「本当に・・・・・行ってしまう、のですか? 」
「たとえどれほどの危険が待っていようとも、私は行かなければならないのです。彼女はずっと私のことを待っている。私はその気持ちに答えねばならないのです」
「そうですか。私は・・・・・私は・・・・・貴方が、キャピュレット家に行くこと、は・・・・・ヴェアアアアアアッッ! 」
「はーいカットォ」
監督からカットが入り、仰向けに倒れて魂ここにあらずのあかりが台車で運ばれていく。十回はやり直したぞこれで。ここだけ覚えろって言われたから言われた通りに覚えたが・・・・・理由はこういうことか。
「うーん、やっぱりあかりちゃんの配役を変えるしかないかなぁ」
「キャピュレット家に行くのを引き止めるメイド役だったか? あかりと誰かが配役交代したって今からセリフを覚えるのは難しいだろ」
「それもそうだねぇ」
俺の言葉に二年女子監督は台本にペンを走らせながらため息をついた。
「あかりちゃんがあんなになっちゃうのは朝陽君の女装のせいだよね。でも今の綺麗な女装を捨てるのは考えものだしねぇ」
「今すぐ服を脱ぎ捨てて化粧を落としたいんだが」
「可愛いんだからいいじゃんよぉ」
「嫌だわ! 教務科からは、『できるなら女装』って命令だろ。あかりが俺に謎の敗北感でああなるなら女装なんてしなくていいだろ! 」
「まあ考えとくねぇ。とりあえず朝陽君、今日は男装で・・・・・じゃなくて男子に戻ってやろっか」
俺は男子だと自分に言い聞かせ、近場の手洗場に足を運ぶ。
お昼過ぎ。普段であれば、学食や弁当を食べて眠くなった生徒が授業中に寝て叩き起されるというイベントが発生する時間帯だ。当然廊下には誰一人としていないはずだが、今日は学年問わずありとあらゆる生徒が行き来している。それは文化祭の準備期間だから。この時期はみんな目を輝かせているから、楽しみなんだなと微笑ましい気持ちになるが俺は全然楽しみではない。
女装という趣味を持っていない俺にとって『ロミオとジュリエット』は苦痛でしかないのだ。黒歴史を見ず知らずの人に晒すことになるからな。このままあかりが『ヴェアアア』を続けてくれれば俺も女装をしなくて済むかもしれんが。
「お、京条。可愛いな」
「ツイッターに載せておくわ」
「載せた瞬間お前の大事な部分切り落とすからな」
手洗場にいる男子共の揶揄いの言葉に蹴りを入れたあと、流れ出る水を大量に顔に浴びせる。ピシャっと弾ける音が肌に浸透し、着々と化けの皮を剥がしていく。十分に濡らしたあと、演劇のメイク担当の女子から貰ったメイク落としで残った黒歴史を綺麗に拭いて・・・・・鏡に映るのはいつもの俺だ。
「なんだ、今日はもう終わりなのか。蘭豹が大絶賛してたからそれでやりゃいいのに」
「諸事情で今日はもう女装しない。蘭豹は──もういいよ」
変装食堂をやる二年は今日が締め切り日。だから普段学校に来ていなかった奴も大忙しで自らの衣装を作っているが、演劇グループこと俺らは、衣装だけはとっくに済ませているらしい。服装より演劇の方が大事な俺たちにとって演劇の質は本番の日で問われるから、失敗は絶対にできない。いくらカンペがあるとはいえ全部覚えなきゃ土壇場でボロが出る。
「じゃ、頑張ってな」
「おう、せいぜい教務科お仕置きフルコースを味わうことがないようにな〜」
うるせえ! との声を背中で受けつつ教室へと戻る。
廊下と各教室には活気がたっぷりだ。十秒ごとにどこかの教室で銃声がするのもいつも通り。今日も平和な一日だ。
「京条先輩! 」
「ん? 」
袖を引っ張られ、振り向けばヴェアアアア・・・・・ではなくあかりがいた。少し伏し目がちなようだが、なんかあったのか?
「あの、ホントに迷惑かけてすみません」
「ああ、いいよ。迷惑どころか女装しなくて済むから寧ろ感謝してる。ありがとな。監督も、俺のせいだからしょうがないって言ってたし」
「え・・・・・てっきり女装趣味だから怒るかと──」
「いや女装趣味持ってないから! 」
そうですか、とあかりが口に手の甲を当て少し笑った。だんだんアリアにそっくりになってきたな、こいつも。
「私、みんなに迷惑かけちゃってるなってちょっとへこんでたんです。先輩の女装姿見るとなんというか、許せない気持ちになって・・・・・特に胸が」
「パッドだから」
「でも、先輩にそう言ってもらえて嬉しいです。ホントに気がかりだったんですからね? 迷惑かけてるなって」
笑った表情から一転、今度は落ち込んだ雰囲気を見せ始めた。身長が小さいのも相まって小学生にしか感じられねえな。まあ、
「あかりは正直者でまっすぐないい子だ。だから皆、迷惑というよりあかりに何をしてあげられるかなって思ってるんじゃないかな。迷惑だと思ってるなら直接声をかけてくるはずだしね。それとあかりが演じるメイド役は重要な役割だ。俺が男でやるか女でやるかは知らないが・・・・・女装の俺を見る時はジャガイモだと思え。そうすればヴェアアアアはでないと思うぞ」
「・・・・・ありがとうございます。さすが理子先輩の彼氏さんですね。なんか元気がでました」
「そうかい。なら次はできるな? あかりの演技は普通にうまいから、頑張っていこうぜ! 」
バン! とあかりの背中を叩き気合を入れてやる。頬を膨らませて俺をジト目で見てきたが、すぐにまた微笑んだ。吹っ切れたことが表情から見て取れる。久々に先輩らしいアドバイスが出来て俺も嬉しいよ。最近は──というか殆どライカにしかアドバイスしてないからな。しかも近接戦闘の。
「じゃあ行きましょう先輩! 」
「おう! 」
どこからかもの凄い殺気を感じたが、おそらく佐々木志乃だろう。それを無視して教室に戻ると、衝立で区切られた着替えスペースがいつの間にか作られていた。周りには女子がキャーキャーと騒いで中から出てくるであろう人物を待っているようだ。形からして着替えだろうな。俺も一緒に入りたい。
「おおっ!? サイズピッタリで最高だよ吉川さん! 」
「ありがとう理子ちゃん。私、これくらいしかできないから」
中からは吉川という人物と理子だ。
うん、あそこに入ったら三秒で肉片にされるな。お得用パックにして店頭に並べられたくないしやめとくか・・・・・
「あ、朝陽ぃ、理子ちゃんめっちゃ可愛くなってるよ」
「そうか? ハニーよ、早速見せてくれ」
「うん! ダーリンちょっと待ってね」
ガチッ、とベルトが閉まる音がするとすぐに衝立の前についている白のカーテンが開けられ───
「・・・・・っ」
「ふふん、見惚れた? 」
見惚れた? そんな次元じゃない。
理子が着ているドレスは全体は白が基調となっているが、胸を覆っている部分だけ鮮やかな黄色が使われており目線はまずそこに釘付けになるだろう。そしてパフスリーブという肩の膨らみと長袖の間から覗く華奢な腕が、『か弱い女の子』ということを意識させた。上半身から裾にかけて徐々に広がっていくスカートが理子の身長を高く見せる。そして最後に───腰に巻かれた青色のリボン。これが全体の雰囲気を纏める役割をしっかり果たしていた。
「尊い・・・・・! 」
「神はいた。今、目の前にッ! 」
遠目で見ていた一年の男子達は膝から崩れ落ちて頭を垂らし、見開かれた目から大粒の涙を零し始めてしまった。
俺もただ一つの疑問がなければそこの男子達と一緒の行動をとっていただろう。それを見かねた理子が俺の腹に蹴りを入れるのも予知できる。
俺はそのただ一つの疑問点を、理子にぶつけた。
「なあ、俺が女装する場合もその衣装なのか? 」
「へ? 」
ロミオは女装趣味を持っていなかったはず。女装したまま劇をすれば、見た目レズ劇場になって微妙な空気になりそうなんだが。
「あー多分そうだよ。男用の衣装もできてるから着てみれば? 」
「色々とおかしいが・・・・・まあいいや。着るから服はどこにある? 」
「理子が着替えてたとこだよ」
ふむ、これは女装だった場合、演技力で微妙な空気をカバーしないと教務科のお仕置きフルコースだ。台本はしっかり見ておこう。
周りに促されるままカーテンを開けて中に入る。ハンガーラックに二着かかっていて、男用と女用という張り紙がセロハンテープで貼られていた。その下のかごには黒いマントと純白の手袋が置いてある。
外の女子も待ってるだろうし早めに着替えないとな。そう思って早々に服に手をかける。
「───これは、いけるんじゃないか? 」
苦戦しながらも全部着てみると、案外自分にあってるじゃないかと思わず頬が緩む。理子が着ているドレスは白を基調としていたが、この服は黒を基調としている。ボタンは四つ縦に並んでいて肩には勲章がつけられているが、どれも現実にはないデザイン重視の架空のもの。
ズボンは左右に赤のラインが入っており───膝の高さまであるブーツとセットのようだ。それらを全て着てからカゴの中のマントを羽織る。マントは外側は黒だが、内側は赤色とおしゃれに使い分けられていて厨二心をくすぐるデザインだ。でも手作りとは思えない着心地のよさでちょっと安心したな。借り物だとほぼ百パーセントの確率で破けるから。
最後に純白の手袋をはめて、カーテンを勢いよく開けた。
「我、ロミオなり! 」
一瞬の静寂。滑ったと思ったがただ驚いただけのようで、
「うん、似合ってるよ! 」
「なんだろう、この変態がいつもよりかっこよく見える」
「やっぱりイタリアの軍服に似せて良かったね〜」
口々にありがたい感想を言ってきてくれた。
イタリアの軍服とは初耳だがこんなカッコイイものだったのか。確かに、この服装でロミオって言われても違和感ない気がするな。それに両腕の包帯も隠せるし。
「理子ちゃん、どう思う? 」
一人の女子が、カーテンを開けてからずっと俺を見ている理子にウキウキ顔で話しかけた。だが理子はまるで聞いていない。いや、話しかけられていることに気づいていないようだが───
「・・・・・え? ああうん。い、いいんじゃない? 」
ハッとした表情で頷くとそっぽを向いてしまった。
「なんだよ、もうちょっと感想とかないのか? 」
「だ、だって、まあうん。カッコイイ」
うーん、理子の好みとは違うらしい。これはこれでカッコイイと思うんだけど。
「あー理子ちゃん。もしかして照れ───」
「ちっ、違う! そんなんじゃないから! 」
「またまた〜耳まで真っ赤じゃん。朝陽君もこっちきて理子ちゃんの顔見てよ」
「ん。行こうじゃないか」
そこまで言われたら行くしかない。理子の照れてる顔はいつ見ても可愛いからな。それに二人の時は暴力が襲ってくるかもしれんが今は皆の前だ。イメージが悪くなるから振るってこないだろう。それにしても俺の衣装を見て顔を赤くするとか、演技力ありすぎだろ。
「ちょ、キョー君こっち来ないでっ」
「そんなこと言わずにさ、どうせお互いの顔見るんだから」
と、後ろを向いている理子の肩を、グイっ。引っ張って振り向かせると───長く細いまつ毛に強調された大きな瞳の上目遣い。綺麗なピンク色の頬にポッカリと開いた口は、恥ずかしさからかちょっとだけ震えている。絵に描いたお姫様がそのまま出てきた感じだ。
「・・・・・うっ」
超絶可愛い。ヤバすぎだろ。
心臓の鼓動する音がやけにハッキリと聞こえる。顔がじわじわと熱さを帯びてきた。目の前の美しさに目が離せられない。
「ど、どうだ? 」
「うん・・・・・すごく、カッコイイ・・・・・よ」
上目遣いでそんな事を言われ───つい理子から目を逸らしてしまう。理子は顔から湯気が出そうな勢いだったが、口に手を当てて俯いてしまった。
なんだよ、いつもは何しなくても殴ってくるくせに。こういう時だけ可愛いそんな仕草しやがって。こっちまで恥ずかしくなってくるじゃねえか。
「うっわぁ、砂糖吐きそう」
「微笑ましいというか何というか。とりあえず糖尿病になってないか健康診断受けてくる」
ギャラリーの女子まで顔を赤くする始末。男共は、
「俺達にもあんな可愛い彼女が・・・・・」
と、別の意味でまた涙を流していた。それを見かねた女子監督は二回手を叩き、
「はーいロミジュリは台本覚えて。他は背景作るから木材とペンキ。昨日はバルコニーだけだったから今日で大部分完成させちゃうよ」
とゲンナリした顔で指示。そのおかげで野次馬共は静かに散っていった。続いて、
「そこのお二人さん、台本暗記ならそこのブリキ板を椅子代わりにしてやってね」
と、教室の角に忘れ去られていそうな平たいブリキ板を指さした。いかにも硬そうだけど。あれに座れって言うのか鬼畜監督め。というか理子はドレスで座ってもいいのか?
「座布団かなにかないか? 」
「すぐ近くにあったと思うから、探しといて」
投げやりの返しだったが、当の本人も指示をだし始めてしまったのでまた声かけにくい。対して理子はすぐ見つけたようで丁寧に隣に敷いてくれた。いざ座り壁に寄りかかると、周りが忙しなく動く中俺たちだけはゆっくりとした世界にいるみたいに見える。決してサボってるわけではないが。
「ありがと」
「お礼は武偵高駅前のパフェでいいよ」
「そんな食いしん坊でよく太らないな」
「食べた分はしっかりダイエットしてるからね」
「でも一キロとか二キロ太ったって変わらないと思うけどな・・・・・」
そりゃ十キロくらい体重が増えれば外見が少しは変わると思うけど、なんで一キロくらい太って気にするのだろう。女子という生物は。
「気にするよ。だって・・・・・キョー君のジュリエットなわけだし。あと女の子に体重の話はダメ! 」
「そうですか。理子のロミオとして気をつけますっと」
理子は満足そうに頷き座布団を俺の方に寄せてきた。肩が触れるか触れないかの、微妙な距離。窓から射し込む光がのばした足を優しく暖める。
「さて、この量を覚えるんだよ? 大丈夫? 」
「暗記は得意だ安心しろ。演技の方は・・・・・頑張るわ」
台本を開き、文字の羅列を一つずつ追っていく。言い回しが古いから普通の劇のセリフの方が覚えやすい。
だが・・・・・二十分そこらの劇らしいがロミオの出番多くないか? 本番緊張して飛びそうなんだが。
「ロミオ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの? 貴方のその家名をお捨てになっててくれたなら、私も家名を捨てるのに」
───なんだ理子。いきなり切なそうな顔でそんな事言って。俺に振られたってどこだか分かんないぞ。えっと・・・・・ああここか。
「その言葉、確かに頂戴いたします。ただ一言だけ僕を恋人と呼んでくれたなら───」
「だめだめ! もっと感情を込めて! 」
「込めるって言ったってな。具体的に教えてくれ」
「こう・・・・・ずっと欲しいと思ってたおもちゃが目の前のショーケースにあるのに触れられないでいる子どもの気持ち」
・・・・・いや分からなくもないが難しいぞそれ。それに俺は気持ちは分かっても、それを演技として人に見せるのは苦手だし。観客の感情を役者と同期させることが出来るようになるのが先か、それができず本番を迎えるか。後者だったら間違いなく教務科のお仕置きフルコースだ。
「感情の込め方は理子があとでちゃんと教えてあげる。それよりキョー君、さっきのセリフ台本見て言ったでしょ」
「そりゃそうだろ。渡されたばかりなんだし」
「遅くない? 理子はここまで覚えたよ」
と言って、台本の一ページ目の半分を指さした。台本は事前に渡されてあったから覚えてたのか?
「よく覚える気になったな。俺は今日のこの時まで一切開かなかったぞ」
「え、理子もキョー君が台本を見る少し前に開いたばかりだけど」
マジかよ・・・・・いやいやいや、ありえないだろ。ほんの少しセリフ見ただけで覚えたと言うのかこいつは。バケモノかよ。
「簡単じゃん。そんな絶句した顔で見ないでよ」
「本気で覚えるから、今から話しかけんなよ」
「はーい」
理子は俺に体をくっつけると台本にまた目を落とした。理子に触れている部分が熱を持つ。柔らかな肩の感触が衣装越しでも十分伝わってくるのだ。そのせいなのか心臓がうるさい。理子に聞こえそうなくらいだ。
「ジュリエット、今言葉を交わしたばかりというのにもうお別れをしなければならないのか? 」
ブツブツとセリフを唱える。何も知らない人が見れば、お経を読んでいると勘違いされるだろう。だが、何事も覚える時は声に出すことが肝心だ。演劇の場合はセリフの場面を想像しながらやった方がいいだろうか。
「あそこの木々のこずえを銀色に美しく染めて輝く月に賭けて、僕は誓います」
だめだ。理子に指導してもらおう。他の学校でこの演劇のロミオ役の人はよくこんなセリフを言えたな。堂々と言った方が逆に恥ずかしくないのかもしれない。
チラッと理子を見ると、真剣に台本を覚えていた。笑顔とか悲しい時の表情はよく見るが真顔はあまり見ない。今は可愛さだけが表に出ているが、将来は男を惑わす魔性の女になるだろう。美人顔だ。
───って、集中しろ俺。余計なことを考えるな。
「ああ、太陽など昇らなければいいのに。そうすれば無限の時を貴女と過ごせる」
セリフに目を戻し再び覚え始める。だがこうも覚えるだけの単純作業だと眠くなるな。暖かい陽気と昼食後の満腹感も相まっていい感じに寝れそうだ。覚えるのは・・・・・起きてからでいいかな。とりあえずこの引き込まれる眠気はどうも抗えない。
そのまま壁に背を預けて、活気溢れる声を子守唄代わりに俺は、そっと目を閉じた。
「──て。──きてよ。起きてったら! 」
「うん? 」
視界がボンヤリとして焦点が合わない。寝起きってのもあるが、一番は肩を揺すぶられてることだろう。
「あ? やっと起きた。いつまで寝てるの? 」
「・・・・・ああ、ごめん」
時計を見ると、午後六時。教室内は寝る前と同じ活気が溢れていた。
「寝ちまってたな」
「うん、理子に寄りかかってね」
「すまん、重くなかったか? 」
「大丈夫。理子もキョー君の肩に頭乗せていつの間にか寝てたし」
よかった。殴られるかと思ったぞ。寝相が悪くて理子の胸とか触ってたら校舎の窓から落とされてたのは確実だ。
「どこまで覚えた? 」
「一ページと半分」
ホントバケモノだよ。俺なんて半分しか覚えきれてないぞ。
「どうせキョー君は半分くらいしか覚えてないんでしょ? 屋上で覚えたとこまでやってみようよ。ここだと──ちょっと恥ずかしいな」
「分かったよ。あと心を読───」
「みんなー! ちょっと屋上で練習してくるねっ」
監督含めた作業中の女子と男子共は口々にいってらっしゃいと笑顔で・・・・・それはもう清々しい程の笑顔で送ってくれた。
教室を出て廊下を歩いていると、必ずと言っていいほどジロジロと見られる。ロミジュリのコスプレをしてるから目を惹くのは分かるけど流石に見すぎじゃないですかね。
「尊いッ! 」
「イタリアの軍服・・・・・? 意外と似合ってるね京条君」
ありがたい。でも理子のような超絶美少女が俺と主役なんてやっていいのか? 釣り合わない気がするが──心配だ。
と、
「ね、手」
「は? 」
「だから・・・・・ん」
理子は恥ずかしげに俺の手を掴んできた。指と指を絡ませる繋ぎ方。所謂、恋人繋ぎだ。
「どうした」
「みっ、みんなの前でこうやってアピールしておかないといけないでしょ」
「そりゃそうだが、別に今やることか? 」
「うるさいっ! 黙って繋がれてればいいの」
耳元に顔を近づけられてそんな事を言われれば従うしかないだろう。断ったら銃弾が飛んでくる。
黄色い歓声が廊下に響き渡る中、逃げるように屋上へ続く階段を上がり───ガチャ。扉を開けた。
「わぁ、キレイだね夕焼け」
とてとて、と扉から数歩進み空を見上げた。その姿は、王女。或いはそれと似た美しい造形。絵にすれば多くの人々の心を揺さぶるのは想像に難くないことだ。
「屋上でいいとこは・・・・・そこだね! 」
理子が指さした場所は、ちょうど校舎の中心部分となっているブロック状の高台。高台といっても、朝礼台を横に長くしただけのただの石だ。なぜ設置されたのかわからないが、たまにここに吊るされている強襲科の一年を見かける。でもここが屋上で一番高いから景色も良好だ。普段はデカいビル群も、今は俺と理子より小さく見える。
「さて、誰もいないし、やりますか」
「うん」
行き場を失った夕焼け雲が点々と空をさまよい歩き、太陽は西の水平線に帰っていくのが見える。
えっと、確かキャピュレット家のパーティに忍び込んで、甥のティバルトに見つかり激怒される。だが老キャピュレット卿はそれを許した。ロミオはジュリエットの下に行き、ほのめかすようなセリフを言うとの場面だな。
俺は理子の───ジュリエットの手をそっと取り、
「この舞台を聖地と呼び、もしこれに手を触れて汚したならば、僕は巡礼だから償いのために接吻させて欲しい」
巡礼さま、とジュリエットは言った。
「貴方のご信心はとてもお行儀よく、上品です。聖者にだって手はございます。巡礼がお触れになってもいいのですが、接吻はいけません」
屋上を撫でる風がジュリエットの金色の髪を静かに揺らす。ジュリエットの瞳は、吸い込まれそうなほど深く、魅入ってしまうほど艶やかだ。
「聖者には唇がないのでしょうか。それに巡礼には───」
ジュリエットは僕の言葉を遮ると、教師が生徒に言い聞かせるみたく話し始めた。
二匹の鳥が、仲良く傍を通り抜けていく。
「お祈りに使わなければならないのですから、唇はあります。ですが接吻となると・・・・・」
「それならば、僕の祈りを聞き届けてください。でなければ僕は絶望してしまいます」
左手を胸に、右手をジュリエットに差し出し、すがる気持ちで思いを伝える。ジュリエットは目を瞑り考える仕草をすると、コクンと頷いた。
「わかりました。貴方の気持ち、しっかり受け止めます」
ジュリエットは右手をスッと差し出した。僕はその場に跪き、ジュリエットの綺麗な指を軽く包み込む。
いつもは空高く見守っている太陽が、僕達と同じ高さにある。僕達二人だけの演劇を見る者がこの場にいるとしたら、精巧な影絵だと思うだろう。
「感謝します。では───」
ジュリエットの顔は、気のせいか紅く染まっていた。夕焼けだからそう見えるのかもしれない。でも、美しいのは変わりない。一種の芸術だ。
僕はゆっくり、ゆっくりとジュリエットの少し震えている手に顔を近づけ────
───軽く、口付けをした。