「懐かしい光景だ。昔、よくこうして駄弁ってたっけ」
キズナは学生時代によく利用したカフェで馨と向き合った。
キズナは下は細いジーンズ、上は白いシャツに薄手のカーディガンというラフな私服姿だ。どこにでも売っているような安物で、決して値の張るブランド物ではないのだが、キズナの『よさ』を滲み出させるコーディネートであった。
対する馨は、キズナも三月までは袖を通していた懐かしい制服である。
自分も女子でありながら、女子をハントするのが趣味という変わり者の後輩である。決して同性愛者ではないが、きっと両方いけるというヤツなのだろう。多くの女性と愛を語らうのも、双方が同意の上であれば周囲がとやかく言うこともない。
「やっぱりかおるんには男物が似合うんだなあと再確認したわ」
「ありがとうございます。僕自身も、そう感じているんですよね。それに男物のほうが楽ですし」
馨が女子の制服さえ着ていなければ、美男美女のカップルに見えなくもない。顔立ちが整った美人でありながら、女子の制服よりも男子の服のほうが似合うと思ってしまうのは、それだけ中性的な顔立ちだということなのだろう。もちろん、立ち居振る舞いが凡その女子の琴線に触れるものだということも大きい。
キズナは店内を一瞥する。
「三ヶ月程度じゃ、大して変わらないか」
キズナが高校を卒業し、日本を発ってからそれだけの時間が経っていた。だが、表面上、目に見える部分での変化はほとんどない。
店内もそうだし、店に出入りする客層も代わり映えしない。見覚えのある後輩の顔もちらほらと見える。一様のキズナのほうを見て、ひそひそと話をしている。
キズナも馨も、そんな周囲の視線には構わず話を続けた。
「そんな簡単には、世の中変わりませんよ。そちらはどうなんです? 派手に暴れていらっしゃるのはよく伺いますが、龍巳さんとの交友関係などは?」
「あ、それ気になる? 気になっちゃう?」
「あぁ、やっぱりいいです。長くなりそうなので」
キズナは途端に相好を崩し身を乗り出してきたので馨はキズナを押し戻すように両手を前に出して拒否した。
しかし、キズナはまったく馨の話を聞いていなかった。ニコニコとしながら、口を動かす。
「まあ変わるっていうかわたしたちはもともとそうだったんだけどそれでもやっぱり長く幼馴染っていうの戦友でもいいけどそういうのをやってるとその関係で安定しちゃうっていうのがあるのそれでその壁を壊すにはそれなりのきっかけが必要だったわけだけれど縁あって同じベッドを使わざるを得ない状況になると向こうも男でこっちは女なものだから気になるものは気になるでしょ落ち着かないというか意識してしまうというかああ好きなのは前からよでもそれを行動に移すというのはなかなか勇気がいるものでかおるんみたいに恋多き生活をしてきたわけではないしどうしたものだろうかと悶々としてたりもしたのだけれどでも結局収まるところに収まるものねこの前なんかマンティを作ってみたのだけど全部食べてくれて美味しいって言ってくれたし龍巳のほうもオペラに誘ってくれたりして一緒に観たりもしてそうそうその後にも……」
ぺらぺらと、聞いてもいないこともまでなんとも楽しそうにするキズナの話を聞きながら、馨はブラックコーヒーを選ばなかった二十分前の自分を恨んだ。
きっと、誰かに話したくて仕方がなかったのだろう。どこからそれだけ話のネタが出てくるのかというくらいにキズナの話の内容は豊富だった。神獣を狩ったり、反社会的カルト集団を潰したりといった不穏な情報がデートにカテゴライズされていたりと気になるところは多かったが、質問をしては話が長くなる。馨は、相槌を打つことに専念することにした。
キズナの思い人である龍巳はどこにいるのかというと、実はまだアルメニアにいる。
その気になれば、いつでも召喚できるということもあり、ヴォバン侯爵の動向も気になるので空を飛び、距離の概念すらなく長距離を移動できるキズナが一人で日本にやってきたのである。普段時間のかかる公共交通機関を使うのは、道中の景色や移動そのものも旅の醍醐味だと思っているからである。
一方的なのろけ話を、さらに五分ほど続けたキズナがストローを咥えたのを見計らって、馨は話題を変えるべく、身内の話を始めた。
「なかなか充実しているようで何よりです。変化といえば、こちらも新しい環境に適応するためにてんてこ舞いです」
世の中は変わらない。けれど、それを構成する要素は変化する。マクロな視点では代わり映えしない日常は、ミクロな視点でその歯車を取り替えながら維持されている。
一年のうちの最大の交換時期は春、入学入社入庁が重なる四月である。
正史編纂委員会には、さらに大きな、それこそ構造そのものを揺るがしかねない大きな変化があった。
「八人目の少年か」
「はい。どこかの誰かさんが日本を出て行った直後のことでしたから、さて、どう動こうかという話で大分混乱しました」
馨は冗談めかしてキズナに言うが、そのときの混乱は馨をストレスで殺しかねないほどのものであった。日本最高峰の呪術師であり、霊視能力者であり、しかもカンピオーネであったキズナがすべての責務を放り出して日本から遁走した直後に呪術に関して完全など素人の日本人カンピオーネの出現だ。
大混乱などという言葉で片付けるには、あまりに議論すべき問題のスケールが大きすぎた。
「で、どう解決するの? その諸問題」
キズナはアイスコーヒーに浮かぶ氷をストローでつつきながら、尋ねた。
「基本的には触らぬ神に祟りなし。ただ、偶然彼の身近に媛巫女がいましたので、彼女を通して接し方を検討しているってとこです」
「へえ、どういうこと? 媛巫女?」
「同じ学校で、同じ学年だったんですよ。運のいいことに
「誰? わたしの知ってる娘?」
「万里谷祐理ですよ。もちろん、覚えていらっしゃいますよね?」
「え、あの娘なの?」
キズナは脳裏に茶色みがかった長髪の媛巫女を思い浮かべる。最後にあったのは、七雄神社の媛巫女職を引き継いだ三月の初頭だ。
「なるほど、それはかおるんからすれば幸運だったね」
祐理は容貌も能力も高水準の少女である。少々堅物であるが、媛巫女の資質はキズナに次ぐ。神祖の娘であるキズナと神祖の末裔の一人でしかない祐理では血の濃さに断崖の如き差があるはずなのに、彼女の力は目を見張るものがあった。
祐理の能力が、政治的にどのように利用されるかは、容易に想像がつく。
「一応、わたしの弟子だから、丁重に扱ってね」
「あなたにそう言われてしまうと、ますますこちらは動きにくくなってしまうんですけどね……」
馨は頬を掻く。彼女としては、祐理には精一杯組織のために働いてもらいたい。個人の情と組織の長としての義務を天秤にかけて、後者を選択できるのが馨の強みである。その選択に苦しむことがあっても、顔に出さずにやりきることができるのである。
しかし、カンピオーネに婉曲的にとはいえ釘を打たれると選択肢は狭まってしまう。
「ところで、」
キズナは玩んでいたストローから手を離した。
「この国に、狼のお爺ちゃんが来てるらしいね」
「……どこで、それを?」
馨は一気に神妙な顔つきになる。
デヤンスタール・ヴォバンは魔王が魔王と呼ばれる元凶とも言うべき存在である。キズナを除けば現存最古のカンピオーネであり、世界の呪術師が思い描くカンピオーネ像を確立した人物だ。
これまで、その活動は欧州に限定されていたが、何を思ったのか彼は今日本に滞在中であるとのことだ。
「カンピオーネに慣れていない日本と違って、向こうは結構敏感だからね。問題を起こさないカンピオーネがいない環境だから、カンピオーネが動くとその情報は瞬く間に広がるの」
「そうなのですか。ちなみに、その中にアルメニアのカンピオーネも入っているんでしょうか?」
「ハハハ、三ヶ月ちょいのカンピオーネがそんな悪名高いわけないでしょう」
キズナは笑って馨の言葉を一蹴した。
三世紀に渡って世に恐れられるカンピオーネと、姉さまと年下に慕われるカンピオーネとでは雲泥の差があるのだ。
「と、まあ冗談は置いといて、あの人、いったい何しに日本に来たの?」
「さて、それは僕も知りたいところでしてね。フットワークの軽い方と伺っていますし、どこに現れても不思議ではないのですが、あの方と縁のある者は、それこそ万里谷祐理くらいのものです」
祐理がヴォバン侯爵に拉致され、神の召喚に関わったのは四年前だ。彼女は巫女として図抜けた力を持っていたので無事に日本に戻ってこれたが、神を召喚する際に集められた巫女や魔女の大半は発狂したり、命を落としたりした。それだけ、危険な儀式だったのだ。
キズナはコーヒーを一口味わい、眉根を寄せた。
「ふぅん、なるほど」
「危惧するところはおそらくは同じなんでしょうね」
「自分から祐理に手を出しに来たとなれば、それは問題ね」
キズナは身内には甘い。他人嫌いだった過去の自分も、「先生」と慕った人物や龍巳の前世である博雅には心を開き、大事に思っていた。
ヴォバンが弟子に手を出すのなら、師としてキズナが動くのは道理に適っているだろう。
「今回は、様子見に徹していただけませんか?」
しかし、そんなキズナの心中を見越してか、馨はそう言った。
「何を?」
「もしも、先輩が侯爵の相手をするおつもりなら、今回ばかりはお控えください」
「それは組織の長としての依頼?」
「おや、先輩からしたら、僕は可愛い後輩ポジションだと思っていたのですが」
「わたし、もう学生じゃないしなぁ。世知辛い社会人だし」
そう言いながらも、頭の中では馨の真意を想像する。
ここで、馨の申し出を断るのは、彼女の面目を潰すことになるだろうし、弟子と後輩のどちらを取るのかという判断を強いてくる点も悪辣だ。キズナが何を基準に行動しているのかを明らかにしようという魂胆が見え隠れしている。
「ちなみに、お爺ちゃんがあの娘に手を出して、わたしが動かなかったらあなたはどうするの?」
「もちろん、そのときには我が国の魔王様が動いてくださいます」
「なるほどね。本当に、かおるんってばイイ性格してるわ」
草薙護堂が祐理と同じ学校で、しかもすでに面識があるというのはすでに聞いた。護堂の人となりは、以前サルバトーレに刺されて死にかけているところを助けた際に見ている。戦闘面でのセンスはあるが、戦闘バカではない。だが、仲間の窮地は無視できない。そういう性格の男だった。事実、サルバトーレとの戦いも、エリカの窮地を察してのことだったという。となれば、祐理が狙われていると聞いて、大人しくしているとは思えない。
「ま、ならいいわ。草薙君が戦えなくなるまでは様子を見といてあげる」
「ありがとうございます、先輩」
「別にお礼なんていいわ。わたしも、ウルスラグナの権能はこの目で視たいからね」
まだ、護堂の権能ははっきりとした情報がない。
キズナが知っているのは、神速と格闘能力向上、怪力、猪召喚、言霊の剣そして太陽だ。それぞれ、当てはめれば、『鳳』『駱駝』『雄牛』『猪』『戦士』『白馬』であろう。ここに、未確認ながら復活、あるいは再生の『雄羊』を加えると、七つの化身を使い分ける権能であるということが分かる。
ウルスラグナは十の化身を持つ神だ。まさか、七つだけということはあるまい。まだ、権能を掌握しきっていないのか、それともただ表に出ていないだけかは不明だが、『山羊』や『少年』『強風』の化身も気になるところだ。
護堂の切り札は『白馬』と『戦士』。後者は詳しくは分からないが、前者はヴォバンの狼とは致命的なまでに相性が悪い。
なにせ、あの狼はアポロンの権能。闇と大地から生まれて光の陣営に登った太陽神である。
だからこそ、護堂の最大火力であろう『白馬』は決定打にはならない。
その状況で、どうやってあのヴォバン侯爵と戦うのか、楽しみだし、それを思えば、キズナもわざわざ日本に戻ってきた甲斐があったというものだ。