第七十四問
キッチンに男4人が並んで料理を始める。
明久の家は元々家族向けのマンションなので一人暮らしにはもったいない程のシステムキッチンが備わっている。
「久々だな。明久ん
「そう言えばそうだね」
「明久の家に泊まりがけで遊ぶ時は、よく秀隆が飯作ってくれてたからな」
最近はコンビニ飯で済ますことも多くなったが、秀隆があり合わせの食材で作ることもあった。
「碌な食材がなくて苦労したがな」
「そういや、文句言いながら作ってたな」
思わず思いだし笑いが出る。
「おっと。お喋りがすぎたな。おい明久。何か丁度いいサイズの鍋はないか?」
「へっへ〜。何と実は、そっちの棚の奥にパエジェーラが入ってるんだよね」
「パエジェーラってパエリア作るための鉄鍋だったか? んなもんあったのか」
パエジェーラは少し浅めの円形の鉄鍋で、その名の通りパエリアを作るには欠かせない鍋だ。
「また随分と珍しい物を持ってるなウチにはないぞ」
「…………同じく」
中華鍋でもまだ珍しい方なのに、パエジェーラともなれば存在を知っていても持っている家庭はほぼいないだろう。パエリアも作ろうと思えばフライパンでも作れるのだから。
「かなり前に母さんが貰ってきたんだよ。それで折角だからパエリアを作ってみたら結構美味しくってさ。それ以来、僕の好物の1つだよ」
「なるほどな」
受け答えしながら 明久が買い物袋から次々と食材を取り出しては並べていく。
「しかしまぁ、スペイン料理とはな。お前の姉貴はてっきり日本食をご所望だと思ったが」
「一応、姉さんは何でも良いって言ってたけど」
「…………この食材は明らかにパエリア」
「だな。エビやアサリだけならペスカトーレとかも考えられたが、サフランがあるからな」
「そうだな。魚介メインでサフラン使うってたら、ブイヤベースかパエリアくらいだ」
サフランは名前を知っていても使い方が限られるスパイスのひとつだ。稀にお菓子や中東料理にも使われるが、それでもパッと思いつく料理は少ない。
加えて明久の得意料理だと言うのだから、玲が食べたがっているのはパエリアで間違いないだろう。
「あれ? ホールトマトなんか何に使うんだろ?」
玲が買った食材の中にホールトマトの缶詰が混じっていた。明久のよく作るパエリアのレシピにホールトマトは入っていない。
「…………セロリと玉ねぎとニンニクを使ったトマトソースで作ったパエリアもある」
「え? トマトソース?」
「セロリや玉ねぎ、ニンニク……イタリア料理のソフリットみたいなやつか?」
「(こくり)」
「そんなのがあるのか」
「まぁ、パエリアは日本で言うところの炊き込みご飯みたいなもんだからな。地方によって違うレシピがあってもおかしくはない」
一口に炊き込みご飯と言っても、地域毎に郷土料理がありレシピも微妙に異なる。パエリアはスペインのバレンシア地方の郷土料理であるが、同じように様々なレシピがある。玲がホールトマトを買ったもの、そのレシピに則ってのことだろう。
「へぇ〜。そうなんだ。今まで僕が作った時は、一度もトマトソースなんて使ったことなかったよ」
明久が秀隆と康太の知識に感心する。秀隆はテレビで得た知識だろうが、康太までスペイン料理に精通しているとは思わなかった。スペイン料理店で性的好奇心でも刺激されたのだろうか。
「なんだ明久。お前パエリアなんて面倒なもんを何度も作ってたのか?」
「うん。好物だからね。よく作ったよ」
「凄えな。俺はそう何度も作ろうとは思わん」
「お前は物臭なだけだろ」
うるせぇ、と秀隆が小足で雄二を小突く。
「ん? ちょっと待て。何度も作っているのに、買ってきた食材が違った? おかしくはないか?」
「そう? たぶん姉さんがうっかりしてただけじゃないかな。いつも買い出しも調理も僕の仕事だったし」
「そうか。まぁ、そうかもしれないな」
「確かにお前の姉さんは少し抜けてそうなとこがあるみたいだが。うっかり、ねぇ」
明久の予測に、雄二も秀隆もいまいち納得していないようだが、否定する理由もないので形だけ同意した。
「ところで明久。さっきふと思ったんだが」
「ん? 何かな?」
「お前、姉貴に本当の生活態度を隠しているだろ」
「……よく分かったね」
「丸わかりだバカ」
エビを手に取り背わたを取りながら雄二が苦笑いする。
「…………バレたら、説教?」
今度はムール貝たわしで洗いながら康太が聞く。
「怒られるだけならいいんだけど、」
「怒られる以外に何かあるのか?」
イカを捌きながら秀隆が更に問いかける。
「うん。あまりにも生活態度が悪かったり、今度の期末試験である程度の点数を取れなかったりすると、姉さんがこっちに居座ることになっちゃうんだ……」
話しながらも、明久も玉ねぎやパプリカやアスパラガスなどの野菜をザク切りにしてボウルに取り分ける。
「ある程度の点数? ボーダーラインみたいなもんがあるのか?」
「う〜ん。ちょっと違うけど、ほらさっき姉さんが減点って言ってたでしょ」
「そう言えば言ってたな。さっきはスルーしたが、アレは何のことだ?」
「あの点数分、振り分け試験の時の点数よりも今度の期末試験の成績が上がってないといけないんだよね……」
「なるほど。減点方式ってことか。それを取り返すために、期末試験で良い成績を取らないといけない、と」
「それであんなに勉強をやる気になっていたのか。ようやく合点がいった」
「…………納得」
秀隆たちもようやく明久が勉強を教えて欲しがっていた理由が腑に落ちた。
要するに、明久は一人暮らしを継続するために、玲には早々にご退場願いたいのだ。その為には、明久が一人暮らしを続けても問題ないと玲を納得させなければならない。もっとも、既に先ほどのやり取りで100点減点されているが。
「さっきの話からすると、減点対象は生活態度と不純異性交遊みたいだな」
「だから、悪いけど姉さんの前では余計な事は言わないでいて欲しいんだ。学校の成績とか、僕の本当の生活とか、……こ、この前の美波とのアレとか……」
「アレって、島田とのキスのこ――むぐっ」
口を滑らせかけた雄二の口を明久が慌てて手で塞ぐ。
「(ちょっと! 下手なこと言わないでよ雄二! そういうのが姉さんに聞かれたらマズイんだって!)」
明久は小声で雄二に言い含めてから、ゆっくりと手を離した。
「(明久の姉貴。不純異性交遊は完全アウトっぽかったもんな)」
「(…………かなりお堅い人)」
それに倣って、秀隆と康太も小声で話し合う。
「なるほどな。ま、お前の一人暮らしは俺にも都合が良いし、黙っててやるか」
「俺も乗った。お前が一人暮らしじゃなくなったら、俺の家に雪崩込まれそうだし」
「…………協力する」
「ありがとう。3人とも」
とりあえず、男性陣の口裏を合わせることはできた。
一応の安全は確保できたので、明久も作業に戻る。
「雄二。コンソメを取ってくれる? そろそろスープを作るから」
「ん?ソ フリットとか言うヤツを作らないのか?」
「う〜ん……。1人の時ならやってみてもいいけど、今日は皆がいるからね。慣れている方でいくよ」
「そうか。お前が言うならそれでもいいが」
「別に気にする必要もないだろ。俺だってお前らや優子を試食の実験台にしてるし」
雄二からコンソメのキューブを受け取る明久を見ながら秀隆が言う。
「そう言ってやるな。明久は姫路たちにいいトコ見せたいんだよ」
「…………見栄っ張り」
「なるほどな」
「そこ、無駄口を叩く暇があったら手を動かす!」
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる3人を明久が黙らせる。しかし、無駄口を叩きながらも、雄二はタコを一口大に切り分け、秀隆は生米を量り取ってボールに移し明久に渡し、康太も難なく食材を切り分けていく。話しながらでも作業を進められるくらい、3人の所作は堂に入っていた。
パエリア作りも、色出しに時間のかかるサフランは最初の方で水に浸しておいたので、スープはすぐにできた。
「あのさ、雄二は家で毎日夕食を作ってるの?」
雄二の手際のよさが気になった明久は少し聞いてみた。康太が料理を作れる理由は清涼祭の時に聞いていだが、雄二の理由はさっきは聞きそびれていた。
「ああ、いや、毎日ってわけじゃない。一応、うちの母親も作るには作るんだが……」
「いいなぁ。そういう母親」
明久の母親は料理はからっきしだと言う。そんな明久からしてみれば、料理を作ってくれる母親に少し憧れがある。
「……放っておくと、ヤツは何を作るか分からんからな……」
と、雄二は遠い目をして呟いた。
「なんだ? 生焼けの唐揚げでも出されたか?」
「……それくらいだったら良かったんだが……」
雄二が力なく乾いた笑い声を上げる。なんだかあん肝と間違えてフグの肝を出されそうになったかのようだ。
「秀隆も雄二と同じ感じ?」
「ん? いや。むしろガキの頃は台所に入らせてもらえなかった」
「なに? そうなのか?」
「…………意外」
秀隆が料理を始めたのは、中学生になってからだという。
「その頃から両親の帰りが遅くなってな。小腹を満たすために自分で作り出した」
「へ〜。お菓子も?」
「そうだな。うちの母親は菓子なんてほぼ作ったことなかったし。本格的に作り出したのはフランドールでバイトしだしてからだが」
皆色んな事情があるんだな、と明久は感心した。
「それじゃ、そろそろお米を炊くよ?」
「そうしてくれ。俺は適当に付け合せでも作る」
「…………サラダを用意する」
「じゃぁ俺はリビングに」
「お前はデザートを作れ」
「えー」
ぶうぶうと文句を垂れながらも、雄二に急かされて秀隆は戸棚を漁る。
「ってもデザートに使えそうなもんなんて……ん?」
秀隆は砂糖などが入った棚からあるものを見つけた。
「お前ヴァニラエッセンスなんて持ってたのか?」
ある意味パエジェーラよりも珍しいものが出てきた。
「ああ、それ? コスプレ喫茶した時の余りを貰ったんだ」
「いつの間に。ま、いいか。コレがあるなら後は――」
秀隆は別の棚からホットケーキミックスを、冷蔵庫から卵と牛乳とマーガリンを取り出した。そこに砂糖と殺気見つけたヴァニラエッセンスを並べる。
「なんだ? ホットケーキでも作るのか?」
「それでもいいが、別のを作る」
「? その材料でか?」
「ああ。明久、これ借りるぞ」
「え? なに?」
野菜と魚介類を炒めていた明久が首だけを秀隆の方に向ける。
「玉子焼き器? 別にいいけど、何に使うの?」
「見てからのお楽しみだ」
そういうと、秀隆はマーガリンを耐熱容器に入れてレンジにかけた。
「それより明久。スープを入れたら目を離すなよ。炊きムラができるからな」
「大丈夫。分かってるって」
具材に火が通ったら一度取り出し、そこに生米を入れて軽く炒め、更にスープとアサリを加えてフタをする。後は弱火で炊きながら時々鍋を揺らし、炊き上がりを待つだけだ。
と言うわけで手持ち無沙汰な時間。鍋を見ながらボーっとしていると、リビングの方からは瑞希たちの会話が聞こえてきた。明久も他にすることがないのでリビングの方に耳を傾けてみる。
『良ければアルバムでも見ますか? アキ君の小さな頃の写真ですが』
『え? 良いんですが?』
『面白そうじゃな』
『アキの小さい頃って、どんな顔してたのかしら?』
『では持っていますね。少し待っていて下さい』
どうやらアルバムを見る流れになったようだ。小さい頃の写真とは言え、瑞希たちに見られるのは恥ずかしい。できれば玲を止めたいが、今は鍋に集中しないといけない。
『お待たせしました』
なんて思っている内に、玲がアルバムを持ってきたようだ。こうなっては止めようもないので、明久は仕方なく恥を堪えることにした。
『こちらが、アキ君の2歳の頃のお風呂の写真です』
先ずは2歳の頃。この頃は幼稚園に上がる前で、まだ赤ちゃんと言っても差し支えない頃だ。
『す、すっごく可愛いです!』
『うむ。愛くるしい顔をしておるのぅ』
『素直そうで可愛いわね〜』
美波の台詞に、まるで今が素直じゃないみたいじゃないか、と明久は心の中でツッコミを入れた。
『それでこっちが、アキ君が4歳の頃のお風呂の写真です』
次は4歳。幼稚園に入ったばかりで、まだまだ母親に甘えていた頃だ。
『あははっ。アキってば、お風呂で寝ちゃってるわ』
『温かくて気持ちよかったんですね』
『無邪気な寝顔じゃな』
遊び疲れた後の風呂は温かくてついウトウトしてしまう。
『そしてこっちが、アキ君が7歳の頃のお風呂の写真です』
7歳。小学校に入りたての頃だ。瑞希と出会ったのも、この頃だったろうか。
『小学校の頃ですね。懐かしいです』
『かなり背丈も伸びておるのう』
『だいぶ大きくなってるわね』
わいわいと話す瑞希たち。しかし、ここで明久はある疑問を抱く。
『更にこちらが、アキ君が10歳の頃のお風呂の写真です』
「待った姉さん! どうしてお風呂の写真ばっかりなの!? そのアルバムは何の写真を集めているのさ!」
アルバムだと言うのにお風呂の写真ばかりで、旅行やお祝い事なのど記念写真が1枚も出てこないのは違和感でしかない。
鍋を離れられない明久は台所から声を張り上げるが、返事はない。いくら小学生の写真だからと言って、お風呂ばかりなんて――
『――そして、これが昨晩のアキ君のお風呂の写真です』
『『…………(ゴクリ)』』
小学生の写真だけではなかった。
中学をすっ飛ばして昨晩。つまり現在の明久のお風呂写真――最低でもセミ・ヌード写真だ。
「こんのバカ姉がぁーっ!! いつの間にそんな写真を!? さては着替えか! 脱衣所に着替えを持ってきた時かっ!」
「明久。鍋から目を離すな。吹きこぼれるぞ」
「もうそんな事はどうでもいい! それよりも、あのバカの頭をフライパンでかち割ってやる事の方が大切なんだ!」
「料理を舐めるな。いいから大人しく鍋を見ていろ」
「離してよ雄二! ……そうだ、秀隆代わりに」
「――今集中してんだ。話しかけるな」
秀隆に助けを求めるが、秀隆は玉子焼き器に集中して見向きもしない。
「なんでさ!? くそっ! こうなったらムッツリーニ!」
「…………今キュウリの飾り切りで忙しい」
「ただのサラダにそこまでする!?」
最後の頼みの綱の康太も、険しい顔つきでキュウリに向かっている。万策は尽きた、というか最初からないも同然だった。
「皆真剣なんだ。お前も観念して持ち場に戻れ」
「イヤだーっ! 離せーっ! 雄二のバカーっ!」
結局雄二に押さえつけられて明久は鍋の前に縛り付けられた。もはや瑞希たちが写真を見ていないでいてくれることを祈るしかなかった。
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