Re:エミヤと盾の少女
盾の少女と赤い弓兵との出会いは偶然だった。一度目は特異点Fで敵として戦い、二度目はカルデアでサーヴァントを初めて召喚した時だった。
その召喚に応じた彼の第一印象を受けて、少女は言葉に詰まってしまった。これまでの時間で会ってきたどんな人よりも、青年は刃物のように鋭利な雰囲気を纏っていた。その姿が、なぜか痛々しく、酷く哀しく見えた。少女はそう思ってしまい、弓兵と目が合った時に表情が固くなってしまった。それを知らない彼は、よくわからない内に料理を振る舞っていた。
料理を率先して作る英霊に心当たりはなかったが、これまで食べてきた中で一番美味しいものだった。喜ぶ職員の顔を見て、満ち足りた表情をしている青年を見ると、最初に感じた剣呑な雰囲気は、少女の勘違いだったように思えた。
相反する雰囲気のその差は何なのだろうか、どちらが本当の彼なのか、一度考えてしまうと思考を振り切ることは難しかった。人員の減少によって日課となっていた、職務の手伝い中でもそうだった。悩みとなって集中できなかった。それが、いつもなら気付いて避けている段差に躓いてしまう原因となった。
しかし、転倒する事は無かった。少女が包まれた感触を認識して、掛けられた声に意識を向けると、赤い弓兵は怪我をさせないように抱き止めていた。デミ・サーヴァントであると自己紹介したにも拘らず、彼は怪我はないかと問いかけてきた。それは、瓦礫に押しつぶされた少女に手を差し伸べた、一人の先輩と同じ優しさだった。
腕の中で少女は朧げに理解した。棘のある雰囲気が鋭利な切っ先を向けていたのは、他でもない彼自身だった。そんな彼は、本当はどこまでも他人に優しく、どこまでも自分に厳しいのだろう。
倒れた少女を支えながら、無事を確認して安堵した顔を見せる青年の笑顔に、彼女は二人目の『先輩』を見つけた。
投影した青いビニールシートを広げて、エミヤは座り込んでいた。
少し前に、職員の一人からドライヤーを直してほしいと頼まれていて、並べながら分解し、今は部品を組み直している最中だった。
心理的な問題もあり、一部の節電が実施されている現在のカルデアでは、ドライヤーの電力と引き換えに、近未来的な自動ドアは手動式となっており、インターホンも電源が落とされている。召喚されて日が浅かったころのエミヤが、女性陣にお洒落を意識させたためにこうなったとも言える。しかし、ストレス解消の一環になっているからこそ、所長代行のロマニも大手を振って許可している。
弓兵の学生時代は修理を依頼されることが多く、この程度ならばさほど手間はかからない。生前、特に件数が多かったのはストーブで、解析魔術が大いに貢献してくれた。しかし、空調管理が徹底されているカルデアにストーブの仕事はなく、暖を取る目的では炬燵が大勢を占める。ナーサリーやジャック、アタランテは炬燵で寝ることも多い。
そんな現状でも修理業が廃れる事は無く、機械類なら大体の修理に呼ばれる。今では、カルデアの技術職員にならないかと、冗談めかして誘われるほどだった。
海外の機械製品も、構造が把握できればある程度の知識があれば応用が効く。今日も慣れた手つきで分解し、問題の箇所に適切な対処を施し、最後の仕上げに投影したドライバーで外装のねじを締める。
ノック音による来客の知らせが弓兵の耳に届いたのは、まさに締め終わった直後だった。
「……鍵はかかっていない。入っても構わんよ──マシュ」
その人物は、声を掛けるまで勝手に入ってこない。この時点で、エミヤには来客の正体が掴めていた。扉越しに許可を出すとようやく扉が開く。
「失礼しますエミヤ先輩。
あっ──すいません……もしかしてお邪魔でしたか?」
ようやく露わになった来客の正体は、幸いにもエミヤの予想が的中していた。しかし、それ以降の反応は、弓兵の想定外だった。
礼儀正しく挨拶して扉をくぐった白衣の少女──マシュ・キリエライトは、ビニールシートを敷いていた弓兵の作業風景を認めると、作業中だと判断して申し訳なさそうに謝罪してきた。
「心配には及ばんよ。むしろ、丁度終わったところで何ら問題はない。
すまないが……適当に掛けてくれ」
今すぐにでも茶器の用意をしたいが、片付けなければそうもいかなかった。
しかし、待たせるのは忍びない。そう思って早急に撤収させると、エミヤはお茶の準備に取り掛かった。一方のマシュはと言えば、勝手知ったように戸棚からお茶菓子を取り出し、皿に載せているところだった。
来客には万全のおもてなしをするのがエミヤの心構えの一つであり、ただ単純に喜んでもらいたいという一心でもある。客人に仕事をさせるのは彼の性に合わないのだが、立香やマシュは手伝わせてほしいと熱心に頼み込んできたため、説得が手強いと判断したエミヤの方が早々に折れた。以降、その二人に関しては暗黙の了解で手伝ってくれている。
弓兵がお茶の用意を終えてテーブルに向かえば、見栄え良く並べられたお茶請けが簡素な皿を彩っていた。
マシュは差し出されたカップに口をつけると、穏やかな笑みを浮かべて一言呟いた。
「……エミヤ先輩の紅茶はいつも優しい味がします」
「優しい味……か、今までにもこういう機会は何度かあったが、そのような褒め言葉は初めてだな」
「そうなのですか、どの茶葉でも……一口飲むとほっとします。今ではこれを飲まないと一日が始まらないほどです」
賛辞を贈るマシュは、至福の一時を満喫しているのか、にこやかな顔をしていた。
エミヤも紅茶に関しては一家言あるだけに、そこまで褒められて悪い気はしなかった。
「あ──そういえば、最近までエミヤ先輩は執事服で給仕をされていましたよね?」
「……ああ……遭ったな。そんなことが……」
獅子王との激闘から帰還した二日後の事、マスターの立香から渡したいものがあると言って差し出されたのが、見覚えのあるどころか、かつて着たことのある『執事服』だった。
渡した意図を立香に尋ねてみると、アイリスフィールとメディアという意外な組み合わせと談笑していて、紆余曲折の果てにエミヤは執事服が似合うのではないか、という話になったらしい。
受け取るべきか悩んでいたところ、「ごめん。やっぱり嫌だったよね……」などと素直に謝られてしまうと、断るのが心苦しかった。共に肩を並べて戦い、彼女の人柄が把握できているだけに、打算ありきで演技ができるような器用なマスターではないことくらい分かっていた。厚意で渡された代物を受け取らないなど、エミヤにできるはずもなかった。
受け取った直後、エミヤは立香の背後に人影を発見する。ローブで表情は見えないが、間違いなく笑いを堪えながら、こちらを観察してくる見知った方のメディアだった。
態度から全てが腑に落ちた。彼女がこれを着せるために誘導した犯人だと断定できる。手に持った執事服をよく解析してみれば、凝り性の匠が仕上げた逸品であることが動かぬ証拠になった。意外にも、男性服は門外漢ではなかったらしい。そして、やはり根に持っていたらしい。まさにエミヤの自業自得だった。
おそらくはエミヤに執事服を着せて、アルトリアがメイド服を着るように口実を作ろうとしていたのだろう。だが、受け取った以上は仕方のないことだった。そのような経緯で執事服に袖を通し、数日間そのままで過ごした。物珍しさに引っ張りだこになってしまったのは言うまでもない。
「思い返しても洗練された所作でした。
間違いなく本心から褒めているのであろうマシュは、一点の曇りもない笑みを浮かべながらそう言った。オケアノスの残留特異点で遭遇したアマゾネスに、『ゴリウー』という言葉を残す独特のセンスに、彼女らしい純真さが垣間見えた。
「思えば、日常からレイシフト先まで、エミヤ先輩にはいつもお世話になっています。先日まで、わたしは勉強の方を教えていただきましたし」
「ふっ──そうだな。私としても教え甲斐があったよ」
きっかけは、立香と同じ世界を知りたいというマシュの願いだった。それからのエミヤは時間があれば、マシュに勉強を教えていた。元々読書家だったマシュは無学という程でもなかったが、心もとない分野もあり、それを含めて可能な限り指導した。教える側としてそういう経験もあるにはあったので、特にエミヤ自身が困る事は無かった。
特筆すべきだったのは、彼女が未知の知識に出会った時、新鮮な反応と共に楽しんでいることだった。これもまた彼女の純真さが為せるものだと、エミヤは微笑ましく思っていた。
「知らないことを知ることができる……旅に出るようになってからようやく分かりました。わたしはそれがとても楽しいんです。聖杯は残り一つですが、まだ多くの出会いがあると思います──」
一端言葉を切ると、マシュは表情を引き締める。
「──ですが、その分だけ辛いことがありました。目の前で喪った命を知りました。それでも前を向く人の強さを知りました。あの時は答えられませんでしたが、
だからわたしは、たとえ次の瞬間に背後から迫る闇に呑まれるとしても、最後の一瞬まで目の前にある一筋の光に向かって進みます」
長い旅路を通したマシュの述懐に、エミヤは過ぎ去った時間を垣間見た。彼がその過程で得たもの、失ったものは、言葉では語りつくせないほど多い。
マシュの眼鏡を通して見える決意を込めた眼差し、どこまでも純粋な表情の輝きは目が眩むほどだった。地下のアトラス院で真名を得て、獅子王との決戦前では装いも変わったが、更に成長した心は変わらない強さを持っている。
「……それを、忘れないようにするといい」
「──はい」
エミヤの口からようやく出た言葉は、とても簡単なものだった。だが、マシュは一瞬だけ驚いた顔をすると、すぐさま嬉しそうな顔で短く応えた。
「ですが……エミヤ先輩、わたしはもっと先輩たちのお役に立ちたいです」
「その気持ちはよく分かるが、急ぎ過ぎると後が怖いぞ? 焦らなくてもいい、また一歩ずつ進めばいいさ」
「……そうですか。押しの強い方が相手でも、エミヤ先輩の後ろに隠れないようにしたいのですが……」
「それについては……場数を踏むしかないな」
戦場では勇猛果敢な一面を見せるマシュでも、エドワード・ティーチやフィン・マックールなど、戦闘以外でも強いサーヴァントに出会った時は、エミヤの背中に隠れることが多かった。それを見た黒髭は「主人公属性なんてずるいでござる」と叫んでいた。
「そうだな……まあ心配するほどでもない。
私が居なくともマシュが居たからこそ、
そこまで悲観する事は無い、そう続けて心配を払拭しようとしたエミヤだったが、既に一転してしょんぼりしたマシュを見ると、言葉が続かなかった。
そうなった理由も分からず、このような事態では弓兵も打つ手がない。どうするべきか戸惑うしかなかった。
「わたしは……エミヤ先輩と一緒に居るのが当たり前になってしまって、居なくなってしまった時は……とても悲しい気持ちになりました。居なくても大丈夫だなんて、そんなことはありません」
ようやく呟いたマシュは、まずエミヤの言葉に異を唱えた。それは、エミヤが広大な北米大陸で心配をかけてしまった時の話だった。
「それに……私が前に立てたのはエミヤ先輩がマスターを庇ってくれたからです。その背中を見て奮い立つことができたんです」
マスター狙いの思惑を覚ったエミヤは、一騎当千の力を振るう獅子王から立香を守り、防御の上から弾き飛ばされた。
「でも……わたしは誰よりも早く、わたし自身の意志で守りたいんです。先輩の盾に、エミヤ先輩の盾になりたいんです。……そうです、もう答えは決まっていました。
──背中で守られるばかりではなく、先頭に立って盾を掲げます」
話す内に悩みごとの全てが解決したのだろう。エミヤの心配は杞憂に終わった。
マシュは再び決意の籠った瞳で弓兵を捉える。その気迫に押されながらも、彼は充足感を味わっていた。立香もマシュもエミヤ自身の想像を遥かに超えていた。
「……分かった。これからも頼りにしている──マシュ。
ただ、無理をして倒れない程度に頼む」
「……それはエミヤ先輩もです」
「これは手厳しい」
あろうことか藪蛇だった。エミヤは苦笑いを浮かべるしかない。
マシュが二人の先輩を守る、その時は間近に迫っていた。
エミヤ先輩の傍に居ると、先輩とはまた違う温かい気持ちになれます。