極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

28 / 67
二十七話

「ハハハ、参った参った。全然近づけないや」

 空から数え切れないほどの矢が降り注ぎ、視界を虹色の爆発が塞ぐ中、サルバトーレは事もあろうに笑っていた。笑って、矢を受け止めて斬り伏せる。射手が異常ならば、この剣士もまた異常である。

 どうやって隠れた自分を探し当て狙撃しているのかまったく分からない。サルバトーレに呪術の素養がないので、使い魔を通して監視されているという発想に結びつかない。とにかく、居場所は分かっているので突き進むだけなのだが、爆発に押し戻されるなどして近づけないでいる。

 だが、大体分かってきた。サルバトーレの守りを突破し、この身に傷をつけることができる矢を放つには最短でも五秒ほどの溜めがいる。連撃はあくまでのサルバトーレをこの場に釘付けにするためのものでしかなく、『鋼の加護(マン・オブ・スチール)』を貫くことはできない。

「よし、思い切って走ってみようか」

 そんなことを考えてしまう。

 意外にも用意周到な彼は、軽々しく猪突猛進はしない。様子見すべきところでは様子見だってする。そして、その結果、キズナにこれ以上がないのなら、突撃しても大丈夫だと判断しているのである。

 虹色の煙が晴れたとき、サルバトーレは我が目を疑った。

 いつの間にか、目の前に大型ダンプが迫っていたのだ。

 運転席に人はいない。呪力を感じるので、これは呪術か権能だ。そう判断したサルバトーレは一刀の下にこれを両断する。

 バチン、となにやら閃光が走ったが気にしない。気にする余裕もなかった。ダンプの陰から突っ込んできたのは、なんと真っ赤なフェラーリだ。サルバトーレに激突し、原型も留めず拉げて爆発した。

「これも権能なのかな。車を操る権能なんて、どう使えばいいのか分からないけど」

 次々と突っ込んでくる車をサルバトーレは脅威に感じない。虹矢の方が威力としては高かったし、この程度では傷一つ付かない。

 が、余裕を見せている内に、切り倒し、砕け散った車の部品が独りでに動き出し、サルバトーレを球状に覆ってしまった。

 無数の部品が身体に絡みついてくる。

「そうか、これが狙いか!」

 サルバトーレは確かに頑丈で、剣を振るえばあらゆる守りを突破する。だが、剣が振るえなければ攻撃手段はない。

 サルバトーレは怪力の権能を持たないから、力ずくで押さえ込まれると脱出に手間取ってしまう。この瓦礫が権能で操られているのなら、そうそう脱出させてはもらえないはずだ。

 全身にかかる重量は十トンを軽く超える。圧死することはないが動けなくなる。

「剣よ、輝け」

 瞬間、剣の刀身が赤熱し、爆発した。

 その衝撃で、腕の周りに纏わりついていたガラクタを吹き飛ばす。次に、刀身がどろりと溶けて、八メートル強にまで巨大化した。

「斬ッ」

 裂帛の気合を込めて、剣を振るう。

 大地ごと、ガラクタたちを一掃したのだ。

「よし、行こうか!」

 自由を取り戻したサルバトーレは、思い切ってダンテ通りに飛び出した。その瞬間を狙っていた矢が額を打ち抜く。相当呪力を込めてあった矢は、サルバトーレの額を割って出血を強いた。だが、それだけだ。

「へへ」

 ペロリと滴る血を舐めたサルバトーレは信じがたい速度で駆け出した。呪術を使わず、特殊な歩行術で滑るようにキズナに接近する。

 これに慌てたのはキズナだ。

 ああいう手合いは、調子に乗らせると手がつけられなくなる。優位性を確保したまま勝負を進めることも難しくなるかもしれない。

 空から矢の雨を降らせ、地上は車やバスを操って進路を塞ぐ。

 走りながらサルバトーレはなにやら口ずさみ、剣を振るう。

 剣先、より正確に言えば剣で斬り付けられた地面から膨大な呪力が噴き出し、街を吹き渡っていく。

 

 

 何事か、と思ったキズナは次の瞬間、愕然とした。

「まさか、グレムリンの権能を……」

 封じられた。グレムリンの権能は、電子機器を有する物品を支配下に置き、自在に操るものであるが、今の呪力の波を浴びた電子機器が尽くダウンした。

「ぶ、文明否定の権能!? どこまで原始的なのよ!!」

 グレムリンの権能の発動媒体そのものが『存在しない』ことにされたため、事実上グレムリンの権能は使えなくなった。自動車を使った足止めは打ち止めだ。

「そんな、程度で!」

 キズナから一本の尾が生える。頭には狐耳。走りよるサルバトーレに向かって、大量の式神を召喚、突撃させた。

 キズナ自ら式神たちの王となって軍団を指揮し、神獣を従わせる九尾化の権能。物量では、キズナはヴォバン侯爵に比肩する。

 キズナの式神が無数なら、サルバトーレの剣はただの一太刀。

 剣が延びたように見えた。剣先から迸る白銀の斬撃が、キズナの式神たちは横凪に斬り払ったのだ。

「ッ!」 

 そして、式神を斬っても止まらない斬撃は、そのままキズナのいる建物を両断した。

 サルバトーレの呪力が建物を侵し、斬り刻み、瓦礫に変える。足場が崩れたキズナは、落下を余儀なくされた。

 荘子の権能で、宙を蹴る。足場などもとより不要。キズナは空を舞うことができるのだ。だが、そのキズナでも勢いに乗ったサルバトーレから逃れるのは至難の業だ。巨大化した剣が、目前に迫っていたからだ。

「く……」

 九本の尾を召喚し、呪力を込めて尾を強化、これを受け止める。四本目までがあっさりと斬り落とされ、七本目で勢いをそぎ落とすことに成功した。僅かな時間で安全圏に逃れる。

「し、尻尾が」

 ばっさりと斬り落とされた。

 痛みはないし、呪力を込めれば即座に再生するが、さすがにショックである。

 地上に降りざるを得なかったキズナは、十メートルほどの距離を置いてサルバトーレと向き合った。

「変身の権能まであるのか。僕より権能の数は多いみたいだね」

「あなた、四つだけみたいだし、数だけならわたしのほうが倍近くあるし」

「やっぱり、僕より後にカンピオーネになったって感じがしないなァ。なんていうのか、戦いなれている感じがするし、やっぱりずいぶん前からカンピオーネだったんじゃないかな。誰も気付かなかっただけでさ」

「今更議論する意味ないしね」

 不敵な笑みを浮かべるサルバトーレに対し、キズナは虹弓を消して印を結んだ。

「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバ・ボッケイビャク……」

 剣を構えて突きを放とうとするサルバトーレに、猛然と劫火が襲い掛かった。

「うわ、あちちちちッ」

 灼熱の炎が、渦を巻いてサルバトーレを包む。火界呪は密教系呪術の中でも最強。そして、それがそのまま権能となった『炎魔の咆哮(ハウリング・ブレイズ)』の威力は、連射する虹の矢の比ではない。

 炎の怒涛がサルバトーレの身体を押し戻す。

「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバ・ボッケイビャク・サラバタ・タラタ・センダマカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ・ビキナン・ウンタラタ・カンマン……」

 呪力を燃料に、炎を燃やす。大気を焦がす紅蓮が、蛇のようにサルバトーレに絡みつく。その肉体を燃やし尽くし、蒸発させようとする。

 キズナは一心に真言を唱え続ける。

 この権能を使っている間は、キズナは移動することができない。強大な力に相応しいデメリットである。待ちの姿勢でひたすら呪力を消費し続ける。

 一方のサルバトーレも気力は十分にある。『鋼の加護』を限界まで増強して、三千世界を焼き払う炎に抗っているのだ。

「ふ、ふふ、そうだ。こうでなくちゃ、面白くない」

 サルバトーレは尋常ならざる壮絶な笑みを浮かべている。今でも炎に身体を焼かれているのに、それすらも歓喜に変えて、前に進み出る。剣はとっくに融解し、身一つになったサルバトーレだが、『鋼の加護』が辛うじて彼の身体を守っている。その守りに託けて、サルバトーレはキズナに迫っているのだ。

 常識はずれだ。

 キズナはこの日何度目かの戦慄を味わった。

「護堂の前に摘み食いする感じだったけど、ここまで熱くなれるとは思っていなかったよ!」

 現在進行形で熱くなっている、というか焼かれているからね、とは突っ込まない。キズナは黙然と火界呪を唱え続けるだけだ。

 火勢は尚も強くなり、サルバトーレを押し戻そうとする。

 戦場における不死は《鋼》の性質の一つだが、弱点もある。その代表例が『火』である。火は鋼を溶かし、不死を否定する。だが、そういった相性も、結局は根性でどうにかなってしまうのがカンピオーネの戦いだ。キズナの炎は確かにサルバトーレの命に届いている。だが、最後の最後を押し切れないでいるのもまた事実。

 そして、十メートルあった距離は、徐々に縮まり、遂に手が届くところにまで接近を許してしまった。

 サルバトーレが手を振り上げた。白銀に腕は燦然と輝き、手刀に必殺の力を与える。

 不意に炎が消える。

 気にせず振り下ろした手刀を、キズナは太刀で受け止めた。

「なんだって!?」

 サルバトーレの手刀はキズナの太刀を半ばまで断ち切っていたが、そこで止まった。切り口からは、炎が揺らめいている。

「なるほど、今までの炎を剣の形に凝縮したんだね。そういう使い方もあるのか」

「そう。この刀は斬るための刀じゃなくて、消し飛ばすための刀」

 キズナはサルバトーレの手を弾き、太刀を振るった。サルバトーレはそれを半身になって回避する。キズナの太刀の切先から放たれた熱の斬撃がダンテ通りに断層を作る。

「ハハハ、これはすごいや!」

 キズナとサルバトーレは一メートル以内の近距離で斬り合う。

 サルバトーレの右手には万物を斬り裂く力と鋼の重さが加わっており、キズナの太刀は灼熱であらゆる物を焼き払う力が込められている。

 サルバトーレは左腕で太刀を受け止める。じゅう、という肉の焼ける音がするが、気にせず右手で貫手を放つ。

 キズナはこれを顔を背けて避ける。

 荘子の権能は当てにしない。権能ごと斬り裂く、なんてことになりかねないからだ。

 近接戦の天才たるサルバトーレに対し、積み重ねた戦闘経験と媛巫女の危機感知能力を駆使して渡り合う。

「これじゃ、千日手だ。いつまでも続けてもいいんだけど、そろそろ護堂を追いかけたい頃合だし、ちょっと決着を急ごうかな」

 どうやらこの男、あくまでも草薙護堂に興味があるらしい。なるほど、衆道か。性に奔放な平安時代を生きたキズナは、そういった嗜好に関してもそれなりの理解があるので、引いたりしない。

「こんなこともあろうかと、さっき逃げ回っていたときから準備していたのさ!」 

 サルバトーレの身体から漂ってくる不穏な気配に、キズナは身を固くした。

 そして、啓示が降りてくる。

「酒と豊穣の力……デュオニュソス!」

 ローマ神話ではバックスとも呼ばれるギリシャ神話の豊穣神だ。

 特に陶酔と狂乱を司り、ワインと酩酊の神として崇められている。

「ふふ、それが分かるということは、巫女か何かなんだね。だけど、それが分かっても、もう遅い」

 サルバトーレは得意げに両手を腰に当てて、胸を張る。上半身が焼かれて浅黒くなっており、痛みも相当あるだろうに気にする様子はない。

 サルバトーレの切り札であろう。今まで、情報を頑なに堅持してきた謎の権能だ。この状況から考えて、攻撃的なものではない。キズナのグレムリンの権能や先ほど彼が使った文明否定の権能と同じような環境に作用するタイプの権能に違いない。

 効果は分からないものの、このまま放置するとまずいことは理解できる。

「とりあえず、斬る!」

 キズナはこの権能が効果を発揮する前にサルバトーレを倒そうと、太刀に呪力を注いだ。

「あ、それ無理」

「え?」

 キズナの太刀から炎が吹き上がり、こともあろうにキズナの手を焼いたのだ。

「熱ッ」

 太刀を取り落としたキズナは、慌てて後ろに跳んだ。

 手の平が赤くなっている。炎の太刀で火傷したのだ。

「ふっふっふ、不思議そうな顔をしているから教えてあげよう。僕のこの権能は、なんと、あらゆる権能や呪術を暴走させてしまうのさ! まあ、僕も権能が使えなくなるんだけどね!」

「ふ、ふざけんな! そんな、出鱈目があるか!」

 キズナは叫びながらも、自分の状態を確かめる。

 炎の太刀はコントロールを誤って取り落としてしまった。九尾の権能も、荘子の権能も反応してくれない。そのほかの権能も右に同じ。身体強化も、飛行も、攻撃もできないということだ。

 キズナは背筋に氷塊が滑り落ちるような錯覚を味わった。

 権能だけでなく、呪術まで制御できないということは、事実上キズナのアイデンティティーの全否定となる。

 呪術を使えばなんでもできる彼女は、呪術が封じられてしまうと骨が頑丈なだけの少女になってしまう。

 一方の相手は、剣の申し子。剣はキズナとの戦いの中で融解してしまったが、それでも鍛え上げた肉体と体術がある。

「タ、タイム! わたし、女の子だし、殴りあいは遠慮するわ!」

「つれないこと言わないでくれよ。君だって、それなりに武芸ができるんでしょ? ちょっと、競ってみようよ!」

「千五百メートル完走できない人間にそんなこと求めんじゃねえ!」

 日頃から呪術でドーピングしているキズナは、素の体力が平均以下なのである。ちなみに、五十メートル走は九秒後半、握力は二十キロ台である。

 キズナは肩掛けの中から隠し持っていた拳銃を抜いた。

 最新式の拳銃の重量は、今のキズナには重すぎた。う、と呻きつつ銃口をサルバトーレに向けた。

「よし、動くな。撃つぞ」

 言うや否や、引き金を引いた。

 パンパン、と乾いた音が響く。

 銃口から射出された銃弾は、あらぬ方向に飛んで窓ガラスや建物の外壁に穴を開けた。

「……」

「君、もしかして下手糞なのかい?」

 キズナは押し黙った。

 グレムリンの権能による補正で百発百中を実現していたのであって、キズナ自身の技量が優れているというわけではない。そもそも、日本は世界的にも厳しい銃規制の国だ。射撃スキルが有るはずがない。まして、今は呪術による身体強化が封じられている。発砲の際の反動で、手首が折れそうになる始末だ。

「ど、鈍器にはなる。手ぶらのあんたよりも有利だ」

「ふらふらじゃないか」

「そんなことない!」

 キズナは銃口を握り、銃把を振り上げて威嚇するが、腕がガクガクと震えている。昔よりも軽量化されているとはいえ、銃は金属部品が多い。まして、グレムリンの権能に対応させるために電子機器を積み込んだこの銃の重量は女性が扱える口径の小さな拳銃に比べて格段に上がっている。

「よし、じゃあ、覚悟はいいかな?」

 サルバトーレは拳を固めてキズナに殴りかかろうとする。

 殴り殺されるか絞め殺されるか。非力な少女の運命は、筋肉質な男に狙われた時点でデッドエンドだ。そして、頼みの転生の権能も、この状況下で働いてくれるか分からない。発動しても暴走するので、無事人間に生まれ変われるかも定かではない。断固として死ぬわけにはいかない。

「死ぬのは、お断りだ!」

 キズナはサルバトーレに向かって、何かを投げつけた。バラバラと空中で散った、それは銃弾だった。

「そんなもの!」

 何の脅威にもならない、とサルバトーレは無視する。彼ならこの距離で銃撃しても余裕でかわすだろう。まして、投げつけられた程度の銃弾など、一般人にとっても脅威ではない。

「伏せることを勧めるわ」

「ん?」

 サルバトーレは危険を感じて飛び退き、キズナもまたその場に伏せた。

 その直後、無数の炸裂音が響き、窓ガラスが砕け、街灯が破裂した。

 キズナが投げつけた銃弾は、先ほどキズナが取り落とした灼熱の太刀にぶつかったのである。熱で火薬が炸裂すれば当然の帰結として銃弾は発射される。ただ、どこに飛ぶかわからないのが非常に危険なところではあるが。

「うりゃああッ!」

 キズナはサルバトーレが隙を見せたところを見計らって、近くの窓ガラスを体当たりで割って建物の中に逃げ込んだ。

「い、痛い痛い、刺さった、ちくしょう!」

 毒づきながら走る。ガラスでいくつもの裂傷を負いながらサルバトーレから逃れようとする。どの程度の被害になるか分からないので、とにかく離れるのだ。

 そして、音が消えた。

 紅蓮の炎が舞い上がって建物を貫き、キズナの身体を押し流す。

 炎の太刀が、暴走して爆発したのだ。もともと、炎を太刀の形に凝縮したものがあの太刀だ。それが暴走すれば、当然こうなる。むしろ、すぐに爆発しなかったのが奇跡だ。太刀の形を取る、という部分が優勢だったからだろうか。爆風に飲み込まれたキズナには、それ以上考えることができなかった。

 

 

 

 □

 

 

 

 目覚めたとき、キズナはベッドに寝かされていた。

「いだぁッ!?」

 びっくりするくらい全身が痛くて泣いた。焼けたナイフで斬り刻まれているかのような痛みだった。

 包帯にぐるぐる巻きにされて身動きが取れず、身じろぎするだけで傷が擦れて激痛に苛まれる。呪力もすっからかんで治癒術を使おうにも使えない。

「キズナ。目が覚めたのか?」

 龍巳がすぐ傍にいた。イスに座り、看病してくれていたのだろう。

「龍巳、ここ、どこよ」

「どこって、泊まってるホテルだろうが。記憶、大丈夫か?」

 龍巳が、キズナの額に手を添える。

「だ、大丈夫。覚えてる……サルバトーレは?」

 キズナの最後の記憶は紅蓮の炎に包まれた瞬間だったが、サルバトーレはどうなったのか。位置関係としては、キズナよりも近い距離で爆発を受けたはずだが。

「ああ、あの方なら生きているらしい。それでも、すぐに動けるようにはならなそうだけどな」

「そう」

 ならば、この戦いは引き分けということだろう。危ういところだった。権能も呪術も封じてくるとは思わなかった。おまけに、逃走しようにも車まで使えない状況。馬でも持ってこなければ、逃げようがない。

 直前に太刀を作っておかなければ、敗北していただろう。

「お前、もうサルバトーレ卿とは戦うな。致命的に相性が悪い。下手をすれば、本当に死んでたぞ」

「そう、だね。いや、でもなんていうか、このままだと虫の納まりがね……いだぁ!」

 龍巳が、キズナの傷口を圧迫したのだ。

「お前な、状況分かっているのか? 右手の肘から先が吹っ飛んでるし、足だって普通の人間なら一生使い物にならないくらいに目茶苦茶だぞ。もう、生きてるのが不思議なくらいの怪我だったんだ」

「うえ、本当に? そんなに酷いのか、わたし」

 どうりで右手の感覚がないわけだ。爆風で消し炭にされたらしい。

「まず、キズナを発掘するところから始めかければならなかったんだ。出てきたら出てきたでボロ雑巾みたいになっているし、どれだけ心配したか分かってくれよ」

「あ、ぅ……ごめん」

 発掘というところに文句を言おうとしたものの、本気で心配されていたことから言葉に詰まる。

「ちなみに、わたしの現状はどんな感じ?」

「右手の肘から先が切断。左足が潰れて、内臓も一部が破裂していたかな。今は重傷の部分は治癒済みだが、それでも傷は多い。数え切れないくらいな」

 むしろ何故生きているのだろうかと思ってしまう重傷のオンパレードであった。

「それは、まあ、治癒術かけたからな」

「……!?」

 カンピオーネには経口摂取以外の手法で術をかけることができないとされる。治癒術のような必要な術でも、他者がかけるとなると、口移しでなければならないのである。

 緊急時の人口呼吸のようなものだ。

 だが、乙女たるキズナにとってはそれが人口呼吸と割り切るには衝撃が大きすぎるので、言葉を失ってしまう。

「む……!?」

 龍巳はキズナにキスをした。

 一瞬、何をされたのか理解できなかったキズナは目を見開いて唖然とする。

「む、ん……んぅ……」

 血の味がする。キズナがヴラド三世から得た杭と吸血の権能は、血を摂取することで肉体を活性化させる。口移しで龍巳から血と治癒術を同時に摂取する。

 キズナの意識が戻ったことで、ヴラド三世の権能が使用可能になった。ということで、治癒術以上の回復を見込める血液の提供は効果的だ。キズナもそれを本能的に理解しているから、次第に己から求めるようになる。

 右手の先から赤黒い靄が立ち上り、それが手を象る。それを皮切りに全身の至る所から呪力が漏れ出して、傷を修復していく。回復とはまた異なる、異様な光景である。

「……ふえぁ」

 肉体の修復を終えて、唇を離す。惚けたような顔をするキズナの口の端から赤が混じった液体が零れた。

 キズナは口を、修復したての腕で拭う。

「う、動けない女の子にいきなりキスするなんて、ど、ど、どうかと思う」

「悪かったな。空気作りもうまくなくて」

 ぶっきらぼうに言う龍巳も、僅かに顔が紅い。

 その様子を見て、キズナはますます顔を紅くして、視線をそらした。

「ま、まあ、別に、悪いわけじゃない」

 キズナは布団を引き上げて、顔を隠す。

「とにかく、今は休んで力を蓄えろ。サルバトーレ卿だって、早々には動けないはずだからな」

 そう言って、龍巳は席を立つ。

 キズナは反射的に龍巳の服の裾を掴んだ。

「あ、えと。……ちゃんと動けるようになるまで、ここにいてよ」

 龍巳は、一瞬ポカンとしてから、苦笑してイスに掛け直した。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。