一人の戦士に執着した女性は、振り向かせることに懸命だった。
カルデアの食堂では、営業が終わると食器洗いが待っている。
かつての当番制度は一人で行う作業だったが、所属人数も増えたため現在は二人となっていた。食器の位置を把握している熟練者とそれ以外の人物を一人ずつ当てはめる訳ではあったが、本日の当番であるエミヤの顔は一層険しかった。
「どうしてそんなに怒っているのよ? 遅れたから?」
弓兵の隣で彼が洗い終えた食器を乾いた布で拭きながら、不満を口にする女性がいた。
コノートの女王にして魔性の女メイヴ──以前の特異点で敵対したサーヴァントの一人である。また聖杯の力を利用して、存在しないはずの英霊クー・フーリン・オルタを顕現させ、アメリカを戦渦に巻き込んだ元凶でもある。
外見からは人懐こい小型犬のような愛くるしさを感じさせるが、その内面には鋭い牙を携えた猟犬のように獰猛な一面を併せ持っている。隙を見せればたちまち虜にされてしまうだろう。
恋多き、気が強い女性、そんな彼女が一人の男に認められたい、という一心で特異点の騒動を巻き起こしたのだから、修復に奔走した藤丸立香を始めとするカルデア一同にも思うところはある。
現在のエミヤは、なぜメイヴが苦虫を噛み潰したような顔で皿洗いを粛々と行っているのか、それが疑問となっている。考えに耽ると表情が固くなるのは致し方ない。
「別に怒ってなどいない、ただの気のせいだろう。私自身不愛想だと自覚しているものでね」
「あらそう。はあ……、本当に悔しいわ」
「まったく、一体どうしたのかね?」
「どうしたもこうしたもないわよ。あの時よりパワーアップしたメイヴちゃんが、まさか普通の実力で負けたのよ? もっとこう……男のサーヴァントくらい召喚しておきなさいよね」
「じゃんけんの次は実力勝負を挑んで負けたのか。遅れた理由に合点がいったよ。
しかし……仮にそれで勝ったとしても、手加減されているようなものだがね」
現在の悔しがりようから、皿洗いする前のメイヴは地団駄を踏んだのだろうと弓兵には予想がつく。
最初の頃はともかく、マスターとして一歩ずつ着実に力をつけている今の立香ならば、余程の事が無ければ心配していない。カルデアに所属する古今東西のサーヴァントを統括しているのは、曲りなりにも彼女なのだから。
しかも残念なことに、このカルデアのサーヴァントは女性がほとんどであり、メイヴの最大の武器は通用しないと言っても過言ではない。
「それにあれよ、
「ああ、そうだな」
「絶対信じていないわね。
……そういえば、貴方はクーちゃんと面識があるのかしら?」
喜怒哀楽が激しいのか、手は止めないものの顔だけをエミヤに向けて問いかけてくるメイヴは、瞳を輝かせて興味津々だった。
「そう思った理由は何だね?」
「だって初めて会った時、知っている口振りだったじゃない」
メイヴの言及している時系列は、
ジェロニモとビリーを伏兵のアルジュナに対処させ、ネロ・ブライドと皇帝についての問答を行った狂王は、ふと興味の矛先をネロの背後に居たエミヤへと向けた。
かつて弓兵の剣に誇りが欠けていると言ってのけた
よくよく考えてみれば、傍にはメイヴも居たのだから、当然このやり取りは知られている。
「『まさか誇りを喰わせるとは思わなかった』って断言していたんだから、元のクーちゃんを知っているってことでしょう?」
「覚えていたのか……忘れていて欲しかったのだがね。何かと縁がある男なだけだよ」
「やだ……妬けちゃうわ。私は召喚しないと会えなかったっていうのに」
「……代われるものなら、是非とも代わってほしいものだ。
──まあ、あの男は苦い……おそらく喜ぶだろう」
これまでの召喚される先々で顔を合わせているため、内心では皮肉にもお互いに「またか」と同じ意見でとうんざりとしている。
エミヤとしては、生前の一度目の死因になったことから因縁が始まっているので、相対することが運命付けられているのかもしれない。ただし、あまりにも物騒な話であるので、そうあってほしくはない。
やりようのない諦観を皮肉として混ぜようとしたが、気が付かない内に浮かべられたメイヴの笑顔が、威圧感を発していたため、途中から無難な言葉で締めくくる。気が強い女性の笑顔には、必ず何かしらある。思い出していた過去の経験がエミヤの窮地を救うことになった。
「でも、クーちゃんと戦おうだなんて勇ましいのね。貴方は近代の英雄らしいけど、そういう勇士は大好きよ!」
「そうだな……褒め言葉として受け取っておく」
「……え、それだけ? 『メイヴちゃんサイコー!』って傅いたりしないの?」
「そこまで驚くほどのものかね?」
「当然よ! 私が微笑むとどんな男だって私の
──もしかして、女性に興味はないのかしら?」
食器を拭く手を止め、さも自然の道理であるように断言する。
メイヴに絶対の自信があるからこその発言だろうが、締めの言葉には異論を唱えなければならない。
「まさか……私だって可愛い女の子は好きだ」
「なによ、私は可愛くないって言うの?」
「いや、私の目から見ても君は可愛いという部類に入るだろう」
「ふーん……そう、嬉しいわ。折角だからこの後、私の部屋でお話ししない?」
「謹んで遠慮させてもらおう。君の愛する男に刺されるかもしれんからな」
「……成程ね。そういうことは分かるのかしら」
「何か言いたいことでも?」
メイヴの何かを察した言葉に、今度はエミヤが手を止めて問いかける。
「いいえ、何でもないわ。知っているって訳でもなさそうだし。
……私の
「そうか、なら今度はこちらから聞かせてもらおうか。
──君は一時は戦った間柄だろうに、なぜマスターに手を貸す?」
洗い物が終わり、水で湿った手をタオルで拭きながら、エミヤは核心を突いた疑問を投げかける。
「最初に言っておくけど、負けたことは忘れていないわよ。私の王国を崩されて悔しい思いをしたことは特にね。今日だってそれのリベンジマッチを挑んだら思わぬ落とし穴に嵌まって負けちゃったけど、また挑むわよ。
ただ単純な話──それ以上に応援したくなっただけよ。この私を倒した立香が人理修復できませんでした、だなんて……私は絶対に認めないわ」
ケルトの戦士にとって昨日の敵は今日の友ということだろう。それは女王メイヴであっても例外ではないのかもしれない。
口は悪いが、根は善人と言ったところだろう。
「これもマスターの人徳が為せる業ということか」
「どう意味よそれ?
「心配しなくてもいいさ。そう言うことにしておこう。食器洗いも手伝ってくれているからな」
エミヤは微笑ましい心境で返答したのだが、メイヴはお気に召さなかったらしい。振り回されるより、自分が振り回したい女性であるから仕方ない。
「……分かったわ。貴方がそのつもりなら私にも考えがあるから。強い男ほど主導権を握りたくなるのよね。
────あらゆる力が──」
「──楽しそうだなメイヴよ」
怪しげな前口上を唱えるメイヴを遮ったのは、聞き覚えのある声だった。
吹き抜けのカウンターから顔を覗かせるその女性は────
「貴女はスカサハ……師匠」
「……ほう。ちゃんと憶えておるようだな、安心したぞ」
「ええ、何でここに居るのよ……」
「私が弟子を迎えに来るのは不思議か? 偶にはこういうこともあるだろう。
──全くもって、相変わらず元気なことだ」
先日、半強制的にスカサハへ弟子入りさせられたエミヤは時折稽古をつけてもらっている。
偶然にもメイヴの皿洗いと稽古の日が合致してしまったために、犬猿の仲である二人は睨み合いとなっていた。均衡はそう簡単には崩れないだろう。
こうしてすっかり蚊帳の外に置かれたエミヤは、とりあえずお茶を淹れようとお湯を沸かすのだった。
本当にスカサハが偶然足を運んだのか、深くは考えなかった。
本当に気障な男、私を翻弄しようだなんて許せる訳ないわ。
でも、いいこと思いついちゃった。エミヤを私の
クーちゃんもくれば最高ね。