専科百貌は、千差万別の人格を持つ。
食堂で休息をとるエミヤのもとに訪問者が現れた。
やって来たのは、分体ではない百貌のハサンの主人格だった。髑髏の仮面を外している彼女は真剣な表情のまま、エミヤが座っているテーブル席まで歩みを進める。
「エミヤ、静謐が世話を掛けていると小耳にはさんだのだが?」
「ああ、それは成り行きでね。努力すること自体は正当なものだ、彼女も私に否定される謂れはなかろうさ」
エミヤはテーブル席で座っていた。腕を組みながら、百貌の問いに片目だけを開いて答える。静謐は邪な考えを持って頼み込んで来た訳ではないため、引き受ける理由はあっても、お願いを断る理由が見つからなかった。
ただ、百貌の本題はそれではなかった。
「……小さい私もまた、世話になったようだ」
申し訳なさそうな顔で百貌は切り出す。
現在、エミヤの隣には一人の少女が座っていた。目の前にはパンケーキの載った皿が置かれている。彼女は喋ることはなかったが、満面の笑みを浮かべながら一口ずつ食べていた。感想は聞かずとも、表情を見るだけで分かる。
この無口な少女は百貌のハサンの人格の一つである。それを巡って一悶着あったが、今では解決した。
エミヤと少女の出会いは、ジャックとナーサリーを介したものだった。当初は怯えられたものだったが、今では一人で会いに来てくれるまで打ち解けた。そして、今日も少女は食堂に現れた。今日のエミヤは、おもてなしでパンケーキを作っていた。
「ここに来たということは……何か用だろうか。火急の要件なら今すぐにでも対応できるが?」
「いや、気になさるな。大した要件ではありませぬ。ただ、目の届かないところに居るのは心配ゆえにな……」
「……何か考え事でもしているのかね?」
面がないため、百貌の表情の変化が手に取るようにわかる。彼女の顔を見たエミヤは声を掛けた。言葉もそうだったが、彼女には思うことがあるように見えた。
「何でもない……とはいいますまい。先日の騒動は知っているでしょう。この人格は何も知らぬ者、用途は察しがつきますかな?」
百貌は、皆まで言わなかった。
「……成程。実に合理的だろうさ。好き嫌いは別れるがね」
「
百貌は、腑に落ちたと言わんばかりに感心する。エミヤには何のことだかよく分からなかった。
「一人で納得されても困りものだな」
「それは申し訳ない。二人はエミヤの影響でも受けたのだろうと思いましてな」
「何を言うかと思えば、買い被りだ。私が居ても居なくとも、同じことを言っただろうさ」
それは違うとエミヤは言った。だが、百貌は内心で首を傾げた。
エミヤの言い分は正しいかもしれない。ただ、立香とマシュが素直な性格でいられたのは、彼の献身が大きいと思っている。
根拠も一応あった。エミヤはサーヴァントとして一線を引いている。世話を焼くことはあっても、肝心な選択は自分で決めさせている。過剰に頼られ過ぎたりしていない。加えて、余分な不安要素と不確定要素は彼自身が潰す。だからこそ、立香は迷わずに決められるのだろう。言葉に表さずとも、互いに信頼しているからこそ成せる関係だ。しかし、マシュについては断言できるほどの確証はない。だが、彼女はエミヤを先輩と呼んでいる。目標として彼の背を追いかけているのかもしれない。
傍から見ていた百貌からはそう見えていた。エミヤが大手を振って公言しないのは、見返りを求めない姿勢の表れだろう。彼自身は素直でないらしい。
「……そういうことにしておきましょう」
「そういうもなにも、それしかないだろう。
──しかし、意外だったな」
「意外とは?」
「君の方からこの少女についての話をしてもらえるなどと、露程も思っていなかったものでね」
手を組みながらテーブルに両手を置き、エミヤは表情を緩める。百貌は、したり顔に近いその顔を以前にも見たことがあった。静謐の救出によって、カルデアと山の翁の共同戦線が成立した後のことだ。
とり纏め役を預かっていた百貌は、呪腕のハサンとは違う視点で村を見守っていた。その時に、平時の村のあちらこちらで弓兵の働く姿をみかけていた。彼は、村の民は勿論、多くの英霊とも親し気に会話していた。基本的に友好関係を築きやすいのかもしれないのだろう。戦闘では緊迫した表情を浮かべる男でも、食事の下拵えなどをしている時は楽しげな顔だった。
一方で、百貌の感性が違和感を抱くこともあった。エミヤからは暗殺者に似た汚れ仕事の匂いがしていた。アーチャーのクラスを冠する彼が同業とは思えなかったが、そうであっても別におかしくはない、不思議と納得してしまう。
どちらが本来のエミヤなのかと聞かれたら、答えは一つだった。皮肉を言うことはあっても、それ以上にお人好しさが目に付く人物だと評価している。共に戦ってきた中で、良い同僚だと断言できた。
「おっと……そろそろ遊びに行く時間のようだ」
エミヤは唐突に発言した。それに反応した百貌が何事かと意識を向けると、その答えが分かる。エミヤが言い終わるよりも早く、小さなハサンがぺこりとお辞儀をして食堂を出て行くところだった。
見送りが終わると、視線を少女の背中から目の前の男に向け直す。
「驚きましたな。随分と懐いている様子。私の場合は手がかかったものですが」
「こちらも同じ事だ。最初は影に隠れられて手をこまねいたよ。ジャックやナーサリーに感謝せねばならん」
うんざりとした様子はなく、その態度からして相手をすることは悪くないらしい。やはりお人好しなのだろうと百貌は再度結論付けた。
「──君も何か飲むか?」
立ち上がったエミヤの手には、片付けようとしている空の皿があった。パンケーキは残される事無く、綺麗さっぱり頂かれていた。
小さなハサンを一目見たこともあり、手持無沙汰だった。百貌はしばらく悩むと口を開いた。
「では、遠慮なく頂きましょう」
静かな食堂は、百貌からすると逆に落ち着けなかった。席に着いたまま、ふと遠巻きに厨房を見やる。丁度、エミヤが戻ってくるところだった。
真剣な顔をしながら厨房で作業した弓兵は、カップを片手に、もう片方の手に皿を持っていた。
「これも試食してもらおうか」
エミヤはそう言って、両手の物をテーブルへ静かに置いた。その一つである差し出された皿の上には、さっきまでハサンの少女が食していたパンケーキが載せられていた。
それを凝視した百貌は、我に返るとエミヤに異議を申し立てる。
「まさかとは思いますが、私にこんな可愛げのあるものを食べろと? 気恥ずかしくて敵いませぬぞ」
反応を予想していたのか、エミヤは慌てることなく答えた。
「これはあの少女の願いでね……感覚を共有していないからこそ、君にこの美味しさを味わってほしいそうだ。
だが、そこまで言うのなら私も強くは言えないな」
冗談めかしたように、芝居がかった態度でエミヤは右手を遊ばせる。わざとやっているのだと百貌は容易に看破した。目の前の弓兵は完全に小さいハサンの味方をしている。
見え透いた挑発に乗るのは釈然としなかったが、片意地を張る必要もない。それ以前に、あの少女は発した折角の願いを拒むなど、できるはずもない。
息を吐くと、百貌はフォークに手を掛ける。
「今回ばかりはやむなしですかな。私もこれを頂きましょう」
「そういえば……もう一つ伝言があったな。
もう少し肩の力を抜いてほしい、だったか」
腕を組んでいたエミヤは、言い終えると厨房へ帰って行った。
百貌はそれを聞いて驚いた。最初は避けられ、隠れられていた少女から、労わられると思っていなかった。観念したように、それでもどこか安堵した表情で、パンケーキを食べ始めた。
ここでの生活が悪くないと思っているのは、他ならぬ私もでしたか。
良い同僚にも恵まれるとは、何が起こるか分かりませぬな。