どうぞ
静寂が俺たちを包み込む。
電灯の明かりが俺たちの立っている場所だけを照らし、高まる鼓動の音だけが俺たちの耳に届く。
「ちょっ、佐藤、佐藤っ」
平塚先生が俺から離れようと俺の胸を押してくる。
だが、俺は更に抱き締める力を強める。
「佐藤、くるしい」
本当に苦しそうな平塚先生のその言葉にハッと我に帰る俺。いささか、抱き締める力が強すぎたようだ。
いったん平塚先生の身体から離れる。
「…………ふぅ。まったく、いきなりどうした?」
「……いや、ちょっと我を忘れていたというか」
「……かなり驚いたぞ」
「……すみません。ただ、さっき言ったことは本当ですから」
「ふぇっ!?」
可愛らしい声を上げ、一瞬で顔を赤くする平塚先生。
平塚先生は何やらぶつぶつと呟いた後、ふぅ、と1つ息を吐く。
「…………つい数ヶ月前まで学生だった若造のくせに、大人をからかうもんじゃないよ」
そう言うと、平塚先生は優しく、儚げに微笑む。
「…………」
「君はまだ若い。これからもっと素敵な女性に出会える。今君が抱いている感情は、勘違いだ」
平塚先生がそっと目を伏せる。
「……そうですか。なら、どうせフラれるなら、全部言わせてもらいます」
「……は?」
何を言ってるんだこいつはとでも言いたげな顔だな。
「出会えませんよ、こんな女。もう二度と。こんな酒癖が悪くてヘビースモーカーで男勝りでラーメン好きでアニメ好きでスポーツカーに乗ってるような女」
「おい」
平塚先生がツッコんでくる。だが、全て言わせてもらう。
「暴力的ですぐ殴ってくるし、酒が入ると何回も同じ話してくるし、何でもわかったような顔して肝心なことは全然教えてくれないし」
「…………」
「俺たちの頼りになる存在でいようとしてるし、そのせいで自分は誰にも頼れずに全部溜め込んでるし、それで1人になると泣いてるし」
「………っ、お前、まさか」
「それでもいつだって優しくて、いつだってカッコよくて、いつだって綺麗で、いつだって大人で、なのにいつだって子供で」
「……佐藤」
「……そんなアンタが、アンタの全部が、俺は、好きなんだよ」
「…………」
平塚先生が無言になる。それでも俺は続ける。
「アンタの強いところも弱いところも、カッコいいところもカッコ悪いところも、優しいところも厳しいところも、大人っぽいところも子供っぽいところも、全部、全部、好きだ」
「…………」
「……? ……っ」
しばらく無言だった平塚先生を見てみると、平塚先生の目から一筋の涙が流れていた。
「お、おい……」
「……っ」
自分が泣いていることに気がついたのか、慌てて袖で目を擦る。
「…………ははっ。誰かにそんなこと言われたの、久しぶり、いや、ここまでは初めてだな。何だか涙が止まらんよ。……カッコ悪いか?」
「……俺は好みだ」
「…………ばか」
平塚先生が涙を拭き終えると、真っ直ぐ俺を見つめてくる。
「……言っておくが、私は滅茶苦茶面倒な女だぞ?」
「知ってる」
「酒癖が悪いぞ?」
「知ってる」
「束縛とかするぞ?」
「構わん」
「結婚するまで離さんぞ?」
「結婚しても離れんな」
「……引くほど愛すぞ?」
「……俺には敵わねーよ」
「…………熟女好き」
「…………自虐か?」
俺たちはひとしきり笑い合うと、もう1度見つめ合う。
「俺と付き合ってくれるか?」
「いいや、婚約だ」
「…………」
「それでな、それでな、そのとき潤がな、俺から離れんなって言ってくれてな!」
「長ぇ……。ていうか何回目だよこの話」
俺と彩加は通算何回目かわからない、平塚先生と佐藤さんの馴れ初めを聞かされていた。因みに、今日だけで3回目だ。
「まぁまぁ、平塚先生も惚気たいんだよ」
「いや、この人50だからな?」
「年齢は関係ないよ。女性はいくつになっても乙女なんだって」
「小町か?」
「うん」
またあいつは彩加に余計なことを教えて。
「んじゃ、優しい彩加は平塚先生の相手を頼むわ」
俺はそう言うと、席を立つ。
「は? いや、え? ちょ、ちょっと八幡!?」
「ん? おお、戸塚じゃないかー、あのなあのな、実はな、私の旦那はな、昔総武高の新任教師でな」
「ちょ、八幡!! また始まったんだけど!?」
「佐藤さんに連絡してくる。しばらく聞いてやれ」
早く帰ってきてよー!! という声を背にいったん店を出ると、電話帳から佐藤潤という名前を探し出す。
『……はい』
「こんばんは、比企谷です。いつものお願いできます?」
『……またか?』
電話の向こうから呆れたような声が聞こえる。
「いつもの居酒屋なんで」
『……はぁ、10分待て』
「了解っす」
ブツリと通話が切れる。
俺は店に戻ると、そこには楽しそうに過去を話す平塚先生と苦笑いをしながらそれを聞く彩加という構図があった。
俺は平塚先生のその幸せそうな顔を見ると、つい頬が緩んでしまう。
彩加が必死な形相で俺を手招きしているので、それを無視してトイレに行くことにした。
背中から八幡ーー!! という叫びが聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
トイレから出ると、ちょうど佐藤さんが店に入ってくるところだった。
「うす。早かったっすね」
「……戸塚から、助けてっていうメールをもらったからな」
「あー、なら早く助けて上げてください」
彩加そろそろ泣いちゃうかもしれないから。
彩加たちがいる席に戻ると、彩加が佐藤さんの顔を見て、ぱぁっと明るくなる。
「よぉ。悪いな、相手してもらって」
「いえ、佐藤さんが来てくれて正直助かりました。あと八幡死ね」
彩ちゃんが怖い。
「ったく、こいつも懲りねーな」
佐藤さんが平塚先生の隣に腰かけると、平塚先生の額を軽く小突く。
「佐藤さん。烏龍茶でも飲んでいきます?」
俺の質問に佐藤さんは首を横に振る。
「いや、今日はもう帰るわ。俺明日早いんだよ」
「そうなんですか? それなら、ぼくたちも行こうか八幡」
「そうだな。すみませんね、明日早いのに来てもらっちゃって」
「まったくだ」
佐藤さんは平塚先生を背負い、席を立つ。
「……まぁ、こいつがここまで飲むのは俺かお前たちの前だけだからな。また一緒に飲んでやってくれ」
「はい。ぼくはいつでも」
「できれば、佐藤さんにもっと負担してもらいたいんですけどね」
「勘弁してくれ、家で飲むときだけで手一杯だ」
俺たちは勘定を終えて、外に出る。
「お前たちも送っていこうか?」
「いえ、すぐそこなんで歩いて帰りますよ」
「八幡は少し運動しないといけないしね」
そんな会話をしながら平塚先生を車に乗せる。
「……よし。それじゃあ、迷惑かけたな」
「はい。かけられました」
「八幡! そんなことないですからね。あ、でも今度は佐藤さんも一緒に飲みましょう」
「そうだな。今度は俺も行くか」
そう言うと佐藤さんは車に乗り込む。
ふと後ろの席で横になって寝ている平塚先生が目に入る。その寝顔はとても幸せそうで、とても50とは思えない、素敵な笑顔だった。
やっと終わりました平塚編
何か最後は急ぎでしたが、これでよかったよかったということで。
次回からは八幡たちの大学編を書いていくつもりです。
お楽しみに
感想、評価、お待ちしております