刹那、ヒルダの尋常ではない本気の殺気に、俺たちだけでなく館全体までもが凍てついた。側の柱には亀裂が走り、背の一面窓はガタガタとけたたましい音量で警告してくる。
呼吸を忘れてしまいそうな圧迫感に飲み込まれ・・・・・盾を構えるのがほんの一瞬だけ遅くなってしまった。
普段の戦闘ならばなんの影響も出ない。味方の援護以前に敵がその間に詰めてくることはなかったからだ。
だが今は違う。俺の血を吸収して筋力アップしてからの本気モード。その一瞬が命取りになる──!
「キンジ、アリア! 」
悲鳴にも近い声で理子は叫ぶ。
雰囲気に飲まれかけていた二人は一斉に動き出そうとするが、
「遅いわね」
ダンッ! と火薬の炸裂音にも似た音。
ヒルダが床を蹴った音だと把握した時と、既にヒルダが二人の目の前にいると気づいたのはほぼ同時。裏拳をアリアの胸に叩き込み、間髪入れずに左足を軸足にし、遠心力を乗せてキンジを玄関方面へ蹴り飛ばした。
ヒルダはそのまま回転し俺に右半身を見せたところで止まると、
「
ポツリと呟き深紅の槍を左手に持ち替える。この一連の動作に、本能が全力で危険信号を鳴らした。場面、向けた半身こそ違うが、次の行動は───
(コイツの本気の突きが、来る! )
右腕の盾に左腕を重ねて理子もろとも横へと体勢を崩す。考えるより先に体が動いたと言っても過言ではない反応。
しかし一拍も置かなぬ内に目の前を深紅の彗星が盾の表面を削り取りながら駆けていた。今までのような強い衝撃は一切ない。だが代わりに強い違和感を覚える。
この盾はジュラルミン装甲に加えて炭化タングステンの超硬合金を窒化チタンでコーティングしたものだ。そう簡単に、ましてや槍刃が横一線に盾を駆けただけで貫通されるわけない。
だが腕に伝わる感触は違った。その感触が何だったのか確かめる前に、キンジが吹き飛ばされた階下へと半ば転げ落ちながらその場を離れる。
「キョー君、今のは危なかったね」
「ああ、あと少し遅かったら死んでたな」
軽口を叩きながら盾を横目で見る。
かるく丸みを帯びた長方盾の中間あたりに、真新しい斬撃のあとが残っていた。これほどの硬度を持つ
「運が良いのね」
「実力だコウモリ女」
ヒルダは手元で槍を回転させると、アリアが自身の拳で吹き飛んだ位置を見ることなく、そこにいるのが当然だと迷いなく槍を突き刺した。が、そこにアリアはいない。
「せいやっ! 」
よく聞いたことのあるアニメ声。
既にあの打撃から回復していたアリアは残された一振りの刀でヒルダの片翼を切り落とした。切り返しでもう片翼を狙うが、ヒルダの槍によって防がれる。
「キンジ、援護よ! 」
「分かってる」
蹴り飛ばされたことなど最初から無かったかの速度で俺の横を通り過ぎ、ヒルダへと肉薄。鞘から抜き出されたスクラマ・サクスは鈍色の輝きを持ってヒルダの背中へと吸い込まれた。しかし、青白い皮膚を掻き分ける直前にその場に屈まれ、鋭い足払いがキンジの足を襲う。
「ちッ」
アリアはキンジに気を取られている隙に胸下の魔臓の一つに刀を深々と突き刺した。下から見上げる形になっていたヒルダは、この世の憎悪を体現したような表情でアリアを睨む。
「ちょこまかとウザったいわね! 」
槍をその場に置きさり、右手を外側に向けた状態で、人体など軽々と引き裂けそうな切れ味を持つ爪を左脇腹から右肩へと振るった。
当たれば臓物を床にぶちまけて出血死は免れない。だが、そんな単調な攻撃を避けられないアリアではない。
「甘いのよ! 」
豪速で振るわれた腕をくぐり抜けさらに接近。
オラァ! と男勝りの掛け声でヒルダの顎に膝蹴りを直撃させた。ヒルダが少しだけ地面から浮かび上がったことからその威力が考えなくとも想像できる。
さらにキンジのお返しだと無防備になった腹を蹴り上げた。
「ぐっ! 」
人間離れしたアリアの攻撃にヒルダは中空へと身を投げ出された。その道筋を追いかけるように響いた三つの銃声。9mmパラベラムの銃弾が一つ、二つと両太ももの魔臓を貫き紅色の花を咲かせた。三発目のヘソに向かった弾丸は───片翼のみを使った強引な軌道変化により僅かに外れて虚しくも玄関に着弾する。
「ナイスカバーよ、キンジ」
「アリアもナイスアタックだ」
静かに階下へと落ちたヒルダは胸に突き刺さったままの刀を乱暴に引き抜く。そして軽口を叩いている二人を睨むや否や、強化された筋力を以て刀を投擲した。
神速とも呼べる速度。目が追いつかないとかの次元ではない。速すぎて残像すら霞むレベルだ。
──しかし。
「キンジじゃ取れなさそうだけど、
ポツリと零した言葉。それがどんな意味を持つのか脳が理解するするよりも早く、アリアは飛来してきた刀の柄を逆手でキャッチした。
「力が湧いてくるのはあたしも同じよ。Sランク武偵、ナメないで欲しいわね」
不敵な笑みと共にアリアの目に緋色の光が一瞬だけ輝いたような気がした。だが今はそんなことに構っている余裕はない。
ヒルダは肩をわなわなと震わせ右手を天高く突き上げた。どういう原理か知らないが、深紅の槍はそれ自体が磁石とでも言わんばかりに手元に吸い寄せられる。
「こっちも忘れんな! 」
理子は地を這うようヒルダに向かって駆け出した。継いで俺もあとを追いながらアイツの一挙一動を決して見逃さない。
「さっさとくたばりなさい四世! 」
理子の接近するスピードに合わせてヒルダも踏み込む。璃璃色金の力で自在に操れる髪の毛──その中に隠されていた二本のナイフを突き出した。
しかし一つの銀閃は容易く深紅色に弾き返され、続く第二撃は何をされてなくともヒルダの顔の横を通り過ぎていく。
「笑ってあげるわ。薬のせいでこの距離の攻撃も満足に当てられないなんて、ねッ! 」
槍の中央部よりやや穂先側に右手を移動させると、斬るのではなく骨を折る目的の一閃が反時計回りに理子に迫った。
槍の柄は握るためだけにあるものではない。力あるものが振るえば骨の一本や二本は簡単に盗られてしまう。しかも理子は、この一撃を防ぐことはほぼ不可能だ。
「──ッ! 」
右腕盾の取っ手を強く握り何があっても離さないように。防弾制服の襟を引っ張って間に割りこみ、ヒルダに背を向ける。
盾は今右腕にしか無い。だからヒルダの一撃を防ぐためには必然的に背を向ける必要がある。例え背中を貫かれようとも構わない。
「ちぃ──! 」
今までの高い金属音ではなく耳を連続的に叩く反響音。槍は円を描きながら大きく弾かれ、ヒルダの右腹部がガラ空きとなる。俺は右足を軸に左手で
当のヒルダは既に体勢を立て直し、今まさに背中に槍を突き刺す瞬間だった。
「くそッ! 」
間に合わない。今から時を遅くさせた所で避けることは不可能だ。ならば一つでもその魔臓、凍らせて使い物にならないようにしてやる・・・・・!
──ギギギンッ!
しかし、突如槍の軌道が弾かれたように変化し、演劇の衣装を掠めながら横に逸れていく。重ねて響くガバメントの二重奏。
「朝陽、アンタもう一回ランク考査受けた方がいいんじゃないの? 」
「ほっとけ」
「突っ込みすぎだ。理子も焦るな」
「・・・・・うん」
額に珠のような汗を浮かべた理子。
理子の体に毒が入って六分。そろそろ毒の効果が顕著になる時間だ。焦る気持ちもわかる。俺だって・・・・・そろそろ全身を貫く痛みに限界なんだ。
「キョー君、一つだけお願いがある」
側に来た理子は息を荒く、俺に寄りかかりながら耳打ちしてきた。
「なんだ、出来ることならやるぞ」
「もし、奥の手が通じなかったら──ヒルダの攻撃を一回だけわざと食らうよ」
「そんなことしたら死ぬぞ! アイツの一撃なんか体が真っ二つに──」
「わかってる。でも、理子を信じて。だから合図したら、キョー君はヒルダの攻撃を防がないでね」
「──分かった」
改めてヒルダに向き直る。消耗具合から見てこちらの方が断然不利なのは依然変わらず。弱点は分かっても攻略法は見つからない。
心臓が熱く滾り瑠瑠神に少しずつ思考を犯されていく感覚から──この半分だけ乗っ取られた状態で瑠瑠神の能力はあと一回。それ以上は完全に乗っ取られる。直感だが確信できた。
瑠瑠神の力は使えず、使えるものは盾と刀と、
「休憩はそこまでのようね」
ヒルダはその場で槍を放す。
いや、離したのではなく、空中に置いたんだ。現に立っていた場所にヒルダは存在せず、槍の下を泳ぐように前進してくる。その動きは槍に注目していた俺の目線を自身から一瞬だけ外すため・・・・・その一瞬でも命取りだ。
頭を切り裂く一撃が死角から繰り出される。本能的に出した盾の上をヒルダの爪は乱暴に通り過ぎ、逆に盾で視覚が遮られ次の行動に反応出来なかった。
ドウッ! と無防備な腹にしなやかな膝蹴りがめり込み、
「ガッ!? 」
視界が歪んで思わず地に手をつきたくなるが、猛りで痛みと息苦しさに蓋をする。
ヒルダは次のターゲットを理子に定め、いつの間にか手元に出現した槍を振り下ろした。流れる動作で繰り出されたが、それに反応できない理子ではない。毛先を少し犠牲にした程度で済み、反撃にとHK45の銃弾の雨を浴びせた。
やはり、ヒルダの動きには違和感がある。
神速の域に達していながら決定的な一打を浴びせられていない。今だって俺に追撃すれば、もしかしたら勝てたかもしれない。だけどヒルダは理子にターゲットを移した。───何故?
「理子、チェンジ! 」
滑り込んできたアリアが、理子とヒルダの間に割って入る。すると・・・・・小さな手に握られた一振りの刀が下段から繰り出された強烈な一閃を真正面から受け止めたぞ。
筋力強化の恩恵を受けた右腕を、衝撃吸収材が詰め込まれた装着部に通してあの一撃を受けても腕が痺れる威力なのに、アリアの腕は痺れるどころか逆に押し返してる。
「邪魔よ! 」
一度バックステップでアリアと距離を取り、後端部分を両手で持つと、何の技術もない──しかし暴力的なまで威力が乗った一撃がアリア振り下ろされた。次の動作で避けるかと思いきや、刀の中心部でモロに受ける。穂先と刃が激しく火花を散らし──パキン!
アリアの二本目の刀が火花を中心に砕け散った。
ニィ、と邪悪な笑みを浮かべたヒルダ。
武器を失い、あとは天から振り下ろされる刃を待ち受けるだけ───そうは問屋が卸さない。
「チェンジだ」
アリアを守るように再び滑り込んできた、直刀の刃。
守る為に振るわれたその剣は砕け散ることはなく、寧ろ拮抗している。
「ナイスカバーよ、キンジ」
アリアは一旦下がり、体勢を立て直す。役を変わったキンジはヒルダによる怒涛の連撃のことごとくを弾き、或いはいなしていた。
力任せのヒルダに対して、アリアは同じ力で。キンジは力ではなく技でヒルダと戦っている。互いにどのタイミングで弾や武器の消耗具合を見切り、援護が必要なタイミングには必ずリカバリー。
・・・・・俺と理子だけじゃ勝てなかったかもな。
「ヒルダ、力だけじゃ勝てないぞ」
「うるさい、わね! 」
体を軸に、時計回りに槍を大きく振り回すが、キンジは上体を
それだけでは終わらないと、突き刺さった槍を支柱にし、ポールダンスのように──だがそれとは段違いの速さで回った。遠心力が十分に乗ったつま先が脇腹を抉る角度でキンジへと迫るが・・・・・キンジは避けようとしなかった。アリアが援護に行くわけでもなく、俺は行けたとしてもその一撃を防ぐことは出来ない。
反応が遅れたのか? ───と思ったが、やはり違うらしい。キンジは半歩だけ下がり、直撃すれば痛いじゃ済まない
「──桜花ッ」
小さく呟かれたその言葉。
息をする間もなく、キンジの腕は闇夜に紛れながら・・・・・銃声にも似た衝撃音が、ヒルダの腹部に叩きるけられた。一瞬だけ消えたと錯覚させるくらいに速く、正確なボディーブロー。威力を殺しきれなかったヒルダは、言葉にならない嗚咽を残して捨てられた人形のように飛んでいく。
(今のは──音速か!? )
その理由は二つ。
一つ、キンジはただ単に素手で殴ったにも関わらず銃声にも似た破裂音が響き渡ったから。
もう一つは、余りの速さと暗闇で僅かしかだが・・・・・確かに見えた。音速の域に達した時に発生する、
キンジの直前の動きも全身を順番に動かした動作ではなく、全くの同時に動かしているように見えたぞ。
「───まだ来るぞ! 」
吹き飛ばされたヒルダは空中で翼をはためかせ、何とか一回転すると、壁に足を付いて──バネのように跳ね返ってきた。
それはもはや跳躍ではなく、水平の飛翔・・・・・!
「チェンジ! 」
キンジの前に躍り出て、盾ではなく雪月花を抜刀し、流星の如き速さで迫る穂先を迎え撃つ。
「
何もかもを切り裂くほど鋭利に、刀身の上を這っていくように氷が纏われていく。
雪月花から人間の鼓動音にも似た波打つ感覚が伝わってきた。まるで生きているかのように身をよじり、刀身は鮮緑の光を帯びていく。光は氷の中で幾度となく暴れ周り周囲をも照らし始めた。
俺はその
ヒルダの無茶な攻撃にも耐え続けていた深紅の槍は、一切の抵抗もなく切断される。
「なに!? 」
今の一撃で纏った氷は連鎖的に砕け散り役目を果たしたと言わんばかりに消えていく。
槍がなくなり無防備となったヒルダは、驚愕した顔を見せながらも瞬時に爪へと攻撃手段を切り替えた。日本刀と同等以上の切れ味──
雪月花を投げ捨て、右腕の盾へと切り替える。
(槍を失っても、気を抜くな。まだヒルダも奥の手が残ってるかもしれない)
盾を叩く鋭爪の連撃。耳を劈く音は、ヒルダの攻撃に耐え続けた盾の悲鳴にも聞こえる。
「キョー君チェンジ! 」
理子の掛け声に合わせ、防戦一方から反転、大ぶりの攻撃をはじき返す。パキィ、と鋼鉄の硬さを持つヒルダの爪が剥がれ、同時に理子が畳み掛けた。
「このッ! 」
血濡れた右手を天に掲げる。瞬き一つの間に手元には三叉槍──俺とキンジとの戦闘で使っていた槍──を出現させた。
理子の自らの命を顧みない決死の突進。ヒルダの持つ槍の殺傷範囲である、およそ二メートル半径。そのギリギリまで近づくと、両脚を前後に広げストンと体を落とし、薙ぎ払いを紙一重で躱す。
その姿勢から両脚をコンパスのように回しターンしながらヒルダに迫り、ガラ空きになった胴を理子のナイフが貪っていく。
肩から腕へ。胸からから腹へ。
魔臓による回復よりズタズタに引き裂く方が若干速いのだ。結果としてヒルダはどんどん傷ついていく。
「さっさと、くたばれ! 」
唯一無事な左手に槍を掴み、目下の敵の脳天めがけて振り下ろしたが───
「見えてるんだよ」
ナイフを投げ捨て、代わりに俺が投げ捨てた雪月花で防ぐ。槍という武器の性質上、距離があまりにも近ければその威力は半減するのだ。それでも防いだ理子の手は震えているが、攻撃の雨はより激しくなっていく。
「ヒルダ! お前はその能力と魔臓に頼って生きていた! 」
胸下の魔臓をHK45で撃ち抜き、またその場で小さく回転するとヒルダの腹に強烈な回し蹴りをめり込ませた。
魔臓があり傷は癒せても痛みは残るようで、鈍い顔をしながら腹を抱えて理子から距離を取ろうと回復した翼で中空へ躍り出る。しかし、その翼にすら9mm弾の風穴が次々と開き地面に引きずり下ろされた。
「だから戦闘自体が下手なんだよ! その力を手に入れても使いこなせない。武器を持ったとしても攻撃が単調だ! どれほど殺気が強くて、いくらお前が速くても全てを予測すれば避けられないことはない! 」
「・・・・・4世のくせに! 所詮お前は仲間に頼らなきゃ私に歯向かうことすら出来ない、落ちこぼれだ! 」
「ああそうさ。今まではその仲間でさえ使いこなせない、最低の四世だった。けれど、最高の仲間と最高の恋人が教えてくれたんだ。理子は落ちこぼれなんかじゃないって! お前はどうだ、ただ一人館に篭って守りたいものすらなく自分の愉悦に浸っているだけの惨めな吸血鬼だ! 」
「なん、ですってぇ!? 」
煽られたヒルダの攻撃には、もはや技術と呼べるものは無い。圧倒的な力と速さでねじ伏せようと単調な攻撃ばかり繰り返す。理子は一つ一つを見切り、当たる直前で皮膚を掠めて反撃。俺がやった、対アリア戦の時と同じ、怒らせて思考能力を低下させる作戦だ。
「お前は理子を痛めつけることでしかその生涯に意味を見出せない、ただのサディスト野郎だ! 」
「黙れ! 」
床から掬い上げるように接近してきた三叉槍。
直前に理子が合図とともに何かを投げる動作をしたため、雪月花を使った防御体勢が不十分であり、
「うぐッ! 」
階下から踊り場のデカい一面窓──その窓枠にぶつかって力なく倒れた。
死んではいない。事前に決めておいた約束がなければ、身を盾にすることは十分できた。理子が傷つくことも分かっていたはずなのに───許せない。傷つけたヒルダも、傷つくことが分かっていながら、それを許容した俺も。
だが、自らが傷つくことで決定的な一撃を与えようとしてるんだ。その作戦、絶対に成功させてみせる!
「理子! お前は今すぐに───! 」
「これ以上理子に手を出すな吸血鬼風情が」
音もなく近づき、憤怒に視覚が狭まっていたヒルダの顔面へ上段蹴りをオミマイする。確かな手応え、だがヒルダは一歩後ずさると、理子に向けた殺気を一身に俺に集め、声もなく標的を変えた。
「────」
攻撃が届かない宙へと飛び上がり、再び詠唱を唱える。目線はただ一突きで殺すため急所に。穿つは、その必殺の一撃を防がれない疾風の如く。妖しく紅色に輝いた三叉槍を持って大きく振りかぶった。
「数々の侮辱、死を以て償え」
それは対象の血を啜るまで永遠に追尾する槍。
思い出せ・・・・・あの時投げられた槍の速度、一回目に躱してからどのくらいで脇腹を抉ったのか。どの角度で再び襲ってきたのか。そして、ヒルダが煽られた時にどこを狙ってくるかを、全て思い出せ!
「───
ヒルダは、一回目は俺を油断させるためにわざと見切れる速度で投げたが、二回目の今はその必要は無い。
音速に達した三つの穂先が
「お前は必ず顔面を狙ってくる! 」
その前に走り出し、ヒルダが投擲する瞬間に身を前方に投げ出して辛うじて回避。
背中を掠める感触に冷や汗を垂らしながら急いで起き上がり駆け出していく。
「───なにッ!? 」
槍は後方の床を貫通し地中深くに潜り込んだ。
そこで二発の
「槍は反転したあと、再び俺に襲いかかる! 」
床から地鳴りと共にやってくるは深紅色の流星。
俺の腹部のド真ん中を突き刺す角度だ。これも一回目・・・・・脇腹だけの損傷で済んだ時と同じ。必ず体の中心を狙ってくる。俺は重力に逆らえず落ちてくるヒルダに背を向けて槍と対峙した。
「反転時に障害物に邪魔されたタイムラグは三秒! 」
右腕盾を地面に対して150度傾け、後方約五メートル下の地点から襲ってくる槍を上へと受け流すように構え───ギィィィッ!
盾の中心を貪り尽くしながらも弾き、天井を突き破って空へと駆け抜けた。しかし穂先は素早く回転し再び俺の方向へ。上から降ってくる様子は、まさに隕石のそれだ。
「追尾機能は防がれたあとの道筋を辿ってくる。だから───刺さる位置を限定することは容易い! 」
三度目は避けない。避けちゃいけないんだ。ここでヒルダを仕留めるために!
宙から落ちてきたヒルダと、ちょうど俺が重なる位置まで走り抜けた。
三叉槍は軌道修正しながらも、一番左端の穂先が俺の肩を貫き───さらに後方で背中合わせのヒルダをも貫通し釘付けにする。体内に異物が入り込む不快感と目が眩むような痛みに自然と声が漏れるが、
「ぐふっ!? 」
肩を貫かれた俺に対して腹のど真ん中を貫かれたヒルダの方がダメージはデカイ。いくら速いヒルダでも自らの槍に俺ごと貫かれれば身動き一つ取れないはず。加えてキンジとアリアとの距離感、ポジショニング。
・・・・・全て完璧だ。
「今だキンジ、アリア! 」
二人一斉に、計三発の銃声。
防弾衣装の両太ももの裏と背中を金属バットで叩かれたような痛みが同時に湧き起こる。貫通した弾が防弾衣装に当たって止まった。
残る魔臓はあと一つ。回復される前に凍らせてもらうぞ!
「──
俺の
精神力すべてを使い果たし、貫かれた肩から槍を通じてヒルダの背中へ。傷口からヒルダの体内へと侵入し、道中にある血管や臓器を全て氷漬けにし・・・・・最終地点の魔臓三つが描かれている箇所を凍らせた。機能を停止はまず間違いない。
「この、ニンゲン如きが! 」
肩を貫通していた槍は霧散しヒルダの手元へと再び現界。拘束が解けてヒルダは残り一つの魔臓で優先的に翼を治し、宙へと舞い上がった。
しかしアリアの目に宿っている闘志は、まだ終わりじゃないと言っている。それを証明するために、右手のガバメントをホルスターに。背中へと手をのばし、取り出されたものは───
「これで、終わりよ! 」
ウィンチェスター・M1887。点で敵を捉える拳銃と違い、そのショットガンは面で敵を捉える。
ヒルダがハッと息を呑むとほぼ同時に稲妻にも似た銃声が響き渡った。その散弾は無数の小さな弾子となって空中で散開する。
避けることは───できない。今から動くことなど不可能だ。
そして弾子はヒルダの体に吸い込まれ───
「・・・・・は? 」
「ほほほほっ、良かったわ。電気を使わないでおいて」
ヒルダは左手を口に当て高らかに笑った。
ショットガンの弾は確実に当たったはずだ。それなのに、まるで実体がないみたいに弾子はすり抜けた。
───ありえない。だがどれだけ否定しても現実は変わらない。
「これで貴様らの勝機は無くなったわね。チェック──」
「チェックメイトだ、ぶぁーか」
パッ・・・・・!
ショットガンとは比べ物にならないほど弱く、だが確かに鼓膜を刺激したその音は、ヒルダの最後の魔臓の位置───胸の下を貫き、天井へと着弾した。
信じられないという顔で地へとふらふらと落ちていく。あれだけ見下して、侮辱された人間如きに負けるなんて思ってもみなかっただろうからな。
ヒルダはブツブツと詩のようなものを謳い、うつ伏せに倒れた。
「・・・・・やったの? 」
「───ああ。理子が四つ目の魔臓を完全に撃ち抜いた。俺たちの勝ちだ」
キンジの宣言に、俺もバタリと床へ倒れ込む。いきなりなことに驚いた二人が駆け寄ってくれるが、もう立つ気力も残ってねえぞ。
「理子を、連れてきてくれないか? 」
「理子か。わかった。連れてくるから楽な体勢になれ」
「ああ。ありがとな」
キンジは理子の元へ。アリアは肩から流れ続ける血を止血するため応急処置をしてくれている。今更、止血処置を施してくれた所で出血死は多分免れないだろう。助かる可能性もあるが、運では助からない。助かる時はいつも必然性があって助かる。今で例えれば、輸血パックを持ってくるとか・・・・・流石にないか。
「朝陽! 連れてきたぞ。気をしっかり持て! 」
「くふっ、ありがとねキー君」
俺の顔色がどうなってるか知らないが、多分同じくらい具合悪そうな感じだ。10分で人を殺すと言っていた毒蛇の腺液が打ち込まれてから、もう八分。
俺も理子も、既に限界が近い。
「ははっ、キンジ。なんて顔してんだ。イケメンが崩れるぞ」
「一刻も早く医者に診せないと死ぬからだろ! 死んでいいのか!? 」
「イヤに決まってんだろ。でも痛いのは嫌いだし、さっさと意識落ちねえかなとは思ってるさ」
全身を隈無く襲う、何千本という針が刺さっている感覚。アドレナリン全開なのか知らないが、感覚だけが伝わり痛みはマシになってきた。それでも痛いのには変わりない。体の芯も冷えきって手足の末端部分に力が入らないな。
「あーあ、また入院だね。入院費はキョー君もちだよ? 」
「車買えなくなるだろ。まあでも、そんくらいはもってやるか」
ため息と共に吐き出すその言葉。
そうだな、俺が諦めてちゃ助かるものも助からない。意識を失って、回復した時に理子の顔が傍にある事を願うか。
すると理子は服の袖を裾をクイッと引っ張ってきた。俺に理子の方を向けってことだな。
「───命懸けって、何度もやってきた筈なのにね。いつから死ぬのが怖くなったんだろ・・・・・くふふっ」
「そうだなぁ。俺は理子と『ニセモノ』の関係になった時から? ・・・・・いや、もっと前か。普通に生まれた時から死にたくないって思ってた」
「そこは『ニセモノ』の関係が始まった時からって答えるでしょ」
小さく笑った理子が服の上をなぞるように指を移動させ、優しく手を握ってきた。
感覚は無くなってるはずなのに、理子の暖かさはすんなりと伝わってくる。
「理子はね、最初は別に何とも思ってなかったけど、『ニセモノ』の関係を続けていくうちに・・・・・かな」
「そうか・・・・・なあ理子」
「なぁに? 」
動かそうと思っても首は動かない。理子とも顔を合わせられないが、真正面にいると思って話す。これが最後かもしれないから。
「また俺と、『ニセモノ』の───」
──その言葉を告げ終わる。その前に。
激しい落雷の音と共に、紅鳴館の天井の大穴から光の束が落ちてきた。盾に内蔵された一度限りの閃光よりも眩しい閃光が周囲を包み、
「きゃああああっ! 」
アリアがパニックに陥ったような悲鳴を上げた。
咄嗟に目を閉じた俺が、眩む目を開くと──紅鳴館内には高熱で蒸発した雨粒が水蒸気となり吹き荒れていた。中心には、倒したと思ったはずのヤツが、青白い電光を纏って心地よさそうに立っている。
「───生まれて三度目だわ。
クククッ、と不気味な笑みを浮かべながら。