極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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十六話

 幽体分離を解除して肉体に戻ったキズナは、敵の正体をマリウスに報告した。吸血鬼であり、ヴラド三世でもある『まつろわぬ神』。それが、あのブラン城に巣食う怪物の正体だ。

「うおぅ。さっむい……」

 報告を手早く終えたキズナは、外に出た。

 外灯が淡く照らしたルシュノヴの街並みを、寂しげな春風が吹き抜けていく。

 三月も後半に入ったとはいえ、まだまだ夜は冷える。カンピオーネだからといって、寒いものは寒いのだ。

 キズナは背後に聳える小高い丘を見た。その頂上には、石造りの要塞が鎮座している。

 十三世紀にドイツ騎士団によって建造されたというルシュノヴ要塞。

 観光スポットとして人気を博しているそこも、今では対ヴラド三世の前線基地の一つとなっていた。

「龍巳、行くよ」

「要塞にか?」

「うん」

 龍巳を誘って、要塞に向かう。

 ヴラド三世と邂逅したのは、三十分ほど前のことだ。敵がカンピオーネを前にして手を引く可能性は低い。キズナの中に、言い知れぬ焦燥が芽生えていた。 

 風の中に、不吉の匂いが混ざっている。

 この夜、敵が動き出す気配か。

 ベージュのコートの上から赤いチェック柄の大判ストールを羽織ったキズナは、唇をきつく真一文字に結び、言葉を発することなく夜道を歩いていた。

 隣に随従する龍巳は、キズナから漂うただならぬ気配から、決戦が近いことを感じ、気を引き締める。

 キズナがなぜ、要塞に向かうのか。

 無論、戦術的優位を築くためだ。

 敵が攻めてくるにせよ、キズナが見た人狼たちが本気になって襲撃してくれば、街の入口に敷かれた防衛線程度簡単に食い破られることになるだろう。

 要塞ならば、空を飛ばない敵に対して優位に事を運べる。そもそも、防衛戦のために築かれたのであるから、敵が人外であっても最低限の機能は確保されている。

 何よりも高台にあるということが、敵を目視で確認するのに都合がいい。

 現在でも、観測所が設置され、呪術的、科学的な観測法によるヴラン城の監視が続いている。

 アウトレンジで先手を取る。

 高台に陣取るのは、弓兵の基本である。

「あの人たちは?」

 龍巳が、山道を登る途中で振り返り、薄明かりを放つ街並みに目を向けた。

 華やかな夜景とは程遠い。外灯の明かりしかないのなら、むしろその光は夜というものをより強く意識させる。

「いつでも、要塞に移動できる準備を整えさせた。敵が出てきたら、即座に撤退するようにね」

「街を戦場にするということか?」

「一番いいのは、街の外縁部で食い止めることなんだけどね」

 山道を歩きながら、キズナと龍巳は細々とした話をしながら、要塞に辿り着いた。

 二人の姿を見た守衛の一人が慌てて閉ざしていた門を開ける。要塞は、本来の姿を取り戻しつつある。古い石造りの建築物の周りに、新たな建物が増設されている。

 それは、物置であったり、魔術師たちのための宿舎であったりした。観光地で、大人数を収容可能な要塞とはいっても、現代人が生活するには少々環境が悪い。情勢の悪化に伴い、この要塞での篭城戦を覚悟していた《王家の吉兆》によって、呪術的な補修が行われていたのだ。武器庫も用意され、食料も三百人が一月外部に出なくても持つ程度の備蓄がある。小さな物品であれば、術で取り寄せられる。こういった場面で、術が使えると場所をとらないので便利だ。

「なるほどね。これは、いい景色」

 キズナは、自分の胸の高さくらいの石壁に手を添えて、ルシュノヴの街を一望した。

 標高六五〇メートルに位置する要塞からは、街のみならずブラン城までが見通せた。

 目を細めるも、はっきりとした様子は見えない。

「向こうもやる気みたいね」

 ブラン城の周囲が、霧で覆われている。

「ダメね。外部からの呪術干渉は遮断されているみたい……」

 キズナは目を瞑って、眉を顰めた。

 内部を探ろうと『目』を飛ばしたが、それを弾かれた。ただの呪術では無効化されてしまう。

「そこのあなた」

 キズナは近くにいた呪術師に声をかけた。

「は、なんでしょうか」

 その呪術師は、表情を緊張させて返答した。

「ここは、科学的な観測も行っていましたよね?」

「はい。大型の軍用熱線暗視装置があります。しかし、ブラン城は有効距離の圏外にあるため、専ら敵襲の有無を確認する程度にしかなっていませんが」

「構いません。その装置の下まで、案内してください」

「は、はい。了解しました」

 困惑した様子で、呪術師は頷き、キズナと龍巳を案内した。

 《王家の吉兆》はルーマニア政府と昵懇の仲だ。軍用装備の入手も比較的容易く、国内の呪術組織に規模、財力で勝る上に装備品でも上回っているというのが、彼らの立場を堅固なものとする要因である。

 案内された部屋には、テレビドラマや映画でよく見る、モニターだらけの薄暗い部屋だった。

 室内には、数人の男女がイスに腰掛熱心にそれぞれのモニターに目を向けていた。

「こちらのモニターが、それになります」

 呪術師が指差すモニターが、熱線暗視装置から送られてくる映像だという。 

 そこにはブラン城の姿はなく、ルシュノヴの街並みが黄緑色で映し出されているだけであった。

「なんらかの事情で、探査魔術が使用できなくなった時を考慮した装備ですので。それに、ヴラン城までの距離を考えると、我々の装備では夜間のヴラン城を監視できる手段は呪術と光学系の望遠鏡以外にはありません」

 しかし、ヴラド三世が発生させたと見られる霧によって、ヴラン城が覆われてしまった以上、望遠鏡での観測は不可能だ。しかも、その霧は呪術による探査を弾き返してしまう。

 しかし、赤外線までは防がないだろう。

 ヴラド三世に赤外線を遮断しようという意志があれば別だが、基本的に彼の思考は中世よりのはず。現代の知識はあるまい。

 赤外線を受け取ることで映像を映し出す熱線暗視装置ならば、その問題を解決できるのではないかと考えたのだが、赤外線の有効範囲が短かった。

「問題ありません。この装置をお借りします」

「え、あ、ちょっと」

 キズナはモニターの前まで進み出ると、監視員にイスを立ってもらい、自分がそこに座った。

 そして、グレムリンの聖句を唱える。

 電子機器を権能で操り、さらに常軌を逸した性能にまで引き上げてしまうというこの権能は、滞りなく熱線暗視装置を強化した。

 赤外線を感知し、映像化するという本来の機能をそのままに、三十キロ先までクリアに見通すという驚異的な有効距離を実現した。

「な……」

 その様子を見ていた呪術師たちは絶句。まさか、機器に干渉する権能が存在するとは思っても見なかったのだ。

「な、なんだ、これは……」

 そして、モニターに映し出された映像を見て、色をなくした。

 黄緑色の画面いっぱいに、異形の怪物たちが犇めき合っている。その多くは狼であったが、死者も混ざっていた。その数、ざっと三百は下らない。

 霧の中で、ヴラド三世は自らの軍を組織していたのである。

「き、緊急連絡だッ。敵が戦力を結集しているッ。応戦の準備を整えなくてはッ!」

 途端、要塞内が慌しくなる。

 開戦の準備が始まった。

 

 

 もともと、前線はルシュノヴの街とその外の間に敷かれていた。これは、敵の使い魔であるリビングデッドの脅威度が神獣に比べて低く、戦力を集めさえすれば、苦もなく討伐できるレベルだとされていたからである。

 ヴラン城からルシュノヴまでは一本道。その道沿いに家々が立ち並ぶものの、罠を仕掛けることは容易く、仮に前線を突破されたとしても、一般人がいなくなった街は自分たちの庭である。家々を壁にしたゲリラ戦で、敵軍に痛打を与えることも難しくはないと考えられていた。

 しかし、それが人狼まで加わってくると話が変わってくる。

 身体能力はリビングデッドよりも遥かに上。大騎士と互角に戦えるくらいの実力はあるというのが、偵察を終えたキズナの報告にあった。

 それが、一群となって襲い掛かってきたら、防ぎきれないことは明白である。

 そのため、総帥であるイオン・ブランクーシは、連絡を受けた後、即座に要塞にまで前線を押し下げることを決意した。

「一点に戦力を結集し、意思統一を図った上で、一命を賭して祖国の礎とならん」

 それが、イオンの覚悟である。

 逃げるのか、という玉砕覚悟の反対派は、これで口を噤んだ。

 何れにせよ、『まつろわぬ神』が自ら軍を率いてきたのなら、彼らには打つ手がない。月沢キズナという七人目のカンピオーネが行う決戦を、座して見守ることしかできないだろう。

 まさか、自分の息子よりも年下の少女に運命を託すことになろうとは。

 カンピオーネが常軌を逸した存在であることに疑う余地はない。しかし、それでも少女が戦うということに、一抹の不安を覚えずにはいられなかった。

 

 

 要塞の中は、剣を佩き、銃を担ぐ男たちで賑わっていた。

 女もいる。威勢のいい女騎士も、男に負けず声を張り上げている。

 槍があって弓があり、そして、砲がある。

「ふうん、映画みたいだね」

 その光景を緊張感なく眺めているキズナは、隣の龍巳にそう言った。

「まあ、そう思うのも無理ないことだけど、不謹慎ではあるな」

 彼だけは腰に二振りの日本刀を佩いている。

「敵陣に動きありッ! 足並みを揃えて進軍を始めましたッ!」

 熱線暗視装置が、敵の動きを捉えた。

 こちらはまだ準備が整っていない。彼我の距離は十キロほどである。人の足ではランニングで一時間ほどかかる。リビングデッドはもっとかかるだろう。しかし、人狼はどうか。身体能力が高いことは言うまでもないが、果たして速力がどの程度か分からないため、正確な開戦時刻が絞り込めない。

「あ」

「お、おい、あれ見ろ」

 小波のように広がるざわつき。

 呪力で暗闇を見通すのは、術を扱う者としては基本中の基本である。それなのに、これまで誰も目視で敵を見ることができなかったのは、偏に敵の本拠地が呪力を通さない霧に覆われていたからに他ならない。

「霧が、晴れる……」

 そして、その霧が薄くなってきている。

 守備兵たちは、剣や槍を握る手に力を込めた。

「なんだ、アレは」

 誰かが口にした驚愕は、誰もが等しく抱く感想だったろう。

 霧が晴れたその先には、まさに一軍というべき集団が陣列を揃えて待ち構えていた。

 そう、一群ではなく一軍。

 明確な意思の下に集った彼らは、もはや群れではなく一個の軍隊であった。

 十キロの距離を隔ててなお、その殺気に全身がしびれた。

 夜の闇の中に、爛と光る緑の目が無数に浮かび、蛍のよう。しかし、美しさは微塵も感じさせず、ただおぞましさだけが伝わってくる。

 肉を貪る獣の息遣いが、すぐ傍で聞こえるかのようだ。

 不安が絶望に変わる。

 そして、彼ら守備兵の背後から爆発的な呪力とともに虹色の光が立ち上った。

 

 

 

 □

 

 

 

 守備兵の間に負の感情が広がったことをキズナは察していた。

 恐怖やおびえ、不安と絶望。それらが、彼らの心を蝕んでいる。戦う前から士気が低いというのはどうかと思うのだが、それも神様の軍勢を相手にしているのだから当然の心境なのだろうか。

 そういえば、帝釈天の時も、京の武士たちは同じように慌てふためいていた。

 懐かしさに口元を緩めて、しかし目元はきつく敵を見据える。

「そういえば、こういった戦いは初めてかもしれないね」

 軍隊と軍隊の戦いに関わった経験は、これまでになかった。一度目の生は平安時代の中ごろであり、政治的に安定していた時期だ。生きていた頃に発生した大規模な合戦といえば、藤原純友と平将門が相次いで朝廷に叛旗を翻した承平・天慶の乱くらいのものであり、それも彼女が経験したわけではない。

 大陸より渡り来た妲己を討伐した時に、彼女を追い詰めるために一軍を動かしたこともあったが、それも戦争と呼べるものではなかった。

 人間の軍と魔物の軍のぶつかり合いは、キズナにとっても初めての経験になる。

 あまり行儀のいいことではないが、それは少し楽しみだとも思えた。

「敵軍との距離、二千! 総数は、千五百ほどにまで膨らんでいます!」

 黒々とした大軍は、呪力で肥え太り続けている。大地から湧き出でるかのように、時間とともに数を増す。進軍の最中にも、その陣容は刻々と変わりつつある。

「あの化物が千五百!?」

「なんてこった、そんなん勝ち目があるのか!?」

「落ち着け! 地の利はこちらにある! 一体一体を確実に仕留めれば勝機はある!」

 弱音と激励が交々とする中で、マリウスが剣の柄に手を添えた。

「すみません。こんな状況なのに、連中、精神的に大分参っているようで」

「そんなものでしょう。戦なんて、始める前は誰しも恐ろしいものです」

「始まった後は?」

「無駄なことを考えている人から死にます」

 キズナの冷然とした口調に、さらに顔を厳しくするマリウス。彼女の言っていることは事実であり、否定の余地はない。

 この陣営の中でも高位の実力者であり、一部隊の指揮官であるマリウスは、弱音を表に出すことができない。しかし、キズナはそういう部分とはまったく別のところに精神が置かれているようだ。普通の人間とは情緒からして異なるのだろう。

 キズナは、さっと身を翻すと、一気に飛翔して赤瓦の屋根に上る。

 そんな魔王を見て取って、彼女の側近の青年に声をかけた。

「あんた、あの魔王様と長いのか?」

 声をかけられた龍巳は、一端首を捻った後、苦笑しながら答えた。

「ん? ああ、まあそうだな。腐れ縁ってヤツかな」

「はあー。なるほどなあ。……結構大変じゃねえか?」

「それがどういう意味かってのが分からんけど、楽しくしているよ」

「そうかい」

 戦を前にしての軽口。

 あの魔王は、ほかの魔王に比べればずいぶんと親しみやすい性格だ。周囲への被害も考慮にいれるし、自分の力が及ぼす影響にも意識を回している。だから、頼って正解だったと思っている。魔王としての実力はまだ分からないが、それでも複数の権能を持っているという時点で、マリウスの想像を絶した力の持ち主なのは疑う余地もない。

 ただ、ややお転婆な性格でもある。四六時中一緒にいる龍巳という青年が、少々気の毒に思えた。

「ま、あんな可愛い娘に好かれているってんだから役得だろうがね」

 それでも、自分だったら遠慮したい役回りだ。常に命の危険が付きまとうカンピオーネの側近であり、世界中を旅して回るのであるから心労はかなりのものだろう。

 マリウスと龍巳は揃って視線を前方に移した。

 小高い丘の上に築かれた要塞は、城壁の内側に様々な家屋が立ち並んだようなつくりだ。それは、城壁都市とも言うべきものであって、日本では総構とも呼ばれる構造である。

 七世紀に渡る時の流れで、多くの建物の天井は崩れ落ち、遺跡と化してしまっているが、城壁そのものは健在である。そこに呪術的な処理を行って、防御力を増強した。そう易々と壁を崩される心配はない。

「こちらにも、あの狼に対抗する手段はある」

 篭城軍が装備しているのは、魔術師としては当たり前の装備品である杖や剣、槍といった旧時代の武器の他、小銃、ロケットランチャーといった最新鋭の武器だ。

 そのうち、ロケットランチャーや暗視装置付き狙撃銃のようなコンピューターが積み込まれた武器に対しては、キズナのグレムリンの権能の対象となる。

 それは、大騎士程度の力しか持たない人狼にとって脅威となるはずだ。

 龍巳は、赤瓦の上に立つキズナに目を向けた。

 瞬間、目を焼くような強い虹がキズナの手を刺し貫く。

 莫大な呪力が、一点に集中。虹の弓が姿を現した。

 そして、夜の空に一条の虹が生まれた。虹は天空に伸びていくと、千の雨となって大地に降り注ぐ。人狼の群れを鮮血の霧が包み込んだ。高々千や二千の大軍など、キズナに敵するものではない。

 篭城軍が、一様に息を呑み、そして勝利に湧き立った。

「しばらくは、わたしの弓でなんとかなりそうね」

 龍巳に向けってウィンクし、サムズアップ。

 勝利条件は二つ。

 まつろわぬドラキュラをキズナが殲滅すること。それか、太陽が昇るまでの六時間を要塞で耐え抜くことである。

 篭城軍の守備兵たちは、敵の第二陣が大地から立ち上がったのを見て、これがあくまでも前哨戦に過ぎないということを知るのであった。


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