二人だけの劇を屋上で終えたあと演劇のみんなの元に戻った。拍手で出迎えられたのは予想外だったが、まあいいだろう。その後も理子と一緒にセリフを覚えては練習し、覚えては練習しての繰り返し。こんな平穏な日々が続いたらいいなと思っていても、常に『瑠瑠神』という存在が頭をチラつく。考えてはため息をつき、考えては落胆する。そんなことを繰り返している内に夜も深くなり、解散ということになった。ロミオとジュリエットも寮の部屋に帰りのんびりしている。シャワーも浴びて体を清潔にして、あとは寝るだけだ。
───理子の部屋だけど。
「それにしてもベッドでけえな」
「理子、寝相悪いからね。キョー君も理子の部屋で寝るのに馴れちゃったでしょ」
「いや、女子の部屋で寝るのはまだ緊張するぞ」
ふかふかのベッドに寝転んでいるが、至る所が理子の匂いだ。包まれているといっても過言ではなく、それが正解。思春期の男子で緊張しないヤツなどごく少数だろう。しかも匂いだけではなく本人様が横にいるのだ。端正な顔がすぐ横にあって、吐息が俺の右耳をくすぐってくる。理性さんが仕事放棄しそうだ。
「・・・・・寝よっか。今日は疲れちゃった」
「そうだな。ちょっと色々とヤバいから」
「くふっ、今日も怪我しないでくれてありがとね」
感謝の言葉に続く言葉は無し。目を瞑っていて本当に寝てしまったようだ。思春期男子が横にいてこんなに密着してるのに、危機感というものがまるでないな。どうせ理子は、
『キョー君童貞だしそんな意気地ないし』
とか言いそうだな。
理子の金髪を少しだけ手にとる。浜辺の砂を手ですくい上げた時のように指の間を通り抜けていく。その中でも一本だけ、その流れに逆らう髪の毛があった。毛先はクルッと鉤爪になって落ちまいと必死に俺の指に食いついてくる。この髪の毛はまるで───周りには仮面を被って『峰理子』という人物を演じているのに、俺といる時だけ素の自分をさらけ出す。『峰理子』とは、このくせっ毛そのものだ。
「んん・・・・・」
さらに近づいてきた。最近の理子はちょっとおかしい。いきなり甘えてくるようになって、平気で俺と一緒に寝る。以前はベッドに入っただけで東京湾に投げられた挙句上から銃弾の雨が降ってきたのに。諦めでもついたのか?
・・・・・ダメだ。眠くなってきた。考えるのは今度でいいか。そう思って俺は目を閉じる。最後に見た光景は、理子の頬が若干ピンク色に染まっていたことであった。
「被告人、神崎かなえを懲役536年の刑に処す」
演劇練習開始の日から楽しかった日々──それに亀裂を入れる一言が、東京高等裁判所第八百法廷に響いた。弁護席についていた俺は、それこそ驚きすぎて大声を出しそうになる。
執行猶予さえない有罪判決───かなえさんにとって重すぎる判決だ。一審よりは減刑されているらしいがどう考えても被告人側の負け。絶対に何かおかしい。傍聴人はいないしマスコミも一人も来ていないのだ。
「不当判決よ! どうしてこんなに証言と証拠が集まってるのに──説明しなさいよッ! ママは潔白だわ! 」
アリアが検察側に駆け出そうとするが──弁護士である女性が抱きつくように押さえた。
「騒ぐなアリア! 最高裁の心証が悪くなる。即日上告はする、落ち着け」
最高裁でもこの判決ならば、終身刑だ。536年なんて年数人間では生きていけない。
「離しなさい連城! あたしはあんたに怒ってるんじゃない! あんたは有能で、全力でやってくれた! 悪いのはこいつらだわ! こいつら全員結託してママを陥れてる、陰謀だ! 」
検察官、裁判官まで指さしてアリアが泣き喚きながら暴れる。キンジと弁護士──連城さんが二人がかりで押さえにかかるが、手に負えない状況だ。
そんなアリアを制止する静かな一言が、かなえさんから告げられた。
「アリア、落ち着きなさい」
その言葉だけでアリアは抵抗しなくなる。
グレーのスーツを着たかなえさんは、緩やかにウェーブした髪を揺らしながらアリアの方を見ると、
「ありがとうアリア。あなたの努力、本当に嬉しかったわ。イ・ウー相手にここまで成し遂げるなんて、大きく成長したのね。親にとって何よりの喜びよ」
当の本人であるかなえさんは・・・・・誰よりも落ち着いていた。
「遠山キンジさん、あなたにも心から感謝しています。アリアはとても良いパートナーに恵まれて、直接それを見届けられた。それだけで幸せです。でも──」
そこまで言ったかなえさんは、先ほどまでの優しい笑顔から一変、全ての表情を消し目を閉じて、
「──こうなることは、分かっていたわ」
ため息と共に諦めを、ゆっくりと吐き出した。
連城弁護士のAudiに乗り、かなえさんを乗せた護送車が高裁から出るのを追うように車を出した。少しでもアリアをかなえさんのそばにいさせてやろう、という計らいだろうか。助手席のアリアがジッと護送車を見つめている。
「ママ・・・・・なんでよ・・・・・」
アリアは泣いていた。
それもそうだろう。アリアは命懸けで何年も戦い続けたのだ。自分の青春さえ投げ捨てて、全ては自分の母親のために捧げた。今回減刑されたのは、理子とジャンヌとブラドの分だけだ。かなえさんとイ・ウーとは無関係ですと証明するためには残りのメンバーを裁判所まで連れていかなきゃならないのか? 多分それは──無理だろう。何年かかったって実現できそうにない。もしできたとしても、時間が足りないのだ。
護送車を追って外堀通りにはいったところで、隣にいる理子が服をクイクイッと引っ張り耳打ちしてきた。
「キョー君もイ・ウーにいたんでしょ? 教授からかなえさんについて何か聞いてない? 」
「俺の記憶の中じゃ、一言もその話題について触れてこなかったぞ。裁判関係の話も一切しなかった」
「そう・・・・・」
「あれに説得すればこの裁判も有利に傾くんだが──っと! 」
車が急に一時停止し、運転手である連城弁護士以外前のめりに倒れそうになる。
「な、なんだ? 」
前方を見ると護送車も停止線からかなり離れていた。その先の信号を見ると───どの色も点灯していない。歩行者用の信号機も同様であり歩行者がキョロキョロと顔を見合わせている。近くにあるビルやカフェの明かりも消えていた。
「停電か? 」
その時、護送車の下から黒い何かが、アスファルトに広がり始めた。影──にしてはおかしい。上に飛行機もヘリコプターも飛んでないはず。影単体が現れることは絶対にないのだ。
「みんな逃げ───! 」
理子の声とほぼ同時に光った閃光と車を包みこむ激しい放電音が耳を劈き、理子の指示はかき消されてしまった。この音は・・・・・電気か。おそらく高圧電流が車を通り抜けたんだ。落雷は、普通ならありえない。雷鳴も聞こえてこなかったんだ。なのに落ちるなんて聞いたことないぞ。だがそんな問題より重要なのは────
「みんな車から出ろ! 危険だ! 」
車のボンネットから煙と炎が出ていること。俺もキンジに続き、蹴り開けられたドアから外に出る。前方の護送車にも雷は落ちたようで煙がもくもくと上がっていた。そして・・・・・その護送車の上に立っている少女は呆気にとられている俺たちを見回すと、
「あぁ、ガマンできなくなっちゃう・・・・・」
と恍惚の表情を浮かべた。そいつはフリフリの日傘をさして、退廃的なゴシック&ロリータ衣装を着ている。遠目でだが見たことがあるやつだ。こんな特徴的な服装の女は一度しか見たことない。
「
「あら、私のこと知ってるのですね。宣戦会議を知っているということはチームバスカービルのメンバー。あなたの血も───美味しそうね」
左手の小指の先を口に咥えて───まるでお菓子が目の前にある子供みたいに俺を見つめてきた。
深紅の瞳と見つめ合う。吸い寄せられそうな深みがあって目を離すことができない。
「あなたの中の色金、随分
俺の中の色金の存在を知っている・・・・・? だが問いただそうと口を開こうとするも、それは叶わなかった。口どころか足の指一本すら動かせられない。ただこの件に関係ない一般人の悲鳴とどこからか吹いてきた風が俺を揺らすばかりだ。
「ヒルダ! 写真では見たことあるけど、会うのは初めてねッ! 」
アリアはガバメントをレッグホルスターから抜くと、引き金に指をかけた状態でヒルダの顔面に銃口を向けた。だがヒルダはまったく気にかけていない。
「今はあまり戦う気分じゃないのよ? 太陽って憎たらしいし。でもね、つい手が出ちゃったのよ。玉藻の結界からノコノコと出てくるんですもの」
だけど、と言葉を繋いだヒルダは、カツンと黒いエナメルのピンプールの踵を片方だけ鳴らし、護送車の中を示した。
「あなたのママは死んでもらうわ。お父様のカタキは一族郎党、根絶やしにしてあげる。そこのあなた以外、ね」
ヒルダは小指で俺を指さす。アリアはそれを合図に、
「キンジ、右翼側面から援護! 」
「分かった! 」
アリアはいつも通り猪突猛進で敵に突っ込んでいく。
どんな攻撃をするか知らない敵にその攻撃は悪手だ! と、伝えようとしても口元から余った唾液が少し垂れるだけ。痙攣すらさせて貰えない。自分だけ時間が止まったかのようだ。
「だからァ───そんな血の気の多い姿見せないで。ガマンできなくなっちゃう」
ヒルダはその場から動かず、んッ、と力むと──バチッ! 再び放電音が聞こえ、キンジとアリアが倒れ込んだ。二人とも、うぅ・・・・・と唸り手足を痙攣させている。症状は高電圧のスタンガンをくらった時と同じだ。
「素晴らしわ。もう我慢できなさそう・・・・・もう食べちゃおうかしら。お前たちなんか第一形態でヤれそうだし」
「く・・・・・くそッ! 」
キンジは必死に立とうとするが、全身の筋肉がまだいうことを聞かないようだ。アリアも歯を食いしばって痺れに耐えている。
「でも──あなたの方がおいしそうね。この子たちはワインに、あなたは私のペットとして役に立ってもらおうかしら。時々つまみ食いしちゃいそうだけど」
コツコツとピンプールの踵を鳴らして俺に近づく。目線は俺の目から片時も外さずさらに奥深く覗き込んでくる。ヒルダは自身の首に着けているチョーカーをとり、微笑みながら俺の首に着けた。真っ黒のそれは大きさが違うはずだが、ぴったりと首にはまり──
「あなたは今日から私のペット。このチョーカーはご主人様からの贈り物よ。喜びなさい」
ヒルダはそう言って、ガブり。俺の首に、先端に緋色の金属を被せたキバを・・・・・それもヘタな刃物より数倍も鋭いのを突き立て、少しずつ血を飲み始めた。高級ワインを飲むように上品に、優雅に。吸われている俺からすれば、針で刺された瞬間の痛みが永遠に続いて普段であれば悶絶しているだろう。
「あぁ、おいしいわ!あなたはずっと飼っててあげる──あなたもね」
と、ヒルダの背後まで接近しナイフを振り上げていた理子の手首を掴んだ。
「あぁん四世、なんて可愛らしくて凶暴な目。好きよ、あなたのこと。お父様がご不在の今は私がドラキュラ家の主。あなたが素直に私の言うことを聞いてくれたら檻に閉じ込めたりはしないわ。私の大理石のお部屋も、シルクの天蓋付きのベッドも、全部貸してあげる。ヨコハマの紅鳴館を任せてもいいわよ」
ヒルダが理子に言い聞かせる姿は、まさに母と子。これ以上ない優しさで話しかけていた。だが理子は、
「騙されるかよッ!私を甘く見るな! 」
と恐怖を押し殺しながら叫び抵抗する。抵抗震えているのが俺からでも見える。ヒルダは理子に顔を近づけ、
「私の目を見なさい四世。嘘をついている目ではないでしょう? 」
理子はついその目を見てしまったらしく、しまったという心の声が聞こえてきそうな感じで息を呑んだ。
「ほら、私の目を見なさい。私たちが友達だって証明するために。ほら、ゆーっくり・・・・・ゆーっくりと」
「───ッ」
理子は震えながらナイフを下ろしていく。自分の意志とは関係なく動いているようだ。俺も理子もこのヒルダとかいうコウモリ女の目を見てこうなったんだ。もしかしなくても催眠術まで使うのか・・・・・!?
ヒルダは自分の耳からコウモリの翼の形をしたイヤリングを片方はずし、
「あなたには友情の証として、これをあげる」
と、理子の右耳につけた。委縮していても尚睨み続ける理子をヒルダは満足げに眺めた。
「そういえば眷属のココから聞いた話なんだけどね。あなた──四世と私の
「それが、どうしたッ」
「
理子から言葉はでない。たださっきまで怯えながらも必死にヒルダを睨んでいた目は──悲壮感と垣間見える疑念の色でまみれていた。そんな理由で別れなければならないのか、と。
「り・・・・・理子は・・・・・」
「もう一度言うわ。
今度は力強く有無を言わさぬ口調。理子に拒否権など与えない気だ。理子はトラウマが完全に甦ったのか目尻に涙を溜めて震えるばかり。時折聞こえるうめき声が、今の理子が出せる精一杯の声なのだろう。その姿を見て俺は──
「ぉい。何して、やがる」
「なっ!・・・・・ビックリするわ。まさか私の催眠術にかかっていてもちょっとは抵抗できる人間がいて。ますますあなたのことペットにしたくなってきちゃった」
心の底から湧き上がる怒り。だがいつもとは違い理性で抑えることができる。そのおかげでヒルダの言う通り少しだけ抵抗できるが・・・・・それも喋ることだけ。体は一ミリも動かせない。
「あなたの今の血、すごくおいしそうだわ。もう一回頂こうかしら」
と、理子から手を放し再び近づいてきた──が、俺の首に手を伸ばす前に整った眉を顰めて青空を見た。辺りに人がいなくなり静かだったこの空間を破壊する轟音が、天から銀色の光を帯びて近づいてくる。あれは単なる流れ星なんかじゃなく・・・・・ICBM。大陸間弾道ミサイルだ。気づいた時にはもう遅く、すぐそばの道路に直撃し──地面を震わす勢いで道路に突き刺さった。不発弾か?
だが、側面のハッチが開いていくのを見るに不発弾でもないらしい。
「危ないところだったねアリア。君がアリアだと一目で分かったよ。そして──ヒルダ。君はこの世で最も傷つけてはいけない人を傷つけてしまった」
日の光を背に開いたハッチから登場したそいつは、どこか海外の武偵高の制服と思われる灰色のブレザーを着ていた。その美少年は痺れからまだ回復していないアリアの前に守るように立ちはだかると、紋章入りの銀鞘から細身のサーベルを右手で抜き放つ。ヒルダは、不愉快そうに眉を寄せた。
「君にアンラッキーな知らせを三つ。一つ目、このカンタベリー大聖堂より恩借した
左手でヒルダに見せつけながら抜いた銃は、
SIGSAUER P226R。通称SIG。エリート御用達しのオートマチック拳銃だ。
「使用弾丸は
美少年はきれいに整った眉を吊り上げた。
「僕はとても怒っている。ヒルダ、君がアリアを傷つけたことにだ」
右手に剣、左手に拳銃のこの構えは強襲科でいう、
ガン・エッジ。難易度が高い構えだが、使いこなせば実践的。しかもどちらの武器も吸血鬼に対して絶大な威力を誇る
「……イヤだわ。とっても嫌いな臭い」
と、黒い鳥の羽根を使った扇を開き、自分の口元と鼻を隠した。
「ヒルダ。ここで君を斃す。そうしなければアリアの命が危ないからね」
「あ、あんた何よ。いきなり現れて」
「アリア、目と耳を塞いで待っていてほしい。君に血を見せたくないからね」
アリアは赤紫色の瞳をキョトンとさせて黙ってしまった。美少年は俺を見つめると、短くマバタキ信号を送ってきた。
『あとで 話』
と。この戦いのあとで俺に用があるらしいな。そしてマバタキ信号をする余裕があるならさっさと目の前の敵を倒してくれ。
「───
一歩だけ下がったヒルダは扇を美少年に向けると、護送車の影の中に沈んでいってしまった。真夏の地面に置いた氷のように。
「四世、あなたの答えは今度・・・・・に聞かせてもらうわ。そこのペットもね。あと───お前の一族は必ず皆殺しにしてやるわ」
理子、俺、アリアにそう言い残し、ヒルダは本当に影も形もなくなってしまった。催眠術による拘束もそれと同時に解け、体の自由が普段通り聞くようになる。
立ったまま呆然としている理子の下に駆け寄ると、俺に飛びつくように抱きつき──何も言わず、そのまま固まってしまった。
「お、おい理子。もうあいつは行ったぞ」
「・・・・・」
言葉による反応は無し。ただその代わり、絞め殺されるほど強い抱擁。怖いものを見たくないと胸に顔を押し付け、泣き声を必死に堪えている。よほど怖かったのだろう。次第に理子の足から力が抜けていき、ぺたんと道路に座り込んでしまった。俺も理子と一緒に地面に座り、理子を強く抱きしめる。少しでも安心してほしい、その一心で。震えは止まらずスーツの胸部分を生暖かい涙が濡らしていく。
「僕は
美少年の凛々しい声が背後から聞こえてきた。
「僕の名前はエル・ワトソン。J・H・ワトソン卿の曾孫だよ。シャーロック・ホームズの相棒だった、元軍人の医師のね」
───思えば今日のこの事件から、最悪の不幸は始まったのかもしれない。
遅くなった上に内容薄くて申し訳ない・・・・・
次話は早めに投稿できるよう頑張ります