「戦うわよ。あの子を守るために」
朱色の三又槍トライデントを俺に向け、かつての敵──ヒルダはそう宣言した。
「なんで──こふっ!? 」
視界が既に暗転し始めている。このままじゃまた同じ惨劇を繰り返すだけだ。それだけは嫌なのに──!
「その怪我じゃどのみちオワリよ。ほら」
スっと、ヒルダは静かに新雪のように白い手を差し出した。それと対比するように人差し指の先からぷっくりと鮮血が一滴、顔をのぞかせている。瀕死の重症を負い、意識がトびかけても、それが俺を立たせるために差し出した手ではないということくらいはわかる。
「──にを、する、つもりだ」
「単刀直入に済ませるわよ。私の
・・・・・一瞬、何を言われたのかわからなかった。いや、正確には、言葉の意味は理解すれど意図を感じ取れなかった。──けれど、今は恩恵がどうだのリスクがどうだのと考えてる猶予はない。理子をさらい、苦しませ、トラウマにさせた過去よりも、今大切なのはヒルダを信じることだ。
・・・・・人生で二度も『私のドレイになりなさい』なんて言われるとはな。
「どうすれば、いい・・・・・?」
「私の血を舐めるだけよ。さぁ、はやくなさい」
バチッ、バチッッ! っとヒルダは徐々に
すると──
「っ、あづっ・・・・・ッ! 」
自分の吐血で濡れた道に、ひときわ
「我慢なさい。人と吸血鬼は格が違う。私との
──そんなわけない。武器商人との猛攻で負った傷に比べればまだ耐えられる。体内が得体の知れない何かで貪られる辛さも、既に瑠瑠神ので経験済みだ。抵抗しようがないのは確かだが、
「褒め讃える?
「ふん、血反吐を吐きながらまだそんな
コツン、と
(これが・・・・・
見えなくともヒルダとの繋がりをしっかり認知できる。そして同時に、全身に広がる倦怠感と激痛が嘘のようにひいていく。といっても完全に消え去った訳ではなく、半減した程度だが、地面に這いつくばる無様な醜態だけは晒さなくてすむ。
「ッ! グブッ──! 」
「・・・・・! 」
ビチャビチャビチャ──と一瞬にして血溜まりができるほどの大量の血がヒルダの口から吐き出された。その美貌は苦痛に歪み、病的なまでに白い肌は次々と抉られ、刻まれ、パッと鮮血が吹き出した。
「・・・・・くっ! 」
「ヒルダ! 」
武器商人の強襲かと警戒したが、ヒルダは自らの死角に動こうとする俺を制し、俺を対面する位置に移動させた。この位置取りでは振り向かなきゃ武器商人が見えない。それは俺より断然背が低いヒルダにも言えること。だが、
「生命力だけはゴキブリ以上ね・・・・・。死んでくれてたらこの服を汚すこともなかったのに。弁償代はお前に請求しとくわ。覚悟しておく事ね」
血に濡れた口もとを俺の防弾制服の袖で拭い、また涼しげな顔で俺を見上げた。この態度をするからには襲ってこないとは思うが、
「ヒルダッ、大丈夫・・・・・なのか? 」
「はぁ? あの時奪っておくべきだったのは理子ではなくお前の両目だったようね。
と、寸前まで吐血していた様子を微塵も感じさせない振る舞いで、俺の
「
「さっき思いっきり苦しそうな顔だったぞ? お前と殺し合った時なんて人外レベルで──」
急いで跳ね除け、思わず指を抉れた部分にあてがうと・・・・・うわ、ちょっとヘコんでるよ。
「
「ど、どういうことだよ」
「お前と私の全ての感覚を共有して分割するの。全て、ね。お前がヘマをしてダメージを受ければ、私はその半分ダメージをもらうし、私が
全然可愛くない小悪魔的表情を浮かべるヒルダを
「ちょ、ちょっと待て。まだ混乱してんだ・・・・・。──えと、そしたらどうして俺の傷が癒えたんだよ。その
「むしろお前の傷を半分引き受けた方がこの能力の本来の力。感覚共有はその副産物よ」
「そうか。──副産物の感覚共有だけまとめると、負った傷も痛みも分け合う。発動した
「そうだけど──ところで、お前は人をゾッとさせる天才ね。呆れを通り越して感心するわ。次言ったら
ヒルダは俺の向こう側──元々武器商人がいた位置を、俺は真正面を──ヒルダの背後を睨み、理子とすらやったことない背中合わせの位置取りをとり、武器商人を警戒する。いつの間に・・・・・と思うのも、もう飽きた。認識阻害されている以上防ぎようがない。いかにそこでダメージを負わないかが重要だ。
その重要な場面で、俺よりも小さい背中に命を預けているわけだが、不安感はなかった。全ての感覚を共有する能力に間違いはなく、見えるはずのない俺の背後をヒルダを通して俺は見えている。・・・・・総勢12人。
「なぁ。互いの
「使い方が分かればね。代償は伴うけど」
「そうか・・・・・。ヒルダ、お前
「外側から纏うものよ。私の話ちゃんと聞いてたの? そもそも主人に対する言葉づかいがなってないのだけど」
「その辺よく似るんじゃないか?
ビギッッ! と何かがひび割れる音と共に、俺も自分自身に対して底知れぬ怒りが沸いてきた。怒りすら共有されるのかと呆れつつ、盾をもう片方の腕に装着させ、戦闘態勢──ボクシングの基本姿勢をとる。雪月花も手元にない今、身を守れるのはこいつだけだ。
「っ、2時方向! 」
ヒルダの怒声に合わせ体の軸をズラす。2時方向、俺から見れば右前の何も無い空間に向かい、姿勢そのままに巨大な氷槍を生成・射出する。
何も無い空間になぜ──と考えるよりも早く、
「っ!? 」
突如として砂が空中にまき散らされる。空間から砂なんてまた奇妙な光景ではあるが・・・・・いや、そうじゃない。
「アイツの体はまた新しい能力で守られてんのか・・・・・? 」
砂が体液・筋組織の生物は知ってる限りじゃあいない。いるんだとしたらファンタジーな世界の住人だ。目の前の人外がファンタジーか否かはともかくだが、
「ただの砂で作られたゴーレムよ。能力も見た目もかなり精巧に作られた悪趣味のやつのね。それすら見抜けないなんてやっぱり本物のバカなの? 哀れだわ。ちなみにアレ、元に戻るから」
憎たらしい笑みでこれまた新情報が入ってくる。確かにゴーレムと言われたら納得がいきそうなものだが・・・・・本来ゴーレムは、ボス戦の前座、壁役など知性が無く命令は単純なものでしか動けないというのが通説だ。
「ありえねえ能力ポンポンと出されれば嫌でも疑いたくなるだろうがっ! 教えてくれてありがとよ! 」
ヒルダは発生させた電撃を
っと、俺もよそ見してる場合じゃない。何人かは致命傷(?)を負わされ砂に戻っているが、ある程度砂が地面にたまると、ヒルダの言う通りまた復元し始めやがる。
「そう簡単にはやらせねえよ! 」
氷を張り巡らせ出来上がっていく体を地面に縫い付ける。遠距離からの攻撃は充分驚異的だが、人数差によるゴリ押しで潰されるのが1番危険だ。それにいくらかは時間稼ぎにもなるしな。
一息つくのもつかの間、今度は2体同時に正面から。そのうちの1体は若干距離を置き両手に黒球を生成し、1体は左右に不規則な動きで正面から迫ってくる。引けば背後から別の
「もってくれよ、俺の足! 」
地面を蹴り全速力で走り出す。最初にぶつかるのは真正面のやつだ。後ろで留まってんのはカバーする役割か。常に俺と前衛の敵を後衛から見て一直線にすれば射線が遮られ安全ではあるが、今回に限っては話は別だ。相手は認識阻害の能力を多用してくる。俺の視界から消えるわけだ。そんな相手が何の小細工もせず向かってくるわけが無い。
「ヒルダァ! 」
跳躍した武器商人の真下を通る、その瞬間。はちきれんばかりにヒルダの名を叫ぶ。
「っ!? 見えな──」
「1秒後に伏せ! 3秒後に正面12時方向! 」
ヒルダの怒声に背中を押され、水泳選手もかくやという飛び込みで地面に顔を擦り付けた。直後頭の上を何かが通過し、トリッキーな動きで翻弄してくる
急いで立ち上がり防御態勢をとるが──コイツじゃねえ。今突っ込んでくる
「ここだ! 」
右腕に氷を纏わせ、一本の槍となるよう延長し、初めに突っ込んでくる
「──!」
ドッ! と目の前に大量の砂が舞い、本物の
ためらうことなく俺はソレを氷漬けに。援護に回っていた
「伏せ! 2秒後真横に飛べ! 」
と、ヒルダの指示がより簡潔になっていき、大雑把なものに変わっていく。雑にならざるを得ないくらいの弾幕だってことだ。そしてヒルダの指示通り着実に距離を詰めていき、
「そこよ! 」
「りょうーかいッ! 」
距離にして1メートル。ギリギリだが腕に纏った氷槍の射程範囲内だ。このまま脳天にぶち込めば──
『朝陽。頭下げて』
「!? 」
その瞬間、脳内に響いたヒルダでは無い声を頼りに俺は全力で頭を下げると、一拍遅れて首筋をなぞるかのように不可視の刃が通り抜けた。
名も知らぬ誰かに礼を言いつつ、今度こそ顔面めがけて氷槍をぶち込む。ズブブ、と先端が沈んでいく手応え。
今更ながら死が目前に迫っていたことに冷や汗ダラダラだが、他人の心に語りかけられる人が──というか、認識阻害を受けない人が周囲にいるのか? 女性の声だったが聞いたことあるような・・・・・ないような・・・・・微妙な声音だった。あとでお礼をしとかな──
「がっ!? 」
──っ。
バチッ! と青白い光が腕に現れると同時に、頭ん中が真っ白になり意識が飛びかける。いや、実際飛んでたんだろう。それほどの激痛であり、その激痛がまた飛びかけた意識を掴んで現実に引き戻した。
武偵高で感電訓練と称しスタンガンを押しつけられることは度々あったが、今のは比べものにならないほどだ。
「餌よ。よくあそこで首を持ってかれず敵を倒したわね。感謝して受け取っておきなさい」
「はぁ!? ・・・・・っ、餌がどうかはともかく、威力を考えろ威力を! 」
ふつふつと湧く怒りを拳に、俺へと向かってくる
「
植物が地に根を張るように、手首から
「バカも極めれば才能ね。ちゃんと使い物にならないよう体に流れる量は調整したわ。静電気くらいだったでしょ? 」
クルっとこちらに振り向くと、無邪気に──撤回、意地悪そうにニタニタ笑いを浮かべてくる。
「静電気っ!? スタンガンより強いのを静電気って言うんか!? えぇ!? 」
「ゴタゴタ言わないで」
トン、と地を蹴り真横を駆け抜けたヒルダは今にも飛びかかんとする
「朝陽! 」
地面から二体まるごと飲み込む氷の柱を生成。同時に夜空から特大の雷が柱に向かって伸び、爆音とともに氷柱ごと2体を消し炭になるのは一瞬のことであった。
「綺麗ね。お前も私の
氷の結晶がパラパラと舞い落ちる中、優雅と残忍さが折り重なる笑顔をこちらに向けた。褒めろ、と頭の中で主張が強くなっていくが、無視だ無視。
それより周囲の警戒をだな──
「いっ!? 」
バチッ──と
「やめろって言ってるだろ」
「私が褒めろという前には褒めなさい。お前に褒められても虫唾がわくだけだけど」
「理不尽てレベルじゃねえぞ。この隙に襲われたらどうするんだ」
「たかだか
戻ってきたヒルダはパタパタと背中の羽──ハロウィンで見かけるような悪魔の可愛い羽根で飛び、俺を見下してくる。・・・・・ちょっとしか飛んでないが。
まあいい。ちょうどヒルダと共有したいことが出来た。近づいてくれたのは好都合だ。
「決まりだな」
「なに? ・・・・・ああ、そういうことね。気づくの遅すぎ」
そう。周りにいる
おそらくアイツら
「一気に片付ける」
「一気に片付けるわよ」
手がつけられるうちに一気に殺す。本物の
「タイミングは任せる」
「そうね。ヘマして大怪我したら反動が返って来るもの。誰かさんが3つも破壊してくれたおかげで治癒効率が悪いし」
「残り1つで治せないのか? 」
「無理に決まってるでしょ。眷属側だった私を完全治癒させて師団のそばにおくバカがいると思う? とっくに封印されてるのだけど。残り1つだって本来の治癒性能の半分以下よ」
「お互い痛手は負えないな。・・・・・ほんとに頼むよ? 」
「ハッ! やっと
そう言い残すや否や大きく跳躍し、俺と武器商人を一様に見下ろせる高さで滞空した。そして
「我が五体を
ジ、ジジッ、と青白い光が穂先へ集まり、徐々にその光度を増していく。
「我が魂を
雷での感電を少しでも防ぐため全身に氷を纏う。純水の氷は絶縁性──つまり電気を通さない性質がある。俺が
まあ雷ほどの電力ともなれば熱エネルギーも相当なものだが、ヒルダが灼けなかったあたり対策はするはず。……俺、もっかい死ぬかもな。
「来たれ! 我が栄光を示すために!
高電圧による稲妻に照らされ恍惚とした顔が見え隠れする中、ヒルダは
「…………?」
……。
…………。
「──ん? 」
え、何も起きないぞ。
紅鳴館で見せた、万物を消し炭にしそうな雷はどこへやら。高らかに叫んだ声と辺りを照らす稲妻は行き場を失い、とうのヒルダはその場で表情ひとつ動かさず固まっている。姿かたちも勿論変わりない。
「トッ、
今一度
「・・・・・ヒルダ? 」
豪華
そして、ボーッと空中で立ち止まったままのヒルダにひとつの影が──
「避けろヒルダ! 」
「ぁ、えッ? 」
自身へとまっすぐ向かってくる
「がッ!? 」
一拍遅れて俺もヒルダと同様に吹き飛ばされる。脇腹にも巨大な釘が刺さったような激痛が駆け巡り、グチャグチャにかき乱されたまま受け身すらままならず背中から壁らしきものに激突する。さらに追い打ちをかけるように倒壊してきた木材の柱や屋根、コンクリなどに潰され、身動き出来なくなる。
(これ、これ、は、やば・・・・・! )
収まりかけていた目眩も再発したが、何より
「ぉ、
そばにうずくまっていたヒルダと俺、そして俺たちのせいで崩れた廃墟を囲むように巨大な氷の壁を生成し何重にも重ね、回復までに少しでも時間を稼ぐ。アドレナリンがドバドバ出てる今しか立て直す作戦立案も、実行もできねえ。だからこそ、偶然そばで同じように埋もれていたヒルダに、
「おい、だいじょ、うぶか? 」
と声をかける。
「──なさい」
か細い声で帰ってきたが──ヒルダも吐血しているからか、ハッキリ聞こえない。それどころかヒルダの首筋、耳までも真っ赤になってる。それに槍を持つ手……というか全体的にプルプルと震え始めた。俺は
「黙りなさい! っ、うぐっ・・・・・! 」
見まごうほどの大量の血がヒルダから吐き出される。
「なんで! なんでなんで! 」
「なん、だ? 」
キッ! と涙ぐみながらも俺をキツく睨みつけた。
「~~~っ! 気にしないで! 」
ヒルダは自分に降りかかった瓦礫を乱暴にどかしている。服が汚れるだとか髪の毛がどうとかはもう関係なく、溢れる怒りを子どもの癇癪のように周囲にぶつけ続けたかと思うと、ポツリと呟いた。
「なんで成れないのよ・・・・・形態失敗なんて一度もなかったのに・・・・・」
──ああ。あんな自信満々に詠唱してまでしたからにはそれなりの自信があったんだ。それを真正面から無効化されて即立ち直れるような性格はヒルダに持ちえていない。そもそも失敗する条件が見当つかないが、集束してた電気が急激に何かに吸われる形で阻止していたことは確かだ。吸収──霧散した、って方がいいのか? いや、そんなことよりも。
「ヒルダ。今は成れる成れないと言ってる場合じゃない。うっ・・・・・とにかく今は回復を優先で──」
「分かってるわよ! 指図しないで! 」
「──っ」
「なんで失敗するのよ・・・・・しかもよりによってこの男の前で・・・・・! 」
ヒルダの悲痛な思いが
・・・・・なんというか部分的にはアリアと似てるんだな。実際キンジから聞きかじった程度だが。しかもヒルダは貴族気質で俺のことが嫌いだからなおさらだろう。
「お前はここで待ってなさい! 」
「痛っ~~~!? 」
重力に逆らえず落ちてくるところを俺が受け止める。片翼はほぼちぎれかけ、もう片方も小さい穴があいてる。これじゃ飛ぶどころか動かすだけで激痛が走る。もう使い物にならないぞ。
それに・・・・・俺も何とかヒルダが回復してくれてるおかげでギリギリ思考は保ててはいるが、このまま氷壁の外に出ればお陀仏間違いなしだ。
「一旦体勢を立て直そう。限界なのはお互い様だ」
「ふざけないで! 痛っ、あんな
「今外出たって人海戦術で袋叩きにされるだけだ」
「だからって! ここでみすぼらしくウジウジしてろっての!? それじゃ──うぐっ」
怒鳴り声を上げるだけでも無理してたらしく、血に濡れた両手で口元を押さえた。俗に言うお姫様抱っこの状態だが、服の上からでも生々しい傷跡が感じ取れる。俺の元々負っていた傷の半分プラス今の攻撃で内臓にもかなりの損傷があるはず。泣き叫んで転げ回って逃げ出したいくらい痛いはずなのに、プライドがそれを許さない。許せるはずがないんだ。だからヒルダが強情なのも分かる。
「離しなさい! お前なんかに手を借りずとも私だけで充分ってところを見せてやるわ」
ジタバタと腕の中で暴れるヒルダを何とか抑えようとするが、同じく重症の俺も立つのがやっと、ヒルダを抱えられたのだって自分でも信じられないくらい奇跡なことなんだ。暴れられたりしたらそれこそ──
「うぁ・・・・・! 」
ヒルダを抱えたまま尻もちの形で倒れ込む。俺の力が弱まった隙に再び跳躍しようと地に手をつき──そのまま固まった。
「なんで・・・・・なんでなの・・・・・! 」
自分でも気づいたんだ。いま回復に専念しなければ、特にヒルダは自分の体重すら支えきれないことに。
痛みまでは多少誤魔化せても蓄積したダメージは必ず体を蝕む。最後にみせた跳躍が最後の力だったんだ。
「この私が、こんな・・・・・地を這う虫けら同然のことしかできないなんて・・・・・! 」
肥大化していく屈辱感に犯され歯を食いしばるその姿は、もはや美しいとは言えなかった。真紅の爪はとうに欠け、装飾が施された服は見るかげもなくボロボロになっている。たかだか
「──」
かける言葉がみつからない。こんな時、キンジなら気の利いた言葉がスラスラと出るのにな。いつ襲われてもおかしくない状況で、頭に思い浮かぶ言葉は「大丈夫! そんなときもあるさ! 」とか「聞かなかったことにするよ」とかありきたりなセリフだけ。もっと勉強しておくべきだった。
・・・・・あー、くそ。これやるか? やるか。雰囲気ぶち壊すけどまあいいだろう。その方が恥ずかしさは増す。もちろん俺の。
「──俺は先程、貴女にこう言いました。『これじゃまるで──長年付き添った
うろ覚えだが確かこんな感じだ。文字通り死ぬ気で覚えた甲斐があったな。
それに対しヒルダは、
「・・・・・・・・・・は? 」
と心の底から困惑している様子。うむ、予想通りだ。
「マジで言いたくなかったけどな。学祭の演劇でやった『ロミオとジュリエット』のセリフ、その改変版だ。今のお前をおだてるにはちょうどいいだろ」
涙目ではあるが──本気で心配するような、汚い物を見るような侮蔑を含んだキッツイ視線があちこちに刺さる。
うっ・・・・・さらに恥ずかしさがこみ上がってきた。セリフ噛まなかったのが唯一の救いか。人間ホッカイロとして売りに出せるレベルで熱いよ。よくもまあキンジは似たようなのをサラッと言えるもんだ。
「それにお前も言ってたろ。
万全の状態ならば
「お前に同情される日が来るなんてね。今日という日を未来永劫忘れないくらいの屈辱よ。あと何? フォローの仕方が絶望的に下手。恥の上塗りをさせたいの? 」
「ちがっ──まあ違くはないけどさ。フォローの上手さも人並み以下。相手が落ち込んでる時に手を差し伸べて一緒に立ち上がろうなんて出来やしない」
だから、と言葉を続ける。
「俺は逆だ。落ちる。恥をかいたなら恥で、俺も同じ土俵まで落ちる。お前がカッコつけて失敗したなら、俺もカッコつけて失敗する。立ち位置が同じなら少しは気分が楽だろ、同じレベルが隣にいるって」
キンジのように根っこからの善人で、アリアのように芯から強い心と実力を持ち合わせ、理子のように言葉巧みに操れるわけでもない。白雪のように一途に人を信じる心もなく、レキのように見て見ぬふりする優しさは持ち合わせてない。何もかも劣っている俺が他人を励ますなんておこがましいにも程がある。だから・・・・・。
「・・・・・はは」
乾いた笑い声が聞こえる。自分を嘲笑ったのか、俺のくさいセリフをけなしたのか。考えるよりも先にヒルダが口を開いた。
「・・・・・そう。そうね。だけど勘違いしないで。釘をさしておくけど、大っ嫌いなお前を助けるために私はここに来たんじゃない。理子を幸せにする、そのために私はここにいるの」
「そうだな。そんな気はしてた」
「あと、お前ごときと私を同列に扱わないでくれる? 種族からして最初から天と地の差があるの。私がミスをしようとお前と同じ場所に立つことはありえない」
でも、とヒルダは少し口元をゆるめると、震える手で
「
その言葉に憂いはなく。夜の住人にふさわしい猟奇的な微笑みをこぼし氷壁の向こうに宣戦布告を宣言した。
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