時系列(?)は第22話の夢での出会いから第32話の結婚してから数年──の間です。という事でこの話の主人公は夢に出てきた謎の男と女です。
──僕の彼女はちょっと変わっている。
そう思い始めたのは彼女と付き合ってからそう遠くないことだ。そして、こんな貧相な格好をしている僕に声をかけてくれたのは彼女である。
背中の真ん中あたりまで伸びた、漆黒とも言える後ろ髪。少し茶色がかっている大きな瞳が、眉の上で切り揃えられている前髪によって強調されている。そして目立たない鼻、ピンク色をした色気のある唇。雪のように白い肌と小柄な姿に華奢な手足。もはや大和撫子と言われてもおかしくない美しさを彼女は持っている。そんな彼女は村では一番の美人である。いや、近くの村の中でも一番の美人だ。
そんな美女であるが、ちょっと変わった彼女の手を引いて僕は家がある山から市場へと向かっている。日も傾き始めているから、なるべくはやく帰らなければ。
「今日も貴方と市場に出かけられて嬉しいよ」
「うん。僕も嬉しい」
彼女の手をそっと握ると、彼女は僕より強く手を握り返してきた。この姿を昔は人に見られるのが恥ずかしかったが、今では少しも恥ずかしく思わない。こんな彼女にめぐり逢えて幸せだからだ。
しばらく山道を歩き続け、夕方でも人が賑わっている市場へと出た。彼女から一旦手を離し、うーんと伸びをする。
「今日は何を買うの? 」
「最近は作物も安定して取れてるけど、魚だけは僕達が住んでいる山でとれないからね。家の近くに川ないから」
「そっか。じゃあ早速行こ! 」
笑顔を浮かべると僕の手を引っ張り駆け出した。
市場に近づくにつれ道行く人が増えてきている。今日は普段と比べて一段と多い。
それから市場に着くと、行き交う人は
今日はご馳走だ、と子どもみたいにはしゃいでいる親子もいるほど。彼女はその親子の姿を見て微笑んでいる。
「あんなふうに私達もなりたいね」
「そうだね。うん。きっとなれる」
「あ、──の彼女さん! 」
人混みの中から出てきたのは僕の彼女の友人。名前は知らないがいつも複数人でいることは知っている。でも一人でいるところから察するに、はぐれたらしい。
そういえば僕の彼女は友人にも名前を教えていないようだ。僕は前に彼女の名前を教えてもらったが上手く聞き取れなかった。その名前が僕達の知っている言語とは違うからかもしれない。最近世に聞く『外国語』というものであろう。おかげで彼女を呼ぶ時はいつも『彼女さん』だ。
「お松ちゃん。今日は一人なの? 」
「ううん。みんなで来てたんだけど、どこかに行っちゃって・・・・・」
「じゃあ一緒に探すよ」
「いいの? ありがとう! 」
彼女は友人の頼みを快く聞き入れた。
買い物はどうするのだろうと疑問に思うと、彼女は僕の耳に顔を近づけてきた。
「先に買い物してて。すぐ見つかると思うから」
「分かったよ。でも知らない人について行っちゃ駄目だからね」
「ふふっ。分かってるよ。私が好きなのは──だけ。──も知らない女の子と浮気しちゃだめだよ」
「浮気なんてしないよ」
彼女は笑顔で分かったと言うと、友人と人混みの中に消えていった。僕はいつも買い物に利用している売り場にまで行く。途中何度か人にぶつかり、その度に頭を下げながら向かっているとすぐにその売り場にまで着いた。気前のいいおじさんと、その娘さんが営んでいる店だ。
「よぉ兄ちゃん! 今日は魚が沢山捕れたぜ! 」
「どうも。それで今日はこんなに人がいるんですね」
「ああ! だからどの店も大忙しだぜ! 」
「あ、お兄さん! 」
店の裏で仕事をしていた娘さんは、僕を見つけると嬉々とした表情を浮かべながら走り寄ってきた。両手に新鮮そうな野菜を持ちながらだけど。
「今日もお兄さんかっこいいです! 」
「ははっ。お世辞をありがとう」
「べ、別にお世辞じゃないのですよ・・・・・」
顔を赤くして俯いてしまい、最後に何を言っていたのか聞き取れなかった。それにしてもなぜ顔が赤いのだろうか。───もしかしたら
僕は娘さんに近づき赤く染まった額に手を当てる。
「ふぇ!? 」
「うーん、ちょっと熱いね」
娘さんはさらに顔を・・・・・耳まで赤くしてしまった。熱もあるのならばはやくお医者様に見てもらわないと!
「顔が熱いです。熱があるのであればお医者様のところに一緒に行きましょう」
「や、病ではないのですよ! 」
「そうか・・・・・ならばなぜ顔を赤くしているのだ? 」
「──さんのせいです! 」
ぼ、僕が何かしたのだろうか。
・・・・・まさか僕が流行病を持っていて、運良く僕には感染しなかったけど娘さんに感染してしまったのか!?
「看病します。おじさん、僕のせいで娘さんを流行病を移してしまい本当にすみません」
「いやぁ、そりゃ違うと思うぜ。なぁ娘よ」
「──さん! 私を子ども扱いしないでください! 私と──さんは二歳しか離れていないのですよ!? 」
「ご、ごめん」
流行病ではないのだとしたら、娘さんの顔が赤くなった原因は何だろうか。本当に分からないことだらけだ。
原因を探るため娘さんをじっと見つめるが、娘さんは顔をふせるばかり。これでは原因も探れない。
「そ、それより! ──さんも気をつけてください」
「何にですか? 」
「最近、近くの村で人が───」
「殺されているよね」
娘さんの言葉に割り込んできた声の主は、いつの間にか僕の隣に居た。
僕の彼女さんだ。でもいつもと様子がおかしい。瞳から光沢が消えていて焦点が合っていない虚ろな目をしている。視線の行き先は娘さんだ。
「無残な殺され方だよね。顔の原型をとどめていない程刺されて。気をつけてね、可愛い子ばかり狙われているから・・・・・貴女のように」
緩慢な動きで人差し指を娘さんの額につけて・・・・・軽く押したように見えた。
「冗談だよ。あまり気にしないでね」
彼女さんはいつもの素敵な笑顔に戻った。娘さんは彼女さんの冗談に苦笑いを浮かべている。僕も怖かったから、あとで彼女さんに注意しておこう。
「おじさん、新鮮なお魚さんいる? 」
「あ、ああ。いっぱいいるぜ! 」
おじさんは店の裏側に行き、木の板で作られている大きな箱を持って戻ってきた。蓋を開けると、先ほど捕れたばかりと思われる魚が十匹ほど横たわっていた。
「わぁ! どれも美味しそうだね! 」
「おう! ちょうどさっき譲り受けたからな」
「ではおじさん、この二匹ください」
「あいよ! 」
十匹の中でも特に新鮮そうな二匹を買い、お店を後にする。娘さんはいつも去る時に別れの挨拶をしてくれるのに、今日はしてこなかった。
日も落ち、辺りが本格的に暗くなってきたので帰りを急ぐ。彼女の手は暖かくいつも通りだったが・・・・・彼女の瞳だけは冷たく光沢が消えたままであった。
途中で何度か迷いそうになったがなんとか家に着いた。こんな木で出来た簡素な家でも落ち着くものだ。
ボロボロの引き戸を開け、床に手を付き家の中を手探りで探し回り────簡易的な囲炉裏の前まで行く。
そこで、後ろから何者かにのしかかられてしまった。そのまま仰向けの状態になるように何者かに押さえつけられる。腕に爪が食い込み痛みが少しずつ広がってきている。暗くて一瞬わからなかったが、暗闇に目が慣れてくると輪郭がはっきりしてきた。
「どうしたの? 彼女さん」
「──は今日、あのおじさんの娘と何を話していたの? 」
「何って、別に大したことじゃないよ」
「教えて」
僅かな月の光が彼女さんの顔を半分だけ照らしだした。瞳は狂気、口は真一文字に結ばれている。だけどこの姿の彼女さんは見慣れてしまった。
「僕があの店に行った時にね、娘さんが僕を見た途端に顔を赤く染めてしまったから病でも移してしまったのかと思って」
「やっぱり・・・・・あの女も・・・・・ヤらなくちゃ」
「彼女さん? 」
彼女さんは右手の爪を噛み始め、それと同時にぶつぶつと独り言を言い始めた。聞こうとするも小さい声で詳しい内容は分からない。
「どうしたの? 」
「・・・・・ううん、なんでもない。それより」
彼女の端正な顔がより一層近くなる。僕が少し顔を上げたら彼女の顔とぶつかってしまう。目と鼻の先だ。彼女さんの甘い吐息が鼻を抜けていく。
「私のこと・・・・・好きだよね? 」
「僕は彼女さんのことが好きだよ」
「本当に? なら、行動で見せて」
彼女さんのことは誰よりも好きだ。仏様に誓って断言出来る。だが行動に移す事ができない。彼女さんから求めることはあっても、僕はずっと受け身、されるがままだったのだ。故に何をすれば良いのかわからない。そのまま何もせずただ彼女さんの冷たい目を見つめ合っていると、いつまで経っても答えを出さない僕に痺れを切らした彼女さんが、
「見せて・・・・・くれないの? 」
一言で全てを凍てつかせるような冷ややかな声を発した。尚も言葉は続く。
「───は私のこと、好きじゃないの? どうして? ねぇどうして? なんで? なんでなの? 」
彼女さんの肩が小刻みに震えだした。どうやって気持ちを伝えていいのか分からない。
彼女さんは、どうしていいか分からない僕のことなんてつゆ知らず、言葉をまだ紡いでいる。
「この髪も、目も耳も口も全部誰にもやらない! 誰にも渡さない渡したくない! 全部全部、私のモノだ! 」
声がだんだんと大きくなっていく。いつもの綺麗な顔の面影は残っていないほど顔は般若のように歪み、僕の腕を掴んでいる手に力が入り爪がさらに食い込む。
「どうして? 私のこと・・・・・あ、そっか。あの娘がいるからいけないんだ。毎回毎回私の──に色目を使って! ──は騙されてるんだ。──は悪くないよ。全てあの娘が悪いの。あの娘は一刻も早くヤらなくちゃ・・・・・」
不意に腕を掴んでいた手の力が弱まった。彼女は僕の腰に跨ったままいつも着ている着物の中に手を入れ・・・・・微かに銀色の輝きを放っている包丁を取り出した。
「すぐに助けてあげるから。待っててね」
静かに立ち上がると持っている包丁を二回おおきく振り、家の玄関に歩を進めた。
あのまま彼女さんを行かせたら娘さんに危害を加えるかもしれない。急いで彼女さんの包丁を持っていない手を掴んだ。
「待って彼女さん。僕は彼女さんのことが好きだ。本当だよ。娘さんにも騙されてない」
「それなら、行動で見せてよ! 私のことが好きって証明してよ! 」
「それが・・・・・恥ずかしいことだが、どういう行動を取れば良いのか分からないんだ。僕は彼女さんが言ったことなら何でもするよ」
その言葉で彼女が出ていこうとする力が弱まった。これで多分娘さんに危害を加えないだろう。よかった。
「だったら・・・・・私に口付けをして。私がいつもしているみたいに。私からじゃなくて、───から」
口付けって接吻のことだよね。口と口を合わせることだよね。
「分かったよ」
彼女さんの両肩に手をのせ、顔を近づけていく。僅かに射し込む月明かりが再び彼女の目を、耳を、口を、映し出した。僕は彼女さんの為ならどんな事だってする。してみせる。例えそれが娘さんと今後関わるなと言われれば、あの店には二度と行かないし娘さんと会っても話さないと思う。殺せと言われれば・・・・・多分殺す。彼女の存在が僕の全てなのだから。
「好きだよ、───」
「僕も好きだ」
そして・・・・・彼女の柔らかい唇が、僕の唇と重なり合う。一瞬ではない。何秒も、何十秒も、重ね続ける。時折息継ぎをしながら何度も。彼女さんの唇の感触が、今は狂おしいほどの喜びを与えてくれる。
「はっ・・・・・ん」
彼女さんはなされるがままではなく、僕の首に腕をまわし、一際強く唇を押し付けてきた。それと共に彼女さんの舌が侵入し、僕の舌に蛇のように絡めてくる。
「んにゅ、はぅ」
舌の動きを追っているうちに頭の奥が痺れ始めてきた。口付け以外何も考えられない、考える事が出来ないほど激しい。
「んっ」
時折離れる唇から僕と彼女、どちらか分からない熱い息がこぼれていく。
彼女さんの美しい髪をかき分けるように手を這わせると、びくっ、と彼女さんの体が小さく波打ち、
「ひぅ・・・・・」
気持ち良さからか、彼女さんの透き通った声が漏れてしまっている。
狭く何も無い家の中、ちうっ、と時折響く水音しか聞こえてくるものは無い。
どのくらい口付けしていただろうか。実際は十秒程かもしれないし、二十分かもしれない。ただ長い時間が過ぎていき、ちゅっ、と心地よい音を最後に互いの唇が離れていく。彼女さんは蕩けた顔で僕を見上げ、
「───、私を名前で呼んで? 」
「・・・・・ごめん、初めて会った時に名前を教えてもらったけど、僕は俗に言う『外国語』は分からないんだ」
すると彼女さんは蕩けた顔から一転、くすくすと笑い始めた。
「ごめん。私の本名は貴方にはわかるはずないよね。言語が違うし。だったら、新しい名前を──がつけてよ。私はどんな名前でも受け入れる」
名前、か。考えて出すのは難しいが・・・・・月夜に映える陶器のように白い肌を美しい彼女さんを見て、自然と名前が浮かび上がってきた。
「彼女さん、『ゆき』って名前はどうかな」
「ゆき・・・・・いいよ。ありがとう。今日から私は──のゆき。いつまでもずっと愛してる」
「僕も、愛しているよ」
「ずっと一緒だからね。これからも、ずぅーっと」
再び僕に口づけをしてきた。さっきよりも優しい口づけだ。怒ったと思えば急に優しくなったりと、感情がすぐに変わる様子はまるで風車だ。
──やっぱり僕の彼女は
唐突な予告 武偵高の文化祭は、文化祭らしい劇をやります。ええもう、テンプレですね。
この話は少し経ったら番外編の章へ持っていきます。