極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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二十三話

 ロンドンの夜に虹色の華が咲く。

 金色の少女は、街の明かりを俯瞰しながら空を舞う。

 キズナに付き従うのは数えるのも億劫になるくらいの鬼の群れだ。それは、金色の狐を先頭にした漆黒の百鬼夜行である。

 黒い雲と化した魔物たちが、怒涛の如く襲い掛かるのは、唐風鎧の輝かしい青年である。黄金色に輝く両刃の剣を振るい魔物たちを蹴散らしていく。数の上では見るからに不利。それは、大波を単身で受け止めるに等しい行為である。

 しかし、韋駄天にとって、この程度の苦行はなんのこともないのだ。

 飄々とした態度で、鬼という鬼を斬り捨てる。

 大鬼の首を落として反転、背後から現れた狐面の子鬼を蹴飛ばし、烏天狗の放つ弓を掴み取り、槍を突きこんできた鬼のこめかみに突き刺した。

「クッ」

 韋駄天は喉を鳴らして笑みを作る。

 剣を右へ左へ持ち替えて押し寄せる鬼たちを斬り刻む。そこに僅かの隙もなく、剣捌きは台風のように四方を薙ぎ払う。

 轟、という剣風が舞い、韋駄天の周囲に群がっていた黒が消し去られた。

「セヤァッ!」

 飛び込んだキズナが、金色の尾を叩き付けた。鬼を斬り捨てた直後を狙った横殴りの一撃を、韋駄天は腕で受け止めた。

「く……!」

 鉄をも打ち砕く尾の打撃を平然と受け止めた韋駄天は、焦燥の表情を浮かべたキズナに容赦なく攻撃を仕掛ける。

 唐突に、韋駄天の姿が掻き消える。

「ッ……!」

 思考に先んじた第二の尾がキズナの首を守った。

 目にも止まらぬ速さで移動するのは、多くの軍神が有する権能である。

「今さら、神速が通じるかッ」

 そして、三本目の尾が韋駄天の腹部を強かに打った。

 跳ね飛んでいく韋駄天に、キズナは虹の矢で追い討ちをかける。

 正確無比な速射三連。

 しかし、三本の矢は虚しくテムズ川に水柱を生み出すだけに終わった。

 川面を蹴った韋駄天は、空中で一回転して街灯の上に着地した。

 韋駄天は余裕の表情で腕を組み、キズナを見つめる。

 彼我の距離は、およそ三十メートルほどか。

「仏法を守護するこの私に、悪鬼羅刹で挑む無意味さは、かつての戦いで十分理解していただけたと思いますが?」

 得意げに、韋駄天は嘯く。

 護法善神に数えられる韋駄天は、特に伽藍を守り子どもの厄災を払う力があるとされている。日本ではそういった本来の神格以上に、足が速いという俗信が有名になりすぎている嫌いがあるが、それは本来の韋駄天信仰とは異なるものなのだ。

「わたしを倒しきれなかったヤツが得意そうに」

 キズナが放つ矢を、韋駄天は事も無げに剣で払う。

「実にその通り。ゆえに聊か昂ぶっております。千年前につけられなかった決着を、時を超えてつけることができるのですから」

 風を纏って、韋駄天がキズナの眼前に現れる。

 尾と剣が火花を散らした。

「わたしは、まったく嬉しくないね。なんだってロンドンで韋駄天と戦わなくちゃいけないのよ」

「これも宿命というものではないでしょうか。我等の逆縁、千年程度で消えるほど浅くはなかったということですよ」

「今の時代、ストーカーは犯罪なのよ? 心臓に矢が刺さっても文句言えないレベルで」

 韋駄天の剣戟を尾で受け止めながら、キズナは矢を構える。

 弦を引き絞って、放つ。射出された瞬間に、矢は無数の光条と化して弾幕を張る。韋駄天の姿が掻き消える。超至近距離で、矢が分裂したことを見極めた韋駄天は即座に神速に突入したのだ。

 キズナ自身は神速の権能を持っていないので、又聞きになるのだが、神速の権能はただ速く動けるだけではないらしい。

 その真価は移動時間の制御にある。

 神速状態にある肉体は、外部との時間の流れが変わる。速く動こうとすれば、外部の時間の流れよりも自分の時間の流れが速くなる。結果、外部で生じた事象は非常にゆっくりとう進んでいるように見える、らしい。

 目の前で矢が千に分裂しようとも、神速状態ならば回避は可能なのだ。

 当たらないのならば散弾でやればいい、という発想は合理的ではあるが非常識な神様を相手にした場合その更に先を行く攻撃が必要になる。

 舗装された歩道をキズナの散弾は掘削する。虹色の爆発と、濛々とした土煙が上がる。

 粉塵を斬り裂いて、一陣の刃が襲い掛かってきた。

「ッ」

 キズナは呪力の白刃を、身を屈めてかわす。

 ぞわり、とした悪寒を感じて、キズナはそのまま真横に転がった。果たして、その判断は正しかった。キズナが転がった直後に、流星のように韋駄天が剣先を真下に向けて落下してきたからである。獲物をしとめ損ねた両刃の剣は、地面を突き刺すだけでなく周囲を纏めて吹き飛ばす爆発を発生させた。

「うああッ!」

 爆発で宙に投げ出されたキズナは、そのままロンドン橋に隣接する駐車場に落下した。

 回る視界に翻弄されつつ、体勢を立て直して着地する。

 そして、爆心地を見てゾッとする。

 そこには何もなかった。

 文字通りの『無』。半径三十メートル近くがクレーター状に抉れてなくなっている。荘子の権能がなければ受け流すこともできずに大打撃を受けていたことだろう。

 クレーターの半分はテムズ川の水を吹き飛ばしただけだったが、それでも威力の程は十分に理解できる。近隣の建物にまで被害が及んでいるのだ。爆発の威力が高いということは、それによる二次被害も相応に大きくなる。吹き飛んだ石や土砂は、手榴弾に仕込まれた鉛玉を上回る威力で周囲に撒き散らされている。

 避難が完了していなければ(・・・・・・・・・・・・)、人的被害も甚大なものになっていただろう。

 そして、その災厄を呼び起こした韋駄天は、得意げに笑みを浮かべつつも不可解といった様子で首を捻る。

「ふぅむ。奇妙ですね」

 韋駄天は再び神速に突入し、キズナに斬りかかってきた。

 横薙ぎの剣を潜ってかわすと、すでに韋駄天は前蹴りを放っていた。しかも、キズナが防御体制に入る直前に神速を使った。

「ぐ、は……ッ!」

 パァン、という炸裂音が響く。キズナは思い切り蹴りを喰らって上空に跳ね上げられた。内臓が激しく揺さぶられて内容物がこみ上げてくる。

 キズナは勘を頼りに使い魔を召喚する。直後、使い魔の腹部に韋駄天の投じた剣が深々と突き立った。

 その後も投じられる剣たちを尾で捌き、なんとか地上に戻る。

「は、あ、……女の子を足蹴にするなんて、ね」

 韋駄天の攻撃によって、幾度もジェットコースター気分を味わったキズナは、ダメージから膝をついた。

 口の中に血の味が広がる。治癒魔術で即座に治癒可能な程度でしかない。

「やはり妙。どうにも、手応えがありませんね。例の浮遊の権能による防御というわけでもないようです」

 韋駄天は、己の手応えとキズナのダメージによる比較ではなく、純粋な直感から生じた違和感に言及する。

「以前のあなたほどの圧を感じない。いえ、先ほどのあなたほどのと言いましょうか」

「何が言いたいのかな?」

「いえ、単なる気のせいということもありましょうが。……多少乱暴ですが、確かめさせていただきたい」

 韋駄天は、相変わらず飄々とした態度で剣を振るう。速度に於いて、軍神は他の神格を上回る。とりわけ、神速を持っている者は基本的に目にも止まらぬ速さで動く。対応するには、同様の権能を持つか、勘を頼りにするか、それとも武芸の真髄を極めて見切るかしかない。そして、現状のキズナがとりうる手段は勘以外にはない。

 それでも、危機管理能力は人一倍高い。もともと最高位の媛巫女であるキズナには嫌な感じを読み取る能力が先天的についている。加えてカンピオーネの動物的直感が恐るべき精度で危機を感じ取ることに繋がっている。

 九本の尾と直感を駆使して、キズナは韋駄天の攻撃をかわし、いなし、捌いていく。武技の差、身体能力の差を考慮しても、これほどまでに的確に攻撃に対処することができるのはカンピオーネならではと言える。

 それでも劣勢を覆すには至らない。

 それどころか、徐々に形勢は韋駄天に傾いていく。

「く……!」

「やはり、そうか。あなたは……」

 韋駄天はダメージを無視してキズナの懐に飛び込んだ。無論、そんな行動に対して何もしないわけがない。当然のようにキズナは尾を振るい、それを当然のように踏み越えてきた韋駄天に目を向いた。

 そして、韋駄天は手を伸ばしてキズナの首を掴むと、恐るべき腕力でキズナの身体を地面に押し倒した。

「なん……ぐ、がッ」

 押し倒すと同時に、韋駄天は両刃の剣をキズナの腹に突き立てていた。

 衣服にじわりと鮮血が広がっていく。

「なるほど、贋者でも血が出るのですね」

 韋駄天は納得したというように頷いた。

「ぐ、は、あが、く……」

 キズナの口からごぼり、と血が零れ落ちる。

「権能を付与し、私と戦えるほどの分身体ですか。本物と遜色ないとは驚くばかりですね」

 いつの間に入れ替わったのか。韋駄天と戦っていたのは、キズナの分身だったのだ。韋駄天は戦いの中で常に感じ続けていた違和感の正体に気付き、大いに納得した。なるほど、確かに権能を操る分身であれば『まつろわぬ神』と対等に戦えるかもしれない。だが、それは本体を上回るということには繋がらない。あくまでも、戦いは本体であるカンピオーネ自身とでなければならないし、カンピオーネ本人以外に『まつろわぬ神』の討伐はできない。それも、本体自身が分かっているだろう。ならば、この分身体をわざわざ作り出した理由は何か。

 韋駄天の戦力を調査するためか。否だ。韋駄天と彼女たちは千年前にすでに戦っている。権能を増やすことのできるカンピオーネと異なり、『まつろわぬ神』は完成しているが故に変化は生じない。今さら分析する意味はない。

 そして、韋駄天は周囲に目を向ける。

 シティ・オブ・ロンドン。

 故郷である日本とはまったく異なる異国の街並がそこにはある。人間からすれば歴史ある建物と新しい建物を共存させた都市というのは扱いが難しい。そのような細かい考えは彼には想像もつかないことであるが、重要なのは、この地が日本と異なるということと、非常に大きな都市だということである。

 電気を支配するようになってから、人間は闇を駆逐してきた。

 この街のような大都市は夜になってからも人口の光が星星の光を遮るものなのだ。だが、奇妙なことに、いつの間にか街の明かりが消えていた。人の気配もない。その程度の瑣末事に意識を割いていなかったので気付かなかった。

「ああ、なるほど」

 そして、韋駄天はやっとキズナたちの意図を理解した。

 つまり、コレは時間稼ぎ。

 人間たちを避難させる時間を手に入れることが分身体の目的だったわけだ。

 そのため、この分身体には韋駄天と交戦するだけの力はあっても打倒する力は与えられていなかった。だとすれば、この場を戦場とするのに否やはないということだ。

 韋駄天はキズナに突き立てた剣を引き抜いた。

「あぐ、あッ」

 キズナが痛みから苦悶の声を漏らす。討つべき敵の苦悶に同情の意を示す武神はいない。これが本体ではないとしても、カンピオーネに作られた権能である以上は、無視して本体を探すわけにはいかない。

「どの程度で消えるか分かりませんが、苦しまずに逝けるといいですね」

 すっかり抵抗力を失った分身体が消滅するまで、韋駄天は剣を突き刺し続けた。

 

 

 

 □

 

 

 

 キズナの分身が韋駄天を引きつけている間に、キズナの本体及び龍巳、アイーシャは戦場を一時離脱していた。

 ロンドン橋周辺を戦場とすることに確定している。

 川幅の広いテムズ川に架かったロンドン橋は、道幅も広く、周囲に建物もないという点で戦場に相応しい。だが、時間帯が問題だった。

 夜とはいえ深夜に至らない時間帯に車通りのあるロンドン橋で戦うわけにはいかない。賢人議会に状況を報告しても対応には時間がかかる。ならば、それも含めてできる者がやるべきだ。

「まさか、韋駄天様にまたお会いすることになるとは思いませんでしたね~」

「ほんと。わたし、あの時、確かに殺したと思ったんだけどね」

 千年前の戦いを思い出し、キズナは眉根を寄せる。権能の簒奪には至らなかったものの、確かに討伐した手応えはあったのだが。

「どういうわけか復活されていたみたいですね」

「別にいいわ。もう、ここまで来たら、今度こそ引導を渡してやるわよ」

 敵は千年前の遺恨を晴らすつもりでいる。ならば、ここで逃げたところで追ってくるだろう。基本的に不老不死の神々だ。どちらかが死ぬまで追いかけっこは続くし、そうなると相手の方が優位に立つ。

「そのために、戦場を整える必要があるわけで……」

 キズナは周囲を伺う。

 未だに街の明かりが消えず、車が行き来する大通りは、並大抵の規制では即座に人気を立つことは不可能である。人払いでも、広範囲に効果を発揮するのは無茶というものだ。

「どうする?」

 龍巳が尋ねた。

「必要なら、俺が向こう側での人払いをするけど?」

 車の行き来を遮断するなら、ロンドン橋の反対側も効果範囲に含める必要がある。それほどまでに広いから、賢人議会もすぐに対処することができない。

 だが、キズナはここで首を横に振った。

「その必要はないよ、龍巳。ここで、この街の人たちには、自発的に安全圏まで逃げてもらうから」

「自発的に?」

「うん、こうやって」

 キズナがスマートフォンを掲げる。

 すると、一瞬にして街の明かりが失われた。

 グレムリンの権能で、停電を引き起こしたのだ。電気及び電気信号を操り、また、それらが流れる物体を使い魔として支配下に置く。これが、グレムリンの権能。それを掌握しつつあるキズナは徐々にその効果範囲を拡大させていたのだ。

「これで、科学の目を潰したわ。この辺りの電子機器は全部使えなくなった。わたし以外にはね」

 これで、個人のカメラ――――携帯のカメラ機能なども含めて電子製品は使い物にならなくなり、人は星の光だけで世界を見なければならなくなった。情報漏洩の可能性をまず潰す。

「ちょっと、集中させてね」

 キズナは壁に背中を預けて目を瞑る。

 その身体からパチパチと紫電が弾ける。

「パスワード入力を【無視】認証は【強制】ファイアウォールは【無効】……」

 キズナがぶつぶつと言葉を紡いでいく。

 グレムリンから得た権能を全力で行使しているのだろう。言葉の中には、とても言語とは思えないようなものもある。

「……指定範囲内の特定物を除く全電気信号を【掌握】」

 キズナが目を開く。その時には、すでに変化が生じていた。

 道を行き来する人々がふらふらしながら同じ方向に歩き出したのである。その目は、どことなく虚ろだ。

「あ、あの~、キズナさん。いったい何をしたんですか?」

 幽鬼のような人々を心配そうに眺めながら、アイーシャが尋ねた。

「ん? 詳しくは分からないけど、人間の脳って電気信号で動くのよ」

「へぇ!?」

「あれ、アイーシャ知らなかった?」

「いや、知ってましたけど。じゃあ、もしかしてこの方たち……」

「電子機器と同じ要領とはいかなかったけどね。単純な命令なら、こうしてピピッとやればできるみたい」

 スマートフォンを弄りながらキズナはなんでもないようにいう。

「ああ、ようするに人間をラジコンにしちまったわけか」

 電気信号で人間を操る。情報端末に侵入し、その上で弄り回すように人間の身体に流れる電気信号を操って感情や記憶にまで干渉する。厄介なのは干渉そのものが呪術的でありながら結果には呪術が関わらない。呪術による洗脳のように、術が解ければ洗脳が消えることはない。キズナによって書き換えられた記憶は、キズナが元に戻さない限りは戻らない。

「まあ、これが通じるのは一般人までで、呪術師には通じないみたいだけどね」

「まさか、誰かに干渉したのか?」

 恐る恐る龍巳が尋ねると、キズナは頷いて肯定した。

「賢人議会の人が何人かいたからね。ちょっと試してみた」

「そんな恐ろしい権能をむやみやたらに使うな!」

 龍巳はキズナの額に手刀を落とした。

「むぅ……大丈夫よ。使い勝手悪いし、洗脳なんてする意味がないし」

「しないでくれよ、本当に」

 カンピオーネという時点で、利益を得るために他者を洗脳する意味はほとんどなくなる。人を操り人形にして遊ぶようなことがなければ、この力を乱用することはないだろうが、それでも心配にはなる。グレムリンの権能は、あまりに人類社会にとって毒となる可能性が高い。危険性の高さは、敵視される可能性の高さでもある。

「でも、これで一帯の人たちは進んで離れて行ってくれる。あっち側の人たちも同じよ」

 キズナは橋の向こう側を指差して言った。

 周辺住民の避難が済み、自動車に関してもグレムリンの権能で支配されてしまっているため立ち往生となっている。これで、新たな自動車が戦闘区域に侵入してくることはまずない。

「じゃあ、後はアリスさんたちが上手いこと人払いを完成させてくれればいいわけだな」

「うん、そうだね」

 キズナは頷いた。

 避難が完了するまで、十五分以上はかかるだろう。すでに、韋駄天と戦い始めてから二十分が経過している。流れ弾の危険性を考えれば、二から三キロは離れて欲しいものだ。

「幸い、韋駄天は剣で戦うタイプだろ? なら、流れ弾はこっちのヤツくらいだな」

「そんなヘマはしない、と思う」

 遠距離攻撃を得意とするキズナの矢は、数キロ先を射抜く。避難先に矢が落ちる可能性は否定できないのだ。

 

 

 しばしの安息が許されたのは十数分に過ぎなかった。もとより分かっていたことだ。分身体による時間稼ぎには限界がある。避難誘導に十分な時間が取れたとは思えない。少なくとも、ロンドン橋付近に人影がなくなったことが幸いだった。

「げほ、げほ……」

 キズナは腹部を押さえて蹲った。

 口の端からは血が滴っている。

「キズナ」

 龍巳が背中を摩る。

「大丈夫。分身がやられただけ。すぐに治癒できる程度のフィードバックだから」

「とにかく物陰に隠れましょう。韋駄天様に見つかるにはまだ早いです」

 アイーシャはハンカチを取り出してキズナの血を拭き取って言った。

 キズナは息を吐いて立ち上がり、身体の調子を確かめる。問題はなさそうだ。それにしても、ざくざくと乙女の身体を傷物にするとは、仏の風上にも置けないヤツだ。殺す理由が増えた。

「とりあえず、そこのカフェに身を隠そう。路上にいるよりはましだろう」

「そうね。でも、そのまえに」

 キズナは呪力を練り上げ、百鬼夜行を召喚する。

「雑兵は必要でしょう」

 その数は千を越える。この百鬼夜行を、ロンドン橋を中心に解き放ち、自立行動を取らせて韋駄天を攻撃させる。

「ナウマク・サマンダボダナン・インダラヤ・ソワカ」

 そして、キズナは空に虹の矢を打ち上げた。虹の矢は天高く舞い上がり、爆発するとともに虹の星空を作り出した。

「はわ~。綺麗ですね~」

「空と地上から韋駄天を狙い撃ちよ。これで、さらに時間が稼げる」

 空の星が一つひとつ、地上に落ちる。その先には韋駄天がいるのだろう。百鬼夜行も、その箇所を目指して進軍を始めた

 韋駄天のいる辺りはすでに人気が絶えて久しい。空から地上への狙撃であれば、当然流れ弾で人を傷付ける心配もしなくて済む。

 そうしてキズナたちは、ガラス張りのカフェの中に入った。

 店内は停電の影響で真っ暗だ。だが、呪術の心得がある者、並びにカンピオーネは暗闇を見通す力を持つ。この三人にとって、この闇は歩みを滞らせるものにはならない。

 キズナはテーブルに腰掛けて外を見る。イスに座らないのは、すぐに行動を起こせるようにするためだ。

 使い魔の目を通してみる限り、韋駄天に傷はない。余裕でキズナの放った雑兵を討ち取っていく。

 遠雷の如き爆発音が立て続けに聞こえてくる。

「アイーシャ。癒しの権能の反転は終わってる?」

 キズナはアイーシャに尋ねた。

 アイーシャが持つペルセポネーの権能は、どれほどの重傷であったも瞬時に治癒させることができる癒しの力と、敵を奈落に叩き落し周囲一帯を極寒の世界に変える冥界の力がある。通常は治癒の力を使っているのだが、戦闘に際してこれを反転させ奈落の力へと変貌させるのである。

 キズナの問いに対してアイーシャは頷いた。

「大丈夫です。いつでも使えます」

「タイミングを見計らって叩き落してやる。前回よりも念入りにね」

 アイーシャの攻撃は非常に強力だが、使いどころが難しい。連発もできないので、一撃で決める必要がある。その一方、キズナの力は汎用性が広い。使い勝手もよく、一撃の重さよりも手数を重視するタイプと言えた。

「やっぱり前衛はわたしなのかな」

「う……すみません。わたくし、戦闘はちょっと苦手なもので」

 はにかむアイーシャをキズナはジト目で睨む。

 魔王としての活動期間はアイーシャのほうが長いはずだ。所有する権能も一つ二つではない。彼女はこの時代に於いても古参の一角なのである。それで戦闘が苦手とは、よく言ったものだ。つい先日も、キズナを奈落のそこに叩き落そうとした人物である。見た目や言葉に騙されてはいけない。

 とはいえ、アイーシャの力は生き残ることに特化した力でもある。正面からの火力のぶつかり合いでは、やはりキズナが矢面に立つしかない。

「はぁ……これが神殺しって、世の中どうかしてるわ」

 キズナはため息をつきながら戦況を確認した。

 敵の進路を遮りながら百鬼夜行が奮戦するが、それで戦況をひっくり返せるわけではない。情報伝達用に放っているフクロウの使い魔も、一匹また一匹と潰されていく。そろそろ潮時と見るべきだろう。

 その時、キズナに情報を送っていた使い魔からの映像がすべて途絶えた。上空に白い光が現れるのは、それとほぼ同時だった。

 キズナはテーブルから飛び降りて龍巳を抱きかかえ、ガラスを突き破って外に飛び出した。襲い掛かってくる猛烈な爆風と呪力が、キズナと龍巳を打ち据える。

「ッ……」

「龍巳、無事!?」

「ああ、なんとかな」

 龍巳は頭を振って前を見る。そこには、無残な姿となったカフェの姿があった。ガラスはすべて吹き飛び、店内は吹きさらしの状態になってしまっていた。内装は原形を留めておらず、雑居ビルは今の一撃で半壊になってしまった。

「アイーシャさんは……大丈夫か」

「少しは心配してください!」

 ゴロゴロと二人の下まで転がってきたアイーシャが抗議する。

「いや、アイーシャさんは早々死にはしないだろうなとは思っていたので」

「もう、龍巳さん。わたくしだって、死ぬときは死にますからね。いたいけな女子を捕まえて酷いことを言わないでください」

 頬を膨らませて龍巳に食って掛かるアイーシャの足をキズナが払う。

「ひゃわッ」

 アイーシャが尻餅をつくと、彼女の頭の上を剣が掠めて飛んでいった。

「あ、ありがとうございます」

「どーも」

 そして、キズナはアイーシャから店内に視線を戻した。

 呪力を伴う紫電が所構わず駆け巡る。激しく、濃密な、常識外れの呪力の塊がそこにはあった。おそらく、この店の襲撃も手を抜いたに違いない。これは存在そのものが大魔術を凌駕する奇跡――――神々の道具、神具と呼ばれる不滅の兵器だ。

 まず、現れたのは勇壮な四頭の馬。まるで兄弟姉妹であるかのように、そっくりな白馬である。これが真横に並んでいる。そして、その馬に引かれる形で戦車(チャリオット)が悠々と姿を現した。

「さて、人気もなくなったことですし、いよいよ雌雄を決する頃合と見ますが、如何でしょうか?」

 韋駄天は、戦車の上で人好きのする笑みを浮かべる。だが、その奥にあるのは明確な殺意と戦闘欲である。

「生身の女の子を相手に戦車まで引っ張ってきますか……男としてどうなのよ、それ」

「ハハハ、面目ない。ですが、貴女が神殺しである以上、性差など大した問題になりませんよ」

「最悪だわ、この神」

 世界最古の男女平等思想は殺し合いの中で育まれていた。衝撃の事実である。

 しかし、軽口を叩くキズナは内心で焦りを抱えてもいた。

 目の前には神馬に引かれた強大な戦車。間違いなく神具であり、多くの神具は神々でも破壊不可能な不滅不朽に分類される。つまり、韋駄天が駆る戦車は傷つかず、その大質量と加速力で敵を蹂躙できる移動要塞となっているのだ。

「では、先手は頂きます」

 そして、韋駄天は神馬に鞭を入れる。白銀と紫電を放ち、爆発的な加速で戦車は光と化した。光球は、一瞬にして二人のカンピオーネとその従者を飲み込んで、地面を消し飛ばし、路地に断層を作って空に舞い上がっていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 三人揃って、闇だけが広がる空間にいた。

 白銀の閃光に飲み込まれた時、何かに引きずりこまれるようにしてこの空間に連れ込まれたのである。

 左手に火傷を負ったキズナが仰向けに倒れている。アイーシャは顔を青くして呼吸を荒げており、呪力を大幅に減じていた。五体満足なのは龍巳だけだった。

「みなさん、ご無事ですか?」

「おかげさまで、俺は……」

「……助かったわ」

 アイーシャに礼を言うのに一瞬だけ躊躇したようだが、キズナは顔を背けて礼を言った。

「いえ、なんとか生き残れてよかったです」

 アイーシャは朗らかに笑った。しかし、その笑みには多大な疲労の色が滲んでいる。

「これが、アイーシャさんの旅の権能なんですね」

 龍巳があたりを見回すと、ポツポツと白い光の点が見える。

「はい。あの一つひとつがそれぞれ別に時代に繋がっているのです。今回は、この権能と幸運を引き寄せる権能のお陰で緊急避難できました」

 この暗闇を外の空間と切り離されているらしい。表での破壊は、ここには届かない。どうしても避け切れない攻撃に曝された際に、絶対に回避できるのだから、アイーシャの生き残る力の高さが伺える。

「キズナさんの治療もここでしてしまいましょう。しばらくすれば、勝手に向こうに連れ戻されてしまいますし」

 そういって、アイーシャはキズナの傍らに跪いた。

「別にいいわよ。アイーシャ、今から再反転するわけにはいかないでしょ」

「ですが、わたくしはこれといって戦えるわけではないですし」

「いいって。自分の傷くらい自分でなんとかできる」

 キズナは上半身を起こした。吹き飛んだ袖からのぞく腕は浅黒く変色し、血が滲み出ていた。荘子の権能を以てしても、完全に受け流すことができず、左手を楯にした結果だった。

 九尾化していれば、もう少しは耐えられたはずだったが、今さら言っても仕方がない。

「龍巳、ちょっと」

 キズナが龍巳を呼び寄せた。

 龍巳はすぐさま、キズナの側にやってくる。

「うん、どうした」

「血」

「え、あおわ!?」

 そして、キズナは龍巳の襟首を掴んで自分に相手が圧し掛かるように引き倒すと、牙を首に突き立てたのである。

 ヴラド三世。またの名をドラキュラ伯爵。二つの顔を持つ神から簒奪した権能により、キズナは吸血を通して自身の能力を強化する力を得た。

 キズナの吸血は牙を通してするものではない。あくまでも、噛み付きは皮膚を破り血管から出血させるためのものである。傷口から血を吸い出せばいい。

「ん……ふぅ……」

 鉄錆の味が口内に広がり、喉に絡みつく液体を味わう毎に、キズナは身体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じた。次第に左手の傷もビデオの逆再生のように修復され、痛みが消えて自由を取り戻す。

「……もう、いいか?」

 龍巳はキズナの傷が癒えたことを確認した聞いた。実際、このように傍目から見れば押し倒したような格好になっているのは恥ずかしく、そして体力も使う。

「ん? ……もう少し」

 だが、キズナは物足りないとばかりに龍巳の背中に両手を回し、首筋に吸い付く。

 それはまるで麻薬のようだ。血の味は何度となく味わってきたが、この権能を使っている最中は多幸感すら覚えてしまい頭を痺れさせる。鉄錆の味を甘露のようだと感じてしまうほどに、舌も頭も痺れきっていた。獲物を逃さぬとばかりに、キズナは両足も龍巳に絡めて固定する。

「んー、ん……」

 こくこく、とキズナは喉を鳴らして龍巳の血を嚥下した。

 

 

 うっとりとした表情で、キズナは龍巳から離れた。

 頬だけでなく瞳までも紅く染め、キズナは唇についた鮮血を名残惜しそうに舐め取る。

「えへへ、ごちそうさま」

「おう、そうか……」

 やっと解放された龍巳は、少女に襲われて顔を紅くしているかと思えば、逆で顔が真っ青になっていた。

「や、やりすぎですよ、キズナさん~! 龍巳さん、すっかり貧血じゃないですか!」

「あ、あれ、そんなにしちゃったかな」

 ふらふらしている龍巳を心配したキズナは、気がつくと彼の首筋に牙を突き立てていた。

「……て、何をしてるんですか!?」

「ハッ、しまった、つい」

 キズナは唇を離しておどけて見せる。誘惑に負けない強い気持ちを持つことが大事だと、自分に言い聞かせる。

「もう、これ以上はダメですよ。いつまでもそうしていたら、龍巳さんが枯れてしまいます」

「分かってるわよ……」

「枯れるとか言うな……」

 くるくると回る視界の中で、龍巳は反論した。

 

 キズナに血を分け与えすぎたことで、龍巳はしばらく横になる必要を生じた。反対に絶好調になったキズナが治癒術をかけているお陰で即座に戦線復帰が叶いそうだ。

「表に出たら、龍巳は全力でロンドン橋の向こうまで走ってね。あっち側はさらに深く人払いをしないといけないと思うから」

「分かった。そうしよう」

 キズナの精神支配も完璧とは言い難い。人も車も遮断したが、その奥からやって来る人にまで干渉できるわけではない。賢人議会がその辺りを上手くするだろが、こちらでもやっておくことで後々借りを少なくしようというのである。

「アイーシャは、まずは出てこなくていいかな。先手はわたしがするし、アイーシャは一撃でかいのを決めてくれればいい……とにかく韋駄天はここで倒す。ほっとくと東征を始めかねないしね」

 東征。普段生活している中ではなかなか聞かない言葉である。

 神武東征やヤマトタケルの東征など、神話上にはいくつか東の敵を討ち果たす際に使われている。

 では、なで韋駄天に東征などという言葉を使うのか。

 それは、韋駄天と習合、同一視される神々の性質によるためである。

 『まつろわぬ神』の多くは、同一視によって他の神の伝説を取り込んでいる。吸血鬼ですら、ヴラド三世という側面を持っていたのだ。韋駄天にもそういった別の神としての側面があるのだ。特に、仏教は零から始まったものではなく既存の宗教から派生したものだ。仏には下となった神がいる。そして、日本の仏教はそこに加えて神道の神々をも習合させている。名のある仏ほど、多くの性質を併せ持っている。

 そして、その中でも韋駄天というのは極めて特異な経歴の持ち主なのだ。

「東征、か。なら、韋駄天が乗っていた戦車は」

「ゴルディアス王の戦車で間違いないわね。ご丁寧にゼウスの雷撃のおまけつきだし」

 キズナが視た戦車の由来。ゼウスに捧げられたゴルディアス王の戦車。そして、その戦車の持ち主で、東に伝わったのは一人しかいない。

「要するにアレは、アレクサンドロス大王の権能というわけ」

 世界で最初に大帝国を作り出した英雄。紀元前、日本がまだ文字を得る前の未開の時代に、東の果てから軍を発し、ペルシャを討ち、エジプトを解放し、インドにまで迫ったマケドニアの王である。

 世界を蹂躙し、一路東へ東へ進んだ王の快進撃によって文化の衝突と融合が発生し、ヘレニズム文化が誕生したというのは有名な話である。

 かの王の名は畏怖と共に世界に伝播し、イスラム世界ではイスカンダル、アラブではズルカルナインと呼ばれ、クルアーンにまで偉大な王として記憶されるに至る。インドに迫ったアレクサンドロス大王はその後の歴史の中で伝説化し、やがてインド神話に取り込まれてスカンダという名の神になる。そして、それが仏教に取り入れられて誕生したのが韋駄天という仏なのだ。

 アレクサンドロス大王は志半ばで不慮の死を遂げたが、その名は文字通り世界の果てまで轟いたのである。

「韋駄天がゴルディアス王の戦車まで持ち出してきたんだから、向こうも本気ってわけね」

 敵も持てる力を尽くしてキズナたちを討とうとしている。

 生半可な気持ちでは、到底勝利を収めることなどできはしないのだ。

 

 上空に見える光が強くなってきた。

 戦いの時がすぐそこまで近づいてきているのである。

 


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