極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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十四話

 まつろわぬグレムリンとの戦いから一週間。キズナは、高級ホテルの最上階に陣取っていた。

 窓の外には、星を散りばめたかのような人工の光が瞬いている。

 東京の夜景に似ているものの、それらが照らす街並みは石造りの中世の建造物と現代の建造物を折衷したものだ。ここ数一〇年の建物しか見られない東京とは大きな違いであり、こうした景色を楽しむことも、キズナが日本を飛び出した目的の一つだ。

 とはいえ、当初の目的地とは大幅にずれてしまった。

 フィンランドを目指していたはずが、気がつけばブカレスト――――すなわち、ルーマニアだ。

 それもこれも、すべてグレムリンが悪い。

 グレムリンに支配された旅客機は、予定されていた航路から大きくはずれて飛行していた。キズナが火界呪で打ち落とした時点でロシアを南にそれ、ベラルーシに墜ちていたのだ。

 だから、救助隊もベラルーシの救助隊であったし、キズナが最初に向かった都市も、ベラルーシの首都ミンスクであった。

 そこから紆余曲折を経て、自動車を入手したキズナは、ヨーロッパを南に下ることにしたのである。ここまできたら、初めの予定の反対側に行ってみようというただの思いつきによる行動だ。

 そして、辿り着いたのがブカレストである。

「ふいー、極楽ぅ」

 キズナは、ふかふかのソファーに猫のように寝そべっている。

 枕を抱きかかえてゴロゴロしているキズナを眺めつつ、イスに座っている龍巳はペットボトルを口に運び喉を潤した。

 この日、キズナと龍巳は少々トラブルに見舞われた。

 ブカレストは決して治安のよい都市とはいえない。スリなどの軽犯罪は日常茶飯事であり、時に大きな事件が発生することもある。東京でも、そういった事件がないわけではないが、頻度と目立ち具合は次元違いだった。

 一日に二度も窃盗に遭い、そのたびに相手を締め上げるのは面倒だった。

「ところで、明日からはどうするつもりだ。今日一日この街を見て回ったわけだけど」

「うーん、まあ気長に行けばいいんじゃない。とりあえず、適当にブラブラと散策してれば。暇だったらスリを狩って回るってのも面白そうよ」

「面白くねえよ」

「そう? 世のため人のためになると思うけど」

「思うに、キズナが新しい権能を使いたいだけなんじゃないか?」

 龍巳の指摘を受けたキズナは、意外そうな顔をしつつ、悪そうな笑みを浮かべた。

「どうだろうね」

 にやりと笑うキズナの手元には、新型のスマートフォンがある。グレムリンと戦った時に自前の携帯は爆弾にされてしまった。これは、新たに新調したものだ。

「ちなみに、今、何を見ているんだ?」

「某国の軍事機密」

「そんなものまで見れるのか!?」

 龍巳は、キズナに駆け寄ってスマートフォンの画面を覗き込んだ。

 英文のテキストで、いくつかの写真もあったが、堅苦しい文体で書かれたそれは、確かにとある国の軍事機密だった。

「適当にビリビリしてたら行き着いちゃった」

「グレムリンの権能か?」

「うん。その気になれば侵入できないコンピュータはないと思うよ。もちろん、弄繰り回すこともできる。わたしは、C言語とか知らないけど、コンピュータのほうが思ったとおりに動いてくれるからね」

 念じただけで、プログラムを書き換えることができる。キズナが示したのはそういう能力だ。電子機器を支配下に置くのがグレムリンから得た権能。戦闘にはあまり役立たないが、現代の人間社会を指先一つで崩壊させかねない危険な権能でもある。

 国家レベルの秘匿情報をキズナは自由に閲覧し、書き換え、表に流すことができる。

 世界最強のクラッカーにしてハッカー。それが新たな権能の正体だった。

「そう、その気になればどっかの誰かさんのお宝画像を全部サナダムシに変えてしまうことだってできる」

 キズナは嘯きながら目を瞑る。

 スマートフォンはあくまでも出力装置。情報を閲覧するだけならば、キズナの脳がパソコンと同じ働きをしてくれる。

 夢を見るような感覚で、キズナは情報の海に潜っていく。

 それは、使い魔の目を通して遠くの景色を覗き見るのにも似ていた。

 そうして、自由自在に、月沢キズナという名の最強のコンピュータ・ウィルスが誰に知られるでもなく世界中に蔓延していく。

 

 

 

 ■

 

 

 

 静かな夜。

 風すら吹かない世界に、冷たい月光が降り注ぐ。

 月明かりに照らされた街を、物々しい空気が犯している。

 道という道はバリケードで閉鎖され、銃火器で武装している男たちによって厳重に監視されている。

 銃器を持たない者も、各々の役割を果たすべく、右に左に走り回っている。

「現状は、どうなっていますか?」

 テントの中に、一人の男が入ってきた。

 年の頃は二〇代後半といったところか。精悍な顔立ちで、身体は細身だが、無駄のない筋肉をつけていることがわかる。

 奇妙なのは、その腰にぶら下がっている黒い棒だろう。

 それは漆で磨かれた鞘であり、抜けば銀色に輝く両刃の剣が収まっている。

 周囲を近代的な武装隊に囲まれて、この男だけが時代に取り残されている。

 男の名はマリウス。

 ルーマニアを中心に活動する呪術結社の若き構成員だ。

 マリウスだけでなく、この場にいる多くの人間が、何かしらの形で呪術に関わっている。

「あまり、よくはないな」

 白い口ひげを生やした老人が、マリウスに答えた。

 マリウスの上司に当たる人物であり、身寄りのないマリウスにとっては父とも呼べる存在だ。呪術も剣も、マリウスは彼に教わった。齢六〇を超えているが、最近はめっきり老け込んでしまった。心労が重なっているのだろうが、この状況下で辛気臭い顔を見せないで欲しいものだ。マリウスは、そう思いながらも、上司の有能さは肌で感じてきた。実力や判断力は、歳を重ねるごとに右肩上がりなのを知っているだけに、心強い味方だとも思っている。

 テントの設置された蛍光灯が照らす上司の顔には、明確な焦燥の色が浮かんでいる。

「突入した部隊は、ほぼ壊滅。戻ってきたのは一人だけだったよ」

「一人……その生き残りは」

 上司は、ゆっくりと首を振った。

「生き残りではない。ゆえに、処分した」

「処分……」

 およそ、味方に使う言葉ではない。

 それが意味するところは、その時点ですでに仲間でもなんでもないモノになってしまったということだ。

「生き残りではないってことは、やっぱりアレか」

生ける屍(リビングデッド)と化しておった」

 テントの中に、沈黙の帳が降りる。

 リビングデッドとはいえ、その身体は、ほんの数時間前まで共に語り合った仲間だ。

 狂気のままに人を襲う化物。姿かたちが仲間のソレであったとしても、危険性に変わりはなく、マリウスたちは心を鬼にしてその害悪を排除する義務を帯びている。だが、それでもやはり、仲間の死体を傷つけるのは、心苦しい。

「ちくしょう!」

 マリウスは苛立ちのままに拳をテーブルに叩き付けた。

「気持ちはわかるが落ち着け、マリウス」

「落ち着けだと!? もう、仲間だけで二〇人がやられた! 一般市民を合わせれば五〇人以上になる! こんだけやられて黙っていられるかよ!」

「マリウス」

 鋭い眼光に気圧されたマリウスは、ぐ、と唇を噛み締めた。

 しかし、マリウスに対して批判的な者はこの場には誰もいない。マリウスの気持ちは、ここにいるすべての人間に共通する思いだったからだ。マリウスはまだ二〇代前半と若く、感情的になりやすい性格だからこそ叫びを上げたが、そうでない者たちも、現状を変えたいという思いを抱いている。むしろ、積もりに積もった苛立ちを、マリウスが叫んでくれたことで、多少は発散できたという面もあった。

 しかし、だからといって、憤りのままに敵城に乗り込んでいくというわけにはいかない。

 一流の呪術師たちが然るべき装備に身を包んで侵入した結果が『全滅』なのだ。マリウスが如何に大騎士の階に立つ優秀な戦士であったとしても、今回ばかりは相手が悪すぎる。

「今の我々にできることは、時を稼ぐこと。何としても、これ以上の侵攻を阻止することだけだ」

 今現在、彼らにできることは消極的防衛策を執ることだけだ。専守防衛。敵に攻められた場合のみ、攻撃を加える。対象となる街は物理的、呪術的に封鎖してある。敵の使い魔やリビングデッド程度であれば、これで十分封じ込めることができるはずだ。

「時を稼いで何になる」

 マリウスはこぶしを握り締めて唸った。

「このままではジリ貧だ」

「そうとも言えん」

「どういうことだ」

「光明が見えたということだ」

 マリウスはわけがわからないといった風に上司を見た。他の仲間たちも、同様の視線を向けている。

「マリウス。おまえ、日の出と共にここを発ち、ブカレストに向かえ。これは命令だ」

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 マリウス・ブランクーシがブカレストに到着したのは正午頃のことだった。

 彼の所属する呪術結社は国家と結びつきが強く、国内でもかなり発言力のある組織である。もちろん、ルーマニア自体が、呪術の本場であるイギリスやイタリアに比べて呪術面で劣ることもあり、結社の規模は大結社ほどではない。だが、それでも、国家との結びつきから、所属する呪術師たちの能力水準は高く、銃火器も国が採用しているものを流してもらえるため、武力でも国内の他組織を圧倒している。また、そういった事情から、呪術的事件から国民を守るという使命感を持つ者が多いのも特徴だ。

 マリウスもまた、かつてとある呪術事件に巻き込まれて両親を失い、組織に引き取られた過去がある。

 使命感は人一倍強く、それが彼の原動力ともなっている。

 今回の任務。現場を外されたことに初めは憤りを覚えたが、事情を知るにつれてそうも言っていられなくなった。

 カンピオーネが、今、ブカレストにいる。

 その情報が最前線の上司の下に届いたのは、マリウスが彼のところに戦果を尋ねに行った直前だったらしい。

 カンピオーネは『まつろわぬ神』を倒し、すべての呪術師の頂点に君臨する力を得た存在。魔王とも呼ばれ、恐れられると同時に崇拝される。

 彼らは、人類では対処できない『まつろわぬ神』と対等に渡り合える唯一の存在だ。

 今回、ルーマニアの地方都市に現れた『まつろわぬ神』には、マリウスたちが死力を尽くしても勝つことはできない。しかし、カンピオーネならば、追い詰められた現状を好転させることができるかもしれない。

 自動車の助手席に座るマリウスは、手元の資料に目を落とす。

 数ヶ月前に、賢人議会のホームページに追加された新たなカンピオーネの情報である。

 そのレポートによれば、日本に現れたカンピオーネは、この春に高校を卒業したばかりの少女であるらしい。

 確認されている権能は、現時点で三つ。

 『神なる虹の弓』『偽りの創世記』『魔群の王』である。このほかにも、飛行能力を発揮する権能や、防御力を高める権能などを所有している可能性があり、その存在が確認されるに至った原因である《鋼》の軍神不動明王を倒していることから、不動明王の権能を所持している可能性もあるという。どれもこれも『可能性がある』という文言で纏められているのは、この新たなカンピオーネに関する情報があまりにも少ないことが原因だ。

 まず、いつどこでカンピオーネになったのかすらも明らかになっていない上に、いつの間にか複数の権能を所持するまでになっている。

「いくらカンピオーネつっても、年下の女の子に頼むってのもなあ」

 マリウスは資料を畳んでカバンにしまった。

 気が乗らないが、それでもルーマニアに差した希望の光である。彼女の協力を得られなければ、自害する覚悟で臨むつもりだった。

 やってきたのはブカレストの高級ホテル。

 この最上階に、七人目の魔王が滞在しているのである。

 マリウスは緊張した面持ちで、エントランスに入っていった。

「お初にお目にかかります。マリウス・ブランクーシ様ですね。お待ちしておりました」

 流暢なルーマニア語で、アジア人の青年に話しかけられた。

 マリウスよりも頭一つ低い彼は、黒を基調としたフォーマルな服装だ。

「そうですが、あなたは?」

「申し送れました。私、水原龍巳と申します。七人目のカンピオーネ、月沢キズナの供をさせていただいております」

「君が……」

 カンピオーネの少女は、同世代の少年を供としていると資料にはあった。

 少年から青年へ変わりつつある頃だろう。水原龍巳と名乗る彼の身体運びは、相当のもので、武芸はかなりの腕前と見た。

 サルバトーレ・ドニに仕えるアンドレア・リベラやアレクサンドル・ガスコインに仕えるサー・アイスマンを髣髴させる。

「それでは、こちらへ。主が待つ部屋までご案内します」

 そうして、マリウスは龍巳に案内されてエレベータに乗り、最上階にまでやってきた。

 緊張に震える。

 なんといっても、これから会うのはカンピオーネ。

 ユリウスなど、軽々と殺してしまえる力を持つ存在だ。

「マリウス・ブランクーシ様をお連れしました」

 龍巳は、日本語で扉越しに声をかけた。

 なにを言ったのかはマリウスには聞き取れない。だが、扉が触れもしないのに開いたころから、入室を許可されたのだとわかった。

「それでは、どうぞ。そんなに心配されなくても、俺の主はヴォバン侯爵ほど短気ではないし人命を軽んじもしないですよ」

「そうか。それは、安心だ」

 急にフランクに話しかけられて驚いたが、おかげで緊張が緩んだ。

 促されるままに、部屋の中に足を踏み入れる。

「いらっしゃい。歓迎しますよ。マリウス・ブランクーシさん」

 そうして、マリウスを出迎えたのは、金色の少女だった。

 

 

「まあ、その辺に適当に腰掛けてよ。飲み物は龍巳に用意させるから、少し待ってね」

 そう言いながら、目の前のカンピオーネは部下をキッチンに向かわせた。命令を受けた龍巳は、文句の一つも言わずに主の指示に従った。あの歳で尻に敷かれているのか、と内心思ったが、この二人の関係は概ね良好で、従わされているとった感じはない。

 マリウスはキズナに指示されたイスに腰掛けた。テーブルを挟んでキズナと向かい合う。そこに龍巳がカップを二つ持ってきた。キズナとマリウスの前に置き、紅茶を注ぎいれた。

 七人目のカンピオーネにして、謎の塊とも言える月沢キズナに接触して、人懐っこい普通の少女という印象をマリウスは受けた。日本人離れした金色の髪は、金髪を見慣れた西洋人であるマリウスからしても美しいと思えるもので、絹糸のように輝いて見える。

 だが、美少女といっても過言ではないその容姿に目を奪われたのは初めの数分だけ。その後は、逆に相手の呪術師としての実力に圧倒されて、それどころではなかった。

 というのも、この部屋そのものが一つの要塞と化していたからだ。

 マリウスもまた一流の呪術師だ。だからこそ、キズナが内包する膨大な呪力に気が付いたし、この部屋が何一〇もの防御結界で守られていることにも気付くことができた。

 これほど緻密に防御陣を敷く術者に会ったことがない。

 もしも、この部屋に不法侵入しようとしたのなら、その時点で存在そのものを消滅させられるのではないか。そう思えてしまえるほど攻撃的な結界が多数ある。加えて、これほどの結界を用意しておきながら、部屋の中に入るまでその存在を悟らせなかった隠密性の高さ。

 この部屋は、敵から身を守るためのものではない。敵をおびき寄せて殲滅するための罠なのだ。

「ん? どうしたんですか、マリウスさん」

「結界が気になっているんだよ。攻撃的な結界だから警戒されているんだ」

「ああ、なるほど。すぐ切りますね」

 龍巳の指摘を受けたキズナは、そう言うや指を鳴らして結界を停止させた。

 攻撃的な圧力から介抱されて、マリウスは肺腑の空気を入れ替えた。

「本日は、わざわざ貴重なお時間を頂きまして、本当にありがとうございます。《王家の吉兆》所属大騎士マリウス・ブランクーシと申します」

 マリウスは対面するキズナに恭しく礼をした。

「《王家の吉兆》といえば、ルーマニアでも最大規模の呪術結社。確か、王政の最初期から政治中枢に関わっていたと記憶してます。極東の島国育ちのわたしでも、名を知っている呪術結社の方とお話ができて嬉しいです」

 キズナもまた、相手に対して改まった言葉遣いをする。

 そこで、キズナは言葉を切って紅茶を一口啜った。カップから唇を離し、マリウスを静かに見据える。

「それで、あなた方はわたしに何を望むのかしら」

 キズナにそう問われたマリウスは、生唾を飲んで呼吸を整える。

 これからが本番だ。

 ルーマニアの未来を守るための戦いの第一段階が、始まろうとしていた。 

 

 

 

 ■

 

 

 

 キズナに問われたマリウスは、身を乗り出して問いに答えた。

「今日、私がお伺いしたのは、我が国に巣食う『まつろわぬ神』を討伐していただきたいからなのです」

 『まつろわぬ神』という言葉に、キズナは表情を僅かに変えた。

 キズナはカンピオーネとして、これまでに何度も『まつろわぬ神』と戦ってきた。つい一週間前にもグレムリンを討伐したばかりだ。

「『まつろわぬ神』が、この国の中にいる。わざわざわたしに頼みに来るってことは、放っておいても出て行きそうにないから?」

「はい」

 マリウスは頷いた。

「本来、我々呪術師が『まつろわぬ神』と相対することはできません。我々にできることと言えば『まつろわぬ神』が立ち去ってくれるのを待つことか、被害を最小限に抑えるための消極的な敵対くらい……しかし、今回降臨された『まつろわぬ神』は、拠点を構えて勢力を拡大しようと画策しているようで」

 『まつろわぬ神』が一所に拠点を構える。

 多くの神々が、地上を放浪する中で、そのような行動に出るとは、つまりそれが降臨した『まつろわぬ神』の性質なのだろう。

 強敵を求める戦士ではない。むしろ、そのあり方は王に近い。

「なるほどね。勢力を拡大しようとしているってのは、ソイツが明言したの?」

「いえ。しかし、現実として敵は人々の生活圏を侵し、さらにその範囲を広げています。今は小さな地方の町一つに届くかどうかというところですが、このままでは敵の影響力が増すばかりです」

「範囲を広げているってのが、よくわからないのだけど、それはつまり結界のようなものがあるということ?」

「そうではなく、敵の使い魔の行動半径です。当初は半径二〇〇メートルほどにちらほらいる程度でした。しかし、日を追うごとに力を増し、数も行動範囲も広がっています。その範囲が広がらないよう、防衛戦を構築し、戦っているのですが、戦況は芳しくありません。昨夜も、私の同僚が一〇人以上、命を失いました」

 死者が出ていると聞いて、キズナも顔色を変えた。

 呪術師の争いの中で命を失う者は少なくない。人間が死んでいくのも仕方がないと思っているし、割り切ることはできる。もとよりキズナは平安時代の人間だ。その時代、疫病が蔓延すれば数え切れないくらいの人が死んだし、盗賊に斬り殺される人もいた。屋敷を出れば餓死者が転がっているということもあった。

 だから、人死に関しては現代の富裕層が抱くほどの嫌悪感は持っていない。そういう流れも世の中にはあるという程度に達観している。

 とはいえ、放置すればさらに死体が積みあがっていく。それを止めることができるのが現状でキズナだけだというのに、無視しているのは寝覚めも外聞も悪い。これから先、西洋での旅行を楽しむためにも、味方を多く作っておきたいところだ。

 キズナは腕を組んで考えを纏めながら、マリウスに先を促した。

「相手は、いわゆる吸血鬼です。『まつろわぬ神』そのものを目にした者はもう、いませんが、中世の貴族風の衣装を身に纏っていたという報告を受けています」

 もういない、ということは、その人物はすでに亡き者となっているのだろう。

 話を聞くだけでも、切迫した状況なのだということが

窺える。

「吸血鬼? ふうん、いかにもルーマニアって感じね」

 ルーマニアと言えば、吸血鬼の本場というイメージが日本人にはあるだろう。なんといってもあのヴラド・チェペシュが治めた国だ。

「とすると、今回の相手はヴラド三世。もしくは、彼をモデルにしたブラム・ストーカーのドラキュラ伯爵といったところかしら」

 キズナが尋ねると、マリウスは頷いた。

「ヴラド三世そのものは、我が国では救国の英雄としての側面が強いので、吸血鬼として降臨するかどうか。むしろ、ドラキュラ伯爵としての側面が強いかと思います」

「なるほどね。ということは、敵の使い魔ってのは、要するに……」

「リビングデッド。ゾンビでも構いませんが、元はルーマニアの国民であり、敵に血を吸われて死んだ者たちです」

 そこまで聞いて、キズナは背もたれに体重を預けた。

「『まつろわぬ神』が現れたのはいつ頃?」

「二週間ほど前です。とはいっても、その当時はまだ神霊程度でしたので、我々でも態勢を整えれば封印できるレベルでした。本格的に相手が『まつろわぬ神』に変貌したのは、討伐隊が向かってからです」

「なるほどね……その討伐隊の面々。血を吸われたね」

「おそらくは……」

 沈鬱な表情で、マリウスは頷いた。

 神霊レベルでも、呪術師がそれなりの装備をして立ち向かう相手だ。おそらくは、激闘の末に討伐隊の血を得た吸血鬼は、自らの本性を取り戻したのだ。

「それが、一〇日ほど前のことです」

 一〇日、とキズナは呟いて自分の頤に手を添えた。

「『まつろわぬ神』にしては、動きが遅いね。本気になれば、街一つ一日で制圧できるでしょうに」

「連中は、日中は動かないのです。物語にある吸血鬼と同じく」

「ふうん。それで、侵攻が遅いのね」

 もちろん、その吸血鬼が本調子ではないという予想も立つ。討伐するのなら、今。ただし、リスクもある。カンピオーネと『まつろわぬ神』は互いに互いを滅ぼすために、力を高めあう関係にある。キズナが現地入りすることで、『まつろわぬ神』が本調子になってしまう可能性もあるのだ。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 『まつろわぬ神』の情報を聞きはしたが、それでも情報不足は否めない。現場近くまで行く必要はある。

 キズナは龍巳を伴ってブカレストを出て、前線基地に向かうこととした。

 車の運転は龍巳がする。キズナは龍巳が運転する車の助手席に座り、グレムリンの権能を使って情報収集を行った。

 《王の吉兆》のデータベースに意識を潜り込ませることで、この事件の経緯を詳しく知ることができた。今時の呪術結社は、電子化しているのが一般的なのだ。

「結局のところは判断ミスが重なった結果じゃないの」

 機密情報に触れたキズナの感想は、そんなものだった。

 先導するマリウスの車を見つつ、呆れたような物言いだった。

「判断ミス?」

「もっと早い段階からカンピオーネを連れてくればよかったのよ。お爺ちゃんでもサルバトーレ・ドニって人でもよかっただろうけど。被害なんて気にしないでさ」

「いや、そこは気にしようぜ」

 《王の吉兆》は、カンピオーネへの依頼を議論はしたらしい。しかし、その当時は事態がここまで逼迫するとは考えられていなかったことと、ヴォバン侯爵やサルバトーレ・ドニを呼び寄せることによる被害から足踏みしたようだ。それが、致命的な対処の遅れに繋がったのだから、初動に問題があったと言わざるを得ない。

「まあ、そんなことを今さら言っても仕方がない。問題なのは、どうやって戦うかだ」

「敵の正体がはっきりとしないからね。まずは、直接視てみないと」

 ブカレストを出た車は、国道一号線を北上する。

 途中、比較的大きな都市であるブロイエシュチで休憩を取った後、さらに北上。都市の周囲は畑に囲まれている。国道一号線は、畑の只中を突っ切り、山間部を流れる川に沿って走っている。

「引き受けてよかったのか?」

「なんで?」

 龍巳の質問の意図がわからず、キズナは首をかしげた。

「グレムリンと戦ったのは、ほんの一週間前のことだぞ。連戦になる」

「心配してくれるの?」

「当然だ」

 何の気負いもなく言う龍巳の言葉に、キズナは少し紅くなった。

 思われているというのは、とても嬉しいことだ。

 

「吸血鬼って、一般的には十字架やら聖水を嫌うって言われるけど、元はキリスト教には関係のない土地の悪霊なのよね」

 暇を持て余したキズナは、吸血鬼についての話を始めた。

「元はスラヴ人の間に伝わる悪霊。罪人や呪術師、人狼、自殺者などが、死に切れなくて吸血鬼になるって信じられていたわ。伝承の中には、吸血鬼を殺せるのは、吸血鬼と人間のハーフだけだとも言われてるのもあるしね」

「ダンピールってヤツだな」

「でも、ドラキュラ伯爵は、こうした伝承の中の吸血鬼とは別物。あくまでも創作物の中の登場人物。あまりに広く知られてしまったから、吸血鬼の代名詞にまでなったけどね」

「可哀想なのは、モデルにされたヴラド三世か」

「吸血鬼とは無縁の信仰の人だったはずなのにね」

 『まつろわぬ神』が巣食うのは、首都ブカレストから一四〇キロほど北方に位置するブラン城。ドイツ騎士団が一二〇〇年代に建設した石造りの要塞である。現在は、世界の名城二五選に選ばれるほどの美しさを保っていて、博物館として利用されている。ちなみに、二〇〇六年に、かつて国外追放された王族の子孫に返還されたために、個人資産となっている。

 そして、ブラン城はブラム・ストーカーの小説『吸血鬼ドラキュラ』に登場するドラキュラ城のモデルとされている。

「これで吸血鬼じゃなかったら詐欺よね」

 そんなことを言いながら、キズナは戦いの場へ向かっていく。

 

 

 そして、やってきたのは最前線基地が置かれたルシュノヴという小さな田舎町。中心を通る国道七三号線を西に行けば、ブラン城が見えてくる。

 距離にして一〇キロあるかないかといったところだ。

 閑静な田舎町なのだが、その出入り口となる道路は徹底的に封鎖され、一般人の気配はほとんどない。変わりに、呪力を帯びた人々が、重苦しい空気を湛えて行き来している。さながら、戦争映画のワンシーンだ。

 道行く呪術師たちが、マリウスの後ろを歩くキズナと龍巳を興味深そうに見ている。特に、キズナは、かなりの視線を集めていた。

 もとより、好奇の視線には慣れっこなキズナは頓着せず、情報をさらに拾い集めようとマリウスに話しかける。

「ここは、総司令部ですよ。まあ、そのさらに上にブカレストの本部があるんですが、今は非常事態。当方の総帥もこちらに出張ってきているので、総本部と言ってもいいかもしれません」

「ふうん。でも、一〇キロか。かなり押し込まれているみたいね」

「実際は半径五キロ圏内に抑えています。三重のバリケードを作っていて、ここはそれらを指揮するための場所なんです」

「すると、正しい意味での最前線は、ここから五キロ西ってことね」

「はい」

 ブラン城までは国道が一本、真っ直ぐに走っていて、その周囲には畑が広がっている。遮蔽物がない分、敵の動きは見やすいか。

「これ以上は戦線を下げるわけにはいきません」

「みたいね」

 キズナの脳裏にはインターネットから得たマップ情報が浮かんでいる。

 それによると、このルシュノヴの東方に、ブラショヴという大きな都市があることがわかる。ブラショヴ県の県都であり、人口はおよそ三〇万人。トランシルヴァニア地方の中心地だ。人を襲いリビングデッドに変えてしまう化物が流入すれば、大惨事になること間違いなしだ。

「こちらに、我が結社の総帥がおります」

 キズナが通されたのは、ルシュノヴ内の役所の一画。今や呪術師と一部の行政関係者しか存在しないので、役所が本部という扱いになっているのだ。

 龍巳とマリウスは、中には入らず外で待機する。ここから先は、王と代表者の会談だ。

 キズナが室内に足を踏み入れると、そこには白髪頭の老人が立っていた。背筋がピンと伸び、筋肉質な体系は、年齢を感じさせない若々しさがある。

「わざわざご足労頂きまして、ありがとう存じます。私が、《王家の吉兆》にて総帥を務めております、イオン・ブランクーシと申します」

「ブランクーシ?」

「マリウスは私の不肖の息子でして。まあ、血のつながりはないのですが」

 苦笑する老人の顔に、厚い信頼を見て取ったキズナは、イオンという男の人間性を高く評価した。もちろん、第一印象がよかったというだけだが、これから短い期間ながら協力体制を敷こうというところでの第一印象は非常に重要だ。

「月沢キズナです。大まかな現状は息子さんから伺いました。わたしとしても、この状況を見過ごすことはできませんので、解決に協力したいと考えています」

 イオンは、目を丸くして驚いたような顔をする。そして、破顔した。

「ありがとう存じます」

 そして、キズナの手をとって、深々と礼をした。

 それから、キズナとイオンは黒いソファーに向かい合って座った。

「細かい話を詰めていきたいところですが、時間がありません。そろそろ日が暮れる……敵の活動時間に入るのであれば、つまらない話をしていても仕方がありません。これから、とりあえず敵情視察に向かいます」

「これから、ですか?」

「はい。そのために、できる限りの情報が欲しい。不躾とは思いますが、昨夜リビングデッドにされた方のご遺体を確認させてください」

「それは……」

 イオンは渋い顔をする。

 仲間の遺体を見せろと言われて、はいそうですかと頷けるはずもない。さらに、イオンたちには、また別に遺体を見せられない理由があった。

「申し訳ありませんが、あの者の遺体をお見せすることはできません。というのも、すでに火葬してしまったからなのです」

「なるほど、考えてみれば、リビングデッドですからね」

「はい。いつ、再び動き出すかわかりません。昼間の内に、浄化の術と共に、火をかけました」

「では、写真も残っていないのですか?」

「いいえ、写真は残してあります。ご覧になりますか?」

「一応、何かのきっかけになるかもしれませんので」

 キズナは媛巫女と呼ばれる高い巫力を持つ。遺体に残された敵の呪力から霊視を試みようと思ったのだが、それが叶わない以上は、敵に繋がる情報をきっかけにして霊視を得ようと考えたのだ。

「これが、その者の写真です」

 テーブルの上に置かれた五枚の写真は、リビングデッドと化した仲間を討った直後の写真だった。首を落とされている遺体。左手はなく、首筋には噛み千切られたような痛々しい傷が見える。

「身体中傷だらけみたいですね」

「我々がつけた傷も少なからずあります。ですが、戻ってきた時にはすでに左手はなく、その他の四肢にも抉れたような跡が。それに関しては大型の動物に噛まれた跡だという検死結果が出ております」

「敵の使い魔か」

「おそらくは」

 相手は吸血鬼だ。動物を使役する程度は余裕でできるだろう。

 イオンと話をする中で、さらに深く現場の状況を知ることができた。しかし、残念なことに霊視を得ることはできす、明確な敵の正体にまで踏み込むことはできなかった。

「やはり、敵城に近づくしかないみたいね」

 外に出たキズナは、遠見の術を使ってブラム城を眺めた。

 外見はネットで見るのと大差ない。西洋の城に抱くイメージそのままの姿で、建っている。

 五キロ先は死地。

 高揚感を覚えながら、キズナは龍巳の下に向かった。

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