に滲んだ涙を人差し指で払うと、僕の頭に去年のことがよぎった。

 思えば変わったものだ。今は、少なくとも昔みたいに変わらない景色に辟易することはない。いつも少しずつ変わる刺激的な景色にわくわくして、どきどきしていられる。それもこれも、僕を変えてくれた人のおかげだと思う。

 省木 氷(はぶき ひょう)。僕の憧れの人で、この世界の主人公であると僕が信じてやまなかった人だ。そして僕を変えてくれた人。僕にとって、比企谷八幡のような存在。いつも孤高で、正しい。八幡先生を除いて、世界で一番尊敬している人だし、省木にはどうしても強く出れない。格上だと思っているからだ。

 省木は去年、同じクラスだった。そして、色んな景色を見せてくれた。僕が部活に入るきっかけになったのも省木だ。僕の太陽のような存在だった。けれど、彼は今年、このクラスにはいない。隣のクラスだ。だから、不安で、不安で仕方が無い。

 僕は上手くやれるんだろうか。給食は楽しみだ。けど、省木がいない今、僕に何か出来るんだろうか? 答えは否だ。僕は、彼がいないと何もできない。そう思うと、座った座席がばらばらと壊れていくような錯覚に陥る。

「んっ」

 恐怖を殺すように舌を噛んでも、やっぱり駄目で、僕は教室中を見た。少しでも不安を和らげる何かを探す。

 すると、見覚えのある人が視界に入った。僕の仕事仲間の隣の席に座っている人だ。確か、一年生の前期に僕と同じ委員――給食委員という委員だが――に所属していた人だ。後期は、別の人がやってしまっていたが。

 仲良くするつもりもなかったし、群れるつもりもなかったのにどうして記憶に残っているかといえば、答えは簡単だ。委員会で、確か片付けチェックに関する話し合いを学年ごとにしたとき、すごく着眼点が似ていて、意見があったからだ。まあ、花に水をやってたり、たまに笑ってるのを見たりしたんで記憶に残ってるというのもあるんだが。

 彼女は確か佐原 柚(さはら ゆず)といったはずだ。去年、別クラスだった人の名前はイマイチ覚えていないんだが、彼女の名前は辛うじて覚えている。

 彼女を発見したおかげなのか、突然心が安らいだ。それまでの桁外れの不安が、霧散して、僅かに希望が生まれていた。きっと、彼女が元給食委員だから、手伝ってくれるかもしれないと思ったのだ。それ以外に、心が安らぐ理由なんて思い浮かばない。だから、少し手伝って省木に追いつこう。そう、決意した。

 

 

 

********

 

 彼女との出会い。それは、僕にとって曖昧模糊としていて、そのくせ、妙なところで鮮明になっている。例えば、一番最初に彼女と出会った時。あの時の景色は不鮮明で曖昧模糊としているが、あの時、彼女を見て抱いた感想は鮮明に思い出せる。二年生の始業式の日に彼女を見つけたときの状況は完全に思い出すことは敵わないのに、彼女を見つけたときの安心感を完全に思い出すことは容易いとすらいえる。

「柚……」

 寝言のようなぼんやりとした声で、彼女の名前を呼んでいることに気付いて、僕は落ちかけていた意識を元に戻した。危ない危ない。危うく、降りる駅を乗り過ごしてしまうところだった。

 完全に目を覚ますためにかぶりを振り、すぅっと息を吸って僕は立ち上がった。途端、電車ががたんと揺れて、足元がふらつく。もうすぐ駅だと思ったから立ち上がったのにこの仕打ちとは。やっぱり、電車が止まってからなんたらと言ってるアナウンスさんの声は聞くべきだったんだな。

 電車の扉が開き、僕は急いで降りた。トランクケースは明らかに邪魔になるのでさっさとどかなければならない。あと、僕みたいな辛気臭い顔のやつがいると電車の空気を悪くしてしまうので尚更、早く出なければ。

 トランクケースを引きずって、ゆっくりと歩く僕を追い越す人。その足取りは、どこか軽いように見えて重い。きっと、仕事帰りなのだろう。それぞれがそれぞれの帰るべき場所に帰る。そこに家族がいるのか、猫がいるのか、誰もいないのか、二次元嫁がいるのかは僕には分からない。

 けれど、どんなに顔立ちがいい人でも重い足取りに僕は思えた。それはどうしてなのだろうか。頭の中で考えながら、階段までの割と長い距離を一歩一歩、倒れるかのようにして進んでいった。やはり、体も疲労のピークだ。それでも、なんとか体に鞭を打ってトランクケースを持ち上げ、階段を上る。

 本当のことを言うと、この二年間で力はつけたのでこのトランクケースを持ち上げるくらいのことは難なく出来る。重い、なんて感じていないのだ。ただ、物事には気分と言うものがある。辟易しながら物事をやれば、そりゃ力も出ない。

「よいしょっと」

 階段をなんとか上り終え、二年前の感覚を思い出して僕は改札口に向かう。と、そのとき。僕は大変なことを思い出した。

「そういえば……」

 完全に忘れていた。そのことに戦慄する。八幡先生の弟子を自称するあの、千葉天(ちばてん)が。俺ガイルの新刊を買っていない。その事実を、忘れていたことに戦慄する。

 そりゃ、〝あっち〟にいた時は忙しかった。本なんて読む時間なかった。いや、好きな本を読む時間がなかっただけで、本を読む時間だけは山ほどあったか。まあ、とにかく俺ガイルに触れる時間なんて一切なかった。だから、13巻も14巻も買えていない。発売した、と言う情報だけが僕の耳に入っているのは毎月、どんなに忙しくとガガガ文庫のHPだけは見るようにしていたからだ。

「駄目だ、絶対に買おう」

 我慢なんて出来るはずが無い。矢川さんを待たせようとも、俺ガイルが優先だ。既に四ヶ月ほど経ってしまっているので、ネットを見れば感想がいたるところにあるだろう。早く読まなければ、その感想が先に目に入ってきてしまう危険性がある。そう考えるだけで足取りは軽くなり、僕は先ほどまでの三倍近くのスピードで書店まで歩いた。いや、もちろん歩きましたよ? 駅構内を走るのは大変危険ですってアナウンスも流れてたからね。

 本屋に入った瞬間、生ぬるい暖房の風が文庫本独特の紙の匂いを運んでくれた。昼寝に最適な気温に、昼寝に最適な最高の匂い。今は夜だが、昼寝をしたくなる心地よさだ。いや言ってる意味、分からんな。まあ、いいか。

 ここの書店にもずっと通っていたからラノベがどこにあるのかはすぐに分かる。本に当たって傷つけることがないように、トランクケースをそっと引きずりながら、僕の心臓の律動が秒針の速度を追い越して、もっと先に進みたいと叫んでいる。本屋という小さな世界に並んだ無機質なのに素敵な物語を秘めた本たちが、僕を歓迎してくれるような気がする。

「あった」

 見つけた瞬間、呟いた。既に発売からかなり経っているのにしっかり平積みされていることが嬉しくて、つい、頬がほころぶ。髪の先から足の爪の先まで広がるわくわくが、ほぼ無意識に本に手を伸ばさせていた。

 触れた瞬間、血液が沸騰しそうになった。13巻と14巻。両方とも、分厚くて、重みがある。僕にはその二冊がキラキラした宝物に見える。今すぐ立ち読みしたい、という衝動をなんとか抑えて、僕はお会計に向かった。

 お会計を済ませ、僕は今すぐ読みたいという気持ちを殺して、早く出版社に向かうことにした。矢川さんに何を言われるのか、と思うとついつい逃げたくなるが、流石に恩を仇で返すのは流石に僕の流儀に反する。そんなことを考えながら、生ぬるい息を吐いて外に出て、出版社の方に向かった。

 アガペ文庫。近頃、新たに生まれたラノベレーベルの一つだ。そして、僕がお情けでデビューさせてもらったレーベルでもある。一応、小学館だが憧れのガガガ文庫とは遠い。二年前、創設されたこともあり、まだ稼ぎ頭となるようなヒット作も出ていない。ただ、人気が無いことでお情けで僕がデビューさせてもらえたので、あまり哂えない。

 建物の中でも、端に追いやられているアガペ文庫の編集部に、僕は向かった。そこに矢川さんはいる。

「おぉ……」

 アガペ文庫の編集部に辿り着いたところで、僕の目に入り込んできたのは僕が書いたラノベのポスターだ。チビで目つきの悪い主人公が、学校に革命を起こそうとするヒロインと協力する、というまあ、僕の中では最高傑作だと自負していたラブコメだ。だから、本当なら、それが出版されて、ポスターになっていることは喜ぶべきなんだろう。

 が、今の俺にとってはこれは黒歴史でしかない。

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