第七十八問
パチッと木と木がぶつかる小気味よい音が部屋に響く。明久たちが翔子の部屋に侵入するために部屋を出てからしばらく、一定のリズムを奏でるようにその音は鳴り続けていた。
「なぁ、秀隆」
「なんだ?」
トレイズが手を動かしながら秀隆に問いかける。
――パチッ――
「俺たち、こんなことしてていいのかな?」
――パチッ――
「別にいいだろ。どうせアイツらが帰って来るまで暇なんだからさ」
――パチッ――
「それはそうだけどさ」
――パチッ――
「皆が必死になって頑張ってるのに、ってか?」
――パチッ――
「そういうわけじゃないけど。やっぱり模擬試験を盗むんじゃなくて、代表に事情を話して勝負を中止させるべきじゃないのか?」
「普通ならそうするところだが……まぁ、無理だな。霧島が雄二絡みの勝負を逃すわけがねぇ。つうか、お前も勝負には賛成だったろ」
「いや、あれは工藤に唆されただけで……」
「それなら、説得するなら霧島じゃなくて工藤の方だな。ま、アイツもアイツで止める気はなさそうだけどな」
愛子を説得したとして、雄二が翔子と勝負するのは変わりないから、どの道雄二の行動も変わらないだろう。
またパチッと音が鳴る。
「そういえば、さっき坂本たちも言ってたけど、なんで工藤は土屋に拘るんだ?」
「知らね。康太と工藤が互いにライバル視してるのは間違いないんだろうが、何でそうなってんのかまでは聞いたことねぇ。新学期の試召戦争が原因だとは思うがな」
2人は試召戦争で初対面し、しかも互いの得意科目は保健体育。結果は康太の圧勝だったが、2人が意識し合うきっかけにはなっただろう。
「ライバル視……けど、それだけで他のヤツらまで巻き込むか?」
「工藤は場をかき乱して楽しむきらいがあるみたいだからな。明久や姫路をからかっていたのも、たぶんそれだろ」
「君みたいにか」
「言うじゃねぇか」
バチッと少し強い音が響く。
「あっ!」
「ま、どっちにしろこのままだと結局全員で勝負することには変わりねぇな」
「……それを阻止するために、坂本たちが代表の部屋に行ったんだろ、と」
「んなすぐに見つけらるわけないだろ。霧島のことだから、雄二に奪われないように隠してる、ての」
「じゃぁ、坂本たちは無駄骨だったの、か?」
「かもな。それに、どの道お前としても損はしないだろ――これでどうだ?」
「あ! 待った!」
「待たねぇよ」
また数回パチッパチッと音が響いた後、トレイズが待ったと声を上げるが、秀隆はしたり顔でそれを拒否。
「制限時間はないんだ。ゆっくり悩みな」
「むぅ……」
トレイズが俯くように唸る。その悔しそうな悩ましそうな顔を、秀隆は手で何かをジャラジャラと弄びながら笑って見ている。
――コンコン――
と、誰かがドアをノックする音。トレイズが驚いてドアの方を見る。
「……坂本たちか?」
「だったらノックする意味ないだろ。客だよ」
「客? 客っていったい誰」
「入っていいぞー」
トレイズの疑問に答えず、秀隆がドアの向こうにいるであろう人物を招き入れる。
ガチャリとドアノブが回り、その人が入ってくる。トレイズが見たのは、少し前に出ていったはずの顔だった。
「木下? 坂本たちは一緒じゃ」
「よく見ろトレイズ。ありゃ秀吉じゃなくて優子だよ」
「あっ!?」
トレイズが驚きの声を上げる。入ってきたのは秀吉ではなく、優子だった。優子は両手にバスタオルを抱えて秀隆たちの方に歩み寄る。
「ご、ごめん木下。俺てっきり」
「別にいいわよ。もう慣れたから」
「勘違いされるのは双子の性だよな」
ケラケラと笑う秀隆を、優子がキッと睨みつける。
「ごめんなさいマクスウェル君。秀吉じゃなくて」
「え? あ、いや……。でもなんで木下がここに?」
「あら? リリアの方が良かった?」
「そういう意味じゃないよっ!」
珍しく優子にからかわれてトレイズが顔を真っ赤にする。
「そこまでにしとけよ優子。――んで、『忘れ物』はないな?」
「ええ。ちゃんと持ってきたわよ」
「忘れ物? 持ってきた?」
2人が何のことを言ってるのか、トレイズはさっぱり検討もつかない。そんなトレイズに答え合わせするように、優子がバスタオルを開く。
「はい。これでしょ」
「……ああ。間違いねぇ」
「これって!?」
トレイズが優子の取り出したものに目を見開く。
優子が持ってきたのは、数枚の紙束だった。
「さっきから話題の模擬試験だよ」
「どうして木下が? さっき坂本たちが盗みにっ!」
口を滑らしかけたトレイズが慌てて口を閉じるが、もう遅い。
「ああ。それで坂本君も吉井君もいないのね」
「ついでに秀吉と康太もな。まともに霧島たちと勝負しても勝ち目はないから、勝負そのものをできなくするつもりってわけさ」
「なるほど。坂本君らしいわ」
「いいのか? そんなにベラベラ喋って」
優子が翔子に告げ口をすると思ったのか、不安そうにトレイズが尋ねるが、秀隆は「いいんだよ」と手を振る。
「優子も反対派だったろ? だから問題ねぇよ」
「そういえば……。けど、それはそれで良いいのか?」
「なにが?」
「木下に代表を裏切るようなマネをさせて」
トレイズはこれにより優子と翔子の仲が拗れるのではないかと懸念した。
「大丈夫よ。代表が坂本君にことで暴走するのはいつものことだけど、今回は私が勝負に反対してるのは代表も理解してるし、何より風紀的にも流石に見逃せないわ。代表と坂本君だけならともかく、他人を巻き込むのはやり過ぎよ」
「他を煽ったのは工藤だけどな」
「だから余計に、よ。だから今回は代表じゃなくて愛子の邪魔をしたってこと」
「工藤なら勝負がなくなっても別に気にしないだろうしな」
愛子なら「ちぇ〜。つまんないの〜」と不満を言うだろうがそれだけだ。ただの面白半分だったのだから、中止したらしたですんなりと受け入れるだろう。ただし、雄二の未来は考慮しないものとする。
「なら、まぁ、いい、のか?」
トレイズはイマイチ納得できてないようだが、一旦2人の意見を聞き入れるとこにした。
「俺としても期末試験前に変な問題起こされたくねぇしな」
「お前さっきまで面白がってなかったか?」
よく考えれば、秀隆はどちらかと言えば賛成派だったはずだ。
「違うわよマクスウェル君。秀隆は『歪んだ中立』よ」
「歪んだ中立?」
「そう。コイツは『自分に』被害が及ばないなら賛成」
「逆に面倒になりそうなら反対ってな」
優子の非難めいた視線も、秀隆はどこ吹く風。
「自分本位のコウモリ野郎。それがコイツの性分よ」
「……なんか、工藤よりも質が悪いな」
「褒めてもなんもでねぇぞ?」
「褒めてるわけないでしょ」
優子が呆れて嘆息する。愛子は『面白そうだからやる』という思考なのでまだ御しやすいが、秀隆はあの手この手で自分に有利な流れに持ち込もうとするので厄介極まりない。当然、そこに大なり小なりの犠牲が伴うことも厭わない。
「ま、飯の時にはああ言ったが、色々と考慮した結果、後々面倒になりそうだから妨害することにしたのさ」
「なら最初から反対すれば」
「あの場は賛成って言ってた方が皆油断するだろ。そうなりゃ、誰も俺と
実際、愛子は秀隆がこちら側だとしって楽しんでいた。
「それはそうかもしれないけど」
「それにいざバレたとしても、『雄二や優子に脅された』って言えばいいしな」
「……なんか、木下も大変だな」
「……ありがとうマクスウェル君。気持ちだけでも嬉しいわ」
秀隆の迷惑極まりない策略に付き合っている優子の気苦労をトレイズが労う。
「ん? でもなんで木下は模擬試験を持ってきたんだ? 別に勝負をさせなくするだけならどこかに隠しておけばいいだけじゃ?」
ここでトレイズがもっともな疑問を投げる。問題集を盗み出せたのなら、男子部屋に持ってくるまでもなく、自分の鞄にでも隠せば済むはずだ。
「私もそれで良いと思ったんだけどね。コイツが持ってこいって言うから仕方なくよ」
「秀隆が? そんなこと言ってたかな?」
「男女別で部屋に分かれた時よ」
「部屋に分かれた時?」
確かに秀隆は優子に「忘れ物をするな」と言っていた気がする。けどあれは替えの下着やバスタオルの話で、模擬試験のことじゃなかったはずだ。
「まったく、アンタの指示は回りくどい上に分かりにくいったらありゃしないわ」
「バカだな。ストレートに言ったらバレるに決まってるだろうが」
「だったらメモなり小声で伝えるなりしなさいよ。あんなわざとらしく言わなくてもいいでしょ」
「あんくらい堂々としてた方が案外バレにくいんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。木下はアレが『模擬試験を盗んでこい』ってすぐに分かったのか?」
トレイズが2人の会話を遮って確認する。いくら2人の仲が良いとしても、アレだけの会話で正確に裏の意図が伝わるとは考えられない。だというのに当の本人たちは、
「コイツが素直に注意するわけないから」
「優子なら何となく察するだろ」
と、何を今更と言った風に答えた。
「いや、分かんねぇよ普通……」
仮にリリアから同じことを言われたとして、トレイズはその台詞を言葉通りに受け取っていただろう。裏の意図があるかも疑うというという発想すら浮かばない。
「本っ当にね! ヒント出されるギリギリまで『何言ってるのコイツ』って思ったわよ」
「ヒント?」
優子は秀隆の台詞の中にヒントがあったと言う。
「トレイズ。下着を忘れるなって言われて、お前ならどこを確認する?」
「え? そりゃぁ鞄の中とか、その周囲とか?」
「そうでしょう。それをあの時コイツは『部屋の隅々』って言ったのよ」
「そういえばそんなこと言ってたような?」
「おかしいでしょ? 下着やバスタオルの確認するのに部屋中を確認しろって言うのは。自分の部屋ならともかく、私たちがいたのは代表の部屋だし」
「確かに。他人の部屋なのにわざわざそこまでしろとは言わないよな」
「だからコイツが言いたいのは『代表の部屋の中を探せ』ってこと。そしてあの状況で探すものといったら」
「模擬試験の問題か!」
トレイズの回答に秀隆は御名答、と手を叩く。
「いや回りくどいし分かりにくいわ!」
「だから、そんくらいはぐらかしとかないと、霧島や工藤あたりはすぐに察するだろ?」
「それはそうかもだけど……」
やはり納得はできない。そんな意味不明な指示を平気で出す秀隆も、その指示の意味を理解して実行する優子の洞察力も。
「持ってこさせたのは、模擬試験がなくなったとなると、改めて部屋中を探すことになるからだ。そしたら念の為って鞄も探し出すだろ?」
「そうか。その時に見つかったら意味がないから」
「こっちに持ってこさせたってことね。流石に代表たちも、室外に持ち出されるなんて思ってもいないでしょうし」
「それに霧島が警戒するのは優子じゃなくて雄二だからな。実際盗みに行ったし」
「仮になくなったのが分かったとしても、疑いの目は坂本たちに行くってことか」
「そういうこと。ま、私もあんな短時間じゃほとんど持ってこれなかったけど」
「いや、これだけでも十分さ。サンキューな」
「そ、そう?……なら、いいんだけど……」
秀隆に素直に感謝されて、優子は少し頬を染めて、尻すぼみに言いながら秀隆から視線をそらす。そんな優子を、トレイズはニヤニヤと生温かい目で見ていた。
「……何か言いたげね、マクスウェル君」
「いや。木下も女の子なんだって」
「ははは。面白いこと言うなトレイズ。確かに生物学的には優子はホモ・サピエンスのメスだが、実態はニシローランドゴリ」
「何か言ったかしら?」
「いだだだだっ!? あ、アイアンクローは止めろおぉぉっ!」
そのまま放っておけばいいものを、余計過ぎる一言を言ったせいで、秀隆は優子から手酷い制裁を受けてしまう。自業自得以外のなにものでもないが。
「いたたた……。くそぅ……。アイアンクローを受けるのは雄二の役目だろうが……」
「そんな役目あるわけないでしょ」
「まぁまぁ。でも、これでなんとか中止にはできそうだね」
優子が持ってきたのはあくまでも使用予定の模擬試験の一部。それでも部数が足りなかったり落丁があったとなれば、公平性を欠くため勝負は中止せざるをえない。
「そうだな。残りも雄二たちがどうにかするだろ」
「その坂本君だけど、たぶん無理ね」
「あん? 何でだよ?」
「それが目的なのにか?」
雄二は戦力にならないと優子の言。
「代表の部屋に『あるモノ』があったのよ」
「あるモノ? んだそれ?」
少しもったいぶって言う優子。翔子の部屋に雄二がそんなに興味を持つものがあるのだろうか。
「坂本君と代表の名前が書いてある婚姻届よ」
「「ああ〜」」
これには2人ともすぐに納得した。翔子に謀れて書かされたそれを、雄二はどうにか取り戻そうとしていたからだ。
「ん? でもそれって弁護士に預けてるって聞いたぞ?」
前に雄二がそのせいで手出しできないと嘆いていた。
「それ、嘘だったのよ。考えてもみなさい。代表にとって坂本君との婚姻届はどんな宝石や金銀財宝よりも価値のあるものよ」
「そんなお宝を、いくら保管するためとはいえ霧島が手放すわけはない、か」
「そういうこと」
「代表らしいな」
誰よりも純粋な(?)翔子のことだ。雄二との大切な思い出の品を手元に置いておきたいと思うのも頷ける。その思い出を雄二は全力で否定するだろうが。
「ま、それでもあと3人もいるんだ。誰かがなんとかするだろ」
実際には秀吉しかろくに仕事をしていないことを秀隆たちは知らない。
「秀隆、その模擬試験どうするんだ? 後で返すのか?」
「いや。普通にもらって明日の追い込みに使う」
「だめよ。それは隙をみて私が返しとくわ」
「いいだろ別に。勝負が流れたらどうせ使わないんだし」
「ダメ。泥棒は犯罪よ」
「盗んできたヤツがよくいうぜ」
「胴元はアンタでしょうが。だいたいアンタはね――」
「てめえこそプライベートまで優等生ぶってんじゃ――」
何にせよ、これで勝負を中止させる糸口は掴んだ。トレイズも内心ホッとしながら2人の痴話喧嘩を聞いていた。
「――まぁ、いいわ。それより、アンタたちにひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
優子は2人、正確には向かい合った2人の中心にある小さな机のようなものに視線を落として聞いた。
「私や坂本君たちが危ない橋を渡っているのに、アンタたちは何をしているのかしら?」
「何って――」
優子の眉間に青筋が浮かんでいるのにトレイズが気づく。だが秀隆は気づいてないのか気にしていないのか、
「将棋だが?」
平然と答えた。
秀隆とトレイズが挟んでいるのは、高級そうな脚付きの将棋盤。傍らには取った駒を置く台まで付いてある。
「そんなものは見たら分かるわよ! なんで将棋なんか指してるのかって聞いてんのよ!」
「なんでって――暇だったし、置いてあったから」
「お、俺は秀隆に誘われて……」
暢気に答える秀隆におずおずと答えるトレイズ。2人の対照的な態度(主に秀隆)に、優子の眉がピクリと動く。
「だからって、普通この状況でする? しかも居飛車穴熊と振り飛車穴熊って、どんだけ長期戦するつもりなのよっ!」
「俺だって最初はゴキゲン中飛車で一気に攻めるつもりだったんだよ。けどトレイズが穴熊組みだしたから急いで進路変更した」
「俺も向こうでオンライン将棋とか結構やってんだ。穴熊は得意戦法だっんだけど」
「いやぁ手堅くて手こずったわ」
「アンタたちねぇ……」
優子が緊張感の欠片もない2人に呆れてため息を吐く。盤面を観察すると、確かに盤面は秀隆優勢だった。
「……で、今は誰の番?」
「トレイズが長考中」
「そう」
優子は盤面と2人の持ち駒を確認すると、トレイズの駒台から銀を一つ取る。
「はい。これで終わりよ」
優子が銀を盤面に置き、パチッと鋭い音が響く。
「え?」
「は?」
優子の指した1手に、秀隆もトレイズも盤面を食い入るように見る。
「げっ!? マジかよっ!?」
「うわっ。本当だ……きっかり13手詰だ」
優子の妙手により、勝敗はトレイズに軍配が上がった。
「だーっ! くっそ! やられた!」
「アンタは詰めが甘いのよ。じゃ、もう行くわ。あんまり遅いと怪しまれるから」
「あ、うん。ありがとう木下。助かったよ。――色々と」
「どういたしまして」
「てめぇ優子! 覚えてろよ! 次の試召戦争では絶対に吠え面かかせてやるかなら!」
「はいはい。期待せずに待ってるわ」
優子は秀隆に余裕の笑みを浮かべてそう返すと、背中を向けて手を振り、そのまま部屋を出ていった。
「あんにゃろう……っ! いつか泣かす!」
「止めとけって秀隆。今のお前、代表を前にした坂本と同じだぞ」
「俺は雄二とは違う!」
「どうだか……」
トレイズからしたら、2人とも似たようなものにしか思えなかった。
ご感想などお待ちしております。
1話分の長さは?
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5000字程度(約5分)が良い
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10000字程度(約20分)は欲しい
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区切りが良ければ何文字でも構わない