極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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十八話

 ルシュノヴ要塞では、束の間の休息が与えられていた。

 時刻は正午。太陽が天頂に到達し、一日の中で最も日光が輝く時間帯だ。今回の『まつろわぬ神』の正体が吸血鬼であることもあって、要塞に詰める騎士や呪術師たちには、この日差しはまさに神の恵みであった。

 

 閉めたカーテンの隙間から漏れる光の雫が瞼に滴り落ちる。

 天から降り注ぐ眩い光は、しかし、この少女を前にしては引き立て役に甘んじるしかない。

 金色の髪も白い肌も、太陽の光を受けて輝いている。その様子は、まるで光の粒が踊っているかのようで、静かな寝息を立てる姿は、俗人の視線を受けるだけで穢れてしまいそうな、儚い清らかさを醸し出す。

 童話の一ページに迷い込んだかのような錯覚すらも覚える。

 時は呼吸を忘れ、静かに眠りに就く。

 外の喧騒も、小鳥のさえずりも、風の音も、この室内には持ち込まれない。

 部屋の主が目を覚ますその時まで、すべてのモノは主の安眠を守る守護者となる。この部屋では空気すらも衛兵なのだ。主の許可を得ない者は、なんであれ排除されてしまう。それは、音とて例外ではない。

 テーブルや本棚、壁に掛かったタペストリーにも擬似的な意志がある。それらがすべて息を殺してじっとしているのだ。生の鼓動がありながら、動きだけがないという止まった世界は、原生林の最奥部にも酷似している。

 ここにあるのは、キズナの理で形作られた異世界。 

 キズナと仲間にとっては休息の場であり、敵にとっては死を与える処刑場。

 だから、この世界に於いて呼吸を忘れるという表現は、字面どおりの意味を持つ。

 雰囲気に圧倒されて息を呑むのか、文字通り生物としての生を終えるのか。足を踏み入れた者には、その二通りの未来しか存在しない。

 唯一の例外は、この世界に慣れ親しんだ者。

 千年もの時を超えて猶共に在る、水原龍巳だけが、この空間の中にいながら平然と過ごすことができるのだ。

 龍巳は、腕時計で時間を確認し、それからキズナに近づいた。

 その途中、テーブルの傍を通った時だ。不意にテーブルの足の一本が不自然に曲がり、龍巳の足を引っ掛けた。脛を打ち、声にならない悲鳴をあげそうになるのを全力で堪える。

「こ、のテーブルッ」

 キズナの式神は、術者の実力が高すぎるためか時折擬似的な自我を得る。その中には、希に忠節が過ぎて龍巳を近づけまいとするモノが現れるのだ。詳しいことは、術者ではない龍巳には分からないものの、どちらが優れた従者か白黒つけようというライバル意識の表れではないかと思われる。

「おまえ等と役割は重複しないだろうが……」

 脛を狙ってくる辺りかなり悪質ではある。

 龍巳は憎らしげにしながら、転送の呪術を行使する。呼び出したのは、ティーカップとソーサー。それと、ティーポットである。龍巳はそれをテーブルの上に置いた。すると、テーブルは、初めの内こそ小刻みに震えていたものの、最後には観念したように動かなくなった。

 テーブルやイスの類は、上にキズナの私物を置くと動かなくなる。上の物を落とすわけにはいかないからだ。

 これは、長らく続いた地味な戦いの中で学んだ知恵であった。

「どこまで、ファンタジーな世界だよ」

 前世と異なり、初めから呪術の世界に身を浸してきたのだが、やはりキズナの創り出す世界は異質極まりない。物品を使い魔とするのは割りとポピュラーなのだが、室内を丸々異界化するというのはさすがに異常であろう。

 外敵を防ぐのであれば、結界を張ればいい。異界化して空間全域を支配するのに比べれば安上がりだ。それにも関わらずわざわざこのような非効率的な防御を敷くのは、単純に示威と趣味の両方の意味があるのだ。キズナからすれば、片手間でできることであるから、それほど効率が悪いとはいえない、ということもある。

 龍巳は式神を大人しくさせた後、ベッドで眠るキズナの傍にやってきた。

「準備ができたぞ。そろそろ、起きてくれ」

「んあ……?」

 キズナは、もぞもぞと寝返りを打ち、それから布団の中へ潜っていった。

 金色の髪だけが、僅かに布団の中から顔を出している。

「いや、起きろよ。頼むから」

 布団越しにキズナを揺する。そもそも、正午になっても起きてこなかったら起こしに来いと命じたのはキズナである。だから、龍巳はこうして味方のいない異界の中に足を踏み入れているのだ。

「ヴラド三世倒すんだろ。今の内にやんなきゃいけないんじゃないのか?」

 早朝に立てた作戦を、キズナに語る。

「あー……」

 ついに、キズナは布団から頭を出した。

「ねっむ……」

 布団の中に潜っていたため、髪はずいぶんとぼさぼさになっている。眠そうに薄目を開け、ゆっくりと上体を起こした。

「はあ…………おはよ」

「四時間半ってとこだな。疲れは取れたか?」

「まあまあ」

「そうか。とりあえず、こっちの準備はできてるから。そこに、濡れタオルと紅茶を用意してあるから」

「ありがと」

「じゃあ、俺は先に行ってるからな」

「うん」

 龍巳はまだ眠そうにしているキズナを残して部屋を出た。

 これから、生じる戦いに龍巳の出番はほとんど無い。

 ならば、可能な限りキズナが望む形で戦場を整える。それが、彼女に最も近しい人間が執るべき最良の行動である。

 忙しいには忙しい。命懸けというほどでもないが、後に禍根を残さないように調整するのは難儀なものである。

「まあ、主上への配慮を考えなくて済むだけ、大分マシだな」

 前世での苦労に比べれば、現状は楽な方なのである。

 

 

 □ 

 

 

 カンピオーネがいかに常軌を逸した存在であろうとも、生物であるからには疲れる。全力の殺し合いを、一晩行い、日が出てから眠るという不健全極まりない生活をすれば、自ずと体調不良に陥る。眠る前に霊薬を飲んだこともあって、傷は塞がり、体力も呪力も回復しているが、気分が優れない。

 布団という悦楽の壷から抜け出すのは容易ならざる勇気がいるものだ。

 キズナは、気力だけで布団から抜け出しベッドを降りた。

 仮眠程度のつもりであったが、ずいぶんと深く眠ってしまったらしい。

 時刻は十二時半。眠りに落ちてから五時間が経過しようとしていた。

 キズナは身なりを整えて姿見の前に立ち、髪を櫛で梳く。最低限の身だしなみを整える。化粧は薄く。それと分からない程度に抑える。キズナの顔立ちを考えれば、むしろ化粧こそが彼女の魅力を半減させる要因なのだと思われるほどだ。

 龍巳が用意してくれた紅茶で腹を温める。そこに至ってやっと目が覚めた。

「ん、んー」

 背筋を伸ばし、ストレッチ。

「よし、行ける」

 

 準備を終えて、キズナは建物の外に出た。外と言っても、そこは要塞の中である。

 ルシュノヴ要塞は、山の上に築かれた要害であり、そのため平坦な土地がない。それだと困るということで、早朝にキズナが手早く呪術で均して作った広場があった。

 今、その広場を陣取っているのは迷彩色の鉄塊だ。

 軍用ヘリコプター。キズナの権能との相性から、ミサイルを搭載できる物をと頼んでおいたのだ。性能なども問わず、退役した旧型でも構わないから午前のうちに用意するよう指示した。その結果がこれであった。

「あ、来たか」

「龍巳。なんか、これ新しいヤツじゃないの?」

「そうみたいだな。元になったヤツは型が古いんだけど、これはそれに近代化改修をした新式だそうだ。まだ、配備から二十年経ってないから、十分現役だ」

 龍巳が持つ資料の表紙には、IAR-330L SOCATとある。あのヘリコプターの名前だろう。

「わたしが必要としているのは機体性能ではなくて、ミサイルなんだけど、そっちは」

「大丈夫だ。ちゃんと装備してある」

 IAR-330L SOCATの「SOCAT」とは、ルーマニア語で対戦車光学索敵・戦闘システム(Sistem Optronic de Cercetare şi Anti-Tanc)の頭文字を取ったものだ。近代化改修では、特に対戦車戦闘を想定しており、ミサイルの運用能力は格段に高められている。

 最新鋭のシステムは、キズナの権能との親和性が高い。

 武装としては、無誘導弾であるS-5 57mmロケット弾UB-16-57。そして、スパイクER赤外線画像追尾式対戦車ミサイルがある。前者の威力はそれほど高くないが、後者は対戦車ミサイルとしては非常に優秀な第三世代ミサイルである。

「それだけあれば、十分かな。たぶん」

「たぶんでいいのかよ」

「いや、わたしミサイルは詳しくないし。それに、これで敵を倒すわけじゃないから」

 話をしている間に、回転翼が回りだす。

 パイロットは既に乗り込んでいる。後は、キズナが乗り込めば戦いの準備は完了する。

「じゃあ、行ってくるね」

「死ななければいい」

「うん。朗報を期待しといて」

 キズナはそう言って、IAR-330L SOCATに乗り込んだ。

 グレムリンの権能を使い、IAR-330L SOCATの全体を侵食する。

「初めのうちはわたしに任せてくださいね」

「は、はい」

 このパイロットはかなり緊張していた。これからヴラン城に向かうのだから当然か。敵がどのように行動するか分からない以上、このヘリとて安全ではない。

「あなたの仕事は、このヘリを無事ここに持ち帰ること。他のことは気にしなくていいわ。攻撃終了時点で、全力で退避してください」

「分かりました」

「じゃあ、行きます。気張ってくださいね」

 機体が浮き上がる。操縦桿は、パイロットが動かしているわけではないのに勝手に動いている。キズナの思考がそのまま機体の動きに反映されているのだ。

 機首を上げ、空へ舞い上がる。ブラン城まで、距離はそこそこあるものの、ヘリコプターの速度であれば、ものの数分で到達できる。五分とかからないのではないだろうか。だからこそ、巻き込まれた不運なパイロットは、戦闘に対する心構えも覚悟も何もないままに戦闘領域にまで到達してしまった。

 ブラン城は、『まつろわぬ神』が現れる前と同じく静かに佇んでいる。

 ルーマニア屈指の観光地。歴史有る遺産。それに対し、

「全砲門、ファイアー!」

 キズナはなんの容赦もなく、呪力で汚染されたミサイルとロケットランチャーを発射した。

 後先を考える必要のない一斉攻撃。ミサイルとロケットランチャーは、まっしぐらにヴラン城に向かっていく。

 あの城に思い入れのあるパイロットは、言葉にならない思いを抱えて見守った。

 全弾着弾。

 権能で強化された呪装魔弾の威力は凄まじいの一言だった。強固な城砦でもあるヴラン城の頑強さは、石造りということもあって、日本の城とは一線を画す防御力がある。それを分かっていたからこそ、問答無用の全弾一斉発射ということをしたわけだが、明らかにオーバーキルであった。

 壮麗な城は、一瞬で爆煙に包まれて崩れていく。粉塵は紅蓮と黒煙に巻かれて空に舞い昇り、耳朶を打つ轟音が、権能で強化されているはずのヘリを激しく揺さぶった。

「それじゃあ、あなたはすぐに要塞に戻ってください。もしも敵が出てきたら、撃ち落されますよ」

「りょ、了解しました! あなたは!?」

「この場に残って敵を始末します。それでは」

 するり、とキズナは座席から消えて行った。

 壁をすり抜けて外に飛び出したのだ。唖然としつつ、このままでは自分は死んでしまうと察したパイロットは即座に命令に従った。

 去っていくヘリを、自由落下しながら見送った。

 キズナは大地に足をつけてから、崩れ落ちた城砦を見る。

 無残の一言だ。木造ではないので、炎上という二次災害は起こらなかった。炎と黒煙は、あくまでも火薬由来のものであり、ヴラン城からは粉塵が上がっただけ。

「さて、陽光にさらされた吸血鬼がどうなるか、見ものだわ」

 キズナの目的は、吸血鬼を日光に曝すことである。

 太陽を苦手とする敵を無理矢理陽光の下に引き摺り出すため、その隠れ家を吹き飛ばしたのだ。

 結果、ヴラン城は大破。見るも無残な姿を曝すことになった。

 

 

 粉塵が晴れる。

 太陽光を遮る物は何も無い。そこにあるのは瓦礫の山である。まるで、数百年もの月日を放置されていたかのような荒れ模様。

 その瓦礫の山の頂上に、輝く白銀の鎧に身を固めた騎士が立っている。

 竜の意匠を施したプレートアーマー。赤いマントが風になびいている。兜は被っておらず、顔をはっきりと目視できる。頬はこけているが、鋭い眼光が圧倒的で烈火の如き怒りを醸し出しており、とても弱そうという印象にはならない。

「我輩の居城をこうも無残な姿に変えてくれるとはな。もはやただの死では済まさんぞ、神殺し」

 静かな口調に、凄絶な殺気を織り交ぜて。

 紡がれた言霊は、それそのものが病的なまでの殺意の塊だった。

 キズナがただの人であったのなら、彼の言葉だけで心臓が止まっていただろう。

「なるほど、そうなるの」

 だが、キズナは常人ではない。力もそうだが、そもそも感性からして異質なのだ。格上の相手にすごまれたからと言って萎縮するほどか細い神経をしてはいない。

 だからこそ、ヴラド三世の変貌を冷静に受け止めて、笑顔を浮かべることができている。

「吸血鬼ドラキュラではなく、正しい意味での竜公の子(ドラキュラ)か。太陽の下ではそうなるわけね」

 夜間は吸血鬼、そして昼間はルーマニアの英雄神として顕現する。それは、この神の性質ということか。ただの吸血鬼であれば、陽光に触れるだけで弱体化するだろうが、まさかまったく別物に変化するとは

「ヴラド三世として顕現していたこと、それ自体は変わらないのか」

 だったら、初めから想定して然るべきであった。

 状況に応じて姿形を変える神も少なくはない。この相手は、太陽光の有無で性質を変えるというだけなのだ。

「まあ、吸血鬼よりは倒しやすいでしょうね!」

 キズナは虹色の弓に矢を番えて放つ。

 距離は未だ五百メートルはあるだろうが、その程度なら十分に攻撃範囲である。この距離であれば、眼球を射抜くことすらも容易なのである。

 そんな精密機械の如き射に対し、ヴラド三世は動かなかった。

 彼は、避ける必要性がなかったのだ。

 ヴラド三世の呪力に呼応して、地面が盛り上がる。現れたのは一本の杭。それが、矢の進路を阻んだ。

 

 ――――そう来るか。

 

 ヴラド三世の伝説の具現。

 そもそもが神様の類ではない彼が、この世に権限した時に如何なる能力を得るのか。一国の王として、軍団を組織するという可能性もあるだろう。しかし、それ以上に警戒すべきは、彼の通称「串刺し公(ツェペシュ)」であろう。

 どうやら、半径五百メートル程度は軽々と、串刺しの範囲に入るらしい。

 ヴラド三世が指を鳴らすのを、キズナは見た。それと同時に、彼女の足元から勢いよく杭が突き出てくる。飛び退いた先から切先が現れる。

 今はキズナを狙って局所的に展開しているだけだが、これが全力ということはあるまい。相手は余力を残している。ヴラド三世が本気になれば、視界に映るすべての大地は尽く杭に覆われるだろう。

 避けるのに必要なのは身体能力。

 キズナは即座に九尾化する。九つの尾を生やした姿で大地を疾走する。使い魔の召喚は意味がないだろう。あの程度の使い魔では、この杭を受け止めることなど不可能だ。

 杭の林を潜り抜け、キズナは矢を連射する。

 しかし、その矢も、杭の林を突破することは叶わない。一本破壊しても、二本目が。二本目を破壊しても三本目が立ちはだかる。

 ヴラド三世に届かせるには、杭をすべて突破しなければならないのだ。

「だったら、空を行くしかないかな」

 キズナは地面を蹴って空へ向かう。

 荘子の権能ならば、自由自在に空を舞うことができるのだ。地面から現れる杭が届かない高みなら、ヴラド三世を狙撃することができる。

「何よ、それ」

 あまりのことに、唖然とした。

 そして、すぐに身を捻る。

 キズナを掠めて杭が現れた。

 地面だけでなく、空間からも杭を召喚することができるらしい。

「何でもありか」

 幸いなのは、杭の召喚にはタイムラグが有る。呪力溜まりが発生し、その後で杭が現れる仕掛けになっている。それならば、事前に察知してかわすことも不可能ではない。

 だが、それは避ける場所があって初めて成立する攻略法である。

 地面や空間から、無尽蔵に杭を呼び出すことができるのであれば、避けられないように囲い込むこともできるはずだ。

 キズナを囲むように、四方八方に魔力溜まりが形成される。

「ッ」

 上下前後左右すべての砲門が球状に並び、キズナを狙っている。

 そして、総計三十二本の杭が、中心に向かって一斉にその刃を突き立てた。

 

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 

 紅蓮の炎が杭を焼く。

 三十二の刃は尽く焼失する。

 圧倒的な紅蓮は、渦となって周囲を焼き清めていく。杭は触れた傍から蒸発し、融解する。

 炎の内から、金色の少女が飛び出した。火界呪の炎は右手に収斂し、一振りの刀となっていた。倶利伽羅竜王之太刀。キズナがそう名付けた、火界呪のもう一つの姿だ。

 火界呪を発動したままでは、キズナは自由に動くことができない。その弊害を解決するために編み出した炎の物質化という離れ業だった。

 倶利伽羅竜王之太刀が空間を薙いだ。

 灼熱が、呪力溜まりを焼き払う。背後から襲い掛かってくる杭は九本の尾を振るって迎撃する。砕き、焼き、かわす。キズナの積み上げた戦闘経験から、ヴラド三世の攻撃に適切に対処していく。

「セイッ」

 太刀から、紅蓮の劫火が生み出される。炎は一直線にヴラド三世に向かい、その途中で防波堤に衝突した波のように火の粉を撒き散らして砕け散る。

 杭を密集させれば、分厚い壁となる。

 容易く突破を許すはずがないのだが、杭という能力一つで攻守を実現するというのも常軌を逸している。

 

 

 ヴラン城は、丘の上に築かれた城である。

 丘の規模は大きくはないものの、周囲は木々に囲まれており、遠景は実に見事なものであった。

 かつてヴラン城を頂いていた丘は、針山と化していた。木々は倒れ、直下を走る国道にばら撒かれている。今、緑に代わって鉄色が丘を染め上げている。時折、そこに紅蓮と虹の花が咲くが、それもすぐに鉄色に呑み込まれていった。

 攻めるに難く、守るに易い。

 「攻撃こそ最大の防御」  

 その格言を見事に実現してみせるヴラド三世に、キズナは攻めあぐねていた。得意とする遠距離攻撃も、相手の杭山(しろ)を突破しなければ話にならない。一本一本には、それほどの強度がなくても、束になることで防御力が著しく上昇する。そんな当たり前の原理を、ヴラド三世は尋常ならざる物量を以て最大限に利用する。

 彼が吸血鬼だったころは、その不死性で苦戦したものだが、英雄神としての能力も厄介だ。

「まったく、数が多すぎるんだよ、もう!」

 苛立ちが募る。それも無理のない話だ。壊しても壊しても補充される杭に、数の限りがあるとは思えない。消耗戦も上等ではあるが、敵の物量に限りが無いとすると、今の状態を維持したところで改善する見込みは無い。

 どこかで勝負をかける必要があるはずだった。

 

 

 杭を凌ぐキズナを遠目に眺めるヴラド三世は、戦が始まってからこの場を一歩も動いていなかった。

 そもそも、動く必要性が無い。

 敵への攻撃はすべて杭がしてくれる。自分は、指示をするだけでいい。人の身であったころには、軍勢の指揮をするのも大変なことであったが、『まつろわぬ神』となった今は、指一つ、意志一つで一軍を相手にすることができる。

 わざわざ軍勢を持つ必要すらない。

「この力があのころにあれば、オスマントルコも手早く片付けてやれたものを」

 戦略的にも、無数の杭を召喚するという能力は破格の性能だ。

 破壊力ではなく、攻撃範囲の広大さと、物量。これだけでも、凡百の敵は殲滅することができる。ただの一騎でヴラド三世に相対するあの神殺しは雑兵ではないということになるが、その権能の程は先日垣間見た。吸血鬼であったころの自分が、一度は殺し合いをしたのだ。虹色の弓矢も九尾の化生も炎の権能も見た。不死性の権能を有していることも確認している。

 知っているというのは、戦をする上で大きい意味を持つ。

 情報戦は、戦いの基礎である。

 彼は騎士ではない。一対一の名誉ある戦いなどに興味は無く、ただ国家の独立にこそ心血を注いで戦ってきた王である。故に、彼にあるのは如何にすれば相手を打倒することができるのかという一点であり、戦に流儀を持つことは無い。それこそが、彼の流儀であるとも言えるだろう。

 ヴラド三世は、キズナの攻撃手段の中で最大威力を持つものを炎の権能。最速の攻撃手段を虹の矢であると睨んでおり、今彼が立つ場所とキズナがいる場所を繋ぐ最短距離は、彼がキズナの攻撃に即応できる距離でもあるのだ。

 ヴラド三世の攻撃手段は、突き詰めれば串刺し以外にはない。

 杭を召喚して敵を討つ。それだけが、顕現した彼の攻撃方法である。他の神話時代の神々のように伝説的な奇跡を為す事などとてもできない。様々な神々から権能を簒奪できる神殺しの方が、権能の数や汎用性は高いかもしれない。

 ヴラド三世の顔に疲労の色は無い。

 すでに数百の杭を召喚しているはずなのに。

 呪力を消耗している様子も無く、ただキズナが刃に貫かれるのを待っているだけである。

 杭の召喚は間断なく行われている。僅かでも召喚に遅滞があれば、距離を詰められてしまうからだ。故に、ヴラド三世は常に呪力を放出しているようなものなのだ。

「好きなだけ破壊するがいい。貴様は消耗し、我輩は肥える。時間は貴様にとって不利に働くだけよ」

 嘯くヴラド三世からは、やはり余裕が見て取れた。

 秘密は、ヴラド三世が召喚する杭にあった。

 杭の一本一本は、ヴラド三世と霊的に結びついている。それ自体は他の神々の武具とさしたる違いは無い。戦闘に於いて、自分の武具に呪力を込めて戦うというのは当たり前の事だからだ。そこにあるのは使い手から武具への呪力の流れである。川の流れのように、それは普通一方向的なものだ。しかし、武具そのものが使い手を強化するような物も世の中には存在する。その際、呪力の流れは二方向的なものとなる。ヴラド三世の杭もその類だ。彼の杭はその切先に触れたものの呪力を奪い、主に送り届ける能力を有する。

 それは敵を貫いた場合だけでなく、空気にすらも作用する。つまり、杭を出現させるのに呪力を使用するが、その後は召喚した杭が使用した呪力を回収してくれるのである。

 キズナが杭を破壊するために放出した呪力も、最終的にはヴラド三世の身体に取り込まれる。

 敵が一方的に消耗していくだけという状況を作り出す。

 ヴラド三世は、敵兵を串刺しにした示威効果によってオスマントルコを撃退したわけではない。もちろん、その効果も大きかっただろう。しかし、そこに至るまでに、オスマントルコ軍は消耗しきっていた。優れた軍略家であったヴラド三世の「焦土作戦」によってだ。

 この杭の能力はヴラド三世の焦土作戦を権能としたものだった。

 杭が展開された空間の呪力は徐々に枯渇し、ヴラド三世に吸収される。大気から呪力を補充するようなことはできず、敵は自分の呪力だけで戦いぬかねばならない。もちろん、傷を付ければ傷口から呪力を吸い上げることもできる。外部からの呪的干渉に強い神殺しでも、杭が体内に入ってしまえば、簒奪能力を防ぐことはできない。

 敵を傷つければ傷つけるほど、自分は回復していく。

 それが、ヴラド三世の杭が持つ能力である。

「焦土作戦も串刺しも、オスマントルコに打撃を与えたわけではない。敵の士気を挫くだけでは、戦争は終わらぬ。打撃を与えねば意味がない」

 ヴラド三世は、右手を高らかに挙げる。

「兵力に劣るルーマニアがオスマントルコの大軍団に勝利した要因。串刺しは契機に過ぎぬ。戦を通して徹底して敵を干上がらせた上での奇襲や待ち伏せ。一時たりとも敵に休ませぬこと。今の時代ではゲリラ戦術などと言うらしいな」

 ヴラド三世が得意げに笑い、指を鳴らす。

 彼の目には、魔力溜まりを形成せずに(・・・・・・・・・・・)現れた杭に、背後から貫かれた神殺しの少女が映っていた。

 

 


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