ヴォバン侯爵と共同で『まつろわぬ神』を招来する儀を執り行う決定をしてから、キズナはアルメニアに帰国した。ヴォバン侯爵が派手に嵐を起こしてくれたおかげで同窓会が延期になってしまったのである。それは、想定外の事であった。
「ヴォバン侯爵と『まつろわぬ神』を召喚するだって!?」
キズナからその話を聞いて、龍巳は唖然とした。まず、彼女が何を言っているのか分からず、次にその可能性を考慮しておくべきだったと後悔した。
月沢キズナの趣味であり生きがいこそが呪術の収集と研究なのだ。『まつろわぬ神』を招来する儀式という世界で最大級の儀式に、彼女が興味を示さないはずがない。
そしてヴォバン侯爵が四年前に彼女の弟子である万里谷祐理ら多数の魔女や巫女を拉致して、まつろわぬジークフリートの招来に成功している。
その英雄神自体は、乱入してきたサルバトーレ・ドニによって斬り伏せられてしまい、ヴォバン侯爵とサルバトーレが完璧に決裂した一件としても非常に有名になっている。
どうやら、ヴォバン侯爵は四年前と同じ儀式を再び執り行うつもりなのだ。そこに、キズナが自身を巫女として参加し、儀式の枢要を調べる腹積もりでいるらしい。
龍巳はため息をつきながらも、計画について尋ねた。
「あれ、てっきり怒るものかと思っていたんだけど」
「怒ってどうなる話でもないだろ……」
キズナが突発的に行動を起こすのは慣れっこだ。彼女は大まかに見れば計画的な性格だ。転生してから十八年間野に潜み、機を伺い、この時代のカンピオーネの現状を探りつつ、自分の身体がかつての身体に作り代わり万全な状態へと変化するのを待っていたことからもそれは分かる。しかし、それと同時に一度興味を持ったものに対して、その場の感覚で後の行動を決定してしまう悪癖もあった。
つまり、全体の計画に変更が生じない限りに於いては、細かい路線変更は止むなしという考え方なのである。
そして、そんなキズナと生涯を共にし、さらに今生でも一緒に行動している龍巳はもはや突っ込む気力すらない。むしろ、その路線変更が周囲に与える悪影響をどれだけ削減できるかという点に腐心すべきだと心得ている。
「で、どうするんだ?」
「予定では、来週にギリシャのオリンポスでやる予定」
「そうかい。もうどこの神様に声をかけるのか、大体分かるな」
「バルカンの魔王だしね。地元がいいんじゃない。どこが地元か、よく知らないけど」
ヴォバン侯爵の二つ名はバルカンの魔王だ。
それは基本的にバルカン半島を拠点に活動していることから名付けられた。しかし、突然日本を訪れたことからも分かるとおり、ヴォバン侯爵はフットワークが軽く、どこにでも現れるので地名を活動場所と認識するのは誤りであろう。
「オリンポスか。本当に、大丈夫なのか?」
「さあ、どうでしょう。まあ、戦うのはわたしじゃないし」
などと、言う。
無責任なことだ。けれど、それも仕方がない。
カンピオーネの決定だ。唯々諾々と従い、その上で、人としての最善を尽くすしかない。
幸いなことに、儀式の場となるのはオリンポス山。
神話に名高い霊峰であるが、人里離れた土地だ。街中で儀式を執り行わないだけ、まだましといえるだろうし、現地には二人のカンピオーネがいるわけだから、ヴォバン侯爵に何かあっても、キズナがすぐさま動くことができる。
キズナに戦うつもりがあるかどうかは、まだ分からないが。
本人が、その気になるか否か。おそらく、当日まで本人自身も分からないだろう。
憂鬱な気持ちになりながら、龍巳は目を瞑った。
現地の呪術師たちとコンタクトを取るべきか否か。山の麓に起居する人々への対策。その他、諸々の雑務があると思うと、それだけで気が滅入るのである。
そして、二人がやってきたのは、ギリシャの穀倉地帯テッサリア地方にある都市リトホロ。カタールのドーハから飛行機を乗り継ぎ、ギリシャ南端のアテネに入る。そこからエーゲ海を右に望みつつ、やっとのことでここまでやってきた。途中観光もはさみつつ、日本を出発してから三日目にしてリトホロ到着となった。
この街は、ギリシャ最大の山であるオリンポス山の麓に位置していることから、神の街とも呼ばれる街で、オリンポス山への登山ルートがあるために登山者はとりあえずこの町を訪れる。
オリンポス山で『まつろわぬ神』が招来されたとき、最も被害を受けると予想されるのも、この街の住人である。
「長かった長かった。地方都市はこれだからねぇ」
とキズナは上半身の固まった筋や間接を伸ばしながら愚痴を言う。
「嫌なら、飛べばいいじゃないか」
キズナには飛行能力がある。権能でも飛べるし、呪術でも飛べる。世界中の呪術を修めたキズナは、魔女術にまで手を伸ばしているのである。
「嫌よ、そんな面白みのないこと」
キズナは首を振って龍巳の意見を拒否する。
旅は過程も大切だと、彼女なりのムダを楽しむ意識がその根底にある。ただ、長時間の移動で身体が痛くなるのが嫌だというだけで、移動そのものが嫌だというわけではないのである。
「それでも、これから飛ぶんだけどね」
キズナはそう言ってオリンポス山を見上げる。ギリシャ最大とはいえ、標高はそれほど高くはない。三千メートルに届かないくらいなので、富士山よりも低い。
「しかし、オリンポス十二神が暮らす山っていう山にしては低いし、形も悪いなぁ」
キズナの失礼な発言は、富士山と比較した日本人的感性によるものだろう。オリンポス山は、富士山のような独立峰ではなく、形状も横にま伸びている。これはオリンポス山塊が、ピンドス山脈の支脈という位置付けになっているからである。
もっとも、だからといって神秘性が富士山に劣るということもなく、景観は絶景の一言だ。形が悪いというのは富士山という均整の取れた形状と比較すればであって、オリンポス山は形状というよりも、その周囲の景色とも相俟った圧倒的な景観にこそ意味がある。
「それじゃあ、俺は現地の呪術組織の人と協議してくるから」
「ん、じゃあ、また」
龍巳とキズナはそこで一旦別れた。龍巳は、オリンポス山での儀式の影響を最小限に抑えるべく、ギリシャ有数の呪術組織とアルメニア修道会を介して連絡を取り、秘密裏にこの近辺に避難勧告を出させている。その最終調整に入るため、直接この地の呪術師と協議しに行った。
そして、キズナはこれからオリンポス山の山頂に向かう。
運動神経が皆無のキズナが、三千メートル近い山を登るかといえばそのようなことはなく、隠形術で衆目から隠れつつも、空を飛んでショートカットする。
オリンポス山を登るとき、目的地は主に二つに分かれる。
一つ目は、スコリオ・ピーク。
体力こそ必要なものの、登山道が整備されており、初心者でも登ることができる点で人気がある。
二つ目は、ミティカス・ピーク。
スコリオ・ピークよりも五メートル高い、オリンポス山最高到達地点である。その意味は鼻。登山道は険しく、時には腕を使って岩壁をよじ登るような道もあり、スコリオ・ピークに比べて非常に危険なコースとなる。
キズナの目的地は、ミティカス・ピークのほうだ。
「徒歩で登るなんて正気の沙汰じゃないよ」
心底、理解できないとばかりに眼下の岩山を見る。
緑があったのは途中まで。高木は標高が高いほど低くなり、やがて植物が育成できない高さになると、むき出しの地面が白く太陽光を反射するようになる。
なるほど、神話の最高神が住まうとされる山だけあって、その美しさは言葉にできない。
「別に、こんな山の上でする必要性もない気がするんだけど」
と、キズナは儀式場を設定したヴォバン侯爵の愚痴を言う。
彼が、わざわざこのような険しい山の上で儀式を執り行うのは、特別な意味があるわけではなく、ただ見栄を張っているからだろうと推測する。
オリンポス山は、ルシファーと戦ったアララト山ほどには高くない。けれども、その形状から険しさはこちらのほうが上かもしれないと思ったりもする。登る場所にもよるだろうが。
「いた」
ミティカス・ピークにはすでに三人の人影があった。こんなところにまで背広でやってきた老カンピオーネは、強い風が吹きつける岩場にあってまったくバランスを崩すことなく立っている。そして、その前に佇むのは、ヴォバン侯爵が操る屍の魔女であろう。生気をまったく感じない。
「早いわね。お爺ちゃん」
「貴様と違って、私は下準備もせねばならんからな」
かつての遺恨を感じさせない気さくなやり取り。共に、王としてのキャリアは百年を越えるだけに昨日の敵を今日の友とする展開を知らないというわけではない。
しかし、その経験が少ないのは大抵の敵とは融和しないままに終わることが多いからである。
「それで、準備は整ってるの? それが出来てないことには、巫女の職責も果たせないのだけど?」
「無論だ。この私がそのようなヘマをするものか」
ヴォバン侯爵は膝をつく二人の魔女にエメラルド色の目を向ける。
すると、その魔女はどこからか杖を呼び出し、その先端に足元の岩を叩いた。
杖の先から青い呪力が溢れ出し、岩場を侵していく。描かれるのは複雑精緻な魔法陣だ。半径五メートルになろうかという大きさで、傾斜は特に考慮する必要がないようだ。
キズナは魔法陣の組成や紋様、性質を興味深く眺める。
基本になっているのは典型的な魔女術の儀式形態だ。
そこに、アニミズム的な世界観を取り込んでいるのか。分かっていたことだが、西洋よりの術式である。騎士魔術のようなさっぱりとしたものではなく、おどろおどろしい魔女の叡智が込められたそれは、おそらく唯一神系の信仰の中では否定される術式であろう。
『まつろわぬ神』を招来する術式が正統な西洋呪術の系譜を引くはずもないか。
中世的な発想では、この儀式で呼び出される神々の大部分が西洋人にとっては異教徒の神、あるいは悪魔あのだから。この儀式は、悪魔崇拝に近い性質を帯びた術式なのである。
「なるほどね。これは、すごいわ」
キズナですら、これほど精緻な術式に触れる機会は多くなかった。とてつもなく大規模な儀式でありながらも、それなり以上の才能があれば少数の術者だけで展開できるのも魅力的だ。
「ところで、お爺ちゃん。あれから、まだ一週間と少ししか経っていないのだけど、消耗は大丈夫なの?」
ヴォバン侯爵と草薙護堂の戦いから、まだ半月も経っていない。彼が油断して受けたダメージはそれなりにあっただろうし、特に呪力は未だに回復していないようにも見える。
しかし、ヴォバン侯爵は笑う。
「クク、この程度の消耗、モノの内にも入らぬわ。むしろ、私にとっては好都合だ。ちょうどいいハンデといったところか」
「お爺ちゃんがそれでいいならいいけどね」
基本的に格上の『まつろわぬ神』を相手にして、ハンデと言い切るヴォバン侯爵の自信には呆れるばかりだが、実際にこの老人は三世紀にも渡って多くの神々と闘争を繰り返してきた破壊の化身。彼自身が昔話に語られるほどの怪物なので、この自信も根拠がないわけではないのだ。
「貴様こそ、私の心配をしている場合ではないだろう。儀式に失敗したとき、私の獲物は『まつろわぬ神』から貴様に代わる。その覚悟はしているのだろう?」
「するわけないでしょ。わたしを誰だと思っているのよ。儀式に失敗なんてありえない。もう、この術式は掌握済みよ」
「ほう、ならばよい」
ヴォバン侯爵はいよいよ四年越しの悲願を達成するときだと気分を高揚させる。彼の気持ちの昂ぶりが、雲を呼び、風と雨を撒き散らす。標高の三千メートル付近の、周囲に何もない状況で嵐が来たものだから、その風の強さは東京のそれに比べて桁外れに強い。
しかし、儀式の場となるこの山頂部分だけは、ヴォバン侯爵が風を制御しているために無風状態を維持していた。
「では、儀式を始めようか」
「触媒は?」
キズナが尋ねる。
『まつろわぬ神』を招来するには、司祭、巫女、触媒の三つの鍵を必要とする。
問われたヴォバン侯爵が答える。
「この山そのものが触媒だよ」
「なるほど。了解」
オリンポス山は、ギリシャ神話最高の神々が住まう山として信仰を集めた。その山を触媒として『まつろわぬ神』を呼べば、呼び出される神は自ずと強力な面々に絞られる。英雄も含めれば、ギリシャ神話はあまりにも登場人物が多く、物語そのものを触媒にした場合有象無象が呼び出される可能性がある。ヴォバン侯爵の狙いは、小神ではなく、大神クラスの大物だ。
周囲が暗雲に覆われる中、魔法陣が放つ青い光だけが道しるべとなる。
キズナは深呼吸して、無我の境地に至る。魔法陣と意識をリンクさせ、この世ならぬ世界と更新するための器となる。
この儀式ではキズナは特に呪文をとなる必要はない。
なぜなら、儀式を執り行っているのは司祭を務めるヴォバン侯爵だからだ。巫女の役割は、向こう側との橋渡しだ。
大地が鳴動し、魔法陣の輝きが一層強くなる。風が支配されている世界にはありえない、強烈な旋風が巻き起こり、二人のカンピオーネの身体に力が漲る。
間違いなく、『まつろわぬ神』が現れる前兆である。
ヴォバン侯爵は笑みを深くし、そして、叫ぶ。
「さあ、出でよ。まだ見ぬ我が獲物よ! このヴォバンの前に姿を見せるがいい!」
もはや光の奔流とも言うべき輝きがにわかに強まり、膨大に過ぎる呪力が吹き荒れて爆発する。猛々しい呪力が二人のカンピオーネの身体を打ち、そして視界が揺れるほどの地震がオリンポス山を揺らした。
「ッ……」
光が消えると、そこには何事もなかったかのように明滅する魔法陣があった。
『まつろわぬ神』の姿はない。が、しかし、キズナもヴォバン侯爵も、一言も発せず周囲に意識を配っていた。
目の前にはいないが、明らかにその気配を感じている。身体に満ち満ちたこの感覚は、儀式の成功を物語っていた。
どこに潜んでいるのか。あるいは、まだ寝ぼけているのだろうか。身動き一つできない緊張感の中で、キズナは背筋を汗が流れ落ちるのを感じていた。
ふと、気が付いた。
手を付いていた岩肌が、熱い。熱を帯びている。
「あっつ……!」
キズナにも熱を感じさせるほどの高温。方々に残る雪は瞬く間に小さくなって消えてなくなる。
これはまずいと、キズナは地を蹴って飛んだ。
「フハハハハ、来るか!」
ヴォバン侯爵の独特の嗅覚が、先にそれを感知した。
岩山が鳴動する。
そして、山の頂上付近が一気に吹き飛んだ。
「く……!」
吹き荒れる熱風に、キズナは両腕を眼前にクロスして耐え、後方に跳んで逃れる。飛んでくる岩塊の一部が溶解している。
山の中から現れた、一柱の神。
「十二神の誰かが出てくると思ったんだけど……」
咆哮するのは、巨大な魔獣。神というよりも、それは悪鬼の類であろう。
「まさか、ギリシャ最大の災厄が出てくるなんて」
キズナは、一目見ただけで神々の素状を見抜く霊視能力を持っている。だから、あの『まつろわぬ神』の真名も視えているのだ。
現れたのは蛇の化物だ。
体長は百メートルを越え、上半身は人間、下半身は蛇の姿だ。肩からは無数の蛇の頭を生やし、目は燃えるように赤い。また、背中には一対の蝙蝠のような翼が生えている。
「さて、あの怪物に対するべきお爺ちゃんはどこかな」
まさか、一撃目で消し飛んだわけがないだろう。
気配を辿ってみると、初期位置から大分離れた岩の上に悠然と立っていた。狂悪な笑みを浮かべているのが良く見える。
挨拶だけしていこうと、キズナはヴォバン侯爵の下に降下する。
「あの神様はあなたの口に合うかしら?」
「上々だ。ゼウスあたりを狙っていたが、まあ、あれだけの魔物であれば、十分だろう」
「そ、じゃあ、ちょうどよかったわね」
そう言って、キズナは怪物に目を向けた。
「あれは、テュポーン。ゼウスですら敗退した災厄の化身だから」
神の名を聞いたヴォバン侯爵は、ついに大声で笑い出す。
「テュポーン。なるほど、確かにその威容は神に挑む怪物に相応しい! 私の渇きを癒すには、好都合の神ではないか!」
「じゃあ、儀式も見れたし、わたしは離れさせてもらうけれど」
「ああ、貴様には感謝しなければな。戦の後で、相応の金品をくれてやろう」
それ以降、ヴォバン侯爵の興味は完全にキズナからまつろわぬテュポーンに移ったようで、キズナの行動には一切気を払う様子がなくなった。
キズナもそれでいいかと、さっさと別れを告げてその場を去る。怪獣同士の決戦を間近で観戦するつもりもなかったからである。
それに、先ほどから妙な視線を感じて止まない。自分たちを観察するような目。巧妙に気配を隠しているようだが、呪術でキズナを欺こうなど思い上がりも甚だしい。
おまけに、この不快感。
この視線の主は、間違いなくキズナにとって大敵となる存在だ。
「今の内に、叩くか」
神々ほどの力を感じない。ということは、前世の母と同じ神祖の類であろうか。
キズナは再び地を蹴って標的の潜む位置まで飛ぶ。背後では、巨狼と化したヴォバン侯爵がまつろわぬテュポーンと組み合い、オリンポス山の標高を削り取っていた。
□
キズナがやってきたのは、オリンポス山を降った中腹の森。二三の固有種を有する植生の豊かな土壌がオリンポス山の売りでもあり、緑深い森は、静謐な空気に満たされていた。
木陰を睨みつけ、キズナは言う。
「そこにいるのは神祖の方かしら。よろしければ、お顔を見せていただけますか?」
珍しく丁寧な口調で語りかけるのは、母が神祖だったことも影響している。
姿は見えないが、キズナの目にははっきりとそこに潜む少女の形が浮かび上がって視えている。
しばしの猶予の後、景色が人一人分盛り上がり、そして迷彩が解けてブロンドの美少女が姿を現した。
「お初にお目にかかります。月沢キズナ様。まさか、これほどの距離を隔ててグィネヴィアの隠れ身を見破られるとは思っておりませんでした」
「グィネヴィア。それが、あなたの名前?」
「ええ。その通りでございます」
微笑むグィネヴィアは、年の頃は十代の前半といったところであろうが、それにも関わらずに大人の色気すらも感じさせる不思議な少女であった。まさしく、魔女というべき風格だ。
そして、キズナはグィネヴィアという神祖について、すでに知っている。賢人議会のデータベースにアクセスして、内部文書を読んでいたからだ。
「わたしたちの儀式を盗み見るなんて、どういうつもり?」
口調は、すでに敵対的なものとなっている。相対して、この娘とは相容れないということが如実に分かってしまったからだ。
グィネヴィアを放置するのは、キズナにとって害悪となる。理由はないが、確信はあった。
キズナに問われたグィネヴィアは、妖艶な笑みを浮かべた。
「『まつろわぬ神』招来の儀を執り行うと聞いて、じっとしていられる性分ではないのです。グィネヴィアもまた、ある神を招来せんとしているもので」
「へえ……どんな神様かな。グィネヴィアの癖に求めているのはアーサー王じゃあないなんて」
「六年前の件をご存知なのですね。それでしたら、あのお方はグィネヴィアが求めるアーサーとは別物でしたと宣言しましょう。紛い物に懸想しているなどと思われるのは不快ですもの」
「壮絶な毒を吐くのね。まあ、気持ちは分かるけど」
グィネヴィアは『アーサー王伝説』に登場するアーサー王の妻だ。その名は『白い妖精』を意味するとされ、役割から地母神の一柱にも数えられる。古き伝説や神話を取り込んで成立した『アーサー王伝説』はその登場人物の多くがケルト系やピクト系の神々を下地にしているのである。
「グィネヴィア。あなたが、呼び出したい神様って何? そこまでして、何を求めているの?」
「グィネヴィアはただ、想いを遂げたいだけ。同じ乙女として、この気持ちを分かってくださるかと思っております」
慇懃無礼なグィネヴィアの態度は、キズナを対等なものと見なしていない。謙りつつも内心で侮っている。そんな態度だ。
正直に言えば、ものすごくNOを突きつけてやりたい。
「ま、その気持ちは分からなくもないわ」
ともあれ、敵の目的が判然としない以上は話を伸ばすのが懸命な判断だ。
「で、あなたのことを知ったときに、面白い話を聞いたわ。アレクサンドル・ガスコインと接触したときのこと。魔導の聖杯と最後の王。資料に誤りがなければ、あなたのことよね?」
「ああ、確かに。如何にもそれはこのグィネヴィアのことに相違ありませんわ。あなた様も魔導を窮めんとするお方。聖杯に興味がおありでしたらこのように……」
と、グィネヴィアが地面に手を翳すと、黄金の輝きが湧き上がった。
現れたのは、金色に輝く壷のようなもの。溢れ出るのは、大地の呪力だ。『まつろわぬ神』数柱分にはなろうかという膨大極まる呪力の塊。キズナは思わず息を呑んだ。
「もしもキズナ様が協力してくださるのなら、この聖杯を差し上げても構いませんわ」
「協力?」
「我が主。『この世の最後に顕れる王』を共に見つけてくだされば、それだけで結構です」
『この世の最後に顕れる王』。
キズナはそのワードに全身の鳥肌が逆立つような悪寒に襲われた。
そして、頭を殴られるような貧血と暗転。
次いで、
「神殺しの魔王を討ち果たす、流浪の定めを背負いたる王……矢を以て竜を、討つ……名は、ぐぅッ」
激しい頭痛に襲われて、キズナは現実に戻ってきた。一瞬、視えかけたのは、かつて対峙したあの貴公子の姿だ。名も知らぬ、しかし恐るべき強敵であった。
「驚きましたわ。このグィネヴィアですら、あのお方の所在はおろか、霊視すらいただけないのに。少し妬けてしまいますが、キズナ様であれば、あのお方を探し出すことができるはず。どうか、グィネヴィアを助けると思い、手をお貸しくださいませんか?」
魔導の聖杯。確かに欲しい。キズナの好奇心が大いに刺激される。だが、
「お断りだわ。あなたに手を貸すつもりはない」
キズナは拒否する。
あの恐るべき怪物を蘇らせるわけにはいかない。およそ、あらゆる魔王が、彼に討伐されてきた。実際に、キズナも討ち果たされ、転生に一〇〇〇年もの月日を費やしたのだ。
この神祖は、おそらくはあの英雄神に命を捧げた地母神の成れの果てであろう。
転送の術で拳銃を手元に呼び寄せ、グィネヴィアの頭を狙って発砲する。グレムリンの権能で強化された弾丸は、神祖の術で防ぐには強力すぎる。
しかし、キズナの放った銃弾は、グィネヴィアの顔面を捉える寸前に横合いから突き出された馬上槍によって弾かれた。
「ッ」
キズナは大きく後方に跳躍する。一瞬前までいた地面が抉り取られていた。
「危なかったな、愛し子よ」
現れたのは、馬に跨る騎士だった。白銀の西洋甲冑に全身を覆い、その容貌は杳として掴めない。
「騎士の神……ランスロット・デュ・ラック」
「一目で余の名を見抜いたか。驚くべき慧眼だな、神殺し。如何にも、余はランスロット・デュ・ラック。愛し子と共に主探しの旅をしている」
快活な声で、ランスロットは言う。
キズナの身体には力が漲り、ランスロットが『まつろわぬ神』であることを教えてくれている。しかし、不可解なこともある。『まつろわぬ神』が神祖に拘りすぎではないかと。ランスロットだから、グィネヴィアと共にいるのは間違いではないかもしれないが。
「さて、卿はまだ言いたいことがあるかも知れぬが、交渉が決裂した以上は退散させていただくとする。戦場で背を向ける無礼を許せ。神殺し」
そう言うと、ランスロットの周囲から霧が立ち上る。目隠し、というよりもランスロット自身が霧と化して逃れるための偽装であろう。
「逃がさないっての!」
キズナはグィネヴィアを絶対に逃がすつもりはなかった。ランスロットが邪魔をするのなら、ランスロットごと始末をつける。
印を結び、不動明王の火界呪を唱える。
炎が、霧を駆逐する。斬ることも突くこともできない霧も、炎による面制圧ならば焼き払うことができるのだ。
「ぬうっ」
霧が吹き散らされて、ランスロットの姿が露になる。
背後にグィネヴィアを庇ったのはさすがというところだが。
「やっぱり、本調子じゃないみたいね。どこかおかしいと思ったわ」
「ふ、さすがに神殺し。一筋縄ではいかぬな」
ランスロットは槍を握りなおしてキズナに向かい合う。
「だが、今の余でも愛し子を逃がすくらいはすぐにできそうだ」
「やって、ッ」
ランスロットは騎乗した状態で瞬時にキズナとの距離を詰めると、一息に十もの刺突を繰り出してきたのだ。これにはキズナも意表を突かれて後退するしかなかった。その隙にグィネヴィアは転移で撤退してしまった。
舌打ちするキズナは、ランスロットをにらみつけた。
「仕方ない。あなただけでも貰っていくことにするわ」
「確かに、余を打ち亡ぼせば、愛し子の戦力は大いに落ちるだろう。それが分かっていて、容易く討たれる余ではないぞ」
ヴォバン侯爵の戦いが白熱しているのか、オリンポス山の頂上は暗雲に包まれ雷鳴と火山の爆発の如き炎が舞っている。風と雨と雷が、視界いっぱいに広がる中で、キズナとランスロットは静かに戦いの火蓋を切った。
媛巫女からも力奪うとか、キズナ最後の王と相性悪すぎ。びっくり。