第七十八問
「ここが俺の部屋だ。入ってくれ」
言われた通りに雄二の部屋に入る。
階段を上がってすぐの所にある雄二の部屋は、ガサツな性格からは考えられない程綺麗に整理されていて、一人部屋としては十分に広く感じる。
「そういや、久しぶりに雄二の部屋に来たよ」
「ワシもじゃな」
「俺もだ」
「…………同じく」
いつも遊んでいる明久たちでさえ、雄二の部屋に入るのは去年の秋以来だ。
「え? アンタたちはよく来てるんじゃないの?」
「大抵は僕か秀隆の部屋に集まっていたからね。雄二だけじゃなくて秀吉やムッツリーニの家でもあまり遊んだことはないんだよ」
「それでも、割合で言えば明久の家が多いけどな」
「場所といい、広さといい、何かと都合がいいからな」
「そうじゃの……ワシの家には姉上がおるからの」
「…………企業秘密」
明久と秀隆の家以外、皆あまり人を呼びたくない理由があるようだ。
「家族用のマンションに一人暮らしですもんね」
「少し贅沢に思えますね」
「食生活以外はね」
その一人暮らしを続けるためにも、明久は期末テストを頑張らなければならない。
「それはそうと……。やっぱりこの人数だの俺の部屋じゃ狭いか」
ここにいるのは全員で8人。いくら雄二の部屋が片付いているとはいえ、流石にこの人数だと手狭に感じる。
「居間じゃダメかな?」
「ダメじゃないが、お袋がいるからな。勉強にならない可能性が高い」
雄二が心底嫌そうな顔をする。少し変わっているとはいえ、勉強の邪魔をしそうにはなさそうだが。
「もう。ダメですよ坂本君。お母さんを邪魔者扱いしたら」
「そうは言うがな姫路。お前はあの母親と一緒に暮らしてないからそう思えるんだ。四六時中一緒にいると、ツッコミ所が多すぎて――」
〜♪〜♪〜
雄二が瑞希に反論していると、突然部屋に電子音が鳴り響く。誰かの着メロだろうか。
「あ、ウチの携帯ね。ちょっとゴメン」
美波がスカートのポケットから携帯電話を取り出して着信を取る。メールではなく電話だから急用なのだろうか。
「もしもし? あ、Mut――お母さん。どうしたの? ……うん。……うん。そう。分かった」
一分足らずで電話を終えると、美波は皆に申し訳なさそうな顔を向けた。
「ゴメン皆。ウチ帰らないと」
「美波、何かあったの?」
「うん。今週は仕事が休みだからって家に母親がいるはずだったんだけど……急な仕事が入って、家にいられなくなっちゃったみたいなの」
「あ、そうなの? じゃあ、今は家に葉月ちゃん一人?」
「うん。だから悪いけどきょうはもう帰るわ。勉強はまた今度ね」
確かに、この時間に小学生の妹を一人にしておくのは心配だ。母親が急に出かけて不安に思っているだろうから、早く帰って安心させないといけない。
「ちょっと待て島田」
家に帰ろうと踵を返す美波を、雄二が呼び止める。
「何よ坂本? ウチは早く帰らないと」
「そう慌てるな。それなら場所をお前の家にしないかって話だ」
「え? ウチの家に?」
雄二が美波の家に場所を変更することを提案した。
「それは良い考えじゃの。島田の妹とは全員顔見知りじゃしの」
「ちょうど雄二の部屋も手狭に思ってたし、居間も使えないんじゃ、いっそのこと島田の家に行くのもありだな」
「葉月ちゃんにも会えますし」
「…………なんなら、夕食も作る」
「私もお手伝いします」
皆乗り気のようで、雄二の提案に反対はしなかった。何より、提案した雄二本人が場所を変えたそうだ。
「どうかな? 美波さえ良ければ」
「そ、そうね……。ウチの家、ね……」
だが、美波はあまり乗り気でないようで、少し尻込みしているようだ。
「? どうしたの、美波?」
「な、何でもない! ……じゃ、じゃあ、ウチの家にしましょうか。葉月も皆に会えてきっと喜ぶわ」
一瞬の逡巡の後、美波も場所の変更を承諾した。
「ただし! ウチの部屋には絶っっっ対に入っちゃダメだからね! 特にアキは!」
「わ、分かってるよ……」
いくらデリカシーのない明久でも、許可なく女の子の部屋に勝手に入ろうとは思わない。
「よしっ! そうと決まれば早速移動だ! チビッ子も1人じゃ寂しいだろうだろうからな!」
雄二は背中を押さんばかりの勢いで明久を玄関においやる。よほど母親がいる状態で明久に居座られたくなかったのだろう。
明久が玄関で靴を履いていると、雄二が居間にいる雪乃に声をかける。
『お袋。ちょっと出かけてくる。夕飯は昨日の残りが冷蔵庫にあるから、それを適当に温めて食べてくれ』
『あら。もう行っちゃうの? お茶を用意したのに』
『悪い。ちょっと事情が変わったんだ。……ところで、その手に持った麺つゆのボトルは何に使うんだ?』
『麺つゆ? あらら……。てっきりアイスコーヒーとばかり……』
『お袋……。色や匂いで気づいてくれとは言わないから、せめてラベルで気づいてくれ……』
天然な母親を持つのも大変なんだなと、明久は少しばかり雄二に同情した。
「ただいまー。葉月、いる?」
美波が玄関を開け、中にいるはずの葉月に声をかける。
「わわっ。お、お姉ちゃんですかっ。お、お帰りなさいですっ」
廊下に面した部屋から小さな影が飛び出してきた。
アーモンド状の少しつり上がった目にりぼんで結い上げたツインテール。影の正体は美波の妹、島田葉月だ。
「? 葉月。今お姉ちゃんの部屋から出てこなかった?」
どうやら葉月が飛び出したのは美波の部屋だったらしい。葉月はパーカーの大きなポケットに何かを隠すようにすると、
「あ、あぅ……。実は、その……。独りで寂しかったから、お姉ちゃんの部屋に行って……」
「ぬいぐるみでも取ってこようと思ったの? そのくらい、お姉ちゃんは別に怒らないのに」
「そ、そうですか? お姉ちゃん、ありがとうですっ」
少ししどろもどろになりながら言い訳をする葉月の頭を美波は優しく撫でる。寂しくてぬいぐるみを欲しがるあたり、しっかりしているように見えても葉月もまだまだ小学生だ。
2人の会話のタイミングを見計らって、明久が美波の後ろから顔を出す。
「葉月ちゃん、こんにちは」
「あっ! バカなお兄ちゃんっ!」
明久の姿を見るなり葉月がロケットのように突進してくる。ドンッと腰に勢いよくしがみつくと、そのまま明久のお腹にグリグリと額を押しつける。的確に鳩尾を攻めるあたりは流石美波の妹と言ったところか。
「こんにちは、葉月ちゃん。お邪魔しますね」
「こんにちは」
「わぁっ。綺麗なお姉ちゃんたちまで。今日はお客さんがいっぱいですっ」
明久の後ろに瑞希やリリアたちがいることに気づくと、葉月は両手いっぱい、全身で喜びを表現した。まさに天真爛漫とは彼女のことだろう。
「ほらほら、葉月。アキから離れなさい。皆が中に入れないでしょ?」
「あ、はいです。それじゃ、バカなお兄ちゃんたち、こっちにどうぞっ」
「っとと、そんなに強く引っ張らなくても大丈――ん?」
葉月に手を引かれ廊下を歩いていると、少し空いたドアの隙間から、葉月が出てきた部屋の中が見えた。
所狭しと並べられたぬいぐるみ。その中央に、見覚えのある大きなキツネのぬいぐるみが何かを抱きかかえるように鎮座している。その写真立てのように見える何かを明久が凝視しようとしていると、
「ちょ、ちょっとアキっっ!?」
「ほえ?」
美波の声に振り向いた直後、明久の脳天、鼻先、顎下の3ヶ所に衝撃が走り、一瞬の内に両手手首の関節を外された。
「何見てるのよっ!?」
地獄に違いない。
「なるほど。あれが島田の三散華・追蓮、か」
「絶対に違うと思うがの」
「いい? さっき坂本の家でも言ったけど、この部屋には絶っっっ対に入ったらダメだからねっ!」
腰に手を当て、ぷりぷりと怒りながら美波は明久に指を突きつける。端から見たら可愛らしい仕草だが、その代償に明久は康太に関節をはめ戻してもらうハメになっている。
明久は部屋の中にいたのはぬいぐるみの姿をした獄卒だと思うことにした。あの扉は地獄への扉だ。
「やれやれ。お前らは何をやってるんだか……。チビッ子。元気だったか?」
「ま、いつもの事だろ。よぅ、葉月。久しぶりだな」
明久を脇に避けて雄二と秀隆が葉月に声をかける。
「はいですっ。おっきいお兄ちゃん、ウサギのお兄ちゃん。お久しぶりですっ」
「そうかそうか。それは良かった」
身長差のせいか、高さがちょうどいいのか、雄二はポンポンと葉月の頭に手を乗せる。その横では、秀隆が複雑そうな顔をしていた。
「やっぱり俺はウサギなのか?」
「? 違うんですか?」
「いや、違うというか……。う〜ん。なんて説明したらいいか……」
こくん、と首を傾げる葉月に、秀隆は返答に窮した。
「ま、いいじゃないか。チビッ子がお前はウサギだって言ってんだ。お前はウサギだ」
「いやけどな。それだと俺のイメージが……」
「おいおい。お前は小学生の純粋な発想を否定するのか?」
「そうは言ってないだろ……。分かったよ。ウサギでいいよもう」
雄二にも詰め寄られ、秀隆が折れた。流石の秀隆も葉月相手には形無しだ。
「珍しく素直じゃの?」
「小学生相手にムキになってもしかたないだろ。……それに、ウサギ自体は悪くないしな」
「? どういう意味じゃ?」
「秘密」
理由を答えない秀隆に、秀吉はわけがわからぬという顔をする。
「それで、リビングはこっちでいいのか?」
「はいですっ。こっちですっ」
雄二は家を出てすっかりいつもの調子を取り戻したのか、ズケズケと美波家に入っていく。
「とりあえず、適当に座ってもらえる? 今テーブルを持ってくるから」
明久たちをリビングに通すと、既に置いてあったテーブルではこの人数分の勉強道具を広げれないため、美波は追加のテーブルを取りに行こうとする。
「? お姉ちゃん、テーブルなんて何するです? トランプですか?」
その様子を見て葉月が首を傾げる。葉月は事情を知らないのだから当然だ。
「ううん、違うの。葉月。今日はお姉ちゃんたちね、うちでテストのお勉強をするの」
美波がそう告げると、葉月は少し寂しそうに目を伏せた。
「あう……。テストのお勉強ですか……。それじゃぁ、葉月は自分の部屋でおとなしくしてるです……」
察しが良いと言うか、気がまわると言うか。葉月は明久たちが何か言う前に、勉強の邪魔にならないように自分の部屋に引き上げようとする。その行為自体は、模範的な良い子の行いだと言える。
「待って葉月ちゃん。良かったら、僕らと一緒にしよっか? 学校の宿題とか、予習や復習とかはないかな?」
聞き分けが良いのは、葉月が良い子である証だ。しかし、まだ小学生の子どもが聞き分けが良すぎるのは、それはそれでどうだろうか。ワガママを言わないことと、自分の気持ちを押し殺すことはまったくの別物だ。
「え? 葉月も一緒にお勉強していいですか?」
葉月の表情がパッと華やぐ。
「もちろんだよ。ね?」
「ああ。どうせ1人に教えるのも2人に教えるのも変わらないからな」
「雄二。それは僕が小学校5年生レベルだと言っているのかな?」
「つうかよ。葉月を独りにさせないために来たのに、葉月に寂しい思いをさせちまったら本末転倒だろ?」
「葉月ちゃん。一緒にお勉強しましょうね」
「私も葉月ちゃんとお勉強したいです」
「ワシはあまり教えてやれることはないかもしれんが、一緒に勉強するのは大歓迎じゃ」
「…………保健体育なら教えてあげられる」
康太の発言はギリギリ(アウト)だ。
「(アキ、いいの? 今度のテスト、かなり頑張らないといけないんでしょ?)」
葉月に聞こえないように、美波が明久に小声で話しかける。美波の言う通り、明久はかなり勉強を頑張らなければならい状況だが、
「(大丈夫だよ。葉月ちゃんは良い子だから邪魔にならないし、それに部屋に1人にしておいたら、可哀想でそれこそ勉強に集中できないよ)」
気を使い過ぎだよ、と明久が美波に言うと、美波ははにかんだように、
「(……ありがと)」
と明久の耳元で囁いた。
たまに見せる美波の優しげな顔。その凄く優しい目を見るたび、明久はドキリとしてしまう。
「(これがギャップ萌えか)」
「(今何か失礼なこと考えなかった?)」
眉をつり上げる美波に(別の意味で)ドキリとしてしまう。
「で、どうするよ葉月?」
「葉月、一緒に勉強したいですっ」
「おう。なら勉強道具を持ってくるといい」
「はいですっ」
トトト、と軽快な足取りで葉月はリビングを出る。年の割にしっかしとしているがやはり小学生。一緒に勉強するだけだとはいえ、誰かと一緒にいるのがよほど嬉しいようだ。
「さてと、島田はテーブルを持ってくるんだったな。手伝うか?」
「あ、大丈夫よ。ウチ1人で」
「そうか。まぁ、誰かの写真が飾ってあるのなら、下手に歩き回られたくないだろうから無理に手伝うとは言わないがな」
雄二がケラケラ笑いながらそう言うと、美波はビクリと肩を大きく揺らした。
「ななな何言ってんのよ坂本!? アンタまさか、さっき部屋の中が見えてたの!?」
「いや、ジョークのつもりだったんだが……」
「島田は存外乙女じゃな」
「これで隠してるつもりだからな」
「美波ちゃん可愛いですっ」
「…………毎度ご贔屓に、どうも」
いつの間にか(?)、美波もムッツリ商会のお世話になっているようだ。
「ところで、テーブルはいいとして、夕食はどうする?」
「…………何か作る?」
「食材さえ用意してくれれば、適当にパパッと何か作るぞ?」
「何か作るならお手伝いしましょうか?」
「僕は別にそれでもいいけど」
今の時刻は午後5時。夕食の支度をするなら、買い物に行かないと遅くなってしまう。
「いえ。この人数だと買い物もしないといけないし、今日はピザでも取りましょ。作る時間ももったいないし」
「そうですね。特に明久君はお勉強を頑張らないといけないですし。夕食を作っていちゃダメです」
美波も瑞希も明久にはテスト勉強に集中して欲しいと言う。明久は2人の気遣いがありがたく感じた。
「なんじゃ。ワシはてっきり島田が手料理を(明久に)振る舞うのかと思っておったのじゃが」
「昨日、プライドを打ち砕かれたからちょっと、ね……」
「なるほどの」
昨日食べた明久のパエリヤが相当堪えたようだ。
「っても島田も普段から料理してんだろ? すぐに追いつくって」
「だといいけどね……」
「か、神崎君、私は……?」
「今からスパルタでもいいなら手ほどきをするが?」
「あ、いえ。大丈夫です。何でもないです……」
秀隆が恐ろしい笑顔を瑞希に見せる。
「ほら、いいから皆適当に座ってて。今テーブルを持ってくるから」
美波がテーブルを運ぶために一度リビングを退室して、入れ替わるように葉月が両手いっぱいに勉強道具を抱えて戻ってきた。
「お待たせしましたですっ」
「葉月ちゃん、やる気いっぱいだね」
「はいですっ。あ、バカなお兄ちゃん、ここへどうぞです」
葉月は勉強道具をリビングテーブルに置くと、カーペットの上にクッションを置き、明久にそこに座るように促す。
「ありがとう、葉月ちゃん」
「いえいえですっ」
勧められるままに明久がクッションに座ると、
「葉月の席は
と胡座をかいた明久の膝にスポッと座り込んだ。まんまとハメれたようだ。
「お待たせ。このテーブルはそっちに――ってコラ葉月っ。何してるのっ」
テーブルを持って戻ってきた美波は、葉月が明久の膝の上にいるのを見て少し眉を上げる。
「えへへー。葉月はココで勉強するですっ」
それもお構いなしに、葉月は嬉しそうに明久の胸に後頭部をグリグリと押しつける。
「ダメ。アキのお勉強の邪魔になっちゃうでしょ?」
お姉さんらしく美波が注意する。いつも口よりも手が先に出る明久の時とは大違いだ。
「美波。僕なら別に大丈夫だよ。葉月ちゃんなら小柄だし」
葉月くらいの体重なら、多少のしかかられても苦ではない。普段の美波や瑞希からの折檻に比べたら天と地ほどの差がある。
「バカなお兄ちゃん、嬉しですっ」
葉月が更に頭をこすりつける。飼い主に甘える子猫のようだ。
ノートを開いて書き込むような勉強ならやりにくいが、今回の明久のメインは世界史などの暗記系なので、暗記シートを読み込むだけだからそこまで問題はない。
「それならいいけど……。アキ、変な気は持ってないわよね?」
「明久君。万が一変なことをしたら、大変なことになりますからね?」
「イエス、マム。毛ほども下心はございません」
そんなこんなで準備も進み、2日目の勉強会が始まった。
「うぅ……。ウチだって、アキの膝の上に座ったことないのに……」
「それが本音かよ」
「合宿の時に一線越えかけたのはどこのドイツだったかな?」
「葉月ちゃん、羨ましいです」
「姫路も大概よのぅ」
「…………明久も大変」
「明久君、モテモテですね」
明久を中心に、暗澹とした空気が渦巻いていた。
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