「───知らない天井、なわけないか」
目を開ければ汚れ一つない真っ白な天井。顔を横に向ければ、見慣れた色のカーテンと隙間から見える東京の街並み。
「生きて帰ってこれたんだな」
あの出血量で戻ってこれた事は奇跡などという曖昧で自分とは無関係な事象なんかじゃなく、キンジとアリアがどうにかして奇跡を必然にしてくれた──その結果だ。
そよ風がカーテンを優しく揺らす。
時刻は・・・・・分からないけど、多分夜中の三時あたり。カーテンの隙間からあの日の夜と同じ月光が見え隠れして、なんだかじれったくなった。
ここがいつもの個室なら、その月を眺めていたい、そう思ったからだ。
「んぅ」
子猫のような甘い声。バニラに似た香りがふわっと俺を包み込んだ。重たい上半身を起こして目を向ければ、右腕のすぐ近くに綺麗な金髪の少女が気持ちよさそうに寝ている。
どこまでも愛おしく見えるその寝顔。男相手にそんな幸せそうな顔で───無防備過ぎやしないかなって。
「理子」
艶やかな髪を指で遊ばせながら名前を呼んでみる。
ただ、名前を呼んだだけ。それだけで胸に暖かな感情が溢れ出てきた。
本当の理由は知らない。出血多量でも死なずに理子の名前をまた呼べるからか。それとも理子が生きてくれてたからか。
何にしろ、この暖かさは血みたいな生暖かいものではなく、慈愛のような心臓のみならず全身を包んでくれそうなものだ。
「んんっ」
起きた気配を感じ取ったのか理子はヨダレの跡を残したまま薄ら目でボンヤリと俺を見た。
夢から覚めた直前は頭も冴えないようで、手の甲で目を擦っている姿はまさに猫のソレ。
「・・・・・あっ」
「おはよう、理子」
「ん───おはよう」
ヨダレを零してたのと寝顔を見られたのが恥ずかしいらしく、かあっと頬が赤く染まる。
今まで理子の部屋で理子のベッドに寝泊まりしたこともあるのに、今さら
「ずっと看病しててくれたのか? 」
「そうだよ。理子が起きてからずっとね」
俺たちの間にどこかぎこちない空気が流れる。
死闘を繰り広げたからではない。多分、館で恥ずかしいことやら何やらを思い出したせいだ。
無言になる。そう思ったが、少しの前触れもなく──きゅるる。胃が情けない音を出して空腹を訴えた。
「お腹、空いてるんだ。はい、リンゴ」
張り詰めてた緊張が一気に解けたのか、理子はプッと吹き出して笑う。しょうがないだろと口にする間も無く、一口サイズの皮付きリンゴを小皿ごと渡して──半ば押し付けのようだが──くれた。以前に入院した時も一口サイズのリンゴを渡してきてくれたっけ。
でも違う点が一つだけ。皮付きの、しかもV字型に皮を残した、通称うさぎリンゴと呼ばれるものだ。
「ありがと」
皿から落ちそうになっている爪楊枝を掴み、二つの内の一つを頬張る。
シャキッとした感触と口の中に広がる果汁。
理子に作ってもらった食べ物を食べたのは久しぶりだからなのか、自分で切ったものより数十倍も美味しい。胃にしみるというか心に染みるというか・・・・・。
二つ食べた後、すぐには俺も理子も言葉を交わさなかった。木々の葉が擦れる音に耳を傾け、月の光に身を任せて。理子も少しばかり俯いている。
多分、同じ事を考えてるんだと思う。『ニセモノ』の関係を始めて理子の態度や性格が少しずつおかしくなったこと。ヒルダと接触した頃からあまり学校に来なくなったこと。建造途中のスカイツリーでの出来事。そして──紅鳴館でのこと。
二人とも違う毒を盛られて、文字通り死に物狂いで、互いに自分を犠牲にしてまで勝ち取った勝利だ。
本当の理子を取り戻すためにどれだけの血と傷を体に刻み込んだだろう。
体を無理に動かしたせいか、痛みがズキズキと遅れてやってくる。局所的ではなく全身、文字通り目の奥や頭もだ。だけど・・・・・今はこの痛みが心地良い。生きてるって実感できるから。
理子の方は痛みは無さそうで包帯も巻かれてない。制服姿の彼女は外から見れば傷一つなく見えるだろうけど、その中に隠された傷跡が気になってしょうがない。
ああでも、脱げっていったら変態扱いされるか・・・・・。
起き続けるのはさすがに辛く、再びベッドに横たわって──10分、20分、そして30分。俺も理子も目を合わせずただ沈黙が続いて月も傾き始めた頃、理子はポツリポツリと少しずつ言葉を零し始めた。
「ヒルダはまだ生きてるよ」
「───意外とは言わないが随分としぶといんだな」
「うん。爆発に巻き込まれて全身を大火傷。加えてガラスの破片が体中に突き刺さって出血多量だったけど、あたしが輸血して何とか一命を取り留めた」
「たっ、助けたのか? ヒルダを。何度も俺たちを殺そうとした相手で、理子にとっては生涯の敵みたいなもんだろ。なんで・・・・・」
俺の問に、理子は迷うことなく答えた。
「確かにね。輸血しなきゃヒルダは死んでた。理子の血液型じゃないと合わないからね。最初は輸血しようか迷った───でも、輸血せず殺してしまったら、あたしは最低最悪のアイツらと同類になる気がしたんだ。それだけは絶対に嫌だから、理子はヒルダを助けた。キョー君はそれじゃ不満? 」
「──いいや、理子がその答えを選択したんだ。俺が口出しすることじゃない」
「くふっ。キョー君ったらなんだかんだ優しいんだね。普通だったらここは理子を怒るとこじゃない? 」
「理子を怒るわけないだろ。それに」
俺は理子が赦さないと言ったら赦さない。逆もまた然り。白と言われれば白だし、理子が黒といえば白だって黒にする。理子の答えは俺の答えだ。
「それに? 」
「いや、なんでもない。俺にとってはお前の体調の方が心配なんだが」
「大丈夫だよ。救護科の
「患部を凍らせる止血方法か。痛いからやりたくなかったんだよな。今考えればもっと早く止血してればもう少しだけ楽にヒルダを仕留められたなって後悔してる。にしてもあの出血量でよく生き残ったな俺」
「ちょうどワトソンがそれについて考えてるとこだよ。何であの出血量で生きてるんだって、不思議そうな顔でね。───ね、キョー君」
理子はおもむろに指を絡ませて、何度か強く握ったり弱くしたりを繰り返した。まるで、今も目の前で話していた俺が幻ではないか試すみたいに。自分はまだ紅鳴館にいて、夢を見てるんじゃないかって。手に取るように理子の気持ちが伝わってくる。
「この傷も、この傷も。全部あたしを守る為についたんだよね」
槍に貫かれた右肩の傷から、顔、腕、胸部を左手の細い指がなぞっていく。まだ完治してない傷を触られているというのに不思議と不快感はない
だけど理子は反対に苦しい表情を浮かべてる。自分のせいで、とでも思ってるのだろう。
「キョー君はさ、何でボロボロになってまで理子のことを守ってくれるの? 紅鳴館でも言ってくれたけど」
それは───答えられない。
理由なんて漠然としたもので本当の答えにはまだ辿り着けてないからだ。
ただただ、守りたいから。その言葉だけで済むのならとっくに答えてる。
理子を説得した時に言った、理子と一緒に幸せになりたい──これは多分含まれてる。けど、含まれてるだけであって答えではない。紅鳴館で理子に言った理由のどれも同様だ。
「その答え、保留でいいか? 」
「保留? てきとーな言葉思いつかなかった? 」
くふふっ、と理子は口に手を当てて微笑んだ。
その仕草でさえドキッとさせられてしまう。
「てきとーじゃないさ。何て言えばいいのか分かんなくてな・・・・・。今度言うから今のとこは勘弁してくれ」
「そっか・・・・・あたしが望む答えだといいな」
理子が望む答えか。理子がどんな気持ちで、何を俺に期待してくれてるのかは今はまだどれだけ考えても答えが出せそうにない。それでも今日、この日からまた一緒に過ごしていくうちに自ずと分かる──そんな気がする。確証はないけど確信はある。
「理子は──あたしはさ、キョー君に感謝してる。感謝してもしきれないくらい、ありがとうって思ってる」
「・・・・・ああ」
「あたしには一生ヒルダやブラドに支配される運命にあった。でもアリアやキー君、キョー君がその呪いから解き放ってくれた。もう二度と光の当たる世界には出れないって諦めてたけど、命を懸けて理子をまた光の当たる世界へと連れ出してくれた。だからね──そのお礼がしたいの」
「お礼? お礼なんてお前らしくないな」
理子の事だからてっきり『ありがとー! 助かったよ! 』とでも言って済ますのかと思ったのに。
「くふっ。大事なものを教えてくれた人にお礼一つ無いなんて非常識だから」
「大事なこと───か。何も教えたつもりはないんだけどなぁ。ま、そのお礼ってのはなんだ? 」
「お礼はね。理子が一つだけ何でも言うことを聞いてあげる」
「何でも? どんなことであってもか? 」
「うん。どんな事でも、理子はやってみせる」
声音が嘘はついていないと教えてくれる。
なら、ちょうど好都合じゃないか。理子に一つだけ自分の願いを叶えて欲しいことがある。
今までの思い出が全て無駄にならないように。
「じゃあ───もう自分を偽らないでほしい」
たった一言。理子だけに聞こえるよう呟いた。
「・・・・・え、それだけ? 」
ちょっと間の抜けた感じの返し。
「理子が他のヤツらにどんな顔を向けたって構わない。だけど、俺といる時だけは本当の素顔でいてくれないか? 俺は『本当の理子』って言うのがまだ分からないんだ。でも理子は理子で、他の誰かになるわけじゃないだろ? これからもヒマワリみたいな眩しい笑顔が見たい。照れた時の仕草も、拗ねた時の表情も。自分には厳しいくせに他人に甘いとことか、今日見つけた新発見だ。そういう今まで知らなかった事を知りながら──最後の最後まで守り抜きたいんだ」
俺に何を命じさせたかった知らないけど、これ以外に望みなどない。
「な、何言ってんの・・・・・ばーか」
「ばっ、ばか? 」
「だいたい口説き文句をそんな堂々とした目で言わないでよ。恥ずかしい・・・・・から」
口元を手で覆ってそっぽを向いてしまった。
口説き文句を言ったつもりはないんだけど、理子にはそう聞こえたらしい。・・・・・いや、思い出せば確かに聞こえなくもない。でもまぁ本当のことだし、訂正する気もないけど。
理子は、うー、と唸ってまたこちらを向き、
「分かったよ! 二人きりの時は自分を偽らない。約束はキッチリ守る! 」
と、目を合わせてしっかり承諾してくれた。
「ああ、頼む───」
「でも、やられっぱなしなんてわけにはいかないから」
言い切る前に勢いよく立ち上がると、側に屈んで俺の顔の左頬に手を添えた。
何されるんだ? ・・・・・待て。やられっぱなしにはいかないって言ったな。だとしたらビンタされる可能性があるぞ。口説くんじゃないって説教でもされるんじゃ・・・・・
「仕返し」
妖精のような声で囁かれ、くすぐったくも直接脳内に響く心地よい感覚。そして──ちゅっ。
「・・・・・え? 」
桜色をした理子の唇が、頬に触れていた。押し付けられたのではなく軽くタッチするような優しいキスだ。
「これで引き分けだから」
耳まで紅くした理子は先程とは違いまっすぐ俺の目を見てきた。
甘い残り香が鼻腔をくすぐって、理子という存在を再確認してしまう。こんなに可愛い人にキスされたんだって。
「不意打ちはダメだろ」
理子を直視できない。
顔に熱風を受けてるような熱さが上ってくる。
「あ、照れてるなキョー君」
「照れてない。こっち見んな」
「くふっ。やっとキョー君の照れ顔を拝められたよ。これはファーストキスを奪われた仕返しも含まれてるんだから」
ふぁ、ファーストキス? 奪った覚えは・・・・・あった。紅鳴館でだ。いやでも、その前に理子とした覚えがあるぞ。
「ファーストキスはお前のロザリオを奪った時じゃねえか! 首にかけてって言われたからかけたらお礼だよって俺にキスしたよな! 」
「あれはちゃーんと、唇に薄くて透明な膜を事前に貼ってたから。唇につけるサランラップみたいなものだから、直接は触れてないし! 」
くっ、反撃の言葉が見つからん。大体俺があの時理子にキスしたのだってヒルダから理子を奪うって意味でしたんだ。決してやましい気持ちとかはなかった。全くない。無いと信じたい。
「仕返しって、他に方法はなかったのかよ・・・・・」
「だって───」
理子は口の端に人差し指の先を当てて小悪魔っぽい顔をすると、
「理子は世界一の大泥棒。形のあるもの無いもの、泥棒は自分が欲しいと思ったものは全てを盗むのが
ドクン。
理子に何かを盗まれたのか分からない。
だけど・・・・・確かに盗まれてしまった。
理子に聞こえるんじゃないかってくらい心臓が高鳴る。息苦しい。誰にも触られていないのに胸のあたりを圧迫感に襲われる。
「キョー君はさ、理子のことどう思ってる? 」
「どうって、守るべき存在だって思ってるけど」
「・・・・・嬉しいな。そんなこと言われちゃうなんて。まだ夢の中みたいだよ」
一拍置くと、再びキスしそうな距離まで近づいた。
「理子はね。キョー君のこと───」
「おーい。死んでたら返事しろー」
がらら。
深夜だというのに暗い病室の扉が急に開けられ、嗅ぎ慣れたタバコの臭いと共に外から聞きなれた声が聞こえた。
「──ッ!? 」
眼前に迫っていた理子は外の人物の声を聞くやいなや、柔らかい唇ではなく硬い頭蓋骨を俺の頭に叩きつけ、
「いだっ!? 」
俺は枕に、理子は病室の冷たい床にそれぞれ後頭部を打ち付けてしまった。
前者は弱点である後頭部を枕が優しく包んだおかげでダメージは半減されたが、後者の方は後頭部を頭より硬い床に激突したせいで痛みにもがいている。
うずくまる姿はまるでダンゴムシだ。
「あぁ、めんごめんご。感動の再会を邪魔したな」
「何でこんな夜にわざわざ来るんですか・・・・・
額の痛みに目を細めながらも綴先生を見る。
病院内は禁煙なのに平気でタバコを吸ってるあたりどうかと思うが、あの人はあれで普通なのだ。
先生は人差し指と中指で資料のようなものを挟んでヒラヒラさせながら、理子のいる反対側──寝ている俺の左側の椅子まで来ると、ドガっと着席した。
「ふぅー。とりあえず地獄からの生還おめでとう、と言いたいところだが・・・・・」
左腕に巻かれた包帯にタバコの火を押し付けて火を消す。
引火したらどうすんだよというツッコミすら入れさせてもらえず話は進んでいく。
「派手にやってくれたなぁ。洋館での爆発騒ぎその他発砲音。近隣に住宅が無いとはいえ聞こえるもんは聞こえるんだぞー」
「通報きましたか? 」
恐る恐る尋ねる。
返答は耳を引っ張ることで返ってきた。
つまり良い夢を見ていた複数の人々を叩き起したということだ。
「落雷による火事だって隠蔽したけどさぁー。Sランクのくせに吸血鬼相手に手こずりすぎじゃないかー? 」
「普通の人間だったらまず吸血鬼なんて目にしませんし戦いもしませんからね! 」
苦労に苦労を重ねた俺の発言は、まるで聞こえてないみたいにスルー。内ポケットから新しいタバコを取り出し口にくわえた。
「で、何でこんな時間に来たんですか。イビリに来たわけじゃないんでしょう? 」
「そうだな。えっと・・・・・ああ、思い出した。お前の新しい二つ名に関する書類やら何やらを届けに来ただけだ。徹夜続きで眠たいんだぞー」
ぺしぺしと書類の束で俺の頭を叩く・・・・・というより仰ぐといった感じで渡してきた。
今の二つ名は不名誉すぎる名前だ。
今度は何だ、瑠瑠神と理子を二股かけてるから
「資料の四ページの一番下だ。喜んで受け入れろよぉ。今回のはマトモだ」
「一番下・・・・・」
指示通りの箇所を探すと、他の文字よりも目立つよう太文字で書かれていた四文字が目に飛び込んできた。
ふざけているものではない。アリアや理子のようにちゃんとした二つ名だ。その名前は───
『
「お前の主武装が盾だろ。
「こ・・・・・これが俺の、二つ名ですか? 」
「そうだ。よくもまぁ色んな意味をたった四文字に加えたなぁ」
実感が湧いてこないというか、本当に俺の二つ名なのか今一度確認したくなる。
だってこれの前が変態だろ? カッコ良さ的な意味で雲泥の差だ。
「キョー君にピッタリな二つ名だよ! 二対の盾で外敵からの攻撃を守って、理子がアタッカーとして詰めてく。うん、戦闘の時もしっくりきそう! 」
「待て待て。お前が前に出て殺されたら元も子もないだろ」
「そしたらキョー君は理子よりもっと前に出て銃弾を弾いてよ。全ての攻撃をキョー君の盾が受けてくれたら一発で仕留めることもできるんだから」
「オイシイとこだけ持ってくってわけか。さすが、泥棒様だな」
同時に笑った理子の得意気な表情が、今は息が詰まるほど愛らしく見える。
これからも彼女の眩しい表情を崩さないために、この二つ名に誓って自分という存在をを捧げて理子を守る。
どれだけ傷つこうと盾は消耗品。だが理子が天寿を全うするまで壊れたりしない。
もちろん例外はあると思う。例えば、盾を犠牲にすることで理子を幸せにできる場合。ならばその時は喜んで死を受け入れよう。
「はぁ──伝えたいことはこれだけだ。ゆっくり休めよぉ」
ふぅ、と大きくタバコの煙を吐いて立ち上がり、コツコツとパンプスの音を響かせながら病室の扉をゆっくりと開けた。
綴先生も非常識でゲスな人だけど、根は優しい普通の先生なんだなって感じた。生徒を想う気持ちが無ければこんな深夜にわざわざ来てくれたりしないから。
ありがとうございます───先生。
「あ、一つ言い忘れてたぁ」
綴先生は扉に手をかけたまま顔だけひょっこりとこちらに向けると、
「文化祭の演劇、明日だぞ」
「・・・・・はい!? 」
衝撃事実を突きつけられた。
・・・・・文化祭まで、あと24時間。
活動報告に主人公のプロフィール載せておきました。
よかったらどうぞ。
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