「最終チェックいくよー。ロミジュリ、そっちのメイクはもう準備オッケー? 」
「ああ、何とかなりそうだ」
「うっうー! 理子は全部終わったよ! 」
文化祭一日目。
がやがやと舞台裏で様々な格好をした同級生から先輩、後輩までもが慌ただしく行き交っている。武偵校の制服ではなく、中世ヨーロッパの衣装を真似した服でだ。もちろん防弾ではない。
綴先生から文化祭まであと一日と聞かされた時は目が飛び出すほどビックリした。ロミオのセリフを全て完全に忘れていたからだ。
焦りに焦って必死に覚え直してる途中でメイク係の女子が部屋に押しかけてくるし。ロミオの服のまま任務に行ってボロボロにしてくんなと肘鉄やらタイキックやらを服と同様のボロボロの体に打ち込まれるわで大変だった。
俺の責任だし、やりたくはないけど女装の衣装を使えば直す必要ないんじゃないかって言ったら、
『生傷だらけの肌を観客の前に曝すわけにはいかねえだろ! 』
とさらに殴られた。
理子も理子で殴られてる俺を笑いながら見守るだけだったが。まぁその時の理子の目が笑ってなかったのが怖かっけど。
結局は徹夜してくれたおかげでボロ雑巾だった衣装が元通りになって、新品同然のを着てるわけだ。現在進行形で貧血気味でフラフラの俺も強制的に手伝わされたのは苦い思い出だがな。
「あー緊張する。傷口開いて血が吹き出そう」
「緊張して飛び出すのは心臓くらいにしてよ」
なんてくふふっ、と俺に笑いかける理子。心臓飛び出ちゃダメだろとのツッコミを入れたい所だが、生憎いまの俺には1分1秒足りとも時間が惜しい。
演劇の補助生徒は、監督の指示に従って舞台裏を駆け回っている。一つミスすれば先輩と先生一同からの説教と体罰が待ってるからな。
一年生とさっきから何故か俺を睨んでいる二年どもも頑張ってくれ。俺も頑張るから。
「セリフ、覚えきれた? 」
「いーや、まだ───」
『では誠にお待たせ致しました! 我が校が誇る最高のカップルと最高のモブでお送りする悲しい恋の物語ッッ! 血で血を洗う争いを続ける両家、モンタギューとキャピュレット。そこで生まれついたロミオとジュリエットは、皮肉にも恋に落ちてしまうのでしたッッ! 』
地響きでも鳴ってるような歓声と拍手が、普段は強襲科の戦闘訓練で使われている体育館に響き渡る。同時に舞台裏からは悲鳴とも呼べる驚嘆の声があちこちから聞こえてきた。
「やべっ、始まっちまったぞ! 」
時計を見れば開演まであと三分。
くそっ、ナレーション役め開演時間を早めやがったな!
確かその役は同じ強襲科の二年。この三分で出来ることがどれほどあったことか。あとでシバく。
「じゃ、お先に行ってきます。
「──最高の演劇にしような。
理子は俺が舞台へと向かう通路とは別の通路──木材で作られたバルコニーへと向かった。
客席から見れば舞台の壁面は全て城風に変えられていて、場面ごとに背景の壁面が入れ替わる仕様だ。なかなかの出来栄えに綴先生も拍手してくれたっけ。砂漠みたいに乾いた拍手だったけど。
と、城のバルコニーに着いたらしい。地鳴りのような客の歓声は、始めから誰も声を発していなかったと言わんばかりに、シンと静まり返った。
当然だ。一介の女子高校生が、テレビに出演してる有名モデルを鼻で笑えるくらいのレベルで可愛いのだから。しかも諜報科の女子が化粧をしてくれてる。動かずにいれば、精巧に作られた洋人形──いや、天使が降臨したとでも言うべきか。誰もがあまりの可愛さに言葉を発せないでいる。
『ロミオ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?
凛とした声。このセリフの次に出ていくのだ。
「頑張ってよ。朝陽君」
「おう」
直前まで色々とセットしてくれた女子に礼を言いつつ、舞台と舞台裏を分ける幕を、バッと勢いよく開けた。
最初は勢いが肝心だ。セリフを忘れたらアドリブでなんとかすればいい。
「その言葉、確かに頂戴いたします! 」
胸に手を当てて体育館中に充分届く声量で。
眼前にはバスケットボールコートが四面分ほど収まる広さに敷き詰められたパイプ椅子に座る老若男女。それどころか壁際の通路に立って見ている人もいる。ざっと数えて700人以上はいるだろう。
───なんでこんなにいっぱい来てんの?
「ただ一言、僕を恋人と呼んでくれたのなら僕は今日から
落ち着け。キンジ情報によれば過度に緊張する時は素数を数えるのが効果的らしい。
それに
「ねね、ロミオ役の人カッコよくない? 」
「ね! こんな高校でもイケメンはいるもんだね! 」
と、つられて目を客席に向けると、最前列の女子中学生五人組がきゃあきゃあ言いながら誉めてくれてた。
素直に嬉しい。面と向かって言ってほしいものだが今は演劇中。あとにして───
「ロミオ様。大事な話なのです。私の目をしっかり見てください」
言われた通り先ほどに比べてやや低めの声に目線を移す。
理子がいる場所は、俺が今いる舞台袖の反対側のバルコニー──床からおよそ七メートル上の──で俺に冷やかな視線と共に、
『デレデレ しないで』
自然な動作。それも武偵にしか分からないマバタキ信号を送ってきた。
デレデレはしてない。ただ嬉しかっただけだ。でも弁明しないとボコボコにされるな。この演劇が終わったらトイレに駆け込んで考えるとするか。
「ロミオ様。
「僕は
まぁ、と大袈裟ぎみに口に手を当てて驚く
「私の身内に見つかれば即座に殺されてしまいます。 早く、ロミオ様のお屋敷へお戻りなさってください」
「心配無用でございます。兵士の剣など貴女の瞳があれば怖くはありません。優しき眼差しさえ僕に向けてくだされば、刃を通さぬ不死身となるからです」
感情を込めて丁寧に。歯の浮くようなセリフだが、堂々と言えば様になるものだ。
「貴方は勇敢なのですね。それでも──」
『おい、あっちで話し声がするぞ』
城の中から聞こえるたちの声。ここで俺は一度隠れることになっている。
傍の柱の影に身を潜め敵の動向を探る。ここも、見つかるか見つからないかの瀬戸際でやらないと緊迫感は生まれないからな。
「ジュリエット様。こちらで誰か見かけませんでしたか? 」
「いいえ。私は誰も見かけておりませぬ」
「いえ・・・・・しかし。つい今しがたほど、ジュリエット様のほかに何者かの声を耳にしたもので」
「本当に誰も居ないわ。それより、私の庭を荒らさないでください。あなた方が物騒なモノと音をたてたせいで、私と一緒に憩いでいた鳥たちはみな飛んで行ってしまったわ」
衛兵何か言いたげだったが、当主の娘の命令とあらばとまた城内部へ戻っていく。
よくやった後輩。名前は知らないし多分あと一回だけの出演だろうけど、ナイス演技だったぞ。
「ロミオ様」
衛兵が居なくなると同時にジュリエットは口に片手を当てて、
「これ以上は衛兵たちにも隠し通せません。どうか、今日はお戻りください」
と、切なげな顔を覗かせた。
「今しがた言葉を交わしたばかりなのに、もう別れを貴女に告げなければならないのですか?」
「・・・・・悲しいことに、その通りでございます。さようなら。ロミオ様」
去り際、月の光が良く似合う金色の髪をなびかせて目を逸らした。たった一瞬の動作に今生の別れを連想させる演技力。さすが、としか言いようがない。
「ジュリエット! もう一度・・・・・もう一度だけ、貴女の顔を見せてほしい! 」
だがここでロミオは諦めない。諦めちゃいけないんだ。
「ロミオ様──私も貴方を失いたくありません。いつまでも共に貴方と暮らしたい。そのために──」
再び吸い込まれそうな双眸と向き合う。その表情は、ロミオの離れたくない気持ちと同じだということを証明するに充分すぎる。
「今は堪えてください。明日の夜同じ時間、またここにいらしてください。なれば、共にどこまでも──遥か彼方へ旅をしましょう。両家から見つからない極東の国にでも行って、幸せな暮らしを。・・・・・っ。衛兵たちも怪しがっています。さぁ、はやく」
「──明日、必ず貴女の下へ参ります。では」
再び衛兵の声が聞こえる前に
裏では必死に木材を持って走り回る一年生の姿が見えた。片手にはトンカチと、演劇最中には絶対持つことのないものだけど・・・・・何か壊れたのか?
「な、どうした?」
側を通り抜けた一年生に声をかけてみる。
額に汗を浮かべた状態で青い顔をしてて事の重大さが窺えた。
「えっと・・・・・実は、最後に朝陽さんが峰さんのいるバルコニーまで行くのに使うハシゴがまだ完成してないんです・・・・・」
「──まじ?」
できてないって、俺がまた舞台に出るのが10分後。
理子が支配人やら家族やらともめる演技の最中に高さ七メートルのハシゴを作らなきゃいけんのか。てかこの日までの準備期間は長かったのに・・・・・って説教は後だ。裏方の一年生は結構いたはず。武偵でなくとも、日曜大工を少しかじっている人なら完成させるのに充分な時間だ。ていうことは、ほかに理由があるのか。
「10分の間にできないか?」
「新品の角材があれば簡単ですが、教務科から当日に、『こんな綺麗なハシゴが城にあるか!』って壊されてしまって。代わりに渡されたのがこれなんです」
と、肩に担いだ木材を指した。目を凝らせば、ボロボロの体重をかけようものならすぐに折れてしまいそうなほどか弱いものだった。
確かに。トンカチで打ち付けてたら折れちゃいましたとか、これは確実に折れるなってのを間引いてれば10分もすぐに過ぎてしまう。教務科も当日に気に食わないからって当日に壊すなよ。理不尽すぎる。
「と、とにかく間に合うよう頑張ってくれ。間に合わなかったら俺が何とかする」
「はっはい! 完成させなきゃ蘭豹先生のプロレス技の餌食に──ひっ⁉」
トラウマでも思い出したかのように片手で口を押さえながらも現場に戻っていった。
俺も裏で頑張ってる一年生のために、表で今も迫真の演技を続けている理子の為にも、失敗は許されないぞ。
10分後。
ロミオとジュリエットが再開する場面だ。セリフは完璧。本心から言っていると観客に錯覚させることができたのなら俺の勝ちだ。
幕を開けて再び舞台へ。
舞台袖から登場したロミオに観客の目が集まる。足の震えはもう止まったが、未だ心臓は緊張の糸を断ち切ってくれない。
だが俺も武偵だ。こんなとこで立ち止まるわけにはいかない。舞台の床を踏みしめて、いざジュリエットの下へ。
「本当に行ってしまわれるのですか? 」
城に続く道に我が家の
練習の時は毎回倒れてたけど本番はちゃんと言えてるんだな。アリアの
「たとえ僕の全てを失ったとしても迎えに行かなければならないのです」
メイドの側をゆっくりと通り過ぎる──その前に。
彼女は服の袖をギュッと掴むと、消え入りそうな声で告げてきた。
「貴方様をずっと側で見てきました。辛い時も苦しい時も、ずっとです。私にだけ見せてくれた素顔も、ジュリエット様に恋をなさってから貴方の見せる笑顔は違うものになってしまいました。昨夜も危険を冒してまでキャピュレット家まで行って・・・・・正直私は生きた心地がしませんでした」
「──本当にすまない」
「謝ることはありません。ただご主人様の世話をすることが、私メイドの仕事ですから。謝るのは貴方様のプライべートにまで踏み入った私の方です。さぁ、ジュリエット様の下へ。貴方様の瞳を見て、止める気もなくなりました」
「アナタに支えられた日々は数え切れない。もう少しアナタと話したかった。せめて最後に、アナタの名前を聞かせてくれないか? 」
メイドは胸の前で手を合わせた。
「・・・・・レッテラ。ヒーラ・レッテラです」
「そうか───レッテラ。今まで本当にありがとう」
「はい。ロミオ様、私は貴方様のことをずっと──いえ、これは無粋ですね。行ってらっしゃいませ、ロミオ様」
頬に涙を零し、今生の別れを告げたレッテラは深々とお辞儀する。
す、すごいな。あかりって演技派だったのか。あかりとはあまり関わったことないから分かんなかったが、あとでアリアにも教えてやろう。アリアに褒められればあかりだって嬉しいだろうしな。
レッテラの言葉に短く返事をして、一歩踏み出す。
舞台の背景の壁が回転し、夜道から城が描かれた壁へ。いよいよ最終場面だ。ここからが本番だと思ってもいい。なぜなら、
「待ちたまえ! ロミオ! 」
城内部から憤怒を含んだ声音が発せられた。
ここでジュリエットを守る騎士たちと、ロミオの戦いだ。他の学校で同じ場面をやるとすれば、厚紙やダンボールで作られた剣を使って戦う。打ち合いの効果音はもっぱら用意された音声だ。だが武偵校は装備科から提供された真剣をつかう。もちろん切れ味抜群だし、衣装は防刃性じゃない。当たれば重症だ。
「なぜだ誇り高き三人の騎士たちよ。僕は愛するジュリエットを迎えに来た。ジュリエットもまた僕を待っていてくれる。そこになぜ君たちは割り込もうと言うのか」
「我らジュリエット様を悪しき者から守るため結成された隊、
──あれ。セリフ違くないですか?
てか今のセリフ明らかに一年生じゃないよね。どこかで聞いたことあるような・・・・・ああそういえば。
「なんでアンタがここに!? 」
「お前と話す時間はない! 行くぞ我らが姫を守るために! 」
雄叫びにも似た悲鳴が隊長以外の騎士から上がる。本当は一番最初にかかってきた騎士の剣を奪い取って、観客が盛り上がるくらいの攻防を見せた後、適当に倒すというのが台本だが、
「覚悟ぉ! 」
上段からの袈裟斬り。それも演技ではなく熟練の太刀筋。完全に殺す気の速度だ。
「うおっ!? 」
三年強襲科Sランクから振るわれるソレを紙一重で躱す。俺だって二年だが強襲科のSランクだ。避けることは出来る!
袈裟斬りを躱され隙ができた隊長の横を抜けてきた後続の一年に、見栄えだけの威力はさほど無い回し蹴りを浴びせる。騎士は自らの腕でがっしりと受け止めた。
よし、話せるチャンスだ。
「おい、なんで役変わってんだ」
と、観客には聞こえない程度で問いただす。返答は、
「ごごごごめんなさい! 三年生には逆らえないんですぅ! 」
と。衣装の都合上、相手の目しか見えないけど・・・・・涙目から、脅されたってのが丸わかりだ。二年に逆らうより三年生に逆らった方が後々怖いしな。
これが武偵校の良いところであり悪いとこだ。この状況どうすんだよ・・・・・!
「背中がガラ空きだぞロミオ! 」
「ぐっ!? 」
切先を地面と平行に。流水の如く綺麗な動作で背後を突き刺さんばかりに迫る剣を、一年騎士が持っていた剣を奪い取って叩き逸らす。その際に剣を奪った相手を舞台袖まで吹き飛ばすことは忘れない。
悪いが即座に一年生には退場してもらわないと、あまりにも不利すぎる。
「せいやっ! 」
察しが良いようで、先輩が襲い来る前に一年が先にやられに来てくれた。
見た目だけは派手な技に剣を滑らせて手元から弾き飛ばす。盛大に火花も散らして客を喜ばせるのも忘れちゃいけない。
「まだまだぁ! 」
と、既に
「とった! 」
背後の刃に気を取られて目前に迫る拳に気づいてないと思ったらしい。一年が振るった拳は僅かに速度を落とした。
──やっぱり一年生はまだ一年生だな。最後の最後まで気を抜いちゃいけないって意識が足りてない。
「あと一歩だったな」
その場で顔面を貫く拳を回転しながら避けて、一年の腹に肘鉄を打ち込む。次いで後輩諸共突き刺す勢いの剣の柄を蹴り上げ、見事、刃先を俺の股の間を抜けさせることに成功。あとは───
「ううらぁ! 」
──体勢を崩した先輩の顎を膝蹴りし、脳震盪で倒す。
我ながら完璧な作戦だと思ったが・・・・・自らが敬愛し、純愛し、親愛する
「・・・・・っ! 」
後輩ごと吹き飛ばされて床へと叩きつけられる。
下敷きになってくれたのはいいけど、気絶は・・・・・してないな。良かった。でも先輩と一緒に俺を殺しにかかったから自業自得だ。
というかデタラメで放ったくせに凶悪すぎだろ。客の数人ドン引きしてるぞ。
「ハハハッ! ロミオ、貴様は口先だけで剣の技はまったくなってないではないか! 貴様のような腑抜けに我が主はやらんぞ! 」
「───僕に技が無いと。貴方は今、そうおっしゃいましたね」
「ああ。技があると言いたいのならば、ここで見せるがいいロミオ! 」
マズイな。先輩との打ち合いに付き合ってたら劇が延長すれば綴先生やら蘭豹先生に殺される。
決着をつけなければならないこの状況。加えて話の流れから、やるべき事は一つ。
「ではこの勝負。負ければジュリエットには二度と会わない。しかし! もし僕が勝ったのならば──ジュリエットを貰う。正々堂々、騎士道精神に則って──貴方を倒す」
「ふっ、イイだろう。騎士・スコンフィットの名にかけて、正々堂々と貴様を滅ぼしてやる」
両者の間合いは10メートル。バルコニーから俺たちを見下ろすジュリエットの瞳は色濃い不安を残している。同じ強襲科のSランクを一騎打ちで倒せるのかと。
確かに俺は戦闘力で言えばアリアと互角だが、アリアが先輩と一戦交えた話は聞かないからどれほど先輩が強いのか俺も分からない。今まで逃げてたツケが回ってきたか。
「では───」
「──行くぞ! 」
共に己が信条を剣に込めて床を蹴る。
獣の如き雄叫びを上げて来襲するは鬼のような形相の持ち主。アリアのように超人的な勘を持つわけでもなく、キンジのように絶体絶命時の咄嗟の閃きなど無く、理子のようにこの展開まで持っていかず奇想天外な行動で切り抜ける術は俺にはない。
「うおおおぉぉぉッッ! 」
俺に出来ることは、ただ理子を守る事だけ。ならば過程や方法などどうでもいい。勝てば良い。どんな汚い手を使っても勝つ。それが俺の勝ち方だ。
距離5メートル。もはや形容しがたい怒りに身を任せた相手に左手をかざし、
「フリーズ」
と、小さく唱える。凍らせるのは先輩ではなく、これから踏み出す先の床。バランスを崩せば決定的な一撃を与えられる。しかし、
「ハッ! 見誤ったなロミオ! お前が小細工せぬなどありえん! 」
凍らせた床を飛び越え、一種の砲丸となりほぼ一直線上に飛来。予測してなければ何も対策できず倒されて劇は台無しだ。先輩が浮かべた笑みはそういう類いのもの。
───だけど。勘づかれてないと思い込むほど俺もバカじゃない。
「もらったぁ! 」
「・・・・・」
先輩は右手に持つ剣は大外から孤を描いて首へと吸われていく。
対抗しようとコチラも力で応戦すれば力負け。先の打ち合いみたく受け流すことも既に首元に近いから叶わない。無理すれば頭に刃が通って悲惨なことになる。ならば──!
「なにっ!? 」
自らが踏む床を凍らせ、自分から相手の下へと潜っていく。刃を交えず回避するなど自分から滑りにいけば可能だ。
左手で床を捉えて先輩のガラ空きの背中へと駆け出す。対して目の前の男には、着地と同時に背後に振り向くまでのタイムラグはどうしようもない。さらに渾身の一撃を躱された直後。再び剣を振るうのには時間が足りない。
「遅い! 」
だが。
Sランクは小細工の一つや二つで殺られるほど弱くない。少なからず目の前の男は幾つもの修羅場を越えてきた人だ。背後からの奇襲など自分よりも強い人間から幾度と無く受け続けたはずだ。でもこうして生きているということは、全てを退けたということ。
ましてや今の相手は格下。先輩にとって奇襲であるが他愛ないものとして処理される。
だから俺は背後をとった。負けたと確信して諦めたのではなく、勝つための条件が揃ったからだ。
一つ。先輩の体勢が崩れているが剣は右手に握られていていること。
二つ。無茶な状態にも関わらず一発逆転のチャンスを狙える攻撃。そして先輩から考えれば、
三つ。同ランクであるが故の慢心。絶対に避けるだろうという思い込み。
先輩は、ダンッッ! と着地した左足を固定し、左手で腰の鞘を衣装から素早く外す。
ジャンプの勢いを体を回転させることに移し替え、振り向きながら一本の鈍器が俺の顎へと吸いこまれていく。
顎に強い打撃を加えれば当然人間は倒れてしまう。避ければ当然攻撃の手は一瞬だけ遅くなり、先輩は右手に構える本命で俺を殺す。
だが鞘は風を押しのけ見事に顎を直撃。
対して二撃目の刃は驚愕の色が満ち溢れんばかり。
当然だ。俺が回避せず、自滅覚悟で鞘の打撃を受けることは考えてなかったから。
だからブレる。だからこそ焦る。無茶な体勢で振るったせいで一撃必殺の威力とは程遠いからだ。しかも今の一撃は自らの体勢を整えることも含まれている。それが崩されれば────
「クソがッ! 」
「───終わりです、騎士・スコンフィット。僕の剣の刃は今、貴方の首筋に。対して貴方の剣は虚空を切り裂かんばかり。貴方が剣を少しでも動かせば、僕はこの剣で貴方を首を落としましょう」
よろけながらも目の前の男の首筋に剣を添える。ほんのちょっとでも力を入れて引けば、頸動脈からドクドクと血が流れて、たちまち出血死。
武偵は人を殺せない。故に今先輩が動いても俺は剣を引かないが、ここで動けばブーイング間違いなし。ただでさえ演劇のストーリーを壊しているというのにこれ以上何かしようものなら教務科から手がくだされる。
「・・・・・今回の勝負はキサマの勝ちだ。だがしかし! ジュリエットに何か怪我するマネをさせようものなら、再びお前を襲いにいく。分かったな? 」
「はい。最初からそのつもりです。命に換えてもお守りしましょう」
騎士は心底悔しそうな顔で剣を床に深々と突き刺し、ジュリエットがいるバルコニーとは反対の舞台袖へと向かった。対して俺はジュリエットのいるバルコニーへ。
いくら軽い攻撃だろうと、顎を鞘で打ち抜かれたんだ。めまいで今にも倒れそうだし足にもうまく力が入らない。でも──ここで倒れたら意味がない。
直前まで作っていたボロボロのハシゴをバルコニーに通し、一段一段踏みしめて登る。
みしり、みしりと軋む音が不安感を掻き立て。震える手足を酷使してゆっくりと。
繰り返すに10度。
目前に控えるは、金糸を束ねた少女。しかし少女とは言い難い雰囲気を纏っている。この世の全ての人々の目を奪ってしまいそうな可憐さと優美を兼ね備えた彼女に声をかけた。
「迎えにあがりました。愛しの君よ」
「先の戦い、見させてもらいました。なぜ貴方は私のために怪我をしてまでも戦うのですか? 」
「──貴女が好きだからです。ジュリエット」
ポッとジュリエットの頬が赤く染まる。
「好きな人を手に入れる為なら何処でも旅に出ましょう。貴女が最果ての海の彼方の岸辺に居るならば船で、無限の地平線の彼方に居るのならば馬で、貴女という宝物を手にします」
「──っ。ありがとうございますロミオ様。貴方にそう言ってもらえて嬉しいです」
それは良かった、と返事をして、しかしとジュリエットに問う。
「僕は貴女と永遠に暮らしたい。けれど困難は有りと有らゆるところに生まれるでしょう。時には二人の仲を引き裂かんとするもの。時には困難に打ち負かされてしまいそうなもの。家を出るということは常に危険と隣り合わせとなります。貴女はそれでも僕と暮らしてくれますか? 」
「───今さらですよロミオ様。私は昨夜、貴方にこう言いました。『共にどこまでも、遥か彼方へ旅をしましょう』と。もとより覚悟は決めております。例え幾多の困難が立ちはだかろうと、私は貴方と共にあり続けます。愛しのロミオ様」
演技とは分かっているが、思わずドキリと心臓がはねてしまった。
多分、ロミオは彼女のすべてに心惹かれたのだと思う。顔とか性格とか、一般的に挙げられるものも勿論のこと、文字通り彼女のすべてを。ロミオは心から愛したのだと思う。この笑顔に、ロミオは全て盗まれてしまったんだ。
「ジュリエット。最後に、まだ僕には足りないものがあるのです。これから共に生活していく中で、最も重要なことです」
一拍おいて。最後の力を振り絞って。
「僕は貴女に恋人と呼んでもらっていません。これでは、僕はまだモンタギュー家のロミオです。もし貴女が僕を好きだと言うならば──証明してください」
ジュリエットに手を差し伸べる。指先が小刻みに震えていて、理子に手をとられた時に気が抜けてハシゴから落ちないように気をつけなきゃな。
ロミオとして・・・・・理子の『ニセモノ』の恋人として、最期の最期までかっこつけたい。
「・・・・・ええ。証明しましょうロミオ様。ですがその前に──」
理子の柔らかな指先が手のひらを触る。軽く握りあって、今確かに気持ちを受け取った。
「これだけは約束してください。私を守るとは言っても、貴方の命をかけるようなことは絶対にしないように。貴方が死んでしまえば、私は今までに感じたことない絶望に浸かってしまうでしょう。なので、私も貴方をお守りします。出来る限り、ずっと」
「ありがとうジュリエット。約束しましょう。決して自らの命を危険に晒すことなくお守りすると」
「ではロミオ様。私は貴方を───」
みしり。
足を乗せているハシゴから嫌な音が耳を刺激した。
──古い木で作られている。
忘れてはいなかったが、完全に油断していた。目線が同じ高さにあったのに、俺の方が少しずつ下がってきている。つまり、足場にしている木が折れていることで・・・・・。
「───あっ」
理子の手を離れて下へ下へと落ちていく。咄嗟にバルコニーに掴む力は今のこの身にはない。理子は観客より速く気づいていたけど、今から手をのばして俺を助けるなんてことはできない。ただ待っているのは固い床に受け身もとれず背中から激突する不幸な姿。
多分、いや確実に気を失ってしまうだろう。貧血に加えて先輩の一撃をモロにくらったんだ。ヒトの意識なんて簡単に飛ぶ。
ごめん・・・・・みんな。せっかくの劇を台無しにして。
目を閉じてこれから来たるバッドエンドに身を預ける。やっぱり、こんな人生は避けられないんだなって。
「──ロミオ様。私ともう一つ約束してください。決して、諦めないこと。それが貴方への願いです」
固く冷たい床に身構えた体は、ふわりと誰かに支えられるようにして宙に浮いた。背中と両膝の裏に誰かの腕の感触が確かに存在する。
「貴方がこうして怪我に怪我を重ねることは、私自身が傷つけられているということと同義です。だから決して諦めず最後まで戦い抜いて下さい」
舞台を照らすライトに曝されながらも目を開ける。
俺よりも理子の方が目線が高く今も見下ろされている。だがここはバルコニーではなく、先の戦いをした舞台の上。しかもこの体勢・・・・・てことは、まさか、世に言うお姫様抱っこ──か。
「分かりました。このような無様な格好で言うべきではないと思いますが、誓いましょう。愛しのジュリエット」
セリフでは平静を装いつつも内心たまったもんじゃないが───理子も、アドリブで対応してくれてる。
何より、ロミオではなく俺に言ってるような気がして、心に不思議と染み渡っていく。考えて言ってるのではなく、前から思っていたことをそのまま口にしているような感じだ。
「ロミオ様。貴方の言葉、確かに聞きました。なれば私も言わなければなりません。バルコニーでは言いそびれてしまいましたからね。恥ずかしいのですが、もう一度、貴方に伝えましょう」
──いつまでも愛してます、ロミオ様。
拍手喝采。いや、万雷の拍手と言った方が正しいか。客席からは爆発にも似た歓声が俺たちに贈られた。止むことなく降り続ける様は、まさに台風。理子を可愛いと賞賛する声や、無様な姿を曝している俺をひやかす声などまちまちだ。そんなバラバラなのに、客の表情はどれも満足気な笑顔だ。
「成功したね、
と、お姫様抱っこの状態から解放してくれた。まだほんの少しふらつくけど立てないわけではない。
服装を整えて、観客の方を向きながら返答する。
「・・・・・ストーリーが全然違うけどな。でもありがとな理子。お前がいなかったら、今ごろ大騒ぎだった」
「えっへん鼻たかだか。リコリンにかかればアドリブ演技など朝飯前なのでーす」
くふふ、と理子は言葉を紡いだ。
「どんな不測の事態でも対応するのがこの私なのです。だけど……一昨日の綴先生があのタイミングで来たのは流石に予想外のそのまた遥か上だったけど。おかげで言えずじまいになっちゃったし」
「気になるな。皆が舞台に上がってくる前に良かったら聞かせてくれよ。無理にとは言わないけど」
ちょっとだけ恥ずかしそうに俺から目を逸らした。恥ずかしいなら別に言わなくてもいいけど──どうやら言ってくれるらしい。
理子は一生懸命背伸びして、俺はちょっとだけ屈む。口元から伝えた言葉がバレないように両手でトンネルを作って。ばか、と最初に前置きなんてして。想いを伝えてくれた。
「────」
目の前に満開のヒマワリが咲いている。
そんな錯覚をさせるほど、今まで見てきた中で一番可憐な笑顔を、理子は他の誰でもない俺に向けてくれていた。
・・・・・ありがとう、理子。
レッテラ、スコンフィット 共にイタリア語です
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