極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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十九話

 キズナは顔を歪ませて腹部を押さえた。

 鈍痛。

 分身体が倒されたことで、ダメージの一部がフィードバックされた。

 ヴラド三世が相手にしていたのは、荘子の権能で創られた虚像だったのだ。

 荘子の権能は、用途が幅広い。

 キズナは荘子の権能を存在の偏在化と表現するが、これは意識と肉体の優劣関係を逆転させるものである。

 常人ならば、肉体ありきの意識であるが、キズナの場合は意識ありきの肉体とする。結果肉体を霊体のような形にすることが可能となる。これが、すり抜け能力や飛行能力の根幹である。物理攻撃も、肉体に依存しない生命のため、大幅な威力減となる。それこそ、権能クラスでなければ蚊に刺された程度である。

 分身と短距離転移もすべては肉体に対して精神が優越するからこそ可能な荒業なのである。

 分身には、権能を付与できる。付与した権能は本体も使えなくなるが、その代わり分身だけでも『まつろわぬ神』と戦えるだけの力を得ることができる。グレムリンを倒したときはそうやったのだ。

 今回、キズナは荘子とヤルダバオートの権能以外は分身に付与していた。おかげで相手も分身を分身と思わず全力を尽くして戦ってくれていた。

「想定外。強すぎでしょ、ヴラドさん」

 直接戦っていれば串刺しだったかな、などと思う。

 杭の性質は眺めていたので大体分かった。あれが彼の最大の攻撃だということも分かる。夜は不死の化物で、昼は杭山の王。どちらが倒しやすいかは言うに及ばないが、イージーモードになるということでもないようだ。

「偽りの創世記をもって、わたしはここに創造を為す」

 聖句を呟く。

 身体の中に、外に出した権能が還ってくる。分身の消滅で、相手もキズナに気が付くだろう。それまでに、準備していた最大の一撃を放つのだ。

 ヤルダバオートの創世の権能。強大な重力球と重力で吸収した物を押し固めた隕石による二段構えの攻撃が特徴である。

 ヴラド三世の真上に、キズナは重力球を生成した。

 黒い球体は、発生と同時に周囲のすべてに重力の手を伸ばす。

 本気で使うのは二度目。始めて使ったときは、制御に失敗して吸い込まれかけたが、今度は上手くいきそうだ。

「まあ、今回は制御する必要もないけど。辺り一帯を、地盤ごと抉っちゃえ」

 球体に指示を出す。

 ヴラド三世がいるヴラン城の瓦礫の山だけでなく、その周囲を纏めて押し潰してしまおうというのである。

 ヴラド三世が、キズナのほうを見た。

「小娘、貴様!」

 ヴラド三世は怒りに顔を染め、キズナを睨みつけてくる。けれど、キズナは飄々と殺気を受け流す。彼に、キズナを相手にしている余裕はないのだから。

 地面が捲れ上がり、瓦礫が宙を舞う。

 重力球は確実にブラド三世の周囲に破壊の嵐を撒き散らしていく。

 彼の主力兵装である無数の杭を根こそぎ吸い上げているのだ。

「我輩の分身たる鉄杭よ、大地を貫け」

 ヴラド三世は杭を召喚した。キズナは屠るためではない。長大な杭を大地を繋ぎ止めるための芯に使うためだ。

 今表層に出ているのは杭の先端であり、地下深くまで杭は続いているに違いない。

 だが、それは大きな負担になっているようだ。

 ヴラド三世の顔は苦悶に歪み、呪力も見る見る目減りしている。

「しぶといな、もう」

 だが、それはキズナも同じだった。

 分身はそれだけで呪力を食う。ヤルダバオートの権能も最大出力を維持するのは呪力面でかなりの消耗になるのである。

 キズナとヴラド三世の周囲はすでに土色の大地に変わっている。

 石も木もすべて空に落ちていった。

 後は、ヴラド三世かキズナのどちらかが競り勝つかで、勝敗の行方は変わる。

「ぐぬ、ぬうううううッ」

 ヴラド三世は必死の形相で重力に抵抗する。

 鬼気迫る顔は、それだけ今の状況が彼にとってまずいというのを物語っている。

「ぐ、くく。だが、貴様も限界が近いな。大した権能だが、決め手に欠ける」

 他の権能に力を回す余裕がないのを見破られていている。

 これに耐え切れば、再びヴラド三世の優位が明らかとなる。今まで分身の相手をさせられていたようだが、数百メートル離れた場所にいる彼女は本物に違いない。

 あのカンピオーネの権能は大体理解した。向こうは、ヴラド三世の力を計るために分身を用意していたようだが、それであれば、もっと手の内を隠す使い方をするべきだったのだ。分身に権能を使わせるという稀有な能力があるのはいいが、ああも大盤振る舞いしてはヴラド三世に自分の手札を見せるに等しい。

 もっとも、それくらいしなければヴラド三世の力を引き出すことはできなかったであろうが。

 戦術家として、ヴラド三世はキズナを上回っている。

 そういう自負があった。

 『まつろわぬ神』としての圧倒的な力で蹂躙する。魔王を串刺しにして、世界にヴラド三世ここに在りと喧伝するのである。

 彼が力を振るうべきは目前の魔王のみ。

 それ以外は彼を害することもできない蟻に等しい。

 およそすべての『まつろわぬ神』が持つ、覇者としての認識は、だからこそ致命的な隙を生み出すこともある。

「――――なんだ、これは」

 一瞬だけ、

「これは、音。笛か」

 ヴラド三世の意識が、そちらに逸れた。

 権能と比較すればあまりに矮小な、しかし神にすら届く神具による演奏が、ヴラド三世から戦いを忘れさせた。

 ほんの僅かな、時間にして一秒に満たない隙。

 しかし、それは極めて致命的なものだった。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」

 静かな死の宣告。

 重力の嵐を潜り抜ける一条の虹が、ヴラド三世の胸を貫いた。

「く、は……」

 ヴラド三世は、大きく仰け反る。

 心臓を射抜いた矢を、信じられないという面持ちで見つめている。

「わたしの勝ちね。ヴラドさん――――」

 そして、空が堕ちる。

 ヴラド三世の真上に出現した大質量の岩石の塊は、重力球が吸収したすべての質量を蓄えたもの。重力から成る小さな星だ。

 それが、ヴラド三世に圧し掛かるように落下した。

 

 

 

 虹色の弓を下げたキズナは、自分の中に新たな力が加わるのを感じた。

 八つ目の権能を手に入れたのである。

「倒せたか。ギリギリだったけど、上手くいった」

 最後に龍巳の助け舟がなければ危うかったかもしれない。

 催眠効果のある笛の音で一瞬だけヴラド三世の隙を作り出してくれた。ルーマニアは観光資源を一つ失うことになったが、『まつろわぬ神』の猛威から身を守れたのだからおつりが来るだろう。なんといっても相手は吸血鬼だったのだ。人を襲ってなんぼな怪物たちなのだから、神に祈ったところで去るわけもない。

 大分周囲を巻き込んでしまったけれど、これでも上手くいったほう。不動明王のときの被害に比べれば、まだ小さい。うん、大丈夫。

 文字通り、根こそぎ岩盤が捲れ上がってしまっているが、それでも被害は最小のはず。

 国道が寸断されている以外に直接人の生活に影響する被害も出ていないのだから。

「とりあえず、戻ろうか」

 キズナは、なけなしの呪力で飛翔術を使った。

 

 

 

 ■

 

 

 

 夜は大宴会となった。

 被害は確かに出たが、ヴラン城とその周囲が破壊されただけで、それ以上の被害にはならなかったことも浮かれ騒ぐ大宴会になる要因となった。

 魔王と神の派手な戦いは、呪術師たちにとって大きな話の種にもなり、夜を徹して宴会は続いたのである。

「吸血鬼を恐れる必要がなくなったこと。夜をこうして楽しく過ごすことができるのもあんたたちのおかげだよ。本当に、ありがとうな」

 マリウスは、龍巳の背を叩きながら酒を呷った。

「ところで、最後のほうに笛を吹いて神様に干渉してたな。ありゃ、どういう仕組みなんだ?」

 マリウスが龍巳に尋ねた。

「呪力による干渉は神様の強すぎる呪力に打ち消されちまう。だからといって物理攻撃も通じねえ。そんな相手に、術をかけたソレはなんだ?」

「見ての通り、ただの神具だよ」

「普通の人間は神具なんぞ扱えないんだがな」

 使った途端廃人になるような物まであるのだから、龍巳が平然と神具を扱っていることが信じられない。

「鬼から貰ったんだ」

「鬼?」

「ジャパニーズ・デーモン。『まつろわぬ神』ではなかったけどな」

「いや、なんかもう信じられないな。あれか、あの魔王様に手伝ってもらったとか?」

「いや、そのときはまだカンピオーネになってなかったな、確か」

 龍巳は昔を思い出すように遠くを見つめた。

「信じられねえ。どうなってんだよ、あんたたち」

 非常識な主。それはカンピオーネなのだからまだ分かる。だが、この従者も主に負けず劣らず非常識だ。

 頭を抱えるマリウス。

「でも、アイツはまだマシなほうなんじゃないか? 他のカンピオーネは相当きついんだろう?」

「そうだな。たぶん、そうなんだろう」

 マリウスは言葉を濁す。

 パッと思いつくのはサルバトーレ・ドニとヴォバン侯爵。特に後者は迂闊に呼び寄せれば大変なことになる。

 カンピオーネを畏れるのは太古の昔から続いてきた常識であるが、それを魔術業界に浸透させ、カンピオーネは恐ろしいという意識を現代の呪術師たちに刷り込んだのは、間違いなくヴォバン公爵であろう。

 あのヴォバン侯爵と比較すれば、まともに話ができるだけでもキズナはマシといえた。

「おまけに美人だしな」

「キズナみたいなのがタイプか?」

「可愛い娘は見てる分にはいいんだよ。まあ、俺はカンピオーネと一緒にいたいとは思わん。いろいろと大変そうだからな」

 マリウスは、哀れみを込めた視線で龍巳を見る。

「大変と言えば、大変だけどな。悪いもんでもないぞ」

「へえ。振り回されんのが好みか」

「そういうわけじゃない」

 馬が合ったのか、男同士の会話は宴会が終わるまで続いた。

 そして、龍巳が宴会に出ているとき、キズナはというと宛がわれた自室のベッドに寝転がりネットをして遊んでいた。

 宴会というのは、騒がしくて性に合わないのである。

 疲れが溜まっているという言い訳をして宴会を辞し、龍巳を名代として使わした。もっとも、キズナが受けたダメージはほぼ回復している。

 霊薬を飲んで、半日ほど寝ていたのだ。カンピオーネの回復力ならば、すぐに万全の体調に持っていくことができる。

 だから、疲れというのは言い訳にすぎずそれ以上のものではない。

 単に、面倒だったからサボったのである。

「もしもし、かおるん。げんきー?」

『はい、幸いなことに僕のほうは何事もありません』

 ノートパソコンでテレビ通話。相手は高校時代の後輩で、日本の呪術業界のトップにいる媛巫女だ。

「そろそろ生徒会も新学期の準備が始まる頃だと思ったのだけど」

『そうですね。といっても、生徒会がすることなんてほとんどないじゃないですか。僕の仕事は全校集会や入学式での挨拶くらいですよ』

「うん、確かにそうよね。でも、正史編纂委員会も最近は忙しくなってそうじゃない」

『ハハ、僕たちは、万年人手不足ですよ』

 画面の中で馨が肩を竦めた。

 正史編纂委員会の人手不足はキズナも承知している。呪術師の数に比べて管轄が日本全域と非常に広いのが原因だ。進歩する情報化社会に対応するために人員を割かねばならず、旧来の仕事以外にも多くの仕事が舞い込んでくるようになったために、てんてこ舞いの日常を送っている。

『先輩のほうも、ずいぶんと派手にやっているらしいじゃないですか。聞きましたよ、ルーマニアのこと』

「耳が早いね。さすが」

『ヴラン城を消し飛ばすなんて、壮大じゃないですか。僕も是非とも拝見したかった……』

「相変わらず趣味が悪いのね」

 キズナは呆れながらチョコレートを口に放り込んだ。

「ま、それは置いといて、ちょっと面白い噂を聞いたのよ」

『噂?』

「そ、噂。イタリアで、新しいカンピオーネが生まれたってやつ」

『お耳が早い。そこまで知っていらっしゃるとなると、そのカンピオーネが日本人だということも?』

「情報としてはね。かおるんが言い切るってことは、事実なのかな」

『目下確認中です。何れ媛巫女を遣わせて霊視させるつもりですよ』

「そう」

 草薙護堂という名のカンピオーネが誕生したという話がネット上に現れたのは、キズナがヴラド三世と戦っている頃のことである。

 その際の呪術業界は、月沢キズナが欧州呪術師の前で大規模な戦闘を始めて行っているということもあり、キズナに多くの目を向けていた。

 結果、新カンピオーネの誕生に関してはそれほど有意義な情報が出ていない。

「これからの動きに注目かな」

 ウルスラグナ。

 八人目が倒した『まつろわぬ神』。ゾロアスター教に伝わる軍神で、一〇の化身に変身して勝利を得るという《鋼》の神格だ。

「まだ成って少ししか経ってないものね。でも、すでにメルカルトを倒しているらしいし」

『興味がありますか?』

「ないといったら嘘になるけど、その手には乗らないよ」

『残念です』

「先輩を都合よく使おうなんて、虫のいいこと考えるもんじゃないわ」

 クスクスと画面の向こうで笑う腹黒い後輩。

 人員を割きたくないからといって、カンピオーネに見定めさせようとは。

『先輩が日本にいてくだされば、あなたが見定めにいくことになったのは確実なんですがね。媛巫女筆頭格だったんですから』

「それ、恵那ちゃんの称号だね。もしかして、カンピオーネに恵那ちゃんをぶつけようってんじゃないでしょうね?」

『まさかですよ。そんなことをして、貴重な人材を失うわけにもいきませんから。というか、さっき霊視って言ったじゃないですか』

「冗談よ。まあ、行くとしたら、あの娘よね。わたしに次ぐ巫力の持ち主だし」

 以前、手ほどきをした少女を思い出す。

『そういえば、弟子の一人でしたね』

「ちょっと見てあげただけよ。そんなんで師匠面するつもりはないわ」

 万里谷祐理という三つ年下の少女。現代であれほどの力の持ち主はなかなかいない。ヴォバン侯爵の『まつろわぬ神』招来の儀にも参加させられていたという。あのとき、もっと早く情報を掴んでいたら介入していたのだが。

「ああ、そうだ。あの娘をね、以前占ったことがあるのよ。六壬神課」

『占いですか、へえ』

「ちょっと、胡散臭そうにしないでよ。そこそこ真面目にやったんだからね」

『はあ……あなたの占いがよく当たると評判だったのは知っています。お小遣い稼ぎに校内の娘たちを食い物にしていたような気もしますが』

「なんのことか分かんないなー」

 学生時代、同級生を中心に一回一〇〇円で占っていたことがバレていたか。

 適当な占いなのに、当たりを引いてしまうので評判になっていたし、馨が把握していないわけもなかった。

『まあ、僕も紹介料を頂いていましたから、どっちもどっちなんですが』

「その話知らないんだけど」

『言ってませんでしたか』

 いけしゃあしゃあと馨はとぼける。

「ちなみにいくら貰ってた?」

『それほどでもないです。一回五〇〇ほどですよ』

「わたしよりも高いじゃないの!」

 とんだ悪徳業者もいたものだ。

『それで、祐理の占いの結果はどうでした?』

「近いうちに大恋愛をするでしょう。ただし、浮気に注意」

『それ、本当ですか?』

 馨は目を見開いて驚いた。

「何よ。わたしの占いにケチつけるの?」

『そういうわけではありませんが、あの祐理が?』

「そうよ。大分苦労する可能性があるけど」

 有能で真面目な少女が、男に溺れて身持ちを崩すことがないようにしてもらいたいものだ。

 正史編纂委員会としても、それは望むとことではないはずなので、馨も注意はするだろう。

「じゃあ、そっちも草薙護堂については何も知らないわけか」

『そうですね。ああ、イタリアにエリカ・ブランデッリという少女がいるはずです。何でも、草薙護堂の愛人を自称しているとか。もしも、興味がおありでしたら接触してみるのも一興かと』

「だから、先輩をパシんなっての」

 キズナは画面を指先でつついてツッコミとしつつ、通話を終えた。

 そして、キズナは仰向けになって天井を眺めた。

 草薙護堂の出現により、地上に八人のカンピオーネが誕生したことになる。

 まさに末法の世というわけだ。

「確かわたしが死んでから末法が来たんだっけ」

 キズナが死んだときは、まだ貴族社会の最盛期であった。なんといっても藤原道長が生きていた時代だ。実に華やかで、安定していた。その後、一〇〇年と経たず国は荒れ果て、僧侶が人を殺め、武士が台頭するようになったのだが、その時期が仏教でいうところの末法と重なっていて人々は恐れ慄いたという。

 不意に、白い光を思い出す。

 

『君には怒りも憎しみもないが――――すまない。これも運命だと思ってくれ』

 

 鉄錆のような憂いを張り付かせた優男。

 異国(とつくに)から渡ってきた、《鋼》の神。霊視を得ることもできず、数時間に渡る交戦の末に、心臓を抉られた。

「あいつが出てくる条件は揃っているわけか」

 自らを古き盟約の執行者だと嘯く、名を隠した神。

 あれの正体を探ってみるのも面白いかもしれない。

 

 

 

 ■ 

 

 

 

 数日後、キズナたちが旅立った後のこと。

 ヴラン城跡を尋ねた女性がいた。

「あらまあ、ヴラン城がこんな姿に。……いったい、何があったのでしょう」

 褐色の肌を持つ愛らしい女性は、きょろきょろと周りを見回すと、呪術師(・・・)と思われる一団を見つけて歩み寄った。

「申し訳ありません。お話を伺いたいのですが?」

「はい、なんでここに一般人が……」

 彼女を見た呪術師は一瞬だけ忘我したように顔を緩めた。その周りにいる者たちも同様に、熱に浮かされたような表情をする。

「つかぬ事をお聞きしますが、これは何があったのでしょうか?」

 彼女は、城の代わりに屹立する巨大な石の塊を指差した。

「は、はい。そうですね。これは、『まつろわぬ神』を倒そうとしたカンピオーネの方の権能によるものでして」

 訥々と、呪術師は語りだす。

 彼女のためならば何をしてもいい。初対面でありながら、そう思えてしまう。男だけでなく女まで魅了され、事のあらましを述べてしまう。

「はあ、なるほど。新しい魔王さんが現れたんですか。ん? 虹の弓?」

「はい。どのような神から簒奪されたのかは分からないのですが、虹色の弓や狐のような九本の尾を振り回して戦われてました」

「へえー、なるほど。虹の弓に狐さんですか」

 彼女は、目を丸くして驚いていた。

「それで、その方は今、どちらに?」

「なんでも、イギリスに行ってみると仰られて、先日立ち去られました」

「あら、そうなんですか。ありがとうございました」

 彼女は、ぺこりとお辞儀をする。 

「虹の弓に狐の権能。ふふふ、もしかしたら、あの方かもしれませんね」

 時を旅する中で知り合ったとある魔王を思い出す。

 あれは、確か平安時代とかいう頃の日本だったか。いろいろな行き違いの末に心ならずも殺し合うことになってしまったり、雷を纏う《鋼》の軍神が出てきて一緒に戦うことになったりしたが、今の時代から数えれば千年も昔のこと。

 けれど、もしかしたらとも思うのだ。

 なんと言ってもカンピオーネはあらゆる常識を覆す者。自分だって、時を旅する力があるのだ。彼女にだって、それに近いことができてもおかしくはない。

「そうだわ。わたくしもイギリスに行ってみようかしら」

「それでしたら、我々が手配いたします」

 ふと思い浮かんだアイデアを、今、顔を合わせたばかりの他人が進んで実行する。この魅了の権能のおかげでいつの時代でも交通に不便を感じることはなかった。

「あ、そうだわ。もう一つ、その魔王さんのお名前を伺いたいのですが?」

「お名前、ですか。確か、月沢キズナ様と仰る方です」

「月沢、キズナ」

 彼女は、舌の上で転がすように、その名を呟いた。

「晴明さんじゃないのかしら?」

 そして、首を捻る。

 しかし、同じ権能を持つ魔王がそうそう出てくるとも思えない。例え同じ神を殺したとしても、得られる権能は人それぞれなのだから。

「まあ、お会いすれば分かりますね」

 時の果てで、旧知の仲に会うことができる。

 それはなんともロマンティックなことではないか。

 彼女――――アイーシャは、微笑みながら再会の時を待ったのであった。


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