極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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二十六話

 パオロ・ブランデッリはイタリアを代表する騎士の一人である。その実力は国内外に広く知られ、事実上、イタリア騎士の最高峰に君臨していると言っても過言ではない。

 彼はもうじき四十に差し掛かる働き盛りにある。肉体的には全盛期を半ば過ぎているとはいえ、魔術を深く修めた彼には肉体の老化はさしたる問題にはならない。一流の呪術師は、外見も能力も年齢に左右されないのである。

 ヨーロッパに於いて、騎士とは魔術と剣術の双方を納めた達人を指す。その中でも稀有な才能を持ち、研鑽を積んだ者が到達する聖騎士の称号をパオロは持っている。そして、同じく聖騎士の称号を持つ者の中でもパオロの実力は頭一つ分以上抜きん出ている。神獣六体を相手にたった一人で戦い抜いたという事実が、その常軌を逸した実力を裏付けている。

 そのパオロ・ブランデッリが、内心冷や汗を流して対峙する輩が目の前にいる。

 月光を溶かした水晶のように煌く髪。

 人跡未踏の雪原のように、染み一つない白い肌。

 不純を許さぬ蒼穹の如き瞳。

 極東に誕生したカンピオーネ。金色の魔女とも呼ばれる謎多き少女、月沢キズナがそこにいた。

 カンピオーネには極力関わりたくないというのが、パオロの考え方である。それは、主にアレクサンドル・ガスコインという厄介な魔王を相手に立ち回った経験から来るものであるが、ここにきてまた新たなカンピオーネが現れるとは。しかも、今は《赤銅黒十字》にサルバトーレ・ドニから仕事が与えられている最中である。タイミングはこの上なく悪い。

「お初にお目にかかります。月沢キズナ様とお見受けしますが如何に?」

 慇懃に騎士の礼を執るパオロにキズナは微笑んだ。

「ご丁寧にありがとうございます。パオロ・ブランデッリ卿。高名なイタリア騎士にお会いすることができて、嬉しく思います」

 キズナも、紳士という概念を人型に凝縮したようなパオロを相手に丁寧な対応をする。キズナの応対が至極まともだったことに、パオロは僅かに安堵しつつ、それでも警戒を怠らない。

 カンピオーネは基本的に猪突猛進。話ができるようでいてその実、常人とは異なる思考で動く生物である。それを、理解しているからこそ、パオロはキズナの上辺に騙されない。

「そんなに、警戒しないでください。わたしは、ただあなたにお尋ねしたいことがあるだけですから」

「それは、どのようなことでしょう。私に答えられるものでしたらなんなりとお聞きください」

 そう言いながら、パオロは内心を見透かされていたことに僅かに焦る。

 外面を取り繕うことに関しては、パオロは非常に優れている。長年の経験が、それと感じさせない自然な受け答えを実現しているのである。しかし、目の前の少女は生まれて二十年と経たないはずなのに、パオロの僅かにも発していないはずの警戒心を感じ取っているらしい。

「聖ラファエロの居場所、あるいは連絡先」

 キズナの言葉、パオロの予想外のものであった。

「あなたは、旧知の仲といいますし、何処かに隠遁されている聖ラファエロと繋がりがあると思いまして、不躾にもお尋ねした次第です」

「何故、とお聞きしても?」

「騎士の秘奥を記した魔導書を拝見したい。ただ、それだけです」

 なるほど、とパオロは納得する。

 目の前の少女は、未だ詳しい経歴が明らかになっていない謎多きカンピオーネだ。しかし、その少女の数少ない情報として呪術の天才というのが挙がっている。

 失われた秘術の再現に始まり、僅か数年で日本中の呪術を網羅したという史上最高の呪術師。ならば今の彼女は、西洋魔術を習得しようと動いているのかもしれない。

「承知いたしました。お察しの通り、聖ラファエロとは旧知の仲。早急に連絡取りましょう。しかし、件の魔導書ですが、聞いたところではすでに聖ラファエロの下にはありません」

「え……それは、本当ですか?」

「はい。四年ほど前、聖ラファエロからサルバトーレ卿に管理者が移ったと聞いております。今は、おそらくサルバトーレ卿が保存されているかと」

 それを聞いたキズナの表情が僅かに曇った。

「それは……なるほど。貴重な情報、ありがとうございます」 

「サルバトーレ卿は、現在御身と同郷の草薙護堂様にご執心の様子ですが、御身がコンタクトを取った場合どのような動きに出るか、正直、予想できかねます」

「そう、ですね。それが分かっていたから、こうして忍んで行動しているわけですが……」

 彼女に与えられた選択肢は二つ。

 魔導書を得るためにサルバトーレとコンタクトを取るか、それとも魔導書を諦めるかである。

 パオロとしては後者を選んで欲しい。今、ただでさえ草薙護堂と姪のエリカ・ブランデッリとの関係からサルバトーレに引っ掻き回されているのである。ここに、新たな魔王が加われば混乱が過激化するかもしれない。

「なら、サルバトーレから魔導書を貰うしかないか……」

 しかし、そんなパオロの願いとは裏腹に、キズナはそんなことを呟いたのだ。

「うん、分かりました。ありがとうございました、パオロ卿。聖ラファエロのことは忘れてください。わたし、これからサルバトーレ・ドニに会うことにします」

「左様ですか。僅かなりともお力になれたことを嬉しく思います」

 再度、礼をする。パオロの隙のない構えにキズナは苦笑する。

 それから、キズナの姿は空気に溶け込むようにして消えた。後には何も残されなかった。そこに、一人の少女がいたということすらも、夢幻のようだ。

「なるほど。これが、メイド・イン・ジャパンということか」

 見たことのない術式。権能ではないのは理解できたが、では何かと問われると分からない。極東の島国で誕生した体系をパオロが理解できるはずもない。同じ呪術というカテゴリにあるので、基本は同じなのだろう。

 イタリア語と日本語の違いのようなものだ。

 同じ言語の枠にあり、内容を同じくしながら理解するとなると途端に困難の度合いが高まる。

 月沢キズナの参戦が確定したことで、この街の情勢も大きく動く。キズナの交渉が平穏のままに終わることはまずないだろうと、パオロは確信してらしくもなくため息をついた。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 キズナがパオロと密会したのは、単に、サルバトーレ・ドニに気付かれないようにするためだ。草薙護堂に熱を上げているサルバトーレだが、彼は戦闘狂で名高い。キズナに気付けば、斬りかかって来てもおかしくはなく、そうなると無駄な戦闘をする羽目になる。

 だが、それも意味のない用心だった。

 目的の魔導書は聖ラファエロではなくサルバトーレが所持しているというのだから。

 おまけに、サルバトーレの付き人であるアンドレア・リベラは数日前から行方不明。こちらに相談して譲ってもらうという手も使えない。

「それで、サルバトーレ卿に直接願い出るということでいいのか?」

 龍巳はキズナから今後の予定を聞いて、頭痛がする思いになった。

「騒ぎは回避する予定だったはずだが?」

「もちろん、極力回避するよ。でも、サルバトーレが持ってるっていうんだもの。仕方ないでしょう?」

 確かに、目的は変わっていない。聖ラファエロがサルバトーレに代わっただけだ。だが、その過程が大幅に路線変更している。

「分かった。もう、好きにしろ。だけどな、サルバトーレ卿が噂どおりの人柄なら、簡単に渡してくれるとは思えない。どうせ、戦闘になるぞ」

「そうよねぇ。本当に、ここのところ気が休まることがなくて困る」

 そうは言いながらも、キズナは大して困っているように見えない。

 どの道、彼女の中で戦うことが確定しているようなので、説得に意味はないのだろう。龍巳は、それ以上余計なことを言うのをやめた。

 こうしている間に、外では動きがあった。

 草薙護堂がスフォルチェスコ城を強襲、召喚した大猪が歴史的遺産を粉砕したのである。街中に式神を飛ばしていたキズナと龍巳でなくとも、この騒ぎには気付く。

「お出ましだ」

 都合のいいところに草薙護堂が現れた。

 これで、サルバトーレを探す手間が省けたと、キズナは喜んだ。

「なら、お手並み拝見と行きますか」

 サルバトーレもそうだが、草薙護堂も今後脅威になるかどうか見ておきたいという気持ちもある。よって、ここはどちらに加勢することもせず、様子を見ることにしたのだ。

 サルバトーレと接触するのは、それからでもいいと思った。

 草薙護堂とサルバトーレは、どちらも若い男性だ。特に草薙護堂は十五歳。最年少のカンピオーネと言えるだろう。

 戦闘経験、権能の数では圧倒的にサルバトーレの方が上。だが、そういったものに縛られないのもカンピオーネだ。草薙護堂がどこまでウルスラグナの権能を掌握しているか分からないが、その使い方次第ではサルバトーレを倒してしまうこともあるかもしれない。

 

 

 

 それでもサルバトーレの方が上手だったらしい。

 護堂は敗退。目にも止まらぬ速度、おそらくはウルスラグナの鳳の化身による神速で戦線を離脱した。

 残念なことに、この戦闘は互いに消化不良に終わっている。護堂は、ほとんど攻撃らしい攻撃をせずに敗退しているし、サルバトーレも相手を剣で斬り付けただけだ。

 護堂の持つウルスラグナの権能は、おそらくウルスラグナの十の化身を再現するものだ。その内、猪と雄牛、そして鳳はこの目で確認した。次にサルバトーレの権能だが、これは前情報以上のものはない。どんなものでも斬り裂く『斬り裂く銀の腕(シルバー・アーム・ザ・リッパー)』が、真実なんでも斬り裂く権能だということを確認したくらいである。

「どうする?」

「あの怪我なら、きっと遠くまでは逃げられないわ。神速だからミラノからは出られるかもしれないけれど、近郊の街に隠れているに違いない。接触して、貸しを作っておくのも悪くないわね」

 サルバトーレと戦う前に、同郷のカンピオーネに貸しを作る。なるほど、確かに悪くない。

 龍巳は呪力を手繰り、式神を操作した。瓦礫の山になったスフォルチェスコ城を俯瞰していた式神は、そのまま降下して、アスファルトの上に落ちた護堂の血を嘴でつく。それから、誰に悟られるでもなく羽ばたいて、キズナたちの下に戻ってきた。

「血があれば、追跡は簡単だろ?」

「そうね。ありがとう、龍巳」

 小さな小鳥を手の平に乗せたキズナは、ティッシュでその嘴を拭く。赤黒い血が嘴に染み込んだ。

 量は僅かだが、カンピオーネは呪力の塊だ。リンクさせるのはさして難しいことではない。

 そう呟いて式神に護堂の後を追わせたのだった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 

 草薙護堂は腹部に酷い痛みを感じながらミラノを駆け抜けた。

 彼がミラノにまでやってきた理由は、戦友でもあるエリカ・ブランデッリが、自分と関わったことで囚われの身になったという話を聞いたからである。

 エリカとの関係は彼女が愛人などと触れ回りはした物の、実のところそれほど深い仲になったということではない。ただ、そうすることがエリカの身を守ることに繋がるので、そうしただけである。

 結局、サルバトーレの一太刀を浴びて、返り討ちになってしまったので情けないことこの上ないのであるが、それでも護堂は負けを認めたわけではなく、一時的な撤退であると考えていた。

 そうして、神速のまま走り続けた護堂は、遂に副作用から身動きが取れなくなり、ミラノ郊外のモンツァという閑静な街にある公園のベンチに倒れこんでしまった。

「バカだとは思っていたけれど、ここまでするなんて信じ難いわ」

 そんな護堂の傍に歩み寄るエリカは、秀麗な顔に困惑と怒りを滲ませていた。

「悪かったな。こんな手しか思いつかなくて」 

「考え得る限り最悪の手を打ったわよ、あなた。ヨーロッパ方面には来るなって、あれほど忠告したのに、人の忠告を無視するから、こういうことになるのよ」

「だから悪かったって。」

「まったく、手間のかかる人だわ。でも、ま、それはこの際不問にしてあげる。今の状況を切り抜けるのに、あなた一人だと荷が重そうだし。提案なのだけど、わたしたち、また同盟するのはどうかしら?」

「それは俺の方から頼むことだよ。一人でなんとかなると思っていたけど、ここらが限界みたいだ」

 護堂は失血で冷たくなった手に喝を入れてエリカに差し出した。

 その手をエリカの手が包み込むように握る。

「じゃあ、これで同盟成立ね。いいこと、護堂。わたしが就いたからには、下手を打って死ぬようなことは許さないわよ。あなたには、わたしの将来を賭けるんですもの。きちんと、王として大成してもらうから覚悟していなさい」

 それから、護堂はふと眉根を寄せて視線を巡らせた。

「さっきから、そこで見てんのは、誰だ?」

 護堂が視線を険しくして尋ねた。樹種は分からないが、大きな広葉樹の枝に一羽の鳥が止まっている。理屈までは理解できないものの、この鳥が普通の生物ではないと護堂は直感していた。

 エリカが驚いて、鳥を見上げる。

 一見して、よく見かける鳥だ。カワラバトという一般的なハトの仲間である。

「ッ、使い魔ッ」

 エリカは咄嗟に剣を抜く。

 驚くほど巧妙な使い魔である。天性の才能を持って生まれたエリカをして、このハトが使い魔であると気付くのに数秒の間を必要とした。

『驚いた。それなりに精巧に作ったと思っていたのだけれど、あっさりと見抜くなんて、さすがはパオロ卿の姪。噂どおりの実力ね』

 どこからか、声が響いた。

 しかも、イタリア語ではない、これは、日本語だ。

「まさか、あなたは……」

 それだけで、エリカはハトの主が誰なのかを察することができたらしい。驚愕を隠すことができず、絶句する。

『おまけに、頭の回転も速い。ふふ、その年でそこまでできるなんて、才媛というのは正しい表現ね』

「光栄の極みです。月沢キズナ様」

 あのエリカが敬称で呼ぶ日本人というのに護堂は違和感を覚える。もちろん、エリカは異様なほどにTPOを弁えられる少女だ。目上の者には文句の付け所のない完璧な所作で対応する。が、その一方で目下と認識した相手には素気無い対応をする場合もある。そのエリカが、顔に緊張の表情を浮かべる相手というのは果たしてどのような人物なのか。

『あなたが、ウルスラグナを倒して新しく魔王になったっていう草薙護堂さんね。ようこそ、カンピオーネの世界へ。歓迎するわ』

「まさか、あんたもカンピなんとかなのか?」

 ハトに話しかけるというのも、奇妙な経験だが、人食いイナゴに襲われたり、筋肉の塊のような巨人と戦ったりした経験がすでに現実のものとして受け入れる下地を作っていた。

『答えはYES。同郷ということもあって、会ってみようと思ってね。さっそく死に掛けているみたいだけれど』

「別にこうなりたくてなったわけじゃない」

『そうでしょうとも。ドが付くMでなければ、お腹を刺されて喜んだりしないわ』

 腹を剣でグッサリと刺されたのを知っているということは、サルバトーレとの戦いの一部始終をしっかりと見ていたということだ。

「あんた、俺に用があるんじゃないのか?」

『んー? それほど大切な用事はないんだけれど、近くにいたから会いに来ただけってだけだったり』

「この状況でか」

『困るのはあなたであって、わたしじゃないから』

 なるほど、確かにカンピオーネだ。話をしているとまともそうに思えるのだが、ところどころに自己中心的な思考が見え隠れしている。

『困るといえば、もうじきこの公園にあなたのお仲間が来るみたいよ。逃げるのなら今のうちだけれど』

 ハトはエリカを見て、そう言った。エリカの仲間というのは《赤銅黒十字》のメンバーということだろう。

 このままでは見つかってしまい、サルバトーレの追撃を受けることになる。

 しかし、今の護堂は満足に動けないどころか、血が足りなくて今にも死んでしまいそうだ。他のカンピオーネがいるので、気力を振り絞っているが、それにも限界というものがある。

「月沢様。お願いがございます」

『何かしら?』

「草薙護堂が回復する時間を頂戴したいのです」

『サルバトーレを相手に時間稼ぎをしてくれということ?』

「その通りでございます」

 カンピオーネを相手に時間稼ぎを頼むなど、殺されても仕方がない所業だ。

 常識的に考えて、そのような手段は執らない。

 だが、今回は話が違う。何故、キズナが護堂に接触したのか。同郷というだけの理由ではないはずだ。聡明な頭を回転させて、その理由を考える。

「彼を連れてこの場を離れる時間が欲しいのです。今のわたしたちに用意できるものはありません。しかし、草薙護堂は何れカンピオーネとして大成する器でございます。その暁には、この日の貸しを必ずお返しすることでしょう」

『貸し一ということ。それでサルバトーレと戦う理由になるかってところだけど。あなたはどうなの?』

 ハトの表情のない顔が護堂に向けられる。

「それでいい。この貸しはいつか必ず返す」

 エリカが必死になって作った好機を護堂は潰すわけにはいかない。それに、このままごねていても追っ手がかかってエリカまで巻き添えにしてしまう。

『なら、それでいいわ。後できっちり返してもらうから、忘れないでね』

 そう言い残して、ハトは青い空に飛び立っていった。

 ハトが去ってから、エリカは護堂を背負い、道端に停めてあった車を魔術で拝借して移動を始めた。

 エリカは運転席に座ってはいるが、車は魔術で自動制御している。

「なあ、エリカ。あの人は信用できるのか?」

 後部座席に寝かされた状態で、護堂は運転席のエリカに訪ねた。

「さあ、何せ謎多きお方だから。けれど、今回は半ばあの方から申し出てきたようなものよ。理由は分からないけど、サルバトーレ卿と戦いたがっている節があったし、わたしたちのところにやって来たのは、きっと護堂に貸しを作りたかったからなのでしょうね」

「最初からそのつもりだったってことか」

 その意思を汲み取ったエリカも凄まじい思考の持ち主だ。護堂であれば、そこまで考えられなかった。

「ギブアンドテイクが初めから成立していた。けれど、護堂がその調子だから足元を見られたのよ。ちょっと高い買い物をしてしまったけれど、あの方と対立しなかっただけマシかも知れないわね」

「あのハトの人はそんなにヤバイ魔王なのか?」

「ヤバイというか分からないといったところね。何せ情報がないのだから」

「情報がない?」

 カンピオーネの情報は、ロンドンにある組織などが積極的に収集していたと聞いたのだが。

「詳しくは後で話すけど、あの方、とことん謎だらけなの。いつ魔王になったかも定かではないし、経歴が明らかなのに、どこで神様と戦ったのか分かっていないものだから、カミングアウトされたときの日本の呪術組織は大いに慌てふためいたみたいよ。おそらく、自分の気配を隠すような隠匿系の権能をお持ちなのではないかと専らの噂で……て、護堂、聞いてる?」

 バックミラーで護堂を確認する。

 蒼白になった顔で、護堂は目を瞑っていた。胸も動いていない。死んでいるのだ。だが、エリカは表情を変えることなく、ため息をついて車を走らせる。

 確かに、草薙護堂は死んだ。だが、あと数時間もすれば蘇る。今は、慌てず身を潜められる場所に移動することを優先しなければならないのだから。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 サルバトーレ・ドニは剣の人である。

 卿と呼ばれはするものの、騎士としては落ち零れもいいところだ。騎士として大成するには、呪術と剣術の双方を極めなくてはならず、どちらか一方では認められない。それは、呪術の奥義も剣術の秘奥も、根幹を同じくしているからである。中国に於いて、気功が武術の一要素を為しているのと同じことである。そう考えると、呪術の才能が欠片もないサルバトーレは剣を極めてはいても騎士としては甚だ未熟ということになる。

 だが、この男はただひたすらに剣術を極め、その果てに剣神すらも斬り殺してしまったのである。

 もはや、人の領域に納まる器ではなく、『まつろわぬ神』やカンピオーネとの戦いを希求するのも戦いに根ざした己を高めるという欲求に従っているがゆえである。

 戦いこそ我が人生、と豪語する剣士は、喜びの絶頂にあるといってもいい。

 草薙護堂と戦っていたら、新たなカンピオーネが釣れたのだから。

「君のこと、知ってるよ。謎のカンピオーネ。この前までロンドンにいたらしいけど、いつの間にイタリアに来てたんだい?」

 剣を肩に担いで、サルバトーレはキズナに問いかけた。

「つい最近。ちょっと探し物があってね」

「へえ、わざわざここに?」

「そう。聖絶の特権を記した魔導書。あなたが持ってるって聞いて。よければ貸してくれないかな?」

「魔導書?」

 サルバトーレは首を傾げた。

 そもそも、サルバトーレは魔導に疎い。魔導書など、理解すらできないのだ。この世でもっとも縁のない書物が魔導書である彼がそのような大それた魔導書を持っているかと言うと否、なのだが、どこかで聞き覚えがあるというのも事実。

「ああ、もしかして師匠に貰ったヤツかな。僕は興味ないからアンドレアに管理を任せたんだった」

「そう、それそれ!」

 パチン、とキズナは手を叩く。顔が綻んだところを見ると、よほどあの書物に興味があるようだ。

「うん、よし分かった」

 そう言って、サルバトーレは剣を構えた。

「あの魔導書は僕が師匠から預かったもので、勝手に人に渡すわけにはいかないのだ。だから、僕と勝負して勝てたら君に上げるよ」

 嬉々としてサルバトーレはそう言い放ったのだった。

「うん。まあ、分かってた」

 半ば諦観したキズナは、サルバトーレの宣言を受け入れる。

 目的を果たすためには、彼を踏破しなければならない。覚悟の上だ。

「よし、どうせ護堂はまだ本調子じゃないだろうし。ここで、一戦しようか!」

「ちょっと腹立たしいね。わたし相手に連戦できると考えるなんて」

 サルバトーレは不快とばかりに顔を歪ませたキズナに剣を叩き込んだ。

 刃渡り八十センチほどの粗雑なつくりの剣だ。いかにも大量生産品という感じで、日本刀にあるような芸術性は欠片もない。だが、それが逆に戦いというものを想起させる。一品物ではなく、量産品ならば、壊れても替えが利く。

 そして、そんな剣でも少女の身体を両断する程度は余裕でできる。

 サルバトーレの剣筋はあまりにも美しく無駄がなく、斬るということに特化していた。

 ズブリ、と右肩に入った剣は、あっさりと左の脇腹を通過する。

「うん?」

 あまりにあっさりとした決着だったからか、サルバトーレは目を瞬かせた。そして、サルバトーレの瞬きに合わせてキズナの身体が膨らみ破裂、無数の鉄鎖となってサルバトーレの身体に絡みついた。

「うわわっ!」

 サルバトーレはすばやく鎖を斬り捨てる。呪術によるものではなく、召喚の術で呼び出された実物の鎖を呪術で操っているのだ。囚われればさすがのサルバトーレでも脱出に時間を要する。カンピオーネの呪術耐性は自身の身体にかかる呪術にしか効果を発揮しない。実体のある鎖とそれを強化し操る呪術の組み合わせはカンピオーネに通用する呪術の使い方である。

 サルバトーレは自分に近い鎖から優先的に斬り裂いて、それによってできた隙間を縫って、大きく距離をとった。途端、自分の影が消えた。

 空から虹色の光がシャワーのように降り注いできたからだ。

「わあああああ」

 気の抜けた叫びは、爆音の中に消えていった。

 

 

 

 □

 

 

 

 倒壊したスフォルチェスコ城の正面には、噴水を擁するカステッロ広場があり、そこから真っ直ぐダンテ通りが走っている。キズナがいるのは、そのダンテ通りとメラヴィリ通りが交わるところに建つ建物だ。スフォルチェスコ城からは、数百メートルほど離れている。

 護堂とサルバトーレが戦ったときに、すでに避難が行われているので、戦場とするにはもってこいの環境だった。

「ここまでは予定通りか」

 キズナの視線の先にはサルバトーレが平然と立っている姿。

 彼の身体を取り囲むように、ルーンが輝いている。

「あれが噂の不死の権能か」

 サルバトーレは四つの権能を持つというが、判明しているのはその内の二つだけだ。何でも斬り裂く剣とあらゆる攻撃を無力化する鋼鉄の身体。最強の矛と楯を持つ彼を正面から撃破するのは、至難の業だ。だが、搦め手で倒せる相手でもない。

 距離の優位を捨てないまま、削っていくのが懸命な戦い方だろう。 

 それにしても恐るべき剣士だ。式神を通して彼の剣を受けたが、剣を持っている姿を見るだけで戦慄が走るほどの使い手に会うのは、現代では初めてだ。平安時代には頼光や綱辺りが凄まじい使い手であった。

 キズナは向かいに住んでいた魔物退治のスペシャリストを思い出して、少々懐かしんだ。

 それでも爆撃の手は止めない。サルバトーレに近付かせるのは得策ではないから、連続攻撃を仕掛けるのが重要だ。

 そうしている内に、サルバトーレは、キズナからの狙撃を恐れて建物の影に走った。

「そうそう逃げられるものですか」

 キズナは目を瞑った。

 左手には相変わらず煌々と輝く虹色の弓を持ち、しっかりと矢を番える。

 視線は、遥か上空にある。この街の空に放った無数のハトの式神と視線を共有し、建物の影にいるサルバトーレを視認する。

「嵐吹き去りて虹天にかかる。この一矢は、我が敵を貫く裁きの一撃なり」

 矢に呪力を注ぎ込み、放つ。爆発的な加速は、キズナの足元の屋根が抉れるほどだった。音速を凌駕する矢は、高天にまで上昇してから、ミサイルのようにサルバトーレ目掛けて落下する。

 街の一画が虹色の閃光に包まれる。

 それだけで倒せる相手ではない。間髪入れずに二の矢、三の矢を放つ。

「さすがに固い」

 おそらくは、キズナが今までに戦った敵の中でも一、二を争う防御力だ。まるで移動要塞。接近されれば、あの剣が襲い掛かってくる。近付かせずに、遠距離攻撃で倒すのが対サルバトーレの基本戦術だ。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 想定外と言えばあまりにも想定外だ。

 《赤銅黒十字》に属する大騎士、ジェンナーロ・ガンツとクラレンスは、あまりのことに絶句するしかなかった。

「いやぁ、まさかあの方は……」

「虹色の矢を操る魔王など、お一人しかいらっしゃらないだろう。間違いなく、金色の魔女だ」

「マジかよ……」

 ただでさえ、護堂とサルバトーレとの戦いで観光名所が一つ崩壊したのだ。そこに、突然別のカンピオーネが参戦し、スフォルチェスコ城址の前に爆撃を敢行している。笑えない話である。

 彼らは身分が高いので、下っ端の騎士たちに護堂追跡を任せ、自分たちは本部で全体の統括を行っていたが、さすがにこの事態に現場だけで対処は不可能だ。即座に避難指示を出した。

「八人目殿が呼んだか?」

「繋がりがあるとも思えん。偶然、イタリアにいらしていて、何かがあって戦っているというべきだろうな」

 サルバトーレと相性が最悪に悪い相手だということは分かる。

 剣で近付いていって斬るという近接攻撃型のサルバトーレに対して、相手のキズナは弓矢による遠距離攻撃型である。互いの間合いがこれほどまでに離れている以上は、得意な距離を手に入れた方が圧倒的に有利になる。そして、サルバトーレは、今完全に後手に回っている状況だ。

 流星のように空から降り注ぐ虹色の矢が、サルバトーレを襲っている。それらをひらりひらりとかわしながら、時に斬り伏せ、時に屈強な肉体で受け止めている。爆撃は地面や建物を傷付けても、サルバトーレを傷付けるには至っていない。

 建物の影に隠れたサルバトーレを的確に矢が襲っている。空から、あるいは低空飛行で真横から。明らかに死角に立っているにも拘らず、サルバトーレの位置を捉えているのだ。

「ガンツ。空を見てみろ」

 気付いたのはクラレンスが先だった。

「空?」

 ガンツは窓から空を見上げる。

「何もねえよ」

「いや、鳥だ。鳥に気を払え」

「鳥ぃ? 確かに今日は多いような気もするけどよ……」

 確かに、多い。すべて、見慣れたハトばかり――――。

「呪力って、おいあれまさか使い魔の類か?」

「おそらくな。それで死角を補っていらっしゃるのだ。月沢様は、呪術の天才だと聞いているからな」

「天才って、そら聞いたことがあるが」

 再び空を見上げる。

「同時に何百羽操ってんだ」

 もはや、視界に映るすべてのハトから呪力を感じる。ハトの目を介してこの街のすべてを見通すことができるというのか。

 しかも、これが権能ではなくただの呪術だというのだから異常である。

 そして、ガンツは彼女の二つ名を思い出す。

 『金色の魔女』

 なるほど、確かにこれは魔女の所業だ。

 


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