第五次聖杯戦争の十年前、衛宮切嗣が臨んだ第四次聖杯戦争、その時系列で誕生した特異点を修復するため、立香一行はレイシフトすることになった。
そこで出会う人物に心当たりしかなかっただけに、複雑な心境で迷っていたところを説得されたエミヤは、結局ついていくことになったものの、最後まで顔は険しかった。
先日の特異点、エミヤの知る冬木市の十年前で出会った一人の女性──アイリスフィール・フォン・アインツベルン。カルデアのアルトリアの証言と同じく、召喚されていたのが
確固たる根拠はなかったが、銀色の髪、真紅の瞳、雪の妖精を彷彿とさせる容姿を一目見た瞬間、彼女が義父──衛宮切嗣の妻であり、義姉──イリヤスフィールの母親であることに考えが至った。
生前は切嗣が過去の詳細を話すことはなく、その存在を推測するだけだったエミヤにとって、本人との邂逅は不思議な感覚であった。会ったことは初めてだったが、未来が違えば義母として接していたのかもしれない。
だが、それは今回関係のない話だった。そもそも、特異点の彼女は衛宮切嗣と結婚していないどころか、会ったこともなかったのだ。特異点でのアインツベルンはホムンクルスに関する技術が高くなっており、外部の協力者を必要としなかった。
その彼女には現地で協力してもらったのだが、大聖杯前での決戦後、アイリスフィールの体で眠っていたはずの小聖杯が突如として覚醒し、サーヴァント扱いになったのだ。仮初のサーヴァント──『天の衣』と名乗った彼女は、このままアインツベルンに戻っても居場所がないと訴えたため、カルデアで保護することになった。
同化した影響か、天の衣になったアイリスフィールは、打って変わって衛宮切嗣と結婚した記憶があるらしい。複雑な顛末であることに違いはないが、それはつまり、どういうことか──
「エミヤくんは切嗣の縁者なの?」
必然的と言うまでもなく、関係性を問われるのは明らかだった。
カルデアの食堂、閑散とした時間帯にアイリスフィールは現れた。
特異点ではクラスで真名を隠せていたが、真名呼びが基本のカルデアでは違和感でしかない。アイリの前で名前を出さないように、と周りに言っておくのは簡単だが、それはできなかった。単純に、そうまでして隠すのはエミヤの気が引けた。
記憶の摩耗したかつての自分であれば、その手段を迷いなく実行したかもしれない。だが、失ったはずの記憶を埋められ、本来の性格に近くなってしまった以上は仕方ない。したがって、アイリが『
天の衣はそれを聞きに来た訳だが、落ち着いて話をしようというエミヤの提案で席に着き、テーブル越しに興味津々な様子で弓兵を見ていた。
「ミス・アイリスフィール、説明したいのは山々なのだが……どこから説明すればよいのだろうか」
エミヤはそう言って紅茶を差し出すと、対面に座る。
「……それなら、まず貴方と切嗣の関係について教えてもらえるかしら?」
一口紅茶を含んだアイリ、彼女から開口一番に飛び出したのは、エミヤの核心に迫る質問だった。
だが、そう聞かれることを想定していた弓兵は狼狽えることなく語る。
「衛宮切嗣は私の義父だ。災害で孤児になった私を引き取ってくれたんだ」
「その災害は魔術によるものかしら?」
思わず固まってしまう。ただの災害と言ったはずなのに、アイリは魔術と断定して聞き直した。大方察しがついているのだろう、エミヤは正直に話すべきだと判断する。
「……ああ。魔術──第四次聖杯戦争によるものだ」
「信じたくはなかったけど、貴方の知る聖杯も汚染されていたのね」
アイリは手にしていたカップを慎重に戻すと、俯きかけた顔をあげる。
「私が聖杯の端末として覚醒した瞬間、切嗣と汚染された聖杯が見えたの。
──本来の聖杯に……意思はないはずなのに」
「冬木の聖杯は、特異点で戦ったと同じく
エミヤの答えにアイリの心は沈んでしまい、何を言うべきか迷っていた。第四次聖杯戦争に参加しただけに、知らなかったことが大きな被害を生んだ。
その姿を見た弓兵はすぐさま付け加える。
「貴女が気に病む必要はない。汚染されているなど予想する方が難しいというものだ。それに、衛宮切嗣に助けて貰った以上、感謝こそすれ恨むなどお門違いだ」
「貴方はそれで…………いいえ、何でもないわ」
本来なら否定すべきだろう。しかし、その資格があるのか定かではないし、目の前の男は完全に割り切っていた。その顔に言葉が出なかった。
「……貴方のことをもっと聞かせてもらえる?」
「ああ、了解した」
それからも話し続けた。
衛宮切嗣との短い生活を送ったこと、第五次聖杯戦争を駆け抜けたこと、理想に溺れ挫折したこと、包み隠さず答えていた。後から思い返しても、なぜそこまで語ろうと思ったのかは分からない。
アイリは時折相槌を打ちながら、それを静かに聞いていた。
「そう……イリヤにも会ったのね」
「最終的に和解はできたんだが、共に過ごせたのは一年ほどだった……」
「……一つ聞いてもいいかしら?」
「なんでしょうか」
「イリヤと……何かあったの?」
その問いかけにエミヤはハッとした。包み隠さず答えていたが、全てを事細かに話していた訳ではなかったからだ。
その一つ、自分殺しに失敗した召喚で、イリヤを実質的に見殺しにしていたことを話していなかった。母親であるアイリには、それを聞く権利がある。エミヤを恨む権利がある。だが、どうしても言い出せなかった。
気が付けば、テーブルの上で組んだ拳に力が入りすぎていた。この震えを見れば、何かがあったと察しが付くことは想像に難くない。
「私は…………オレは……」
この期に及んで言葉を発することができない。そこまでの甘さは、当の昔に捨て去ったはずだった。
「ねえ、エミヤくん。私の話を聞いてもらえる?」
葛藤するエミヤの思考を遮ったのは、どこまでも穏やかなアイリの声だった。
「……ああ、分かった」
「ごめんなさい……途中で遮ってしまって。それじゃあ話すわね。
──エミヤくんも知っていると思うけど、切嗣は正義の味方を目指していたの。人類の恒久的な平和、それが聖杯に託す望みだった。でも聖杯戦争の最中で、一つの疑問が浮かんだの。切嗣は世界と私を天秤にかけた時、どちらを選ぶのかな……って」
「それは……」
一を切り捨て九を救う、魔術師殺しと呼ばれた男は常にそうしてきた。彼の理想を継いだエミヤも、似たような境遇となってしまった。
「汚染された聖杯で切嗣が何を見たのかは分からないけど、私はどっちでも良くなったの。理想を捨てて家族をとっても、私を捨てて理想を叶えても。切嗣とイリヤが生きていればそれでいいって」
「……なぜ、そう思ったのだろうか?」
言葉が出なかったエミヤは、辛うじて疑問を投げかける。
「だって────私は切嗣の奥さんだもの。名前を捨ててでも、信じる道を駆け抜けた夫の味方になってあげなくちゃ。たとえその結末が、私を否定することになってもね」
弓兵は今度こそ絶句した。しかし、同時に腑に落ちる物があった。
特異点で協力関係にあった己以外の守護者、彼こそが別世界の衛宮切嗣だった。戦いが終わった後、彼は気付かれる事無く立ち去ってしまったが、異聞の彼方でも色褪せることのないアイリから衛宮切嗣への愛情の深さ。
それがあったからこそ、彼女を犠牲にして聖杯を得られなかった切嗣は酷く落胆した。魔術師殺しとしての彼が消え去るほどに。切嗣とアイリが結婚は、運命的なものを感じる。
「私の知るイリヤと貴方の知るイリヤが同じかは分からないわ。でもね、あの子は聡い子なの。そうでなければ、切嗣の理想を継いだ貴方の味方でいるなんて……言えないと思うの」
アイリはそう言って微笑む。その
エミヤが先程までに感じていた重圧は、跡形もなく消えていた。
「しかし、なぜ私にその話を?」
「エミヤくんの目が……切嗣に似ていたから。あの人が時々見せてくれた『弱さ』に似た目をね」
エミヤの記憶に母親の思い出はない。だが母親というものは、彼女のように温かな存在なのかもしれない。
「……礼を言う。ミス・アイリ」
「どういたしまして……かしら。でもね、エミヤくん。ミス・アイリは固すぎじゃないかしら? アイリさんでもいいのよ?」
「いえ、私の中で区切りを付けたら、そう呼ばせてもらいます」
「……そうね。急がなくてもいいから、貴方の抱えているものとゆっくり向き合ってね」
エミヤはいつの日か、「アイリさん」と呼ぶ時が来るのだろう。
「それじゃあ、エミヤくん。セイバー……じゃなくて、アルトリアさんとはどうなの?」
「……それは……どういう?」
「勿論、女の子として好きかどうかよ! ここに来てから気になってたの」
先程までの重々しい雰囲気はどこへ行ったのか、水を得た魚のようにはしゃぐアイリを見て、エミヤは違う意味で頭を抱えた。
あの人の息子、あの子の弟、どこかにある可能性の世界なら、一緒に暮らせたかもしれないわ。
でも、貴方は私の大切な家族よ、エミヤくん。……呼び方はシロウくんの方が良いかしら?
それにしても……モテモテね……。