極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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三十二話

 源博雅は、元服したばかりで仕事を多く任されることもなく、類希なる雅楽の才もこの段階で右に出る者のいないほどであるが、それでも未だ発展途上である。日々をなんとなしに生きている彼は、こう見えて好奇心が強いほうである。痴れ者などと陰口を叩かれる由縁でもあるが、それが音楽への深い造型を形成する一助を為している。

 さて、そんな博雅の最近の興味はざっくばらんに言って呪術と呼ばれる摩訶不思議な現象であった。

 鬼の存在は世間一般に常識のものとして認知されており、それに対処する陰陽道を司る陰陽師の需要も日増しに高まっている時代だ。当初、呪術なるものに疑いの眼差しを向けていた博雅も、目の前で鬼と陰陽師の戦いを見せ付けられれば信用せざるを得なくなる。

 博雅が向かうのは、安倍晴明の邸宅だ。

 土御門大路と町口小路が交差したところに建つ邸宅は、本人の外出や人付き合いを嫌う性格を反映してか、庭の手入れもされていない荒れ放題という有様である。

 屋敷は唐様の塀に囲まれ、門の上には唐破風の瓦屋根が乗っている。中を覗き見るのは難しいはずだが、勢いのある夏草は背丈を伸ばして、今は塀の外からでも庭の様子が窺い知れるほどになっているのであった。

 門の前に牛車を停めると、声をかけるまでもなく扉が開いた。

 門のすぐ内側には、真白な小柄な人が立っていた。背丈は博雅の胸よりも下くらいだ。真白な頭巾を被っているので、その表情はおろか性別すらも傍目からは分からない。

 牛車から降りて、真白な頭巾の人物に向き合った。

「おう、まるで待っていたかのようだな」

「用がないならさっさと帰れ」

 挨拶もせずに晴明は悪態をついてきた。

 三つばかり年下の彼は、幼いながらかなりひねたところがある。家の中には下働きの者もいない。彼は家のことはすべて式神とやらに任せているのだという。

 博雅は苦笑しつつ、そのまま門の中に押し入った。

「用ならある。あるから通せ」

「何用だ」

「まあ、世間話でも」

「帰れ」

 にべもなく、晴明は即答する。

 彼にとっては、突然の訪問は、平穏を突き崩す押し入り強盗にも等しい行いであるのだろう。実力行使をしようと、懐に手を伸ばす。

 そこには、おそらく札が収まっているのだろう。

「ま、待て待て、呪術とやらを軽々しく使ってはならぬと師からも言われているだろう!?」

「軽々しくはない。平穏を取り戻すための苦渋の決断だ」

「な、ならば雨乞いの話などどうだ? 忠行様にも、すでに話が行っている筈だ」

「雨乞い?」

 晴明は、ここで札に伸ばしていた手を止めて博雅の顔を見た。表情は頭巾に隠れていてまったく窺い知れないが、興味だけは持ってくれたらしい。

 彼の師の忠行の名を出したのも大きかったのだろう。

 ともあれ、話の端緒を掴んだ博雅は、そのまま晴明の家に上がり込むことに成功した。

 いつもの縁側に腰掛けて、博雅は晴明とつれづれなる話をする。なんだかんだで、瓶子と杯を用意してくれるところが、晴明のひねたところであろう。

 会話と言っても、一方的に博雅が宮中で見聞きしたことを語り、晴明が相槌を打つというだけのとても会話とはいえないものではあったが、それで構わなかった。

 ここまでくれば、博雅を追い出すほうが面倒だと晴明は考えているのだろう。なんとなく、それは分かってしまうのだ。

「しかし、相変わらず身体は弱いままか」

 博雅は晴明を見て、尋ねた。

「能天気に動き回っているお前を見ていると、手足に釘でも打ちたくなる。ああ、そうなれば、外に出られなくなるわけだから、朱雀門のときのような面倒事もなくなっていいかもしれんな」

「ハハハ、晴明が言うと冗談に聞こえんな!」

 博雅は晴明の脅しを笑い飛ばした。晴明は、改めてため息をつく。

 博雅は、晴明の今の身体が紛い物であり、本体はこの屋敷の奥で身体を休めていることを知っている。晴明に関わっているうちに、自然とそういった呪術に対して敏感になっていたのだ。ただし、原因までは知らない。彼が顔を隠していることにも通じるのかもしれないし、通じないのかもしれない。正直、どうでもいいことだった。

 この状態の晴明は、何も口にすることができない。

 だから、何かを物を口に運ぶのは、博雅だけであり、用意された瓶子や杯が一人分だけなのもそのためであった。

「お前は一応は貴人だろうに。臣籍降下したとはいえ、帝の孫としての品位に欠けるな」

 博雅の父は克明親王といって、今の帝の第一皇子であったが三年前に若くしてこの世を去った。それによって、皇位継承権を喪失し、博雅は源姓を賜り、臣籍降下したのである。また、後に左大臣にまで昇り詰める源高明は叔父に当たる。

 ちなみに母方の祖父は政治中枢を掌握する藤原時平だ。博雅に流れる血は、まさしく未来の栄光を約束するはずのものだった。

 宮中で行われている雨乞いの是非を問う会議の内容を若輩者の博雅が事前に知ることができたのも、この血筋ゆえであった。

「これもまた縁というヤツだろう。天は俺を帝にすることを望まれなかったのだ」

「確かに、お前が帝になるのなら世も末だな」

「酷い言い回しだな」

 とはいえ、博雅もそう思っているのだから反論などない。

「それで、雨乞いの話はどうなった?」

「ああ、それな。ここ最近、雨が降っておらんだろう。それで、今雨乞いの是非を話し合っているところなのだ」

「なるほど、確かに今年の旱魃は酷いものだ。野分が来るまで後二月はあるだろうしな」

 降水量の少なさが、宮中でも大いに問題視され始めていた。

 例年通りであれば、すでに梅雨時になっていてもおかしくはないのに、空は雲ひとつない晴天である。もうずいぶんと、雨が降っていないのである。人の口の端に、天変地異の前触れではないかという噂が立ち始めるほどに、この年の雨は少なかった。

「それで聞きたいのだが、雨乞いというのは効果があるものか?」

「雨が降るか否かで言えば、降る。だが、それを効果があるとかないとかで判断することはできない」

「どういうことだ?」

「雨は降るものだ。永遠に降らぬということはありえん。ならば、雨乞いしようとすまいと降るものだろうし、雨乞いの儀式を行った直後に雨が降れば、効果の有無を確かめるまでもなく、効果があったということになろうよ」

「それは、してもしなくても同じということではないか」

「同じではないさ。少なくとも、気持ちは楽になる」

 それは、言葉を操っているだけではないか。と、博雅は言いそうになったが口を噤んだ。どうあれ、呪術が実在し、何もないところから火や雷を出して見せたりするのだ。その呪術に精通する彼がこういうのだから、素人がとやかくいうものではないだろう。

「天を操るとなれば、それは『まつろわぬ神』の所業だろう。我等人間には、どうすることもできぬ天災だな」

 また、よく知らない言葉が出てきた。

「なんだその『まつろわぬ神』というのは?」

「そのままだ。我等がよく知る神々あるいは御仏の類が現世に降臨されたものを言う」

「そのようなことがあるのか?」

 俄かには信じがたい。博雅も疑いの視線を晴明に向けた。

「ある」

 晴明は断言する。

「降臨される神々は、気侭に世界を放浪し、世に厄災を撒き散らす。例えば、炎の神が降臨されれば、その周囲は地獄のような炎に包まれることだろうよ」

 博雅はそれを聞いて、また笑った。

「何を言う。それでは、鬼よりも性質が悪いではないか。神仏がそのように荒ぶり、人に害を為されるわけがあるまい。それでは、信じる者もいなくなろう」

「おれたちが信じているのは、あくまでもおれたちが語り伝えてきた神話の中の神仏だ。だが、『まつろわぬ神』は違う。降臨される際に、神話から抜け出されるわけだから、おれたちが知るものとは異なる行動もされるだろうよ」

 晴明は、気だるそうに柱に背中を預けて、投げやりに言った。

 晴明の言葉が真実であれば、それは考え得る限り最悪の厄となるだろう。

「もしも、その『まつろわぬ神』が現れたら、どうする?」

「どうもせぬ。神に人が勝てるか? 『まつろわぬ神』には剣も槍も矢も効かぬ。呪術も効かぬ。何も効かぬから、人は祈るしかない」

「そ、そこまでのものなのか」

「そこまでのものだ。野分を人の力で遠ざけることができるとは思わんだろう?」

「ああ、まあ、確かに」

「『まつろわぬ神』とは、意思持つ野分だ。あるいは地震(なゐ)と考えてもいい。いずれにしろ、人間ではどうすることもできぬ災厄だ」

 意思を持つ野分。

 なるほど、それは確かに恐ろしい。

 古今、野分を人が退けたという話は終ぞ聞いたことがない。暦や星を読み、野分の訪れを事前に知るということが精精であろう。

 そして、野分は場合によっては人の生活に途方もない害を為す。雷を落とし、川を氾濫させ、多くの人を死に追いやるのだ。とりわけ川の氾濫は、疫病を発生させたり、田畑を台無しにしたりという二次被害をもたらす。

 それが意識的に京を襲ってくるとしたら、それは災厄としか言いようがないではないか。

「そのような恐ろしいことが、実際にあるのか」

「考えたくはないし、出会いたくもないがな」

「お前でも無理か?」

 博雅が晴明に尋ねると、晴明は明らかにバカにするような視線を博雅に向けた。

「何故、おれなら何とかなると思ったのか分からんが、京中、いや、日本中の陰陽師を動員しても一柱の神を倒すこともできまい。手傷を与えられれば御の字だろうな」

 日本中の陰陽師を動員しても不可能。

 よく分からない呪術を操る晴明をして、そう言わしめる『まつろわぬ神』とは何か。興味は尽きぬが、触らぬ神に祟り為しともいう。博雅は、この話はここまでにしようと話題を変えることにした。

「む……」

 博雅が、最近話題の蝉丸という見事な琵琶の名人について語ろうとしたのを遮るように、晴明は抜けるような青空の彼方に目を向けた。

「どうかしたか?」

「妙な……いや、なにやら好からぬ気を感じる」

「何!? 好からぬ気だと!?」

「ああ、これはマズイかも知れんな……博雅。お前、馬には乗れたな?」

「馬か。まあ、それは当然だが、一体どうするんだ?」

 

 

 

 

「どういうことだ、これは」

 博雅は晴明が飼っているという馬の鞍に跨っている。そこまではいいのだが、博雅の背にはどういうわけか晴明が引っ付いているのである。

「晴明。お前、馬に乗れないのか?」

「うるさい。今重要なのはそこではないだろう」

「うむ、まあ、そうだが……」

 博雅と共にやって来た牛飼童や車副の者たちは、晴明の意向で屋敷に上げたので問題はないのだが、まさか晴明を後ろに乗せて馬に乗ることになるとは思わなかった。

 馬術も貴族の嗜みである。博雅も当然のように習得していたのだが、晴明は生来の身体の弱さがあるので、馬術の稽古ができなかったのかもしれない。

「しかし、どういう風の吹き回しだ。お前が自分の身体で外出とは」

「己の身体で感じないことには詳しいことが分からんからな。今回は、今までのものとは根底から異なるやもしれん」

「……向かう先は、将軍塚でいいんだな」

「ああ。できる限り急いでくれ」

 晴明の声に、切羽詰ったような色を感じて博雅は馬を走らせた。

 そうして辿り着いたのは、華頂山の頂上付近である。山の上にあるので、途中で馬を降り、博雅が晴明を背負ってここまでやってきた。

 並みの貴族であれば、自分よりも身分の低い者を背に乗せて山を登るなどありえない話だが、博雅はその辺りは気にしない性質であった。

 将軍塚は、桓武天皇が平安京遷都の際に王城鎮護のために八尺の土人形に鎧を着せて埋めたというのが名の由来である。

 もしも、京に災いが降りかかるのであれば、大いに鳴動すると伝えられている。

 晴明が好からぬ気を感じて将軍塚に向かったのも、将軍塚の伝承から気の性質や強さを高い確度で判断するためであった。また、将軍塚からは京を一望することができる。京に災いが降りかかるのであれば、それと知れるはずである。

「この塚の伝説は知っているが、気とやらはここではっきりするのか?」

「分からん。だが、ここは霊地でもある。善きにしろ悪きにしろ、必ず影響は現れる」

「ふむ……」

 博雅は腕を組んで、塚の様子を探る晴明を眺めていた。

 二刻(一時間)ほど経っただろうか。太陽はすでに天の頂を過ぎ、やや傾きかけている。晴明は何かぶつぶつと呟いているが、博雅は特に何もすることがないので、暇を持て余していた。

 そんなときだった。

「これは……いかん! 博雅、どこかに身を隠せッ!」

 晴明の焦ったような声で、うとうととしていた気分が吹き飛んだ。

「な、なんだ。どうしたというのだ?」

「急げ、どこでもいいからそこの藪で構わん。飛び込め」

「う、うわッ」

 晴明に押されるままに、二人で藪の中に倒れ込む。

 今ので、腰を打ちつけたらしくじわりとした痛みが博雅の腰を熱くした。

「せ、晴明。いきなり何をす……」

「静かにして息を潜めろ」

 晴明は博雅の口を手の平で塞ぐと空いた手で空を指差した。

 博雅は思わず唖然とした。天にとぐろを巻くような暗雲が立ち込めてきたのである。墨のような雲が、愛宕山のほうから湧き出でてきて、瞬く間に京の空を覆い尽くした。

 そしてすぐに、雷雨が降り注いだ。

「ま、まさか雨乞いが成功したのか?」

「バカを言うな。今は雨乞いの是非を話し合う段階なのだろう。一体誰が雨乞いしたというのだ」

「そ、それもそうか。だが、それならこれはどういうことだ。あまりにも唐突過ぎるだろう」

 梅雨すらこないのではないかと疑われるほどの晴天が続く中で、突如このように嵐が襲ってくるなど考えられぬことである。おまけに、あの雲からは博雅でも明確に感じる気がある。晴明が度々使う呪力というものだ。明らかに自然のものではないのだ。

「恐るべき神気が空の彼方から近付いてくるのを感じていた。だが、まさかこれほどとは……」

 晴明は声を震わせて暗雲を見ていた。

「神気。まさか、あれは鬼の類ではないのか?」

「ああ。たかが鬼ではあそこまでの怪異は生まれぬ。高位の神獣かとも思ったが、それも違う。あれはそのような枠に収まるものではない」

「……すると、まさかあれは、あれか。さっき、お前が言っていた……」

「ああ、間違いなく『まつろわぬ神』だろう」

「これが、神、だと言うのか……」

 風を呼び、雨を降らせ、雷を鳴らす。

 神話に見える神の所業そのままである。

 降り注ぐ雨は次第に強く、激しくなっていく。その最中、一条の雷が京の中に落ちた。激しい閃光と、耳を劈く雷鳴が博雅と晴明を叩きのめす。あまりの眩しさに、博雅の視力が一時的に奪われるほどであった。

 程なくして、博雅が視界を取り戻すと、そこには恐るべき光景が広がっていた。

 内裏の清涼殿から火の手が上がっている。

 そこは、帝が座し、今まさに雨乞いの会議が行われている場所であった。

「なん、ということだ……内裏に雷が落ちるなど……」

 それは、あってはならぬ光景だった。帝の身に害が及んではならぬ。まして、帝は博雅の実の祖父である。心中穏やかではいられなかった。

「何故、神が京に怪異を為す……」

「神の考えなど分からん。彼らは気まぐれに幸と不幸をもたらすものだ」

「ッ」

 博雅は藪から飛び出た。風雨に我が身を曝すことも厭わず、その場で靴の沓を脱ぎ捨てて裸足になった。

「ま、待て博雅。まさか、内裏に向かうつもりではないだろうな!?」

「当然だ。帝に万一があってはならん!」

「バカか!? 相手は『まつろわぬ神』――――帝釈天様だぞ!? たかが武官一人が向かって何になる!!」

「帝釈……だ、だが向かわねばならん。ここで、安穏と事が収まるまで待っていてはならんのだ!」

「分からんやつだな! 言っただろう。『まつろわぬ神』が降臨されれば、人間ではどうすることもできないと」

「どうすることもできんからと言って、指を咥えてみていることもできんわ!」

 そう怒鳴って、博雅は駆け出した。

「博雅! 博雅! 待て、おれを置いていくな、帰れないだろうが! どうやって山を降りろというんだ! 戻れ、バカ!」

「……」

 後ろから聞こえる晴明の叫びを聞いて、博雅は一旦戻り、晴明を背負って山を下り始めた。

「お前、式神とやらで移動できるんじゃないのか」

「おれは呪力がなければまともに生活できないのだ。余計なことに呪力は使っていられん」

「そうかい」

 博雅は呆れつつ、雨と風に翻弄されながらも山を下っていく。

「くそぅ。まさか、こんなところで『まつろわぬ神』のいる京に戻る羽目になるとは……」

「嫌なら近くの寺にでも置いて行くぞ」

「うるさい。素人が行くというのに、おれが行かないわけにいかんだろうが。畜生め、もしも死んだら、祟って出てやるぞ。お前の魂をおれの式にして、彼の世での生活で扱き使ってやるからな」

「死ぬつもりはないが、それはそれで面白そうだ」

 晴明を背に乗せて、博雅は馬を走らせた。雷鳴に驚き、並の馬では使い物にならないと思われたが、晴明が術で馬の耳に細工をしたおかげで問題なく馬は足を動かした。

 




晴明さんの家の周りには結界が張ってあるので、そもそも家に入れたくない相手は晴明が出るまでもなく用件を忘れて帰ってしまいます。
あまり晴明さんも仕事を任されることがなく、大抵は師匠のほうに行くのでそれでも問題ないんですね。実はまだ、十代前半ですから。でも、当時としては結婚できる年齢ですけどね。
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