なお質と量はいつも通り。
日はとうに落ち、満月が空を支配する時刻、夜の帳が下りた海を
先の戦いでの収穫から、『契約の箱』を探しださなければならないことが分かった。立香達は、イアソンよりも早くそれを成さなければならない。
今では落ち着いて航海ができているが、日中はアルゴ号に乗船していた、名の知れた神代の英雄達と交戦し、紙一重で凌ぎ切ると立香達は戦線を離脱した。
無事に、とはお世辞にも言えない、
右舷──船縁の低い部分に腰掛け、足を海側に投げ出しているのはエウリュアレ。ゴルゴンの三姉妹が一柱の神霊である。
夜風に髪を靡かせ、眼を閉じて歌うエウリュアレは月明りに照らされ、その周囲は切り取られたかのように、この世から隔絶した雰囲気を醸し出している。
『ここにいたのか、探したぞ……エウリュアレ』
そこへ踏み入るのは、赤い外套を同じく夜風に靡かせるエミヤ。エウリュアレの不在に気付き、見回っていた。
声を掛けられたエウリュアレは、歌を中断すると不敵な笑みを浮かべて答える。
『こんな時間に声をかけるのは感心しないわね、襲いにでも来たの?』
『それは違う。それと……すまなかった』
エウリュアレの問いかけを即答に否定すると、エミヤは謝罪した。
『私には……彼を守る術があった、だが──』
『アステリオスのことなら、謝らなくてもいいわ』
ためらいがちにも、言葉を述べようとしたエミヤを制すると、エウリュアレは先を読んで答えを返す。
『あの子のことだもの、助けなくてもいい、って言っていたんでしょう?』
その言葉の通りだった。
全滅の回避とエウリュアレの死守のために、何としてでも撤退戦に持ち込まなければならない。
その
アステリオスが捨て身の策でヘラクレスとヘクトールを無力化し、立香達の逃げる時間を稼いだ。
ヘクトールの宝具『
そして、アステリオスの目を見たエミヤには、彼の思惑と言いたいことが伝わってきた。
『えうりゅあれ、まもって』
ただエミヤがそう思っているだけかもしれない。
だが、決意を固めた表情のアステリオスは、最後に笑っていた。過ごした時間こそ短かったが、アステリオスの人柄をエミヤが知るには十分だった。
だからこそ、そう思った。一瞬の視線の交錯で、アステリオスの伝えたいことを。
仲間を切り捨てることの選択を、立香は強いられた。その辛さを取り除くことのできないエミヤは、もどかしさを感じた。
だがアステリオスとの別れは、エウリュアレにとっては、また違った意味を持つ。彼を
『私のせいで、アステリオスは死んでしまった』
物憂げな表情をした、エウリュアレの呟くような独白を、エミヤは黙って聞く。
『私が召喚されたから、アステリオスは死んでしまったの。私が居なければ、あの子が死ぬことはなかった。でも……私に何が出来るか、ようやく思い出したの』
『────あの子のためなら、命を差し出せるって』
船縁から手を放し、エウリュアレは海に飛び込む────ことはできなかった。
いつの間にかエウリュアレの背後まで近づいていたエミヤが、間一髪の所で、船縁から手を放した華奢な右腕を、しっかりと掴んでいたから。
エウリュアレが纏っていた、薄氷を踏みしめているような危うさ。それを感じたエミヤの悪い予感は、残念なことに的中していた。
『……放して、エミヤ』
『それはできない、彼との約束を破ることになる』
身投げしようとするエウリュアレに対し、頑として譲らないエミヤ。
『だってそうでしょう? 私が居なければ、イアソンの目的も──』
『────アステリオスは、君に生きていてほしかったんじゃないのか?』
エウリュアレの言葉を遮り、冷静なエミヤらしくない感情の込められた言葉に、エウリュアレは思わず目を見張る。
『現界をやめることをとやかくは言わん。しかしその選択なら、マスターもアステリオスもやろうと思えば出来た。だが、君はこうして生きている。────二人が君に生きていてほしいと願っているから』
『……でも』
『私のことは嫌っても構わん。だが、君を姉のように慕っているアステリオスを、悲しませないでほしい』
エウリュアレから手を放すと、背を向けるエミヤ。最後に残した言葉からは、彼のやりきれない哀しさが伝わってきた。
エウリュアレは無意識の内に、エミヤの掴んでいた右腕に左の掌を乗せていた。
連続召喚でカルデアに召喚されたエウリュアレを右肩に乗せ、眉間に皺を寄せたエミヤが廊下を歩く。
「なぜ、私がやらなければならないのだ?」
「あら……不満でもあるの、勇者さま? あの時みたいに抱き止めて歩いてもいいのよ」
ヘラクレスから逃げる時、エミヤは転んだ立香ごとエウリュアレを抱き止めたことがあった。
必然というべきか、当時居合わせたセイバーが、カルデアの留守組に愚痴をこぼし、希望者をお姫様抱っこして回る羽目になったことは記憶に新しい。
このような冗談を言うほど、エウリュアレがエミヤに懐いた経緯といえば。
仕留め切れていなかったヘクトールが最後の最後にあの宝具を使い、無防備なエウリュアレを狙ってきたが──
『オジサン、びっくりしちゃったねぇ。まさか本当に持ってくるなんて』
エウリュアレと同じく警戒していたエミヤは、今度こそアイアスを投影して守り抜き、
そして別れの時、エミヤを屈ませたエウリュアレは、お礼と称して頬に口づけをしていたし、カルデアに召喚された後はステンノが不在の時、エウリュアレの方からエミヤに会いに行くほどだった。
悲しいことにいくら頭を捻っても、エミヤには懐かれた理由が分からなかった。あの時の口づけを、額面通りに受け取っているエミヤには。
そして特異点から帰還した夜、枕元で『エミヤ絶許』というどこかで聞いたはずのとある海賊の声が聞こえていたが、エミヤは気のせいとして処理した。
寂しさで自暴自棄だった私を引き留めた勇者さま。不思議なことに、彼の言葉を受け止めて特異点を生き抜いた。
それに、守ることに特化しているなんて、まるでメドゥーサのようね。
早くアステリオスも来ないかしら。……ちゃんとお礼を言わないと。
なぜこんなにも気に入っているのか、