もしも、薔薇の皇帝が月に召喚されることが無かったとしたら。
いつもの日課、もとい家事が全て終了し帰路に付くエミヤだったが、彼の胸中は些か複雑だった。というのも、悩みの種が現在進行形で隣に居るためである。
「突然どうしたのだエミヤ? 眉間に皺が寄っているぞ」
純白の花嫁衣装に身を包んだネロ・クラウディウス、所謂ネロ・ブライドが左腕に抱き着いているのだ。
先日の特異点で色々あった後に彼女が召喚され、こうして傍に居ることが多い。心配な点は、彼女の首に巻かれている鎖が花嫁衣装に何とも不似合いで、マスター達にあらぬ誤解をされないかどうかだ。
ただでさえこの光景を見て、赤いドレスのネロは情報量の多さにどう反応すべきか分からない曖昧な表情を浮かべており、偶然その顔を見た玉藻は、
そんな中、ネロ・ブライドの積極性で一番影響を受けているのは間違いなくアルトリア達である。エミヤもそう理解しているものの、気のせいだと信じたかった。
今は居ないが、先程まで背後から薄っすらと感じていた視線が非常に気まずかった。ヒロインXらしき声が、「まさか赤……白いセイバーが良いというのですか……なら私もリリィになるしか……」と呟いていたことも拍車をかける。
「……一応聞いておくが、なぜこうなったのかね?」
「我が右腕よ、聞かずとも分かっておろう……これは余の花嫁修業である!
しかし、実のところ……花嫁とは何をすれば花嫁なのかてんで分からぬ。それ故に、余の直感に身を委ねたのだ。行動あるのみ、とな」
赤いドレスのネロと同じく、自信満々に答えるネロ・ブライドだった。経緯は違えど、ネロという英霊の根幹は変わらないらしい、とエミヤも納得する。
ただ、すぐさま実行する真っ直ぐな姿勢は一目置くほどだが、肝心の花嫁像が方向性を見失っているのは
ともあれ行動原理に一応は納得したが、疑問として引っかかることはある。ネロ・ブライドという存在は、果たして皇帝のネロと同一存在なのだろうか。
もしもの姿で言えば、アルトリアのリリィやランサー・オルタと同じではある。しかしあちらが、少女として幸せな人生を歩んでいたら、神ではなく人として生きたくなったら、という仮定に対して、ネロ・ブライドは生前と死後に伴侶を見つけることができなかった、という正反対な仮定となっている。
誰がそれを望んだのか定かではないものの、その過程をたどったネロ・クラウディウスが確実に存在する。これは紛れもない事実である。
ここで、ネロ・ブライドがランサー・オルタのように行動し、本体から逸れた違う側面だとしたら、本体の英霊はどうなっているのか────
「むう……もっと構ってくれても良いのではないか? 流石の余でも、反応が無いのは堪えるぞ……」
「それはすまない。君のことを考えていてね」
「────なっ!? そ……そうであったか、ならば不問にしようぞ」
無言で考察していたエミヤだったが、恨めしい視線で抗議されると敵わない。思考を中断すると釈明する。
残念なことに、相変わらずの不用意な言い回しで誤解されているとは夢にも思わない。そのまま話を変えようと、ふと思いついた質問を投げかける。
「そういえば、君は私を『右腕』と呼んでいたが、それはなぜかな?」
「ふむ。良い機会ではある、か……余の心の内を明かすのも吝かではないな。
よかろう、忘れたとは言わせぬぞ……あの特異点でのことを」
口元に手を当てて考えていたネロ・ブライドは、逡巡の後に語り始めた。
北米大陸の特異点が修復されていない時の事、計画の一つとして考案された暗殺に失敗し、戦いへの誇りすら捨てたクー・フーリン・オルタを相手にすることになってしまった。
なぜなら不運なことに、エミヤが弓兵の利点を生かして遠距離から狙撃しようにも、建物が遮蔽物となり、狙いをつけられないことが大きな誤算となった。建物ごと吹き飛ばすことができない訳ではないが、死傷者を出すような策はナイチンゲールに止められていた。
それがなくても、彼の槍兵は矢除けの加護を持っているし、そのクー・フーリンが傍に居る限り、加護の無いメイヴを狙っても意味がない。
結局は接近戦で暗殺を狙ったが、圧倒的なまでの力の差だった。
ネロ・ブライドの宝具──『
ロビン・フッドは全滅を察したジェロニモの機転で早い内に離脱したが、その彼とビリー・ザ・キッドは、途中から参戦してきたアルジュナに敗れて大地にひれ伏し消滅間近だった。そして、有利な戦場を作り出す生命線のネロ・ブライドは満身創痍で、辛うじて動けるのは回復込みでも左腕が使い物にならないエミヤのみ。
そんな中で動いたのはジェロニモとビリーだった。アルジュナが無抵抗だと判断した隙に仕掛け、一瞬ではあるがクー・フーリンとアルジュナの気を引いた。
エミヤが視線を向けると、彼らは『逃げろ』と目で訴えていた。ネロ・ブライドの宝具は強力だったからこそ、離脱させようと判断した。
その意図を汲んだエミヤは狂王の槍を弾くと、『
不意打ちの代償として────凶槍を受けたジェロニモとビリーの笑みに応えながら。
「私は関係あるのか? それはジェロニモ達が功労者のような気がするのだが……」
「勿論忘れてはおらぬ。この先で会うことがあれば、余の客将にならないかと打診するつもりであるぞ。それにすぐその場から離れてしまったから、礼の言葉を伝えておらぬ。
何にせよ、余とエミヤの連携は即席ではあるがなかなかに相性が良かったのではないか? 安心して背中を任せられる相手は得難いものであるからな」
なぜ相性が良いのかといえば、当然エミヤがネロ・ブライドの前に皇帝のネロと組みこれまでに戦ってきたからである。しかしながら、そのお陰でどちらのネロにも『右腕』として認定されることになった。
「見たところ、あまり嬉しそうではないな。もしや余に右腕と呼ばれるのは……嫌か? ……無理強いはできぬ。エミヤがそう思うのなら呼び方を改めよう」
ネロ・ブライドは不安げな顔で俯いた。そこまで硬い表情になっていたのかは定かではない。正直な話、ネロの顔が二人とも同じであるため、エミヤもどう接すれば良いのか分からないだけだった。
前にも似たようなことがあったが、経歴は違えどネロが悩む点は同じらしい。
「いや、その心配はない。
友人として接しているからだろうな、右腕や副官などと大層な称号で呼ばれると私の方が勝手に委縮してしまうだけだ。どう呼ぼうと構わないから、気にしなくていい」
重く受け止めがちなネロ・ブライドの不安を払拭できるよう、なるべく明るい声色で答える。
「そうか、では一つ頼みごとがあるのだが……」
「……それは何だね?」
「エミヤ……そなたのことをシェロと呼んでも構わぬか?」
「そんなことか、さっきも言っただろう。許可を取らなくとも勝手に呼んで構わない」
「承知した。世話を掛けてすまぬなシェロ……それに──」
「────それに?」
言いにくいことなのか、躊躇いがちに言葉を切る。ネロ・ブライドの様子を見て疑問に思ったエミヤは聞き返した。
「…………いや、余の勘違いであった。何でもないぞ」
「そうか、分かった」
彼女の言葉が真実なのかは分からないが、深入りするような野暮なことはしない。そう決めたエミヤは、先にネロ・ブライドを部屋まで送ろうと行き先に足を向ける。そして、自室に戻るまで彼女が離れることはなかったことに苦笑することとなった。
翌日、フランに花嫁姿を基調とした私服の依頼をされたり、謎のヒロインZのようにジャージを白く染めたXを宥めることに頭を痛めた。
ずっと傍に居てくれると嬉しい、などと言える訳があるまいな。シェロの優しさに甘えてばかりでは、花嫁としても余の為にもならぬ。
……本当なら、右腕ではなく余の"──"になってほしいものだが、まだ言葉にするべきではないか。