第七十三問
『アキ君、帰っているのですか?』
玄関の方から若い女性の声が聞こえる。件の明久の姉が帰って来たようだ。
予想外の展開に、明久は慌てふためく。相変わらずの運のなさ、間の悪さである。
「うわわわわっ! か、帰って来た! 皆、早く避難を――」
「明久君のお姉さんですか……? ど、ドキドキします……」
「う、ウチ、きちんと挨拶できるかな……?」
「ダメだ! 会う気満々だ!」
明久は姉と皆を会わせないように別の部屋に移動させようとするが、皆(特に瑞希と美波)はリビングの扉に集中している。明久はどうか姉が変なことをしませんように、と祈るしかなかった。
緊張の一瞬の後、リビングのドアが開かれた。
「あら。お客さまですか。ようこそいらっしゃいました。狭い家ですが、ゆっくりしていって下さいね」
リビングに現れたのは、黒髪ショートヘアーの二十代と思われる女性。服装は七分丈のパンツに半袖のカッターシャツ。その上に黒のベストを羽織ったカジュアルフォーマルなもの。
口調もおっとりとしており、落ち着いた大人の女性という印象だ。
「「「お、お邪魔しています……」」」
明久は非常識というから、どんな姉が現れるかと思ったが、明久が言うような珍妙な言動は見られない。端的に言えば、拍子抜けしていた。
「失礼しました。自己紹介がまだでしたね。私は吉井玲とと申します。皆さん、こんな出来の悪い弟と仲良くしていただいて、どうもありがとうございます」
深々とお辞儀をする玲。自己紹介も普通そのもので、明久が拒絶するような要素はどこにも見受けられない。
「ああ、どうも。俺は坂本雄二。明久のクラスメイトです」
「同じく、クラスメイトの神崎秀隆です」
「…………土屋康太、です」
我に返った雄二、秀隆、康太が挨拶を返す。
「はじめまして。雄二君、秀隆君に康太君」
笑顔で返す玲。身内以外に名前呼びになれてないのか、秀隆がむず痒そうに頬をかく。
明久が感動していると、雄二が小声で話しかけてきた。
「おい明久。普通の姉貴じゃないか。これでおかしいと言うだなんて、お前はどんな贅沢者なんだ。俺なんか、俺なんか……っ!」
「そう嘆くな雄二。明久は自分が非常識過ぎて、一周回って普通の姉が非常識に思えるんだよ」
「あはは……。ふ、普通でしょ? だから、もう気が済んだら帰った方がいいと思うよ?」
明久ははぐらかすように雄二たちに帰宅を促すが、そんな会話を余所に挨拶は続く。
「ワシは木下秀吉じゃ。よしなに。初対面の者にはよく間違えられるのじゃが、ワシは女ではなく――」
「ええ。男の子ですね? 秀吉君、ようこそいらっしゃいました」
「…………っっ!!」
初見で秀吉を男だと見破った玲。その言葉に、秀吉が驚いたように顔を上げる。
「わ、ワシを一目見て男だと分かってもらえるとは……!」
秀吉が感涙している。最近は秀隆が事前に紹介しているから少なくなったが、未だに女だと間違われることは珍しくない。秀隆の紹介なしに男だと理解してもらえたのも、数少ない貴重な体験だ。
「勿論分かりますよ。だって」
玲は柔和な微笑みを崩すことなく、
「だって、ウチのバカでブサイクで甲斐性のない弟に、女の子の友だちなんてできるはずがありませんから」
温和な口調のまま明久を罵倒した。
玲が秀吉を男だと言ったのも、見抜いたわけではなく、『明久に女友だちはいない』という歪んだ認知からの間違った確信だった。
玲はそのまま瑞希と美波にも視線を向ける。
「ですから、そちらのお二人も男の子ですよね?」
秀吉の認知がそれなのだから、当然2人の認知もこうなる。
「ちょ、ちょっと姉さん!? 出会い頭になんて失礼なことを言うの!? 3人ともちゃんとした女の子だよ!」
「明久! ワシは男で合ってるぞ!?」
明久の台詞に反応して、玲がゆっくりと明久の方を向く。表情も口調も変わらないのに、どこか冷たさを感じる。
「…………女の子、ですか? まさか、アキ君は家に女の子を連れてくるようになっていたのですか……?」
「ぐぁっ!」
玲の台詞で明久がしまった、という顔をする。どうやら吉井家では異性を家に招くのはあまりよろしくないらしい。
「あ、あの、姉さん。これには深〜い事情があって――」
「……そうですか。女の子ですか。変なことを言ってごめんなさい」
「実は……ってあれ?」
明久は弁解しようとするが、玲は明久の予想とら裏腹に瑞希と美波に深々と頭を下げた。先ほどの冷たさも鳴りを潜めている。
「どうかしましたか、アキ君?」
「あ、いや……。姉さん、怒ってないのかな〜、って思って」
「? あなたは何を言っているのです? どうして姉さんが怒る必要があるのですか?」
てっきり怒られると思っていた明久は、それが取越苦労だったと胸を撫で下ろす。おそらく、さっき見せた鋭い視線も、事前に友だちが来ることを連絡していなかったせいだろう、と明久は納得した。
いくら非常識な姉とはいえ、女の子1人だけならまだしも、女の子がいるとはいえ友だちを家に連れてくることくらいは許容範囲のはずだ。
そう思っていた矢先、玲が笑顔で明久に告げる。
「ところで、アキ君」
「ん? なに、姉さん?」
「お客さまも大勢いらっしゃるようですし、アキ君が楽しみにしていたお医者さんごっこは明日でもいいですよね?」
特大の爆弾が投げつけられた。
「ね、姉さん何を言ってんの!? まるで僕が日常的に実の姉とお医者さんごっこを嗜んでいるかのような物言いほ止めてよ! 僕は姉さんとそんなことする気はサラサラないからね!」
「そうですか。アキ君は皆さんの前でやりたい、と」
「何でそうなるの!? 違うからね!?」
どうやら、玲は物理的に叱りつけるのではなく、精神的、社会的に追い詰める方向で責めるようにしたようだ。やり方が陰湿そのものである。
「あ、明久君……。お姉さんとお医者さんごっこだなんて……」
「アキ……。血の繋がった、実のお姉さんが相手って、法律違反なのよ……?」
「お前ら、想像力が豊かすぎるだろ……」
ナニを想像したのか瑞希と美波が頬を染め、秀隆がそれに呆れ返っている。
ただ、玲の想定通り5回を与えるのには成功したようだ。
「姉さん! お説教は後でいくらでも受けるから、さっきの台詞を訂正してよ!」
「何を慌てているのですか、アキ君。 それより、昨日アキ君に渡した姉さんナース服(ミニスカ)がどこにあるか知りませんか?」
「このタイミングでそんな事を聞くなぁーっ!!」
狂ったように頭を掻き毟る明久。クラスメイトの前ですら自分を辱めるのを止めないのなら、野宿なりなんなりすればよかったと後悔する。
「それと、不純異性交遊の現行犯として減点を150点ほど追加します」
「150!? 多すぎるよ! まだ何もしてないのに!」
「……『まだ』? ……200点に変更ます」
「ふぎゃあああっ! 姉さんのバカぁーっ!」
明久の点数から何やら200点が減点された。クイズ番組なら逆転勝ちは絶望的な数値である。
「なあ、玲さん。その減点が何だか知らないけど、女友だち1人ならまだしも、友だち数人を家に連れてきただけで不純異性交遊は言いすぎじゃないですか?」
流石に明久を不憫に思ったのか、秀隆が玲に反論を試みた。
「秀隆君、でしたね。秀隆君のお家ではそうかもしれませんが、我が家では違います」
「どう違うんです?」
「秀隆君はアキ君と友だちになってまだ日が浅いですから分からないかもしれませんが、アキ君は飢えた獣です。それはもう、夜な夜な実の姉のあられもない妄想で夜を明かす程には」
「してない! 僕はそんな事一切してないから! いい加減変なデマを言うの止めてよ!」
「アキ……」
「明久君……」
「ほら、姫路さんたちに勘違いされちゃたじゃ」
「「……私(ウチ)じゃダメなんですか(なの)?」」
「やっぱり2人ともおかしいよ!?」
斜め上の返答に、秀隆(とついでに明久)は一瞬たじろぐが、何とか持ちこたえた。
「よその家のルールにケチをつける気はねぇけど、今回は期末テストの勉強をしに来ただけですし、ココに来たのも俺たちが無理矢理明久にお願いしたからなんで、その減点はもう少し何とかなりませんか?」
「ふむ。そういうことでしたか。……分かりました」
「姉さん! ありがと」
「では減点は100点までにしておきましょう。アキ君。良いお友だちを持ちましたね」
「う、うん……」
明久は秀隆にもう少しどうにかならないか、と目配せするが、秀隆は軽く首を横に振る。
「……すまん明久。さっきの前言は撤回させてもらう。お前も身内に苦労させられてるんだな」
「うん……。ありがとう雄二。僕、生まれて初めて雄二に癒やされた気がするよ……」
秀隆が説得を諦め、雄二が明久に同情しるほどの逸材。吉井玲恐るべし、といったところだろう。
外見や物腰は普通、むしろ上品な方に入る部類なのに、言動がずば抜けていて、皆心の準備が追いついていなかった。それが、命取りとなった。
「ごめんなさい。話が逸れてしまいましたね。貴女方お二人のお名前を伺っても宜しいでしょうか?」
「あ、はい。申し遅れてすみません。私は姫路瑞希といいます。明久君のクラスメイトです」
「ウチは島田美波です。アキとは――」
美波は明久に一瞬意味深な視線を送ると、
「――友だち、です」
と無難に答えた。Dクラスの一件があって、どう答えるか躊躇したのだろう。まさかこの姉の前で『恋人です』と見栄を張られるわけもない。サンドバッグと言わなかっただけマシととらえるべきか。
「瑞希さんに美波さんね。はじめまして」
終始笑顔を崩さない玲。この笑顔からあんなとんでも発言が出てこようとは誰も思わない。しかもさも当然のように発言するから変に現実味を帯びて聞こえるので厄介極まりない。明久が存在を隠したがるのも無理はない。
「ところで、姉さんは何をしに出かけていたの?」
「お夕食の買い物に行ってました」
玲は手に提げていた袋を掲げる。中にはアサリやベーコンなどの食材がチラリと見えるから、食材の買い出しに行っていたのは本当なのだろう。
「あれ? でも随分と量が多いような?」
玲の買い出しの量は、袋の大きさからしても2人分の夕食を作るにしては量が多い。数日分をまとめ買いでもしたのだろうか。
「いいえ。その量で合っています」
図星を言われたのか、明久の指摘に唇を尖らせて不機嫌な顔をする玲。こういった仕種は、姉弟らしく明久に似ている気がする。
「折角皆さんがいらっしゃったことですし、皆さんお夕食を一緒にいかがでしょうか? 大したおもてなしはできませんが」
玲が雄二たちを夕食に誘う。この分量なら、全員分の食事を作っても少し余るくらいだろう。
「それじゃ、ありがたく好意に甘えさせてもらうとするか」
「そうだな。折角のお誘いを無碍にするのもなんだし」
「…………ご馳走になる」
「迷惑でなければ、ワシも是非相伴させて頂きたい」
「ウチもご馳走になろうかしら」
「じゃ、じゃあ、私も……」
全員が首を縦に振り、今日の吉井家の夕食は大人数で食べることが決まった。ちょっとした宴会みたいだ。
「それは良かったです。ではアキ君、お願いします」
「ん。了解」
明久が玲から袋を受け取る。今日の料理当番は明久なようだ。
「なんだ。明久が作るのか?」
「うん。そうだけど。それがどうかした?」
「いや、この人数の晩飯だろ? 流石に明久1人は大変じゃないか?」
てっきり姉弟2人で作ると思っていた秀隆がそんな疑問を投げかける。
「え? 料理って『その家で一番立場の弱い人が全部やる』んじゃないの?」
「「「「「「…………」」」」」」
明久はそれがさも当然の常識のように言った。
「だから雄二と秀隆も料理できるようになったんでしょ?」
「いや、確かに俺は自分で晩飯作って覚えた口だが」
「俺もだが、それは必要だったからで、別に家の中で立場が弱かったからじゃないぞ」
「え?」
可哀想な人を見る目で雄二と秀隆が告げる。よく見ると、他の皆も似たような視線を明久に送っている。
明久が驚いたように玲と皆を交互に見やると、
「我が家では、母の方針でそういうことになっております」
と玲が自白した。
「そ、そうなんですか……」
「アキのお母さんって、なんだかパワフルそうな人みたいね……」
「普通は立場に関係なく、作れる人が作るもんなのじゃが……」
「えっ!? 普通の家では違うのっ!? おのれ母さん! よくもずっと僕を騙し続けてくれたな!?」
真実を知った明久が海外にいる母親に向かって吠えた。
「今の今まで騙されてたのかよ」
「ちょっとは疑問に思わなかったのか?」
「うぅ……。そりゃあ、皆お母さんの作ったお弁当とか持ってきてるし、テレビでもよく母親が料理してるシーンが多いからおかしいなぁとは思ってたけど……」
「なぜ母親に尋ねたりせんかったのじゃ」
「…………お人好しがすぎる」
「だって、ウチでは母さんが一番偉かったから……」
明久の家はやはりカカア天下のようで、母親のルールは絶対なのだとか。
「典型的な逆家父長制か」
「カカア天下は珍しくないが、息子にすらやるかね」
女性の社会進出が進むにつれ、男女平等がささやかれ、昔ながらの『男が外で稼ぎ女は家を守る』文化は過去の遺物へとなっていったが、明久の家ではその根底にある『家事は目下者が行う』という悪習が残ったままのようだ。
「ちなみに、明久はいつからその考え方を?」
「いくらなんでも、そんなに小さい頃からじゃありません」
「ですよね。流石に中学くらいからで」
「小学校に上がるくらいからです」
「大分早えなぁおい!」
明久の奴隷根性は幼少期から培われてきたようだ。
「落ち着け秀隆。他人の家の事情に首を突っ込むと碌なことがないぞ」
「分かってるよ」
秀隆は肩を竦める。明久には悪いが、今はこれ以上関わると本当に碌でもないことになりそうだ。
「んじゃ、少し早いが先に晩飯の支度から始めるか。明久、手伝うぞ」
「俺も手伝おう。折角こんだけ食材があるんだ。使わないともったいない」
「…………協力する」
「あ、でしたら私も」
「「「女子は座ってていいから」」」
「は、はぁ……。そうですか……」
気合の空回りしそうな瑞希を美波と秀吉に相手してもらって、明久たちは夕食の支度をするため台所に入る。
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