ある古びた館ではとある儀式に似た行為が行われていた。
その館の一室はこの館で一番広い部屋だったがそこには大きな『鏡』と大きな椅子以外何も無かった。『鏡』は中性ヨーロッパのような額縁が施されており、高級感を思わせる。椅子も日本では見られないようなデザインで、これも高級感を漂わせていた。しかし、広い部屋に『鏡』と椅子だけというにはあまりにも殺風景だ。おまけに窓や通気口もなく、この部屋に入る手段は大きな扉ただ一つだけ。そんな部屋を世間一般的に言えばこういうのだろう。
不気味だと。
そんな不気味な部屋に赤髪の女が椅子に座っていた。その赤髪の女は自分を確かめるために鏡に話しかける。
「鏡よ、鏡よ、鏡さん……?世界で一番美しいのはだぁれ?」
赤髪の女は『鏡』に話しかける。端から見ればそれは意味不明な行動だが、それは普通の鏡なら、の話だ。この『鏡』は普通ではない。それは今赤髪の女が『鏡』の前に立っているのに『鏡』には赤髪の女の姿が映されていないからだ。今『鏡』は湯船の中にある鏡のように曇っていて何も映っていない状態である。
問いかけられた『鏡』はその問いに、声と姿で答えた。
【それは紅子様でございます】
と、答えると同時に『鏡』には赤髪の女――紅子が映し出される。『鏡』はそれに付け加えるように言葉を紡いだ。
【この世の男はみんな紅子様の虜……】
「ホホホ!」
『鏡』の言葉に満足したのか手に口をあててお嬢様のような高笑いをしてみせる。だが、『鏡』はまだ全てを伝えてないのかまた言葉を紡いだ。
【たった一人を除いては……】
刹那、紅子が手にしていたはずの手鏡が『鏡』のガラスにヒビを入れた。先ほどのお嬢様らしさは一気になくなり、これではただの暴力女だ。動揺を隠すようにもう片方の手に持っていた串を使って髪を伸ばしながら『鏡』の方を見る。
「あら……それはどなたですの?」
【それは……】
と、ヒビが入っている鏡からその人物が映し出された。
白いシルクハットに白いマント。白を基調としたスーツを纏い、右目には眼鏡のようなものがついている。
そして、その人物は紅子も知っていた。
神出鬼没。大胆不敵。世間を騒がせる大怪盗。
その名を、紅子は口にせずにはいられなかった。
「か、怪盗キッド!?」
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2月14日。
日本では世間一般的にこの日をバレンタインデーと呼ぶ。女の子が好きな男の子にチョコレートをあげるという一部のリア充が爆発する日。だが最近では恋愛感情はないが仲のいい男子にあげる義理チョコや、女子友達通しでチョコを交換する友チョコと呼ばれるものもある。時代の変化によって昔のようにチョコ自体がもらえないという人はかなり減っているようだが、やはり好きな人にあげる本命チョコというのには少なからず憧れはあるだろう。
「……ま、適当に作ったやつだけどね」
と、そんなくだらない事を考えていた木葉はいつも通り高校に登校しているところだった。こういった行事にはあまり関心がない木葉だったが、一応日頃の感謝として快斗と快斗の父親の盗一の元付き人、寺井にはチョコを作っている。一応他の人にもあげるのだが、その話はまた別の機会に。
と、木葉は少し前を歩く見覚えある後ろ姿を発見した。
「……あ、快斗君と青子ちゃんだ」
その二人はいつもの如くというべきか、痴話喧嘩しながら登校している。
仲がよろしいことで。
「お二人さんおはよー」
仲良く歩いている二人の肩をポンと叩いて挨拶をした。二人は少し驚いた様子だったが、振り返って木葉の顔を確認すると笑顔になった。
「よう木葉」
「おはよー木葉!ねーねー今日バレンタインデーなんだよ!」
快斗はいつも通りだったが青子はいつもより増してテンションが高かった。
「そうだね。青子ちゃんは作ってきたの?」
「ま、まあ一応ね」
青子は木葉の言葉に少し顔を赤らめながら答えた。おっと、これは快斗のために作ってきた反応だな?
「もー、青子ちゃん可愛いなー!」
「か、からかわないでよ!」
とか言ってる内にも青子の顔は赤みを増していく。快斗は空気を読んだのか、会話には参加しようとはせず少し先を歩いていた。やはりというべきか、今日登校している会話の主な会話はチョコが占めていた。
「(そんなにチョコがいいのかなあ?)」
行事関係に疎い木葉は「うーん」とうなりながら学校に行った。
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「あ、快斗君」
教室につくなり鞄を置いて教室を抜け出して他のクラスの女の子からチョコをもらいに行こうとしている快斗を木葉は止めた。
「あん?」
「はい。チョコレート」
木葉はシンプルに包装された包み箱を二つ渡した。
「お、サンキュー……って何で二つあるんだ?」
「一つはキミの分。もう一つは寺井さんの分ね」
「じーちゃんの分まで用意してたのか。ありがとな。多分じーちゃん大喜びすると思うぜ」
「あんな年でチョコを貰えるなんて普通ないだろうしね」
「そうだな。じゃ、俺はちょっくら貰ってくるわ」
「はいはい、いってらっしゃい」
言って、快斗は教室を飛び出した。木葉はそれを軽く手を振りながら見送った。
と、それを見たクラスの面々が木葉に聞こえないようなぐらいの声量で喋り出す。
「やっぱあの二人って付き合ってるよな?」
「それな。もうあのやり取りとか熟年夫婦って感じだったぜ」
「これじゃあ幼馴染みポジションとして優位に立っていた青子ちゃんも危ういわね」
「だね。もしかしたらもう負けてる可能性も……」
と、ありもしない噂話が飛び交っていた。
まぁ確かにあの二人がある日を境に急接近したとなればそう疑うのも無理は無い。本当は快斗が怪盗キッドで木葉がその仲間なのだが……実際ノーヒントでこんな推理をするような奴は頭がおかしいバカだけだ。そう。クラスの皆は正常なのだ。
だが上手いいいわけを思いつかないのも事実なので曖昧な答えしか出せないのだ。
と、クラスが静かにざわついていると、一人の女の子がこのクラスにやってきた。
その名は小泉紅子。
最近このクラスに転校してきた子で、その完璧とも言える容姿はクラスの男子に留まらず、学校中の殆どの男子生徒が虜になっていた。もしかすると、顔には出していないが、男子教師も紅子の虜になっているかもしれない。
当然の如く女子生徒からの評判はよくない。綺麗な顔立ちにお嬢様気取りな性格だ。女子の嫌いそうな要素がたくさん詰まっている。実際紅子が転校してきてからこの学校で生まれたカップルの数組が紅子にメロメロになったせいで別れたという事例もあるほど、紅子が及ぼす影響は良くも悪くも大きい。
そして今日はバレンタインデー。そうなれば学校中の男性はどうなるか。
「紅子様~♡」
「紅子様!この私にどうかチョコを!」
「馬鹿野郎!紅子様からチョコをもらうのは俺だ!!」
紅子からチョコをもらおうと学校中の男子が木葉と快斗のクラスに集結していた。
「みんなおさないで……今あげるから」
その紅子は優しく男達に囁き一人ずつチョコを渡していく。その姿は貧しい民にお金を恵む女王様のようだ。
「……やっぱ紅子ちゃん綺麗!」
それを見ていた青子が木葉の隣で呟く。中には青子のような変わった女の子もいるが、やはりあの雰囲気は好きになれない女子が多い。クラスの殆どの女子は彼女を睨み付けている。
「(……ていうかいつの間にいたの?)」
快斗もそうだが、青子も神出鬼没だ。変なところで似ているから恐ろしい。いや、青子はそれを天然でやってみせるから快斗以上に本当恐ろしい。と、このタイミングで両手に溢れんばかりのチョコが入ってあるであろう袋を抱えながら快斗が教室に帰ってきた。その快斗は紅子がチョコを配っているのを見て、チョコを抱えたまま紅子に陽気に言って見せた。
「紅子ちゃーん!俺にもチョコ頂戴!!」
と、紅子は快斗の言葉に気づいてそちらを向いた。たかが義理チョコなのだから、いくらあのお嬢様でも両手に溢れんばかりのチョコを抱えていても構わず渡すだろう――
――そう思っていた。
パシッ!!
紅子は快斗の手を大きな音を響かせる程の強さで叩く。そのためか、両手に抱えていたチョコを落としてしまった。
騒がしかった教室も一瞬にして静かになった。叩かれた快斗の手の甲は若干赤く腫れている。だが驚きが勝ったせいか、手の痛みなど気にせず紅子の方を見ていた。
「私のチョコがほしければ、他のチョコを捨てるのね……」
その紅子は高らかにそう言った。その声には声だけで相手を殺せそうなほど殺気がこもっていてクラスの女子は少し身体を震わせた。そして本能で悟った。
――あの女には逆らってはいけない、と。
紅子の言葉に男子達は皆「そうだそうだ!」「紅子様に失礼だぞ!!」というように快斗のことをこれでもかと言葉攻めする。その光景を真ん中のお嬢様は高らかに笑いながら見ていた。
「じゃあ――」
この男も自分の虜になる。
そう信じて疑わなかった紅子は、次に快斗が取った行動に驚愕を隠せなかった。
「――いらねーよ」
――え?
声には出さなかったが、紅子は思わず心の中で呟いた。
言って快斗はしゃがみ、地面に落ちたチョコを両手ですくうように拾って立ち上がった。
そのまま紅子のことを見ようともせずに自分の席に戻っていった。席の方へ行くと幼馴染みの青子、青子の親友の恵子、そして快斗の相棒の木葉がいた。
「快斗、よかったの?」
「そうよ。小泉紅子のことは気に入らないけど、彼女のチョコなら喉から手が出るほど欲しいんじゃないの?」
チョコを机の上に置くなり青子と恵子が心配そうに快斗を見る。いつもの青子ならバカにしていただろうが、美人好きの快斗が美人女性のチョコを断るという行動がどうしても理解できなかったからだ。そんな二人に対して快斗は悔いる様子もなくチョコを鞄の中にしまいながら答えた。
「俺は一つのチョコよりも多くのチョコの方が好きだし」
それに、と付け加えて木葉の方を向いた。木葉は不思議そうに首を傾げるが、快斗は無邪気な子供のように笑って右手で木葉の頭をくしゃくしゃとかいた。
「こいつから貰ったチョコもあるしな!」
「もー……髪が乱れるでしょ」
と、木葉は迷惑そうな声を上げるが無理矢理止めようとしない。その顔はどこか嬉しそうな様子だった。その光景をクラスの皆が釘いるように見ていた。紅子のチョコを断ったのが怪斗が初めてだったということもあり、クラスは別の意味で驚き、ざわついていた。
それは、紅子も。
「(どういうこと……?この世の男は全て私の虜のはず……唯一怪盗キッドだけが無理で……)」
そこまで考えて、紅子は一つの結論に辿り着いた。すると先ほどまでの動揺は一気に無くなり代わりに不適な笑みが浮かんでいた。
「(そう……そういうこと……黒羽快斗、あなたが怪盗キッドなのね!)」
彼女は快斗の方を一瞥し、静かに心に誓った。
必ずあなたを虜にしてみせる、と。
――――
―――
――
―
世間を賑わす大怪盗は今宵も華麗に参上する。
「……はずなんだけど何で誰も警備していないんだ?」
彼――怪盗キッドは宝石が展示されている場所に潜入していた。
しかしそこには一切の人影もなく、そこはまるで営業を終えた美術館のようだった。あまりの静けさに不信感を覚える。一瞬予告状を出し忘れたかと考えたが、いつもの如く予告状を出したので、テレビは速報で怪盗キッドのニュースになっていた。だから予告状を出し忘れたというわけでは無さそうだ。
『電気室にも誰もいない……どうなってるの?』
どうやら彼女の相棒――木葉も不振に思っているようだった。
「……ま、いっか。簡単に盗めるならそれに超したことはない」
と、快斗はあくまで楽観的に考えていた。もしかしたら警察側も今回は諦めたのかもしれない。
『待ってキッド!罠かもしれな――』
通信機から聞こえてくる声を無視して快斗は宝石を囲っているガラスケースを開けた。
その瞬間、白い煙のようなものがガラスケースの中から吹き出した。
「ッ!?なんだ!?」
『なに?どうしたの?』
怪斗が煙りを吸わないように鼻と口を手で覆うと、他の展示物の陰から見覚えのある人物が続々と出てきた。
「ばかめ怪盗キッド。毎度毎度逃げられるわけにはいかないんだよ」
そこには怪盗キッドを追い続けている中森警部がいた。周りには警部の部下が怪盗キッドを囲むように並んでいた。そして、その口元にはガスマスクらしきものが装着されていた。
「(睡眠ガスか!?)」
それは、これまで自分が怪盗する上で常套手段にもなりつつある手だった。自分はもちろん、相棒の木葉も睡眠ガスを使って色々サポートをしてもらったこともある。
まさか、それを自分がくらう羽目になるとは……
「もう鬼ごっこは終わりだ怪盗キッド。キサマを監獄にぶちこんでやる」
中森警部がこれまでの恨みを晴らすかのような声色で怪盗キッドに告げる。
「(やべぇ、もう睡眠ガスが効き始めてる……!クソッ、身体が言うことを……)」
満身創痍で何とか立ち上がったが、足は震え、手は自分の言うことを聞いてくれない。
「(相棒……!)」
もう、頼りになるのは彼女しかいなかった。
その刹那。
自分の身体の中を何かが貫いた。
「なっ……!?」
それに気がつくと同時に激痛が彼の身体を駆け巡る。激痛がする方をみると、彼の白を基調としたスーツの腹の辺りが赤く染まっていた。
「なに!?」
流石の中森警部もキッドの異変には不振に思ったようだ。周りの警官もざわつき始める。一応どの警官も拳銃を持たせてあるが、誰も彼を拳銃で撃った形跡はない。だが、この一瞬の隙が怪盗キッドを逃がすキッカケになってしまった。
ガン!という鈍い音と共に辺りが真っ暗になった。
「辺りが真っ暗だ!」
「な、何も見えないぞ……!」
「クソッ!A班は電気室に向かえ!他はキッドを取り押さろ!」
警官は一瞬ひるんでしまうが、何年もキッドを追っている中森警部は冷静に部下に指示をだした。部下は警部の指示に答え、数人は電気室に向かい、他の警官はキッドを取り押さえるべくキッドが‘いた’場所に飛び込んだ。その時、雲に隠れていた月が顔を出し、暗く染まっていたこの空間に周りの状況が把握できる程度の光が注がれた。
そして、月の光が入りこんでいる窓の方に、一つの影があった。
「……お前は誰だ?」
全身黒の格好でキャップの帽子を深く被っている怪しい人物に中森警部は警戒した。その怪しい人物の腕に中には気を失っている怪盗キッドがいた。
「初めまして警部さん。こうして対峙するのは初めてですね」
それは若い女の声だった。
「フン、お前がキッドの仲間か」
「あなたがそう思うのでしたらそうなのでしょう。本来なら自分は表舞台には現れないのですが……今宵は緊急事態でしたので」
怪盗キッドの仲間だと思われる女の顔は帽子と月の光の逆光で分からないが、女が不敵な笑みを浮かべているのは何とか見て取れた。中森警部は怪盗キッドと仲間の女を捕まえたい気持ちでいっぱいだが、どうしても足を動かすことが出来なかった。女から発せられる威圧感に金縛りにあったかのように身体が動かない。
「……どうして怪盗キッドは腹を撃たれたんだ?」
震えていたが、何とか口は動かせることが出来た。今は捕まえられなくても会話する内に有益となる情報を手に入れられるかもしれないからだ。
「……それは自分にも分かりません。撃たれた形跡も、音もありませんでしたし」
「……お前は、俺たち警察がやったことだと思うか?」
「まさか。我々が人の命を奪わないように、あなた方警察もこちらの命を奪ってまで捉えようとしないのは承知しています。あの時の状況も含めて、ここにいる警察の方々が撃ったとはとても考えられません」
どういうわけか変なところで信頼されているようだ。
しかし、警察がやったのではないとすれば一体誰が……
「では謎解きはここまで。そろそろ彼を病院に送らないといけませんから」
と中森警部が考え込んでいると女の声と共に窓ガラスが勢いよく割れた。今回は警察のヘリを呼んでないので風が勢いよく入ってくることはなかった。おかげで女が黒いハンググライダーを装着しているのがしっかりと確認出来た。
「くっ……その厄介な翼で逃げる気か」
「えぇ。便利ですので」
「……ちっ、今回は諦めてやるが最後に聞かせろ。何故怪盗キッドは宝石ばかりを狙う?いや、それだけじゃない。キッドは奪った宝石をことある毎に送り返してくる。何の目的でそんなことするんだ!?そしてお前は何故キッドの仲間として一緒に犯罪を犯すんだ!?」
十年以上追い続けてもずっと分からなかったことをストレスを発散するかのように言った。
そんな警部に対して、女の答えは何とも簡潔したものだった。
「――――――」
「……!」
そして女は中森警部ら警官に背を向けて勢いよく飛び出した。
見慣れている白いハンググライダーとは違い、黒のハンググライダーにどこか新鮮さを感じるが中森警部はそんなことをいちいち気にするタチではなかった。
「フン。キッドがキザなら、仲間もキザか」
そう呟く中森警部の口角が僅かに上がっていたのを、誰も気づくことはなかった。