極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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二十二話

 ものの見事に大惨事であるが、不幸中の幸いか二次被害はなく、死者もでなかった。

 通常は、アイーシャ夫人の権能によってロンドンの一部は極寒の地へと変わり、向こう数年は不毛の世界となっていたはずだ。だが、現実にはそうならず、大断層が出現しただけで済んでいる。

 『炎魔の咆哮(ハウリング・ブレイズ)』と名付けられたキズナの大火炎が、冥界の冷気を焼き払ったためだ。

 石造りの街並は、多少融解している部分もあるが、火災にまでは至らなかった。もしも、ここがキズナの故郷であれば、街一つが全焼していてもおかしくはなかった。

 被害総額は数百億円にもなる。

 それでも、大断層さえなんとかしてしまえば、すぐにでも復旧は可能と見られる。

 

 

 翌朝、新聞記事を見て龍巳はため息をついた。

 どの新聞社も大見出しでこの一連の大事件を取り上げている。真実は隠されているものの、写真で大断層を見ると、客観的にとんでもないことをしでかしてしまったということがわかってしまう。

 外はてんやわんやの大騒動。その一方で当事者たちは気にすることなくホテルの一室で紅茶を啜っている。

 結局、二人の魔王の戦いは被害の大きさの割りに決着がつかず、なし崩し的に終結を余儀なくされた。

「ちっとは反省しろ」

 丸めた新聞紙でキズナの頭を小突く。

「別にわたしが悪いわけじゃないし」

「月沢キズナがついに本性を垣間見せたと呪術業界に広まると思うが」

「ふーん。知らないし」

 キズナは拗ねたようにそっぽを向く。

「で、身体のほうは大丈夫なの?」

 キズナは龍巳に尋ねた。

「ああ、なんとかな」

 龍巳の上半身にはキズナの護符が何十枚も貼り付いている。外界からの干渉を無効化するもので、アイーシャ夫人の魅了を打ち消すためのものである。キズナ自身も、龍巳への呪力供給を増加させ、内部から抵抗力を高めさせているので、今の龍巳はアイーシャの魅了にかからずに済んでいた。

「そう、ならいいんだけど」

 キズナは正面に視線を向ける。

 ニコニコとした表情で、サンドイッチを口にするアイーシャがいた。

「なんで、コイツがここにいるのよ」

「すみません。お財布をなくしてしまったので宿泊しようにも宿泊できず。見ず知らずの方にお願いするのも気が引けるので」

「今までずっとそうして暮らしてきたでしょうが!」

 キズナはバンバンとテーブルを叩いて抗議する。

 アイーシャはあらゆる時代に現れる。当然、その時代の貨幣を持っているはずがないので、基本的に魅了の権能で人からの善意を引き出して生活している。今回は知り合いということで龍巳が標的になってしまったが、性質の悪いことに、誰彼構わずこの権能の犠牲にすることができるのである。その気になれば、自分のために命を捨てることも辞さない忠実なる兵士を生み出すこともできてしまう。神々との戦闘にはほとんど役に立たない力だが、人類社会を相手にした場合、社会そのものをあっさりと乗っ取ってしまえる危険なものなのである。

「ところで、せいめ……キズナさん。あなたが使っていたあの吸血の権能は、ひろ……龍巳さんに害はないのですか?」

「ん」

 アイーシャの目の前で、キズナは龍巳の首から血を吸った。猟奇的で扇情的な光景だったと、思い返すと今でもアイーシャは顔を赤くしてしまう。

 そして、キズナがヴラド三世を討伐したことはすでに聞き及んでいた。ヴラド三世と言えば、ドラキュラ伯爵のモデルで有名であり、キズナが倒したヴラド三世も、陽光の下に曝されるまではドラキュラとして振舞っていたと言う。キズナが得た権能が吸血鬼の権能なのは、明らかである。

「害って?」

「それは、眷属にしてしまうとかです。吸血鬼は血を吸った相手を吸血鬼にしてしまうのが伝統と言いますか」

「ないわよ。そんなのは。吸血は対象を強化することができるけど、吸血鬼にしてしまうほどの力はないわ。まあ、眷属という意味ではそうかもしれないけど、それは今さらだしね」

 龍巳はこの世に生まれてきた段階ですでにキズナの眷属である。それが、吸血鬼の力でさらに上乗せされたとして、何の不都合があろうか。

「それに、本質はそこじゃない。吸血鬼の権能は、血を吸うことで強くなる。強くなるのは基本的にわたし。攻撃手段としては、自然の光の届かない範囲でしか振るえない串刺しの力だけどね」

 発動条件は闇があること。太陽の下では、キズナは身に纏った夜のコートの内側からしか杭を召喚できない。しかし、下準備さえしておけばビルの影からでも召喚は可能だし、夜ならば半径五〇〇メートルに剣山を出現させられる。

「昨日が夜なら、アイーシャを串刺しにできたのに」

「あはははは。ご冗談を」

「ふん」

 キズナはテーブルに頬杖をついて窓の外に視線を向けた。

 アイーシャの敵愾心のなさが気に障るのである。 

 昨日殺しあったというのに、こうも明け透けに接されると毒気を抜かれてしまう。

 まさか、自分まで当てられてきているのだろうか。カンピオーネの抵抗力はほぼアイーシャの魅了を無効化する。が、それが一昼夜近くにいたらどうなるか。おそらくは問題ないだろうが、万が一もありえる。

「で、これからどうする」

 龍巳がキズナに尋ねた。

「買い物して、適当に遊んで出国」

 これほどの騒ぎを起こしてしまっては、居心地が悪くて仕方がない。

「もう出かけてしまわれるのですか。せっかくのロンドンですのに」

「誰の所為だと思ってんのよ」

「まあまあ」

 龍巳がキズナを落ち着かせる。

「次に行くのは」

「イタリア。だって、聖ラファエロって人がそこにいるんでしょ。それに、えーと……コロッセオとか、スフォルチェスコ城とか見てみたいし」

 適当に思いついた観光名所を挙げてみる。

 旅の目的は西洋魔術を修めることと、観光地を巡ることである。現在、そのどちらも満足にこなせていない。飛行機の墜落から始まり、真っ当に観光ができているとはいえない状況なのである。

「そうですか、イタリアですか。いいですねえ、それも」

「あんたを連れて行くとは言ってない!」

「いえ、わたくしもそちらに用があったような気がするんです。きっと、何か新しい旅が始まるに違いありません」

「旅立ったきり戻ってくんなよ」

 乱暴な言葉遣いは、かつての口調に近い。懐かしさすらも感じる男言葉であった。

「だから喧嘩腰になるなって。何が起こるか分からないんだからさ」

「いいんですよ龍巳さん。これもキズナさんもきっと本心では仲良くしようと思ってくれてますから」

「龍巳に話しかけんじゃねえよ、コラァ」

「お前、キャラがブレまくってんぞ……」

 

 

 

 □

 

 

 

 遅めの朝食を終えたキズナたちは、とりあえず観光を開始した。手近なところから有名所を制覇する意気込みでロンドン塔に繰り出した。

 十一世紀、征服王と称されたウィリアム一世がロンドンを守るために二十年かけて建造した城砦である。

 十七世紀までは王宮として使用され、その間にも動物園や造幣所、天文台などでも使用された。中でも、牢獄という側面を持つことは有名で、多くの罪人がここで処刑されている。

 英国が誇る文化の象徴の一つであり、世界遺産に登録されている城砦なのである。

「ふふふ……感じるわ。数え切れないほどの無数の怨念を」

「厨二くさいな、それ」

 怨念など感じて何が楽しいのか、キズナは笑顔を浮かべて展示物を見て回っている。

 現代では巫女、中世では陰陽師として活躍した彼女にとっては、霊体を視ることなど造作もないのだろう。

「ゆ、幽霊とかいるんでしょうか?」

 アイーシャはキズナの呟きを聞いて身体を震えさせる。

「アイーシャさんはそういうのは視えない性質で?」

「え、ええ。なんとなく、見えない力の流れは分かるのですが……はっきりとは」

「じゃあ、アイツが言ってるような恨みとかも」

「それは、感じます。生きる者への執着のようなもの、薄らとですが」

「本当ですか」

 アイーシャはきょろきょろと周囲を見回している。その視線の先に、何かがいるとしたら。そう考えると身の毛もよだつ話である。

 周囲にあるのは武具の数々。西洋甲冑がライトに照らされて輝いている。

 と、その中に異彩を放つ甲冑が展示されているのに気がついた。

「龍巳龍巳、これ、メイド・イン・ジャパン!」

 キズナが指差す。

 そこには日本の鎧兜が展示されていた。

 徳川秀忠が、ジェームズ一世に送ったものだ。ざっと四百年、ロンドン塔の中で展示され続けてきた古参の鎧である。

「誰も使ったことがないから、血の匂いもしないし念も篭ってない」

「なんでつまらなそうにするんだよ」

「武器の類は血を吸ったものか信仰を集めたものの方が触媒に使えるからよ。九十九神も、前者は悪神になるし、後者は善神になるわけよ」

「そんな視点から展示物を見るなっての」

 龍巳は呆れ混じりにため息をつく。

 そんな龍巳の袖をちょいちょいと、アイーシャが引いた。

「龍巳さん、見てください。お面と馬が一杯ありますよ」

 さりげなく、アイーシャは龍巳の手を引いてそちらの展示エリアに連れて行こうとする。それを、キズナが龍巳の反対側の腕をがっしりと押さえて妨げた。

「馬なんて素通りして、チャペルのほうにいきましょう。アイーシャだって、本物が闊歩する時代を見てきてるわけだし、いいでしょ」

「え、でもわたくし、お友だちと博物館を巡る経験はありませんし」

「と、友だちじゃねえしッ」

 ひし、と龍巳の腕に掴まったキズナが噛み付いた。

「……順路に従っていけばいいじゃないか」

 青い瞳でアイーシャを睨むキズナだが、悪意そのものに疎いアイーシャはズケズケとキズナの牽制や防壁を踏み越えて友だち発言をする。もともと、人がいいキズナは好意そのものには弱かったりするので、これもキズナがアイーシャを苦手とする要因であった。

 そもそも、千年前のキズナは今で言うところの引き篭もり且つコミュ症をこじらせたどうしようもない性格をしていた。そんな中で唯一心を開いた相手が、龍巳(ひろまさ)であり、その想いは次第に恋にまで発展していった。そんな折、突然現れた異国の同族が、あっという間に大人気になって天女などと持て囃され、想い人の心すらも奪っていってしまったのである。しかも、そこには魅了の権能などという悪辣極まりない力が働いていて、厄介なことに本人は人格的にまともだったとしたら。それは、もう、いくら相手が友だちだと言って近づいてきても門前払いをするだろう。何が悲しくて引き篭もりのコミュ症がリア充全開の友人を持たなければならないのかと。しかも恋敵。これは、存在そのものが劇薬である。

 

 

 

「しかし、アイーシャさんの権能、もうちょっと制御できないもんですか」

 一段落して、ロンドン塔から出てから、龍巳はアイーシャに尋ねた。

 ロンドン塔の中でも、アイーシャの魅了は効果をしっかりと発揮していた。本人はそのつもりがなくとも、注目を一身に浴びているのである。

 困ったことに、その反対側にはキズナがいて、龍巳は挟まれる形になっていて、雰囲気は険悪。事情を知らない人が見れば、龍巳が悪いということになる。

「すみません。わたくしの権能は、どれも上手く扱えないものばかり。何かしらの影響は周囲に与えてしまうのです」

「めんどくさい権能ばかり習得して、きっちり手綱握りなさいよ」

「しかし、そうは言いましても、わたくしは人助けにしか権能を使わないと決めていますし、世の中は皆さんが思っている以上に優しくできているので、大丈夫です」

 ぐ、と握り拳を作って説明してくれる。が、その内容は、おそらく世の中が優しいのではなく、アイーシャに甘いだけなのではないかと思わされるものであった。

「はあー? 優しくできてる? そういうことは目の前の首無し幽霊をちゃんと視てから言ってよね」

 キズナは反吐が出るというように顔を歪めて吐き捨てるように言った。

「ぴい」

 可愛らしく声を漏らして、アイーシャは龍巳の背中に隠れた。

「ちょっと、あんたカンピオーネでしょうが。何、幽霊程度で隠れてんのよ。てゆうか龍巳の背中勝手に使うな」

「み、見えないのはなんともなりません~~~~~~」

「あんたの魅了に釣られてきたのよ、責任取りなさいよ」

「無理です~~~~~~」

 龍巳の背中からアイーシャを引き剥がそうとするキズナに、植木鉢が襲い掛かった。もちろん、それはキズナの身体をすり抜けて地面に落ちて砕ける。

 互いにすり抜ける権能を持っているが故に、どちらの攻撃もダメージになりにくいのである。昨日の戦闘が共倒れに終わった要因であった。

「い、今のはきっと偶然です!」

「そうね。あんたの権能は偶然で人を殺そうとするようなもんだしね!」

「ひえええ、龍巳さん。助けてください~~~~~!」

 キズナは龍巳からアイーシャを引き剥がして、ヘッドロックをかける。すり抜けないところを見ると、害意がないと判断されているようだ。

 なんだかんだで仲がいいんじゃないか、と龍巳はじゃれあう二人を見て率直に思った。

 

 

 

 □

 

 

 

 その後、キズナはたちは目ぼしいロンドンの観光地を巡り歩いた。

 大英博物館では、アイーシャの魅了の力が功を奏して、長蛇の列がモーゼの紅海渡りのように二つに裂けて一向を先頭に迎え入れたり、世界各国から集められた遺物の数々からキズナが霊視を受け取りまくって前に進めなかったりといったアクシデントがあったが、概ね満足のいく観光ができたのではないだろうか。

 この日、最後の目的地として選んだのは、ロンドン橋。

 童謡でよく知られている橋だが、見たの初めてだった。

「なんか普通」

「タワーブリッジに比べれば、そうなるわな」

 これは名前はよく知られているが、観光で来るかというとそうでもない。タワーブリッジのように跳ね橋かつゴシック様式の美しい外観ということもない。中世のロンドン橋は、橋上に家や礼拝堂が建っていて壮観な眺めだっただろうが、今は長大な橋という以上のものはない。

「龍巳」

 キズナが、龍巳の眼前に手を挙げた。

「ん、ああ……」

 言わんとすることは分かった。

 呪術を嗜んだ者なら誰でも気付く、濃厚な気配。

 今、この近隣に膨大な呪力の持ち主が三名いる。カンピオーネのキズナとアイーシャ。そして、ロンドン橋の真ん中に佇む人影――――『まつろわぬ神』。

「へえ、そういう趣向なの」

「キズナさん。あの方は、まさか……」

 アイーシャもその気配に気付き、キズナに問いかけた。

「ええ、間違いなくね」

 視線の先、ロンドン橋から殺気と愉悦が入り混じった視線を送ってくる、唐風の戦士。ロンドンの街に、恐ろしく不釣合いな姿は、世界を放浪する『まつろわぬ神』であるからこそか。

 不意にその姿が掻き消えた。

 それに先んじてキズナが金色の尾を召喚、一振りする。

 火花が散り、涼やかな笑顔の青年が剣を肩に担いで着地した。

「懐かしき気配を感じたが故に、ちと昔語りをしたいと思いましてご挨拶に伺いました。こうして顔を合わせるのは千年ぶりですな。神殺しの陰陽師殿。そして、異国の神殺し殿」

 その神は千年前にキズナとアイーシャが日本で相対した軍神。

「まさか、千年間彷徨ってたの?」

「ふふ、戦いに戦いの日々。暫し休眠もしましたが、やはり現世はいい。世は広く、この千年で新たな戦士が幾人も生まれました。実に、楽しい。ですが、こうして古き好敵手と久闊を叙するのもまた一興」

「別に無視してくれてもいいんだけど。……韋駄天」

 千年前の因縁。

 かつて、倒しきれなかった軍神と世界の果てで巡り合ってしまった。

 これも、因果か。

「いいわ。じゃあ、二度とめぐり合えないように、ここで始末してあげる」

 キズナは弓手に虹弓を掲げ、韋駄天と向かい合った。


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