極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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十二話

 その『まつろわぬ神』の起源は、二〇世紀の初頭とされる。

 イギリス空軍のパイロットの間で流れた噂に起因する。

 航空機の燃料を減らしたり、ケーブルを齧ったり、機器を狂わせたりする等、航空機にいたずらをする妖精の一種として広まり、現代では悪魔の一種として認識されることもある。

 それは、カードゲームやRPG等で、小悪魔のような扱いを受けていることが大きい。

 二〇世紀はまさに技術革新の時代と言える。

 戦争という負の側面が大きな関わりを持っているのは否定できないが、文化的にも政治的にも激動の時代だというのは誰も目から見ても明らかである。

 キズナと龍巳の母国である日本にしても、第二次世界大戦前後の政治体制の変化は極めて大きい。軍事政権からの民主化。あれほどの政変は、日本史上希に見るものだ。

 世界各国で、政治体制が大きく変化した。社会の枠組みから、道徳観念まで様々な面での変容があった。そうした中で、その伝説は形作られた。

 神話は民族の歴史を現すもの。科学技術が高度に発達した近現代において、神話が新たに生まれることはないだろう。しかし、噂話程度の次元でならば、人々の間に流布する妖精の類は多い。

 特に、恐怖の対象は、時代の流れに逆らわずに変化を続ける。

 所謂都市伝説という物がそれに当たる。

 メディアに取り上げられて爆発的に全国に広まったトイレの花子さんや口裂け女は、言ってみれば時代の要求に即した妖精なのだ。

 航空機が発達し始めた時代だったからこそ、その妖精は現れた。飛行気乗りの恐怖や娯楽の対象として、その話が求められたのだ。

 そして、同時代に同じく発達し始めていた電信技術が、その噂話をセンセーショナルなニュースとして世界中に広めていった。

 その妖精の名は、グレムリン。

 数一〇〇年から数一〇〇〇年規模の歴史を持つ『まつろわぬ神』としては非常に珍しい、『近代のまつろわぬ神』だった。

 

 

 揺れるに機体に狭い機内。そして、高度一万メートルという生物の生存限界を超えた高さが、キズナと龍巳を追い詰めていた。

 目下、目に見えぬ敵の狙いはキズナと、キズナの呪力を帯びた龍巳である。そのため、不幸中の幸いか下の階の乗客たちにはただの飛行機事故としか思われていないらしい。

 それでも、パニックになるのは時間の問題だ。機長が今どうしているのか、皆目見当も付かないが、何をしようとも無駄なことだ。この機体はすでに敵の制御下にある。

 龍巳がキズナに敵の正体を確認すると、予想通りの答えが返ってきた。

 キズナもまた、相手の正体を視抜いていたらしい。

 この相手は、航空機にいたずらをする妖精もしくは悪魔というのはが一般的な認識だろう。歴史が浅いために、他の物語や神話との混合もほとんどない。強いて言うならば、ゲーム等の影響があるかもしれないが、それくらいだ。

 だが、問題なのは、グレムリンが『機器を狂わせる』といった科学技術に対応した悪魔だということである。

 そして、すでにキズナや龍巳が持ち込んだ電子機器が敵の制御下に入ってしまっている。

 もしも、この『まつろわぬ神』を都市部に連れて行ってしまったら、世界中が大混乱に陥る可能性すらある。そういった意味で、最も厄介な『まつろわぬ神』なのだ。

 だから、龍巳は上空で決着をつけることが最善だと考えていたのだが――――

「さて、敵の正体は割れたけれど、どう戦うか……」

 と、言いながらも、キズナの脳裏にはすでにこの状況への対抗策が浮かんでいる。

 ちらり、と窓の外を盗み見ると、緑溢れる大自然が目に入った。周囲に、人家はなく、地平線の果てまで森である。

「おい、キズナ。何をしようとしている?」

 キズナがよからぬことを考えているのは、なんとなく察しが付いた。爆弾代わりの計算機を刀で斬り捨ててから、龍巳はキズナに尋ねた。

「龍巳。悪いけど、式の用意しておいて。ほら、乗客用の」

「おまえ、まさか――――」

 龍巳が、キズナの考えを理解して絶句。そして、同時にありったけの札を取り出した。

 呪術に触れ合ってかなりになる。彼自身がそれなりに強力な呪術師となっているので、式神を扱う程度造作もない。

 それに、今はキズナの使い魔として、膨大な呪力を与えられている。泰山府君と九尾の二つの神力が、龍巳を形作る要素である。生半可な呪術師とは呪力の規模が違う。それを知ってるから、キズナは龍巳にすべてを放り投げた。

 放り投げられたほうは堪ったものではないが、とにかくキズナに従って式神の準備に入った。

 これが悪霊や、低位の化生であれば、キズナも穏当なやり方を選んだだろうが、相手が相手だけに、チマチマとした戦い方をすることができない。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 不動明王の小咒。

 唱えると同時に、爆発的な呪力と圧倒的な熱量が機内に吹き荒れた。

「やっぱり……」

 キズナは、灼熱の炎に炙られながらも、必死に抵抗する(・・・・)機内を見て呟いた。

 不動明王の権能に曝されて、燃えない。焼けない。砕けない。それは、通常の飛行機の性能から言ってありえないことである。

「ふうん。この機体に同化して、機体そのものが『まつろわぬ神』の肉体として機能しているということね」

 だからこそ、キズナの攻撃に耐えることができる。

 そして、それはすなわち、今キズナたちは敵の体内に囚われているということである。

 それは、危機的状況であるが、逆に考えればどこを攻撃しても敵の身体ということでもあり、好機ともなる。

 キズナは指を絡めて結印。炎に呪力を流し込む。

「内側から焼き滅ぼしてやる――――ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダンマカロシャダヤ・ソハタヤ ウンタラタ・カンマン」

 小咒で放った炎に、中咒を重ねる。

 眩い炎が、世界を染め上げていく。

 龍巳には害がない。だが、その圧巻とも言える光景に彼は、思わず守護の結界を張って身を守ってしまった。

 これが、不動明王から簒奪した新たなる権能。

 聖なる紅蓮の力。

 密教系最強調伏術『不動明王火界咒』。調伏術として最もスタンダードな呪術でありながら、その奥は深く、極めるには長きに渡る修行が必要となる。

 キズナとともに生きてきた龍巳は、様々な術者がこの呪法を扱っているのを見てきた。その中で、キズナの呪法が最も強い力を持っていたのは言うまでもないが、それが権能にまで昇華したとあっては、絶大無比な力となるのは至極当然だ。

 炎の嵐はやがて、飛行機を内側から融解させた。破裂するように、飛行機は崩壊し、高度一万メートルにキズナと龍巳、そして、呪術に無関係な一般人たちが放り出された。そして、自由落下の憂き目に会う乗客たちの背に、呪符を忍ばせた龍巳は、彼らを強制的に仮死状態にした上で、慣性や低酸素、低気温などから身を守るための結界を都合四七個展開した。 

 極限状態なので、できるだけ簡易的な呪術を個々にかけることになったからだ。大きな範囲で一気に呪術をかけると、それぞれの乗客で条件が違うために、万が一がありえる。

「下は……」

 龍巳は、落下しながら下を見た。

 人家はない。蛇行した細い川と点在する沼地。そして、木々が集中する林があり、遠くに、農地と思われる平野が見えた。

 風と自重を操って危なげなく着地。

 乗客たちも、見えない手で支えられているかのように、ふわりと舞い降りた。

「さて、敵はどこに行った?」

 まさかとは思うが、あれで決着したとか。

 それならば、楽でいいのだが。

「んー。どこに行ったかな」

 キズナもまた、敵を見失ったらしい。

 その言葉には緊張感はないのだが、表情から気を張っているのは明らかだった。

「ともあれ、都市部に墜ちなくてよかった。もしも、都市部に墜ちていたら桁外れの被害になっていただろうからな」

「うん。人死には当たり前として、電子機器に作用する権能はさすがにヤバイよ」

 インターネットが普及した現代において、電子機器を支配されるというのは、極めて重大で致命的なことだ。

 グレムリンの権能が及ぶ範囲はわからないものの、都市部に連れて行ってはならないのは確かだった。

「同化してた飛行機が破壊されたから、実体化してもおかしくないんだけどね。一応、身体に関する話もあるから、実体がないってことはないはずなんだけど」

 見晴らしのよい湿地帯。

 周囲に人家がないことは、戦う上では非常に好条件なのだが、意識がない乗客たちが湿った草の上に横たわっている今、助けを求めることができないのは歯がゆい。

「助けが来たら来たで、グレムリンの餌食になってしまうから、いいっちゃいいんだけどね」

 問題は、そこだ。

 飛行機が墜落したことは、すでに管制塔が把握しているはずだ。レーダーから消えたポイントにはすぐにでも救助隊やマスコミがやって来ることだろう。

 そして、彼らが持ってくる機材や乗り物が、すべてグレムリンにとっては力の源なのである。

「人間の生活に密着した相手はめんどくさいわ」

 バラバラバラ、と大気を震わせる音。

「ヘリ。って、おいおい、あれは軍用機だぞ」

「どこの空軍だろうね」

「そんな悠長なこと言ってる場合か。狙われてるぞ!」

 ミリタリーにはとんと縁がなかった二人は、あれがKa-27というロシア海軍の主力ヘリコプターだということまではわからない。しかし、それとは別に、今、爆音を撒き散らしながら飛んでいるあの機体から、並々ならぬ呪力を感じることが、二人に危機感を抱かせた。

「とにかく、あの人たちからは離れよう」

 キズナの判断に、龍巳は二の句なく従う。

 そして、二人は同時に走り出した。

 目的地はない。まず、無防備で動けない一般人から距離を取ることが先決だった。

 湿原を、強化した身体で、風のように駆け抜ける。

「来るぞ!」

 Ka-27が機首を二人に向けて急加速。呪術による強化であっても、さすがにヘリコプターの速度を上回ることはできない。まして、相手は権能によって操られる軍用ヘリだ。

 見る見るうちに接近を許し、真上にやって来る。

 すれ違い様に、何かが投下された。

「く……ッ!」

 キズナと龍巳は同時に護身の術を行使。

 それが何であるかは理解できないが、軍用ヘリから投下されたものというだけで、大体の予想は付く。

 閃光が迸り、爆炎と轟音が広がった。

 立ち上る粉塵から、二頭の狛犬が飛び出した。

 一頭の背には龍巳が跨り、飛び去るヘリを追走する。

 ヘリが機体を傾けて旋回し、龍巳を狙う。

 そのヘリの真上に、キズナは飛び出していた。

 荘子の権能は、キズナをこの世のあらゆる干渉から自由にする。空を舞うことくらい造作もない。

「鉄の塊に遅れはとらない――――よッ」

 金色の尾を伸ばし、ヘリのテールブームに巻きつくと、力任せに振り回す。

 テールブームが根元からへし折れて、機体が地面に叩き付けられる。内部に積んであった爆薬に火がつき、炎上。大爆発を起こした。

「よし、う、わッ!?」

 息をつく暇もなかった。キズナは九本の尾を身体に巻きつけて身を守る。

 ドン、と空中に黒と赤の花が咲く。

「ミサイルッ……」

 黒煙から飛び出たキズナに、さらに砲撃が加えられる。

 危険を察知したキズナは、急降下。これを回避。砲撃音のした方をみれば、なんとそこには三両の戦車が鎮座しているではないか。さらに、甲高いエンジン音を響かせて、スマートボディの戦闘機が通り過ぎていく。

「乗ってきた飛行機が通りがかった空軍基地から持ってきたのね」

 砲撃を仕掛けてくるのはT-90A。ロシア軍の主力戦車だ。

 それが、足並みを揃えてキズナに向かって砲撃を繰り返す。自動装填装置が搭載されている上に、権能の支配下に収まったT-90Aは、走行にも砲撃にも人力は必要としない。

「とにかく、潰せば問題ない。全部壊して、グレムリンを引き摺り出す」

 キズナの左手には虹の弓。

 弦を引き絞って、帝釈天の矢を放つ。

 キズナが愛用する第一の権能。これで、今まで数多の敵を討ち取ってきた。音速など軽く凌駕する虹の矢は、輝かしい軌跡を残して敵に突き刺さる――――はずだった。

「うそッ!?」

 それは、まるで強すぎる馬力に暴走したバイクのように、戦車は車体を大きく跳ね上げた。かと思うと、履帯を高速回転させて、砲塔を真後ろに旋回。砲撃。

 爆風に押されて、四六トンにもなる車体が宙を跳んだ。

 キズナの矢を、あの戦車は跳んで避けたのだ。

 そうしている間に、戦闘機がやってくる。

 MiG-31が二機。間にさらにもう一両の戦車を挟み込んで輸送している。墜落しかねない光景だが、あれを実現するのが権能だ。

 空中で、左右に分かれ、放り出された戦車は柔らかい地面に半ば埋まりながらも着地。即座に戦闘行動に移る。

 先陣を切るT-90Aが、地面を履帯で抉り取りながら突き進んでくる。

 爆走と呼ぶに相応しい、戦車とは思えない速度だった。

 キズナは矢を雨霰と射るのだが、どうやら装甲もかなりの強化が施されているようで、当たったとしてもへこむくらいのダメージにしかなっていない。

「痛みを感じない機械仕掛けってのは、もしかして、かなり厄介なんじゃ……」

 呟きながらも走る。

 止まっていてはいい的になってしまう。

 正面の三両の戦車のうちの二両が、進路を変えた。龍巳と狛犬を標的に定めたようだ。おかげでキズナの相手は正面に一両。背後に一両。空に戦闘機が三機となった。

 現代の兵器とカンピオーネが戦った場合、一〇〇パーセントカンピオーネが勝つ。それは間違いない。だが、それが権能クラスの攻撃性能を持った現代兵器だった場合、どうなるか。

 問題となるのは、敵の攻撃手段がすべて物理攻撃だということだ。カンピオーネはその高すぎる呪力によって低位の呪術をすべて無力化し、権能であっても耐えることができる規格外の呪力耐性が備わっている。だが、物理攻撃であれば、銃弾はおろかナイフでも傷つけられてしまう。もちろん、骨格が鋼よりも固いカンピオーネを殺害するには、ただの銃弾では威力不足だ。しかし、それが権能によって強化されていたら。それは、カンピオーネを一撃で殺害するに足る威力を発揮する。

「けど、弾を撃ち尽くせばただの鉄塊よね」

 そう、それが現代兵器の難点である。

 いくら、自動装填装置を魔動化したとはいえ、放つ弾の補給ができないのであれば強力な砲撃も脅威の度合いは激減する。

 敵に持久戦はない。

 キズナは矢を放ち、敵の砲弾を射抜く。一歩で一〇メートル以上を進むキズナを、二両の戦車が追い、戦闘機がミサイルで援護する。

 キズナは地を蹴って空へ。

 地上数メートルを飛行していた二発のミサイルが、キズナを追う。

 レーダー波で敵を追いかけるミサイルは、砲弾と異なりそれ自体が電子機器を積み込んでいる。権能による強化というよりも、ミサイルそのものが、グレムリンの分身と受け取れる存在になっているのだ。

 つまり、このミサイルには意思がある。

 キズナとミサイルは互いに音速の壁を突き破り格闘戦にもつれ込んだ。

 魔の猟犬と化したミサイルは、キズナに向かって猪突猛進する。右に左に方向を変えるキズナに振り切られることもなく、その背に狙いを定めている。

 振り切れないことに歯噛みして、キズナはどうするべきか思案する。

 荘子の力ならば、受け止めることはできる。しかし、それが二回三回と続けばどうなるかわからない。意図して敵の攻撃を受け止めるのは、もしもの場合があるため極力しないようにしていることでもある。

「そうか。そういえば、前にアニメで……」

 ミサイルのうち、一発は、もうすぐ傍まで迫っている。

 タイミングを見計らい、キズナは反対方向に舵を切った。

 直角の一八〇度ターンは、彼女が人の柔らかさと、カンピオーネとしての強靭さを持っていたからこそ可能な技だった。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」

 放たれた矢は過たずミサイルを射抜き、爆発させた。

 そして、迫り来るもう一発を身体を翻して回避。

 目標を外れたミサイルは、先のキズナの軌道を模倣するかのように中空で急旋回をした。勢いのままに、キズナを狙う。呪力で強化された外装が、強烈なGにも耐えうる頑強さになっているのだ。

 向かってくるミサイルに対し、キズナは内縛印を結ぶ。ついで、剣印、刀印、転法輪印、外五鈷印、諸天救勅印、外縛印と流れるように結び変え、不動明王の中咒と大咒を唱える。

 網の目状に広がった見えない呪力が、ミサイルに絡みつく。

 ガクン、とミサイルは速度を低下させた。

 不動金縛り。これもまた、非常にポピュラーな呪術である。

 カンピオーネの莫大な呪力は、ただの呪術にしても規格外の強さを生み出す。それが、稀代の天才が為したものならば、当然、その効果は上級呪術師が数一〇人束になってかかっても敵わない力となる。

 だが、そうはいっても権能に比べれば弱く、ミサイルはグレムリンの身体の一部。呪術程度は簡単に蹴散らすことができる。むしろ、速度を低下させるだけの効果を発揮させるだけの力があったこと自体が驚きである。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 キズナの身体から、爆発的な呪力が溢れ出す。

 小咒は、そのまま火界咒の権能を引き出す聖句となる。

 自由落下に身を任せ、聖なる炎を解き放つ。

 蛇のように伸び上がる火炎が、金縛りの網に引火する。

 不動金縛りは、いまだに掌握しきっていない不動明王の権能を精密に操るために施した道標だったのだ。

 絡み付く炎の蛇が、権能に汚染されたミサイルに絡みつき、外装を溶かして内部に侵入を果たす。ミサイルそのものが持つ呪力耐性を突破して、内部から焼き尽くす。

 そして、轟音とともに、ミサイルは爆発四散した。

 


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