一部に知れ渡っている協定へ参加したのは、ランサーのアルトリア、玄奘三蔵、百貌のハサンだった。静謐のハサンは料理教室があり、立ち直った際に本心を聞いている為に不参加である。
座長を自称する立香は、招集したサーヴァントから手早く同意を得ていた。ただ、つつがなく終わってしまうと不思議な安堵感がある。彼女は協定の終了時にふとそう思ってしまった。
その原因とも言える波乱万丈の騒動があったのは、六番目の特異点を修復した頃まで遡る。名前は言えないが、獅子王によく似た英霊が押し掛けていた。エミヤ自身に大部分の責任はないが、何事かと問い詰めたくなる気持ちは立香にも分かる。
意外だったのは、それをエミヤが切り抜けたことだった。以前の彼なら取り乱したものだが、心境の変化があったらしい。そんな感想を抱くが、余り他人事ではない。変わらなければというよりも、進まなければならないのは立香も同じだった。
「何かありましたか? マスター」
「……え? 何が?」
立香の意識を呼び戻したのは、よく通る声だった。
獅子王と違う人生を歩んだランサーのアルトリアは、実直な眼差しを立香に向けていた。
「お節介であれば申し訳ない。ただ、マスターが黙り込んでしまったのなら、声を掛けるのは道理でしょう」
百貌のハサンが補足するために続いた。膝の上には、もう小さなハサンがもたれかかりながら眠っていた。
彼女の一言でようやく立香は状況を把握した。解散とは一言も言っていなかった。一度他の事を考えてしまうと黙ってしまうのは、自身の悪い癖かもしれない。
「その顔には迷いがあると見たわ。あなたのお師匠様にドンと話してみなさい。お釈迦様だって見てくださってるんだから」
立香とエミヤを弟子に任命した師匠こと玄奘三蔵は、溌溂とした笑顔で訊ねる。知ってか知らずかは定かではないものの、立香の胸中を見抜いているかのようだった。
一人で悩んでいても仕方がない。未だに迷っていた立香は、
「私がどのような言葉を掛けても、気休めにしかならないでしょう。
ですが一つだけ、嫌われたくないと思うのはマスターだけではありません」
「一切皆苦、諸行無常、諸法無我、あなたの道は平坦なんかじゃないわ。
でも大丈夫よ。あたしが保証してあげるんだから」
「名句を持ち合わせぬ不肖の身ですが、一言だけ残しておきましょう。
お二方の絆は容易く絶たれるものではありませぬ」
先程、協定の解散を告げたばかりだった。最後に背中を押してもらったが、今の心境は特異点で正念場を迎えた時と同じだった。ある部屋の扉を前にして、立香は今一度気を引き締める。
これまでに、今日を含めて九回の協定を結んだが、その存在を知らせなかった人物がいる。悩みを抱えるほどになったのは、その人物がマシュだからだ。
藤丸立香にとって相棒と呼べるサーヴァント、かけがえのない存在だ。その間柄はエミヤよりも長い付き合いで、そうなるのは当然ともいえる。
相棒たる少女ならば、最初から呼ぶべきだっただろう。ただ、マスターである立香の交友関係は、マシュだけで完結してはいなかった。カルデアの職員達や召喚に応じて力を貸してくれる歴戦の英雄達、時間をかけて絆を結んだ存在の数だけ、交友関係は広がっていた。全てに手が回らなくなるのは必然的だ。
だが、そうしなかった理由はもう一つある。特別扱い、徹頭徹尾ただのエゴだ。
カルデア以外の世界を知らなかった彼女が、初めて持ったであろう感情を立香は決めつけたくはなかった。時間をかけて答えを得てほしいという一心だった。いい方法が他にもあったかもしれないが、当時の立香はそれくらいしか思いつかなかった。意図したものではなかったが、仲間外れだと言われれば否定が難しい。
おそらく、今のマシュはその答えを得ている。だからこそ、黙っていたことを打ち明けて一対一で話をするべきだと判断した。たとえどのような結末になろうとも、そうするしかない。
覚悟を決めて扉を叩く──
「どうかしましたか、先輩?」
その直前に横から声を掛けられた。その声の主に心当たりがあり、動揺しながら振り向くと、小首をかしげたマシュが不思議そうに立香を見つめていた。あちらから声を掛けられるまで、まったく気付かなかった。
「うん……話したいことがあって。そういえばマシュはどうしたの?」
立香も朝起きたら清姫と静謐が挨拶をしてくるような環境にいたから、特別慌てることなく対応する。
部屋に居なかった疑問に、マシュは微笑んで答えた。
「はい。作りすぎたそうで、静謐さんとエミヤ先輩からお菓子を御裾分けしてもらえました。
丁度良かったです。先輩も一緒に食べませんか?」
「いいの? ありがとう。
後でお礼を言わないとね」
静謐のハサンは、料理を作れるようになったことが嬉しくて、皆に振る舞っている。立香も何度か貰ったことがあり、静謐が料理できるようナイチンゲールの説得に協力してくれたのもエミヤだった。そんな懐かしい話を思い出したが、無意識の内に緊張が解れていたことには気付かなかった。
立ち話も終わり部屋に入って早々、手伝おうかと立香は打診したが、マシュからは「お客様ですから待っていてください」とやんわりとした雰囲気で断られた。こうして手持無沙汰になった立香は、行儀良く座りながらマシュの給仕姿を眺めていた。
淀みないかつ手際の良いその様は、少女を通して赤い弓兵を彷彿とさせる。実際、彼に指導を受けているのだから当然なのかもしれない。
長くも短い時間の内にマシュは用意を整えた。
「お待たせしました」
立香と視線が合うと、気恥ずかしそうに照れ笑いした。そんな顔をしながら零した一言と共に、マシュは立香の元へと戻ってくる。そして、同じく慣れた手つきで配膳を始めた。
テーブルに置かれた皿を一目見ると、静謐とエミヤの御裾分けした品はマカロンだと分かる。
いただきますと切り出して、他愛のない会話を交わして、お菓子とお茶を消費する。
ここまで見ればただのお茶会だったが、本題を忘れてはいなかった。
「……マシュ」
「はい。なんでしょうか?」
名前を呼ばれて返事をするマシュは、立香の呼びかけに真摯な眼差しを向けて応える。
「私は……マシュに謝らないといけないことがあるんだ。
まず、マシュはエミヤのことをどう思ってる?」
謝りたいという内容と話を繋げられないからか、マシュは困惑していた。だが聞き返す事は無く、立香の問いに答える。
「そうですね……気付くのに時間が掛かってしまいましたが、私はエミヤ先輩のことが好きなんだと思います。
ですが、先輩はなぜ謝るのですか?」
「この前もそうだったけど、エミヤのことが好きな人は他にもいるんだ。だから、この旅が終わるまでは協力し合おうっていう取り決めをしていた。マシュはこのことを知っていた?」
「……いいえ。知りませんでした」
「それを伝えないようにしていたのは……私の判断だったんだ」
返事はない。マシュは話しの続きを静かに待っていた。
「今まで黙っていて……ごめん」
深く頭を下げた。
ここからはマシュの表情を知ることはできない。視線は手元のカップだけを映している。
「先輩、顔をあげてください」
沈黙は長く続かず、マシュから怒りや悲しみは感じられなかった。おそるおそる顔をあげるが、表情からも同じことが読み取れる。
「これは予想ですが……わたしのことを考えた上でそうしたんですよね?」
「うん。そうだけど……」
「それなら謝る必要なんてありません。先輩がわたしのことを考えてそうしたのなら、そこには何か理由があるはずです。カルデアの中で過ごしていたわたしに、素敵な時間をくれたんです。
──ですから先輩、気に病まないでください。」
かつて、マシュはアイコンタクトだけで分かり合える関係が目標だと語っていた。立香の真意を汲み取れる程度には、当の昔に辿り着いていたらしい。そんな彼女に返せる言葉が見つからなくて、立香はようやく出た一言を伝える。
「ありがとう、マシュ」
「いいえ。大したことではありません。先輩にはそれ以上のお世話になっていますから」
騒動に巻き込まれたりする二人だが、根に持つ性格ではない。マシュは右手を差し出した。
その意味が分からない立香ではなかった。互いに握手を交わして絆を確かめ合った。
エミヤは食堂から自室へ戻る途中だった。足を止めたのは、部屋の前に人影があったからだ。
「やあ、おかえり。エミヤもといシロウ」
「……工房の主が一体何の用かな? 生憎と改装の予定はないが」
「そんなに怖い顔をしないでほしいなぁ。私は何もしていないよ? ただの世間話をしに来たのさ」
その人物は、平時なら自らの工房に籠っているような英霊──レオナルド・ダ・ヴィンチだった。怪訝そうな顔をした弓兵を宥めるように、万能の天才は軽く笑う。
「確かにそのようだな。では、本題を聞かせてもらおうか」
「おいおい、せっかちだな。急かす男は嫌われるぜ?
──まあ、キミからすればそうでもないか。なんせ小さい子の扱いも一級品だからね」
エミヤが立ち話をさせることは珍しい。基本的には分け隔てのない性格だが、金色のアーチャーや蒼いランサーのように苦手な存在も居る。掴み所がない万能の天才もその中に入りかけていた。決して苦手でも嫌いでもないが、贋作騒動ではダヴィンチの私情が挟まれていたために乗り気にはなれなかった。
「マシュに差し入れするよう提言したのは君だろう? 立香が何をしていたのか、薄々察していたからだろうね」
「……何のことかわからんな。私は細やかなアドバイスをしたまでだ。提言などと大それたことはしていない」
事実だったが、エミヤはあえてとぼけた。
その話は大したことがないものだからだ。
「その反応も計算通りさ。以前のキミなら、そこまでの深入りはしなかったのにかい?」
ここで初めてエミヤの表情が強張る。度肝を抜かれたと言った方が正しいのかもしれない。好意というものを朧気に理解したからこその変化だった。
「……何を企んでいるのかは知らんが、最後はどうなるのか英霊ならば分かる話だろう? ──レオナルド・ダ・ヴィンチ」
「ああ、その通りだね。全くもって反論の余地がない。なら……これ以上の長居は無用か。私からは以上だよ。また会おう、贋作の担い手よ」
ダヴィンチは背を向けると振り返ることなく立ち去った。まさに突然現れて嵐のように去って行った。
呼び止めることもなく見送ったエミヤは、完全に姿が見えなくなると自室の扉をくぐった。
「分かってはいたけどね、何事も上手くはいかないものだ。
──でも、キミの思う通りにも進むだろうか。何が起こるか分からない、未来はいつだって未知数だからね」
帰路に付きながら呟いた独り言を聞くものはダヴィンチを除いて他にはいなかった。