極東の媛魔王《完結》   作:山中 一

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四十話

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 巨狼と化したヴォバン侯爵は、災厄の化身たる《蛇》テュポーンに組み付いた。大きさとしては未だにテュポーンのほうが大きいが、膂力では負けていない。

 人の身体をした上半身で、ヴォバン侯爵を押さえつけ、地に叩きつけようとするテュポーンとそれに抗い、その腹に牙を立てるヴォバン侯爵。

 両者一歩も譲らない。

 テュポーンは両肩の蛇を伸ばし、ヴォバン侯爵の首に無数の蛇を巻きつかせる。

「クハハハ。手ぬるいな! その程度で、私を倒せると思うなよ!」

 ヴォバン侯爵は、ふんぬと両足に力を入れる。それから、テュポーンの身体を丸太以上の太さの両手で抱えると、そのまま横倒しにして地面に叩き付けた。

「オアアアアアアアアアアアアアアア!」

 爪で首を刈り取ろうとするヴォバン侯爵の背中を、テュポーンの尾が叩いた。ヴォバン侯爵は前のめりに倒れ、崖下に転落する。切り立った岩山であるオリンポス山の頂上で騒いだのだ。こうなるのは当然である。

 しかし、その程度のダメージなどヴォバン侯爵にとってはあってないようなものだ。即座に風と雷を呼び、自らを見下ろす神話の怪物を強かに打つ。風によって、ヴォバン侯爵のほうにテュポーンを落下させたのである。雷と風に打たれながらも、テュポーンは平然としていた。落下の最中に体勢を整え、口から溶岩を吐き出したのである。

「オオオオオオオオオオオオオオオ!」

 ヴォバン侯爵はこの溶岩を風圧で散らした。そして、落ちて来るテュポーンの顔面を目掛けて拳を放つ。テュポーンもヴォバン侯爵に合せて握り拳を作り、互いに顔面を殴りあった。

 ただ拳を振るうだけで、大地を震わす威力。

 権能はどちらも似通っている。

 巨体での殴り合いも嵐を操る天候操作も、お手の物である。テュポーンがヴォバン侯爵の雷撃を受けても平然としていたのは、テュポーン自身が嵐の権能を持っているからだ。

 噴火と嵐を司るテュポーンは、台風の語源にもなったギリシャの怪物である。神代ではゼウスを打ち果たすために大地母神ガイアが奈落の神タルタロスとの間に儲けた純正なる大地の申し子である。ギリシャ最高の天空神ゼウスですら、当初はその力に敵わず敗北し、幽閉されるという憂き目にあっている。

 最終的にテュポーンは力を失いゼウスに敗れるものの、それでも不死性から打ち倒されることはなく、エトナ山の下に封印されて終わったという。

 力さえ失わなければゼウスすらも圧倒する最悪の魔物。ヴォバン侯爵が嬉々として挑むのも頷ける相手だ。

 

 

 

 □

 

 

 

 一撃が重い。

 キズナは飛び退いて、ランスロットから距離を取る。

 グィネヴィアは取り逃がしてしまったし、ここで彼女の戦力を削り取っておきたいところであるが、このランスロット。不完全な神のくせに異様に強力だ。

 かつての相棒と同じ、最源流の《鋼》に連なる神とでもいうのか。

「ランスロットのくせに、最源流ってのもおかしいけど」

 ランスロットの名が始めて文献に記載されるのは、クレチアン・ド・トロワの『ランスロまたは荷車の騎士』。クレチアン・ド・トロワは十二世紀のフランスの詩人で、現代に続く『アーサー王物語』の産みの親とも言うべき存在である。

 ランスロットという騎士は、ブリテンのアーサー王の伝説とは本来無縁の、完全なる架空の人物である。

 もちろん、地上に降臨する『まつろわぬ神』は、神話や叙事詩の登場人物だけでなく、架空の物語でも問題ない。基準は不明だが、それなりに普及している物語で、歴史があればいいようだ。

 そんな物語の登場人物が、最源流の《鋼》と言ってもいいか。

「あなたみたいな神と戦うのは初めてよ。本当に、不思議な神様ね」

「ハハハ、卿と死力を尽くした戦いができぬのは騎士の流儀に反しているのだろうな。だが、それも主のため。卿を討ち、愛し子のところに戻るまでよ」

 白銀の光に包まれたランスロットの突進は、荘子の守りですら貫きかねないほどに強力だ。愚直で、搦め手を一切考慮しない力一辺倒の攻撃だが、それだけに無駄がなく、破壊以外に特徴がないと言うほどの一撃である。

 ランスロットは一撃で地面を抉り取った後、上空にまで駆け上る。

 地上のキズナを目掛けて再び突進するためだ。無論、そのままやられるキズナではない。

「ここは、新兵器を試すには絶好ね」

 キズナは呪文を唱えて転送の魔術を使う。

 現れたのは巨大な鉄の塊であった。最も大きな直方体の鉄塊は甲羅のようなパーツで繋がっており、キズナはそれを背負うことで両肩に鉄塊を装備する。呪術で鉄の重さを軽減するので、常人なら潰れてもおかしくない超重量を背負うことができるのだ。

 また、両足の太ももにはベルトで直方体のケースである。

「グレムリン・パンツァーユニット……一斉射撃(バースト)ッ!」

 両肩に装着した六連装ミサイルポッド及び、両足の三連装小型ミサイルポッドが同時に火を噴いた。

 アルメニア軍内でグレムリンの権能で強化することを前提に製作された重火器である。両肩と両足のミサイルポッドで、同時に十八発のミサイルを打ち出すことができる。六連装ミサイルポッドが放つミサイルは、大きさとしては一リットルのペットボトル程度、三連装ミサイルポッドにいたっては、五〇〇ミリリットルのペットボトルと同程度という小ぶりなミサイルだ。しかし、権能に支配されたその破壊力は装甲車を一発で消し炭に変え、猟犬の如く敵を追尾する最悪の神具兵器と化している。

 おまけに各発射口には転送呪術が刻み込まれ、発射と同時に次弾が装填される仕組みになっている。これによって、間断ない砲撃を可能としているのだ。

 放たれたミサイルは、常軌を逸した速度と軌道でランスロットを追いかける。蜂が獲物に群がるようにランスロットを押し包み、そして巨大な炎を撒き散らす。

「これは、また厄介な技を。人間のからくりをここまでにするとは、卿の権能はずいぶんとひねくれているな!」

 人間の技術で神を殺そうというのだ。なんという発想だろうか。人が人を殺すために磨き上げた兵器を、神にまで届く殺戮兵装にまで育て上げる。それが、グレムリンの攻撃的用法であった。

「それでも」

 斬、とランスロットは槍を振るう。呪力の刃が迫り来るミサイルを斬り伏せて炸裂させる。

「そうそうに墜ちぬよ!」

 爆炎が嵐の中に赤い華を咲かせる。

 煙は瞬く間に風に流され、白銀に輝く星の如き騎士が悠然と立つ。

 赤熱した光がランスロットを襲ったのは、その直後である。

 直接受け止めるのは危険と判断して、槍の切先でなぞるように逸らす。音速を遥かに上回る弾丸を相手にして、信じがたい技量で退けて見せた。

「怪物」

 と、キズナは呟く。

 彼女の手にあるのは、人が扱う限界を優に上回る大口径のライフルだ。戦車砲と呼ぶほうが相応しい。その口径は実に70mm。これを、キズナが発する電力で形成する強烈な磁場で加速して放つ。要するに世界最強のレールガンだ。

 呪力に汚染された大口径レールガンは、その凶悪な性能と爆発を起こさない静穏性による不意打ちで途方もない効果を発揮する。

 もっとも、ランスロットには通じなかったが。

「もう通じないか」

 ランスロットの機動力と攻撃力、そして戦士としての才覚を考えれば、ミサイルによる攻撃も砲弾も無駄撃ちに終わる可能性が高い。

 強化によって神に通じるようになったとはいえ、その威力は他の権能に比べれば劣る。

 転移できる限界の大きさに縮小したので、ミサイルの大きさも小ぶりになってしまったのだ。今回は初実戦ということで。

 キズナはパンツァーユニットに念を送り、パージする。個々の部品に分解されたユニットは、自動的に武器庫に転送される。

 パンツァーユニットを背負っていては、ランスロットの高速戦闘に差し支える。一度見切られたからには、即座にユニットを外し、戦い方を変えるべきであろう。

 ランスロットは空中戦がそれほど得意ではないらしい。ミサイルとの追いかけっこでも、直線的な動きしかしておらず、アクロバティックな軌道はそれほど多くはなかった。

「なら……」

 キズナが得意とする空中戦にこそ活路を見出すべきだ。

 キズナが前かがみになると、その背中に十二枚の黄金の円盤が現れる。それは、左右に六枚ずつ展開され、その一枚一枚から、白銀の翼が生えた。

「ほう、十二枚の輝く翼。卿は墜ちた大天使から権能を簒奪したのだな!」

「つい最近ね。それで、この権能をあなたで試させてもらうわ」

 軽く、地を蹴る。それだけで、キズナの身体は軽々と空へ飛翔していく。風も雨も、キズナの身体に届くことはない。九尾、荘子、ドラキュラ……キズナの権能は、自らの肉体に作用するものが多い。変身系の権能は、キズナ自身が神祖の子――――人ではない者の血を引いているというコンプレックスを抱いていたことに端を発しているのだろうか。

「面白い。卿を打倒して見せよう」

 ランスロットは呪力を槍に乗せ、切先をキズナに向ける。白銀の雷撃が巨大な槍の穂となって伸び、キズナを両断しにかかる。

「光の御子の輝きに屈しなさい」

 ランスロットの光を、キズナは避けなかった。この程度、避けるまでもないと。差し出した手の平から、眩い暁の閃光を放つ。

 轟と光が激突し、互いに喰らいあって消える。

 その直後、キズナは前方に身体を投げ出す。光の激突を迂回して回りこんだランスロットが槍を突き出してきたからだ。

 キズナは空中で反転し、光の散弾をばら撒く。

 白銀の光と暁の光が空中で星のように明滅する。その美しさは、満天の星空を眺めているようだ。けれど、美しき流れ星も、地上に降れば災厄となるように、対消滅を免れた光は、森に墜ちてその一帯を消し飛ばす。幸運なことに、ヴォバン侯爵の降らせる大雨が、森林火災を最小限のものに食い止める役割を担っていた。

 戦闘は五分と五分。権能を掌握していないキズナと、本調子ではない上に苦手とする空中戦に持ち込まれたランスロット。どちらも能力に一長一短があり、そして万全ではないという点が上手く噛み合ってしまったためか、一定の距離を維持しての射撃戦の様相を呈していた。

「さすがだ、神殺し。その権能、未だ使いこなせていないように見えるが、それにも関わらずにこれほどの戦をしてみせるとは!」

 ランスロットはキズナの手腕を高く評価する。

 神速にも匹敵する高速移動を繰り返すランスロットにキズナは喰らいついている。それも、ランスロットの反撃に対応できる距離を維持し続けてだ。そして、この戦いも長く続けばキズナが不利になっていくのも見て取れる。

 キズナの翼が減っているのだ。

 時間と攻撃回数で、キズナの翼は上から徐々に羽を散らしていく。

 当初は十二枚だったキズナの翼は、今は九枚にまで減少していた。左右非対称だが、飛行には何の影響もないらしい。

「その翼は権能の持続時間を示すようだな。それに攻撃自体も、実のところその羽を変化させたものか。攻撃すればするほどに消耗しているのが目に見えて分かるぞ」

「こんなに、はっきりと分かりやすいのもないと思うけれどね」

 キズナもルシファーの権能を使ったのはこれが初めてだ。まさか、このようなはっきりと時間制限が分かる仕組みになっているとは。

 だが、どうにもそれだけではないような気がする。この翼の減少で、ルシファーの権能が切れるのは分かる。けれど、悪寒にも似た何か妙な感じがするのだ。何か別のものをカウントダウンしているような、そんな悪寒だ。

「自分の力なのに、よく分からないってのも困りものね」

 すでに九枚に減ってしまったが、それでも羽の数は多い。それはそのまま残りの弾数を示している。しかし、ここで厄介なのは、この残弾は、時間経過でも消費されるのだ。また、強い攻撃をすれば、消費される羽の数も多くなる。強大な代わりに使い勝手がいまいちな権能だった。

 チマチマとした攻撃はランスロットの耐久力を上回らず、権能の持続時間を徒に縮めるだけだ。

 であれば、一発でかいのを見舞ってやったほうがいい。

 たった今思いついた権能の使用法。

 キズナは自らの翼を二枚掴むと、思い切り引き抜いた。根元からごっそりに抜けた翼は、その根にあった金色の円環の消滅と共に翼としての役割を終える。

 キズナは引き抜いた二枚の翼を宙に放り投げて叫ぶ。

「ここに来なさい、悪魔の化身。我が魂の分け身である、凶悪なる赤き竜よ!」

 投げた翼が無数の羽に変わり、それらが真紅に染まる。そして、描かれる真紅の円から、世界を震撼させる咆哮と共に、巨大な竜がのっそりと出てきたのである。

 屈強な四肢と、蝙蝠のような翼。太い尾。典型的なドラゴンである。頭の先から尾の先端まで、一〇〇メートルを越え、足の先から肩まででビルの六階に達しようかという巨体だ。

 墜天使の象徴であり、西洋における悪の代名詞。

 赤い竜だ。

 その燃えるような目に睨まれたランスロットは、大いに笑った。

「最源流の《鋼》である余に竜をぶつけるか! それは悪手ではないかな、神殺し!」

「舐めるな、ランスロット。わたしの竜を有象無象と一緒にしないでよ!」

 キズナの呪力を受け取って、竜が口内に光を呼び集める。

 大きな顎に赤熱の炎を宿し、竜が咆哮する。

「薙ぎ払え!」

 赤き竜は、地面に叩き付けるようにブレスを吐いた。

 音が消え、風が絶命し、死の奔流と化した炎は大気を焼き払い地面を抉り取った。木々は言わずもがな、破壊の一撃は地面ごと進路にあるすべてを蒸発させたのだ。

「凄まじい一撃だ。これは余も心してかからねばならぬか。……うむ、久方ぶりに心躍る狩りとなりそうだ」

 それでも、ランスロットは竜を獲物としか認識しなかった。強敵なのは認める。だが、その身に流れる竜殺しの血が、敗走を許さない。

 不完全な神であるランスロットは、宿敵の登場のために、当人の気付かぬうちに本来のあり方に近付きつつあった。

 竜が吼える。ただ唸るだけでも地響きを思わせる。それだけの強大な口は、今、天敵である《鋼》に向けられていた。木々を踏み壊してランスロットに飛び掛る竜は、前足の爪でランスロットを潰そうとする。それをランスロットは愛馬に鞭打ってかわすと、そのまま懐に入り込んで強烈な槍の一撃を見舞う。

「む、硬いな」

 ランスロットの突き出した槍は、竜の鱗を抉ったものの、その奥の肉を僅かに傷付けただけであった。

「こっちもいるのよ」

 おまけに、キズナがランスロットを狙っている。光の槍は、羽を一枚消費して生み出したものだ。その槍をキズナは投撃する。

「くぬっ」

 辛うじて反応に成功する。キズナの槍はランスロットの胸元を掠めてあらぬ方向に飛び、地面にさらに断層を追加した。

 キズナの羽の枚数は残り六枚。すでに半減している上に、竜を維持するのに大きなエネルギーを消費している。巨体に見合うだけの戦闘能力があるだけに仕方がないのだろう。

「食った分は働け」

 キズナが竜の頭の上に乗って、眉間を拳で叩く。鉄を叩くような感じだった。

 叱咤された赤き竜は雄叫びと共に尾を振るう。木と岩を抉り、無数の散弾としてランスロットに向かってばら撒いたのだ

「小細工を弄するか。さすがは墜天使の象徴だな、なかなか小ずるい」

 ランスロットは手綱を見事に操って愛馬と共に散弾の中を駆ける。そして、竜の眼前を通り抜けて空高くに上っていく。

「その竜は実に見事な配下だ。如何な余といえども、討伐には大きな力を要する」

 雷鳴が轟く。黒雲の中にランスロットは飛び込んだのだ。

 騎士を追って、竜が飛び立つ。

「故に余の最も得意とする一騎駆けにて、勝負を決しようと思う」

 雷が身体を打ちつける。その雷のエネルギーすらも吸収したランスロットは、その一瞬のみ本来の『まつろわぬ神』としての最大ポテンシャルを発揮する。

 ランスロットが言うとおり、この一撃は彼にとっての最大最高の攻撃であり、大きな力を消耗するという点でも今の彼が使うにはリスクが大きい。

 だが、この竜を相手にするには、それくらいの一撃でなければならぬと感じていた。

 あの硬い鱗を突破し、その命を奪うのであれば、ランスロットの有する最大火力をぶつける必要がある。戦士の勘は、そう訴えている。

 そして、追ってくる悪竜の頭を目掛けて、ランスロットは一条の稲光と化したのだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 黒雲から飛び出したランスロットは、白銀の稲妻か、あるいは隕石のように一直線に宙を駆け下る。

 キズナは一瞬早くランスロットの一撃の威力に勘付いて、転がるように竜の頭から首、そして背中に移動する。

 そして、キズナが竜の背びれの陰に隠れたとき、ランスロットの壮絶な突撃が竜の眉間と激突した。

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」

 竜が吼える。

 衝撃が四方に飛び、ランスロットの呪力が爆発して白いドーム状に広がる。

 巨大な竜が、キズナごと蹴散らされて地響きと共に大地を転がった。

「いってー」

 投げ出されたキズナは打った頭を押さえて立ち上がる。

 ジジ……と音を出し、キズナの周囲で明滅する暁色の楯が、光を失って空気に溶けた。

「やられちゃったか」

 赤い竜は身動き一つしない。頭を潰されては、さすがに生きていられないのだろう。強い生命力のおかげで肉体は死んでいないようだが、戦う力はもうない。

 キズナは少し考えて、竜での戦いは終わりにすると決めた。

 呪力供給を断ち、竜の肉体が朽ちるに任せる。

 ランスロットは、『まつろわぬ神』としては不完全な状態だ。何らかの呪術によって、性を封印しているのだろう。そのため、戦闘能力が本来のそれよりも低下していたのだが、自然界のエネルギーを取り入れたことで瞬間的な出力を向上させたか。相手が竜だったことも、彼を昂ぶらせた要因だろう。

 それも分かっていてやったことだ。まつろわぬ性を封じられた状態では、逃げに徹される可能性もあった。そのため、僅かでも《鋼》の性を刺激して、戦いに持ち込もうとしたのである。

 その目的は、ある程度達成されたといえるだろう。

「卿の竜は息絶えたか。想像を絶する怪物であったな。さすがは、破滅の魔王を象徴する《蛇》だ」

 舞い降りてきたランスロットは、身体に紫電を走らせながら言う。

「何が強敵よ。あっさり倒してくれちゃって。呪力の無駄撃ちになったわ」

「ハハハ、余は竜殺しの神ゆえな。だが、それでもこれほど苦戦することもそうないのだぞ。余を梃子摺らせる竜を飼っていることを誇るといい」

 自慢か、とキズナは視線を険しくする。

「それに、卿のその権能もそろそろ打ち止めだろう。最後の翼が朽ちようとしている」

 キズナの腰の辺りから生える最後の翼は、ボロボロに崩れていた。

「これがなくなったからって、わたしの権能のすべてが消えるわけじゃない。別の権能で、相手してやるわよ」

「ほう、それは興味深い」

 ランスロットはいたく興味を引かれたようで、槍を構えて疾走の準備をする。

 キズナがランスロットを逃がすつもりがない以上は、背を向けて逃げるのは背後から撃ち抜いてくれと言う様なものだ。得意の霧が通じないのだから、逃亡するにしてもキズナから意識なりを逸らした後でなければならない。

 そして、キズナは最後の翼の消滅と共に帝釈天の虹の弓を呼び出した。

 左手に構える虹色の輝き。

「!?」

 しかし、驚愕に目を剥いたのはランスロットではなくキズナのほうであった。

 虹の弓が、明滅したかと思うと霧散して消えてしまったのだ。

「な……」

 帝釈天の力が消える。ランスロットに何かされたわけではない。これは、ルシファーの権能を使った反動か。

 まずい、と冷や汗が出た瞬間、キズナの身体を黒い霧が取り巻いた。

「ぐぅ……」

「ぬ!」

 ランスロットはキズナの突然の変化に危険を感じて飛び退る。キズナもまた、身体の変化についていけずに堪らず膝を突く。

「これは……」

 キズナの変化にランスロットは警戒心を露にする。

 漆黒の霧が、徐々に形を成していく。

 一対の翼に。

 烏のような、黒い翼だ。

 霧が晴れたとき、そこに佇むキズナは明らかに変わっていた。

 肩甲骨の辺りから黒い翼を生やした彼女は、その身長まで変化していたのだ。一〇センチは身長が伸びただろうか。手足もすらりと伸び、瞳は真紅。服の上からでも分かるくらいに膨らんだ胸部。幼さを残した少女から女の色香を滲ませる、妖艶な女性へ変わったのだ。

「なるほど、翼の減少は権能の発動限界ではなく、発動準備時間を示していたわけか。その姿が、悪魔王の権能本来の力ということだな」

 ルシファーは、二面性を持つ天使。

 天空の神に匹敵するとされる最強の天使長としての側面と、地の底に墜ち、墜天使となった後のルシファー。白銀の翼を失った後に現れた、漆黒の翼は悪魔王ルシファーを象徴するものなのだ。

「そう、みたい……」

 黒い呪力の霧を纏うキズナは紅い目をランスロットに向ける。

「なんだろう。不思議な感じがする。気持ちいいのに、すごく苛立ってる、感じ」

 ぶつぶつとキズナは呟いている。ランスロットに意識を割きつつも、自らの身体に生じた異変が理解できていないというように。

 それは隙でもある。ランスロットは、不意打ち御免と叫びつつ、キズナに神速の槍を放つ。

 キズナはランスロットの刺突を半身になり、バックステップを踏んでかわした。

「鬱陶しい」

 キズナは後方に飛び退きながらも、すでに手の平に黒い呪力球を生み出していた。

 ランスロットとすれ違い様に、光球を解き放つ。神速のランスロットは、この光球を置き去りにして飛び立った。

 獲物を仕損じた黒い光は、地面に着弾すると同時に直径三メートルほどに膨らみ、そして地面ごと消える。

 キズナは秀麗な顔を歪ませて、服の襟首から中に片手を入れる。それから、服の中から布切れを引き抜いた。

 引き千切るように乱暴に取り出したのは、桃色のブラジャーだった。

「ああ、苦しかった。何か動きにくいと思ったのよねぇ」

 成長したキズナは、普段つけているサイズでは身体に合わなかったのだ。ランスロットを仕損じたのも、服がきつくて手が挙がらなかったからだ。

「もう、逃がさない。ここで、刻んであげるわ」

 いくらか衣服がきつめになっているけれども、許容の範囲内だ。動きにくければ、その都度破っていけばいい。

 翼を羽ばたかせたキズナは、黒い風を帯びて急上昇する。

 単純なスピード勝負ではランスロットが勝つだろう。だが、旋回力をはじめとする空中戦闘能力はキズナのほうが上回っている。

「つれないこと、しないでよ」

 キズナは微笑みながら、翼を羽ばたかせる。

「もっと、たくさん遊びましょう」

 漆黒に染まった羽が無数にばら撒かれ、それらが渦を為して辺り一帯を覆った。さながら、羽の檻だ。キズナを引き離そうとするランスロットの行く手を遮る羽の群れ。直線的な運動しかできないランスロットは小回りが利かない。どうしても、速度を緩めざるを得なかった。

「く、毒の羽か!?」

「そう、触らないように気をつけてね」

 ランスロットの頭上をとったキズナが優艶に笑う。

 常人ならば、その笑みを見るだけで心を蕩かされてしまうであろう。周囲に満ちる黒い瘴気が、人の思考を犯す毒となっているのである。しかしランスロットには、あまり効果がないらしい。鋭い刺突がキズナを襲う。

「……と」

 キズナはふわりと後方に跳び、それから横凪に蹴りを放った。ランスロットは、キズナの蹴りを籠手で受け止める。

「ぐ、なかなかの剛力。身体のほうも相当強化されているようだな!」

「怖くなった?」

「否。むしろ、打ち倒すべき敵が強大と分かって心が躍る!」

「それは、光栄」

 ランスロットの突きを、キズナは正面から受けた。手の平で鷲掴みにしているのだ。メリメリと、肉が裂け骨が砕ける。しかし、飛び散るのは肉片でも鮮血でもなく、黒い霧だ。砕けた傍から傷が修復されている。《蛇》の再生能力だ。おまけに、槍を正面から受けたことで、懐に潜りこめた。

 キズナは槍を引き、ランスロットの身体を引き寄せて、もう片方の腕で思い切り殴り飛ばした。

「あはっ……あははははははっ!」

 キズナは毒羽の壁を突き抜けて地面に叩きつけられたランスロットを見て、笑った。何がおかしいのか分からないが、とにかくおかしかった。腹を抱えて笑うくらいには。

 それから、指についた血を舐め取る。いつの間にか、犬歯が鋭く尖っていた。

「なるほど、さすがは悪魔王といったところね」

 帝釈天の権能は使えなかった。しかし、ドラキュラの権能は使えるらしい。身体を調べてみると、荘子の権能も不完全ながら起動している。不動明王の権能は――――ダメか。発動もしない。やはり、闇の陣営に属する権能であれば、問題なく扱えるらしい。

「その子。もうダメみたいね」

 キズナは着地してから、ランスロットの馬を指して言った。

 キズナとの戦いで疲弊したランスロットの愛馬は、すでに息絶えていた。

「卿が乱暴を働くからだ。まったく、可哀想なことをする」

「あなたもすぐに逝かせてあげるわ」

「姿だけでなく、幾分か性格まで変わったか」

「そんなことないんじゃないかな。ただね。気分よく、やりたいようにしたほうがいいって、そう思うようになっただけ」

 ルシファーの権能の最も厄介な点がここにある。

 容貌が、艶めかしく変化するだけではない。身体能力の向上や、毒の翼といった攻撃も凶悪には違いない。だが、人間にとって最悪なのは、それらを扱うキズナ自身の思考にまで権能の影響が現れていることだった。

 理性の箍が外れているのだ。

 我慢はしないし、感情のままに動く。壊したいままに壊すし、手に入れたいものは力づくで手に入れる。人からどう思われるか、などということはまったく意に介さない。なぜならば、今のキズナには他人の視点が欠如しているからだ。

「身体は熱いし、気持ちもすごくいい。どうしようもないくらいに火照ってるしドキドキしてる。なのに、あなたがいるから、気分が悪くなる。ああ、だから、すぐに死んで。今すぐ。ここで、バラバラにしてあげるから。その子と一緒に、地獄で暮らすといいわ。手伝ってあげる」

 キズナが手を挙げる。それに引っ張られるように、地面が盛り上がり、鋭い杭が頭を擡げた。

「おお!」

 ランスロットは、自分の足元から起き上がる杭を槍で打ち、驚くべきことにその勢いを利用して跳んだのだ。消し飛んだ木々に代わって乱立する杭の森。ランスロットの愛馬は一瞬にして串刺しになり、無残な骸を曝した。

 だが、ランスロットは跳んだ先ですばやく霧を発生させた。肉体も霧へと変わったことで、杭は効果を発揮しなくなった。

「これは……」

「湖の妖精より賜った霧の加護。先ほどは炎で焼き払われたが、今の卿に聖なる炎は扱えないのだろう」

 図星であった。ランスロットは、キズナが帝釈天の弓を使えなかった場面に遭遇しており、その上でドラキュラの杭は使えるという状況から判断したのだろう。さすがに、長年多くの敵と戦ってきただけのことはある。

「逃げるのっ!?」

「卿と決着をつけることができなかったのは無念だが、今の余は気付いてのとおり完全ではない。何れまた、願わくば本来の力を取り戻したその時こそ、卿と心行くまで戦いたいものだ」

 牙を剥いて怒鳴るキズナに、ランスロットは飄々とした態度で応じた。

 そして、霧が晴れるとすでにランスロットの気配はどこにも感じられなかった。

 取り逃がした。

 舌打ちをして、キズナは杭を消した。

「ああ、どうしよっかなぁ」

 己の翼を撫でながら、キズナは呟いた。激しい戦いの中で衣服は傷つき、すでに半壊状態。しかし、普段の彼女と違って今のキズナはそんなことには気を留めない。

 戦いが不完全燃焼に終わってしまって、落ち着かない。

 オリンポス山の中腹付近は、キズナとランスロットのとの戦いによって激しく崩壊し、豊かな植生は多大な打撃を受けていた。

 何よりも、キズナが撒き散らした毒の羽と瘴気が生物にとって有害すぎた。

 キズナは自らが破壊しつくした大地をちらりと見て、何の感慨も浮かばなかったのか表情を変えずに山の頂上を見る。

 そこには、赤黒く変色した岩肌が露出しているだけで、テュポーンもヴォバン侯爵もいない。しかし、地響きと咆哮、そして雷や噴火のような莫大な炎が裏側から立ち上っているところから見ても、キズナとは反対側で激しく戦っているのが分かる。

「加勢には、……行かなくていいよね」

 ヴォバン侯爵が逆ギレしかねないし、興味もなかった。もとより、彼の獲物だ。仕留められないのならそこまでだ。

「そういえば、お腹減ったわねぇ」

 それに喉も渇いた。身体の熱はまだ引かない。敵を討ち果たし、八つ裂きにするのも悪くなかった。闘争には興味がないが、一方的な蹂躙ならばこちらの苦労も少なく済むからだ。身体も動かすことになるし、落ち着かない気持ちを静めるのにいい運動になっただろうに、途中でランスロットが逃げてしまった。

 いろいろなものが、足りていない。満足していないのなら、別のもので餓えを満たすしかない。

 唇を舐めたキズナは、頬を上気させて、生唾を飲んだ。

「龍巳のところに行こうかなァ……」

 いいアイデアとでも言うように、微笑みを浮かべたキズナは、羽を散らして空に飛び上がった。そして、そのまま漆黒の風を率いてリトホロに向かって飛んでいったのだった。




六度集経、原文しか見つからなかったけどパパッと読んでみた。
猿をお供にしてお姫様を竜から救うお話だった。まんまラーマじゃねえかと思った。

グレムリン解説。
パンツァーユニット・・・グレムリンの権能で強化することを前提に開発された小型ミサイルポッド及びレールカノン。思念で発射するので引き金はない。転送魔術の限界があるために、小型にする必要があったが、簡単なつくりなので細かい整備は必要なく普通の人間からすればミサイルが入った鉄の箱でしかない。意外に安上がりで消費呪力も他の権能に比べて少ないので初期の面制圧に向く。
ジェットエンジンを小型化した高速機動型イエーガーユニットやチェーンソーや超音波ブレードを装備した近接戦型シュナイダーユニットなどがあるが、完全に趣味の領域。フルアーマーのパワードスーツなども開発中だとか。アイアンガールとして世界に名を轟かせるのかもしれない。

ルシファー解説
十二枚の光の羽を装備する第一段階と黒い翼を生やす第二段階に分かれる。これは、天使と墜天使の二面性に対応している。
白銀の翼は羽の一枚一枚が武器となっており、これを消費して戦う。その一方時間経過でも徐々に散っていき、すべてなくなると墜天使の翼が生えることになる。
墜天使状態のキズナは肉体的にも成長する。ルシファーが傲慢だけでなく性欲をも担当するためである。周囲には人の理性を狂わせる瘴気をばら撒き、翼はキズナの意思一つで効果を変える毒羽で構成される。また、キズナ本人の理性の箍も外れているので、基本的な行動指針を守りつつも欲望の赴くままに行動するようになる。この状態では善に属する権能は使用不能になり、荘子のような人間神から簒奪した権能は半覚醒、闇に属する権能は二割り増しの力で使えるようになるという悪魔王状態となる。
最悪なのは、核弾頭を有する施設をこの状態のキズナが乗っ取ったときであろう。

ストブラ、零菜古城で短編書こうとして放置したのがずっと執筆中の一番上にあるんだよなと思いつつも放置。どっかで書きたい。

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