野分は懐かしい場所に来ていました。考えてもみれば、捜査局に復帰してから忙してくて全然来れていませんでした。
「ごめんくださーい」
そう言いながら扉を開けると、まるで飼い犬が主人の帰りを待っていたと言わんばかりの勢いで衣笠さんが飛び出てきました。
「野分!おかえりなさい!」
衣笠さんは勢いそのままに野分に抱き、思わず後ろに倒れそうになってしまいました。
「衣笠さん……野分が来ることを知っていたのですか?」
「外で事務所を感慨深そうに眺めているのを窓から見てたのよ。上がって!」
衣笠さんはそう言うとゆっくりと離れて行きました。後をついて行くと、青葉さんがデスクに腕を組んで座っていました。
「青葉!野分が来たよ!」
「やっと来ましたか……随分遅かったですね」
青葉さんはそう言うと野分を応接席に案内してくれました。
「お久しぶりです、青葉さん……その様子だと、野分が何故ここに来たのか知っていそうですね」
「まだ確証があるわけじゃないですけど……これですかね?」
青葉さんはそう言うと一冊の手帳を見せてくれました。パラパラと捲っていると、那珂さんのライブの情報やインタビューの内容など普通の記事もあれば噂話に過ぎない情報も書かれていました。その中の一つ、薬物の項目で野分の目はとまりました。
「青葉さんはどこまで?」
「こういったものが出回っているというところまでですね。野分さん達がこの件を捜査している……というのも青葉の耳に入っています」
「捜査は秘密裏に行なっていたはずですが……」
「情報源は明かせませんが、少し前にMさんと言う方が青葉に何かあったら手伝って欲しいと言いに来まして。その時に知りました」
「意味のないぼかしですね……それに、それ以前から知っていたのでは?」
「知りませんでしたが、恐らく野分さん達が関わっているだろうなとは思っていましたよ」
青葉さんはそう言うと衣笠さんに何かを持って来るように頼みました。給湯室にいた衣笠さんは不満そうな声を漏らしましたが、青葉さんに言われた通り、一冊のノートを青葉さんに渡しました。
「青葉の方でも少し調べて見ました。恐らく既に知っていることばかりだとは思いますが、どうぞ」
青葉さんはそう言うと野分にノートを手渡しました。ノートを開くとビッシリと事件に関する事が記載され、その中には野分達が口外していない情報までありました。
「随分と調べましたね……」
「えぇ、青葉も興味がありましたので……ただ記事には出来なさそうですね」
「……てっきりもう記事にしたものだと思っていました」
「難しいところです。青葉の独断で記事にして、他の皆さんに迷惑かけるわけにはいきませんからね」
青葉さんはそう言うと、難しい顔をしました。野分がここに来たのには二つの理由があります。そのうちの一つは野分の独断で決めていい事か、どうか、本当に悩ましいものでした。
「野分も悩み事がありそうね」
三人分の飲み物を持った衣笠さんが青葉さんの横に座りました。配膳を済ますと、青葉さんはそれに口をつけながら野分の方を見ました。青葉さんの相手を観察する時の癖ですね。
「捜査ではもう青葉達では野分さん達に敵わないと思っていますよ」
青葉さんがそう言うと衣笠さんは苦笑いを漏らしました。
「そうだね。ここにいた時よりも随分と大人びたもんね」
「そんなことありませんよ。未だにお二人には敵わないと思いますよ」
野分はそう言ってノートを示すと青葉さんは自信に満ちた表情になりました。
「今でもジャーナリストとして野分さんには勝てるという自負はあります。けれど、そこに日向さんと足柄さんが加わるとなると、青葉達では……」
「そうそう。これでも私達の優秀な部類に入るから!でも本当にいいチームだね。部隊って言った方がいいかしら?」
二人はそう言うと、顔を見合わせてあれこれ言い始めました。
「仲間……ですかね」
野分がそう言うと、二人は待ってましたと言わんばかりに野分の方を見ました。
「青葉にとっても野分さんは昔の仲間であって、今も仲間だと思ってますし、もしかしたらこの先また仲間になるかもしれないですよね?」
「お見通し……でしたか」
野分は脱力してしまい、前のめりの姿勢から背もたれに体重を預けました。やっぱり青葉さんにはかないません。
「これも予想です。野分さんがここに来る時は捜査局がピンチなんだろうって思っていました。きっと野分さんなら、青葉達の力を借りなくてもやっていけるだろうと思っていましたからね」
青葉さんはそう言うと、昔野分が座っていた机を指差しました。
「野分さんがここから出て行った時のままです。青葉と衣笠で毎日掃除もしています。いつでも戻ってこれますし、その日から仕事もできますよ」
「ありがとうございます……けれど、今回は野分じゃなくて……」
「日向さんには別の場所を用意しますよ。いつでも青葉達を頼ってください」
青葉さんはそう言うと、衣笠さんの方を見ました。
「そうねぇ……青葉と野分は外に出たら暫く帰ってこないから、日向さんには私と一緒に事務仕事を手伝ってもらおうかしら。届け出とか詳しそうだし」
「日向さんに伝えておきます」
「悩み事は解決しましたか?」
そう言われ、青葉さんの方を見ると、真っ直ぐ野分の方を見ていました。
「いえ……もう一つだけあります」
「何でも言ってください。ここでの話が外に漏れることはありませんから」
「しかし……」
「大丈夫だよ。衣笠さんにおまかせ」
衣笠さんはそう言うと、席を立ち、紙袋を持って戻って来ました。
「Mさんの置き土産だよ」
差し出された紙袋の中を覗くと、中には小さい機械がいくつか入っていました。コンセントのタップであったり、小さなカメラであったり、様々でした。
「陸奥さんも抜かりないですね……」
「Mさんです。逆に盗聴器をひとつつけてやりましたよ。すぐにバレて壊されましたけど」
青葉さんは苦笑いをすると、それを遠くに離しました。
「それで、青葉達は何をすればいいですか?調査ですか?」
「この情報を記事にして欲しい……かどうかで悩んでいます」
「えっ?」
青葉さんは目を丸くすると、説明を求めました。
「今回の件、秘密裏に処理すべきではないと思うのです。ですが、公表すれば日向さんの……いえ、艦娘だった人たちの立場が危うくなります。ですが、これ以上誰かに間違った方向には進んでほしくないんです」
「ですが、記事にすれば多くの人の目に触れます。野分さんの言う通り、元艦娘は力を欲するあまり薬物に手を出す存在として認識されることになります。それでもいいのですか?」
「そうです。これまで頑張って社会に溶け込んだ人たち全員に迷惑をかけることになると思います。ですから……決心がつかないんです。お願いすべきか、どうすべきか……」
野分と青葉さんが黙って見つめあっていると、衣笠さんはため息を漏らしました。
「ねぇ、青葉。ジャーナリズムは公平であるべきだっていつも言ってるじゃない」
衣笠さんは決意に満ちた表情をしていました。
「もし、私達の仲間が間違ったことをしたのならそれを隠さずに伝えるのが私達ジャーナリストの使命じゃないの?」
「ですが、それをすればもしかしたら元艦娘は社会から迫害されるかもしれません」
「二人ともよく聞いて」
衣笠さんはそう言うと、大きく息を吐きました。
「確かに私達は負けたけどこの国の為に頑張ってきたんじゃない。今だってみんな頑張ってこの社会で生きているわ。もし艦娘のうちの一人が悪い事をして、それで全員が迫害されるなら、人間はどうなるの?」
「確かに人にも悪い事をしている人はいますが、そもそも人と艦娘は違……」
「違わない!私はそう思ってる!」
青葉さんの言葉を遮って、衣笠さんが強く反論しました。
「生物学上は違うかもしれないけど、同じ日本人であることは変わらないはずよ!」
「しかし……」
青葉さんの言葉はそこで途切れました。
「仲間が悪い事をしたのなら、みんなで謝って償いましょう。それに反対する仲間がいるなら私達で説得しましょう。それで国を敵に回すのなら一緒に戦いましょう。武器が無くても、青葉はずっとその足とペンで戦ってきたじゃない」
「しかし、衣笠さん。野分はこれが正解かどうかわかりません」
青葉さんにかわりに衣笠さんに答えると、衣笠さんは笑ってこちらを見ました。
「間違っていたのなら後で正せばいいじゃない。そんな力のない私たちじゃないでしょう?」
衣笠さんの言う私達が、ここにいる三人ではないことはわかりました。しかし、野分にはまだ決心がつきませんでした。それを察してくれたのは青葉さんでした。
「青葉もまだ決心はつきません。けれど、すぐに記事にできる様にしておきます。野分さんは今回の件を解決することだけ考えてください。タイミングを見て、青葉もどうするか結論を出します」
迷っている。青葉さんはそう言いましたが、その目には覚悟の様なものが見えました。きっと陸奥さんの盗聴器を全部取り除いた時には心の何処かでそうすることを決めていたのでしょう。この会話が聞かれたら、間違いなく止めに来ますからね。
「わかりました。よろしくお願いします」
野分は二人に深々と頭を下げました。
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オフィスに戻ると、日向さんが窓から外を眺めていました。その視線の先には夕暮れに染まる海がありました。
「戻りました」
「ご苦労」
短いやり取りになってしまい、どう報告すべきか悩んでいると日向さんの方から切り出してくれました。
「それで、青葉はなんて?」
「日向さんも野分も受け入れてくれるそうです」
「そうか……それで?」
日向さんは振り向くと、野分を真っ直ぐ見ました。
「それで……とは?」
「青葉はどこまで掴んでいて、それを記事にするのかどうか」
日向さんは野分に歩み寄ると、野分を見下す様に見てきました。もともと身長差があるのでいつものことですが、今日は威圧感を感じました。
「野分達が知り得た情報の一歩手前まで来ています。もし伊勢さんの事を知っていれば野分達と変わらないと思われます」
「そうか……それで、青葉はどうすると?」
「記事にすると思われます。こちらの動きを見ながらタイミングを計るそうです」
野分がそう言うと、日向さんは優しく微笑みました。こんな日向さんは初めて見ました。日向さんは野分の頭を撫でると、再び窓際方にいきました。
「もし野分がそれを止めていたら平手打ちをしていただろうな。よくやった」
「しかし、これでよかったのですか?日向さんは……」
「これでいいんだ。姉の愚行の責任は私にもある。私が償うさ」
「日向さんがじゃなくて、日向さんもです。衣笠さんが言ってました。みんなで謝って償おうって」
「そういうわけにもいかんだろう?」
日向さんは頭を掻くと、大きな溜息をつきました。
「青葉に直ぐに記事を出していいと伝えろ。記事に私の名前を出していい」
「わかりました……けど、一人で何かはさせませんから」
野分はそう言って青葉さんに電話をする為オフィスを出ました。扉を閉めようとした時に見えた日向さんの顔が笑っていた様な気がしました。