極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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二十四話

 漆黒の世界から飛び出したキズナはアイーシャと分かれて走り出す。

 荘子の権能からビルの外壁をすり抜け、直線で移動する。敵は白き光を放って夜空を駆けている。膨大な呪力を振り撒いているので、見なくても位置が分かる。

 キズナは虹の弓を構えて、矢を放つ。

 敵の武装は戦車だ。神話に名高い王権の戦車。ゴルディアス王の戦車。そして、それを引くのは神獣クラスの馬が四頭。速度は場合によっては神速にまで到達するだろう。

 キズナの矢が敵の戦車に当たる前に、戦車が姿を消した。

 悪寒に促されるままに、キズナは上空に転移する。その直後、キズナが直前までいた場所が大きく抉り取られた。

 神速での突撃を敢行したのである。

 直撃を貰えば、荘子の権能でも受け流せない。即死はしないだろうが、重傷は間違いなく負う。

「ハハハ。そんなところに跳びましたか。なるほど、貴女の権能は空間を跳ぶこともできるわけですね! それはなかなかに厄介だ!」

 韋駄天は即座に方向を変えて、キズナに向かって矢を射放つ。牽制にもならないとキズナはこれを虹矢で尽く射落とした。

 ビルの屋上に着地したキズナは、韋駄天の戦車に向かって無数の矢を放った。

 星のような弾幕に曝された韋駄天の戦車は、驚異的な耐久力でこれに耐える。虹色の爆炎が上がり、戦車の動きを縫いとめるのだが、ダメージを与えるには至らない。

 勢いのない戦車などただの的。

 だが、神獣も韋駄天も弾幕の中で傷を受けないのは、おそらくは戦車そのものに結界を発生させる能力があるからだろう。

 韋駄天と神馬は、戦車に繋がっている間守られている。

「反則でしょ、それは」

 馬や御者は戦車の急所である。確かに、古来戦車は戦場で重宝され、その機動力は多くの歩兵集団を蹴散らしてきた。エジプトから古代中国まで、紀元前の世界を席巻した革命的な兵器だったのだ。

 しかし、その一方で多くの問題を抱えていた。

 御者が無防備になるという点や、戦車の耐久性から走行不能に陥るなどである。また、一台の戦車を引くのに必要な馬の数が多いなどの問題もあった。機動力でも騎馬に劣るのは隠しようがなく、中国では早々に騎兵に取って代わられたし、古代ローマの戦場でも瞬く間に姿を消した。

 しかし、あの神具になった戦車はそういった問題を何一つ持っていない。耐久力は神具ゆえに折紙つきで、馬を射殺そうにも結界のような防御幕に守られている。そして、それらの守りは突撃時に於いて、物理的な壁となってキズナを押し潰す。

「あの防御幕をぶち抜く一撃でないとダメか……」

 突破力のある攻撃を正面から当てる必要がある。

 キズナは薄ら笑いを浮かべた。

 まったく、困難な事例ではないか。神速で移動する戦車に、力を溜めた攻撃を直撃させる。それは神業に等しい。キズナの虹弓では呪力を溜めるのに時間がかかる上に、突破力のある矢は連射できない。神速に突入させるにしても、追いかけっこになればこちらの矢が先に呪力を失って消滅するだろう。

 ようするに、今のままではジリ貧ということだ。

 キズナは豪風に先んじて真横に跳んだ。莫大な呪力が、遅れてキズナの全身を叩き、コンクリートが融解して屋上が真一文字に切り裂かれる。

 焼けた鉄の臭いに顔を顰め、空を駆ける一陣の光を睨む。

「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・カン」

 不動明王の真言を唱える。脳裏に描くは燃え盛る炎と地に突き立つ剣。激しい熱と共に、キズナの右手に一振りの大太刀が現れる。

「ほう……新たな権能ですか。千年前には見ないものです。興味深い。すれ違い様に私を斬り付けるつもりですかな」

 韋駄天は空から日本刀を見て、微笑む。

 実に可愛らしい思考だ。このゴルディアス王の戦車を、あの一振りで斬り裂けるはずもない。

 大太刀の周囲が陽炎のように揺らめいている。恐らくは膨大な熱量を内包しているに違いない。あの剣は倶利伽羅剣を模した物。つまり、倒したのは不動明王か。

「またしても仏法を犯しますか。許し難い暴挙ですね」

 神殺しへの憎しみはない。

 軍神は敵への憎しみではなく、慈悲の心を持って敵を打ち砕き、改心させるために存在する。

「貴女の犯した罪は重い。ならば、死を以て償われよ。僭越ながら、私が介錯を努めさせていただきましょう」

 韋駄天は神馬に鞭を打って、戦車を走らせる。

 キズナが立つビルを迂回するように大きく弧を描く。

 戦車はすぐには神速に突入できない。十分な加速を得て、その領域に飛び込まなくてはならないのである。だが、一度神速に突入すれば、それは正面から受け止められるものではなくなる。神速はあまりの速さのために細かい動きができなくなるというデメリットがあり、殴り合いにはあまり向かないとされる。しかし、戦車はその巨体でただ体当たりをすればいいというだけである。細かい制御など、もとより必要ない。

 韋駄天の戦車は加速度を増していき、そして、ついに神速の領域に突入した。

 

 

「ッ……」

 幾度目かの激突で、キズナは床面に叩きつけられた。

 額から血が滴り落ちる。

 不動明王の権能を圧縮して、一振りの剣の形にした大太刀は、一点に火界呪の炎熱が集中しているために瞬間的な威力はキズナの持つ権能の中でも随一である。触れたものは一瞬で蒸発させ、後には何も残らない。そういうレベルの破壊を齎すものなのだ。

 しかし、今回は相手が悪い。

 神速で突撃してくる戦車に対して、剣を振るうのは大きなリスクを伴う。

 僅かでも刃の入りが悪ければ、腕を持っていかれる。それだけでなく、刃が立たなかったら、キズナは一撃で粉砕されてしまうだろう。

 これまでに繰り返された数度の激突は、キズナの方が正面から受け止めるのを避けて勢いを逸らす形であったが、それでも荘子の権能では受け流せないほどのダメージを受けていた。

 腕の関節が外れそうだ。

 まるで空から落ちる星のようではないか。

 白銀の尾を引いて、彗星はロンドンの夜を斬り裂いていく。

 常軌を逸した威圧感。

 戦車がこちらに馬首を向けただけで、信じがたい圧力が全身を襲う。

「さすがに『まつろわぬ神』は違うわね」

 息を切らして、キズナは立ち上がった。

 空気が焼けている。荒れ果てた屋上は、その八割が削り取られて下のフロアが見えている。空を飛べるキズナには足場はあまり意味がないのだが、それでも、地に足つけるかどうかは踏ん張れるか否かという点で大きな違いだ。

 襲い掛かってくる白銀の猛威。白い輝きを、キズナは大太刀で斬り付ける。

「ぐ……ッ!」

 炎を纏った刃が、神馬の正面に展開されている呪力の壁と噛み合う。

 それも一瞬、キズナの刃は呪力の壁を切断することができず、弾き返される。猛烈な突風が吹き、呪力が炸裂する。刃が弾かれた勢いを殺さずに反転して身体を投げ出す。

「出鱈目な頑丈さ……おまけにそれが攻撃にも使えるなんてね。ゲームじゃないんだから移動要塞なんてチートだしてくんじゃないわよ」

 毒づきながらキズナは次の攻撃に備える。

 こうなったら「インドラの矢」を使うしかない。『炎魔の咆哮(ハウリング・ブレイズ)』で炎の壁を作ったところで、おそらくは突破される。おまけにそれを一点に集中した大太刀は、まったく刃が立たない。認めたくないが、これでもまだ足りないのだ。

 『神なる虹の弓(シュート・アン・アイリス)』の最大攻撃形態「インドラの矢」。一度放てば周囲一帯に虹の雷撃を叩き落し、破壊し尽くす。神代に於いて魔物の群れを焼き払ったインド神話最大の兵器だ。代償として、しばらく帝釈天の権能が使えなくなるが、韋駄天相手にただの虹矢は効果がないのは実証済み。使えなくなったところで、困ることはない。

 だが、必殺の切り札を確実に当てられる保証はない。

 神速で三次元的な動きをする戦車には、こちらからの攻撃が当たらない。

「そろそろ限界ですかな。陰陽師殿」

 反響する声が何処から降って来る。彗星はキズナのいる場所からおよそ五百メートルほどのところを旋回している。

「生憎、まだまだ元気よ」

「ふふふ、それは重畳。しかし、剣折れ、矢尽きた様子。まだ、隠し玉があるのでしょうかな?」

「さて、どうでしょう」

「言葉にせずとも、私を倒す秘策あり、ですか。面白い。では、確かめてみましょう」

 声が途切れ、彗星が再加速する。空高く舞い上がり、ジェットコースターのように駆け下りてくる。重力まで利用した加速は瞬く間に戦車の速度を神速の領域に押し上げる。

「ッ」

 キズナは受けるのを諦め、転移で逃亡する。

 キズナが消えた屋上を、彗星が真上から押し潰し、ビルを粉砕した。飛び散る瓦礫が周囲の建物を突き刺さり、地面に転がる。

 高層ビルを縦に押し潰す驚異的な威力に、キズナは背筋が凍る思いをした。

「わたしだって、それくらいできるし……」

 地上に現れたキズナはロンドン橋の方向に地面スレスレを飛ぶ。

 その方向には、アイーシャが控えているはずだ。

「ぐ……カハッ」

 ガクン、と飛行速度が遅くなった。

 喉奥から血が込み上げてきた、口元を紅く濡らす。

 転移を連発したことによる呪力の消耗。そして、戦車による度重なる打撃が響いていたのか。

 特に転移は確実に敵の攻撃を回避できる反面、身体への負担が大きいものである。その負担は移動距離に比例する。今回は、移動距離そのものは長くないものの、戦車の攻撃を避けるために高頻度で転移を連発した。一メートル程度の転移でも、数を積み重ねれば身体の内側に深刻なダメージを蓄積する。

 意識が遠のき、キズナはついにバランスを崩して地面に墜落した。そのまま、勢いのまま地面を転がる。

「う、ぐ……」

 咳こみ、そのたびに血が出る。

 これだから神速の敵との戦いは嫌なのだ。ただ神速で移動するだけならばまだしも、それ自体が強烈な攻撃になっているものは、防御できない以上は避けるしかない。避け切れなければ転移に手を出さざるを得ない。今回は転移を強いられすぎた。

「立ち止まってもいられないってのがキツイよね」

 頭がぐらぐらする。

 それでも、キズナは前に進む。

 背後から猛烈な呪力を感じて、キズナは飛び退いた。同時に印を結び結界を張り、グレムリンの権能で道路の放置されている車を引き寄せて簡易的な壁にする。 

 紅蓮の爆発とそれを貫く白銀があった。

 権能で強化された自動車も、紙屑のようにあっけなく吹き散らされた。キズナは展開した結界に弾力性を与え、戦車の突撃の勢いを利用して一息にその場から距離を取った。

 ゴム鞠のように飛ばされたキズナは空中で姿勢を整えて滑空する。

 左右がビルに囲まれた大通りならば、戦車の突撃は背後か前方の二箇所に絞られる。突撃の入射角が分かれば対処もしやすくなる。

 キズナがロンドン橋に辿り着くまでに三度の突撃があり、それらを辛うじて掻い潜って何とか目的地にまで辿り着いた。

 ゼェハァと息を切らす。膝が笑い出しそうなほど疲労している。

 ともあれ、辿り着いた。

 この橋の上であれば、周囲を巻き込むような権能を行使しても問題ない。

「まずは、あなたの足をそぎ落とす」

 お返しだとばかりにキズナは凶悪な笑みを浮かべる。

 瞳を血色に染め、漆黒のロングコートを身に纏う。フードで頭を隠したキズナは停電したロンドンの夜に完全に溶け込んでいる。

「何か仕掛けてくるおつもりですな。受けて立ちましょう。神殺しの陰陽師!」

 ロンドン橋は幅の広い直線だ。

 当然、戦車が走行するのに不自由するところはない。十分に加速して、韋駄天は神速の突撃を敢行する。

 策があるのは見れば分かる。だが、それがどうしたというのか。この戦車は攻守共に図抜けている。敵の攻撃を寄せ付けない防御力はそのまま攻撃力へと変わる。圧倒的な力による粉砕。ちっぽけな罠など恐れる必要はない。

 神速の戦車は、呪力を燃やしてアスファルトを焼きながらキズナに迫る。

 たった一人の少女に振るうには過剰な破壊力が、前面に押し出されている。

 絶望的な破壊の嵐を前に、キズナは落ち着いて聖句を唱えた。

「恨みと嘆きと絶望の円環を知れ。牙を突き立て、肉を抉り、熱き血潮でわたしの空腹を満たせ!」

 キズナの全身から広がった闇が夜と同化していく。

 瞬く間に広がった闇の領域は、見た目こそ普段と変わらないものの、明らかに空気を一変させていた。

 満ち満ちた死の気配。怖気と吐き気を催す冥界の具現。かつて、ルーマニアに顕現した串刺しの世界を再現する空間である。

 キズナの呪力の放射と共に、ロンドン橋から無数の杭が空に向かって突き出た。血の色に染まった杭が、森のように広がっていき、ロンドン橋を覆い尽くす。

「何ッ」

 韋駄天は驚愕に目を剥いて、手綱を引く。しかし、遅い。自慢の戦車は正面には固い防御膜を作っていたものの、真下からの攻撃にまで対応しきれはしなかった。

 戦車は破壊されなくとも、戦車を引いていた神馬は足を貫かれ、腹を食い破られ、喉を裂かれて血まみれになり、戦車はもんどりうってひっくり返り、韋駄天は宙に投げ出された。

「ぬうあああああああああッ」

 さらにそこに杭が襲い掛かる。

 神馬は貫かれた傷口から血を吸い取られて干からび、霧散する。そして、神馬の命を糧に、杭はさらに鋭く強靭になった。

「舐めないで頂きたい!」

 それでも、韋駄天は空中で身を捻り、剣を抜いて杭を打ち砕く。

 無数の杭で身体を斬り裂かれながらも致命傷を避け続ける様は、さすがに武人だ。

 キズナは跳躍して街灯の上に立った。

「舐めてるのはどっち?」

 キズナがそう言ったとき、ロンドン橋が真っ二つに裂けた。

 中央が崩落したのである。

「な……」

 足場を失いテムズ川に落ちていく韋駄天は、その時はまだ余裕を持っていた。足場を失った程度では、韋駄天を止めることはできない。虚空を蹴って移動することなど造作もないからだ。

 しかし、いざ虚空を蹴ろうとした時、自らの身体が上昇しないことに気が付いて唖然とした。

「バカな……これは……」

 そして、テムズ川の底から深い冥界の気配を感じて顔色を変えた。

「アイーシャの権能。前に見たでしょ。わたしにばかり気を取られて、彼女を無視したのは舐めているとしか言えないんじゃないの?」

「おのれ、神殺し。だが、早まりましたね! この権能、まだ完全に発動しきってはいない! 抜け出すことは不可能ではない!」

 千年前もそうだったように、この権能は強力ではあるが敵を即死させるほどではない。冥界の奥に引き摺りこまれなければ十分に脱出する機会はある。

 あのアイーシャを狙わなかったのは、初めから彼女が参戦することはないだろうと見てのことだ。千年前も後方に控え、助力に専念していたこともある。武神として正面から戦える相手を選ぶのは当然のことである。

 そして、あの神殺しは疲弊の極みにいる。アイーシャは必殺の一撃を今放ったところで、これを乗り切りさえすれば敵に勝算はなくなる。

 韋駄天は呪力を振り絞って重力の井戸に逆らう。吹き上げてくる猛烈な寒気が身体を凍えさせるが、それもまた戦の喜悦には及ばない。

 その様子を見て、キズナは歯噛みする。

「しぶといな、もう」 

 崩れつつあるロンドン橋に立つ街灯にしがみ付くようにしてキズナは下を眺めている。ロンドン橋は中心部分が全体の三分の一ほどが崩落している。キズナはその中心部分に残された「島」に取り残されている。

 冥界の冷気がキズナの身体まで引きずり込もうとしている。このままでは、韋駄天よりも先にキズナのほうが力尽きかねない。

 なけなしの呪力では、韋駄天に最後の一撃を叩き込むことができない。そんな色気を出せば、自分が奈落の底に落ちる。

「アイツ。もっとちゃんと制御しなさいよ」

 メキメキと街灯が折れ曲がる。キズナは慌てて飛び退き、まだ無事な橋の残りの部分に降り立つ。しかし、それもいつまで持つか分からない。

 刻一刻とロンドン橋は崩壊を続け、奈落の底に食われていく。

「キズナ。掴まれ!」

 どうしたものかと思案していたところで、キズナの元に龍巳から鎖が投げ込まれた。咄嗟に、キズナはこれを掴み、腕に巻きつけた。

 巻き込まれる危険を冒し、龍巳がすぐ側にまでやって来ていたのだ。ロンドン市内側の橋の先端に立ち、キズナに鎖を投げ渡した。

「龍巳、ナイス!」

 キズナは龍巳の鎖を命綱にして跳んだ。激しい冷気が襲い掛かってくるが、アイーシャが根性を振り絞ったのか、最後にキズナへの魔の手が途絶えた。

「ダァリャアアアアア!」

 呪力で筋力を強化した龍巳が、一息にキズナを引き上げて抱き抱えた。

「ぶわッ」

 龍巳の胸板に顔面からぶつかったキズナが妙な声を出す。

 龍巳が仰向けに倒れ、キズナがその上に圧し掛かるように倒れこんだ。

「キズナ。大丈夫か……?」

「うん。なんとか……ありがと。それと、もう一度」

 キズナは龍巳の首を甘噛みする。血を吸ったのだ。

「これで、トドメが刺せる」

 吸血によって呪力を底上げしたキズナは、立ち上がって虹の弓を召喚した。アイーシャの権能に抗っている韋駄天は、徐々に上昇しているようにも見える。あの権能を相手に、よくもまああそこまで耐えるものだ。

 だが、それもここまでだ。

「終わりよ、韋駄天。千年前の決着、きっちりつけましょう」

 韋駄天は、キズナが呪力の大半を使い果たしているとばかり思っていたために、驚愕の表情を浮かべた。

「何故、まだそれほどの力を……」

「愛かな」

 キズナは空に矢を射放った。そして、空に腕を振り上げて聖句を叫ぶ。

「魔軍を滅ぼす雷撃の神威を今ここに。空に満ちよ、嵐天の精。天を翔けよ風雨の王。裁きを下せ。雷火の鉄槌。虹を渡り、天より降れ!」

 それは、死の旋律。

 朗々と謳い上げるように紡がれた聖句は、空に虹の煌きと雷の閃光を描き出す。

 キズナの持つ攻撃手段の中でも最高峰の一撃。

 「インドラの矢」

 それを、ただ一点に集中する。

「地獄に落ちろ、韋駄天!」

 空に掲げた腕を、キズナは振り下ろした。

 虹色の雷が天下る竜のように宙を斬り裂き、韋駄天に大きな顎で喰らいつき、その身体を飲み込んだ。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 韋駄天は虹色に染まる視界の中、身体が崩壊していくのを感じた。

 呪力が霧散し、意識が遠のいていく。

 そして、虹の雷に押し込まれるように冥界の底に落ちていった。

 

 

 莫大な閃光の後には漆黒の闇だけが残った。

 キズナはさすがに力尽きて倒れ込む。その身体を、龍巳が受け止めた。

「疲れた」

「ああ、本当によくやったよ」

 見える範囲にも、大なり小なり傷を負っている。口元を汚す血を見れば、内側もかなり損傷していることだろう。

「しばらく休め。事後処理はこっちで受け持つから」

「ん……よろしく」

 そう言い残して、キズナは眠りに落ちた。

 それから、龍巳はキズナを背負うと崩落したロンドン橋を見た。

「さて、どうしたもんかな」

 『まつろわぬ神』との遭遇戦をさっそくロンドン市内で行ってしまったことは想定外であった。キズナが権能を使って迅速に避難誘導したとはいえ、生じた物的被害は大きい。

 賢人議会のレポートに、悪く書かれることだけはないように頑張ろうと心に決めて龍巳は歩き出した。


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